(二十七)vs クストーディオ
魔族の侵入を知らせる鈴の音が数回繰り返され鳴り止んだ後には、皆が慌ただしく動き回り城内は騒然となった。
遠くに近衛や騎士団、侍従達が走り回る音が聞こえる。
その喧噪とは隔絶されたように、リンデス王国の第一王女、ルイーシャリアの私室は緊張を孕んだ静けさに包まれていた。
静かに呼吸を整えたアーシェはすでに鞘を払い、剣先を床に向けた状態で部屋の中央に陣取った。
ルイーシャリアの側にはサラとチェシャがいる。アーシェはクストーディオがどこに現れても対処出来るように、神経を研ぎ澄ませた。
聞こえたのは、耳障りな笑い声。
ランクSの魔族だと聞いた。
アーシェがこれまでに一人で対峙した魔族の中には、それこそ盟主の側近だっていたのだ。
――大丈夫。お父さんが来るまで私が二人を守ってみせる
笑い声に惑わされないよう、静かに目を閉じ魔族の位置を探る。
アーシェには眠っていた記憶もないし、身体的にもなんら問題はない。タケルとの手合わせでは、身体強化なしで自分の体が記憶通り動くことも確認した。
なにより、自分の知らぬ間にゼノの弟子におさまっていたタケルの後塵を拝する訳にはいかないのだ。
年齢も、過ごした時間も関係ない。
自分こそがゼノの一番弟子なのだ。
「耳障りな声。いつまでも隠れていないで姿を見せたらどうです――クストーディオ」
格下と思う相手に名を呼ばれる事を嫌うと知りながら、呼びかけた。
途端に、奥の姿見が割れた。
「きゃっ」
短い悲鳴は、驚いたルイーシャリアのものだ。
同時に、アーシェは床を蹴って右手窓側に斬りかかった。
「ほ~う」
一撃目はブラフ。受け止められる前にすぐさま足元を払えば、クストーディオは一歩下がって姿を現した。
「俺の位置を掴むとは、小娘の割になかなかやる」
現れたのは、人と変わらぬ姿に黒い羽の魔族で、漂う魔力で高位のものだと知れる。人では持ち得ない作り物めいた整った容貌。
アーシェもクストーディオから距離をとって剣を構えた。
「くくく、俺に怯えて用意したのがこんな子供か。だがまだ小娘である分いい。男だったら瞬殺してしまっただろうからなぁ、ルイーシャリア」
ねっとりとした声音で名を呼ばれ、ルイーシャリアはぎゅっと膝の上で拳を握りしめた。
これまでよりも恐ろしく感じないのは、側に居るのが盟主の側近だとわかったからか。それとも、先程クストーディオよりも恐ろしいベルガントに会ったからだろうか。
いずれにせよ、ルイーシャリアはこれまでよりも落ち着いた表情でクストーディオを睨み返すことができた。
その様子に面白くなさそうに眉をひそめ、ぶん、と羽を軽く振り魔力礫を周囲に飛ばす。
ルイーシャリアだけを避けて周囲に飛んできたそれは、チェシャとサラも射程に入っていたが、三人を綺麗に避けて大きな音を立てて室内の家具や壁を傷つけた。
その音にびくりとルイーシャリアは肩を震わせたが、チェシャやサラは無言でクストーディオを警戒したままぴくりとも動かなかった。
「ふん……防御結界か」
面白くなさそうに呟き、視線もくれずにアーシェにも魔力礫を飛ばす。アーシェは難なく弾き飛ばし、お返しとばかりにクストーディオに向かって水流弾を飛ばす。
それを片手で払った時には、足下にアーシェの姿があった。
「ふん!」
下から繰り出される剣を片手で受け止め、弾き飛ばせば、それを勢いに変えて頭上から一振りが降ってきた。
このようなもの、と受け止めようとして、背筋に感じた悪寒にクストーディオが瞬時にその場を飛び退く。
振り下ろされた剣から、水撃が飛び出し床を抉った。
ひらりと、アーシェがルイーシャリアやサラの前に降り立った。
「こっちは大丈夫よ、おねえちゃん」
「ええ。そっちは任せたわ、サラ」
息一つ切らさずに笑顔で答えたアーシェを忌々しそうに睨み、クストーディオはちらりと抉られた床に目をやった。
魔法を発動した気配は感じなかった。詠唱はなかったし、詠唱破棄ならそれとわかる。それとは異なる感覚だ。
だが明らかにこれは魔法だ。
何より、受けた一撃はあの小柄な体格から想像出来ない程の重さだ。
人間が身体強化を使うのはもちろん知っていたが、それだけではない。地の力が強いのだ。
にたりと自然と口角があがる。
これは少々激しく遊んでも壊れない玩具だ。
そう認識して――飛びかかる。
消えた!?とルイーシャリアが思ったすぐ後に、きん!と金属音があがり、剣で受け止められたクストーディオの腕には鋭利な長い爪があった。
体格も大きく異なるのに、押し負けない力強さ。
そのまま反対側の手で襲いかかるのを、アーシェは身体を沈み込ませて避けると足を払う。それを踏みつけようとしたクストーディオは、軸足を斬られて体勢を崩した。
「!?」
前のめりに倒れ込み、続けざまに背を斬られ、気付けば床に頭を踏みつけられていた。
一瞬だ。
何が起こったのかすぐには理解出来なかった。
「……強い……」
驚きの光景に、口許を押さえてルイーシャリアが呟いた。
「まあ、アーシェの実力ならこんなものにゃ」
うんうんとチェシャは驚きもせず頷き返す。
「……っ、ふざけ――」
怒鳴りかけた時、ごとり、と頭を切り落とされた。
言葉は途切れ、ごろごろと頭が床を転がる。
アーシェは一度クストーディオから距離を取るように離れ、剣を床に向けて冷ややかに見下ろした。
「弱い」
呟かれた言葉は、クストーディオにとっては屈辱的な内容だ。
「――、――ふ、ふははははははっ」
一瞬の沈黙のあと、何が可笑しいのか床に転がったクストーディオの頭が嗤う。
転がる頭が嗤い続ける異様な状況に、ルイーシャリアは口許を押さえたまま息を呑む。本能的な恐怖で身体が震える。
サラもごくりと息を呑みながら、ポーチから魔紙を取りだした。
右手人差し指につけた魔石が組み込まれた指輪で触れながら、結界をさりげなく補強しておく。
唐突に笑い声が止んだ。
アーシェが剣を握る右手に力を込め――横に飛び退いた。
一瞬の後、その場に数本の黒い羽が突き刺さる。
はっとしてルイーシャリアがクストーディオに目を向けた時には、既に元通りの姿に戻った魔族の姿がそこにあった。
纏う空気が変わっている。
先程までは確かに感じた油断や嘲りの気配が一切ない。
肌を刺す殺気に身体の芯から震えがおこり、椅子に座っていなければ膝から崩れ落ちただろう。
小刻みに震えるルイーシャリアの肩を、ぽんとチェシャが叩き、びくりと顔をあげれば、そこにはチェシャの笑顔があった。
――心配ないにゃ
声に出さずにそう告げられ、いつもと変わらぬチェシャの笑顔にほっと息を吐きつつも、瞳に不安を浮かべてクストーディオと対峙するアーシェを見遣った。
「――なるほど。少々侮りすぎたようだ」
いっそ静かと取れる口調で紡がれた言葉には、嘲りも愉悦も驕りもなく、ただただ静かな殺気があるだけだ。
ふ、とその場からクストーディオの姿が消えた、と思ったら部屋の奥からきんっ、と何かを弾く音が立て続けに上がった。
突進してきたクストーディオの攻撃をすべて斬り払う音だ。
しばらくは緊張を孕んだ剣戟の音のみが室内に鳴り響く。
だがその姿を正しく認識することはルイーシャリアには出来なかった。
二人が一旦距離をおき間を取ったことで、どちらの姿をもようやく確認することが出来た。
お互いに傷はない。
音だけ見れば激しかったが、アーシェは息すらあがっていない。
本当に強いのだわ、とアーシェの無事な姿にほっと安堵しながらも、まだまだ余裕のありそうなクストーディオに不安は拭えない。
すう、とアーシェが呼吸を整えた。
アーシェが攻撃を仕掛けると同時に、クストーディオは炎を纏った拳を叩き付ける。
それを器用に避けながら、アーシェは次々とクストーディオに斬りかかった。
スピードではアーシェに軍配が上がる。
次第に追い詰められるようにクストーディオの身体には切り傷が増えていき、それと同時にすぐに修復される。
魔族は魔核を斬られない限りは決して死なない。
対して、アーシェはクストーディオの一撃を受ければ大怪我を負うのは必定。
二人の攻防をハラハラと見つめるルイーシャリアは、目の前に立つサラが非常に落ち着いた様子で状況を見守っていることに驚いた。
気弱そうに見えたのに、この状況に恐れも不安も感じていない。
その手は魔紙から離れる事はなかったが、注意深く二人の様子を窺っているだけで、アーシェの心配をしているようには見えなかった。
「心配じゃないの?」
思わず問いかけ、そして言葉選びに失敗したことにすぐさま気付いて、ルイーシャリアは軽く頭を振った。
「アーシェの強さを信じているのね?」
「うん――はい。おねえちゃんは強いから。それに、まだ身体強化も普通にしか使ってない、ので」
ルイーシャリアは魔法や魔術には詳しくないので、サラの言う意味は正しく理解出来なかったが、アーシェにもまだまだ余裕があるということだろう。
娘のアーシェでこの強さであれば、剣聖であるゼノはいかほどの力なのだろうと思いを馳せるが、この場にいないのであれば意味はない。
これほど強いアーシェであっても、ランクSの魔族とは戦わせたくない、とゼノは言っていた筈だ。
自分のために自分よりも年下の少女が傷つく事があってはならないと、ルイーシャリアはぎゅっと唇を引き結んだ。
突然、どん、と火柱が四方に上がってびくりと肩を震わせた。
サラの結界の中にいるため直接的な影響はないが、室内は凄まじい状況だ。
部屋の入口や壁も吹き飛ばされ、廊下どころか向かいの部屋の壁まで壊された状態にもかかわらず、駆けつける者はない。
部屋周辺の空間が閉ざされている、ということかしら。
もしもそうならば援護はないということだ。
中央に立つクストーディオの表情に変化はない。
アーシェはどこに、と視線を巡らせるが見つけられなかった。
「余裕がなくなってきたにゃ」
ハラハラするルイーシャリアとは対照的に、チェシャがのほほんと告げた内容に、それはどちらの事かと問いかけようとした時、「水刃」と声が聞こえて火柱がひとつ割れた。
即座にそこに向かってクストーディオの力が飛ぶ。
その左肩に、背後から鋭い一太刀が叩き付けられた。
「っ!」
ぐらりと揺れた身体を瞬時に建て直そうとして、踏ん張ろうとした手足がない。
次いで頭にもう一太刀を受け、クストーディオは再び無様に床に叩き付けられた。
その上に水流が叩き付けられ周囲の火柱がすべて消え失せる。
圧倒的だ。
あれほど騎士団を翻弄し、恐れていたクストーディオがアーシェにいいようにやられている。
「……ぐっ」
短く呻き瞬時に斬られた箇所を修復し、すぐさま起き上がった時には、すでに背後に降り立ったアーシェが背中を袈裟懸けに斬りつけた。
たまらず体勢を整えるために空中に逃げ出したクストーディオは、肩で息をしながら斬られた箇所を修復し、悔しそうな表情でアーシェを見下ろした。
これまでのダメージで、クストーディオの魔核の位置は今やはっきりと目に見えるようになっていた。
右胸、左足首、右腕の肘、左側頭部、そして腹――五つの魔核。
数だけなら間違いなくランクはSだろう。
だがアーシェは冷ややかな表情のまま、微かに眉をひそめた。
「ランクS――というには弱いですね。実力的にはSよりのA、というレベルでしょうか」
冷静に断じるアーシェに、クストーディオはわなわなと怒りに身体を震わせる。
馬鹿な。何故こんな小娘に私が翻弄されるのだ。何かがおかしい。この小娘は一体――
ギリギリと奥歯を噛みしめ空中からアーシェを睨み付けるが、アーシェは臆することなく右手に剣を握ったまま、クストーディオから視線を外さない。
その静かに練られた殺気と魔力を忌々しげに睨み付け、ちらりと部屋の奥にいるルイーシャリアを見た。そしてその前に佇むサラ――そこから感じる匂いたつ魔力。
それは、血に魔力を溜め込むラロブラッド特有の匂い。
サラがラロブラッドだと気づき、にやりと笑った。
ルイーシャリアの匂いに紛れて気付かなかったが、サラも中々の魔力保持者だ。
ルイーシャリアは楽しむために殺すわけにはいかないが、小娘ならば問題ない。受けたダメージは、補充すればいいのだ。
「食らえ!」
クストーディオはアーシェに向かって時間差で羽を大量に飛ばすと、すぐさまサラに狙いを定めて飛びかかった。
「その血を寄越せ!小娘!」
クストーディオと目が合ったサラが、びくりと肩を震わせる。
「――サラに」
すぐ横で、アーシェの声が聞こえた。
馬鹿な、と思った時には遅かった。
「手を出すな、外道!」
「ああああああああああああああああああ!!!!」
すぱん、と右肘の核を斬られた。
右肘から先がなくなった状態で、絶叫してのたうち回るクストーディオの足下に、その魔石が転がる。
冷ややかな殺気を纏ったアーシェは、羽の攻撃を避けなかったのか全身傷だらけだ。
「おねえちゃん!」
アーシェの姿にサラが短い悲鳴を上げて駆け寄ってくるのに、にこりと笑顔を返す。
「かすり傷よ」
サラと一緒にいる時の魔族の考えなど手に取るようにわかる。皆馬鹿みたいに同じ事を考えるのだ。
それを、アーシェは許さない。
右腕を押さえて喚くクストーディオを黙らせるために、さらに剣を走らせる。
「お、おのれっ……」
間一髪でそれを躱し、アーシェから逃げるように後ずさった足を斬られる。
「小娘が!!」
よろめきながらも、炎の弾を投げつけてくるのを一刀両断し、そのまま進みゆき左腕も斬り捨てる。
とにかく距離を取らねばとアーシェを睨み付けたまま空中に飛んで逃げるも、それに合わせてアーシェも飛び上がり、クストーディオの頭の核を狙って剣が再び振り下ろされた。
——が、その剣がクストーディオに届く事はなかった。
「!? ――くっ」
「!?」
横合いから風魔法が飛んできて、咄嗟に水壁を展開したアーシェだったが、勢いを殺せずまともに食らって吹き飛ばされた。
「おねえちゃん!!」
サラが悲鳴のような叫び声をあげて、壁に叩き付けられたアーシェの元に駆け出した。
壁に激突した影響で意識のないアーシェに、すぐさま魔紙から治癒魔法を起動する。
目に見える傷はなくなっても脳震盪を起こしているのか、アーシェの意識は戻らない。
「おねえちゃん……!」
「何がっ……!」
「じっとしてて」
思わず立ち上がりアーシェ達の元に駆け寄ろうとしたルイーシャリアを、チェシャが鋭く叫び押しとどめた。
チェシャの視線がアーシェ達やクストーディオでもなく、部屋の入口のあった方に向けられている事に気付いて、ルイーシャリアもそちらに目を向ければ、ゴーグルをつけ右手に杖を持つ男とローブ姿の女性が立っていた。
さらにその奥には近衛を率いた副騎士団長が駆けてくる姿も見える。
「おいおいおいおい、俺様の獲物を横取りしようとするとは、感心しねえなあ」
闖入者は、不敵に笑って言い放った。




