エピローグ
ゼノのポーチに無造作に放り込まれた月色の精華石を取り出すと、デュティは静かにその部屋を後にした。
廊下をゆっくりと進み行けば、右手側にはめ殺しの大きな窓から街の様子が窺える。
数百年以上も変わる事のない風景。それを退屈だと思った事はない。この風景を維持することにこそ心血を注いできた。
風景は変わらなくても、ここに住む人の気持ちが変わっていくことだってある。
「動いちゃうかな」
だとすれば、どちらに動くだろう?
手の中で精華石を転がしながら、デュティは数週間前のことを思い出す。
本当は、精華石は別に今じゃなくても良かった。咲き始めたその花は、開花周期が長い分、今年から五年程度は各地でぽつぽつと花開く。来年でも再来年でも五年後でも問題ない。もっと言うなら、予備があったので八十数年後となる次の開花周期でも構わなかった。
だが今だったのは、精華石でなくゼノを外に出すためだ。
三十年前まではそれでももっと定期的に外界にでていたのに、この三十年は引き籠もるように外に出なくなった。暇さえあれば娘達の様子を見にくるゼノが、解呪の希望がない今の状況に疲弊し静かに壊れていくように見えて、デュティは密かに心配していた。
外界だと自身の外見が変わらないのに知人は老い死にゆき、一人取り残される感覚は心を蝕む。箱庭は時間の流れが緩やかで変化がない分、取り残される感覚はないが、変化がないことが逆に恐ろしさに拍車をかける。
娘達は一生、ずっと変わらずこのまま――
どちらに居すぎるのもゼノにはよくない。
だから、ちょうど良いと思った。
助けて欲しい、とお願いされたことにゼノを巻き込むのはいい案だと。上手くいくかどうかはわからなかったが、ゼノのこれまでの生き様を見ていれば、出逢いさえすればきっと放っておかない。
あからさまに動けば、目敏い連中が気付いてしまう。だから偶然になるよう、少し離れた都市にゼノを放り出した。よしんば上手くいかなくても、デュティなら助けは間に合う状況だった。
首尾は上々で、何も言わなくてもちゃんとゼノは黄金の聖女を救ってくれた。それもこの上ない手段で、最良の結果と共に。彼女は箱庭に閉じ込めなくても外界で自由に生きていける立場と協力者を得た。
「それでもゼノは思い出さなかったんだよねぇ」
これ以上ないきっかけだと思ったのだが、ゼノは何も思い出さなかった。
何故だろう? 確かに刻まれているはずなのに。
ゼノが思い出さないことを知ったらやはり悲しむだろうか。
ショックを受けて引き篭もったあの人のように。
「でも、ゼノはそういう事、気にしなさそうに見えるんだけど」
短くない付き合いからゼノの人柄は把握している。心配するような事を気にする人物には見えない。
ならば、要因は別にあるのではないかとデュティは思っている。
「娘達が目覚めたら、また変わってくるかな?」
そういえば、娘達と一緒にいるゼノを見たことはなかったなと思い返す。箱庭の子供達に対するものとは違うのだろうか。
「ゼノはどんなお父さんなんだろう」
楽しみだなと呟いて、デュティはゼノの娘達が眠りについている部屋に向かった。
彼女達が起きて動くのも楽しみだ。
この変化が箱庭に何をもたらすだろうか。
箱庭に変化が起きないようにすることが自分の務めだから、変化は困るし望んでいない。
だが、今回のこの変化は待ち遠しい。
自分がこれまでになく楽しみにしていることに気づいて、デュティは一人微笑した。
これで一応名前が出た人はみんな出たはず。




