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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(二)箱庭の管理者 デュティ



 門を潜った先は、大きな広間だった。

 部屋全体は円形で、天井は天窓になっていて大きな丸い硝子張りで青空が見えている。

 天窓から降り注ぐ柔らかな陽射しに照らされたその足元は、青い透き通った床で、大きな転移用の魔法陣が刻まれていた。

 周囲は白い壁で、一定間隔で突き出した柱には意匠のような青いラインと模様が描かれ、所々に青い瑠璃のような魔石が嵌め込まれていた。

 白と青に囲まれた、明るく清浄な雰囲気の転移の間は、外のあの大きな石造りの古めかしい門とはまったく異なり非常に美しかった。

 リタは室内の美しさにほう、とため息を零しながら天窓から見える陽が傾きかけた青空を見上げた。


「お帰り、ゼノ」


 うっとりと天井を見上げていたリタは、その声にびくりと肩を震わせ声のした方へ目を向けて――固まった。


「おう、って……なんだよそれは」


 気軽に応じて同じように声のする方へ目を向けたゼノも、呆れたような声で問うた。

 黒いローブに黒いウサギの被り物を被ったデュティが、片手を上げてそこに佇んでいた。いつも通り気配はない。

 箱庭を出るときもピンクのクマで目が痛いと思ったが、今日は黒ウサギだ。片耳はピンと上に伸び、もう片方の耳は途中で折れている。そしてそれぞれの耳の根本には大きな真っ赤なリボンと花冠が結ばれていた。

 そしてもちろん、笑顔だ――被り物が。

 被り物はもはや何も言うまい。いつものことだ。その黒ウサギの被り物だってゼノは見たことがある。だが被り物に何かがついていたことは未だかつてない。


「これ?可愛いでしょ? みんながね、女の子をお迎えするなら可愛くした方がいいってつけてくれたんだ」


 いや、被り物の存在感を主張してどうする――


 そんな事を吹き込んだ連中に想像がついて、ゼノは額を押さえた。


「俺に『可愛い』を聞くんじゃねえよ。っていうか、お前の被り物にリタが固まってんだろうが」

「あれ?怖かった?」

「呆れてんだよ」


 言い捨ててゼノがリタを振り返れば、案の定、どういう態度を返せばいいのかと固まったままだ。


「悪い。そういえばデュティが被り物をつけた変な奴だって伝えるのを忘れてた」

「変じゃないよ~。これはぼくの個性だってば。これがないと埋没しちゃうんだよ」


 そんな訳あるか! 気配を消すのも被り物も自分の趣味だろうがとゼノはジロリとデュティを睨んだ。

 ゼノの剣呑な雰囲気にリタも我に返ると、呼吸を整えた。


「初めまして。リタ=シグレンです。お招きいただきありがとうございます」


 すっと背筋を伸ばして一歩前に進み出ると、よそ行きの笑顔でそう挨拶するリタは、皇帝やヒミカ達の前とも異なる笑顔だ。ゼノが初めて会った時ともちょっと違う。


 ――これは警戒されてんじゃねえのか


 それは当たり前か、とゼノは頭をガシガシとかきながら思う。

 得体は知れないが敵ではない。警戒心を露わにすると失礼だが、まったく持たずにいられるほどクラスA冒険者のリタは鈍くない。

 こんな胡散臭い奴をそう簡単に受け入れられねえよな、とゼノは結論づけた。


 一方のリタは、デュティの姿に驚きはしたものの、ここは箱庭。外とは違うんだから、これが箱庭の普通かもしれないと方向違いの納得をした上での初対面の挨拶だ。失礼のないようにと、こちらも少々猫を被っている。


「これはこれはご丁寧に。ぼくはデュティ。この箱庭の管理者――」


 存在感のある被り物がゼノからリタを正面から捕らえた時、ぴたりとこちらも固まった。

 デュティが固まったままその場に沈黙が落ちて、ん?とゼノが首を傾げる。

 リタも何かマズかったかしらと笑顔のまま小首を傾げた。


「デュティ?」


 いつまでも動かないのを不審に思ってゼノが声をかければ、被り物がゆっくりとゼノに向き直る。それからもう一度リタに目を向けると「ひゃあ」と意味不明な声をあげて、驚くべきスピードでゼノの後ろに隠れた。


「……は?」

「え?」


 肩を掴まれた背中にはウサギの顔が当たり、その拍子に黒い耳がゼノの両肩から飛び出して、リボンと花冠がゼノの首元をくすぐる。


「いや、お前何やってんだよ」


 このまま耳を引っ張ってやろうかと長い耳部分を掴めば――意外にも触り心地がいい――デュティがぐいと頭をあげたので、するりと手の中から耳が逃げていった。


「だって、思ってた以上に眩しい」

「眩しい?」


 なんだそれは?とゼノもリタを見るが、別段普段と変わらない。後光が差している訳でも光を帯びている訳でもない。


「うん。眩しい。黄金(きん)の聖女っていうのは本当なんだねえ」


 コイツにだけ見えている何かがあるということか? と、ゼノは首を捻りながらも未だ背中に張り付いているデュティを振り払おうと、すいと体を反転させれば、デュティもすかさずゼノの背後に移動する。逃げるように向きを変えても背中から離れない。肩を掴まれているとはいえ、こうもずっと背後を取られ続ける事にだんだんとゼノの苛立ちが募ってきた。


「だーーーーーーっ! うぜえよ、お前は!いい加減離れろ!!」

「だって見たら眩しいんだもん」

「見なきゃいいだろうが!」

「ええええ~!それも難しい」


 なんでだよ、とゼノとデュティがバタバタと騒ぎ回るのを、リタは微妙な笑顔を浮かべたまま見つめていた。

 どこに居てもゼノの周囲にはわちゃわちゃと騒ぐ人しかいないのね。

 そんな不名誉な事を思われているとは露知らず、二人のやりとりはリタが呆れて「いい加減にしなさいよ!」と怒鳴るまで続いた。



 * * *



 箱庭の転移の間――玄関をようやく出ることが叶ったリタは、デュティの先導で箱庭の中心に位置する塔の中を下に向かって歩いていた。

 転移の間は塔の最上部に位置し、扉を出ると転移の間を囲うように円形に廊下が続き、下へ向かう階段があった。すぐ下の階も同様の作りとなっていた。

 塔の中は転移陣と同様に白い壁に青い意匠が刻まれた柱が続く。異なるところは、廊下の外壁側の壁には大きな硝子張りの窓があり、そこから箱庭の街を見下ろせるようになっていた。

 それらを横目に見ながら廊下をすすみ、四階ほど降りたところで、廊下の途中に扉が現れた。この階は廊下がここで途切れているようだ。デュティがその中へリタ達を招き入れる。

 中は応接室のようで、入ってすぐに目に飛び込んできたのは天井から床までの壁一面の窓だ。陽が傾き西日に照らされた街の姿がよく見える。

 リタ達が住んでいたハイネの町よりも大きな建物も多く、皇都ほど建物が建ち並んではいない。

 ちょうどよい――そう思える街並みだ。


「お帰りなさい、ゼノ!外はどうだった?」


 突然可愛らしい女の子の声が聞こえて、リタは即座にそちらに目を向けた。

 そこには、アインスぐらいの歳のポニーテールの快活そうな女の子と、肩までの髪の三十代半ばぐらいの女性がお盆を手に立っていた。


「おう、ジェニー、来てたのか。あ~、やっぱちょいちょい変わってたな」

「外界はせっかちですものね」


 せっかち――せっかちとかそういうんじゃないと思うんだけど……

 ゼノの言葉に応えたのはジェニーではなく女性の方だったが、その言葉にリタは自分達との感覚の違いを感じる。


「立ち話もなんだし、どうぞそこに座って。あ、ゼノはここ」


 リタに席を勧めながら自分もソファに座ると、ゼノにはぺしぺしと自分の横を叩いて示す。ゼノは一瞬眉根を寄せたが、ガシガシと頭をかいて大人しくデュティの隣に座った。


「外からお客さんがくるなんて、私初めてだわ! それもこんなに綺麗な人だなんて! 外の人ってこんなに綺麗な人が多いの?ゼノ」


 外からの客が珍しいのか、リタの腰掛けるソファの肘掛けに手を乗せてぴょんぴょん跳びはねながら、ジェニーが楽しそうにゼノに問う。


「ジェニー。お客様に失礼よ。ほらお茶をお出しするからのいてちょうだい」

「はーい」


 女性にたしなめられて、口を尖らせながらソファから離れると、今度はデュティの横に移動してウサギの耳をつつく。


「ねえねえ、デュティ。私もお客様とお話ししたい。いつまでここにいるの?」

「ん~どうかな。彼女は忙しいと思うよ。でも少しぐらいならジェニー達とお話しする時間は取れるかな~」


 どうかな?とデュティに目を合わさないように尋ねられ――被り物はちょっと下向きなので――リタも笑顔で頷いた。


「ええ。ジェニー?が望んでくれるなら喜んで」

「本当!? 約束よ!その時はうちのとびきり美味しいケーキをご馳走するわ!ね、ママ」

「はいはい。ほら、今から大事なお話をするんだから邪魔しちゃだめよ。ごめんなさい、ゼノ。この子がどうしても外の人を見てみたいというものだから、デュティに無理言ってここに来ているの」

「外界の奴は珍しいもんな。いいって。リタはそういうの気にしねえし」


 だろ?と視線でゼノに問われて、リタも笑顔で二人に頷いてみせた。


「私の方こそ嬉しいわ。またお話ししましょう、ジェニー」

「嬉しい!」


 ジェニーの母であるジェインがお茶とお菓子を手早くテーブルにセットすると、未だはしゃいだ様子のジェニーを連れて、リタ達が入ってきた扉とは別の扉から出て行った。

 彼女達が出て行くと、一気に部屋の中は静かになった。


「リボンはジェニーの仕業だろ」

「そうだよ。カレンが花冠を作ってくれたんだ」


 ゼノがカップのお茶を飲みながら呆れたように問うのを、デュティはどこか自慢げに返しながらリタにもお茶を勧めるので、カップを手に取った。

 普通に紅茶だ。フレーバーティーだろうか。甘く爽やかな香りがする。

 テーブルのお茶請けもクッキーだし、こういったところは外界と変わりがないようだ。

 そんな事を考えながら紅茶を飲みソーサーにカップを置いたリタは、向かいに座るデュティが被り物をしたままカップに口を付けているのを見て固まった。


 ――え? そのまま飲んでる? 飲めるの?? 口許どうなってるの、それ


 思わずマジマジと観察してしまい、それに気付いたデュティが動揺したように肩を揺らし、カップをテーブルに置くとゼノの肩に被り物の頭を埋めた。


「見られてる~」

「いやキモいからやめれ。そりゃ普通に考えたらおかしいからな、お前の被り物」

「え?あ、ごめんなさい。それ被って普通にお茶を飲んでるみたいだったから驚いて……」

「ええ?おかしいかな。飲んだり食べたりする時は口許だけ物が通るようにしてるんだよ。でないと不便でしょ?」


 この被り物は魔法がかかってるから、とのほほんと返されて絶句する。

 なにその無駄に高等な魔法――魔法?? え?魔法ってそんな事が出来たかしら? どういう魔法? そもそも魔法ってなんだったかしら。

 デュティの説明にリタが思わず魔法の定義から考え直し始めた時、ゼノがカップを置いて未だ肩に張り付いているデュティの頭を小突いた。


「で? 何か話があるんだろ?わざわざリタを招待したんだ」


 ゼノの知る限り、デュティが外界の人間を招待したことはない。メッセージカードのことを考えても、何かがあるからリタをわざわざ招待したに違いない。

 改まったその声に、リタも姿勢をただしてデュティを見つめた。


「ぼくの用事は三つかな」


 未だゼノの肩に張り付いたまま、リタを見ずにデュティが指を三本立てて告げる。

 その様子に少し呆れを見せながらも、ゼノは無言で先を促す。


「ひとつ目は、無事で元気だよって伝えてもらうこと」

「伝える? 誰に」

「白の聖女」


 即座に返されたその答えに、沈黙が落ちた。


「――はあぁあぁっっ!?」

「待って! 白の聖女って……白の聖女って、フィリシア様のこと!?」


 一瞬の沈黙の後、ゼノとリタが同時に叫びながら立ち上がった。ゼノの肩に張り付いていたデュティがその勢いでうわ、と短い悲鳴をあげて後ろにひっくり返る。


「そうだよ〜?」


 デュティはウサギの耳部分を押さえながら、器用にソファに座り直すと何を当たり前の事を、と言わんばかりにけろりと肯定した。あまりの軽さにリタとゼノが鼻白む。


「やだなあ。怖いから座ってよ」


 も~、と咎められてゼノとリタは顔を見合わせつつ大人しくソファに座り直した。

 まさかの答えだ。

 それもこんなに軽々しく明かされるとは予想外だ。


「ゼノはともかく、黄金の聖女はわかっててここに来たんじゃないの?」

「いる筈だとは思っていたわ。でもフィリシア様がここにいるなら、ゼノの――」


 そこまで言って口を噤む。

 フィリシア様がいるなら、ゼノの娘さん達の呪いはとっくに解けているはずよ、とは続けられなかった。

 リタの沈黙をどう受け止めたのか、ゼノも唇を引き結んでデュティを睨みつけた。


「二つ目の用事はまさにそれ。ゼノの娘達にかかってる呪いを解くのを手伝って欲しい」

「待って! フィリシア様がいるなら、私の力がなくたって解けるはずでしょう!? フィリシア様の力は私よりも強力なのよ!?」

「そうだね」


 またしてもあっさりと肯定されて、リタの背を嫌な汗が流れた。

 フィリシアの方が強力だと知りながら、解呪ができずにリタに助けを求める理由は、やはり想像していた通りなのか。


「事実、今娘さんの呪いを薄めているのは白の聖女の力だし」

「はっ? ……俺あ、それ今初めて聞いたぞ?」

「ん~……そうだったかな? そうだったかもしれないな。どのみち薄めるしか出来ないから、期待させないようにゼノに詳しく説明したことないかも」


 口元に人差し指を当てて自身の記憶を探りながら返すデュティに、ゼノはなんとも言えない顔をして黙り込んだ。


「……フィリシア様の身に、何か起こっているのね……」


 その可能性ももちろん考えていた。ただ、そんなことがなければいいと思っていたけれど……


 リタはぎゅうと拳を握りしめて項垂れた。

 その様子を目の端に認めながら、ゼノはひとつ小さなため息をついて頭をガシガシとかいた。


「フィリシアの身に何が起こってんだ?」

「寝てる」


 憂いどころか悲しみも感じない端的なデュティの答えに、ん?とゼノは首を傾げた。


「寝てるって……俺の娘達みたいに呪いか何かで目覚めないとかか?」

「ううん。単純に寝てる。今休眠期なんだ」


 ――休眠期??


 どうやら心配しているような深刻な雰囲気ではないことを感じ取って、リタも首を傾げた。


「それは……目覚めるの?」

「うん、時期がくれば。もう二百五十年ぐらい寝てるから、あと五十年……もうちょっと早いかな?うん、でもそろそろ目覚める筈」


 二百五十年寝てる――それはお寝坊さんだな、というものではなさそうだ。


「待って。ちょっと待って!」


 リタが目を閉じて額を押さえながら、もう片方の手でデュティにストップをかけた。

 今しがた聞いた衝撃の情報を自分の中で整理しつつ、まずは確認しなければならないことがある。


「フィリシア様はそもそも――私の前世で一緒だったフィリシア様本人なの?生まれ変わりとかではなく?」

「そうだよ。白の聖女本人だよ。もうどれぐらいかな……千数百年以上は生きてると思うよ」


 ――千数百年以上……


 一体、フィリシア様の身に何が起こったのか。確かにフィリシア様は聖女ではあったけれど人間だった筈だ。

 いえ、まあこの世界には人間の枠を超えて長生きな人が多いのは事実だけれど……と、目の前の剣聖を見やりながら考える。


「じゃあ、心配する眠りじゃねえんだな」

「うん。今回はちょっと長めの休眠だけど、今までも定期的に眠ってはいたんだ。だから白の聖女のことは心配いらない。ただそういう事情だから、白の聖女に解呪は頼めないんだ。だから黄金の聖女に手伝ってもらおうと思って」


 デュティの説明にリタがほっと胸を撫で下ろした。


「……そういうことならわかったわ。元々私に出来ることはやりたいと思ってここに来たのよ」

「そうなんだ。黄金の聖女はやっぱり優しいね」


 ふふふ、と無邪気に笑って言われて、リタは頬に朱が差した。

 なんというか……外界の人々とは違う、無垢な純粋さをデュティから感じて戸惑う。彼は箱庭でずっと過ごしてきたのだろうか。外界の悪意や穢れのような……世俗の垢のようなものを彼からは感じない。

 ゼノは拳を握りしめてその様子をしばらく見つめていたが、徐に口を開いた。


「呪いは……解けるのか」


 ぽつりと呟かれた感情を押し殺したような言葉に、リタはどきりとしてゼノを見た。

 デュティも神妙な雰囲気で――本当の表情はわからない――ゼノに向き直ると、こくりと頷いた。


「解けるよ。あの世界の呪いは、あの世界の聖女の力でなら解ける。だから、安心していいよ」


 静かに、だが力強く断言する。

 ゼノはその言葉にぐっと唇を引き結ぶと、次いで顔を覆いながら大きく俯き、深く、大きな息を吐いた。


「そうか……」


 そうか、と小さく何度も繰り返す。

 その姿に胸が締め付けられるようで、リタは胸元で拳を握りしめた。


 ――ゼノの娘……『ゼノの家族』


 その言葉に不思議と感じた胸の痛みをやり過ごしながら、リタは俯いたままのゼノを見つめた。


 私に出来ることなら、絶対に助けてみせる。

 ゼノには借りしかないのだ。今生でも――きっと前世でも。


 それが叶いそうで安心しながらも、そういえばデュティのもうひとつの用件とはなんだろうかと、無言のままゼノを見つめるデュティを見遣った。

 黒ウサギの被り物は表情などもちろん読めないのだが、滲み出る雰囲気が柔らかく、ゼノを優しく見守っているように見えた。

 ふと唐突に、彼はゼノの味方なのだということがすとんと腑に落ちた。

 ゼノが変なやつ、勝てる気がしないと言いながらも背後を取られることを許しているのは、彼も本能でデュティが敵にはなり得ないことを理解しているからだと気づいた。


 そうね、悪い人じゃないわ。


 女の子がお勧めしたリボンと花冠をちゃんとつけてくれる人ですもの。

 そこはブレないリタである。


 室内にはしばらく優しい沈黙が落ちていたが、気持ちの整理がついたのか、ゼノが顔を上げて座り直したのを観て、デュティは再びリタに目を向けた。


「解呪は今日じゃなく明日以降にお願いしようと思ってるんだ」

「今からじゃなくていいの?」 


 動けるわよ、と伝えたがデュティは首を振ってその提案を却下した。


「多分一度では無理だと思う。相当強力な呪いだからね。ゆっくり休んでもらってからの方が黄金の聖女にも危険が及ばないかな」

「解呪はそんなに危険なのか」


 ぎょっとしたようにゼノが問い、リタも背筋を伸ばすと緊張気味にデュティを見つめた。

 そもそもリタは解呪などしたこともないのだ。

 瘴気の浄化と同程度を考えていたが、そんな単純な事ではないのか。


「そうだね……結構集中力と聖女の力を必要とするかな。解呪自体は複雑なことじゃないと思うんだけど……」

「待て。まさか、その呪いがリタに降りかかったりしねえだろうな?」

「聖女の力で解呪するなら大丈夫。――ゼノの剣は今の状態じゃダメ」


 突然告げられて、ゼノは固まった。


「――は?」


 固まって、顔を強ばらせながら間の抜けた問いを返す。

 リタにはそれが意味することはわからなかったが、ミルデスタでリタを斬った剣のことだろうか。

 あれはリタに傷もつけずに教会の首輪や、リタの前世への記憶の楔のような物を斬り捨ててくれた。

 確かに、あれなら呪いも斬れそうだわ。でも、今の状態じゃダメというのは、呪いの状態が問題だということかしら?

 リタがミルデスタでの事を思い返しながら考えていると、ゼノが愕然とした様子で呟いた。


「それは……今の俺には斬れねえと……」

「呪いは斬れるよ。でも、今の呪いの状態で剣で斬っても解呪にはならない。呪いの方が強すぎてまたすぐに呪いに捕らわれる。細切れにされればされるほど、より複雑な呪いになるから、ゼノの剣で斬ってはダメ」


 呪いは瘴気と違ってただ斬ればいいというものではないということかしら、だとすれば解呪というのはリタが考えているよりも難易度が高いのかもしれない。

 デュティの説明でリタが気を引きしてめていると彼は朗らかに続けた。 


「本当はひやひやしてたんだよ。ゼノがいつ『呪いなんざ俺が斬る!』って剣を振り回すかって。細切れにされた呪いが箱庭に散ったらエラい事になるからね。ゼノが無茶言い出さなくて助かったよ」


 ゼノは思慮深いね、と心底感心したようなデュティの言葉に何故かゼノが顔色を失って首を振った。


「いや、待て。違う――そうじゃねえ」


 激しく動揺したように、頻りに首を振りながら何故か泣きそうな顔で否定するゼノに、デュティの被り物がきょとんと横に傾いだ。リタも彼が何に対してこれほど動揺しているのかがわからなかった。


「そんなんじゃねえ……呪いを斬れる可能性は……ずっと別の奴に言われ続けていた。俺は……俺はそれが怖くて出来なかっただけだ。剣で斬れなかった時に、自分が――」


 そこまで言ってゼノは俯いた。


「もう立てねぇと思ったんだよ。それが怖くて斬れなかっただけだ。思慮深いとかそんなんじゃねえ。臆病だっただけだ」


 俯いたまま吐き捨てるように言い捨てた。

 ゼノがそんな風に考えていた事などまったく考え及びもしなかったリタは、その弱り切った物言いに目を瞠ったが、間髪を入れずにデュティの優しい言葉が落ちた。


「ゼノに斬れないものがあるわけないじゃないか。でも、そうだね。ゼノだって呪いを斬ったことがなければ不安になるよね」


 うんうん、と頷きながら、そしてこてん、と俯くゼノの肩に頭を乗せた。


「ぼくがもっと早く可能性を示唆して、その上で否定してあげれば良かったんだね」


 ごめんね気付いてあげられなくてと謝る声が優しい。


「……お前が謝る事じゃねえだろ」

「ぼくは箱庭の安全を優先して、ゼノが言い出さないのを良い事に話さなかったんだよ。でもゼノが自分の事をそんな風に思って責めてたんなら、やっぱりちゃんと話せば良かったなぁ……」


 よしよし、とゼノの背を撫でながらこちらも落ち込んだように呟く。


「ぼくはゼノが臆病じゃないことをよく知ってるよ。大事な人が関わるから、どうなるかわからないことに慎重になるのは当然のことだよ。それで臆病なんて決めつけないで」

「……違えよ。別に本当にお前のせいじゃねえ」


 ぐいとゼノが身体を起こしてデュティを引き剥がしながら否定する。その顔はどこか辛そうに歪められていた。


「単に——本当に守りたいものに俺の剣は役に立たねえ、届かねえって事実にびびって、振るえなかっただけだ。俺は、娘達の危機に間に合わなかったからな」

「間に合ってたよ?」


 悲壮感を漂わせながら告げたゼノの言葉を、きょとん、と不思議そうにデュティが首を傾げながら返した。


「馬鹿言うな!二人を助けたのはお前で、俺が来たときには——」

「斬ったじゃないか、第六盟主」


 ——はあっ!?


 デュティの言葉に思わず叫び声を上げそうになって、リタは慌てて口許を押さえた。今、ここで口を挟むべきではない。

 二人はリタの存在など忘れて向き合ったまま話している。リタにはよくわからなかったが、きっとゼノにとっては大事な事なのだ。


 でも……盟主を斬るってあり得る? どれだけ強いの? この事実はハインリヒはもちろん——知っている、のよね?? ああ、だから対魔族の人類最終兵器なんて変な二つ名がついてるのかしら……


 リタは納得しながら、ちょっと遠い目をした。


「ゼノが斬るのが間に合わなければ、あの空間が開いてあちらの世界の一部がこっちに転移してきてた。そうなれば、あの場にいた人達どころかあの辺り一帯が一瞬のうちに消滅してたよ。ぼく達が助ける間もなく」


 だから、間違いなくちゃんと間に合ってるよ。


「間に合ってる……」

「うん。あの時の最善は第六盟主を斬る事だった。——ぼく達が二人しか助けられなかったのは力及ばずで申し訳ないんだけど……あの犠牲は避けられなかった。それほど大きな魔術が動いていたから、どうしても反動は残っちゃう」


 こくりと頷きながら説明し、次いでデュティは頭を抱えた。


「そのあたりはアザレアが説明してるからゼノは知ってると思ってた〜。だってアザレア、説明は自分がするって言ってたし、あれからゼノはなんにも聞いてこなかったから」


 デュティの言葉に、ゼノがひくりと口許を引きつらせ額を押さえた。


「アザレアからは……第六と空間の裂け目みたいな関係性は、つい先日聞いたところで……あいつ、ハナから説明する気なかったと思うぞ……」

「ええ?そうなの?なんでかな?」

「どうしたって後悔が残るからじゃないの?」


 ずばりとリタが二人の会話に切り込んだ。

 え?と二人がリタを振り返る。

 リタは顎に手を当て腕組みをし、視線をテーブルに落として情報を整理しながら告げる。


「私は全体像がわからないけれど——ゼノが間に合っててもこの事態が避けられていないなら、今度はその場に娘さん達がいる状況になったことを後悔するんじゃない?どうしたって後悔が出てくるなら、何をどう説明しても無意味だと思ったんじゃないのかしら」


 どの説明が一番マシだったのかは私にはわからないけれど、と付け加えられてゼノは難しい顔をした。デュティは空を仰いでうーん、と考える。


「そっか〜。うん、そうかもね。アザレアは自分が詳しく知ってる事を隠したい方だから、言わなかったのかも」

「あの秘密主義め……」

「仕方ないよ〜。アザレアには第三盟主が張り付いてるからさ、彼女は細心の注意を払ってるんだよ〜」


 デュティから軽く告げられた事実に、す、とゼノが視線を鋭くした。ぴり、と空気に殺気が混じる。


「——あいつ、アザレアを狙ってんのか」


「意味なく張り付く人じゃないでしょ、第三盟主って」


 しれっと返されて、ちっ、とゼノが舌打ちをこぼして頭をガシガシとかいた。


「なら、アザレアには文句言えねえな」

「うん。彼女には優しくしてあげてね」


 二人の会話を聞きながら、リタは首を傾げた。


「アザレアさんって……アルカントの魔女よね。彼女とデュティさんは顔見知りなの?」

「そうだよ。内緒だけど、彼女はここにも来た事あるよ。白の聖女とも仲良しだし」

「え!? そうなの!?」

「あ、これ秘密ね〜。アザレアは知らない事になってるから」


 しーっ、だよ、と人差し指を口許に当てながら、声を潜めて告げるデュティに、リタは口を押さえてこくこくと頷いた。

 これはぜひとも彼女に会わなければ!とリタが固く心に誓ったのだが、ゼノは大きくため息をついただけだ。


「この分だとアザレアは他にも色々知ってそうだな……」

「第三盟主が狙ってるから、態度は気をつけてあげてね。色々知ってると確信を持たれると何をされちゃうか」

「わぁーってる」


 ガシガシと頭をかきながら、幾分疲れたように返してゼノはソファに身を沈めるように背を預けた。事実、精神的に疲れたのだろう。


「……なんか色んな事を聞いたな」


 頭痛えわ、と目を閉じ額を押さえてぽつりと呟くゼノに同調するように、リタもふうと息をひとつついた。


「みんなお疲れだね?じゃあ続きは明日にしようか」


 ぱん、と両手を叩きながらのほほん、と告げるデュティはどこか楽しそうで、ゼノとリタはその様子にどっと疲れを感じて項垂れた。


 ……悪い人じゃないんでしょうけど、なんだか疲れる人ね……


 げんなりとしてリタも額を押さえた。



 * * *



 ぴりり、と神経に障る感覚を感じて、デュティは瞬時に箱庭の中枢——箱庭のあらゆる管理を行う管理者室へ移動した。

 ゼノは箱庭内の自宅へ、リタは塔の客室へ送り届けた後だ。


 ——今日はお客様が来ているというのに


「鬱陶しいな」


 また魔塔の連中だろうか。それとも他の機関か。

 箱庭の場所の特定や侵入を試みる連中は、定期的に現れる。ここ数年活発になったのは、魔塔に相当魔術に詳しい者が現れたからか。

 管理室の中央にある魔石板から、感知の魔法陣を起動し仕掛けられている魔術を特定する。

 探査か。門を開いた魔術の残滓から箱庭の入口を探られている。


「五重——いや、この程度ならまだ三重で問題ないか」 


 ふ、と酷薄な笑みを口許に履いて、デュティは魔術を構築する。構築した魔術をリタやゼノを迎え入れるために門を開いた場所に展開し起動する。

 相手の探査魔術がデュティの魔法陣に反応した瞬間、座標軸を歪めて相手の探査魔術を別の場所に飛ばすと同時に、術者に攻撃を返す。


 ——燃えればいい


 魔術がデュティの望むまま作動したことを確認し、周囲を探って何も残っていないことを確認すると、魔石版から別の魔術を呼び出す。

 逸らし、跳ね返す事は行っても逆探査は行わない。こちらの座標の手がかりは欠片すら与えない。


「本当にいつの時代も羽虫は鬱陶しい」


 ゼノの前では決して見せた事のない冷ややかな口調で言い捨てると、箱庭の防御結界と隠遁魔術をチェックし、どこにも問題がないことを確認する。


「あまりにもしつこいようなら、完全に叩く必要があるな」


 言い捨てて、魔石版から手を離す。


 だがまあ、今はいい。


 デュティはローブを翻して魔石版の前から離れると、次の瞬間その姿は管理者室からかき消えるようになくなった。



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