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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(六)二百年前の真実



 応接室を出て扉が閉じた事を確認すると、アーシェはゼノを振り仰いだ。ゼノはまだ泣き笑いの表情で、アーシェとサラを見下ろしている。

 二百年経っている、と説明されてもアーシェにはまだ実感はわかない。だがゼノの様子を見ればそれが嘘だと断じられるものでもなかった。


「手を繋いでもいい?」


 ゼノの右側に立ち左手を差し伸べれば、ああ、と短い応えと共にぎゅっと左手を握り返された。

 ゼノの手は大きくて、アーシェの手がすっぽりと隠れてしまう。剣を扱うためグローブ越しだが、露わになっている指先は硬くザラついていた。


 ゼノは左右どちらでも剣を扱える。だがアーシェはいつもゼノと手を繋ぐ時はゼノの左手と繋いで、右手はいざという時のために自由にしていた。サラが妹になってからは左手はサラに譲り、自分がゼノと手を繋ぐことをしなかった。

 それをゼノが知っていたかどうかはアーシェにはわからない。

 今日は、ここが箱庭なら危険はないと思ったし、今はなんとなくそうした方が良いように思ったのだ。


「わたしも、お父さんと手を繋いでもいい?」


 少し遠慮するようなサラに、ゼノはもちろんだ、と返すとサラの右手と手を繋ぐ。

 親子三人で手を繋ぎ、廊下の突き当たりに見えた階段を降りて行く。道中、ゼノは無言のままだ。

 三人並んで歩いても十分な広さのある階段を降りながら、アーシェはちらりとサラと目を見交わす。サラもこくんと頷いた。


「お父さんは今、箱庭に住んでるの?」

「ああ。ギルベルトやノアがいた頃は外で過ごすことも多かったんだがな。あいつらがいなくなってからは、箱庭で過ごす方が多いな。今は基本こっちだ」


 そう、と呟いてアーシェはぎゅ、とゼノの手を握りしめた。

 本当に二百年が過ぎているならアーシェ達が知っているゼノの親友達もとっくにいなくなっているだろう。ゼノが生きているのはひとえにカグヅチが付いているからに他ならない。


「複雑……」

「ん?」

「お師匠様はまだちゃんといてくれてるの?」


 アーシェの呟きを拾い損ねたゼノが首を傾げたが、サラがふと不安そうに尋ねた。

 サラの言うお師匠様とは、アルカントの魔女、アザレアのことだ。


「ああ、あいつは相変わらず元気だぜ。つい先日会ったばかりだ。……お前たちが目覚めるのをずっと待ってる。今回目覚めるはずだってんで、会えるのを楽しみにしてたぜ」

「よかった」


 ほっとサラが胸を撫で下ろした。


「アザレアさんと……デュティさん。盟主に、ヒミカ様——は変わらずに今もいるの?」


 アーシェが指折り数える人物名に、そうなるな、とゼノが返した。

 ぽつりぽつりとそのような話をしながら家の裏口に着き、ゼノに続いて家に入れば、シンプルな造りで物もあまりない。

 中央に置かれた大きめのテーブルには淡いピンク色のテーブルクロスと椅子が四脚、窓際には花の咲く植木鉢がいくつか置いてあった。壁にはタペストリーが飾ってあって部屋全体は柔らかく明るい雰囲気だが、らしくない、とアーシェは思った。

 ゼノが住んでる感じがしない。本当にここに二百年近くも住んでいるのだろうか。


「なんだか別の人のおうちみたい」


 ぽつりと呟かれたサラの言葉にアーシェも頷く。サラもアーシェと同じ印象を受けたのだろう。


「近所に住む奴が全部整えてくれてるからな。部屋はそっちの趣味に合わせてある。まあ……わかるだろ?思い出しそうな物はすべて道具箱にしまってある。お前達の服も荷物も全部そこだ。デュティがそっちにも劣化防止の魔術を施してくれてるから、そのままだと思うぜ」


 道具箱は上の部屋だと言われて、左手側にある階段を見た。

 そう説明されても、やはりこの家は落ち着かない。


「一度荷物を見てきてもいい? ここだとお茶を入れるのも落ち着かないの」

「ああ、こっちだ」


 ゼノに案内されて二階にあがると、廊下もなくすぐに扉があった。部屋の中には簡素なベッドが一つと間仕切りにクローゼットがひとつ。

 ゼノはその間仕切りを動かしアーシェ達を振り返った。


「ここの箱の中だ。箱は魔術に関係なく開けられる。劣化防止の魔術は中に入っている物に作動するようになってるらしい」


 箱はあまり大きく見えなかったが、荷物全部と言われても何が入っているのかわからない。

 見た目は赤い木の箱で蝶番で蓋と本体がつながっているタイプのもので、鍵穴なども見当たらない。

 アーシェは箱の前までくるとサラと一緒に蓋を開けた。蓋は抵抗もなく簡単に開けることが出来た。

 中は真っ暗で何も見えない。特殊な空間魔術が施されているようだ。これはどうやって中身を確認するのだろう?とアーシェが首を傾げた時、暗い空間の上に板状の物が現れた。


「わ!見て、お姉ちゃん!これ中に入ってるものが絵付きで見えるよ!」

「凄い!なにこれ……?こんなの初めて見た」


 お父さん!と興奮したように二人がゼノを振り返れば、ゼノも首を傾げて二人を見た。


「どうした?わからねえか?」

「違うの!この道具箱なに!?すごいよ、お父さん!」

「うわぁ~! 服も食器も戸棚の中の物まで入ってるよ、お姉ちゃん!あ、リッキーさんからもらったおいしいお茶の葉もある!」

「食品まで!?」


 二人が魔術で現れた板状の物を持ちながら、本のページを捲るように指を走らせては、驚きの声をあげている。その久しく耳にしなかった娘達の楽しそうな声に、ようやくゼノにも二人が目の前に存在しているのが実感できてきた。


「これは本当にあの家の物がすべて入っているかも……」


 むむむ、と口に手を当て唸るようにアーシェが呟けば、サラがぱあっと顔を輝かせながら指をさす。


「あ!これ!!ヒミカ様にあげようと思って買った人形!このプレゼント包みそうじゃない!?」

「ナナカマ限定のタピーアのぬいぐるみ! そうだよ。あの件が終わったら会う約束してたから、お土産に二人で買ったやつだね」


 うわあ、良かった~ときゃっきゃとはしゃぐ娘達を、ベッドに腰掛けながらゼノは見つめた。

 一通り中に何があるのかを確認し終えた頃にはそこそこの時間が過ぎていて、アーシェはカップ一式といつもよく飲んでいたお茶っ葉を取り出すといったん道具箱を閉じた。


「お父さん、お待たせ。お茶を入れるから下に行こう。お湯の沸かし方を教えて」

「ああ」


 アーシェの手にある食器をお盆ごと持つと、茶葉はサラに任せて三人で階段を降りていく。下に降りると、今度は黒いオオカミの被り物をつけたデュティが椅子に座っていて、三人の姿を認めて片手をあげた。


「お邪魔してるよ」

「来てたのか——って、なんで今度はオオカミなんだよ」

「真面目な話をするかもと思って。家族でのお話し終わった?」

「すみません。今まで荷物の確認をしていて。ああ、やっぱりデュティさんはオオカミの被り物の方が見慣れていて安心します。 ——あの!道具箱ありがとうございました!あんなにたくさんの荷物が保管されているなんてびっくりしました」

「全部残ってて、嬉しかったです」

「喜んで貰えたなら良かったよ。君たちが困らないようにしたつもりだけど……取りこぼしがあったらごめんね」


 デュティのその言葉にいいえ、十分ですとアーシェが笑って返しながら、台所とおぼしきところに移動し、お茶の準備を始めた。


「ええと、水はここ」

「お客様用のカップはこれかな?」

「お父さん、火はどうやってつけるの、これは」

「ああ、こいつは——」


 親子三人が仲良く台所でお茶の準備をするのを、デュティは無言のまま見つめていた。

 お茶を淹れ終え全員がテーブルにつき一息つく。

 アーシェ達にとってはいつもの習慣。ゼノにとっては遠く過ぎ去った温かな記憶の再現。だがこれは幻想でもなんでもなく、取り戻せた現実だ。

 ごとん、といくらか乱暴にカップが置かれる音に、アーシェとサラはゼノを見た。

 ゼノがテーブルに肘をつき、両手で顔を覆って俯いていた。

 漏れ聞こえる嗚咽で泣いていることを知る。


「お父さん……」


 アーシェ達からすれば、朝別れたゼノに合流出来たという、たったそれだけの感覚。記憶と時間がそこで止まっていたのだから寂しさも何もなかった。

 だが本当に二百年経っているとしたなら。

 ゼノはその間ずっと一人。


「……私達のこと、覚えていてくれた?」


 昔、アザレアに聞いた事がある。

 長い間生き続けるという感覚がどんなものなのか。周囲がどんどん変わっていくのを、どうやり過ごすのか。

 アザレアは、昔のことは忘れるようにしている、と言っていた。いつまでも覚えていると辛くなるからと。

 サラも同じことを思い出しているのだろう、くしゃりと泣きそうに顔を歪めた。


「お父さん、も、お師匠様みたいに、昔のこと……わたし達のこと、忘れちゃった……?」


 鼻を啜りながら呟かれた言葉に、ゼノは大きく頭を振った。


「お前達の事を……忘れた日なんかねえよっ……俺の大事な……」

「だったら、お父さん辛かったよね」


 アーシェは立ち上がってゼノの元まで行くと、ぎゅっとゼノに抱きついた。サラも泣きながら後に続く。


「ありがとう。忘れないでいてくれて」

「お父さんっ……」


 ゼノは強くない。大事な家族を失った時、とても脆くなる。

 アーシェはそれをよく知っている。

 母が死んだ時の事をアーシェはよく覚えている。

 体が弱かった母は、自分が長く生きられない事を自覚していて、アーシェにはその心構えを常にさせていた。アーシェはそれがとても辛くて嫌だったのだが、母が亡くなった時のゼノの放心状態を見て得心したのだ。母はこれを見越していたから、アーシェに心構えをさせていたのだと。

 二人共に倒れてしまわないように。それが母が出来る唯一のことだったから。それしか、母にはできなかったから。

 ゼノは非常に家族に対する情が深い。

 母が体調を悪くするたび、この世の終わりのような顔で、何も手につかなくなることしばしばだった。

 そんな父を母は困ったような顔で見つめ、その度にアーシェは、ごめんなさいね、ゼノをお願いねと頼まれた。

 サラを養女に迎えたらいいという母の提案も、自分がいなくなった後のことを考えてのことだったと思う。アーシェ一人でゼノを背負うのは大変だろうと考えてくれたのだと。

 だから、そんなゼノが二百年も一人で過ごしてきたというのなら、それがどれほど辛く大変なことだったのかアーシェにはわかる。


「ありがとう、お父さん。——それから」


 アーシェも滲んだ涙を拭って、こちらを黙って見守ってくれているデュティに向き直った。


「お父さんを一人にしないでくれて、ありがとうございました。デュティさん」


 ぺこりと頭を下げると、デュティは無言のまま軽く頷いた。

 しばらくはゼノの嗚咽とサラの啜り泣く声が続いていたが、次第にそれも落ち着き、アーシェとサラも椅子に戻った。お茶を飲み、改めてデュティを向き直る。


「それで、二百年前に何が起こったのか、教えてもらえますか?」


 ゼノがびくりと肩を震わせたが、アーシェはゼノを見ずにデュティを見つめたまま目を逸らさなかった。

 自分達が眠る直前の記憶に、このオオカミの被り物があった。だから、彼なら知っていると思ったのだ。


「そうだね……うん。僕から話そう。正直なところ、何が起こったかをゼノは正確に理解していないだろうからね」


 デュティはゼノをちらりと見てから、アーシェに頷いてみせた。


「突発的に魔族が大量に現れて、ヴェリデ王国近隣を脅かしているというのが事の発端だったね。今までの魔族の動きとは異なる類いのもので、アザレアや関係者が調査した結果、ヴェリデ王国内の特定の地域におかしな瘴気が発生する場所があることがわかった。そこから魔族が発生しているということを突き止めて、その場に大規模な結界を展開し魔族を封じ込めることになった。——ここまでは、君達からしたら昨日までの記憶だからわかるよね?」


 デュティの説明に、アーシェとサラが頷いた。


「はい。結界を張るお師匠様の準備をお手伝いしましたから」

「そして、五重の結界を三重まで張ったところで、魔族が現れました。ヴェリデ王国やルクシリア皇国の騎士団の方や、レーヴェンシェルツの冒険者達と一緒に、私達もその場で魔族退治を行おうとしていたところまでは、覚えています。魔族と闘った記憶はありません」


 そう。闘った記憶はない。魔族が空間から溢れるように現れたのを見たのは確かだ。

 そうして見たのだ。確かに空間の裂け目を。

 そして父の後ろ姿にデュティのオオカミの被り物。

 それがアーシェが覚えているすべてだ。


「うん、そうだね。あの場所には空間に亀裂があって、そこから別の世界の魔族が転移してきていたんだよ。瘴気もその亀裂から漏れ出てたんだ。そしてその亀裂には、とても恐ろしい意味があった」


 デュティはそこで一旦言葉を切ると、ふう、と息を吐いて視線をテーブルに落とした。


「僕はあの時この箱庭にいた。情けない事に、ゼノが第六盟主と対峙した時に初めて、何が起ころうとしているのかを知ったんだ。アザレア達が予想しているよりももっと恐ろしい、別の世界の一部をそのままそこに転移しようとしているって。そして慌てて君たちの所に駆けつけたんだよ。そのままだと転移に巻き込まれてヴェリデ王国を中心に東の大陸の半分は一瞬で死に絶えることがわかったからね」

「っ!」

「大陸の半分——」


 サラが息をのみ、アーシェも呆然と呟いた。ゼノも徐に顔をあげてデュティを正面から見つめた。


「そんなにか」

「うん。第六盟主が座標の役割と転移の魔力を担っていたんだ。ゼノが正しく斬り捨てることによって座標が失われ、この世界にとどまる力を失った第六盟主は、亀裂からあちら側に引き戻された。第六盟主の魔力で亀裂も閉じたんだよ」


 第六盟主に狙いを定めたゼノは流石だったね、とデュティに褒められてゼノは眉根を寄せた。


「僕ですら第六盟主を確認して初めて企みを知ったのに、なんでゼノは最初からわかってたの?他の盟主達も知らなかったみたいだよ」


 心底不思議そうに問われて、ゼノは頭を振った。


「説明出来る理由はねえよ。ただ、あいつをこそ斬らなきゃならねえ、と思っただけだ」

「ゼノはそういう不思議なところあるよね」


 理屈じゃなく、剣士のカンってやつかな?と問われて肩をすくめる。

 そんなことはゼノにだってわからない。


「じゃあ、私たちが受けた呪いというのはなんでしょう?」

「盟主はそれぞれ特徴的な力を持ってる。第六盟主の力がまさに呪いだったんだよ。ちょうどあちらとこちらで繋がった状態の時にゼノに斬られた彼は、こちらの世界で姿を保てなくなって、存在そのものが呪いになった。あちらの世界に引き戻される時に力の綱引きが起こって、あちらの世界の彼の呪いが一瞬膨れ上がり亀裂から溢れ、そのままこちらの世界の彼の呪いを取り込んであちらに引き戻した。奇しくもそれが亀裂の修復に繋がったから、被害はその一瞬だけで済んだんだ」

「じゃあ、私達が受けたのは第六盟主の呪いなんですか?」

「うん。それもこっちじゃなく真性のあちらの力での呪いだから強力だったんだよ」

「真性の呪い……」


 アーシェが呟きながら、身震いして自身の腕をさすった。サラは口元に手をあてて何事かを考え込む。ゼノもテーブルの上で両手の拳を握りしめてじっと考え込んだ。


「あの、私たちは眠っていたと聞きましたけど、その場にいた他の人たちはどうなったんですか?それほどの呪いを受けて無事だったんでしょうか」


 アザレアの元にいたので、サラは魔術関係やそういった呪いにも多少の知識があるからこその疑問だ。

 その言葉にテーブルの上で握りしめていたゼノの拳がびくりと動いた。

 それだけで、サラとアーシェは大体の事情を悟った。軽く息をのんだ二人の視線がテーブルの上に落ちる。


「皆を助けるには時間が足りなかったんだ。——というより、二人が助かったのはほんの数秒——わずか三秒の猶予があったからだよ」

「——三秒? たった三秒なのか?」

 その事実に驚いてゼノが顔を上げた。デュティがこくりと頷く。

「二人は精華石のアクセサリーを身につけていたよね?」

「つけてます。今もここに——え?」


 そう言って首にかけていたペンダントを首元から取り出して、そこに嵌めてあった石の姿がないことに気付き愕然とした。サラも同じようにペンダントを手に固まっている。


「そんな……! いつの間に……!?」

「その精華石が瞬時に呪いを受け止めて、砕け散るまでが三秒だよ。他の人達は空間の亀裂を目にした瞬間、訳もわからぬ間に命を落としたんだ。幸いなことは苦しみも痛みも感じる間はなかったという点かな」


 魂まではわからないけど、と続けられた言葉にサラが悲痛な顔をした。

 呪いに飲まれたのであれば、死してなお捕まっている可能性はある。

 あの場にいた顔見知りの面々を思い出しながら唇を噛み締め、ぎゅっとペンダントを握りしめた。


「その三秒のおかげで、僕の防御結界が間に合った。僕がもう少し早く辿り着いていてもあの場にいた人達を助けるのは難しかったけれどね」


 呪いが強力すぎたんだ、と言われてアーシェはデュティを不安そうに見た。


「デュティさんは——大丈夫だったんですか?私達を助けてくれたのなら、デュティさんもその呪いを受けたんじゃないんですか?」


 アーシェやサラの心配そうな視線を受け止めながら、デュティは小さく頭を振った。


「僕は大丈夫。耐性があるからね」

「それなら良かったです……そんな危険な状況だったにも関わらず、助けていただいてありがとうございました」

「ありがとうございます」


 二人が改めてデュティにお礼を告げる様子を黙って見ていたゼノは、頭をガシガシとかいて、はあと大きく息をついた。


「そうだな。俺からも改めて礼を言わせてくれ。娘達を助けてくれた上に、その後も二人をここでずっと守ってくれて助かった。お前のおかげで——また二人に会えた。本当にありがとう」

「——僕は僕に出来ることをしただけだよ」


 テーブルに手をつき頭を下げるゼノを見つめながら、デュティはどこか困ったように告げて、そっと顔を逸らした。


「ゼノの助けになったのなら、本当に良かったよ」


 小さく、本当に小さく呟かれたその言葉は、アーシェの耳にしか届かなかった。


「あれから何も起こってねえし、第六はあっちの世界に——戻った?と考えていいんだよな?」

「そうだね。真性の呪いが発現していたということは、彼も無事ではないと思うよ。あっちでも姿を保てているかどうか」


 ふふふ、と笑う姿はどこか酷薄に見えた。


「第六盟主の狙いは、あちらの……彼らが住んでいた世界をここに転移させることだったんですか? 何のためにでしょう?」


 サラが小首を傾げながら問えば、デュティも腕組みをしながら首を傾げた。


「それは僕にもちょっとわからないな……ただ今はそういった干渉が一切感じられないから、大丈夫だと思うよ」

「……あちらの世界っていうのが、リタの前世の世界で間違いねえんだな?」

「——君の前世でもあるね」


 あの世界の呪いはあの世界の聖女の力で解けると昨日説明されたが、それでも確かめるように尋ねたゼノに、デュティはそう言い添えることでゼノが真に尋ねたいことを肯定した。

 デュティに断言されるとそれはもはや確定事項だ。

 ゼノも納得せざるを得ない。

 リタとフィリシアと自分と——箱庭。無関係であろうはずがない。

 だがこの、言い知れぬ危機感はなんだろう。

 自分の中で警鐘が鳴っている。


 ——それ以上知ってはいけないと


 強い忌避感。


「この世界の聖女より、あちらの世界の聖女の方が強いということか?おまけに、カグヅチ達ですら解呪出来なかったのはなんでだ?」


 これ以上前世にまつわる話題は避けた方がいいと判断したゼノは、もう一つ気になっていた事を尋ねた。

 娘達を解呪出来なかった理由。

 これまでに存在した聖女も、ヒミカ達も解呪出来なかったという第六盟主の呪い。カグヅチにも呪いの解呪は専門外だと言われた。

 神というのは何でも出来ると思っていたが、カグヅチやヒミカ達にも出来ないと断言された理由はなんだったのだろうか。


「第六盟主の力があいつらより強いってことはねえだろ」

「うん、そうだね……質の違いとでも言おうか。瘴気は問題ないんだよ。でも呪いというのはまた特別なんだ。ソリタルア神とカグヅチ達の神格が異なるように、聖女にも格がある。——もし、アザレアの聖女の力が健在だったなら、彼女なら解呪出来たと思うけどね」

「は?」


 予想外のことを聞いたと言わんばかりに、ゼノがあんぐりと口を開いて聞き返した。


「あいつに? あいつ、そんなに強い力を持ってたのか?」

「ゼノはアザレアを見くびってるよ。——まあ彼女も色々隠してるけどね。アザレアはフィリシアほどの強い力を持っていたよ」


 ——なんだって?


「それは——だったら……なんであいつ、その力を失ったんだ?」

「僕の口からは話せないな」


 アザレアに直接聞くといいよ、と少し悲しそうに笑ったのがわかった。


「ただ言えることはね、強い光には強い影が必要だということだよ。不要なように見えてちゃんと意味があるんだ。——この箱庭に幽鬼が存在するのも同じ理由だよ」


 静かに告げられて、ゼノは無言のままデュティの目を見つめた。被り物ではっきりとは見えないが、真摯にこちらを見ているのが何故かわかった。

 箱庭の幽鬼——それが箱庭の影だとするなら。

 光とはなんだ?

 白の聖女フィリシアは確かここにいるんだったよなと思い出す。

 光とは彼女の事だろうか。

 だが、幽鬼はそう強くない。どちらかといえば上位魔族よりもずっと弱い。

 力の強さが釣り合うならば、きっと幽鬼と白の聖女では釣り合わないだろう。幽鬼と力が釣り合う程度の光とはなんだろうか。

 いや、それよりも。

 アザレアが力を失ったことの理由のひとつに、強い影を失ったことが関係するならば……


 何かが結びつきそうで、だがそこに辿り着けないもどかしさを感じてゼノが眉根を寄せたとき、「さて」とそれまでの重苦しい雰囲気を打ち切るように、デュティが明るく言って立ち上がった。


「難しい話はこれで終わりにしようか。もうすっかり日も暮れたしね。後で夕食を持ってくるから、今夜は家族水入らずで過ごすと良いよ」


 またね、と言い置いてデュティが裏口から出て行くのを見送り、部屋には三人だけが残された。


「お師匠様って、強かったんだ」

「ああ……あれが本当なら、リタより強い力を持ってたことになるな」


 ()()()ではどっちも負けてねえ気がするけどな、と頭をガシガシとかきながら告げるゼノに、アーシェがふふ、とおかしそうに笑った。


「どうした?」

「お父さん、全然変わってないと思って。その頭をかく癖」

「うん。二百年経ってるってまだ全然実感わかないね。お父さんちっとも変わらないから」

「安心するね」


 ね、と頷き合う娘達にゼノが目を見開いて、次いで気まずそうに鼻の頭をかいて二人から目を逸らした。


「……なんか褒められてねえような気もするな……」

「すっかり変わっちゃってたら、私達も戸惑うもん。複雑だけど、カグヅチ様に感謝しなくちゃいけないのかな?こんなに眠っていたのに、お父さんがまだいてくれたんだもん」

「う〜……でももうお父さんの時間を止めるの辞めて欲しい」

「それは本当だね……二百年独り占めしたなら、そろそろ離れて欲しいね」

「ね」


 と、娘達に散々文句を言われたカグヅチが、ゼノの中で “ぐぬぬっ……!” と呻いていたのが聞こえたが、ゼノはもちろん無視した。

 ゼノだって娘達と同じ気持ちだったからだ。

 娘達に置いて行かれるなんて二度とごめんだ。


「とりあえず、ご飯食べられるように台所片付けて食器を出してくる?」

「そうね、準備しましょう。——あ、お父さんの好きなお酒、飲みかけの瓶が道具箱に入ってたから、それ出してみるね」

「マジか。そんな物も入ってたのか、あれ!?」

「……お父さん、全然見てないのね……」

「何してたの、二百年」


 呆れたように言われて、ゼノがうぐぅっ、と呻いた。

 なんだかこんな風に叱責されるのも懐かしい。

 嬉しいが、あまりに呆れられると悲しくなるから、ちゃんとしねえとな、と自身の行動を改めることを決意したゼノだった。 



 


少し重たい場面はこれで一旦終了できるかな。

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