(二十二)聖女は女性には手を抜かない
「お父さんが転移させられた……!?」
ゼノの言葉に従って、チェシャと共にルイーシャリアの側に張り付いていたアーシェとサラは、シュリーの言葉に目を瞬いた。
「クストーディオの仕業ですか?」
「いいえ。――リンデス王国の副騎士団長の仕業です」
不安げに問い返したルイーシャリアに、シュリーは無表情で背後に立つ副騎士団長をチラリと視線で指し示した。
「どういうことですか、デリトミオ。何故剣聖さまにそのような事を」
ルイーシャリアの非難に、だが副団長は毅然とした態度で王女を見返した。
「クストーディオは我々騎士団と魔塔の魔術師で倒します。あの男の助力など不要」
「それが女王陛下の決断に反する事でも、ですか」
冷ややかに問い返すシュリーに、副騎士団長は片眉をあげて睨み返した。
「女王陛下や騎士団長が誤った決断をされたのであれば、我々下の者が正さねばならない。あの男は神殿に仇為す者。そのような者の手を借りるわけにはいきません」
今回の件はクストーディオを倒すだけでは解決しない。むしろ魔族よりも第四盟主対策こそが重要なのだが、その事実を知らない者にはもちろんわからない。また、頑なに魔塔の魔術師を呼び入れてこなかった理由もルイーシャリアがラロブラッドであるからなのだが、もちろん彼はそれも知らない。
知らないが故のこの状況だ。
それがわかっているだけに、ルイーシャリアもこれ以上何も言えなかった。
「ご立派な信念も現状認識が誤っている場合は、ただの弊害ですね」
呆れたようにシュリーが言い捨てるのを、副騎士団長もジロリと睨み返す。
「自分達がすべての情報を握っていると驕る組織に踊らされる訳にはいかない」
実のところこの部屋に至るまでシュリーと副騎士団長のやりとりはこのように平行線だ。
ゼノが転移させられたあの時、現れたのは付いていた三人の騎士ではなく副騎士団長のデリトミオだった。
ゼノをこのように害すということは敵だ。この現場を見たシュリーにも何か危害を加えてくるかと身構えたが、副騎士団長は何もしてこなかった。
「ゼノ殿をどこへ飛ばしたんです? それに……先程の魔石。どこから入手しました?」
これだけは聞いておかねばならない。逃げる算段はある。ノクトアドゥクスに所属していれば、このような危険な状況は日常茶飯事だ。
「答える義務はない」
「そうですか。今使った物、もしも提供先が私の想像通りならば、我々は彼らを契約違反で罰する理由が得られます。利用したあなた方にもなんらかの責を負わす事が可能になりますので、ご覚悟ください。我々を侮っているならばどちらも容赦しません」
シュリーの記憶に間違いがなければ、あれは魔塔とノクトアドゥクスで共同開発を行った転移魔石で、まだ実用化には至っていない代物だ。青い森でクライツが実験と称してルーリィに使用していたが、それも開発部門の職員が直接クライツに渡したものだ。それがこんな所で使われたならば、提供先は魔塔に他ならない。
どうやら魔塔はノクトアドゥクスを侮っているらしい。
我々を侮り、契約を無視して勝手に横流しするとは……最近の魔塔はどうやらヘスのせいで本当に調子に乗っているようね。
すうっと静かな怒りを身に纏い、シュリーは能面のようにすべての表情を消し去った。
「何を貴様っ……」
ずっと付いてきていた騎士三人が詰め寄ってきたが、シュリーは相変わらず冷ややかな視線を投げつけ威圧した。
「意味のない罵詈雑言しか叫べないなら黙りなさい。レベルの低さを露呈するだけだと忠告したでしょう」
「何をほざくか!!」
殺気だった面々を、副騎士団長がすいと手を挙げて止める。
「君はルクシリア皇国の者ではないな」
「そうであった方があなた達には良かったでしょうね――我々はノクトアドゥクス。我々を敵に回すという事がどういうことか、身をもって知りたいならばかかってきなさい」
それは宣言。
ノクトアドゥクスに属する者は武人ではない。剣士でも騎士でもましてや魔術師でも冒険者でもない。だが、ノクトアドゥクスにはノクトアドゥクスの戦い方がある。
それは時に、暴力や武力よりも大きな力を発揮するのだ。
神殿が今、ゼノに対して行っているような底の浅い情報操作などではなく、情報をもって国を潰すことすら可能な――大きな力を。
そしてそれを何より巧妙かつ冷酷に行えるのが、現長官のハインリヒだ。ゼノに手を出している時点で皇国とハインリヒに既に喧嘩を売っているようなものだが、ここでシュリーに向かってくるならば、明確な宣戦布告として対応する準備がある。
「何をエラそうに――」
「下がれ」
殺気立ち今にもシュリーに飛びかかろうとした若い騎士達を、副騎士団長は低い一喝で退けた。三人はその殺気にびくりと肩を震わせて、シュリーをひと睨みしてから後ろに下がる。
「我々は敵を増やしたいわけではない。神殿とギルド、王国はこれまで非常に良い関係を保ってきた。それを無視してよりにもよって神殿に害を為す剣聖を招き入れることが許せないだけだ」
「代わりに招き入れたのが魔塔だなんて、無知すぎて呆れるわ。魔塔がどれほど危険な存在か、理解出来ていないようね」
「それは君達の判断だ」
「ひとつしかない情報源を鵜呑みにしている時点で話しにならない」
「すべての情報を得ていると嘯く君達が果たして信用に値するのか」
シュリーと副騎士団長はお互い睨み合った。
――と、こういった感じでこの部屋に来るまで二人の会話は平行線だ。
「我々は剣聖だという男にここを任せるつもりはないが、君達に何かをする気もない。君達が望むのであればギルドに保護を依頼しよう」
副騎士団長の言葉に、サラがきっ、と鋭く睨み付けた。
「お父さんを悪く言う人達なんか信じない。お父さんをどこへやったの?」
「……それは言えない」
「嘘つき。もう十分わたし達に酷い事してる。わたし、あなた嫌い!」
ぶるぶると身体を震わせながら、サラは副騎士団長を睨み付けてそう叫ぶと、アーシェの後ろに回ってぎゅっと背中に抱きついた。
アーシェは背中にサラを貼り付けたまま、何かを考えるようにシュリーと副騎士団長、ルイーシャリアを順に見遣り、それからもう一度何かを確認するようにシュリーを見遣った。それから徐に、ふう、とため息をついた。
副騎士団長は根は悪い人ではない。彼は彼の信念のもと行動したのだろう。そんな相手にはアーシェが何を言っても伝わらない。それは王女やシュリーとのやりとりを見ていてもわかる。
ならばアーシェの為すべき事は。
「あなたの自責の念を軽くするなら、私たちはここに残る方が良さそうですね。父の代わりにここに残ります。父と再会するにも、ここにいた方が良いでしょうし」
アーシェの言葉に、副騎士団長がぴくりと片眉をあげた。
自責の念とは随分な言い方だったからだ。
「随分と生意気な事を言う」
「少女ですら読めている未来を想像の余地すら持てないなら、これ以上の説明は時間の無駄でしょう」
シュリーはピシャリと言い切って、部屋の扉を開けて退出を促した。副騎士団長もこれ以上話す事はないとみたか、ルイーシャリアに一礼して部屋を出ようとした。
「この事は、陛下やバルドメロは知っているの?」
「――私の独断です」
「そう……ごめんなさい。あなたは詳しく知らされていなかったのね。ならばすぐに報告を。剣聖さまがいらっしゃらないと――場合によってはリンデス王国は大変な事態に陥ります」
ルイーシャリアの言葉に振り返った副騎士団長は、目に失望の色を浮かべて一礼すると、何も言わずにそのまま部屋を出て行った。
「頭の固い男にゃ。……しかし困ったにゃ~。ゼノはどこに行っちゃったのか……」
腕組みしながら心底困ったように唸るチェシャに、アーシェも口許に手を当てて考え込む。
「まさか数少ないゼノ殿に有効な転移魔法を使われるとは、こちらの警戒も足りませんでした……設定された転移先が遠くなければ良いのですが」
転移先はシュリーにもわからない。ただ急ぎクライツに連絡を入れる必要がある。通信魔石で連絡を入れるため部屋の隅に移動したシュリーを見送りながら、ルイーシャリアがアーシェとサラに頭を下げた。
「本当にごめんなさい。剣聖さまは私達に良くしてくださっているのに、うちの騎士団がこんな酷いことをしてしまって」
「王女さまのせいじゃないです」
「そうですよ。父は本当なら、転移魔法も無効化出来るんです。それをしていなかった父が迂闊なんですから。父が戻るまで、私達が王女様の側を離れません。――第四盟主が現れた時には父の威を借りて、父が戻るまでの時間を稼ぎましょう。大丈夫。父と明確に敵対するようなことは第四盟主もしない筈ですので、私達を瞬殺することはありません」
安心させるように笑顔で断言するアーシェに、ルイーシャリアは眉尻を下げたまま、微笑した。
「強いのですね、あなた達は。剣聖であるお父上が急にいなくなっても慌てる事なく、冷静に判断出来るなんて」
感心するように告げられた言葉にアーシェとサラは顔を見合わせて苦笑した。
「ええと……実は慣れていると言いましょうか」
「うん。お父さんとわたし達、よく分断されてたから。そういう時、アーシェお姉ちゃんはとっても頼りになるの!」
えへん、とどこか誇らしげに語るサラにアーシェが困ったように笑う。似ていないが仲の良い姉妹にルイーシャリアも柔らかな笑顔を浮かべた。
「アーシェはゼノに剣技を鍛えられてるし、魔術はギルベルトに習っていたから本気で強いにゃ」
「ギルベルト?」
「昔のルクシリア皇国の騎士団長にゃ」
その言葉の意味するところが理解出来なくて目を瞬いたが、チェシャはそれ以上説明する気はないようで、アーシェと何やら話し込んでいる。
ルイーシャリアはふ、と息を吐きながら窓の外を見遣った。
確かに王国と神殿、ギルドはこれまで上手く連携して魔物に対応してきた。神殿長が魔物と戦う冒険者や騎士団の治療や浄化を優先的に行ってくれるので、皆が安心して戦えた。地域の神殿でも同じように協力体制を整えてくれたおかげで、リンデス王国は深刻な魔族被害はこれまでなかった。
それがすべて神殿のお陰である事はルイーシャリアも否定しない。
そのような神殿が、ここまで剣聖に牙を剥くことにも違和感を感じる。
神殿長は、これまで一度だって誰かを悪し様に言う事はなかったのだ。
「そういえば神殿長にお会いしたのはいつが最後だったかしら……」
ぽつりとルイーシャリアは呟いた。
* * *
王都の中心から地方へ向かう街道へと続く道の端にある一角は、庶民向けの住居や店舗、神殿の運営する孤児院などが立ち並ぶ。その中の書店の地下にある部屋に、リタ達はいた。
「神殿長が臥せっているというのは事実だけど、いなくなったのはここ三日ほどのことなの?」
クレイムの作業部屋のひとつだというこの部屋で、リタと三人の騎士、クライツ達は情報のすり合わせを行っていた。
クレイム=ゾルデンというのは架空の人物名で、リンデス王国に限らず、他の国の神殿にもその名の者が存在し、神殿や教会の歴史をはじめ、魔族のことなどで確認できた事実のみを資料としてまとめている集団なのだそうだ。五十年ほど前から存在しており、正神殿との繋がりもあるという。
リンデス王国のクレイムも神殿長の庇護を受けつつ情報収集を行ってきたそうだ。そのため、ゼノと神殿に関することも事実を掘り下げて調べているという。今回ゼノがリンデス王国に来ると言う事で、直接話を聞く機会を得たいと考えていたようだが、今は状況がそれを許さない。
「はい。三日前までは、神殿長が神殿内の自室にいらっしゃるのを確認しています。私も実際にお会いしましたので間違いありません。三日前の夜、神殿長にお薬をお持ちしたのを最後に、翌朝にはお姿がなくなったのです」
誰かに浚われたのだとしても神殿内の出来事だ。疑わしいのは神殿関係者しかいないが、神殿長は慕われていた筈なので普通に考えれば不思議だ。
リタは首を傾げた。
「神殿内での見解は?」
「神官長が、事を公にしてはいけないと箝口令を敷いています。魔族が現れるこの現状を憂えて、神殿長が単身動いているのではないかということで、影を使って探しているとは言っていますが……」
「その実態はないのだな」
ベルンハルトの言葉にクレイムは頷いた。
「それではどう考えても神官長が黒ではないですか」
イリアが呆れたように言えば、クレイムはため息をついて頭を振った。
「神殿長は過去にそういうことを為さった実績がある。今回も同じだと言われれば納得する者も多い。……特に、瘴気で体調悪化が続いていた今、これまでにない高位魔族の襲撃に、最後に出来る事をなさろうとしていると考える者もいるのです」
過去にそうやって抜け出した実績があるのならば、信じられてしまっても仕方がない。
「噂の変化が面白いのですよ」
クライツが笑みを浮かべたまま、王都の情報屋から得たという話を聞かせてくれた。
「神殿長が臥せっているとの話は、実際に表に出られなくなったひと月ほど前から王都に流れています。その頃は剣聖の噂は流れていません。ゼノ自身まだ箱庭でしたしね」
その後、ゼノがミルデスタで暴れたと話が出た頃から、王都内では剣聖の悪い噂が密やかに流れ出したという。だがその噂も神殿から神剣を盗んだ者だとか人助けに法外な要求をするとか、神剣はやはり神殿が、リンデス王国の神殿長こそが持つに相応しい、という噂だったらしい。
それが変化したのは、ゼノが王国に来ると知れた昨日からだ。
王女を狙っている、リンデス王国の神殿を潰そうとしている、神剣に相応しい神殿長を害しにやって来る――あたかも、ゼノがリンデス王国を狙い邪魔な神殿を消そうとしているかのような噂だ。
「ゼノに対する嫌がらせとも取れるけれど、何者かが意図あって神殿長を浚っているのだとしたら――」
「ええ。神殿長を害してゼノに罪を被せる方向に作戦変更したのかもしれません」
ずばりと断じられた内容に、ベルンハルト達が怒りを滲ませた。言葉を紡ぐ事はなかったが、室内に殺気が漂いクレイムが身体を震わせる。
「ゼノが王城にいることは確認していますので、罪をなすりつける気なら、まだ神殿長はご存命ということになります」
「そうだな。故に先に神殿長を救い出す必要があるということだな」
ベルンハルトの言葉にクライツが静かに頷いた。
それにリタも異を唱えるつもりもない。どのみち今の状態ではギルドにいる方が精神衛生上よろしくない。
「神殿長の居場所に目星はついているの?」
「考えられる場所はいくつかあります」
クレイムはそう告げると王都の地図を広げた。そこにはいくつか赤色で丸がつけられ、その中のいくつかはバツ印が記されている。一際大きく丸印をつけられた場所は神殿だ。
「神官長と懇意にしている貴族の屋敷と、あとは神殿です」
「ふぅむ……王都外に連れ出してはいない、ということか」
「はい。神官長や神官長派の思惑はどうあれ、この国における神殿長の人気は絶大です。外へ移動させる時に誰かに気付かれれば、それだけでリスクが増します。なので神官長がある程度掌握している神殿内であれば、人を寄せ付けずに軟禁出来る場所があるのではないか、と」
「既にデル――私のサポートを行う隠密に、印のついた貴族屋敷を探ってもらっていますが、今の所怪しい動きはありません」
バツ印は捜索が終わった貴族邸です、との言葉に一番怪しいのはやはり神殿内部ということになる。
「実際にどうなの?神殿内に怪しい場所はあるの?あなたなら出入り自由なんでしょう?」
「我々神殿長派は神殿内部の要職からは外れていますので、それほど自由はありません。神殿内部は、今神殿長派と神官長派に分かれているんですよ。特に強硬派である神官長サイドは、剣聖許すまじ、という派閥ですので、正神殿の見解を受け入れている神殿長派が気に入らないのです」
「待って!ということは、神殿長は別にゼノの事を悪く思っていないということ?」
ならば神殿長を救い出せば、王都に蔓延している悪い噂を払拭することが出来るのか。リタと騎士団員達の目が輝いた。
「はい。私はそもそも神殿長から、神殿が剣聖殿に為したことを詳らかにまとめて、後世に誤解が生じないようして欲しいとの勅命を受けて調べているのです。神殿長は剣聖殿の事を信頼されているようでした」
「すぐにでも神殿長を探しましょう!」
ロベルトが立ち上がりながら叫ぶのを、横に座ったイリアがばしっと背中を叩いて座らせた。なかなかにいい音だな、とクライツは苦笑しつつ、何かを考え込むようなリタを見遣った。ベルンハルトも地図を見ながらじっと考え込んでいる。
「ゼノが来なかったら、どうするつもりだったのかしら?」
リタの質問に、さすがよく分かっている、とクライツは微笑した。
「この国は今、いつ高位魔族の襲撃があっても不思議じゃありませんから」
「やはりか。――神殿長が姿を消してから襲撃があったのは……一昨日の朝だったか?ギルド支部長が対応していると言っていたか。ふぅむ、そこで何もなかったのなら、やはりまだご存命であろう」
「恐らく」
顎を擦りながらのベルンハルトの言葉に、クライツが静かに頷き返す。
「念のため魔族側とゼノ殿との両方を警戒しておく必要があるな」
「そうね。なら二手に分かれましょう。騎士のあなた達が神殿に潜入すると問題が生じかねないわ。神殿には私とクライツとクレイムさんが、神殿周囲の警戒はベルンハルトさん達に任せましょう」
「それはリタ殿が危険です!」
リタの提案にイリアが慌てて止めたが、リタはにこりと笑ってみせた。
「私なら大丈夫。いざとなったらクライツを楯にするし」
さらりととんでもない事を言われて、クライツは一瞬頬を引き攣らせたが「ええ、なりましょう。楯でもなんでも」と怯む事なく返せば、リタが「冗談よ」と笑った。
「急に振られてもこう返せるぐらいなら心配ないでしょう?それに、私が神殿に潜入する方が、神殿長を見つけた時にすぐに治療ができると思うの」
「それはっ……そうですが……」
我々護衛の立場は……と項垂れるイリアの手を取ってリタは微笑んだ。
「ごめんなさい。あなた達の職務は分かっているけれど、今はこれがベストだと思うの。それに、私以上にイリア達も危険よ?王都民は私達を嫌がっているみたいだし、魔族の危険もある。本当はあなた達の側にいて力になりたいけれど……」
「御使いさまは本当にお優しいですね。大丈夫!俺がちゃんと――」
と、イリアの手を握るリタの手をそっと上から包み込もうとしたロベルトは、瞬間、ぱしりとリタに手を叩き落とされた。
「ダメよ。女性に軽々しく触れようなんて」
私にかこつけてイリアに触れようなんて、とジロリとリタに睨まれて、ロベルトは手をさすりながら「いや、どちらかというとリタ殿に……」とうっかり呟いてイリアに睨まれた。
「では今から準備を始めて、こちらは今夜神殿内部を捜索します。外の警戒は民衆と魔族に注意してください。――それから」
すべてのやりとりを見なかったことにして、クライツはベルンハルトに向き直り話を進める。
「神殿の要請を受けて、魔塔からヘス=カーネイトがやって来ます。いつ入国するのかまだ確認中ですが、魔塔のある東大陸からここへは直通転移陣がないので時間はかかると思われます。十分に注意を払ってください」
「ヘスが来るのか?」
驚いたようなベルンハルトの声にリタも驚き振り返る。
「ヘスですって?当代一の魔術の使い手と言われる魔塔の魔術師の?彼が何故ここに?」
箱庭に攻撃を仕掛けていたのも確かヘスだった筈だ。ハインリヒがそのような事を言っていた。
箱庭を狙うヘスと、箱庭にいたゼノ。
嫌な予感にリタは眉根を寄せた。
「狙いはランクS魔族の核石らしいですけれどね。――彼は、ラロブラッドの扱いも酷いんですよ。ゼノは大丈夫かもしれませんが……サラがそうだと彼に知れたら、非常に危険です」
クライツの射るような視線に、彼の言わんとすることを察してリタはごくりと息を飲んだ。この王国の王女も確かラロブラッドだった筈だ。
「なんでまたそんな厄介な人を……!」
「ゼノに頼らないなら魔塔の魔術師に、ということでしょう」
ヘスが来るのは神殿としても予想外でしょうが、と言われてなんて運の悪いとリタは額を押さえた。王女がラロブラッドだという事は秘密の筈だ。神殿の神官長が知らなくても不思議はないが、そのせいでこの事態というのは笑えない。
これは本当に嫌な予感しかしないわ……!
リタは思わず宙を仰いだ。
* * *
ぐるりと二重の石柱に囲まれたその中は、石畳が敷き詰められ空いた地面には玉砂利が敷かれていた。広い敷地内を一般の参拝者達が本殿に進む姿を横目に見ながら、独特の建築様式の建物が建ち並ぶ中をリーリアは副魔塔長の後に続いて歩を進めていた。
先頭はカーキ色のモッズコートのポケットに両手を突っ込んだまま、ご機嫌に歩くヘスだ。リーリアはまるで屠殺場に引かれる家畜のような陰鬱な面持ちで、とぼとぼと歩いている。
正直ここに来たくはなかった。
他国の王都、ましてや王城にヘスを連れて行くなど、どのような失礼なことをするのか予測がつかない。副魔塔長が一緒だが、昨夜のやりとりを見ても手綱を握れているとはお世辞にも言えない。魔塔の権威が一気に失墜しそうだ。
三日前の箱庭に対する実験や魔塔からここまでの転移疲れ、そして精神的な疲弊からリーリアはふらふらだ。今朝も早くからヘスに叩き起こされてあまり休めていない。もうすべてを投げ出してベッドに潜り込んでしまいたい。
向かいからやって来る参拝帰りらしい人から距離を取ろうとした時、足がもつれた。
――あ、こけちゃう
ぼんやりとした頭では即座に反応も出来なかった。
「危ない!」
鋭く叫ぶ声が聞こえたかと思うと、リーリアはふわりと柔らかくていい匂いのするものに包まれた。
目に入るのは豪奢な金糸。
――わあ、綺麗……
半分夢見心地でそんなことを考えていたら、自分の身体が抱き留められていることにようやく気付いた。
抱きつくように倒れ込んでしまったらしいと認識したのはその後だ。
「す、すみません!」
慌てて抱きついてしまった人から距離を取ろうと身体を起こせば、またも足下がふらついて、その人にがしりと肩を掴まれた。
「大丈夫?ふらふらしてるわよ」
尋ねられて顔をあげれば、そこにはびっくりするぐらいの美少女が心配そうにリーリアの顔を覗き込んでいた。
――ふわあああっ……きれい……!こんな綺麗な人初めて見た……!
瞬時に頬に血が集まり顔が熱い。
「あ、あああの、あの、すみません。私っ……」
「いいのよ、落ち着いて。ふらつくなら私にしがみついて大丈夫だから」
にこりと微笑しながら落ち着かせるように背中をやさしく撫でられて、リーリアはもういっぱいいっぱいだ。
こんなに優しい言葉をかけられたのはいつぶりだろうか。
いやもう初めてかもしれない。
あの、とか、うあ、とか言葉にならない声を口許でもごもご言いながら、この美少女から距離を取ろうとするが、身体は正直だ。
かろうじてあった緊張の糸が切れた上に、疲れと優しい空気のダブルパンチで最早腰が抜けたようになり足に力が入らない。
もうこのままここで気絶してしまいたい、と思うほどにはリーリアは疲れ切っていたし、美少女の纏う空気が慈愛に満ち溢れていた。
「何やってんだよ、リーリア!」
夢見心地の気分をぶち壊したのはヘスの怒鳴り声だ。
その声に頭に冷水をかけられたようにびくりと身体を震わせて目を見開くと、リーリアはぱっと少女から身体を離した。まるで夢から醒めたように。
「相変わらずトロくせえ野郎だな。おら、さっさとついて来い!俺様を待たせるんじゃねえよ、この愚図!」
周囲を憚らない大声で怒鳴られ、またも身体がびくりと跳ねた。参拝者がちらちらとこちらを見ていたが、関わる事を恐れて遠巻きに通り過ぎてゆく。
「……あの、すみませんでした、本当に」
ヘスの言葉にぶるぶると身体を震わせて、そのまま俯き加減にぺこりと少女に頭を下げると、俯いたままふらふらと横をすり抜けるように歩き出した。リーリアが歩き出したのを認めて、ヘスが舌打ちしながら背を向けて歩き出す。
二、三歩進んだ所で、ぐいと手を引かれて驚いてリーリアは振り返った。
「しっ! ――内緒よ?」
先程の美少女がリーリアの腕を掴んだまま、人差し指を口許に立ててウインクすれば、ふわりとリーリアの身体が優しい力に包まれた。
――癒やしの力
驚きに目を見開いて少女を見つめれば、彼女は笑ったまま「二人だけの秘密、ね?」と念を押すようにリーリアに笑いかける。
かっ、と頬を赤らめて、リーリアはこくこくと無言で頷いた。
「今度は気をつけて」
最後ににこりと笑ってそう告げると、少女はくるりとリーリアに背を向けて歩きだした。
その美しい後ろ姿をうっとりと見送って、リーリアも慌ててヘス達の後を追った。先程までの疲れがまったく感じられなくなった状態に、ほわほわと心まで温かくなり、うっすらと両目に涙まで滲んできた。
――優しさって、まだ私でも貰えたんだ……
この、ほんの一雫の優しさが、疲れ切ったリーリアの心に深く染み渡った。
* * *
一方の美少女――もちろん、リタである――は、神殿の敷地内を出ると振り返りもせずにそのまま歩き続け、少し離れた場所にある食堂の裏手から建物の中に入った。するとすぐに背後にデルが降り立った。
「真後ろに降り立つのはやめてって言ってるでしょ!また殴られたいの!?」
途端に冒険者らしいリタの叱責がデルに飛んだ。実は昨日背後に降り立たれた時、すかさず肘鉄を食らわした実績がある。
「悪い。でもここ狭くて――っていうか、ヒヤヒヤしたんだけど。何してくれてんの?あんな癒やしを行ったら、聖女だってバレバレだろ」
咎めるようなデルの言葉に、リタも負けじと睨み返す。デルもリタに対して遠慮がないのは、昨日から肘鉄を食らわされ容赦ない——本当に容赦のない——言葉の数々を投げつけられているからだろう。
「あんなに疲れた女の子をそのまま放置するなんて出来るわけないでしょ?今にも倒れそうだったじゃないの!リーリアは」
女性の名前は一度聞いたら忘れないリタが、しっかりと彼女の名前を復唱しながら言い返せば、デルは呆れたようにため息をついた。
「まあ、鈍くさそうな感じだったし、感動していたみたいだから誰にも言わないと思うけど」
「鈍くさいは余計よ!!あんな男にこき使われていたら心身共にすり減るわよ当たり前じゃない何なのよあの俺様男派手に死ねばいいのに!!」
ヘスへの怒りを隠しもせずにワンブレスで言い募るリタに、デルもそこは同意出来るので頷いた。
「彼女はリーリア=ニコルソン。孤児上がりで魔塔長の養女になるほどの魔力保有者で超一級の防御結界魔術の使い手だ。そのせいでヘスの護衛兼雑用係という名の世話係を押し付けられている。魔塔に所属する魔術師にしては良識派で大人しく、どちらかと言えば周囲からは距離を置かれている。まあ、これはヘスのせいもあるけどな。ラロブラッドに対する考え方はヘスとは真っ向から対立しているが、魔塔内では少数派だ」
「優秀で良い子なのね」
「今の情報で感想それだけ?――まあいいけど。それで?」
デルは呆れを通り越していっそ感心しながら、腕組みして問いかけた。
首尾はどうか、と。
「不本意だけど、仕掛けたわよ。ほんっと~に、不本意だけど!女の子に居場所を特定する魔道具を仕掛けるなんて、ほんっと犯罪だわ。さすがあのストーカー、ハインリヒの部下だけあるわ。ノクトアドゥクスってストーカー養成所なの?」
こんな道具がこの世に存在するなんて!とぷんすか怒るリタに、あの長官にストーカーって文句言える心臓が凄えなと感心しつつ、仕方ないだろ、とデルが宥めるように言った。
「神殿長の居場所を手っ取り早く掴むには最適だろ。それに、ひょっとしたら居場所がわかることであの子を助けられる事態がおこる可能性がないこともない、かもしれないだろ」
「言い訳じみてるわ」
クレイムの案内の元、昨夜リタ達が神殿内を捜索した結果、地下の部屋がすべて神官長の手の者によって管理されていることがわかった。
地下がある建物は三つ。そのいずれもクレイムは入った事がないという。
元々存在は公になっているが、倉庫扱いで普段から誰も近づかず、いざ入ろうと思えば神官長の許可が必要になっていた。
その地下に神殿長が囚われているのではないかとリタ達は予測している。
昨夜はそのうちのひとつをデルの手引きで調べたが、そこは本当に倉庫で、上では見られない豪奢の物品が丁寧に仕舞い込まれていた。貴族から寄付された品物のようだ。
そんな訳で後の二つの建物の探索を行う予定だが、昨夜ヘス達がやって来たことを掴み、場合によっては彼らがこの話に一枚噛む可能性も考慮して、リーリアに位置を示す魔道具を仕掛けたという訳だ。魔道具は魔石よりも小さく、リーリアを抱き留めた時にローブのフードと首回りの肌に触れずに目立たない場所に取り付けた。
「でもそれ、アーシェとサラに持たせていたら、彼女達の危機に素早く駆けつけられるかも……?」
「リタの場合はそれこそ犯罪になりませんかね?」
突然のクライツの言葉に、きっ、とリタは振り返って睨み付けた。
「失礼ね!私は純粋に心配しているだけよ」
「リーリア嬢を抱き留めた時の笑顔を見てたら確かに心配かな」
「女の子に常に笑顔で接するのは常識でしょ!?」
デルの失礼な合いの手に、だんっと足を踏みつけながら叫べば、デルは声にならない叫びをあげて蹲った。
「……女性と男性への扱いが違いすぎやしませんかね……」
「とりあえずリーリアに仕掛けたその魔道具で、神殿長の居場所がわかるのよね?」
クライツのうわぁ、という非難の声をまるっと無視してリタが睨み付けながら問えば、クライツはわざと胡散臭そうな笑顔を浮かべて首を傾げた。
「かもしれない、というレベルですよ。それに、彼女はヘスと常に一緒に行動しているので、ヘスの居場所を割り出すにもちょうどいい」
「……まあ、今はそれでいいわ。クレイムが魔塔の魔術師になら場所を漏らすかも知れないって言ってたものね。これで場所が分かればいいのよ」
肩をすくめてクライツの横を通り過ぎながら、ふとリタは立ち止まってクライツを見上げた。
「ゼノはどこまで知っているの?」
クライツは首を傾げたまま、眉尻を下げて笑った。
「今はまだ伏せています。シュリーにはすべて話していますが、王城内でぽろりとこぼされれば、どこに飛び火するかわかりませんから」
「魔塔の魔術師のことも?」
「ゼノに魔術は効かないので、大丈夫でしょう」
本当にそれだけ?と胡散臭そうに見遣っても、クライツはそれ以上何も言わない。腐ってもハインリヒの弟子だ。喋る気がないのなら、いくら追及しても無駄だろう。
まあ、これぐらい企んでる感がないと、ハインリヒの弟子とは言えないわね、と中々に失礼なことをリタが考えている事に気づかないのは、ハインリヒとクライツの違いかもしれなかったが。
いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。
……一回飛ばすと次は読んで貰えないんじゃないかとの不安もあったので、読んでいただけるとホッとしております。
ありがとうございます。




