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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(二十)嵐の予感



「ふんふんふんふん、ふふふふふふ~ん、ふんふんふんふん、ふふふふふふ~ん」


 侍女服姿のチェシャがご機嫌に鼻歌を歌いながら、ルイーシャリアの部屋にアーシェとサラの寝床を用意している。第四盟主の側近だと周りにバレても、ルイーシャリアの専属侍女の仕事はちゃんとこなすつもりのようだ。


「ご機嫌ね、チェシャ」

「チェシャさんは割といつもご機嫌ですよね」

「うん、いつも楽しそう」


 衝撃の事実を聞かされてもルイーシャリアがまだ落ち着いていられるのは、チェシャがこれまでと何も変わらなかったからだ。いつも通りの態度、いつも通りの仕事への取り組み。口調も公私もいつも通り使い分けていて、あの話を聞いていない者には今でも盟主の側近どころか魔族であるなどとバレていない。


「楽しいのは当たり前にゃ。大好きな主さまと同じ顔の、あたしの可愛いルイのお世話はあたしにはすべてご褒美にゃ」


 訂正。正体を知っているアーシェ達の前では語尾は変わるようだ。こっちが正真正銘に素の状態なのかもしれない。


「――チェシャにとっては、(わたくし)は第四盟主さまの代わりなの?」


 どこか緊張を孕んだその問いかけに、ご機嫌に鼻歌を歌っていたチェシャはぴたりと歌を止めると、くるりと振り返った。

 その表情は笑顔ではあったが、纏う空気は殺気を孕んでいてルイーシャリアは息を呑んだ。


「――主さまの代わりなんか、存在しない、にゃ。この世の、どこにも」


 一言一句区切りながら、言い聞かせるように顔を近づけられ、ルイーシャリアは息を呑んだまま身体を後ろに引いた。いつもと同じチェシャの顔なのに、いつもと違う空気にまったく知らない者のように感じて、胸元でぎゅっと手を握りしめた。

 知らず身体が震える。

 ごめんなさい――そう謝ろうとした矢先に、チェシャの頭の上にぼこんっと人形のようなものが落ちてきた。


「にゃっ!」

「脅かしちゃ、ダメ」


 チェシャの頭に当たって転げ落ちたのは柔らかいぬいぐるみのようだ。実際に当たってもそう痛くはないだろう。

 チェシャの視線がそれた事でルイーシャリアも緊張に止まっていた息を静かに吐き出し、床に転がった可愛らしいウサギのぬいぐるみをそっと拾い上げた。


「可愛いぬいぐるみね」


 ぽんぽんとぬいぐるみの埃を払い、ぷんすこと頬を膨らませて怒っているサラに笑いかけながら差し出した。

 とてててと走り寄って来たサラが、そっと受け取ってへにゃりと笑った。


「ありがとう。これお姉ちゃんと一緒に買ったの。可愛い人に拳骨するため用」

「ふふふっ、それがサラの拳骨なのね」

「可愛い判定されてるなら許すにゃ」

「次に本気で脅したら、私の剣が飛びますよ」


 も~、と頭を撫でながらのほほんと言ったチェシャに、アーシェがにこにこと殺気混じりで畳みかけるように告げれば、今まで存在しなかった尻尾が、ぼわっと膨らんで現れた。


「アーシェはマジだからやばいにゃ……」


 だらだらと汗を流しながら青い顔をするチェシャは、アーシェの事を本気で怖がっているようだ。盟主の側近だというチェシャが怖がるというのは、アーシェは強いのだろう。さすがは剣聖の娘だ。

 その時、コンコンとドアがノックされ、侍従に案内されてシュリーが部屋に入ってきた。


「頼まれた通り、サラさんの防御結界魔法陣を指定の場所に置いてきました」

「ありがとうございます!」

「すみません。本当は私たちが自分で行かなきゃいけなかったのに」

「いえいえ、大丈夫ですよ。城の中に設置するには騎士団の方々と一緒に動く必要がありますから」


 サラは成人男性が怖いので、大丈夫だとわかっていても出来るだけ近づきたくはないようだ。代わりにシュリーが騎士団員と一緒に置いてきたのだ。


「じゃあ起動させます」


 サラがテーブルの上に魔法陣の描かれた魔紙を広げ、そこに魔石で魔力を流し込むと、きん、と結界特有の空気の揺れを感じた。


「これでお城に魔族が入ってきたらわかります」

「チェシャさんには反応しないんですか?」

「あたしは今魔力を抑えて完全に人間に擬態しているから引っかからないにゃ」

「ランクもS以上になるとそういうことが出来るんです。魔核の有無を確認しなくちゃ魔族か人かわからないぐらい、上手に化けますよ」


 擬態している上位魔族を見つけるのは至難の業です、とのアーシェの言葉にサラもうんうんと頷き返す。


「……ゼノには意味ないけどにゃ」


 ふっ、と半目で肩をすくめたチェシャに、お父さんは別格ですから、とアーシェとサラが頷いた。


「剣聖さまは今どちらに?」


 そういえばルイーシャリアをアーシェ達に任せた後、どこかへ行ってしまったのだ。


「ゼノ殿は騎士団長と共に城内に漂う瘴気を斬って回っているそうです」

「え?瘴気を……斬る?」


 ルイーシャリアは目を瞬かせてシュリーの言葉に首を傾げた。

 一般人からすればそもそも瘴気が城内にあることすらわからない。


「私も一部見ていたのですが……見ていただけではわからないですね、あれ。ただ、ゼノ殿が剣で空中を斬った後は何か澱んでいた空気が軽くなったのがわかりました。知らずその場の瘴気に慣れていたんでしょうね」


 ゼノが剣を振るった後、青い森で瘴気のエリアを抜けた時と同じ感じを味わって、城内に瘴気があることをシュリーも実感したのだ。離れた所からしつこくゼノを窺う騎士団員や城内の者がいたが、あれは近くで体感しないと理解出来ないだろう。


「カグヅチ様の力で瘴気を払って回っているんですよ。瘴気は残っているだけで人に害を与えますから」

「ゼノは相変わらず規格外にゃ」

「お父さんなら王女様を狙ってる魔族は簡単に倒せると思います――問題はその後ですよね、チェシャさん」


 そう言ってアーシェがちらりとチェシャを見た。


「そうだにゃ~……成長するにつれ、どんどん主さまに似てくるルイをどうしようか、ここ最近ずっと悩んでたので、ゼノが来てくれて本当に助かったにゃ。クストーディオを片付けたら主さまにお話するにゃ」

「だったら、チェシャさんの武器庫から、お父さんに剣を下さいよ。報酬として」

「あ、本当だ!それお父さん喜ぶ」

「にゃ!?」


 突然のアーシェの提案に、チェシャが驚いて振り返った。

 シュリーも魔族に報酬を要求するの!?と目を見開いた。


「クストーディオを倒すのはリンデス王国から報酬が出ますけど、第四盟主とお話するのはチェシャさんの希望ですよね?だったらチェシャさんが報酬を払わないと」


 にーっこりといい笑顔で告げるアーシェに、チェシャがだらだらと汗を流しながら後ずさった。


「そ、それは別にゼノは何も言ってないしっ……」

「チェシャさんにとってはもう大昔のことかもしれませんが、私達にはほんの半年程前の出来事なんですよ。チェシャさんが、第二盟主をお父さんに押しつけて逃げたのって」


 にこにこ笑顔でじりじりと距離を詰めてくるアーシェに、チェシャもじりじりと後ずさる。背後に人の気配を感じてそろっと見やれば、こちらも笑顔のサラが魔紙と魔石を手に立っていた。


 ―― マズイにゃ。そんなことすっかり忘れてたにゃ……


 当然だ。チェシャにとっては二百年も前のことだ。そんな事綺麗さっぱり忘れていた。


「あの時二人が暴れて街が半壊しまして。大変だったんですよ、各方面への後始末。チェシャさん、あの時お礼はするって言ってましたけど、逃げましたよね?」


 にこにこにこと顔は笑っているが、目が笑っていない。

 アーシェやサラに危害を加えることはもちろん出来ないし、二人を怒らせたままにしておくと後々厄介だ。

 ぐぬぬぬ、と呻いたあと、仕方ないと諸手をあげて降参した。


「わかったにゃ!今回はちゃんとゼノに報酬を支払うにゃ!あたしの武器庫からゼノの好きな剣をあげるにゃ~!!」


 チェシャが叫んだ瞬間、カッとチェシャの左腕が光を帯びた。


「はにゃ!? こ、これはまさか……『魔女の契約書』!?」


 腕に刻まれた文字に、にゃぎゃー!と悲鳴をあげたチェシャに、サラがにこっと笑ってからポーチに魔紙を仕舞い込んだ。


「魔女の契約書とは?」


 一連の流れを黙って王女と眺めていたシュリーが、初めて聞く言葉とチェシャの慌てぶりに首を傾げた。

 魔女とは先日青い森で遭遇したアルカントの魔女、アザレアの事だろうか。そう言えばサラの師匠だと聞いている。


「私のお師匠さまが作った魔法で、約束事をその腕に刻み込む魔術です。相手の居場所がわかるし、ちょっとした嫌がらせ的な攻撃も出来ます。契約内容や決め事が終わるまでその文字が消える事はないです」


 忘れっぽいお父さんはよく師匠につけられてました、とにこにことサラが答える横で、チェシャが真っ青な顔で腕に刻まれた文字をさすっているが、もちろんそんなことで消えはしない。


「これで今度は約束を忘れる事はないですね、チェシャさん」


 にーっこりと笑うアーシェの顔を見ながら、娘である彼女の方がゼノの何倍も手強いのね、と戦慄を覚えるシュリーであった。



 * * *



 リンデス王国の王都のとある新聞社の一角で、クライツは社員でありノクトアドゥクスの諜報員でもある男と会っていた。こういった諜報員は各国、各地域に存在していて、その地で行動をとる際の情報収集源とサポートを担っていた。

 ハインリヒはさらに子飼いの情報源を自分で育て飼っている。クライツもそれに倣っているが、ハインリヒの千里眼には足元にも及ばないのが実情だ。


「剣聖って長い間箱庭にいて外界にはほとんど出ていないのに、どうして王都でこんなに噂されている?」


 到着早々、王都で情報収集に当たっていたクライツは、剣聖の悪い噂の蔓延具合に首を傾げた。

 そもそも一般民衆には剣聖など関係ない。強いという噂が流れるならまだしも、神殿の作り上げた悪い噂のみが口の端に上るなど不自然だ。

 そう、あまりにもタイムリーで不自然過ぎる。


「剣聖の噂はここ最近のものだ。御使い関連で表舞台に出てきたという話があった頃に王都に流れ出した。教会の追う聖女を手に入れようとして正神殿に釘を刺されてからじゃないかな」

「ああ、そういうこともあったか」


 レーヴェンシェルツが教会に抗議する前頃に神殿も動き出し、即座に正神殿が止めたという話だ。ならばその頃からせっせと剣聖の噂を流し始めたということか。


「なんのために」

「この手の嫌がらせは強硬派の多い地域では、剣聖が表に出たという話が流れると同時に、これまでも度々流れたことが確認されている。強硬派の執念のようなものだな」


 強硬派というのは、神殿の中でも過激な考えを持ち教会とも真っ向からぶつかる連中だ。クライツからすれば、自分の都合の良い事しか耳に入れない非常に鬱陶しい連中だという認識だ。でなければ、何度も正神殿から釘を刺され諭されているのに、懲りずに動く意図がわからない。


「事実、今回のような時に役に立つ」


 男に苦笑しながら言われてクライツも押し黙った。

 確かに、酷い噂が流れている。ゼノに本当に関係のあることから、ハンタースの剣聖やまったく関係のないことまで尾ひれ背びれどころか羽まで生えそうな勢いだ。


「だがそんな実態のない噂が信じられるほど、王国民の神殿への信頼が厚いということか」

「正確には神殿長、かな。お人柄が素晴らしいんだよ。おまけに長きに渡って王国の魔族被害に真摯に向き合って来られたからな。王国の神殿は本当に教義を守り熱心に人助けをしてきている」


 男の言葉からも神殿長への尊敬の念が感じ取れた。

 そこまで王国民に慕われているなら、その神殿が剣聖を悪者だと言うなら、信じてしまうのも頷ける。


 ―― これは厳しいな。


 首の後ろを撫でながらクライツは軽くため息をついた。


「だが、そうやって長年人々を助けてきたせいだな。瘴気でかなり身体を悪くされていて、今は伏せっていらっしゃるそうだ。そこに台頭してきているのが神官長だ。神殿長と比べると権力欲が強過ぎていただけない。剣聖の悪い噂を広めているのも神官長だ。彼はどうやら神殿の中でも強硬派に属する一派のようだな」


 神殿の中には、ゼノを敵視している過激な強硬派の他に神殿長のような穏健派と呼ばれる、どちらかといえば正神殿の教えを守り人々を守ることに力を注いでいる一派が存在する。


 王国の神殿が強硬派に塗り替えられないよう、神官長をどうにかする必要がありそうだな……。このままでは思わぬ所で足を引っ張られかねない。


 やれやれと内心でため息をついたクライツに、男はさらにキナ臭い情報を寄越してきた。


「その神官長がどうやら魔塔の魔術師を呼んだらしい。王室はこれまで頑なに魔塔に助力を請うことを拒否し続けてきたが、それを無視しての行動だ。それだけならいいんだが、やってくる魔術師が問題だ」


 眉を顰めながらの男の言葉に更なる厄介事の匂いがして、クライツは片眉をあげて続きを促した。


「魔塔の問題児、ヘス=カーネイトだ。どうやらランクSの魔族の核石が入手出来そうだと知ってやって来るらしい」

「ヘスか……」


 思わず額を押さえて唸った。

 魔塔始まって以来の天才と呼ばれ、その実力と功績は魔術界に革命を起こしたと言っても過言ではない。彼の消費魔力量を抑えた数々の魔道具の開発は、人々の生活を便利で豊かなものにしたのは間違いのない事実だ。

 だが性格に非常に難があり、魔塔の中でも取り扱いに苦慮しているのが実態だ。特に問題なのはラロブラッドへの扱いだ。

 今の所まだ一部の者しか知り得ないが、彼のラロブラッドへの非人道的な扱いは、公になればそれこそ魔塔の権威が失墜しかねない。あまりにも酷かったため、表向き魔塔所属の協力者という扱いで隠さねばならなかった程だ。


 ――いや。状況によっては逆の可能性もある


 ラロブラッドへの大々的な迫害が始まる危険性も孕んでいる。

 それは流石にルクシリア皇国が許さないだろうし、教会や正神殿も是とはしない筈だ。

 だが、箱庭関連で一定数以上の国や権力者がヘスの後ろ盾になっているのは確かだ。彼らがヘスの擁護に回れば事態はどう動くかわからない。

 今わかっているだけでも、この王国には三人のラロブラッドがいる。

 ゼノとサラ、加えて第一王女のルイーシャリアだ。

 王室は魔塔の――ヘスの危険性を考慮して、魔塔への要請をしてこなかっただろう。なのにここへきて神殿の勝手な振る舞い。これは、ゼノを牽制するための手段か。


「厄介な……」


 この国の神殿を押さえるには、神殿長を担ぎ出す必要があるな。


「神殿長は瘴気で寝込んでいるんだったな」

「ああ。長年蓄積された瘴気が体中を蝕んでいるということだ。若い頃から、瘴気が抜けきる前にまた瘴気を抱え込むような状態だったそうだ」


 これまで無事だったのは、正神殿のヒミカ様による祓えを定期的に受けてきたからで、今は正神殿へ向かう元気すらないという。おまけに効果の高い浄化石も定期的に下賜されてきたようだが、今は神官長が自分勝手に使用していて神殿長の手には渡っていないらしい。


 ――神官長は叩けば埃が色々出そうだな。神殿長の瘴気を祓えれば、神官長を押さえられるか?


 それはゼノか、はたまた聖女であるリタであれば可能だろうか。いずれにせよすぐには難しそうだ。


「ああ、そうだ。剣聖の噂をどうにかしたいのであれば、強硬派のクレイム=ゾルデンに会うといい」

「クレイム=ゾルデン?」


 告げられた名を問い返すと、男はサラサラと何かを記し、すいとそのメモをクライツに突き出した。無言で受け取りさっと目を走らせる。


 これは……質問事項?


 渡された内容に片眉をあげて男を見返せば、男はトントンとペンでメモを叩きながら


「クレイムはそこにある事柄を調べているようだ。剣聖の噂の裏付けをとって神殿の正当性をはっきり示したいらしい」

「正当性ねえ……」


 顎を擦りながら胡散臭そうに返せば、男も失笑した。


「気持ちはわかるが、そいつは『不都合な真実』にもちゃんと耳を傾ける姿勢は持ってる。正当性が揺らぐのが例え神殿の方であろうとも、ちゃんと動いてくれる筈だ」


 本当にそうなら、正神殿に確認すれば済む事だろうにと思いながら、強硬派であれば入れてすら貰えないのか。本当にこちらの話に耳を貸すことが出来るのかは怪しいが、わざわざクライツに話にもならない相手を紹介するとは思えない。

 もしもクレイムが真実を受け入れることが出来たとしても、今度は彼の命に危険が生じることになるだろう。

 厄介事の予感しかないが、ゼノが箱庭ではなく外界での生活をメインとするならば、神殿関係はこのまま放っておけない。


「なるほど、わかった。もう数日はここにいる予定だ。何かあれば連絡を」

「剣聖の噂がここ一ヵ月ほどで広まった噂なら、根はまだ深くない。王都民は神殿長の言葉なら信じてくれる」

「わかった」


 クライツは礼を述べて新聞社を後にした。

 その神殿長が強硬派でないなら交渉は出来そうだが、悪意を持って煽動する形で噂が流れているのが気になる。切り替わったのはゼノが来ると予想したか、判明したここ数日に違いない。払拭するには、噂を流した者の断罪と同時でなければ後を引く。


 いずれにせよリンデス王国の件も簡単にはいかなさそうだ。


 ふう、とクライツが大きくため息をついた時、別行動だったデルが慌てた様子でこちらにやって来るのが見えた。

 これ以上の厄介事はいらないんだがな、と思いながら微妙な笑顔でデルを迎えたクライツは、デルのもたらした「リタがやって来る」との朗報に目を見開くこととなった。



 * * *



 未だ疲れた身体を叱咤して転移陣から降り立ったリーリアは、大きくため息をついてご機嫌な様子で転移陣から現れた男を振り返った。

 箱庭の手酷い反撃にあったのはたったの二日前だ。

 初めて目にした箱庭の魔法陣の解析をすぐにでも始めるかと思いきや、今回失ったラロブラッドが多く、研究を始める前に新たなラロかあるいは高ランクの魔石が必要だと、すぐに簡単に入手できる魔石の手配から始まった。

 そうは言っても流通している魔石のランクなどたかが知れている。

 そんな時にリンデス王国の神殿から、ランクSの魔族討伐に力を貸して欲しいと依頼が入った。

 それを耳にしたヘスが、実験と高ランク魔石の獲得のために自分が向かう、と言って魔塔内で一悶着があった。

 魔塔長は小さいながらも王国の王都に、王室ではなく神殿からの要請でヘスを派遣することに難色を示したのだ。

 リーリアには魔塔長の危惧がよくわかる。

 ヘスは加減を知らない。

 王都で周囲への被害など考慮せずに暴れ回られては、魔塔の立場がマズい。

 どれだけ説き伏せても、頑として自分が赴くことを譲らなかったヘスに結局のところ折れたのは魔塔長だ。リーリアと副魔塔長を連れて行く事を条件に許可を出した。

 実力行使をされれば、ヘスを止める者がいないのも事実だ。もしも本気でヘスが魔塔を掌握しようと思えば一瞬で済んでしまうだろう。それほどの実力差があることを魔塔長も理解している。

 それをヘスが行わないのは、ひとえに魔塔の実権に興味がなく、研究を邪魔するであろう事柄に手間暇をかけたくないからだ。雑事や問題を片付けてくれる魔塔長には、ヘスが一定の恭順の意を示していることで魔塔内の序列は保たれているが、魔塔内は薄氷を踏むような危うい状態なのだ。

 良識派の魔塔長が追われるとき、きっと今まで以上に恐ろしい事が魔塔で行われるようになる——リーリアは近い未来にそれが起こりそうで恐ろしかった。


「結構遠いな、西大陸は。東から西への直通転移陣がねえっていうのが面倒だ」


 ちっと舌打ちしながらの言葉だが、機嫌そのものは良い。


「箱庭の研究よりも、そちらを先に研究すれば喜ばれるのではないか」


 副魔塔長が疲れたようにそう告げたが、ヘスは鼻を鳴らした。


「そういうのはお前達がやればいいじゃねえか。俺様は俺様にしか出来ないことをやる。それに」


 いつものカーキ色のモッズコートのポケットに手を突っ込んだまま、くるりと振り返り意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「そういう功績になりそうなの、お前達にもちゃんと残しておいてやらねーとだろ?副魔塔長サマ」


 どこか馬鹿にしたような物言いに、副魔塔長のこめかみが引き攣った。


「……今日はもう遅いので宿屋に泊まり、神殿には明日の朝伺いましょう。今から動くには我々も情報が足りません」


 二人の間に漂った剣呑な空気を払うようにリーリアが提案すれば、ヘスも仕方ねえなと頷いた。


「転移の疲れも確かにある。ランクSの魔族にはやっぱ万全の体調で臨みてえよな。それに、一体じゃねえってことだし」


 楽しみだよな〜とケラケラ笑うヘスは、何かしら実験をすると言っていた。それがどのような実験か教えられていないので、副魔塔長もリーリアも戦々恐々として落ち着かない。魔塔の評判を落とすような事はやってくれるな、との心配を表に出せば、ますます悪乗りする男だ。

 副魔塔長もリーリアも下手なことを言ってヘスを刺激する訳にもいかず、それ以上は何も言わずに宿屋へ向かって歩き出した。




今週の木曜更新はお休みさせていただきます。

次回は9/19(月)に更新します。

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