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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(二十五)予期せぬ来訪者



 その話をシュリーから聞いたマリノア女王は絶句して、次いで何かを堪えるように額を押さえると俯いた。

 ここ女王の執務室に、シュリーは単独で訪れて事の顛末を説明したところだ。

 ゼノが副騎士団長の手によりどこかに転移させられたこと。

 魔塔から問題児のヘスがやって来ること。

 神官長の反発が強く、抑えられる者が神殿に()()()()()こと。

 いずれもリンデス王国にとって悪い話でしかない。


「神殿長は何処に……?」


 隣で話を聞いていた宰相が眉根を寄せながら質問してくるのに、シュリーはどこまで答えようかと考えを巡らせる。

 今朝クライツからある程度の話は聞いている。神官長が神殿の地下に囚えて害するタイミングを見計らっていると。あわよくばその罪をゼノになすりつけようとしているとも。

 今回勝手に魔塔を招き入れた神官長などどうなろうと構わないが、踊らされた人間が他にもいるのだ。今後事態がどう動くかわからない以上、今詳しく話すのは得策ではない。

 そう判断したシュリーは、神殿内でまことしやかに流れている噂の方を話す事にした。


「魔族の襲撃に備えて単独で動いているのではないかと、神殿内部では噂されているようです」

「ああ……あの御仁ならあり得る」


 深々とため息をつきながら宰相が頷くのに、本当にあり得るのね、とまったく疑われない様子に感心する。


「娘さん達には動揺もなく、今も変わらず王女の側で警護に当たっています。王都にいる私の上司にはすでに連絡済みで、ゼノ殿の事は上司がなんとか出来ると思います。あと心配なのは――」

「魔塔の魔術師ね」


 俯いたまま呟かれた女王の言葉に、シュリーは無言で頷いた。

 シュリーは直接会ったことはないが、ヘス=カーネイトという魔術師は性格に難ありとその界隈では有名だ。

 とにかくこちらの理屈は通らない。

 自分の要望はどのような手段――主に力づくで――を用いても貫き通す。それを通すほどの実力を持っており、また困った事に彼を擁護する権力者もいる。

 魔塔でもその手綱を握りきれていないのが困ったところなのだ。


「彼は……そう、だと知ったらどうするかしら」

「最悪を考えられて手を打つのがよろしいかと」

「そうでしょうね。――彼には何が有効なのかしら……」


 独り言のように呟かれたその言葉にシュリーも押し黙る。

 これと言ったものがないのは事実だ。


「彼が目に余る行動を取れば、少なくとも魔塔は窮地に立たされます。魔塔に圧力をかけられるようにすべきです」

「難しいわね……」


 それはシュリーも思う。だが。


「彼はそういった事に無頓着です。魔塔ですら窮するようなボロを、放っておいてもこぼしてくれる筈です」


 自分の進む道を阻む者などいないと考える傲慢さ。

 表舞台に立てなくすれば、裏ではどうとでもなる。裏に落ちれば抱え込もうとする権力者も出てくるだろう。誰かに囲われればその分制約も増える。それを良しとする性格ではない彼は間違いなく好き勝手する。そうすれば表よりも()()()()()なるのだ。


「ですが、危険を避けるため出来るだけ彼を王女には近づけないように――」


 シュリーがそう言いかけた時、突然に鈴の音が響き渡った。

 激しくはないが、直接頭に響くような鈴の音は、初めて聞く音だったが、それが魔族の襲来を知らせるものだと何故かわかった。サラに頼まれて設置した防御結界魔法陣に違いない


「これはっ……」

「失礼します!」


 ――こんな時に!


 シュリーは短く叫ぶと、アーシェ達のいる部屋に向かって駆け出した。



 * * *



 クライツは笑顔を浮かべたまま、警戒するようにカゲモリから距離を取った。

 リタはいつでも動けるように右足を一歩後ろに引いてわずかに腰を落とした。


「同じ神殿に属する者、というカテゴリなら間違いなく仲間だな。だが、細かなところでは色々主義を別にしていてね」

「例えば?」

「神剣はこの神官長が持つものではないし、この神殿内の権力争いには興味がない」


 神殿長拉致の件には関わっていない、ということだろう。

 それでもリタは注意深くカゲモリの様子を窺った。

 間違いなく、この場で一番注意すべきなのはこの男だ。

 教会のコルテリオ(暗殺部隊)——ルカに似た匂いを感じる。


「だが、ゼノの拉致には手を貸したと」

「剣聖を欲したのは神官長ではなく魔塔の魔術師だよ。私は剣聖を王城から引き離すために彼に渡された魔道具を、しかるべき人物に渡して使用させただけだ——まあ、神剣さえ手に入れば剣聖が魔塔でどのような扱いを受けようと興味はないがな」


 眉一つ動かさずに淡々と語るカゲモリの言葉に嘘はなさそうだ。だが、ゼノに対してもあまり良い感情を持っていない事が窺える。

 彼の興味はやはり神剣のようだ。

 神剣に強い興味を示す神官でルカと同じ雰囲気を纏うというなら、箱庭で聞いた二百年前の神剣の神子ハヤテ=カツラギを攫おうとしたり、ミカヅキ村を潰そうとしたりした一派ではないのか。


 一番タチの悪い方の神殿の神官ってことね。


 この男と比べたらリタの言葉に動揺し非常に読みやすい神官長は、信念もなく権力欲だけで大した脅威ではない。

 ふうん、とリタは内心で呟いた。

 ゼノやカグヅチが匙を投げたのも頷ける。

 都合の良いように事実を解釈する連中、というよりも()()()()()()()()()()と考えているように見える。

 大事なのは自分達が神剣という力を手に入れる事。


 色々と気に入らないわ。


「そこの娘は、神剣について色々と知っていそうだ。ぜひ話を聞きたいな」

 ――力づくで


 言葉にされなかった内容をしっかりと受け取り、リタは不敵に笑って腰を落とすと前に出た。


「――っ!?」


 がん、とその勢いで蹴り上げたのは床に転がっている神官長だ。


「なに!?」


 蹴り上げ、瞬時に癒やしをかけると同時に、回し蹴りでその体をカゲモリにぶつける。

 その足で今度はゼノの大剣を蹴り上げて掴み取った。


「引くわよ!」

「待て!――っ」


 リタは大剣を抱えて出口に向かって走り出し、クライツはカゲモリの足下にナイフを投げてから自身も駆け出す。

 リタは地下牢の部屋を出る際、くるりと振り返り大剣を掲げて笑った。


()()は、確かに返して貰ったわ――じゃあね!」

「なにをっ――!」


 意味ありげに笑って見せてからすぐさま階段を駆け上がる。併走するクライツが呆れたような視線を寄越した。


「まさか聖女ともあろう者が気絶している人を蹴り上げるとは」

「聖女が優しいなんて誰が言ったの?」


 初耳だわ、と悪びれもせずに返すリタに、ほんと男には容赦ないなとクライツが呟いたのを黙殺する。聖女にどんなイメージを持つかは個人の自由だが、そのイメージ通りに行動してやるつもりなんてさらさらない。

 リタにとっての聖女はフィリシアだし、彼女のようになりたかった前世の自分なら決してやらない事だろうが、今の自分は冒険者で七人の弟の姉だ。優しく接する相手は自分で決める。


()()は神剣ではないんでしょう?」

「最後にああ言えば何が本当か迷うんじゃない?」

「自分でネタばらししておいてですか」

「芝居だったかもって勝手にあれこれ考えてくれるわよ」


 最後にああ言ったのは、ただの嫌がらせだ。神官長を蹴り飛ばしたのも王国に来てからの鬱憤晴らしだ。癒やしもかけたので回し蹴りが気付けになって今頃目覚めているだろう。


 ちょっとすっきりしたわ、とリタは涼しい顔だ。


 だがクライツからすれば余計に引っ掻き回されたという感覚しかない。


「——実のところは?」


 走りながら確認してくるクライツに笑顔で小首を傾げる。


「あら?情報は安売りしたらダメなんでしょ?」


 ハインリヒにそう教わったけど?といけしゃあしゃあと笑顔で答えれば、クライツが眉根を寄せた。


「何故敵じゃなく味方にはそういう対応が出来るんですかねぇ……」

「クライツって味方だったかしら」


 男性には微塵も容赦のないリタである。

 そんな会話を交わしながら走っていると、廊下の角からクレイムが手招きするのが見えた。ちらりと背後を窺っても、追ってくる人影はなかった。二人はクレイムの元まで行くと彼の導くまま忍び込んだ時に案内された部屋に入った。


「ご無事でしたか。先程神官長が剣を抱えてあちらに向かう姿を見て心配しておりました。神殿長は見つかりましたか?」


 部屋の扉を閉めて不安げに尋ねるクレイムに、リタは肩をすくめてみせただけだ。


「捉えられていたとおぼしき場所はありましたよ。――既にいらっしゃいませんでしたが」


 クライツが代わりに笑顔で答えた。


「いない!? まさかすでに神官長に――?」

「大丈夫、生きているわよ。瘴気も祓われて元気になっているかもしれないわ」

「それはどういう……」


 リタの言葉にクレイムが首を傾げた時、上からデルが降ってきた。今度はちゃんとリタから距離をとり、クライツの背後に降り立った。


「連中、追ってくる気はないようです」

「これ以上関わるとぼろが出ると考えたかな」


 それとも追っても意味がないと知ったか、とちらりとリタに視線を寄越してきたがリタは無視する。


「ではさっさと王城に向かいましょうか」

「王城ですか?」


 やれやれと肩をすくめながら告げるクライツに、クレイムは戸惑ったように問い返すがリタはそうねと頷いた。


「ゼノなら王城に戻ろうとするわ。ひょっとしたら神殿長も一緒かも」 


 取り返した剣をポーチに放り込みながら、リタはやや不機嫌そうに答えた。


「もうちょっとその場に居てくれたら合流できたでしょうに。捕まってから脱出するまでが早いのよ、あのチート剣聖は!」

「ま、待って下さい!まさか、神殿長を攫ったのは剣聖なのですか!?」

「なんでそうなるのよ!——ここから助け出したのが、ゼノだってことよ」

「いつの間に剣聖が神殿に!?」

「ほんとですよねぇ。どうやってここに剣聖を捕まえたんでしょうねえ、魔塔と神官長は」


 にこにこと笑顔のクライツに気圧されたように、クレイムは一歩引いて、それから不機嫌そうなリタやクライツ、デルを順番に見渡して眉尻を下げた。


「……一体全体、何がどうなっているんですか?」

「そうですねぇ」


 クライツは顎を撫でながら少し考えるように首を傾げるとにこりと笑った。


「この魔族騒動が終わった頃には神殿長も元気に戻られ、神殿内の問題も綺麗に片付くと思いますので、神殿の皆さんはこれまで通りお勤めに励まれていれば大丈夫です」



 * * *



 その気配に真っ先に気付いたのはチェシャだった。

 すぐさまルイーシャリアを庇うように立ちはだかったことに気付き、アーシェも鞘を払いその斜め後ろで構え立つ。

 二人のその様子に息を詰めて、サラはルイーシャリアの側に走り寄った。

 突然の三人の行動にルイーシャリアが驚いて顔を上げたとき、何もない空間が割れ、そこから一人の魔族が現れた。

 クストーディオではない。だが、それ以上の。


「ほう——紅玉の君の側近が我が主の領域で何を遊んでいるのかと思いきや、これはこれは」


 現れた魔族は、チェシャやアーシェが後ろに庇うルイーシャリアに目を止めると感嘆したような声を上げた。

 蒼を纏うほどの力を持ちながら、第一盟主の側近として仕える魔族ベルガントだ。

 盟主に匹敵する力を持つ側近魔族の出現に、チェシャも思わず擬態を解いて身構えた。


「なんの用にゃ」

「そう毛を逆立てるものではない。我とて紅玉の君の側近に手を出すつもりはない。我の用事は——」


 すいと視線をアーシェに向ければ、臆する事なく睨み返してくるその少女に満足げに微笑した。


「どうやら娘達が目覚めたというのは本当だったか。——それで、ゼノはどこだ」


 彼の目的はどうやらゼノだったらしい。ルイーシャリアはごくりと息を呑んで胸元でぎゅっと手を握りしめた。

 体躯も大きく強面で見るからに強うそうなベルガントに、身体の震えが止まらない。クストーディオなどよりもずっと恐ろしい。


「父はここにはいません——()()、罠にはまったので」

「やつも酔狂な。ならばここに用はない」

「父への手出しは出来ない筈では?」


 すぐさま空間に身を滑らそうとするベルガントに、冷静にアーシェが問いかければ、ベルガントはぴたりと立ち止まり、殺気を漲らせて静かに振り返った。

 びりびりと空間が震える。


「……っ!」


 その殺気に口許を押さえてひっと喉奥で悲鳴をかみ殺したルイーシャリアに、ぎゅうっとサラが抱きついた。

 ぶるぶる震えながらも、視線は気丈にベルガントを睨み付けている。


「——制約に守られているからといい気になるなよ、小娘」


 すう、と静かに息を吐き、アーシェも殺気を纏った。


「制約に守られているのは父のみ。その父にわざわざ手出しをしに行くつもりですか。領内を荒らす野良を放置して」


 挑発ともとれるその言葉に、ふん、と短く鼻を鳴らすと、アーシェを睨みそれから奥のルイーシャリア、最後にチェシャに目を向けすっと殺気を散らした。


「我らにとってはあのような野良などどうでもよいが……此度は少々厄介だな」


 いつでも飛びかかれるように殺気を練りじっと身構えるチェシャに、ベルガントは片手をひらひらと振った。


「そこの者に我が関与すれば紅玉の君もご気分を害されよう。野良は貴様らにくれてやる。好きにせよ。主には我が話しておこう」


 それだけを告げると、これで満足かとアーシェをじろりと睨み付けてから、今度こそ空間に身を滑らせた。

 途端に漂っていた重苦しい空気が霧散する。

 ふう、と息を吐いたのは誰だったか。


「……まさか彼が来るとは思いませんでした」


 ぽつりと呟いたのはアーシェだ。


「アーシェは無謀にゃ!あんな狂犬、呼び止めるもんじゃないにゃ!!!」


 ふしゃーっ!と耳と尻尾を逆立てて叫ぶチェシャに、だって、とアーシェが唇を尖らせた。


「わざわざ来たのなら、言質をとっておかなきゃじゃないですか。ノアさんは魔族だろうと貴族だろうと取れるときに取っておけと言ってましたよ」

「あんなのの言葉は忘れるにゃーーっ!」


 チェシャとアーシェのやりとりに、本当に脅威は去ったのだとようやく理解した途端、ルイーシャリアは膝から力が抜け落ちるのを感じた。

 よろけそうになるのを、抱きついていたサラが止める。

 そこで初めて、サラはこのために自分に抱きついているのだとルイーシャリアは理解した。

 サラの肩に手をおき、自らの足に力を入れて踏ん張れば、サラが心配そうに見上げてきたので微笑み返した。


「ありがとう。もう大丈夫よ」

「ルイ! 大丈夫かにゃ!?」

「すみません!怖がらせてしまって」


 慌ててチェシャとアーシェが側に駆け寄って来るのに、大丈夫と微笑する。


「あれが第一盟主の側近なの?」


 問えばチェシャが嫌そうに顔をしかめ、アーシェがこくりと頷いた。

 リンデス王国が第一盟主の領域だと話してくれたのは、確かゼノだった。だから第四盟主の側近であるチェシャが自由に動けないとも。

 盟主の側近。チェシャがそうだと知れたときは驚きしかなかったし、今もこうして耳や尻尾が生えてこれまでと違う空気を纏っていても恐ろしくは感じないが、彼は違う。生物としての存在レベルが異なると魂が怯える恐ろしさだ。


「そうです。蒼のベルガント——色を纏う程の力を持ちながら、第一盟主に仕える魔族です。第二盟主ほど粗暴ではありませんし話しもある程度出来ますが、非常に凶暴で父を目の敵にしています。第一盟主の試練の関係で父には直接的に手は出せない筈なんですけど……」

「あいつなら制約の抜け道を見つけそうだにゃ」

「今は勘弁して欲しいですが……何をしに現れたんでしょう?野良など眼中にない感じでしたが」

「主さまやルイのためでなければ、あんな狂犬の相手は絶対に勘弁して欲しいにゃ。すべてゼノにお任せにゃ」


 またそんな事を、と呆れたようにチェシャを見る少女は、ルイーシャリアよりも年下なのに、怖くはないのだろうか。

 未だドレスの中の足も、握りしめる手の震えも収まらないルイーシャリアは、驚きを禁じ得ない。 


「王女さま、顔色が悪いからちょっと座った方がいいよ」


 ルイーシャリアの震えを感じ取ったサラが、そっと抱きつく腕を緩めて椅子まで誘導してくれる。情けない事に手を引かれないと足が動かなかった。

 椅子に座ればすぐさまチェシャが温かい飲み物を淹れてくれた。

 一口飲んでようやく身体の震えが収まった。


「やっぱり結界の中で空間を支配されると、反応しないね」


 サラがむう、と不満げに呟きアーシェも確かにと頷く。

 その言葉にサラが防御結界魔法を展開してくれたことを思い出す。

 そういえばチェシャもいつの間にか可愛かった耳と尻尾がなくなっていつもの侍女姿に戻っている。


「空間を支配というのは——」

「魔族特有のやつにゃ。さっきまでベルガントの力の領域だったにゃ。あいつがいなくなって空気が軽くなったにゃ?」


 あれがそうにゃん、と言われて納得する。いつ空間が支配されたのかはわからなくても、彼がいなくなったことで軽くなった空気で支配が解かれた時はわかる。


「ベルガントの来訪はクストーディオに知れたでしょうか」

「そんな手落ちはしないにゃ。それに、今まで何もされてないから舐めてると思うにゃ」


 馬鹿だから、と断じるチェシャに苦笑を返す余裕もでてきた時だった。

 室内に、魔族の襲来を知らせる鈴の音が響き渡ったのは。

 




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