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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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プロローグ



 突き抜けるような晴天ながら、空の色がハイネの町とは異なり深味のある青だ。空気も幾分澄んでいるように思うのは、国全体が山に囲まれているからだろうか。

 アインスは朝の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込み、体中に行き渡らせるように目を閉じてから、少しずつ吐き出した。


「お早う、アインス。今日は早いね」


 庭で体を動かしていると、モーリー夫人がザルを手に家から出てきたところだった。


「おはようございます! あ、手伝います!」

「大丈夫よ。あなた達は自分の事をしていればいいの。家事はこちらでやるから」

「や、でもそういう訳には――」

「これは私の仕事だからね、取ってはだめよ」


 モーリー夫人は茶目っ気たっぷりにウインクしながら言うと、畑に向かった。その後をアインスも追う。


 ハインリヒがシグレン家につけてくれたモーリー夫人は、夫を早くに亡くし、ノクトアドゥクスの簡単な仕事をしながらこの皇国で一人暮らしをしていたそうだ。今回シグレン家が移住するにあたって、不便をきたさないよう、わざわざ住み込みで家事を始めとした様々な事を一手に引き受けてくれていた。

 リタやアインスは住み込なんて迷惑をかけられない、と恐縮して一度は断ったのだが、ハインリヒから「言葉巧みに罠にかけようとする不届き者に、いついかなる時にでも対処できる者が必要だ」と言われ大人しく従うに至った。

 ちなみにトレは最初から容認派だ。どちらかといえばぜひに、と言っていたので、あるいは親しみやすい見た目と異なりなかなかのツワモノなのかもしれない。

 少し小太りで笑顔がチャーミング。年齢はゼノよりも上でハインリヒよりも下だろうか。

 アインス達の亡くなった母は元冒険者だったし、アインスから見ても顔立ちのはっきりとした美人だったが、どちらかと言えば豪快なドゥーエタイプだったので、モーリー夫人は兄弟達には新鮮だった。


 まったく異なる場所でまったくタイプの違う大人と一緒に住む。生活が変わった事は、少し――ほんの少しだけ、父の不在を忘れさせてくれた。

 父はもういないんだな、という寂しさを感じる事はまだある。むしろ、これまでバラバラで緊張感を持って過ごしていた分、姉弟達が揃った今、強く思い返されるようにアインスは思った。

 目に見えていた目標がなくなった分、余計な事を考えられる時間ができたせいもあるだろう。

 ふと顔をあげれば、夏にも拘わらず冠雪したままの山が目に入る。

 ルクシリア皇国の象徴ともいえる峻険なノイエンバイリッシュ山は、一年中雪が溶けることのない山だという。雪もそうだが、ハイネでは絶対にお目にかかれない風景だ。

 オルグやゼノ、ハインリヒのように知り合いも増えたし、大丈夫。

 家族の世界は広がったのだ。


「畑だけじゃなく家畜を飼うと楽しいし食費も助かるかもしれないねえ」

「あ!それはみんな喜びそう」


 ぼんやりと考え事をしながら野菜の採集を手伝っていたアインスは、モーリー夫人の提案に嬉しそうな声を上げた。

 前の家では家畜を飼うスペースも余裕もなかったけれど、この家はそういったスペースも十分にある。シグレン家からしたらかなり贅沢だ。

 ここは以前宿舎の扱いだったとかで部屋数も多い。そして畑には元々野菜が育てられていたので、そのままありがたくいただいている。


「ここには魔獣や野獣はやって来ないの?」

「一応結界があるからねえ。滅多なことがない限り、この郊外でも問題ないわよ」

「そっか。ハイネの方が小物だけど野獣が多いんだな」

「そのかわり野にいる獣は強いから注意が必要なのよ。きっとハイネにいた生き物達より強いわ」


 ああ、寒いほうが強いって言うもんな~、と相槌を返すアインスに、ほほほと朗らかに笑い返しながら朝食用の野菜を籠に採集してゆく。


「にーちゃん!何やってんの」


 家の方からバタバタとオルグと弟達が駆け出してきた。

 いつもはもっと朝は遅いのに、今日はアインス同様早起きなようだ。寝汚いドゥーエまで起きてくるとは珍しい。


「今日はみんな早起きだな」

「だって~……」


 まだ眠たいのかサンクが目をごしごしこすりながら、半分眠った様な状態でシスに手を引かれて付いてきた。


「今日はリタ姉さんが箱庭に行く日でしょ? 見送らないと」


 フィーアもまだ少し眠そうな顔をしながらシェラと共に畑までやってくる。


「箱庭って大丈夫なんかな。噂を聞いてると怖いとこじゃんか」


 畑の柵に腰掛けながら、珍しくドゥーエが不安そうに呟いた。


「怖い所なのか? オレ、誰も入れないってことしか知らないんだけど」


 オルグがドゥーエの言葉に少し怯えるように問えば、サンクやシェラも不安そうにアインスやトレを見た。


「ゼノさんが一緒だし、心配はいらないよ」


 安心させるようにトレは言ったが、それでもドゥーエは唇を尖らせて「だってよ」と続けた。


「ねーちゃんに何かあっても、オレ達助けにいけないじゃんか」

「それはそうだけど……ゼノが一緒だからそう心配はいらないって」

「そんなのわかんねえじゃん。……ゼノやねーちゃんは強いけど……」


 ドゥーエの気持ちもわかる。大した力にはなれなくても、すぐに助けにいけない場所に行ってしまうのは不安だ。これ以上もう家族を失いたくはない。


「大丈夫だよ、きっと。……それより姉さんが暴走する方が心配だ」


 ドゥーエを安心させるためだろうか。するりとトレが矛先を変えた。


「フィリシア様が絡むと普通の女性のことより止まらないだろうね」


 フィーアも大きくため息をつきながら言えば


「ゼノじゃストッパーにならないよね」


 とシスもやや不安げだ。

 ただでさえ女性は最優先のリタだ。そのリタにとって一番優先されるのはフィリシア様なのだ。そのフィリシア様がいるかもしれない箱庭に行って、リタが大人しくしているかどうかはアインスも確かに心配だ。

 昨日までのはしゃぎっぷりを見ていたら不安しかないんだよなあ……

 腕組みしながらアインスが考えていると、家からリタも出てきた。


「みんな早いのね」

「「おねーちゃん」」

「ねーちゃん」


 いつもの冒険者スタイルのリタは、心なしか緊張しているように見えた。少なくとも昨日までのはしゃぎっぷりは鳴りをひそめている。


「ねーちゃんこそ、昨日と違って不安そうだな」


 リタはいつもこれぐらいに起きるので、そのあたりはいつも通りだ。

 抱きついてきたサンクの頭を撫でてやりながら、リタは視線を下に落としたまま「不安なのよ」と呟いた。


「ゼノには絶対に大丈夫と言ったけれど、本当に私に出来るのか。――私に出来るなら、フィリシア様に出来ないはずがないわ。だったら、フィリシア様は箱庭にはいないということでしょう?」


 あるいは、いても動けないか――


 難しい顔をするリタの様子にトレが大きくため息をついた。


「それは行ってみないとわからないよ。でも、約束して」

「なにを?」


 トレはリタの目をじっと見つめながら続けた。


「箱庭でフィリシア様に関する重大なことがわかっても、一人でそのまま動こうとしないって。必ず一度はここに帰って来るって」


 その言葉に、ハッとしたようにアインスもドゥーエも、他の弟たちもリタを見つめた。 

 そうだ。

 リタは女性が絡むと他の話などすっ飛んでしまう。しかも今回関わってくるのはリタが心から信奉するフィリシア関係だ。フィリシアに何かあったのであれば、きっとアインス達のことなど忘れてすぐさまそちらに飛んでいくに違いない。


「そうだよ、ねーちゃん。ねーちゃんのやりたい事は俺達止めないから。でもやる前に話だけは俺たちにも教えてくれよ。手伝える事だってあるかもしれない」


 アインスの言葉にリタは目を瞬かせてから笑った。


「大丈夫よ。フィリシア様のことは私にとって重要だけど、みんなの事も大事だもの。それにフィリシア様はおっしゃったわ。私自身が幸せじゃないとダメだって。私の幸せにはみんなの幸せが入っているもの。困ったことになったら、必ず頼るわよ」

御使(みつか)い関連でも一緒だからね」


 即座にトレが釘を刺せば、ぐ、と一瞬リタが詰まったのを見て皆の顔が一気に鋭くなった。


「ねーちゃん?」

「ぼくたち、何度だって戦うよ?」

「そーだぜ、ねーちゃん。ねーちゃんの問題はオレ達の問題でもあるんだからな!」

「ドゥーエがまともなこと言った!」

「なんだよ!だって、オレ達だってあの憎たらしい奴とイン――インケンあるじゃねえか!」

「因縁」


 トレに訂正されて「それ!」とドゥーエがトレを指さしながら叫ぶ。


「あんな連中とやりあうなんて危ないわ。あなた達が二度と巻き込まれないように――」

「危ないのはねーちゃんも一緒だろ」

「私は自分のことだし――」

「とにかく!」


 なおも言い募るリタの言葉をアインスが強い口調でぶった切った。


「ねーちゃん一人で抱え込まないこと。俺達家族なんだから。それが約束出来ないなら、ハインリヒさんに言ってなんか考えてもらうからな」

「なんでそこにハインリヒがでてくるのよ!?」

「ねーちゃんをちゃんと丸め込めるからだよ」


 断言されてリタが口をつぐんだ。

 アインスに同意するように、弟達みんなが毅然とした眼差しでリタを見つめてくるのを、思わず一歩さがって受け止める。

 ちょっとみんなアインスを中心にまとまりすぎじゃない!? 前はここまでなかったじゃない!と内心で叫ぶも言葉にはならない。

 リタが不在の間に弟達の間にできた絆は強固になったのだろう。

 それは理解できる。喜ばしいことだ。だが。


 七対一になる日がくるなんて……!!


 これまでに決してなかった状況にリタが打ち震えていると、オルグもうんうん頷きながらアインス達の側に寄っていった。


「オレも戦う。今度はあいつらにだって負けないからな」

「大丈夫よ!だって教会とはもう縁が切れたんだし」

「怨みを買ってる可能性もあるよ」


 さらりとトレが恐ろしい事を言い、リタが一人そんな!?と驚く中で、弟達が誰も驚きもしないことに、自分との認識の違いを知る。


「何かあったら必ず俺達に相談すること。これ絶対約束してくれよな」


 アインスにそうまとめられて、リタはしぶしぶ……本当にしぶしぶ頷いた。頷かなければこの話は終わらないと悟ったからだ。


「約束だからね!」

「おねーちゃんが嘘ついちゃダメだよ?」

「僕たち信じてるからね」

「わ、わかってるわよ!」

「今みんな聞いたから」


 シスやサンク、シェラにまで重ねて言われてヤケになって叫べば、フィーアが静かにトドメを刺しにくる。 

 うぐぅ……とリタが内心で呻いていると、ほほほ、とモーリー夫人の楽しそうな笑い声が場に落ちた。


「リタからの言質も取れた事だし、みんな朝ご飯にしましょうか」


 これはあれだ。リタは悟った。

 アインス達が言わなくてもモーリー夫人からハインリヒに話が伝わる案件だ。

 弟達をこれ以上危険な事に関わらせたくないだけなのに……!

 うう、と思いながら皆と家に向かうリタに、アインスがすぐ横に寄ってきてリタの顔を覗き込む。


「俺達だって、ねーちゃんのことが心配なんだよ。だってねーちゃんは避けられないことだから。味方は多い方がいいだろ」


 それはそうだけど、と往生際悪くぶつぶつ言うリタにアインスはトドメとばかりに言葉を放つ。


「とーちゃんも絶対そう言うけど?」

「……!」


 シグレン家では、父は絶対だ。

 母がお調子者だったので、家の中を取り仕切るのは父の役目だった。普段は母や子供達を自由にさせる父だったが、ダメと父が判断することは絶対に許してもらえない。にこやかな顔でそれはダメ、という父はかなり恐ろしく、怒らせると怖いのは母以上だった。滅多なことではNOと言わない父の発言力は絶大で、誰も逆らえない。怖いもの知らずで周囲を気にせずガンガン突き進んでいく母も、にっこり笑った父の「それはダメ」の言葉に顔を青くしながらこくこくと頷くことしか出来なかったのは、子供心によく覚えている。

 だからこそ、あの時皆が大人しく父に従ったのだ。

 教会を信じるな、逃げろ、との言葉に。


「…………わかったわ。絶対に相談する」


 父を引き合いに出されれば、リタもそうとしか返せなかった。


「うん。そうして」


 いつの間にこの子こんなに(したた)かになったのかしら、とアインスの成長が嬉しくも悔しくも感じて素直に喜べない。


「とにかく今は箱庭だね。危険はないと思うけど、ゼノさん以外は誰もわからない場所だから、本当に気をつけてね」


 複雑な想いを抱えて内心で呻くリタに、トレが重ねて注意を促す。


「そうね……何があるのかわからないもの。心しておくわ」


 ゼノがどのような思いでこの二百年を過ごしてきたのか、リタには想像もつかない。だが、ハインリヒは「期待することに疲れ切っている」と言っていた。そのゼノが、リタに頼むと言ったのだ。

 フィリシア様よりも何よりも、まずは目の前のゼノの力になりたいというのがリタの本心だ。ゼノは前世でも今生でもリタを、そして弟達を助けてくれた。


 今度は私が絶対に力になってみせる。 


 リタは気持ちを切り替えながら、不安を握りつぶすように拳を強く握りしめた。


  


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