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(四)聖女は剣聖と周囲の関係を訝しむ


「ところで、ゼノの目的地は第五領域で良かったかね?」


 この場でそれ以上リタの力の使い道については言及することなく、ハインリヒは何事もなかったかのようにゼノに問うた。


「んあ? あ~……そうだな。そこで間違ってねえ。第五の『青い森』だ」

「第五領域?」


 初めて聞く名称にリタが小首を傾げる。


「第五盟主が君臨する地域のことだよ」


 ――第五盟主!?


「それって……魔族の」

「ゼノは国名を覚えないからね。盟主の勢力で表現する方が伝わるのだよ」

「……それって俺のこと馬鹿にしてんのか?」


 不服そうに問い返すゼノに、おや、と片眉をあげてハインリヒが笑った。


「盛衰により国は変わることが多い。気を利かせたつもりだったが、不服かね?」


 言外に、外界の情報に疎いだろうと言われて押し黙るゼノに、ああ、とリタも納得して、ふとハインリヒに向き直った。


「そういえばゼノの身分証は古い規格だったけれど、更新はされないの?」


 ハンタースギルドでのやりとりを思い出し、非常にレアなルクシリア皇国の身分証を思い出す。あの皇国が身分証なんてものを発行していたことの方が驚きだ。


「あれはゼノ専用でね。身分証が利用出来ないならば、ゼノの力を必要としないという意思表示と捉えることになっている」


 意味深な笑みを浮かべて告げられたハインリヒの言葉に、リタはごくりと息を呑んだ。


「……それって……」


 ハンタースは意図的かどうかはともかく、今後剣聖の助力を得られないということか。


「……俺が迷惑なんだが……」

「ゼノが冒険者の仕事を得たいというなら、いくらでもレーヴェンから回せるし、我々ノクトアドゥクスもルクシリア皇国もお願いしたいところだよ」


 ふふふ、と微笑するハインリヒを見て、リタは思わず遠い目をして現実逃避をした。


 あぁ……やらかしたわね、ハンタース……


 イアンや支部が悪いわけじゃない。ジュリアは「現在のギルド長になってから」と言っていたので、ギルド長がこの事を知らなかったのか、あるいは知っていてあえてそうしたのかはわからない。


 でも何故かしら。

 現在のハンタースギルド長が碌でもないんじゃないかという、この予感は……


 それはこのハインリヒの良い笑顔が物語っているのかも知れない。


「あなたは私の弟達がどこにいるのか掴んでいるの?」


 話題を変えるようにリタは尋ねた。


「ふむ。長男のアインスは七男のシェラとは合流できたようで、教会から逃れながらレーヴェンで依頼をこなしつつ他の兄弟を探しているようだ。四男のフィーアの居所はしれないが、ドゥーエ、トレ、サンク、シスはどうやら固まって第四領域のミルデスタあたりにいるらしいと報告が上がっている」


 思いのほか兄弟が固まって無事にいることが知れ、リタはほっと胸をなで下ろした。この分だとアインスにはレーヴェン経由で連絡が取れそうだ。


「アインスはいつの間にギルド登録したの?あの時はまだだったはずよ」

「ケニスがあらかじめカルデラント支部で登録準備をしていたようだ。この騒動で正式登録となったので、君が知らなくても仕方がないし、なかなか冷静な判断が出来る子のようだな」


 ギルドを通じてリタに連絡を取らなかったのは、リタの居場所を外部に知られることへの危険性を考えてか。


 慎重なあの子らしい。

 ふ、とリタは微笑んだ。

 カルデラントのギルド職員は私たちの味方だったけれど、他がそうとは限らない。


 事実、リタも理由を知らないギルド職員から教会に連絡されたことがある。

 ハインリヒに弟が褒められたことをどこか誇らしく思いながら、リタは話をゼノに戻す。


「ミルデスタならここと同じ西大陸よね?私には盟主の領域がわからないんだけど……ゼノの目的地から離れているの?」


 滅多にお目にかかることはないが、この世界には六人の最上位魔族が存在する。彼らは盟主と呼ばれており、それぞれ支配する地域があるらしい。


 らしい――というのは、それが一般には広く知られていないからだ。彼らが人間の前に姿を現すことは稀であったし、表だって人間に危害を加えるわけでもない。彼らが支配する地域には普通に人間の国が存在するが、敵対しているわけでもないらしい。どちらかというと、人の国など歯牙にも掛けていないという認識が正しいように思う。


 なので一般人の感覚としては「関わりのない」存在という認識だ。そんな上位の存在よりも、日常的に遭遇の可能性がある魔物の方がよほど恐ろしいという認識だろう。


 クラスA冒険者として過ごしてきたリタにしても、魔族と相対することはあっても、せいぜいがランクC、稀にランクBの魔族に遭遇する程度で後は魔獣退治がほとんどだ。


 確か盟主はギルドではランク外扱いだったわね……ランクSSS以上、というのは間違いないし、そもそもの方針が『関わらない』だったはず。


「転移陣を利用すればさほどでもない。道中に邪魔が入らなければ、それこそミルデスタから青い森までは三日もあれば着くだろう」


 邪魔。そうだ、教会はかなりしつこいから、この街から追い出した程度では終わらないだろう。


「くるかねえ」

「来るだろう」


 どこか現実逃避をするように遠い目をして呟いたゼノに、ハインリヒが即答する。

 ちょっと申し訳なく思いながら、リタも今後を考える。あの連中よりも前に弟達と合流出来れば、後のことはそれから考えればいい。


「第三盟主にルーリィは確実だろうね。ルクシリアの騎士団からも人が来るのではないかね?」


 つらつらと挙げられた名に、ん?とリタは首を傾げた。


「……なんだか不穏な名称が聞こえたんだけど?」


 ルクシリア皇国はともかくも、第三盟主と聞こえた気がする。聞き間違いだったらいいんだけれど……盟主は人間の前に早々姿を現さないはずだ。


「ゼノが箱庭からこれほど長く出ているのは実に三十年ぶりだ。箱庭の強固な結界によって彼らから連絡は取れないんだ。この機会を逃しはしないだろう」


 どこか楽しそうに告げるハインリヒに、ゼノが嫌そうな顔をしたと同時に風が起こった。

 なに?とリタが不思議に思った直後、自分の背後に何かがいることに気づいた。


 ぞくりとする気配。


 視線だけをゼノに向けると、彼がいつの間にか剣を抜き、リタの背後に立つ存在を牽制しているのがわかった。


「っ!」


 慌ててテーブルを飛び越え床に着地すると、勢いのまま反転して身体強化を施し身構える。その動きで帽子が落ち、艶やかなリタの金糸がふわりと広がった。

 そこには、黒いテールコートにシルクハットの装いの貴族然とした金髪の青年がいた。

 ステッキを手に、悠然と微笑を浮かべている。かれの喉元に突きつけられているゼノの剣先などまったく意に介していないようだ。

 先ほどの風は、ゼノの剣圧か。


 それよりも――

 この男は、どこから現れた?

 人の気配などまったくなかった。

 この男は、突然、ここに現れたように見える。

 何より――


 ごくり、と息を呑んで流れる冷や汗を拭うことなく拳に力を込める。


「ふぅん」


 そんなリタの様子を見ながら、青年がよく通る透き通った声で呟いた。


「今世の聖女は冒険者なんだね。なかなかいい動きをする――おまけに」


 ひょいと、いきなりリタの顔を覗き込むように青年の顔が眼前に現れて、喉の奥で短い悲鳴を押し殺した。

 頬を固定され目を覗き込まれる。


「力の発露で目の色が――黄金色に変わる……この現象は今までの聖女には見られないね」


 ゼノの殺気とはまた異なる、青年の存在に対する本能の恐れ。

 強大な生物に対する魂の恐れ。

 恐れで身体が動かなくなり崩れ落ちそうになるのを、だん、と足をひとつ踏みならすことで堪え、即座に頬にかかる青年の手を払いのけ、一歩後ろに下がった。


「おっと……へえ。興味深いね。アザレアだってここまで僕に近づかれると動けなくなるものなんだけど。色を纏うというのは伊達じゃないのかな」

「そこらへんにしとけよ、第三」


 なおも興味深そうにリタを覗き込もうとする青年を、ゼノの低い声が止めた。


 ――第三盟主。


 魂を読むことで確認は出来ていたが、ゼノがそう呼びかけることで、本当にそうなのだと認識して、リタは小さく息を吐いた。

 先程ゼノとハインリヒの会話に出てきた最上位魔族のひとり。

 普通に暮らしていれば、お目にかかることなどない筈の存在だ。


 ――生物としての次元が違う


 リタは意識しないと震えそうになる身体を叱咤して、ぎゅっと歯を食いしばり青年を睨み付けた。


「やだなぁ。ゼノが庇護する子に、これまで僕が害をなしたことがあったかい?ゼノに喧嘩を売るような真似はしないよ」


 そんなリタの様子などまったく意に介さずに、青年は軽い調子でゼノに応えると、そのままゼノの横に腰掛けた。


「彼にこの場で君を害す気がないのは事実だよ。落ち着かないだろうが、ここに座りたまえ」


 身体強化をかけた状態で身構えたままのリタに、ハインリヒがどこか呆れたように第三盟主を見てから、自分の横を示す。

 チラリとゼノを見やると、剣を収めながら頷くので、強ばる身体をゆるりと解すように身体強化の魔術を散らし、青年から眼を逸らさずにハインリヒの隣に腰掛けた。


「ふふふ。まるで子猫が威嚇しているようで可愛いよね」


 青年にとってはリタなど子猫ほどの存在なのは確かだろう。先程とは打って変わってにこにことリタに笑いかけてくる青年の、どこか微笑ましいものを見る目に馬鹿にされたと反発する気さえ起きない。圧倒的な力量差もそうだが、どこか毒気を抜かれてリタも押し黙るしか出来なかった。


「大人げなく子猫を威嚇して、ゼノの隣を確保した者の台詞ではないな」

「ハインリヒは手厳しいね」


 ふふふ、と微笑しあう二人の空気が非常に殺伐としていて、今度は別の意味でリタが震えた。


 え。なんなの、この空気。

 ちょっと怖いんですけど……


 第三盟主とも平気で渡り合うハインリヒの胆力にも恐れ戦くものがあるが、話題になっている内容を考えると別の意味で怖い。


 そういえば、ハインリヒはゼノのストーカーだったわ……!


 ビシバシとお互いを牽制するような殺気の中で、はっとしてリタが口許を押さえて身体を引くと、変な誤解をしていることに気付いたのだろうか。ハインリヒがくるりとリタを振り返り、突然両拳で額を挟み込みぐりぐりと力を込めた。


「何を不快な勘違いをしているのかね」

「痛い痛い痛い……!」

「あははは!この状況でそんなことを考える余裕があるなんて、なかなか豪胆な聖女だね」

「……いや、何やってんのお前たち……」


 ゼノが呆れたように言い放った。

 

 

 * * *



「彼女が聖女の力を使う時は黄金色を纏うことが確認されている――ふむ。やはり珍しいことであったか」


 先程までのことなどおくびにも出さずに、ハインリヒがさらりと話題を元に戻した。隣ではリタが涙目で頭を押さえている。手加減なくやられたようだ。


「そうだっけか? それで、それになんか意味があるのか? 色を纏うってのは」

「どうだろう……そこまでは読めないな。聖女――には違いないけど……」


 じっ……と見透かされるように青年に見つめられて、リタは思わず身を引く。

 自分が魂を読むように、『()()()』を彼も見ていることが落ち着かない。


「ふむ……それならそれでやりようはあるな。それで、まずはミルデスタに向かうということでいいかね?」

「とりあえず居場所がわかってて危なそうなのが、ミルデスタにいるんだったな」

「今把握している段階ではそうなっているな。長男の方は、ギルドに使いをやっておこう――信用を得るために、一筆書いてもらえるかね?」


 促されて、リタは鞄から自らのハンカチを取り出しさらさらと文字を綴ると、折りたたんでハインリヒに手渡す。横でその様子を窺っていたハインリヒは、ハンカチを受け取りながら「……暗号かね?」と問いかけた。


 何故ならハンカチには『今夜はグラトーフェ』と書かれていたからだ。


 グラトーフェとは肉や野菜を香辛料がよく効いたこってりとしたスープで煮込んだ、カルデラント国では一般的な家庭料理だ。子どもにも大人にも人気のメニューで、リタの家族も大好きだ。


「我が家ではグラトーフェの時は家族総出で準備をするのよ。『今夜はグラトーフェ。遅れずに全員集合』って普段から言ってるから伝わるはずよ。我が家のグラトーフェにはラビ肉の香草詰めが入るから、香草の準備とラビ肉の確保に手間がかかるので二ヶ月に一度程度しかしないわ。」


 弟たちの好物なんだけどね、と真面目な顔で告げたリタの言葉にハインリヒは納得したように「それなら問題あるまい」とハンカチを懐にしまった。


「――仲の良い家族なんだな」


 ぽつりとゼノが呟き、その声にどこか懐かしむような羨むような響きを感じて、リタはどきりとした。


 ゼノは二百年は生きているようだった。

 ゼノには家族がいたのだろうか。

 いたとしても、普通の人間であれば、このように長い時を生きている筈はない。

 子孫は生きているかもしれないが、ゼノの家族は当然、この世に存在していないわけで――


 ゼノは箱庭に住んでいると聞いた。家族は違うのかしら。


 箱庭の住人は不老長寿だとか不老不死だとか噂されている。もし家族も一緒に箱庭に住んでいるのならば、今もゼノと一緒にいる筈だ。


 でもなぜかしら……そうじゃない気がする。


 そう考えるときゅっと胸の奥が締め付けられるような気がした。


「おやじさんも、よくやったな。弟達が一人でも捕まっていたら、リタも今頃は連中に首輪を付けられていただろうさ。よく守りきったもんだ」


 本心からとわかるゼノの労りの言葉に胸がじわりと暖かくなる。

 リタは、父の最期を知らない。

 カルデラントのギルド職員から聞いただけだ。

 リタを逃がすために囮になったと。

 弟達も教会の連中を引きつけるために一緒に囮になり、散り散りになったと。


 教会からの追っ手は、弟を捕まえていると言った。この場でリタが大人しく捕まらないのであれば、奴隷市場に売り飛ばすと脅迫もされた。

 教会は信用がならなかったので、そのような言葉には従わなかったが、もしかしたら弟達はそれで本当に売り飛ばされたかもしれないと覚悟を決めた。

 すべては、命をかけてまでリタを逃そうとした父の意志を尊重したかったからだ。


 絶対に、教会には捕まらない。

 絶対に、弟たちも守ってみせる。

 絶対に、諦めない。

 絶対に、あいつらを許さない――


「女の子を泣かすとは感心しないな、ゼノ」


 揶揄うような青年の言葉に、リタは初めて自分が涙を流しているのに気づいた。


「あ……ちがっ、これは別にっ……」


 頬に伝う涙を慌てて拭いながら否定するリタに


「ふむ。親子ほども離れている子女を泣かせるとは由々しき事態だな」

「はっ!? いや、今の話のどこに泣く要素があったよ!? これ俺が悪いのか!? 俺べつに責めてねえだろ?」

「ちがっ……泣いてなんか……これはっ……!」


 リタの涙にゼノが大慌てでとっちらかりだしたのを横目に、ハインリヒがふむ、ともっともらしく頷き返す。


「ゼノがしみじみとケニスのことを褒めるものだから、これまで我慢していた彼女の感情の抑えが効かなくなったのだろう」

「久々に外界にでてこんな可愛い女の子泣かすのか~。やるなぁゼノは」

「ちょ、待てよ! 別に俺は――」


 慌てるゼノを揶揄うように、ハインリヒや青年が変わるがわる囃し立てるのは、もうリタを肴にゼノに構いたいだけなんじゃないのかと、人前で泣いてしまった恥ずかしさと居た堪れなさで思考も感情もまとまらないまま、八つ当たりのように顔を真っ赤にしてリタが叫んだ。


「――もう! おじさん三人がわちゃわちゃと騒がないでよ!!」




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