(二十一)剣聖はうっかりと罠にはまる
ゼノ達がリンデス王国にやって来てから今日で三日目となるが、クストーディオもその配下の魔族も現れる事はなかった。
「精華石で気配を感じられなくなってる上に、王城に結界魔法陣を敷いてるからな。そろそろ様子を見にくると思うぜ」
ゼノの言葉に、騎士団長と女王の顔にさっと緊張が走った。
「あたしもそう思うにゃ。こっちの新しい対策が効いているようなフリを見せて安心させた後、意味ないって叩き落とすのはよくやることにゃ」
魔族のチェシャに言われると信憑性がある。
事実、クストーディオは王国の努力を嘲笑うような行動を続けてきている。そうやってじわじわとルイーシャリアにプレッシャーを与えているのだ。
ならば二人の予想通り近々現れるのかもしれない。
「アーシェとサラは、何があっても王女の側から離れるなよ。二人に戦わせるような真似はさせねえが、同性ならどこへ行くのに張り付いてても問題ねえだろ」
ゼノの言葉にアーシェとサラも頷いた。
「何かあれば戦うよ。私はお父さんの一番弟子だから」
「いや、無理はするなよ。相手はランクSだろ」
「わたしもお姉ちゃんのサポートを頑張る」
「頼りにしてるね、サラ」
「任せて!」
「いや、ほんと戦うなよ」
二人で笑い合う姿をゼノが眉根を寄せて注意する姿にチェシャが笑った。
「なんか昔よりゼノは過保護になったにゃ~。前はAぐらいうちの娘達なら倒せるって豪語してたにゃ」
「それは昔の話だろ」
「実力は何も変わってないから大丈夫よ、お父さん」
アーシェの言うことはわかってる。タケルとの手合わせでも記憶していた以上にアーシェはちゃんと動いていた。
それでも一抹の不安が拭えないのは、最後の記憶がヴェリデ王国で呪いを受けたものだからだろう。あんな事は滅多にないと頭ではわかっていても、やはり二人には危険の側にいて欲しくない。
この地に連れて来たのは自分でありながら、矛盾した事を考えているとゼノ自身でも理解しているが、自分の目の届く範囲に置いておきたいという気持ちに嘘はつけない。
「いざとなったらあたしも本気出すから心配ないにゃ。ゼノが主さまに一緒にお願いしてくれると言うなら、あたしも隠す必要がないからにゃ」
チェシャにまでそう言われるとそれ以上ゼノは何も言えなくなったが、心配そうな表情がゼノから消えることはなかった。
* * *
"気に食わぬ"
「あ?」
背中の剣にカグヅチの神気を纏わせ、城内の瘴気を斬り捨てるという作業を昨日からせっせと行っていたゼノは、イライラとしたカグヅチの呟きに片眉をあげて問い返した。
ゼノが行っているのは、空間に漂う瘴気を斬って散らす程度で、リタのような聖女と異なり一気に場を浄化したり人体の浄化などは基本出来ない。正確に言うならば、ゴルドンがアインスに語った通り、限りなく特殊な方法やゼノの剣を用いてなら出来ないことはないが、どちらの方法もゼノ自身にかなり負担がかかる。魔族とやり合うことがわかっている状態で取れる方法ではない。
それでもカグヅチの神気を纏わせれば、瘴気を斬るだけでその場を祓うことは出来るので、暇に任せてやっているだけだ。
"気に食わぬ、と言った"
「何がだよ」
むすっとした顔のまま、空中で腕組みをして胡座をかくカグヅチは、もちろんゼノにしか姿も声もわからない。付いて来ていたシュリーが、突然のゼノの言葉に首を傾げている。
"神殿なぞの言葉に踊らされ、ゼノを疎んじる連中のために我の力を貸すなど気に食わぬ"
ああ、それか。
ゼノにとっては神殿の嫌がらせなど今更で、逆に何もない方が気味が悪いと思うぐらいになってしまっていたが、カグヅチやアーシェは違う。二人は神殿の悪意に敏感に反応する。
ゼノとて二百年前は真剣に誤解を解こうとしたり、娘達のためにも噂を払拭しようとしたりはした。なんなら、ヒミカ達も手を尽くしてくれた。
だが、数は神殿の方が圧倒的に多いのだ。与り知らぬところでせっせと流されるものまで正直構っていられない。神殿の、いわゆる強硬派とは相容れないのだ。
話がまったく通じねえんだから、しゃあねえよな。
自分達に都合の悪い事――カグヅチに嫌がられているとか、むしろ怨みを買っているとか絶対に信じない。すべてはゼノのせいだと信じている。
それでも二百年前にカグヅチの怒りに触れた者は、流石に大人しかったのだ。今はそういった者も存在しないので、神殿の中でも二百年前の連中の言葉を信じている者しかいないのだろう。
"ゼノ、魔術感応レベルを遮断しておけ"
「それ俺も面倒なやつじゃねえか」
"気に食わぬ。外の魔術を一切、遮断しろ!"
カグヅチが言っているのは、右手の甲にデュティが刻んだ魔法陣のレベルの事だ。通常最大にしていて、それで外界の転移陣が利用出来るようになっている。魔法陣だけではなく、生活用の魔道具も利用可能になるのだが、それらすべてを遮断すれば、本来のゼノの状態――全魔術無効化状態となる。
そうなると色々面倒なのだ。大きなものは動かない使えないだけなので平気だが、生活魔道具だとゼノが触れるだけで反発して壊れてしまう物も出てくる。
カグヅチは嫌がらせでそれをやらせたいのだろうが……
それ、却って俺の印象悪くならねえか……?
ゼノはガシガシと頭をかきながらため息をついた。
箱庭では感じられなかった久々の神殿の悪意に、どうやら相当お冠のようだ。
"早くやれ!"
痛くはないが、ポカポカと頭を叩いてしつこく促すカグヅチを追い払うように手を振る。
「どうされたんですか?」
ギリギリと歯を食いしばって怒りを露わにするカグヅチを呆れたように見上げるゼノに、それまで黙って様子を窺っていたシュリーが問いかけた。シュリーも気になったのだろうが、ゼノを見張るように周囲に張り付いている三人の騎士の不審な目を気にしてのことだろう。
「あ~……お怒りなんだよ、鬱陶しいのが」
「?」
「どいつもコイツも本当にまあ、飽きもしねえでよくやるなって事だ。気にすんな」
「??」
ゼノの説明では理解できなかったシュリーが首を傾げるのを、ひらひらと手を振って何でもねえよと言い置いて剣を背中のホルダーにしまった。
「この辺の瘴気はなくなったぜ。あっちの方向にもあるようだがどうする?祓っておくか?」
振り返り少し離れた所に立つ三人の騎士達に声をかければ、厳しい表情を浮かべた騎士達が近づいて来る。
「奪った力で偉そうに」
そのうちの年若い一人がボソリと吐き捨てた言葉に更にカグヅチが殺気だったが、もちろんゼノにしかわからない。
油を注ぐなっつーの。
こういう時、本当にツラい。投げつけられる悪意がではない。この自分にしかわからない板挟み感だ。
左の騎士達からは悪意のこもった感情が、右のカグヅチからは怒りがそれぞれゼノを中心に湧き上がりぶつかって来る。ぶっちゃけ、どっちも鬱陶しい。
シュリーはチラリと冷めた目で騎士達を見遣ると、ふ、とゼノに微笑した。
「どのみち今まで気付いていなかったんですから、瘴気が残っていても問題ないでしょう。必要であれば自分達でお金を払って、神殿に依頼すればよいことです。ゼノ殿がわざわざ力を使う価値はありません」
と、こちらもさりげなく嫌味を投げつけて、騎士達に一瞥もくれずにゼノを促すように歩き出した。
こっちもなんか怒ってんのか、とゼノは頬を引き攣らせた。
"その通りだ!"
カグヅチはシュリーの言葉に満足げに頷いて、さっさと部屋へ戻ろうぞ、とわめき立てる。
濃い瘴気ではないため人体に影響はそうないだろうが、本当なら祓ってしまった方がいい。だが、この場にそれを喜ぶ者は誰もいないのだ。
ゼノは肩をすくめてため息をつくと、へいへいと頷いてシュリーの後に続いた。
一定の距離を置いて騎士達もついて来る。目的はゼノの見張りだろうからどこまでもついて来るだろう。指示しているのは副騎士団長だ。女王や騎士団長に向けた説明は城内でのサポートだったが、詳しい事情を知らされていない彼らにとっては、ゼノはまだ要注意人物なのだろう。
神殿の――神殿長の権威というのはこの王国ではかなり強い。
シュリーを通じて、クライツからリンデス王国の教会事情は聞いた。神殿長の元、神官達も正神殿から下賜される浄化石による瘴気の浄化だけでなく、治癒魔法による治療行為や魔族被害へ真摯に取り組み、完治しないまでも普通に生活が送れるようになっている者が多いのだという。ギルドや王国騎士団とも協力して治療や浄化活動を行う仕組みを整え、長きに渡って王国民を支えてきた神殿が支持されるのは当然だ。そしてそれはとても良い関係だとゼノは考えている。
瘴気に侵されるのがどれほどキツいのかゼノもよく知っている。ゼノは自分の瘴気を自動的に浄化する力を持っているが、それでも一定量を超えると浄化には時間がかかるのだ。アザレアと共に神殿に出向いてカグヅチと出会ったしまった時もそんな状態だった。
神殿長は自ら魔族が現れた危険な場に足を運び治療活動を行い、瘴気の浄化は常に自らを後回しとして取り組んできたというから、ゼノも頭が下がる。
だから、ゼノは怒れない。
有る事無い事は今更だし、そうやって真摯に活動を行っている者からすれば、きっとカグヅチの剣は欲しかったことだろう。神殿にあったとしてこの神殿長の手に渡ったかはもちろん別問題だが、周囲がそう考えるのは理解できる。
だがランクSの魔族対応となると話は別だ。
騎士団で対応できないならばどれほど悔しかろうが、任せるべきだ。下手なプライドで被害が拡大すれば目も当てられない。
神殿長が本当に話通りの人物であれば、ゼノに対して思うところはあっても魔族を倒すまでは協力してくれるだろう。
そんな事をつらつら考えながら歩いていたゼノは、足元にコツン、落ちてきた魔石への反応が一瞬遅れた。
カッと光と共に足元に浮かび上がった転移魔法陣。
「しまっ……」
「ゼノ殿!? ――これって……!?」
"だから遮断しておけと言ったであろうが!!"
シュリーの慌てた声と、カグヅチの叫び声を耳にした時には、ゼノは城内から強制転移させられていた。
* * *
遡ること一日前。
リタは大層機嫌悪く、リンデス王国のレーヴェンシェルツギルド支部の応接室のソファに座っていた。
ゼノ達がリンデス王国入りしたその日の夜には、リタもリンデス王国にやって来れた。少々手間取ってしまったのは、正神殿のヒミカからの書状を持参するよう皇帝から進言があったからだ。
流石にそれはベアトリーチェが手配出来るはずもなく、ハインリヒが急ぎ対応を行った。当初の予定では、もっと後にリタを派遣する予定だったので準備が整っていなかったようだ。王国は神殿の力が強く、ヒミカからの一筆があった方が動きやすいとの配慮と、ヒミカからも直々に王国の神殿長の安否を気遣う手紙を預かった。
そこまではいい。
「剣聖が来ただけでも困ってるのに、今度は御使いだって?本部は何を考えているんだか……」
転移陣から出て最初に会ったギルド職員の開口一番のセリフがそれだった。
皇国からリタの護衛として付けられた三人の騎士のうち、責任者のベルンハルトがすいとリタを庇うように前に出て職員を睨み付けた。
「聞き捨てならないセリフだな。剣聖が来て困るとはどういう理由だ。彼は女王からの依頼でここへ来た筈だが?」
ルクシリア皇国の騎士団にとって、ゼノは誇りであり尊敬すべき剣士であり国の恩人でもある。正直、リタが色々言われるより、ゼノにケチを付けられる方が皇国騎士団の怒りを買うのだ。リタ達シグレン一家は、皇国にいる僅かな間にその事を理解したので、自分につけられた護衛達の空気が緊張を孕んだのを感じ取ってリタも拳に力を入れた。
まだ年若いギルド職員は、だが恐れる事なく舌打ちをしてベルンハルトを睨みつけた。
「剣聖が来たせいで、街中で暴動が起きそうな勢いだ。ルクシリア皇国にとっては強さがすべてかもしれないが、王国は違う。神殿に害を為す可能性のある人物は正直迷惑だ」
それを聞いてリタの背後にいた二人の騎士、イリアとロベルトも殺気だった。途端にこの転移の間が剣呑な空気に包まれる。
「どうして魔族を退治しに来たゼノのせいで暴動が起きるというの?ゼノが神殿に害を為す理由もないわ」
背後の二人を宥めるでもなく、リタも眉間に皺を寄せたまま、ずいとベルンハルトの背後からギルド職員の男に詰め寄れば、男は一瞬リタの美貌に目を見開いたがすぐにリタを睨み返してくる。
「何を言う!神殿長が神器に相応しい人物だから、これを機に害しようとしているともっぱらの噂だ!」
「呆れた。ギルド職員が噂を鵜呑みにするなんて話にならないわ」
腰に手を当て大きくため息をつきながら心底呆れたように言い捨てると、ジロリと男性職員を睨みつけた。
「支部長はどこ?」
「支部長はお忙しいんだ!そもそも――」
「我々は支部長に話を通す必要がある。君じゃなく支部長はどこにいるんだ?これはギルド長からの指示でもあるのだ。君のせいで支部自体の評価を落としたくはないだろう」
リタに噛みつこうとした職員を遮り、ベルンハルトはギルド長の名を出して男性職員を軽く脅す。話を聞く気のない者とはどこまで議論しても平行線だ。
男性職員はぎりっと奥歯を噛み締めてベルンハルトを睨みつけると、ちっと舌打ちして転移の間から外へ出た。
これからこんなやりとりがずっと続くんじゃないでしょうね。
イライラした気を隠しもせずに、リタは無言で男の後に続く。ギルド奥の転移の間から案内されたのは支部長室ではなく受付だ。もう夜も遅い時間なのに職員が慌ただしく動き回る様子から、忙しいと言うのは本当らしい。
「支部長なら、昨日の朝王都外れに現れた魔族の対応で出たまま、まだ帰られていない。被害が大きく怪我人もそこそこ出たんだ」
「治療の手は足りてるの?」
被害が大きいと聞いてはリタも心配になる。先ほどのイライラを収めて尋ねれば、何故か男性職員に睨まれた。
「心配しなくてもギルドと神殿で治癒班が組まれている。王国はこれまでそうやって対応して来たんだ。神殿長がそういう仕組みを作って下さった!だから余所者が得意げにやってきて取り入ろうとしても無駄だ」
ふん、と鼻で笑いながら言い捨てる職員の言葉に、どうやら気に入らないのは剣聖だけでなく御使いも同じらしい。
「望まれてもいないのに浄化や治癒の力を勝手に振るったりはしないわよ。目の前で人が苦しんでいない限りはね。――だけど」
リタは男性職員を睨みつけながら続けた。
「くだらないプライドのために差し伸べられた手を払いのけるのは勝手だけれど、他人を巻き込む真似はやめて。仮にもあなたはギルド職員なんだから」
いっそ静かと思える程の怒りを孕んだリタの雰囲気に気圧され、職員はごくりと唾を飲み込んだ。クラスA冒険者の殺気だ。ただの事務職員では身動きすら取れない。
職員に言葉の意味を理解させるかのようにしばらく無言で睨み付けていたリタだったが、ふいと気を逸らすと騎士達を振り返った。
「今は手は足りてそうだし、今夜は遅いので一旦宿に引こうと思うのだけれど」
「それが良い。明朝もう一度ギルドに来るとしよう」
ベルンハルトもそう同意し、一行はギルドを後にした。
リタはギルドを出る前に、慌ただしく動き回る職員に向き直った。
「遅くまでお疲れ様。私で手伝える事があればいつでも声をかけてちょうだい。明日また来るわ」
にっこりと笑って――主に女性職員に向けて――そう告げると、ぺこりと頭を下げてからギルドを後にした。
「リタ殿は寛大ですね」
リタ付きの女性騎士、イリアが感心したようにそう告げれば、ロベルトも「レーヴェンのギルドにしては随分攻撃的だったな」と先程の男性職員の態度に憤慨する。
「忙しく動き回っているのは本当だもの。労うし手伝えることは手伝いたいのは本音よ。私もレーヴェンのクラスAの冒険者ですからね」
リタが労いたいのは遅くまで頑張っている女性職員だというのが本音だが、まだ騎士達にはリタのそういう本音は知られていない。
「しかし、奇妙な噂だ。神殿長が神器に相応しいからゼノ殿が害を為すなど」
「悪意に満ちているわ。そもそもゼノは神器なんか――神剣なんか持ってもいないし、欲しがってもいないのに」
まあ、神殿とゼノの間がこじれまくっているのは箱庭で聞いた話だ。こういうことね、と納得もするが腑に落ちない点もある。
「誰かが意図的に流していますね。剣聖殿に対して無礼な!」
「なんでこんな噂が流れたんだか……」
ゼノが王国入りしたのは今日の昼の筈だ。
しかも不穏な事に暴動が起きそうな勢いだと先程の男性職員が言っていた。
「とりあえず今夜は宿に引き上げよう」
ここで色々考えていても仕方がない。ベルンハルトの言葉に従い、一行は予め手配していた宿へと移動した。
そして本日ギルドを再び訪れれば、「支部長がお戻りになるまでこの部屋から出るな」と、昨日の失礼な男性職員にギルドの応接室に閉じ込められ今に至っている。
ご丁寧に外から鍵までかけられてほぼ軟禁状態だ。
「悪意しか感じないわ」
むすっとソファに座っていたリタが立ち上がり、窓辺に歩み寄りながら呟いた。
「ここに来るまでの街の噂も本当に酷いものでしたね」
ロベルトもどこかうんざりしたように呟いた。
昨夜は遅い時間帯だったから街の様子など気づかなかったが、今朝ギルドに向かう途中で耳にした王都民の話題がもっぱら剣聖のことだ。昨夜ギルド職員が言っていた「神殿長を害しに来た」「美貌の王女を狙っている」「リンデス王国に多額の報酬を要求している」「神殿を潰しにきた」などで、現状直面している本来の「高ランク魔族の退治」を話題にする人がいない。
「聞くに堪えない噂ですが……ここまで一方的に流れるのはやはり神殿が意図的に流しているからでしょうか」
「恐らくな」
「どうしますか、隊長」
イリアがベルンハルトに問いかければ、彼は顎を擦りながら思案顔だ。
ベルンハルトはルクシリア皇国に三人いる副騎士団長の一人で、三十代半ばなので見た目だけならゼノと同じ年回りだ。イリアもロベルトも二十代前半のベルンハルトの直属の部下で、騎士としてはもちろんだが、交渉や事務的な事にも強い。いずれも騎士団長ヴォルフライトの信頼の厚い騎士達だ。
ロベルトは見た目が少々チャラそうで微妙だわ、というのがリタの第一印象だったが、さすが皇国の騎士だけあって、そんな事はなかった。
イリアはショートカットがよく似合う格好いい系の女性騎士で、リタとはすぐに意気投合し、年上ではあったが姉というよりは同年代の友人のような関係だ。護衛の人選はリタを知り尽くしたハインリヒの助言によるものだが、もちろんリタは知らない。
「剣聖様は我らにとっては尊敬すべき御仁であり、恩人でもあります。神殿との確執は知っていますが、あまりにも無礼です!このまま放っておくことも出来ません」
イリアが声に怒りを滲ませれば、ロベルトも絶対零度の気を纏う。
「うちに喧嘩売ってますよね。これ、各隊の隊長が知ったら怒り狂いますよ。わかっててやってるんですかね、リンデス王国は」
「気持ちはわかるが落ち着け」
自身も苦い顔をしたまま、だがベルンハルトは部下の二人を宥めた。
「皇帝陛下もこの国の神殿の力が強いことは重々承知であった。それでもゼノ殿に依頼したのは、マリノア女王とエルダー陛下が皇帝陛下と皇妃様のご友人だったからだ。特にエルダー陛下と皇帝陛下は親友だったと聞く。亡き親友の妻であるマリノア女王に助力したいとのお気持ちが強いのだ」
「ゼノはこんな噂や皇帝陛下の依頼に怒ったりしないと思うわ――ただ、気になったのよ。神殿長を害す、という噂」
リタが窓から外を睨みつけたまま、ぽつりと呟いた。
「神殿長は臥せっているとの事でしたね」
イリアが、何くれと様子を見にきてくれるギルドの女性職員の言葉を思い出しながら言った。
そう。
リタがこのような理不尽な扱いを甘んじて受け入れている理由は、ひとえに、リタ達を細々と気遣ってお茶や昼食などを持って来てくれる女性職員に迷惑をかけないためだ。
昨日の男性職員とは違って、非常に申し訳なさそうに平身低頭、何度も謝罪しながら世話を焼きに来る彼女が困ることはしたくない。
聞けばあの職員は王国貴族の三男坊で、普段はあそこまで態度が悪いこともないのだが、支部長や副支部長など古株の職員が奔走して外に出払っている今、好き勝手をやっているらしい。おまけに熱心な神殿の信者だという。それは別に構わないが、仕事に私情を持ち込むのは感心出来ない。事が事なだけに問題だ。
副支部長が午後には戻ってくるからと女性職員に言われて、リタ達は我慢しているのだ。
「臥せっている神殿長を、わざわざゼノが害しに来るの?おかしくない?むしろ、神殿長のためにゼノが持っている神剣を狙って神殿がゼノを害そうとしている方が自然でしょう?噂の流れがそこだけおかしいのよ」
報酬を要求するとか王女を狙うとか神殿を潰すとかは、怪しげな剣聖の噂と神殿との関係を考えれば不思議な噂ではない。「神器に相応しい神殿長を害しに来た」という噂だけが変だ。
言葉は悪いが――臥せっているなら放っておけば良いのだ。わざわざゼノが出向く必要はない。
「それに本当に浄化が必要なら、こんな所で足止めするんじゃなく、さっさと私に任せるべきじゃないの?」
だからそこに、誰かの意図を感じる。それも悪意に満ちたもの。
「まったくその通りですよ、御使い殿」
突然部屋の入口から声がして、騎士団の三人もリタも慌てて振り返った。ドアの開く音などしなかった筈だ。
そこには、にこやかな笑みを浮かべたクライツが片手を挙げて立っていた。
「クライツ! やっぱり何かあるのね?」
クライツの元へ駆け寄って声をひそめるリタに、慌ててイリアが後に続く。イリア達からすればクライツのことは聞いているが、直接会ったことがないので判別出来ないのだ。
「さすがは女性に優しいリタ殿。今まで大人しくされてたんですね」
騒ぎを起こしていないのは助かりました、と笑顔で返されてジロリとリタはクライツを睨んだ。
「あなたの中で私はどういう扱いなのかしら。不用意に暴れたりはしないわよ」
「もちろん状況判断が優れているのは承知していますよ。レーヴェンシェルツのクラスA冒険者ですから」
なんだかその言い回しがハインリヒと違って嫌味っぽいわ、とリタは笑うクライツを腰に手を当てジト目で見返せば、クライツはリタをはじめベルンハルト達を見回して声を潜めた。
「公にはなっていませんが、今神殿長は行方不明なのですよ」
「――じゃあ」
「……なるほど」
ぼそりと、小さいがよく通るその言葉にはっとしてリタはベルンハルトと顔を見合わせた。
その言葉の意味するところは。
「……まだご存命かしら」
「ゼノに罪をなすりつける手段によりますね」
心配そうに口元に手を当てながら呟いたリタに、クライツは笑顔を浮かべたままシャレにならない事を告げる。思わず眉根を寄せる一行に「そこで提案なんですが」と笑顔を崩さずに続けた。
「私達と一緒に探してくれませんかね?」
私達?と首を傾げた時、クライツの後ろに気難しそうな顔をした神殿の神官が立っていて、リタは警戒も顕に眉を顰めた。
リタが知っている神殿関係者は正神殿のヒミカやショウエイ、アキホしかいないが、いずれもリタ達に好意的だった。だが、ギルドの男性職員を見る限りでは、ゼノはもちろん御使いであるリタのことも否定的だ。
この国の神殿関係者であるこの神官はどうなのか、と警戒するのも仕方ない。
リタの警戒を感じ取って、クライツが軽く笑った。
「彼なら大丈夫ですよ。クレイム=ゾルデン。神殿長派で剣聖にも好意的な人物です」
「いいわ、行きましょう」
即決したリタに、ベルンハルトが苦笑した。
「しかし、ギルドの副支部長はまだ戻って来ていないのでは?あのギルド職員が我々を大人しく外へ出すだろうか」
ベルンハルト達が皇国の権威を使用せず大人しくギルドに止まっていたのは、リタが騒ぎを起こすことを良しとしなかったからだ。そのため話が通じそうな支部長か副支部長が戻ってくるのを待っていたのだ。
「っ……そうだったわ。私はまだ動けないの。ギルドの許可を得なきゃ、アマンダに迷惑がかかっちゃうわ」
「それならご心配なく」
くっ、と拳を握りしめて自身を戒めるようなリタの言葉に、クライツが内心で苦笑しながら背後に立つクレイムを指し示した。
「ギルド職員からは、彼がちゃんと了解を取っていますので」
「彼には御使い殿には神殿がちゃんと領分をわからせる、と説明して快く了解を得ています」
「……それなら問題ないわね」
神官からの申し出には二つ返事というところは呆れるが、問題を起こさずに外に出られるのはありがたい。
「では参りましょう。色々ヤバい情報が出そろってますんで」
クライツが笑顔を崩さず、不安になる言葉を吐いた。
——ハインリヒよりも彼の笑顔の方が胡散臭いわね
と、奇しくもサラと同じ感想を抱いたリタは、半目になりながらもクライツ達の後に続いてギルドを後にした。
サラは「嘘くさい」という感想ですが、リタにも信のおけない笑顔だと認定されるクライツ。
ハインリヒの物言いは平気だけど、クライツの何かを含むような言い回しは鼻につく、というリタ。
……あれ?女性陣に警戒されてますね、クライツ。そんなつもりはなかったんですけど。
前半のゼノ達は王国入りして三日目、後半のリタ達は二日目→初日(回想)→二日目。
ゼノが飛ばされる前日譚ですね。ややこしいですが。
わからん、という場合は、活動報告に日程を整理しておきますのでそちらをご覧下さい。




