(二十九)vs 魔塔の魔術師(後)
声が聞こえる。
サラの呻き声だ。
またあの頃の怖い夢を見たのかな。側に行って手を握ってあげないと。
約束したのだ、ゼノと一緒に。
これからは何があっても守ると。
現実世界だけでなく、夢の中でもサラを苛める連中を斬り伏せてやるさ、と穏やかな目をしたゼノが短剣をサラに渡したのを、アーシェもよく覚えている。サラはしばらくその短剣を枕元に忍ばせて眠っていた。
あの夜にサラは本当にアーシェ達と家族になったのだ。
わたしの妹。
たった半年ほどの生まれの差だ。本当なら上も下もない。けれど、アーシェが妹を欲しがりサラが姉を欲しがったため、アーシェはサラの姉なのだ。
サラは未だに怯えている。子供の頃に受けた心の傷は簡単には治らないとヒミカも言っていた。
だから安心させてあげたい。
絶対に大丈夫だって。
どんな酷いことをする人がいても、私とお父さんが絶対にサラを守るって。
夢現にそんなことを思い出していたアーシェの耳に「ラロブラッドの何が悪い。それは単なる体質だ」という言葉が飛び込んできて、はっと意識が覚醒した。
ラロブラッド。
それをサラがいる場で聞く時はよくない状況のことが多い。
目を閉じたまま状況を確認する。
聞こえる声は副騎士団長のものだ。
――ここはリンデス王国。王女様の部屋で、クストーディオと対峙してた。
そうだ。核を斬りに行って風魔法の攻撃を横から受けた。
それで落ちていたか。
――いけない! だったらその敵の相手をサラがしてるはず!
まず自身の状態を確認する。サラが治癒してくれたのか、傷も痛みもない。そっと手を動かし周囲を探ればすぐに剣の柄が触れた。
身体も大丈夫、剣もある。戦える。
すっと目を開け周囲の様子を窺えば、サラは副騎士団長から少し離れた所で立ち上がっている。
その横顔に恐れがない事を見てとってホッと息をついた。
剣を手にした時、カーキ色のモッズコートを着た男が、黒いローブの女性を手酷く扱っている所だった。
立ち上がり、呼吸を整える。
気づいてこちらを振り返ったサラにニコリと微笑んでみせると、身体強化を足にかけ、立ち昇ったチェシャの殺気に男が敵である事を確信し—— 一瞬で距離を詰めて斬りかかった。
直撃を受けたのは自分の落ち度だ。
そのせいでサラを危険に晒した。
「——やってくれましたね、外道。今度は私が相手です。サラを傷つけたこと、泣き喚いたって許してあげません」
攻撃されるとは微塵も考えていなかったヘスが、間抜け顔を浮かべて驚いているのを一瞥し、すぐに斬りかかる。
さっきの剣圧が通ったなら、威力は通るタイプの防御結界ね。
冷静に判断し、剣気を纏う。
斬れなくたって、ダメージを与える方法はあるのだ。
ヘスはアーシェの気に危険を感じたか、バックステップで距離を取ると杖を構えて油断なくアーシェとデリトミオを窺う。
「それで、何やってるんですか、チェシャさんは」
アーシェもヘスから視線を逸らさずに、背後のチェシャに少し呆れたように問いかけた。
擬態を完全に解いたチェシャを前に、あの男が好き勝手できているならば、理由があるはずだ。
「魔法陣で拘束されてる。身動きも魔力を振るう事も今はできない」
「本気を出しても?」
その状態、まだ本気じゃないですよね、と暗に問われてチェシャは唸った。
「本気を出せる状態にするための魔力を動かせない ——無理をして魔力を爆発させると、この位置じゃルイを傷つける」
「なるほど、確かに」
枷を吹き飛ばす魔力を出せば、確かに周囲が危うい。チェシャが無理に動けない理由に納得し、アーシェも頷いた。
「それには効果解除の魔法は効くんですか?」
「魔法陣を一部でも消す事が出来れば効果は消えると魔塔の方がおっしゃっていました」
倒れたままのリーリアを助け起こしながら、ルイーシャリアが答えれば、なるほど、と頷いて少し考えるように小首を傾げた。
「ならば、そこに倒れたままのクストーディオの事は気にしなくてもいいんですね」
チェシャが動けないならば、格下のクストーディオも動ける筈がない。放置していても攻撃を受ける心配がないことを確認し、アーシェはサラに向かって叫んだ。
「サラ!ここに来て、チェシャさんの拘束を解いて!」
「え!?」
「——はあ!? そこの小娘に俺様の魔法を解除できると思ってんのか」
「出来ますよ。サラは魔法が得意ですから」
キッパリと言い切ったアーシェに、「はあぁ~?」と不快さと嘲りを滲ませたヘスが、杖を一振り風の刃を飛ばしてきたのを、すべて叩き斬る。
「ラロブラッドのくせに魔法が得意? それなんのジョークだよ、笑わせんな」
「自身の魔力を使えなくても、魔法陣で発動出来るならなんの問題もないわ。そこいらの魔術師なんかより、サラの方が優秀よ」
躊躇いもせず言い切ったアーシェをヘスは鼻で笑った。
「優秀! 優秀ときたか。そこのマヌケを! 笑わせてくれるぜ! 残念だったなぁ! 小娘の魔法陣ならさっき俺様が全部燃やし尽くしてやったところだ! これでもうお前の妹は魔法が使えねえじゃねえかよ!」
ゲラゲラ笑うヘスに、サラがぎゅっと拳を握りしめて俯く姿が見えて、アーシェが気を失っている間に色々あったらしい事が窺えた。
だがアーシェは不敵に笑った。
負けずに、ヘスを見下すように。
「それは、サラがいつもポーチに入れている魔法陣のことよね?」
自分の失態に俯いていたサラは、アーシェの問いかけに「ご、ごめんなさい……」と力なく頷きながら謝った。
確かに今までだったら大失態だ。憎たらしいこの男が言う通り、サラは魔法を使えないだろう。
だけど。
「サラ、忘れたの? 赤い道具箱にはまだあるじゃない」
その言葉に、サラが目を見開いた。
——赤い道具箱
「——本当だ! ある!」
二人が身につけているポーチは、デュティがくれた箱庭の特別製。かつて三人が住んでいた家の物がすべて収められている赤い木の道具箱と繋がっていると、デュティが確かに言った。
ならば、練習で作った魔法陣も、魔法陣を描くための新しい魔紙も道具も、それどころか師匠であるアザレア特製の魔法陣だってこのポーチからは取り出せるのだ!
ウサちゃんありがとう……!!
サラは心の中で黒ウサギ姿のデュティにお礼を告げると、目を輝かせて力強く頷いた。
「うん! わかった! チェシャさんの拘束魔法はわたしが解除する!」
「副騎士団長は、サラが解除できるまでみんなを守ってください。この男は、私が足止めします!」
「待て、危険だ!」
慌ててデリトミオが呼び止めたが、アーシェは既にヘスに向かって斬りかかっていた。
ヘスはすぐさま杖で防御結界を展開してやり過ごすと、アーシェから距離を取り、今度は詠唱を始めた。
先程までは見られなかった様子に、サラが顔色を変える。
「気をつけておねえちゃん!大きな魔法がくる!」
叫びざま、サラはチェシャの元に向かって走り出した。デリトミオもサラを庇う位置でそれに続く。
ルイーシャリアに額から流れる血をハンカチで拭かれていたリーリアは、サラの叫び声に慌ててこちらに防御魔法を展開した。
ヘスの本気の攻撃魔法ならかなり危ない。
アーシェは速すぎて魔法を展開する隙がないが、サラ達なら、とこちらに向かってくるサラ達に防御結界を展開したちょうどその時、雷撃が二人を襲った。サラが展開したものよりも強烈だ。
「きゃあっ」
「くっ」
アーシェに当てるのは難しいとみたか、あるいは最初からサラ達を狙ったか。幸いにもリーリアの魔法が間に合ったため二人に直接的な被害はなかったが、直撃を受けた床には大きな亀裂が走った。
「いかん!」
デリトミオがぐいとサラを抱き上げ、そのまま前方にサラを投げ飛ばした。
「ひゃあ!?」
すぐに、先程よりも大きな雷撃が二人がいた場所に落ちると、亀裂が入った床はそのまま崩れ落ち、デリトミオはそれに巻き込まれるように階下に姿を消した。
投げ出されたサラは崩れた床の端で、辛うじて下に落ちるのを免れた。
「お、おじさん……っ!」
尻餅をついた状態で上から覗き込めば、雷撃の直撃と落下の影響か、呼びかけてもぴくりとも動かない。怪我はなくても衝撃があったなら、この高さだ。無事かどうかはわからない。
「まず、一人」
ヘスの声が静かに響く。
次いで、ばしっ!と結界に攻撃が防がれる音が響いた。
「っ! 無駄だっての!」
正面からアーシェの剣を受け一瞬ぎょっとしたものの、結界で意味がないとわかればすぐさまヘスは叫んで杖を振るった。
風刃を飛ばすがすでにその場にアーシェの姿はない。
――ちっ。 強い近接戦闘職と狭い場所でやり合うのは不利だな。
しゃあねえな、と呟き詠唱を行う。その隙にアーシェが正面からまたしても剣を振り下ろす。
先程よりも強い。
リーリアの防御結界のみでは衝撃が通ってしまうため、自分で物理攻撃を防ぐ防御結界を張ったが、先程の攻撃よりも強い斬撃に眉をひそめる。
王女やリーリア達がいる方向は避けて、部屋の壁をぶち破るように竜巻魔法を飛ばした。
残念ながらアーシェはすぐさま移動していたので竜巻の進路上にはいなかったが、三部屋ほど壁をぶち抜き、これでアーシェから幾分距離を稼ぐことが出来るようになり、見通しの良い場所に移動する。
これで遠慮はいらねえな、とヘスは杖を頭上に掲げた。
「これからガンガン行くぜ! ラロブラッドは殺すわけにはいかねえが、てめえは危険過ぎて使えねえよ、小娘」
「お前に使われるのはお断り」
短く告げてその場からアーシェの姿が消えた。
すぐさまヘスは魔法を展開し、大きな火柱がヘスを中心に立ち上って誰をも近づけさせない。
その隙にそろりとポーチを漁れば、自分が欲しいと願った魔法陣が手に触れ、取り出す事が出来たサラは、階下のデリトミオに向かって治癒魔法を展開した。これで少しでも治ればいい。
本当にこのポーチ凄い。また燃やされないようにしなくちゃ。
すぐに治癒魔法陣をしまい、そのまま這って崩れた場所から移動する。
チェシャ達の所まではまだ柱を二つ分移動する必要があった。
柱の影に隠れると、指輪の魔石でアーシェに向けて防御結界を展開した。
怖がりのサラには、何かあったときに冷静に魔法陣を展開することは出来ない。そのため師匠のアザレアが、防御結界だけはこの指輪で展開できるように作ってくれた。そして、戦闘中のアーシェを捉えることはサラには出来ないので、近くにいさえすれば、自動でアーシェに防御結界を展開できるようにしてくれているのだ。
おねえちゃんはこれで大丈夫。
よし、と柱を掴みながらそろそろと立ち上がった。
次はチェシャの元まで移動だ。
「ひぅっ」
そっと柱から一歩足を踏み出した時、炎が飛んできて思わず仰け反る。
「お前はそこで大人しくしてろ!」
「それはお前よ!」
サラを睨みつけるヘスの正面にアーシェが降ってきて剣を振り下ろす!
ばしんっと結界に阻まれてダメージはないのだが、ただただ鬱陶しい。
ヘスは内心で舌打ちすると即座に雷撃で迎撃したが、アーシェは先ほどから攻撃してはすぐさま離脱するので狙って当てるのは難しいのだ。
「ちょこまかと鬱陶しい奴め!」
イライラしてきたヘスは、どうせリーリアが防御結界を張っているのだ。死にはしねえなと、だんっ、と杖を地面につくと長々と詠唱を開始した。
ヘスを中心に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「ば、馬鹿か、ヘス!貴様城を潰すつもりか!?」
それが何の魔術か理解したリーリアが真っ青になって叫んだが、ヘスの耳に届くわけがない。
まずい——! と防御結界の準備を始めたリーリアの目に、アーシェが真正面から剣を振り下ろすのが見えた。
「逃げろ! それの直撃を食らったら——」
「はあああああっ!!」
—— ぱんっ……!
鋭い剣気を纏ったアーシェが渾身の力を込めて剣を振り下ろせば、何かが弾け飛ぶ音が響き渡った。
「っ!?」
そのままの勢いで振り下ろされる剣に、さしものヘスも身の危険を感じて飛び退いた。
剣はそのまま床を裂き、詠唱を中断されさらにアーシェの気によって散らされた魔法陣はそのまま姿を消す。
「通りましたよ。お前の防御結界」
「てめえっ……!」
不敵に笑うアーシェをぎりぎりと奥歯を噛み締めながら睨みつけ、杖を振り上げ風魔法を飛ばした。
無数の風刃を飛ばしながら距離を取る。アーシェは魔法を斬り捨て弾きながらそれでも前に進みゆく。
サラはその隙にチェシャの元に向かって駆け出した。
ポーチからアザレア特製の効果解除の魔法陣が描かれた魔紙と魔石を取り出し、いつでも発動出来るようにスタンバイした状態で走っている最中、飛んできた風刃を避けようと身体を傾げたところで瓦礫に蹴つまづいた。
「あっ……!」
その拍子に、ふわりと魔紙が舞う。
「マヌケが!」
すかさずヘスが風刃を飛ばすのを、「させない!」とアーシェが叩き斬ったため直撃は免れたが、その風の勢いで魔紙がひらひらと舞って、掴もうとしたサラの手からするりと逃げていった。
「待って!——あ!」
それを掴んだのは、こちらに飛び出して来たルイーシャリアだ。
「取ったわ! どうすればチェシャを助けられるの!?」
サラはルイーシャリアを一瞬見つめ——にこりと笑って、魔石を彼女めがけて床を転がした。
距離で言えば三メートル程だ。
魔石は難なくルイーシャリアの足元に届き、慌ててそれを拾い上げるとサラを見た。
「チェシャさんの足元で、魔紙を置いて魔法陣の上を円を描くように魔石を滑らせて! 魔石に力を貸してって祈りながら使うの!そうすれば魔石から力を引き出せるから!」
サラの言葉にルイーシャリアが戸惑って、手にした魔紙と魔石を交互に見つめる。
「使ったことがなくても……私にも出来るかしら」
不安げに尋ねるルイーシャリアに、サラはこくんと力強く頷いてみせた。
「だって、わたしが使える。王女様にだって使える! チェシャさんを助けてあげて!」
躊躇ったのは一瞬。
「わかったわ」
すぐに力強く頷き返し、ルイーシャリアはすぐさまチェシャの元に駆け戻った。
「待っていて、チェシャ」
「気をつけて、ルイ!」
直後に、幾筋もの雷撃が縦横無尽に部屋中を襲った。
「きゃあっ」
「ルイ!」
「いっ……!」
「あぅっ!」
「ぐっ……!」
「ぐおっ!」
皆がその雷撃を受けてがくりとその場にくず折れる。
未だ床に張り付けられたままのクストーディオも攻撃を受けて呻き声をあげた。
隣の部屋の中央では、ヘスが杖を振り上げた状態で、ふうう~と大きく息を吐き出すと、怒りを滲ませた声で周囲を睨め付け言い捨てた。
「本当にうぜえ連中だぜ」
防御結界越しなので怪我はないが、強度によるものか、感電したような痺れが身体を襲い、皆すぐには動けなかった。
「うぜえ、うぜえ、うぜえ、うぜえ! うぜえんだよ、お前ら全員!! 気に入らねえ! 気に入らねえなあ!! てめえら全員、ただで済むと思うなよ!」
叫んで、再び雷撃を放つ。
アーシェは地面を転がるように移動してなんとか直撃は避けた。
サラはその場に倒れたまま、直撃を受けて意識を失った。
リーリアは痺れる身体を丸めて衝撃をやり過ごすと、懐から魔法陣を取り出し、震える手でビリビリと破り捨てた。ヘスにかかったリーリアの防御魔法が解除される。
ルイーシャリアはリーリアによって丁寧に結界をかけられていたため、他の皆より衝撃は軽かった。床に倒れ込んだ状態で、サラから託された魔紙をチェシャの足元にそっと広げると、魔石を乗せた。
「お願い……チェシャを自由にして」
呟き、ぐるりと魔石を魔法陣に沿って走らせれば、魔紙の魔法陣が淡く光を放ち、効果解除の魔法陣が展開される。アルカントの魔女、アザレア特製の魔法陣だ。サラが作成したものよりも威力の強いそれは、ヘスが起動した拘束魔法を消し去り、ルイーシャリアやリーリアにかかっていた防御魔法までをも消し去った。
「これ、は……」
その威力にリーリアが目を瞠る。
「てめえの防御魔法も解除するとは馬鹿じゃねえのか」
冷たく言い放ちすぐさまチェシャに向けて特大の雷撃を放てば、それはチェシャに届く前にばちっと音をたて弾かれた。
防御結界ではない。
飛ばされた雷撃と同等の魔力で打ち払われた音だ。
チェシャは瞬時に純粋な魔力をヘスに向かって投げつけて牽制すると、すぐさま倒れたままのサラを抱きかかえ、ルイーシャリアの元に戻ってきた。
「ありがとう、ルイ、サラ。——それから、魔塔の者。お前ここで二人にもう一度防御結界を張れる?」
擬態を解き、本来の力を隠す事なく表に出したチェシャの存在感に、リーリアはがくがくと震えながら、何度も頷く。
「じゃあ、ここはお前に任せた。ルイとサラが傷つかないようにして」
言い置くと、すぐさまアーシェの元に跳んだ。
サラの防御魔法がかかっているお陰で目立った傷はないが、最初の雷撃の痺れが未だ抜けきらず手を握ったり開いたりしているところだった。
「待たせた」
「お父さんといい、チェシャさんといい、本当に強い人ほどどこか間が抜けてますよね」
少々呆れを含んだアーシェの言葉に、うぐぐ、とチェシャが呻いた。
「ゼノと一緒にされるのは、残念感が強いにゃ……」
——あ、口調が戻った
チェシャは振り切れてしまうと、魔族らしい冷徹な口調になるのだ。ルイーシャリアを傷つけられて振り切れていたものが、余裕が出て元の巫山戯た口調に戻ったようだ。
ゼノと同じと言われてがくりと肩の力が抜けたのだろう。
冷静さを欠くよりはいい。
「アーシェはまだ戦えるにゃ?」
問われて、動かしていた手の平をぎゅっと握りしめる。
「——勿論です。まだ泣かせてません」
「にゃっははは。やっぱアーシェは怒らせると怖いにゃ」
きっぱりと言い切ったアーシェに、朗らかにチェシャが笑った。
* * *
気に入らない。
何もかもが気に入らない。
ヘスは杖を床につき、いくつもの魔法陣を展開しながら現状に舌打ちした。
鬱陶しい剣士の娘、ラロの分際で自分に楯突く二人。反抗するリーリア。
特にリーリアは許せない。
自身にかかっていた防御結界魔法が消え去った事から、リーリアがそれを解いたと知れて、ヘスは今までにないほど怒っていた。
リーリアの分際で生意気な。周囲がなんと言おうとも、もっとはっきりと隷属させておくべきだった。
リーリアがラロに唆されて逃亡を幇助したとき、怒ったのはなにもヘスだけではない。逃がす事で魔塔の非道が外部に知れると、魔塔の実権を握る年寄り五人もリーリアに罰を要求した。リーリアの防御結界魔法を魔塔が自由に使えるように、隷属紋を付与した魔法陣をその背に刻む予定であった。
そうしておけばリーリアに自由はなかった。リーリアの魔力も魔術も魔塔とヘスで使いたい放題だったのだ。
だがそれは魔塔長の強い反対にあい、結局のところ、三ヶ月の幽閉とその間に魔塔の防御結界を強靱にする作業のみが科せられることとなった。
きれい事をほざく思想は不要だ。隷属紋を刻んであの女の意志など消してしまえばよかったものを。魔塔長とは相容れない。
あんなのに対して養父としての愛情があったとでもいうのか。
くだらない、と吐き捨てる。
——まあいい。
忌々しいリーリアが防御を敷いているならラロブラッドの二人は死ぬ事はない。
ならば、ここは全力で剣士の娘と魔族を殺す。
ヘスは杖で床をとん、と叩いて、展開した魔法陣を発動させることなく周囲に散らした。
これでトラップとなる。
部屋中に魔法を放てば、あのすばしっこい剣士の娘にも当たる事はわかった。さすがに長い詠唱を必要とする強力な魔術を展開する余裕はないが、殺さないよう注意を払って力を抑える必要はもうない。
「死ね」
呟き、無数の風刃と竜巻を同時に飛ばす。
バチバチバチっと弾かれるような音が響き、それが徐々に近づいてくる。
アーシェがヘスの魔法を弾きながら突進してくるのが見えた。
魔法を弾いているのは魔族の——チェシャの魔力だ。
魔族のくせに人間と共闘するなど訳がわからない。
あのラロブラッドである王女を気に入っているようだが、エサにしている気配もない。実力差もはっきりしているのに、そこに転がっている魔族の介入を許しているのも、ヘスからすれば本当に意味がわからない。
そのチェシャはアーシェの反対側から、剣を手に突進してくる。
「変わりばえのねえ攻撃だ」
元々ヘスは防御よりも攻撃の方が得意だ。先程はアーシェに叩き斬られたが、それでもヘス全力の防御であれば防げる筈だ。
だが油断出来ないのは、ヘス自身、アーシェのような気を纏う斬撃を受けた事がないことだ。
魔法とも異なるそれは、武術の練度の高い者のみが扱う事が出来ると言われているもので、そちらに造詣の深くないヘスには未知の領域だ。
強度を最大まで高めた防御結界は、想定通りアーシェとチェシャの攻撃を難なく防ぐ。即座に返した雷撃で、アーシェは剣で受け止め勢いに負けて吹き飛ばされたが、チェシャはそのまま突進してきた。
小娘には雷撃の方が効く。
そう判断するとアーシェが近づけないように雷撃を飛ばし続け、チェシャに対しては特大の風魔法をぶつけた。
それをひらりと躱して、チェシャは剣に魔法を纏わせヘスに向かって猛攻を仕掛ける。
防御に力を入れながら、仕掛けておいた魔法を発動させれば、複数の属性魔法が次々とチェシャに襲いかかった。
「ちっ、鬱陶しいにゃ!」
「やあっ!」
ばしっ!と、やはりアーシェの剣気を纏った攻撃は結界に大きなダメージを与える。
魔族よりもこっちが先か。
トラップをすべてチェシャに向かって発動し、そこに先程の拘束魔法を忍ばせると、すぐさまアーシェに雷撃を飛ばす。
「くぅっ……!」
雷撃は風刃と異なり、アーシェには斬り伏せることができない。そのため剣で受けるとそのまま勢いで後ろ飛ばされ近づけない。
今回の雷撃も同様に勢いを殺せず後ろに飛ばされていく最中に、重ねて雷撃が飛んでくる。
受けている雷撃に逆らう事をやめ、そのままの勢いで後ろに跳躍して飛んできた雷撃ごと避けるが、着地場所を狙われた。
「ああっ!」
サラの防御結界のお陰で怪我もなくかなり防がれているが、どうしても衝撃が残る。
がくりとその場に膝をつき剣で身体を支えるアーシェに、ヘスの雷撃が三度飛ぶ。
——避けられない……!
ぎゅっと目を閉じ、衝撃をやりすごすため剣を握る手に力をいれた。
が、アーシェが予想した衝撃はやってこなかった。
そろりと目を開いても、何も変わったことはない。
誰かに庇われた訳でも、ヘスが倒された訳でもない。
なんだろう、と視線を巡らせれば、サラとルイーシャリアを庇うように立つリーリアと目が合った。
「やっと、捉えられた……」
ほっとしたように呟き微笑したリーリアが、こくりとアーシェに向かって頷く。
「防御結界を張りました。これで大丈夫の筈です!」
「——感謝します!」
その様子に怒ったのはヘスだ。
「リーリア! てめえいい加減にしろ!邪魔するんじゃねえ!」
「うるさい!」
ヘスの怒声をかき消すように、リーリアが叫んだ。
「いい加減にするのは貴様だ、ヘス!! 私達がここに来たのは、そこの魔族を討伐するためだ! それ以上に暴れ回る貴様を許す訳にはいかない! いつもいつも貴様の道理が通ると思うな!」
リーリアも魔塔の一員として、これ以上の悪行を放置することは出来ない。
こうなった以上、ヘスと魔塔の意志は別物だとはっきりと示しておく必要がある。ヘスの意見が魔塔の総意だと思われる訳にはいかないのだ。
ここまで破壊し尽くしておいて、今更だけれど……
「てめえ——」
だんっ、と、ヘスの叫びをチェシャが床を踏みならす事で消し去った。
ヘスの炎属性魔法と拘束魔法をすべて消し去った音だ。
「こんなもの、力を解放していればものの数ではない。同じ魔法が二度も通用すると思うな」
すう……と目を細めて笑みを浮かべながら言い捨てるチェシャを、ヘスが睨み付ける。
「俺様の力こそ、こんなものだと思うなよ、魔族。——ああ、ああ! もう細々やるのはやめだ、やめ」
イライラしたように言い捨てると、ポーチから魔法陣の描かれた魔紙を複数枚取りだした。それを足下に散らし、杖で一気に魔力を叩き込む!
——途端。
ヘスを中心にその場で複数の攻撃魔法が爆ぜた。
「——っ!!」
「くうっ……!」
ヘスの近くにいたチェシャとアーシェは、その攻撃をまともに食らって僅かに残る壁に叩き付けられ、リーリアも衝撃で飛ばされる。
床に倒れたままだったルイーシャリアは、意識のないサラを庇うように抱きかかえた状態で、ごろごろと床を転がった。
室内は惨憺たる有様だ。
床に穴は空き、天井も一部吹き飛ばされ壁も盛大に破壊され空が見える。
室内に動ける者は誰一人としていなかった。
アーシェとチェシャも身動き出来ない程のダメージを受けて、小さく呻き声を上げることしか出来ない。
「ふうううぅ〜〜……」
静かにゆっくりと息を吐いたヘスも、肩で息をしている。
魔力を使いすぎた。
震える手でポーチを漁り、回復薬を取りだして飲み干すと、瓶を乱暴に床にたたき割る。
膨大な魔力を持つヘスが、回復薬を飲む事は滅多にない。
このような近接戦闘などは本来ヘスのすることではない。
ここまで魔力を使わされた事にも、このような事態になっていることにも怒りを覚え、ヘスは盛大に舌打ちをした。
——コイツら絶対に許さねえ。
アーシェとチェシャにトドメを刺そうと、すい、とヘスが杖を構えたとき。
——かつん、かん、かつん……
硬質な音が三度響き渡る。
小さな音であるにもかかわらず、耳によく響くその音に、なんだ?と視線を足下に巡らせた時、何かが弾け飛ぶ感覚と、強い衝撃を右頬に受けてヘスは吹っ飛んだ。
呻き声を上げる間もない。
床に倒れ伏す前に、さらに腹を蹴り上げられ、身体が浮き上がったところを、今度は左頬を思い切り殴り飛ばされてそのまま壁に激突した。
だんっ、と床を踏みしめる音。
「——てめえ」
「貴様——」
「アーシェとサラに」
「か弱き女性に」
「「なにしてくれるの!!」てんだ!!」
ゼノとリタの怒号が響き渡った。
ようやく二人が到着。
……頑張る予定ではありますが、ひょっとしてもしかしたら、木曜更新出来なかったらすみません……




