第三話(一)箱庭へ
あの時何が起こったのかは、ゼノにはよくわからなかった。
ゼノにわかっていたのは、ここで第六盟主を斬らなければならないという事だけだ。
コイツは絶対にここで斬り伏せる――ただ、それだけ。
そしてその決意通りに斬った。
そう、それだけだ。ゼノが出来たのは。
常とは異なる魔族の動き。それによる被害が異常な速さで進んでいくのに、その地の中心に位置するヴェリデ王国がまず立ち上がった。
レーヴェンシェルツギルドとルクシリア皇国に助力を要請し、周辺の国々とも力を合わせ、その異常事態を解決すべく動いていた。
原因については、わかっていなかったと思う。
ただアザレアが、魔族がよく出現する場所を見定めたので、大量発生する魔族が周囲に雪崩れ込まないよう、大々的な討伐隊が組まれた。
アザレアは当時すでに「アルカントの魔女」と呼ばれていたが、元は聖女だ。浄化の力は使えないが瘴気は見えるし、なにより魔法のスペシャリストで、魔法陣と魔石で結界、治癒、攻撃と様々な魔術を操る。それだけでなく様々な薬を作る事も得意としていて、彼女の作る瘴気を薄める薬は、神殿や教会が売りつける聖水よりもよほど効果があった。
その彼女が見定めた場所は、ゼノから見ても確かに不可思議な瘴気が存在しているのがわかった。
ただ、ゼノが斬るべき相手はそこにはいない。
第六盟主は別の場所で何かをやろうとしていたのだ。
それを止めた。斬り伏せた。
斬り伏せた後、件の場所に移動したゼノが見たものは、瘴気に侵され生き物という生き物が死滅した土地だ。
植物も動物も、そこにいた筈のヴェリデ王国や周辺の国の騎士団もルクシリア皇国から派遣されていた騎士団もレーヴェンシェルツの冒険者達も、そしてそこに同行していたアーシェとサラの姿もなかった。
瘴気の濃さに愕然とし、その地に足を踏み入れようとしたゼノを止めたのはアザレアだ。
彼女は真っ青な顔したまま、皆が魔族ではなく瘴気に倒れたこと、アーシェとサラは箱庭の管理者が助けたことを告げた。
アザレアはあの時、彼らから離れた場所で結界を張って、万が一に備える役目を負っていたので一部始終を確認できたのだ。瘴気は一瞬で膨れ上がりその場の生き物を瞬殺すると、一気に波が引くように消えたこと、ここに残っているのはその残滓だと教えてくれた。
残滓でこれほどの瘴気というのであれば、ここに出た瘴気の強さがいかほどのものか、ゼノにもわかった。人が生きていられるレベルのものではない。
生き残ったのは箱庭の管理者が助けたアーシェとサラのみだ。
結局、それがなんだったのかはわからない。
それから魔族は現れず、暴走も収まった。理由や原因は不明なままだったが、ヴェリデ王国の半分を死の大地に変え、多くの犠牲を払って事態は終息したと判断された。
事実、この二百年は何事も起こっていない。
東大陸の南に広がるその地は、今も瘴気に侵されたまま生き物には有害な死の大地で、第五盟主が瘴気に耐えうる魔物系の植物を植えたせいで「死の森」と呼ばれるに至っている。
箱庭の管理者によって救い出されたというアーシェとサラは、即死は免れたものの瘴気による呪いを受けその時より眠り続けたままだ。
だがその事実より何よりもゼノを打ちのめしたのは、自分はまた間に合わなかったということだ。
最愛の娘達の危機に、ゼノは間に合わなかった。
無論、瘴気が相手ではその場にゼノがいたとしても娘達を助けることは叶わなかっただろう。
それがわかっていても、間に合わなかった事実がゼノの心に棘のように刺さったまま、ずっと影を落としている。
ゼノは剣で誰かに遅れを取るとは考えたこともない。
例え相手が盟主であろうとも、負けるなどと思ったこともない。
それほど己の剣に自信と信頼を寄せていても――役に立たないのだ。
自分が一番に助けたいと思う者に、いつもその剣は届かない。
* * *
朝焼けの空をぼんやりと見上げながら、手にした大剣を地面に突き立てた。もうなんのための日課なのかもわからずに、結局はただ黙々といつも剣を振ることしか出来ない。自分にはいつもそれだけだ。
いつだって、本当に守りたかった者はこの手からこぼれ落ちていく。
自分には何も出来なかった。
だがそれでも、自分にはそれしかないから今も剣を振っている。
“――ゼノ”
両手を見つめながら自嘲気味に笑ったとき、咎めるような声が聞こえた。ゼノの側に張り付いているカグヅチだ。
ちらりと背後を振り返れば、短髪の黒髪に水干姿の少年――火の神カグヅチが空中で腕組みしながら浮いていた。
“お前の悪い癖だ。アザレアだっていつも言ってる。下手の考え休むに似たりって”
「うるせえよ」
カグヅチの姿や言葉は、ヒミカやヒミカの神にしか見えないし聞こえない。だからいつもなら無視を決め込むカグヅチの言葉にゼノが悪態とは言え反応したのは、一人だったことももちろんだが、苛立っていたこともあるからだろう。
“くだらぬ事を考える間があるなら、斬ってみろと我は言っているではないか”
この事を考え出すといつものようにカグヅチがゼノを焚きつけに現れる。
カグヅチはゼノに取り憑いているようなものなので、ゼノの考えている事もすべて筒抜けなのだ。
“お前のあの剣なら呪いだって斬れる”
「勝手をほざくな。そんなもん、わからねえだろ」
“だから己を信じて斬ればよいのだ。何を恐れることがある。あの剣なら斬れぬものはないと言っておろうに”
「言ってろ」
吐き捨てるように言い捨てると、剣を地面から引き抜き部屋に戻ろうと踵を返した。カグヅチとのこのやりとりは実にこの二百年、ずっと行われてきた事だ。
カグヅチの言う剣とは、第一盟主の試練を乗り越えて手に入れた剣のことだ。
ゼノが望んだ訳でもないが、勝手に試練に放り込まれて訳のわからぬ間に終わっていた試練。乗り越えた者には試練の記憶は残らない。ただ乗り越えた証として一振りの剣が残った。
ゼノ自身だというその剣は、鞘を必要とせず、ゼノが望めば姿を現しゼノの望みのままに斬る。
リタを斬ったのもその剣で、リタを傷つけることなく隷属の紋を始めとしたリタを縛るものを斬り捨てた。
その剣を棲家としてゼノに取り憑いているカグヅチは、その剣であれば呪いも斬れると豪語する。
だがゼノは、その剣をついぞ娘達に向けたことはない。
“――臆病者め!”
「気に入らねえなら、さっさと俺から出て行けばいいだろうが!」
カチンときてゼノが怒鳴り返すが、カグヅチはヘソをまげたのかそれきりだんまりを決め込んですいと姿を消した。
この話題はいつもこんな感じで終わるのが常だ。
カグヅチはその少年っぽい見た目通りに子供っぽい性格で、なかなかに我が儘だ。ゼノに対しても色々と勝手をしてきた。ゼノが時の流れから外れてしまったのも、ヒミカ同様、神に気に入られ取り込まれたからだ。
いつも勝手な事ばかり言いやがって!
ちっ、と大きく舌打ちをこぼすと、ゼノもそれきり無言で部屋に向かった。
わかっている。
カグヅチにわざわざ「恐れている」と断じられなくても、ゼノは自分が恐れ怯えている事をよくわかっている。
だがもしも――剣でも斬れなかった時、自分が立っていられるのか自信がなかったのだ。
それが何より恐ろしかった。
そしてその怯えや恐れを感じているうちは、ゼノ自身だというその剣は力を発揮できないだろう。
わかっている。
苛ついているのはカグヅチにではない。
今日これから箱庭にリタを連れて戻ることにも怯えている自分に苛ついているのだ。
のろのろと騎士団宿舎にあてがわれた部屋に戻ると、大剣を壁に立てかけどさりとベッドに座り込む。
二百年――二百年だ。
「アーシェ、サラ……」
眠り続けたまま一度も目を覚まさない娘達。その声すら忘れそうで怖い。
もしも目覚めたとして……あの子達は大丈夫なのか。
デュティの腕は信じている。アザレアも太鼓判を押した。時を止められたあの子達は呪いさえ解ければ大丈夫だと思う反面、眠りについたその二百年は本当に何の影響も与えないのか。
「怖えなあ……」
目覚めないのも、目覚めるのも怖い。
これじゃあ確かに、カグヅチに臆病者だと罵られても仕方がない。
力なく笑ってふと視線を窓に向ければノイエンバイリッシュ山が見えた。
二百年前から変わらぬ姿にどこか安心を感じるのは、変わってしまったものばかりが目に付くからだろうか。
変化は恐ろしい。だが、変化がなければそれはもはや生きているとは言えないのではないか。この数十年、ゼノはずっとそんな事を考えてきた。
今また外にでて、三十年前に語り合い馬鹿をやり共に戦ったハインリヒやゴルドンの年老いた姿を見ると、無性に恐ろしくなる。ノアやギルベルトを見送った時のような、取り残される感覚だ。
――あたしが今日まで生きているのは、あの子達が目覚めるのを見届けるためだ。
不意に、先日アザレアに言われた言葉を思い出す。
アザレアは娘達が目覚めたら――それ以上、時の流れに逆らい続けるのをやめるのだろうか。
彼女にはよく怒られ呆れられ――時に嵌められ――はしたが、結局のところ味方には変わりない。
最初は祖父に頼まれたからということもあったが、付き従ったのは自分の意志でもあった。普段ならそういうのは一度きりだ。それでも何度もアザレアに手を貸したのは。
「ああ」
今にも死んじまいそうだなと思ったからだ。
――ようやくか
不思議とそう呟かれた言葉を今でも覚えている。
彼女が自身の死を匂わせる言葉をゼノの前で紡いだのは、先日の言葉とあわせてその二回のみだ。
「そう考えると強えよな、あいつ」
それとも、聖女というのはやはり強いのだろうか。
ふ、ともう一人の聖女であるリタを思い出して笑った。
目を合わせるだけで相手に緊張を強い、相手を追い落とすことに恐ろしい程手腕を発揮し、敵どころか味方からも恐れられるハインリヒを、ストーカーと言って憚らない。教会に追われている時は気弱なところも見せていたが、今はもう怖い物なしの状態だ。
―― 任せて!
笑顔で力強く請け負ってくれたリタの顔を思い出し、すっと心が軽くなるのを感じた。
「あいつが一緒なら、心配はいらねえか」
自分が無様に立ち竦んでも、蹴っ飛ばしてくれそうだ。
ゼノは両頬をぴしゃりと叩いて気合いをいれると、勢いよく立ち上がった。
折角皇帝が、一度リタを連れて箱庭に戻ってからでいいと譲歩してくれたのだ。うじうじ悩んでいる場合ではない。
「デュティが招いたんだ――腹を括るさ」
* * *
支度を終えたゼノがシグレン家に向かえば、既にリタが準備万端で外で待っていた。
弟達はともかくも、ハインリヒやクライツ達までいる。
「クライツ達は帰ったのかと思ったらここに来てたのかよ」
「お見送りぐらいはしようかと思いまして」
「そんな大層なもんじゃねえんだけどな」
「君はこちらへの連絡を怠る癖があるので、釘を刺しておくためにも来ているのだよ。娘さん達が目覚めても、皇帝からの頼み事を忘れずにいてくれたまえ」
ハインリヒの忠告にぐ、とゼノは詰まって顔をしかめた。
「わぁーってるよ。その国に送ってもらうためにも一度皇国に来るって」
忘れてねえよ、とガシガシと頭をかきながらゼノが答えれば、満足そうにハインリヒが頷いた。
「それで、どうやって箱庭に行くの?」
素朴な疑問としてリタが問う。ある程度の旅程でも問題ないように荷物は用意しているが、日数的にどれぐらいかかるのかがわかれば弟達も安心するだろうし、リタ自身も心の準備が違う。
リタがゼノと出会ったのはシュゼントの街だったが、箱庭はあの近くにあるのだろうか。
「あ~……近くまで移動できる転移陣が皇国にはあるから、そいつを使う」
「片道何日ぐらいみておけばいいの?」
「んん……普通なら二日程度、か?どこに出るかで変わってくるが……今回は今日中に着くかもしれねえな」
「どういうこと?」
「決まってないのだよ」
曖昧なゼノの答えを捕捉するようにハインリヒが代わって答える。
「箱庭に侵入を目論む連中も多いのでね。転移陣の詳細は住人にも明らかにはされていない。箱庭へ入るには門を通る必要があるが、その門の場所も定かではない。そもそも我々には門は見えない」
「え?」
リタが驚いてハインリヒとゼノの顔を見比べるが、ゼノもその言葉に顎を擦りながら頷いて返す。
「らしいぜ。相当の魔力を持つ者か住人じゃねえと目の前にあってもわからねえんだと。俺からすればあんなでかい物が見えねえってことに驚きなんだが」
不思議だよな、とへらりとゼノは笑うが、リタはそのことからどれほど今回の招待が特別なのかを改めて感じて、ごくりと息をのんだ。
「まあ中は普通の街だよ。中心に大きな塔があり、塔を囲むように街があって、さらに街を囲むようにぐるっと森が存在するんだが、その森に特殊な結界が張ってあって森を抜けると街のどこかに飛ばされる。街には外界と同じように店や住居があって、人が普通に生活してる。他にはそうだな……小さいが山や川もある」
「森以外は外界と変わらないのね」
「俺にはそう見えるな。ああ、外界とちっと違うのは、魔物はでねえが幽鬼が出るな」
幽鬼?
なにそれ? ――とリタが首を傾げるが、ハインリヒは既に知っているのか特段驚く様子をみせない。
「幽鬼が何かは俺も知らねえ。ただ、そうだな――デュティが『花盗人』だと言ってたっけ」
ますますわからない。
だがゼノが分からないというのであれば、聞いても答えは見つからないだろう。
「そいつは森付近にしか現れねえし、普通に攻撃すれば消えるんで問題ねえけどな」
「君も知っての通りゼノは細かな点を気にしない。出来れば戻ってきた時に君の感想を聞かせて欲しいと思っているのだよ」
変わらねえぜ、というゼノの言葉をまるっと無視した形のハインリヒに、リタは神妙に頷いた。
リタ達と二百年も箱庭にいたゼノとでは感覚も異なるだろう。ゼノの常識は下手すると二百年前で止まっている可能性だってある。
箱庭の様子がゼノからしか聞けないというのは、確かに理解が及ばないことだらけでしょうね。
ちょっと遠い目になりつつも、リタの今回の目的は箱庭探索ではない。興味がないと言えば嘘になるが、第一目標はゼノの娘達の呪いを解く事だ。第二目標はフィリシアについて調べることでもある。箱庭側もリタに用事があるからリタを招待したのかもしれないので、そちらの話を聞く必要もあるだろう。それら諸々の過程で箱庭について知る事ができて共有可能であれば、ハインリヒには――クライツにも共有しても問題ないだろう。
「わかったわ。それで、箱庭から外界への連絡手段はあるの?」
「俺とノクトアドゥクスの間にはあるな。デュティが許可した通信の魔道具が使える。ハインリヒやクライツを通じてなら外からだって連絡つくと思うぜ?」
「必要があればハインリヒを通じて相互に連絡は出来るのね。それなら安心だわ」
リタはそう言ってアインスやトレに視線を送ると、二人がこくりと頷いた。
「ならばこちらの事はもう心配せずに、さっさと出発したまえ。早く着けば用事も早く終わってその分早く戻ってこれるだろう」
まるで難しい事をしに行く訳ではないとでもいうように、ハインリヒに追い立てられるように手を振られた。
「おねーちゃん、約束忘れないでよ!」
「ぜってーだからな」
「早く帰ってきてね!」
「暴走しないでよ」
「二人とも気をつけて」
「行ってらっしゃい!」
「こっちの事は心配いらないから」
「ゼノさんにもデュティさんにも迷惑をかけないようにね」
弟達やオルグが口々に告げる中、トレの言葉にうぐ、と呻きながらもリタは皆に手を振って歩き出した。
「賑やかだな」
「……ごめんなさい」
笑いながらのゼノの言葉にリタが恥ずかしさで頬を赤らめながら謝罪すれば、いいじゃねえかとゼノが朗らかに返した。
「オルグが嬉しそうに『行ってらっしゃい』って言ってたぜ。あんな台詞初めて言うんじゃねえか、あいつ」
おかしそうに、でもどこか嬉しそうに告げるゼノに、そうねとリタも笑って返した。
「オルグには助かってるわ。弟達も懐いてるし」
「あいつにとっても良い環境だと思うぜ」
偶然の拾いものではあったが、兄弟達によく馴染んでいる。
出会った頃よりも随分と表情が素直に明るくなったとゼノでもわかった。きっと今楽しいのだろう。
「サンク達と一緒に勉強もしているみたいよ。サンクやシェラが文字を教えているの。先生役が楽しいみたいで自分達も一生懸命勉強するようになって助かるってトレが言ってたわ」
「そいつぁ良かった」
「物覚えがいいから、すぐに二人を追い越すだろうって」
ハインリヒがクラスSになれる程の能力を持っていると言っていたぐらいだ。素材は優秀なんだろう。
ハインリヒは優秀な者が能力を活かせない環境を嫌うからな、とゼノが返せばリタもなるほどと納得したように頷いた。
「彼が優秀なのは理解しているわ。……ストーカーで陰険でもね」
ぼそりと眉根を寄せて呟いたリタは、相当しごかれたようだ。
ゼノは内心で苦笑した。
そんな会話を交わしながら皇都の馬車道に出て辻馬車に乗り込む。
皇都を抜けて皇国内を西に半日程進んだローグマイヤー公爵領内の外れにその転移陣は存在するのだ。
辻馬車内で昼食をとり、のんびりと進む。皇国内では魔物の襲撃を受けることは基本ない。
辻馬車を降りると、ゼノは迷うことなく街道から外れた森の中を目指して歩き出した。
リタも後に続きながら、不思議に思ったことを尋ねた。
「門は見えないと聞いたけれど……転移陣は見えるの?」
箱庭を探す者が過去にもいた筈だ。そういった輩に見つかることはないのだろうか。
「あ~……どうかな?物は見えると思うがそうとは気付かないんじゃねえか。気付いても使えねえし」
顎を擦りながらゼノはあまり気にせずに答えた。
「箱庭の住人を識別しているの?」
「ああ。転移陣は乗れば動くんだが、関係のない奴が乗っても動かねえ。破壊もできなかったな」
それは破壊しようとした者がいたということか。
「……厳重なのね」
「デュティは、箱庭は環境を変化させちゃダメなんだって言ってた。だから、変化の恐れがある物は招き入れないんだ。まあ正直なところ、デュティを相手にするには分が悪いと思うぜ。アイツ以上の魔術の使い手は見たことねえからな」
俺も勝てる気がしねえな。
その言葉にリタはごくりと息を呑んだ。
「……デュティという人は何者なの?人――じゃないわよね?」
人にそれほどの力があるものなのか。隔絶した世界を保つ魔術と寿命。
「箱庭の管理者だってことしか俺も知らねえな。巫山戯た奴ではあるが、悪い奴じゃねえからそこは安心していい。」
「そうなの……」
そう言われてもまったく安心は出来ないが、ゼノの味方で間違いないならリタの敵にはならないだろう――フィリシア様の関係でどう転がるかはわからないが。
だって、歓迎されている筈ですものね。
きゅ、と胸元で拳を握りしめながら思った。
* * *
かれこれ一時間ほどは歩いただろうか。
しばらくすると森の中で開けた場所に出てきた。近くに川が流れているのがわかる。
ゼノが川の側にある岩場に向かうのに続けば、その岩場の中に魔力的な光を帯びているものが混じっているのがわかった。
「もしかして……その光ってる岩場にあるの?」
「ああ。お前さんにも見えるか?箱庭に渡る資格がない者には光は見えねえと聞いてるから、ちゃんと招待されてるみてえだな」
「どうやって判別しているのかしら」
不思議に思い呟けば「メッセージカードだろ」とゼノが答えた。
「だって文章変わったんだろ?あのメッセージカードにはリタの名があったし、あれが許可証みてえになってると思うぜ」
他人の魔法鞄に入れたカードに干渉すること自体も驚きだったが、あれが許可証代わりになっていると聞けば納得出来る。カード自体に魔法陣を組み込んでいたのかも知れない。
箱庭の管理者が恐ろしいほどの魔術の使い手だというのは本当のようだ。
「こっちな」
手招きされてその魔力を帯びた岩に近づけば、足下付近にうっすらと光る魔法陣が見えた。直径一メートルほどの陣だ。
「乗れば勝手に起動するからな、行くぜ」
さっさと転移陣に乗ろうとするゼノのコートの裾を思わず掴んで、リタも後に続いた。
ふわりと魔法陣に魔力が満ちて、次いで自分のポーチからも魔力を感じた。ゼノが先程言ったメッセージカードが反応したのだろう。
次の瞬間には身体が魔力に包まれたのがわかった。
「え?」
瞬きひとつの間に景色が変わる。
「――え? もう移動したの?」
街の転移陣とは動作のスピードも質も異なる。空間移動による揺れもない。
「外界のとは違うだろ。え~と、ああ、やっぱ今回はこっちか」
驚くリタには構わず、ゼノは周囲をきょろきょろと見やって現在地を確認する。魔法陣から外に出ようと足を踏み出し、ぐいとコートが引っ張られて振り返れば、リタがコートの裾を掴んだまま周囲を見回していた。
「おい」
「あっ! ごめんなさい」
ゼノに咎められて慌ててコートから手を放す。
先程の森の中とは異なり、ここは巨岩に囲まれている。足下には似たような魔法陣があった。
ずかずかと巨岩の外に出て行くゼノの後についていけば、そこは見渡す限りの平原だ。
「リタを招待したってんで気を遣ったみてえだな。門に一番近い場所に転移してくれてる」
本来は皇国からじゃあ、直接ここには来ねえんだけどな、とくるりと振り返りながら告げるゼノにつられて、リタも巨岩を振り返れば、十数メートル先に巨大な門が見えた。
「……っ!」
大きい。
石造りの大きな門。
どうなっているのか、それはこの平原にぽつんと存在していた。
「門……!?これ、どうなってるの?」
大きな門だけが、そこにある。
門の周囲にも奥にも何も存在しない。平原がそのまま拡がり、遠くには山野があるだけだ。
「ふーん。やっぱリタにはちゃんと見えるんだな。ハインリヒにもノアにも見えなかったんだが」
「ハインリヒも来た事があるの!?」
確か招かれなければ来られないと言っていた筈だし、ハインリヒの口調では箱庭を訪れた事はなさそうだった。
「ここはまだ外界だから来れるさ。この場所だと地図上はどこの国にも属さない不毛の土地の筈だが。――まあ、門が現れるのは毎回ここって訳でもねえんだが」
「それは……この門の位置も変わる?もしかして、普段はここに存在しないのかしら」
その巨大な門に圧倒されながら、ハインリヒが場所は定かではないと言っていたのを思い出す。
「そう聞いてるな。転移陣が起動して初めて入口である門が姿を現すって聞いた気がする。まあ、俺に仕組みを聞くなよ?俺は帰りたいときにしか門を目指さねえから知らねえし、魔術についてはからっきしだ。説明されても右から左だしな」
それが正解だろう。ゼノに詳しい事を教えれば、きっとノクトアドゥクスに伝わる。わかっているからあまり詳しく説明していないのかもしれない。ゼノの言葉からでも色々推測して真実に辿りつくことが可能な人物が多い組織だ。
それにしても巨大な門ね……!
いや、巨大な門だけなら他の都市でも見た事はある。大きな街を囲うように壁が存在する門だってそこそこの大きさだし城の城門だって大きい。
圧倒されるのは見た目の大きさではない。
この恐ろしく強大な魔力に圧倒されるのだ……!
肌で感じるその魔力の大きさにぶるりと身体を震わせたとき、ゼノがまったく気にせずにその門に近づいて行った。リタも慌てて後を追う。
門の正面まで行くとリタを振り返った。
「ほら、行くぜ」
手を延べられてリタも覚悟を決めてその手を取る。
グローブ越しのその手が少し震えているように感じられて、ぎゅっと力をこめてその手を握った。
「ええ、行きましょう」
微笑して頷き返す。
ゼノが反対側の手で門に触れると、大きな門が僅かに内側に開いて光が迸る。思わず目をすがめて一瞬立ち竦んだが、ぐいとゼノに手を引かれるまま門の中に身を滑らせるように踏み込んだ。
平原の門は二人の姿をその内側に取り込むと、静かに門を閉じ、そのまま音もなく消え去った。
そこには巨大な門が存在したことなど微塵も感じられず、平原をただ風が流れていくだけだった。




