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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(三十二)ひとときの休息



 クライツが未だ倒れたまま意識のないヘスの両手首に、罪人に施す魔力を阻害する腕輪を嵌めて、ついとゼノを振り返った。


「すみませんが、私は一度コレを引き渡してきます。デル」


 呼ばれて、デルがヘスをひょいと肩に担ぎ上げた。ゼノにやられた右側がだらん、となっているがもちろん誰も気にしない。


「シュリーはここに残っていてくれ」


 そう言い置くと二人は部屋から出て行った。

 やはり同じ魔塔の出身だけあってリーリアは気になるのか、クライツ達の背をじっと見送り、物問いたげにシュリーを見たが、わかっているだろうにシュリーはニコリと笑うだけだ。

 だが、ヘスとリーリアの扱いが異なるというのは間違いなさそうだ。

 リーリアは居心地悪そうに、手をもじもじとさせながら俯いた。


「城内の魔族はどうなった?」


 同じようにクライツ達を見送ったゼノは、騎士団長のバルドメロに問いかけた。城内の叫び声が収まっているように感じたからだ。


「神殿長のお力添えと王都に出ていた第一騎士団の帰還により、粗方片付いた。近衛や衛兵が頑張ってくれたことと、神殿長の治癒魔法により被害は最小限で済みそうだ」

「そいつぁ良かった」


 急いでいたため通行途上の魔物しか斬り捨ててこなかったので、ゼノも多少は気にしていたのだ。騎士団の実力は知らないが、神殿長ニダの実力は知っている。彼ならきっとリタ並の活躍はしてくれただろう。


「皆さん一度お休みになって。落ち着ける部屋を用意させるわ。ルイーシャリアもまだしばらくは皆さんと一緒にいてちょうだい」


 チェシャとゼノに目配せしながらの女王の言葉に、二人も頷き返した。


「リタも――そうだな、王女の側についててくれ。そこの魔塔の嬢ちゃんも一緒に休ませてやれよ。シュリー、頼んでいいか?」

「任せといて」

「はい。ゼノ殿はどうされますか」

「ああ、一応城内に危険がないか見ておく。リタの癒やしで元気になったとはいえ、ニダも心配だしな」


 バルドメロに視線を投げれば、彼もゼノの言葉に「助かる」と頷いた。


「おじさんも早く助けてあげて。治癒魔法はかけたんだけど、雷撃も受けてると思う」


 ゼノの腕を引っ張りながら心配そうに告げるサラに、バルドメロについてやって来た衛兵の一人が「副騎士団長なら別の者が救助を行いましたので大丈夫です」と告げた。

 突然声をかけられてびくりと肩を跳ねさせ、ゼノの腕にしがみついて恐る恐る衛兵を振り返った。


「……本当、ですか?」

「はい。ここに来る前に運ばれるのを見かけましたので、ご心配には及びません」


 そう聞いてサラがホッと胸を撫で下ろし、ペコリと頭を下げた。その頭をくしゃりとひと撫ですると、ゼノはチェシャを見やった。


「じゃあ、ルイが休める王宮の離れに案内するにゃ」

「お願いね」


 女性陣がチェシャに連れられて出て行くのを見送ると、マリノア女王は大きく息を吐いた。


「クストーディオの件はこれで片がついたと考えてよさそうですね」


 その表情にまだ憂いが残るのは第四盟主の件が残っているからだろう。ヘスが破壊し魔族の襲撃を受けた城や、同じく魔族によって破壊された王都の修復も頭の痛い問題だが。


「……あの子達だけにしておいて、問題はないのかしら」


 不安気に呟かれた言葉に「大丈夫だろ」と頭をガシガシとかきながらゼノが答えた。


「あいつは女王様気質なんだ。慌ただしく動き回ってて落ち着きのねえ所は嫌いだ。特に」


 そう言って部屋の中を指し示す。


「こんな破壊されてボロボロな場所は、よほどの理由がない限り来たがらねえ」


 ゼノが見たところチェシャが擬態を解いたのは、ある意味よほどの事に該当するが、それでも無事なのはわかっている筈なので、すぐにはやってこないと見ている。あるいは、チェシャの出方を待つか。

 第四盟主は側近を可愛がるが、それぞれの特性に応じた可愛がり方をしているので、チェシャのように自由気ままに動いている者にあまり干渉はしない。彼女達が一息つくぐらいの余裕はあるだろう。


「そう……その時には(わたくし)もその場に居られるようにお願いできるかしら」

「チェシャに話しとく」

 そう言うと、ゼノはバルドメロに女王を任せて部屋を後にした。



 * * *



 リタの癒しがあったため、身体の疲れはとれていたが、汚れやぼろぼろの服装はどうにもならない。

 チェシャが離れ――離宮の侍女達を総動員して、すぐさま湯浴みが出来るように整えてくれた。


「え、あ、あの……私も、一緒にですか……」


 リーリアがぶるぶる震えながら脱衣所で恐る恐る尋ねた。一行に連れられるまま浴場までやって来たが、メンバーがメンバーだ。王女に聖女と魔族である。

 特に戦闘に巻き込まれた訳ではないシュリーは「私は外で待機しておきます」と早々に浴場の外に行ってしまった。

 リーリアとて女子。湯浴みは好きだし身体を綺麗に洗い流したいとは思うが、メンバーに尻込みするのは仕方ない。

 おまけにリーリアには体を人前で晒したくない理由があった。


「城内がまだ落ち着かないから時間をかけない方がいいにゃ。湯船は広いから気にすることはないし、ルイはあたしが洗うから、みんなまとめて入ってしまえにゃ」


 そう言ってテキパキとルイーシャリアのぼろぼろのドレスを手早く脱がせてバスタオルを巻き付け、自身もささっと服を脱いでバスタオル姿で浴場へ行ってしまった。


「アーシェ、サラ。私が背中を流してあげるわ」


 リタが服を脱ぎながらウキウキと楽しそうに言えば


「お姉ちゃんと流しっこするから大丈夫~」

「リタさんはゆっくりしてください」


 と、すげなくフラれていた。

 姉妹で仲がいいんだ、と未だ脱衣所の端っこで固まったまま様子を見ていたリーリアは、ばちりとリタと目があって、肩を跳ねさせた。


「リーリアも疲れたでしょう?あんなに傷だらけだったもの。背中を流すわ」

「い、いいいいいえ、とんでもないです! わ、私は、はじっこでさっさと入ってあがらせていただきますので!!」


 背中を流されるなんてとんでもない!とあわあわとお断りして、手早く服を脱ぎ見せたくない体――特に背中のやや下あたりを念入りにタオルで隠して、そそくさと浴場に移動した。

 こうなればさっさと洗ってさっさと出てしまうに限る。

 さすが王宮の浴場。広くて豪奢だ。

 後で知ることになるが、この離宮は海外からの国賓が滞在する宮で、リンデス王国の美の粋を尽くした建物と設えになっていた。

 リーリアの知っている浴場とはまったく異なる様相に、何を触ってよくてどこで身体を洗えばいいのか、と固まってキョロキョロしていると肩を叩かれた。


「こっちよ」


 こういった場所にも慣れているのか、どうすればいいのか固まるリーリアをリタが誘導する。結局は人に助けてもらわないと動けないのだ、とリーリアはしょんぼりと落ち込んだ。

 見れば衝立で隠れる場所で、すでに姉妹が身体を洗っていて、案内されなければリーリアではわからなかったかもしれない。


「貴族の浴場って平民の知ってるそれとは異なるでしょう?私も初めて入った時は驚いたのよ」


 基本は同じなんだけれど無駄に何もかもが華美よね、と苦笑しながら告げられ、聖女であるリタも自分と同じように驚いたと聞いて少しホッとした。

 結局リタに色々教えられ、なし崩し的に今髪を洗われている。

 人に髪を洗われる機会なんて、リーリアにはない。それこそ母が生きていた子供の頃以来だ。


「じゃあ次は背中を流すわ」


 言われて、リーリアはぎくりと身体を強ばらせ、体を隠していたタオルをぎゅっと握りしめた。


「あ、あの、体はっ……体は自分で洗います! だからもう……」


 ぶるぶる震えるリーリアの様子に、リタも一瞬口ごもり「わかったわ、じゃあ私はあちらで洗ってるから」と、リーリアが見られることを気にしないよう、少し離れた所に移動して行った。

 姉妹も誰もリーリアに注意を払っていないことを確認すると、リタに教えてもらった石鹸で体を洗う。それでもやはり背中を露わには出来なかった。

 手早く洗い、体に湯をかけ流す形で体を温めたあと、背中が見えないようにタオルの位置を調整しようとした時、


「魔法陣にゃ」

「ひゃうっ!」


 耳元で声が聞こえてリーリアは飛び上がった。


「これは随分複雑な魔法陣にゃ~?」


 ――見られた!


 慌てて背を隠すように振り返れば、チェシャが興味深そうに覗き込んでいて息を呑む。距離が近い。

 息のかかる距離にチェシャの顔があってリーリアは動けなかった。


「その背中の魔法陣は道に似てるにゃ~?もっとよく見せるんだにゃ」


 ギリギリまでリーリアに顔を寄せ、肩を掴んで無理矢理背中を覗き込もうとした時、その腕が掴まれた。

 リタだ。


「女の子の嫌がる事をしてはダメ」

「魔塔の魔術師なんて胡散臭い連中にゃ。確かめておく必要があるにゃ」


 腕を掴むリタを鬱陶しそうに見上げながら、鋭い視線をリーリアに投げる。

 魔族にとっても魔塔の魔術師という存在は一般の騎士や冒険者よりも鬱陶しい存在だ。おまけにリーリアはヘスと共にいたのだ。チェシャの印象は悪い。


「それでも、力づくはだめよ。それでは信用を築けないわ」

「あたしは別にコレとの信用なんて築く必要はないにゃ。ルイに害が及ばないかどうかだけが重要なのにゃ。さっき見た感じでは、あの魔法陣は何かを呼び込む道に似てる。ここを通って何かが来るようでは困るのにゃ」


 チェシャの真剣な表情に、リタも眉宇をひそめた。

 何かが来る、という表現は確かに聞き捨てならない。

 リタはチェシャの手を掴んだままリーリアに向き直った。


「彼女はこう言っているのだけど、背中の魔法陣は危険なものなの?」

「ち、違います! そんな危険なものでなく――」

「この女の言うことなんか信じられないにゃ」

「これは本当にそんなものではなく……」

「隠そうとしてる時点で疑わしいにゃ」


 チェシャの言い分もよく分かる。魔塔がどういった所なのかリタも詳しく知らないのだ。だが、必死に言い募るリーリアが嘘をついているようには見えない。リタの見た感じでは、リーリアは嘘のつけない真面目な人物に見えた。


 ――まあ、相手が女性であるという時点でリタの危険センサーの働きは微妙なのだが。


「そもそも背中の魔法陣をコレが正しく理解してるかどうかも疑わしいにゃ」


 場所が背中じゃちゃんと把握出来ていないかもしれないにゃ、と言われれば確かにそうだ。リーリアが知らないだけで実は危険だという可能性も捨てきれない。だがもし本当に危険なものであれば、この魔法陣を刻んだ人物は許せない存在になる。

 そうね、と小首を傾げてリタはリーリアの顔を覗き込んだ。


「リーリアが見られたくないという理由を教えてくれる?」

「そんなの怪しいからに決まってるにゃ!」

「チェシャさんは少し黙りましょう」


 ぽん、と背後からアーシェに肩を叩かれて、渋々と言った体でチェシャはリーリアから手を離した。眉根を寄せてリタの手も乱暴に払いのける。


「ぶちゃいく顔になってるよ~、チェシャさん」

「ぶちゃいく云うにゃにゃ!」

「お父さんの言い方そっくり~!」

「ふぎゃ!? ぜ、ゼノと一緒は嫌にゃ!!」


 サラにくすくす笑われて気勢が削がれたのか、チェシャはリーリアとリタを睨みつけてから、湯船に浸かるルイーシャリアの元に戻って行った。

 魔族の女の子と仲良くするのは難しそうね、とリタは少し残念そうに肩を落とし、未だタオルを握り締めて震えるリーリアを見つめた。


「ここにいても体が冷えちゃうわ。湯船に浸かりましょう。大丈夫。背中は無理に見ないから」


 リタに肩を抱かれるまま湯船に移動したリーリアは、豪奢な湯船に背中を張り付けるようにしてつかった。

 ルイーシャリアの側にはチェシャが張り付き、姉妹、リタ、リーリアの順で距離を置く。


「は~、ほかほか。気持ちいい……」

「おうちのお風呂は狭いもんね」

「二人が今後住む家の風呂は割と大きいわよ。元々寮だった建物だから、五人ぐらい一緒に入っても平気な広さなの」


 サラ達の言葉に、リタもほっこり湯船に浸かりながら満足そうに告げる。


「そうなんですね」

「二人とはまた一緒に入る機会はありそうね」

「その方が効率的ですね」


 とはしっかり者のアーシェの言葉だ。

 なるほど。アーシェには主婦感覚で攻めれば共感は得られるということね。

 リタは内心でうんうんと頷き、アーシェを落とせばサラも落ちる筈、と二人の攻略法を吟味する。


「皆さん怪我は本当にもう大丈夫なのですか?」


 ルイーシャリアが湯につかったまま、リタ達の方にゆっくりと移動してきた。チェシャは顔半分まで湯につかった状態でひっついてくる。


「はい。王女様こそ大丈夫ですか?私達の力が至らずすみません」


 アーシェが慌てて謝罪するのを、ルイーシャリアはゆるゆると首を振った。


「いいえ。皆さんには十分に助けていただきました。 アーシェがとても強くて驚いたわ」

「お姉ちゃんはとても強い」


 ドヤ顔で同意するのはサラだ。今回の戦いっぷりを知らない筈のリタもうんうんと頷く。アーシェは眉尻を下げて困ったように力なく微笑するにとどまった。


「サラさんも強かったわ。(わたくし)と同じだと聞いていたのに、あんなに魔法を扱えるなんて凄いのね」


 サラから預かった魔紙に描かれた魔法陣を起動させたときの不思議な感覚を思い出しながら、ルイーシャリアはサラを褒める。きっとサラが示してくれなければ、自分で使う機会など訪れなかっただろう。


「わたしは……ぜんぜん、ダメだったから――」


 もごもごと呟き、顔をぶくぶくと湯につけながら項垂れた。

 アーシェが居てくれないとサラは一人で敵に立ち向かうことすら出来ない。

 ゼノにも言われている。

 戦うことが怖いなら無理に戦うなと。じっと隠れていていいと。

 だが、戦うと決めたのなら冷静になれと。

 怖がってもいい。だがパニックを起こすなと。

 周囲が見えなくなって冷静な判断が出来なくなるなら、戦いの場に立つなと言われていたのだ。

 だが、怖さからパニックになり自滅した。役立たずさに落ち込む。


「今回は相手が悪いのよ。あんなクズそういないわ」


 二人のどこかしょんぼりした表情に、リタが眦をつり上げて語気荒く言い捨てた。リタはヘスと直接面識はないのだが、神殿でのリーリアへの暴言と皆の負傷から彼女のブラックリストの最上位にその存在を刻みつけている。


「そうにゃ。魔塔の連中はいつの時代も本当に嫌な連中ばかりにゃ」


 チェシャがじろりとリーリアを睨みながら言えば、少し離れた所に座していたリーリアがびくりと肩を跳ねさせた。


「でもチェシャ。彼女が防御魔法をかけてくれたから、みんな大きな怪我をしていないのよ。それに、彼女はずっと止めようとしてくれたわ」

「ルイは甘いにゃ」


 (たしな)めるようなルイーシャリアの言葉を、チェシャはぴしゃりと切り捨てた。常にない強い口調にルイーシャリアも戸惑う。 


「魔塔に所属するのは、魔術に狂った連中ばかりにゃ。そこの女も気弱そうに見えて何かしらの魔術には狂ってるにゃ。こういう連中は信用ならない。人間の常識はもちろん魔族の常識からも外れた基準を持ってるやつらにゃ」


 静かな怒気を孕ませてリーリアから視線を逸らさないチェシャは、非常にリーリアを警戒している。リタはそれが魔族と魔塔の魔術師という立場からくるものだと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。


 ゼノとヘスがやりあっていた時、ヘスの最後の魔法――リタも目にしたことのない魔法が杖から放たれた時、驚愕の声を上げたのはチェシャだ。「馬鹿な!?」というその声には、()()()()()()()()()、という驚きがあったように感じた。

 ゼノのせいでまったくその魔法の恐ろしさはわからなかったが、少なくとも魔族が驚愕を隠せない程の魔術だったのは間違いない。

 そこに加えて普通でない魔法陣が背に刻まれているリーリアのことも必要以上に警戒しているのだろう。


「わ、私は、別に……」

「制裁措置で梟に取り上げられるほどの価値がこの女にあるということにゃ。なら油断はならないにゃ」

「私に価値などない!」


 思わずと言った体でばしゃりと湯から立ち上がり叫ぶリーリアに、チェシャ以外の皆が驚いてリーリアを振り仰いだ。一斉に注目を浴びて、我に返る。


「あっ……、そ、その……」


 狼狽えて、ばしゃん、と膝から力が抜け落ちたように湯に戻り、顔を覆って俯く。

 あまりにもあり得ないことを言われて、思わず出てしまった反論の言葉。


 だってあり得ない。


 魔塔の中でリーリアの味方は義父の魔塔長だけだ。ヘスが言うように暗く鈍臭い上に綺麗事をほざいていると、隠すことなく罵られることが多い。防御結界の使い手として優秀だが、リーリアと同程度の使い手なら魔塔内には他にも存在する。なんなら彼らは、防御魔法だけでなく他の攻撃魔法だって得意だ。防御魔法しか取り柄のないリーリアとは違う。それでも直接的に何かをされないのは、皮肉にもヘスがリーリアの防御魔法を重宝していたからで、ヘスが怖くて手出しをされていなかっただけだということを、リーリアは正しく理解している。

 ヘスがいない今、むしろリーリアは体よく捨てられたのではないかとさえ思う。いなくなっても大して困らないリーリアを差し出すことで、ノクトアドゥクスの怒りを誤魔化そうとしているように見えた。

 魔塔に対して価値がないとわかった時、自分は一体どうなるのだろうか。

 リーリアはそちらの意味でも恐ろしかった。


「――それ、あのクズが言ったの?」


 ひやりとするような殺気を纏って、リタが問うた。


「あなたに価値がないって、そんな馬鹿げたことを、あの、この世に存在する価値もない、クズが言ったの?」


 その言葉の冷ややかさに、リーリアは恐る恐るリタを見やった。

 表情の抜け落ちた顔で、リタが静かにリーリアを見つめている。

 その雰囲気にリーリアは息を呑んだ。

 自分に向けられている訳ではない、とわかっていても、リタから感じる怒りに身体が震える。


「ねえ、リーリア。あなたにそんな事をほざいた奴を教えて? あのクズ?それとも、魔塔には他にもそんなクズがいるのかしら。――女の子に向かって、価値がない?」

「り、リタさん……?」


 リタの様子に、恐る恐るアーシェが声をかけたが、リタはそれには答えずに拳を握りしめた。目に見えるほど拳に身体強化の魔力が漲っているのがわかる。


「――ばっかじゃないの? 女に生まれ落ちた時点で男なんかより何百倍も価値があるのよ? そんな事を女性に向かって言う輩なんて、それがたとえ同じ女性でも許せないわ。――価値がないですって? そこに存在するだけで尊いのよ? そんな当たり前のことを理解できない連中は、他の誰が許しても私が許さないわ!!」


 ぐっと拳を握りしめ宣言すると、びしっとリーリアを指差した。


「それからリーリア!」

「は、はいっ!」


 思わず背筋も伸びる。


「そんなクズ共の言葉を真に受ける必要なんてないわ! あなたはあなたであるというだけで価値があるのよ!忘れないで!!」

「は、はははいっ!」


 勢いにのまれて、ぶるぶる震えながら思わず大声で叫んで首肯する。そうせざるを得ない迫力がリタの言葉にはあった。


「みんなも覚えていて」


 穏やかに、だが力強い言葉で告げて周囲を見渡す。


「誰かが今後あなた達に向かって、価値がないとか、存在する意味がないとか役立たずだとか災いだとか嫌いだとか心を抉る言葉を投げかけたとしても」


 真摯な表情で続ける。


「私はあなた達の事が好き。存在を尊いと思ってる。主義主張が異なり例え今後敵対することになったとしても、存在を否定なんてしない。どうなってもあなた達の味方よ、なんて嘘くさいことは言わないわ。立場や考え方で相容れないことが生じる事はあるもの。それでも私は、あなた達があなた達であることを尊いと思ってる。だから、誰かの言葉や自分の思い込みなんかで自分を否定することだけは絶対にしないで」


 リタの言葉にしん、と浴場内が静まり返った。

 魔塔にとって価値がないと考えているリーリア。

 存在が災いだと世間でいわれているラロブラッドのルイーシャリアとサラ。

 そして——ゼノの一番弟子である以上、負けてはいけないとの脅迫観念を持っているアーシェ。


 リタの言葉は、それぞれの心に一雫の癒やしとなって深く染み渡った。


「……きれい事にゃ。聖女はいつだって、そういう綺麗事をもっともらしく言うにゃ」


 むぅ、とどこか拗ねたようにリタと目を合わさずにチェシャが呟いた。

 ルイーシャリアのためにはいいかもしれないが、そういう綺麗事は本来虫唾が走る。

 馬鹿げている、と魔族のチェシャは思うのだ。

 稀にそういうことを本気で考えている人間は存在するが、そういう広く慈愛の心というものを持つという胡散臭い連中は、魔族であるチェシャには理解出来ない。


「悪いけど、私のこの気持ちは女性にだけ向けられるもので、男にはないの。フィリシア様なら万人にそういう慈悲や慈愛を向けられるかもしれないけれど——私には無理ね」


 非常に真面目な顔で、きっぱりとリタは言い切った。


「敵視する訳ではないけれど、家族や知人以外は私が気にかける存在じゃないもの。私の慈愛は女性にだけ向けられるもの。男には一切容赦する気はないわ。特に女性に酷い事をする男なんてすべて抹殺してやりたいぐらいよ。あのヘスだって本当なら四肢を切り裂いて脳天をかち割り、この世に存在したことを泣いて許しを請わせてから踏みにじってやりたかったわ。今からでもそうしてやりたいぐらいよ!」


「聖女の言葉と思えないにゃ!?」


「浄化が出来るから聖女と言われているだけで、別に聖人君子じゃないわよ。聖女が誰にでも優しいとか広く慈愛の心を持っているなんて、都合のいい妄想ね」


 冷ややかに言い返す言葉はリタの本心だ。取り繕う気もない。

 そういう意味では自分は聖女という役には向いていない、とリタは思う。


「その代わり、女の子には全力よ。女性はすべからく守り慈しむべきもの、というのが私の信条だから。敵対しないというなら魔族だって女の子はトクベツよ」


 きっぱりと言い切ったリタをぽかん、と口を開けて見つめていたチェシャは、にま、と笑った。


「くぷぷぷぷ。本心を隠さないのはいいにゃ。——気にいったにゃ」


 にまにまと笑いながら泳ぐようにすい、とリタに近寄っていく。


「お前、盟主のことはどう思っているのにゃ? 特に、第三盟主のこと」


 問われて、目をぱちくりさせながら、第三?と首を傾げた。

 神出鬼没の、金色の美貌の盟主。

 そして剣士収集家(コレクター)


「ゼノのストーカーその2?」

「ぷぷぷぷーーーっっ!! ストーカー! ストーカーだってにゃ!! しかもその2だって!! その1の座も奪われてるのにゃ! にゃはははは!! いいにゃ! あたしはお前のこと気に入ったにゃ!!」


 ばしばしとリタの背を叩きながらご機嫌な様子のチェシャに、ルイーシャリアは驚いて目を見開き、アーシェとサラは顔を見合わせて苦笑した。


「チェシャさんは相変わらず第三盟主のことが嫌いなんですね」

「当たり前にゃ! 主さまにつれない態度のあいつは嫌いにゃ!」


 主さまって? と問い返そうとしたリタの言葉は、残念ながら今回もチェシャに向かって投げかける暇がなかった。


「さ〜、もうあがってしまうにゃ! 気になる魔塔の魔術師は、機嫌が良いから今回は見逃すにゃ。あがって、さっさと梟に持ち帰って貰えばあたしも別にいいにゃ!」


 勢いよく湯船から立ち上がり、チェシャが高らかに宣言する。


「あ、ありがとうございます……」


 礼を言うのもどうかとは思ったが、とにかく魔族の機嫌がよくなったのならこれ以上背中の魔法陣を追及されることはないだろう。


「だが油断しない方がいいにゃ」


 そんなリーリアの心を見透かしたように、チェシャはちらりとリーリアを見て口許に指をたてリタに向けて告げた。


「あの背中の魔法陣は油断しない方がいいにゃ。何と繋がっているかまではあたしには読み取れないけど、間違いなく『道』にゃ」

「そ、そんな事は……」

「なるほど、わかったわ。ご忠告ありがとう」


 リタもチェシャに真剣な眼差しで頷き返す。


「リーリアに危険が及ばないように注意を払っておくわ」

「そういう意味で言ったんじゃないのにゃ……まぁ、いいにゃ」


 どこか残念なものを見るようにリタを見つめながら、この聖女はこれが普通なのかと、チェシャも理解し始めた。

 ひょい、と身軽に湯船から飛び出ると、次の瞬間には侍女服を身に纏っている。

 もう正体がバレたので、問題ない相手の前で色々隠す必要はないのだ。


「さ、ルイ。あがるにゃ」

「……今のは魔法なの、チェシャ」

「こんなの魔法のうちに入らないにゃ」


 驚くルイーシャリアの手を引きながら、にゃははと軽快に笑いつつ二人は脱衣所へ向かっていった。

 それを見送りながら、リタは箱庭でのデュティの被り物を思い出す。

 彼の被り物も一瞬で切り替わっていた。

 デュティが魔族か人なのか、魂を読んでいないリタには判別出来ないが、彼にもあの程度のことは魔法のうちに入らないレベルなのか。

 ふう、と大きく息を吐いた。


「それにしても……本当に美しい王女さまね。浴場(ここ)では特に直視できなかったわ」


 今更ながら肩に入っていた力が抜けて、ゆっくりと湯につかり直す。

 お世辞抜きで、リタがこれまでに出会った中で一番の美しさだ。

 同性なのに素肌も露わなこの場所で目のやり場に困ったほどだ。


「リタさんでも!?」


 サラが驚いてリタを見た。サラもルイーシャリアは気恥ずかしくて直視出来なかったのだが、リタはそんな様子を見せていなかったので平気なのかと思っていたのだ。


「王女さまは確かに綺麗です。でも、リタさんも綺麗なので私からすると同じ気持ちなんですけど……」


 はふ、とアーシェが呟くのに、リーリアが激しく首肯した。

 話の内容と迫力でそれどころじゃない感じではあったが、髪もぼさぼさで肌もぱさぱさ、顔色悪く目の下にクマまでできているリーリアからすれば、この場は眩しすぎていたたまれない。

 同じ女性だというのが信じられないぐらいだ。


 それに……

 みんなスタイルも良すぎる……!!


 思わず恥ずかしさで顔を覆ってしまう。

 チェシャとアーシェはスレンダーであまり胸も大きくないが、王女もリタもサラもしっかりと胸のふくらみがあって、リーリアも目のやり場に困る。


 魔塔長以外は知らない背中の魔法陣の存在を知られてしまったことも、女性としての違いを見せつけられてしまったことも、精神的に大ダメージを受けたリーリアだった……。





きゃっきゃうふふが存在しない入浴シーン。別に風呂である必要はなかったのではと思うのだけど、

背中のやや下はそういう時じゃないとなかなか見られないから。


ふぅ。ちょっと今日は幸せな気分でふわふわしています(日本一……!!)


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