(三)黄金の聖女の解呪
翌朝、あてがわれた部屋でいつもより早く目覚めたリタは、室内の大きな窓から箱庭の街を見下ろしていた。
昇り切らない柔らかい朝日に照らされる街並みは、言われなければここが箱庭だとはわからない。ゼノの言う通り、外界と大きく変わる所はないように見えた。
昨日あれからゼノと二人で夕食をとり、ゼノが自宅へ帰った後、リタはこのあてがわれた部屋に案内されると、風呂に入って早々に休んだ。
解呪に備えて体力を万全にするためだ。
だがそう思って寝台に身を横たえても眠りは中々訪れなかった。
――フィリシア様がここにいる
そう考えると落ち着いて眠るどころではなかった。
どきどきと胸が高鳴り、喜びで心が満たされる。
また会うことが叶うかもしれない。そう考えただけで落ち着きなんか吹っ飛んでしまう。
前世でどのような別れ方をしたのかリタはまだ思い出せていない。ただ自分が置いて行かれたことだけは確かだ。
デュティからの用事のひとつにフィリシア様へ無事で元気だと伝えることがあるなら、フィリシア様にお会いすることができるのだろうか。休眠期で眠りについているというフィリシア様。お姿は夢の中と変わらないのだろうか。
「いけないわね……解呪があるんだから、気合を入れないと」
デュティは、一度では済まないと言っていたのだ。それだけ体力と精神力を使うかもしれない。何より初めての解呪だ。勝手がまったくわからない。
「絶対に、助けてみせるんだから」
浮かれる頬をぱちんと両手で叩き、リタは気合を入れ直した。
* * *
デュティに誘われゼノと一緒に朝食をとったあと――本日の被り物は、黒いウサギの真面目顔バージョンリボン付きだった――三人はゼノの娘達が眠る部屋へと向かった。
二人は何度も通った道なのだろう。迷いもなくどんどん進んでいくのを、遅れないようにリタが後に続く。
部屋は外ではなく塔の中にあるようで、リタが泊まった部屋よりもさらに下の階層にあった。
実のところ自分が泊まっている部屋も、今向かっている部屋も塔の何階に該当するのかリタにはまったくわからない。
というのも、昨日応接室を出た後に廊下の雰囲気が変わっていたからだ。塔の中自体で空間が変わっているように感じた。
ひょっとするとこの塔から出るにもデュティの許可がなければ難しいのかもしれない。
かなり厳重なのね。
もはや驚きを通り越して感心する気持ちの方が強い。どうなっているかを考えるレベルはとうに超えている。
ゼノが聞いてもわからない、というのはゼノのせいではなく根幹がもはやリタ達の考えの及ばない所なのかもしれない。
箱庭の魔術や魔法は外界とは異なるものなんだわ。
と、結論づける方が心穏やかに過ごせそうだ。
そんな事をつらつらと考えていたリタは、二人の歩みがある扉の前で止まったのを見て、緊張からごくりと息を呑んだ。
扉の上には花のプレート。花の種類はリタにはわからなかったが、白い壁とアクセントの青い意匠に囲まれたこの空間で、そのプレートの花は黒色をしていた。
デュティがそっと扉を開けて中に進み行くのに続いて中に入ると、扉はリタが入った後にぱたんと自動で閉じた。
部屋の中央には硝子の箱で囲まれた四角い台のような物が鎮座していた。中には花が敷き詰められていてちょっとした花壇のように見える。
二人はその台の所まで近づくと、デュティがリタを振り返った。
「ここが寝台。娘さん達が眠っているところ」
説明されて、拳を握りしめてから台まで近づき中を覗き込んだリタは、思わず上げそうになった悲鳴を口許を押さえることでかみ殺した。
「……っ!?」
――黒い。
黒い。
白い花が敷き詰められたその箱の中央に、黒い大きな物体が横たわっていて、それが人間の子供だと言われてもわからない。その禍々しさが触れてもいないのにはっきりと感じられてリタは思わず一歩後ずさった。
「これって……!」
短く叫んだ声が震える。
「うん。黄金の聖女にはちゃんと見えてるね?そう、これが呪いだよ」
デュティの確認するような冷静な声に、リタは口許を押さえたままがくがくと震えながら頷く。
肌が粟立ち身体の奥底から震えがおこるのを止められない。
こんな禍々しいものを見たのは初めてだ。
「これ……こんな状態で、本当に無事なの……?」
聞いていた話が本当なら、この塊は二人の少女の筈だ。
だが目の前の黒いそれは、とても少女二人の容量ではない。おまけにこの禍々しくも恐ろしい物に包まれて果たして無事でいられるのか。生命の話だけではない。心が無事でいられるのか……
「……俺には眠る娘達の姿しか見えねえんだが、リタにも違うものが見えてんのか?」
リタの様子に困惑しながら問うゼノに、リタは逆に驚いてゼノを見た。
「ゼノにはこの呪いが見えないの……!?」
瘴気や魔核ははっきりと見えているのに、この呪いが見えないなんて逆に信じられない。
「見えねえな」
「……!? ああ、でも見えない方が良かったかもしれないわ。こんな姿を見たらとても平静ではいられないもの」
「……そんなにひでえのか」
「瞬殺されたっていうの、理解できるわ……こんな呪いが触れたらそれだけで、もう……」
正直、今も生きているというのが不思議なくらいよ、とは流石に口にはしなかったが、リタの表情から読み取ったのかもしれない。ゼノが急に不安そうに眉根を寄せてデュティを見た。
「解呪さえ出来れば、娘達は大丈夫なんだよな……?」
「そうだよ。呪い自体は娘さん達に直接触れてないから心配いらないよ。呪いに捕まるより先に防御できたからね。ただ、黄金の聖女ならわかると思うけど、触れてなくても呪いに捕まったら身動き取れないんだ」
「でしょうね」
黒い塊を見ていればそれは理解できる。これは動けない。防御がなければこの呪いに押しつぶされ呑まれ同化されていたに違いない。だが、防御があったとしても意識があったなら耐えられずに精神を壊されているだろう。
はっとしてリタはデュティを振り仰いだ。
「もしかして、……呪いから心を守るために眠らせているの?防御で身体への悪影響を防げても、意識があれば心が壊れてしまうから?」
「さすがだね。その通りだよ。彼女達を眠らせているのは防御結界の力。呪いそのものじゃない」
「呪いから守るためにデュティが眠らせてるだけってことか?だから、呪いさえなんとかできれば無事だと?」
「防御結界がね。だから心配はいらないよ」
二人のやりとりを側で聞きながら、ごくりと息を呑み込むとリタは覚悟を決めて台に近寄った。
姿どころか人の形さえ認識できない黒い塊。
だが、これはゼノの大切な家族なのだ。
――私に助けることが出来るなら、絶対に助ける。
そう決めてここに来たのだ。
「どうすればいいの?」
覚悟を決めて、リタはデュティを振り返り尋ねた。
そのリタの目を真正面から受けたデュティは、虚を突かれたように一歩後ずさり、じりじりとリタから距離を取りながらゼノを楯にするように背後に移動した。
「台の手前に魔石があるでしょ?そこから神聖力を流し込むんだ」
デュティの行動の意味はわからなかったが、今のリタにはどうでもいい。言われた通りに台の手前には板のような物が付いていて、確かにそこに魔法陣が刻まれされ中央に魔石がはめ込まれている。
「この魔石ね」
「呪いを剥がすように念じながら力を流し込んでみて」
深呼吸をひとつしてから、リタは魔石にそっと手を重ねた。
――助ける
そう心で念じて、聖女の力――神聖力を魔石に注ぎ込んだ。
途端に箱の中にまばゆい黄金色の力が満ちる。
だがそれと同時に、呪いの抵抗力――呪い自身の力の反発が魔石を介してリタにも襲いかかってきた。
――殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死んで朽ち果てろ
――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
「……っ!」
強烈な悪意。
いくつもの怨念と悪意と憎しみが、呪いに直接触れた訳でもないのにリタの身体の自由を奪い精神がそちらに引きずられるそうになる。
負ける……ものですか!
ぎりぎりと歯を食いしばりながら、叩き付けるように力を振り絞る。
絶対に絶対に助けると……誓ったんだから!今度こそ、私は皆の役に立ってみせるのよ……!!
こんな呪いなんかに……!!
――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死んでしまえ!滅びろ
――ころす、コロス、殺す殺す殺してやる殺す殺す殺すコロスころす
――滅びろ滅びろ滅びろ滅んでしまえ潰す死ね消えろ消えろ潰れろ
なんて、なんて強い悪意……!
頭の中に悪意が響き渡り、その悪意で感情も思考もすべて押し流され何も考えられなくなる。
抗う気持ちが悪意に押されて塗り替えられていく。
――やめて!
「――リタ!」
うう、と黒い感情に呑まれそうになった時、誰かにぐいと身体を抱き留められ魔石のある台座から引き離された。
「……っ、はあっ、はあっ、……はあっ……」
大きく肩で息をしながら、突然やんだ悪意の奔流に目眩を覚えて足下がふらつき立っていられなくなり、膝から崩れ落ちた。そんなリタを後ろから抱き留めていたのはゼノだ。
「ん~、初めてだとこんなものかな」
どこかのんびりとしたデュティの言葉に、リタはここがどこだったのかをぼんやりと思い出した。
「ちょっと休憩した方がいいね。もう一時間たっちゃったし」
え……? 一時間?
リタの感覚ではほんの少ししか経っていない感じだ。
膝に力が入らずゼノに抱きかかえられたまま、ゆるゆると箱に目を向けるが、黒い塊にはまったく変わりがないように見えた。
少しも……祓えてないという事……?一時間かけても?
その事実にゾッとする。
こんなことで、この呪いを本当に私に解く事が出来るの……?
疲れと負の感情に曝され続けた影響で、リタの心に影が落ちた。
やはりフィリシア様でなければ、こんな強い呪いを解く事なんて出来ないんじゃ……
「無理するなよ? お前さんに何かあったら、俺ぁ、アインス達に顔向け出来ねえ」
心配そうに声をかけられて、挫けそうになっていたリタは顔を上げた。声音通りに心底リタを心配するゼノの顔があって、リタは唇を引き結んだ。それから、ふ、と微笑んでみせた。
「大丈夫よ。初めてだから呑まれかけただけ。次はもっと落ち着いて出来るわ」
――そうよ。あんな呪いになんか負けてられないわ
今度こそ私がゼノを助けてみせるんだから!
ぎゅっと拳を握りしめ、未だ震える膝に力を入れながら自分の足で立ち上がる。
心配気にリタを支えたままのゼノの腕に手をかけ支えにしながら、ふうと大きく息をついて、今度こそ自力で立った。
「大丈夫。少し休憩を挟んでまた頑張るわ」
強がりでもにこりと笑ってみせた。
「ここのソファで冷たいものでも飲んで少し休むといいよ」
しばらく黙って様子を見ていたデュティが、いつからあったのか――部屋に入った時はなかった筈だ――ソファを示し、テーブルの上には透明の水が入ったボトルが置いてあった。
その申し出に素直に従い、リタはしっかりとした足取りでソファまで歩み寄ると倒れるように腰掛けた。ボトルの蓋を開くと、爽やかな柑橘系の香りがしてホッとする。冷たい水を喉に流し込んではじめて、喉がカラカラに渇いている事を自覚した。
ボトルを空にしたところでようやくひと心地ついて、リタは大きく息を吐いた。
「手強いのね」
「そうなのか……」
不安気に揺れるゼノの瞳を見ながら、リタは自らの両頬をパチンと叩いた。
「おい」
「大丈夫よ! やると言ったら私はやるわ! 不安でしょうけどそこで見ていて!」
にっこり笑って宣言したリタに何かを言いかけて口を噤むと、ゼノはポーチをごそごそと漁り、中から精華石を取り出しリタに手渡した。
「こいつで少しでもお前さんの疲れが癒されればいいんだが……」
「これ……」
見たことがなくてもこれが貴重な精華石だとすぐにわかった。小ぶりな澄んだ青色の清澄な気を纏う石。
浄化の力を持つという稀有な精華石。
手の平にあるだけで先程の呪いの悪意で受けたダメージが薄れるように感じて、ほう、とため息をこぼした。
「きれい……」
「あ!それなら、神聖力の回復にはこっちの石が効くかも」
二人の様子を見ていたデュティがぽんと手を打ち、いそいそとこちらに近づいてくると、リタの手の平に同じサイズの石をころんと乗せた。
こちらはゼノから手渡された石とは色が異なり、白く澄んでいた。
重要なのは色ではない。この石から感じるのは――
「フィリシア様の力……!?」
「せいか~い。これね、夜の精華石。この石は力を吸収する能力があるから、白の聖女の神聖力を溜めてるんだ。これにちょっと手を加えてね、少しずつ力を放出させることが出来るようにしてるんだよ。これで呪いを薄めてきたんだ」
握ってごらんよ、と言われてそっと包み込むように握り締めれば、フィリシアの力を先程より強く感じとることができた。
じわりと目の前の景色が滲む。
「――え!? ど、どどど、どうしたの!? どうしよう!?ぼく女の子泣かせちゃった!!」
驚いたようにデュティが叫んでゼノの背後に飛び退いた。ゼノ越しにリタをちらちら見ながら、どうしよう、どうしようと焦って被り物がぶんぶん揺れる。耳で叩かれる形になったゼノが顔を顰めていたが、デュティはもちろん気づかない。
「あ、違うの、ごめんなさい。嬉しくて……」
こぼれた涙を手の甲で拭いながら、リタは慌てて弁解した。
「夢でフィリシア様を見た朝は、いつも凄く落ち込んだの。どこを探しても会えない人だって無意識にわかっていて……先日ミルデスタでフィリシア様を感じることが出来たけれど、あれは私の夢の中のフィリシア様。過去の事だったもの。でも、今あなたがくれたこの石から感じるのは、ここに存在するフィリシア様の力なんでしょう? そう思ったら自然と……」
今すぐには無理でも、いつかは会える人。
ずっとずっと会いたかった。夢で見るたび淋しくて仕方がなかった。それだけリタにとっては特別な人だったのだ、フィリシアは。
ぐす、と鼻を啜りながら、リタはぎゅっと二つの精華石を胸元で握りしめた。
「……ありがとう。任せておいて。必ず二人の呪いは解いてみせるから」
* * *
休憩を挟んですぐにまた解呪に取り掛かったリタを、デュティはゼノの背後で見つめていた。
泣き出された時は本当にどうしようかと思った。女の子でかつ黄金の聖女を泣かせたと知れたら、それこそ白の聖女に怒られる。彼女は怒ると怖いのだ。
それにしても本当に白の聖女のことが好きなんだね。
くるくると指でローブの裾をいじりながら、真剣な表情で解呪を行っているリタを見つめる。懐いてくれていた、とは聞いていたけれど、泣くほど好かれていたとはデュティは聞いていない。
でも喜んでくれたのならよかった。彼女には無茶をさせているから。
この呪いは強力だ。受けたことのあるデュティにはよくわかっている。デュティ自身が呪いへの耐性が高かったこともあり、ゼノの娘達のように昏倒もしなければなんの影響も受けなかった。ただ自分では解呪が出来ないので、黒いものがずっと腕に纏わりついて邪魔なだけだった。
あの時は白の聖女が健在であったのでさくっと解呪をしてもらった。白の聖女の強力な神聖力とデュティの耐性で呪いの濃さが二人よりも薄かったこともあり、解呪には時間を要しなかった。それこそ一瞬だった。
デュティの見る限り、リタの神聖力は白の聖女よりもずっと弱い。
元々の力の強さが違うのももちろんだが、ひょっとしたら生まれ変わったために弱くなっているか、力が目覚めてまだ時が経っていないせいかもしれない。
どちらにせよこの力では解呪には三日……いや五日はかかりそうだ。
――それでも、白の聖女の目覚めを待つよりは断然早い。
心配そうにリタを見つめるゼノを窺う。
ゼノの事は最優先で助けてやって欲しいと念押しされているし、デュティもそうしてやりたい。この解呪は今のリタには少々キツいかもしれないが、それでもやっぱりゼノを優先してあげたい。
――黄金の聖女は芯が強くていい子なんだって言ってたし、彼女以外に解呪ができる人が今この世界にはいないし、仕方ないよね。解呪が終わったら、うんと優しくするからそれで許してもらおう。
デュティは心の中でそう勝手に決めて、うんうんと一人頷きながら解呪を見守った。
一時間解除を行い、一時間休むということを二度ほど繰り返したところで半日が過ぎた。
リタの顔色の悪さにゼノが落ち着かなくなった事もあり、昼休憩を少し長めにとることにした。
「大丈夫よ」
リタはそう言うが、顔色は悪い。
食欲もあまりなさそうで、水分と糖分を少し口にしただけだ。
「今日は初日だし、これぐらいにしておく? いきなりだとキツかったでしょ?」
さすがにデュティも心配になって今日は終わろうと提案してみる。肝心要の聖女が呪いに呑まれて捕まってしまっては元も子もない。
「そうしよう。リタに無理させるもんじゃねえよ」
ゼノも眉を顰めながらリタの体調を気遣う。だがリタは静かに首を振った。
「少しでも早く、あんなものから解放してあげたいわ」
「だが」
「大丈夫よ。コツが少しわかってきたの」
体調は悪そうだが、不敵に笑うその姿は強がりでもなさそうだ。
リタはフィリシアとゼノの精華石をぎゅっと胸元で握りしめながら目を閉じてソファに身を沈めた。
静かに大きく息を吸い、ゆっくり少しずつ息を吐き出すのに合わせて、リタの中の神聖力が整えられていくのをデュティは感じた。
自分の中に存在する神聖力を無造作に放出していたものを、身体の中でゆっくりと練るように力を整えている。それにより少しずつ少しずつ力が強まっていく。
―― モノにするのが早いな
そういえば、彼女は今冒険者だったか。
危機に瀕する事が多い職業だ。その中でどうすれば良いかを常に工夫する習慣が身についているのかもしれない。
凄いなぁ、とデュティは素直に感心した。
しばらくそうやって力を整えながら休憩していたリタは、ついと立ち上がった。
「本当に無茶するなよ」
「ええ、わかってるわ」
リタの中の神聖力の様子が見えないゼノにはこの変化はわからないだろうが、リタの瞳に宿る強さに止めるのを諦めたようだ。何かあればすぐにリタを助けられるように、台の前に立つリタのすぐ横にゼノも同じく並び立つ。
リタが呼吸を整えて魔石に触れた。
デュティは目を瞠る。
――午前中よりも強くなってる
先程までとは異なり、呪いが剥がされていくのがはっきりと見えた。全体ではないが、少しずつ少しずつ、頭部付近になるだろうか。ピンポイントでその部分の呪いが薄くなりデュティも目にすることが出来なかった娘達の顔が見えそうだ。
コツを掴んだというのは本当みたいだ。
デュティが感心しながらリタの解呪の様子を見守っていると、順調に頭部付近の呪いを剥がすように薄めていたリタが、突然目を見開いて固まった。
「?」
どうしたのだろうとデュティはリタを窺うが、ここからでは何があったのかがわからない。箱の中に特に異常は感じないが、彼女にだけわかる何かがあったのか。ゼノは解呪の様子がわかっていないので、リタが固まっている事にまだ気付いていないようだ。
まさか、呪いに捕まった――?
午前中ならともかく、今のリタからはその可能性は考えられないが、何かが起こったのは間違いないようだ。
――止めた方がいいかも。
「――ゼノ」
デュティが心配になって一歩踏み出したとき、リタが静かに呟いた。
「どうした」
これまで解呪中に声をかけられたことなどない。ゼノもようやくリタの様子に異常を感じて緊張した面持ちでリタを見つめた。
「かわいい」
「ん?」
「え?」
何が?とデュティが首を傾げた時、リタがかっと目を見開いてゼノを見た。
「娘さんたち、可愛いわ!」
「そうだろう」
「ええ、かわいい!」
「当たり前だ!」
「本当にかわいい!!」
「そうだろうとも!」
「かわいい!」
「おうよ!」
「え?待って、ちょっと待って。どうしたの、一体」
かわいい!だろう!といつまでも止む事なく言い合う二人に、デュティが慌てて待ったをかけた。
放って置いたらこの掛け合いは終わらないかもと判断したデュティはある意味正しかったといえる。今もまだかわいい、かわいいと叫ぶリタにゼノが満更でもない返しをし続けている。
ハインリヒというツッコミストッパーがいないので、どちらも止まらないのだ。
「こんなに可愛いなんて聞いてないわ!名前はなんていうの?」
先程までの顔色の悪さはどこへやら、なんだかとても楽しそうなリタに、あれえ?とデュティは首を傾げた。
「黒髪がアーシェ。茶髪がサラだ」
「アーシェとサラね。目覚めたらちゃんと私にも紹介してね」
「もちろんだ」
「はぁ……俄然やる気が出てきたわ!」
――え、だったら今まではなんだったの。
リタの言葉にええ?と心の中でデュティがツッコミを入れたが、口にしていないのでもちろんリタにもゼノにも届かない。
だが問題はそんな事ではない。
やる気が出てきた!と宣言した通り、リタの力がどんどん強くなっていく。先程まではカンナで削るような、如雨露で洗い流すような程度の神聖力で呪いを薄め剥がしていたのに、今は力任せにむしり取る勢いだ。
今この瞬間は白の聖女に勝るとも劣らない神聖力を発揮していると、どちらの力も見た事のあるデュティは断言できる。
「うわぁ! なにそれ」
どんどんむしり取られて呪いがあっという間に剥がされていくのに、デュティが思わず驚きの声をあげた。
「いつまでもこの子達にこんな醜いものを貼り付けていられないじゃない!私が許さないわ!」
「いや、でも……凄くない!?さっきまでと全然勢いが違うよ!?」
「当たり前じゃない!囚われの女の子の顔がはっきり見えたのよ? 一秒でも早く助けてあげたいじゃない!」
えええ~~~?
被り物の上から自分の両頬を押さえてデュティが叫ぶ。
午前中は呪いに当てられてフラフラだったのに、今の勢いはもはや別人だ。
デュティはふらふらと台の方に近づいてゼノの横に立つと、そっと箱に手を添えた。これだけで彼には中の様子が窺える。
――コロス、殺す、ころ……
――憎い憎いにく……
――五月蠅いわね! いつまでこの子達に張り付いているつもり!?鬱陶しいのよ!!ねちねちと!
相変わらず呪いから発せられる悪意の感情が、リタの叩き付けるような神聖力に悪意の発露そのものが抑え込まれ、無効化され、容赦なくちぎり捨てられていく。
「はわわわ……」
「どうした?」
その勢いが凄すぎてデュティの口からなんとも言えない言葉が零れた。
「黄金の聖女の勢いが凄い……」
「女が絡むと容赦ねえからな」
あんなもんだ、と驚くことなく平然と告げるゼノにデュティが勢いよく食ってかかった。
「でもでも、さっきまでとは全然違うんだよ!?」
「女性はすべからく守り慈しむべきものってのがリタの信条だからな。女の敵には容赦ねえ」
そっちのスイッチが入ったらこんなもんだと、がしがしと頭をかいて応えるゼノの様子も、リタに不安を感じなくなったためか、いつも通りだ。
だとしても、だとしても凄くない!? 黄金の聖女ってぼくが聞いていたよりもずっとずっと――
だがデュティに賛同してくれる者はこの場には存在しなかった。
「もう一息ね!」
リタが叫ぶと彼女の神聖力がますます増していき、デュティは眩しさに目を開けていられなくなった。ゼノの背後に回って目を細めて箱の中を確認する。
リタの神聖力に呼応するように、寝台の箱の中にあるフィリシアの精華石までもが反応して、箱の中は神聖力で溢れかえっていた。
あと最低でも三日はかかるだろうと読んでいたのに、今や呪いはほとんど剥がされ、呪いでデュティにも見えなかった少女達の姿がはっきりと見えるようになった。
黒髪の少女と茶髪の少女が手を取り合って横たわっている。その表情は眠りのために窺えないが、茶髪の少女サラが黒髪の少女アーシェにしがみついているように見えた。
確かサラが妹だと言っていたか。
「これで終わりよ!!」
リタの力強い言葉と共に、少女達に張り付いていた呪いの外殻がすべて剥がされ、ゼノにも見える呪いの核が現れた。
ゼノの力になる <<<<<< 可愛い女の子を助ける というモチベーション
おじさんよりも女の子。




