(九)魔女の予言
場面転換部分の空行しかなかったところに、すべて「***」マークを入れました。
誤字脱字はちょこちょこ修正を行っています。
第五盟主に急き立てられてあの場を後にした一行は、途中野宿を重ねながら出口に向かって順調に進んでいた。精華石の効力も勿論だが、何より第五盟主が追い出したがっているのが大きいのだろう。
邪魔が一切入らない。
あえて言うなら第三盟主が邪魔だが、彼は時折姿を消してはまた現れてを繰り返し、何が目的なのかが読めない。野宿の時にはいなかったが、朝になるとまた姿を現し一日一緒に森を歩いている。
「そういえば昨日皇国でリタのお披露目の夜会があってね。折角だから僕からも貴族達に盛大に釘を刺しておいたんだ」
「リタも気の毒に。柄じゃねえだろうに」
「ドレスは着ていなかったよ」
「外見的には似合うんだろうがなあ。中身に無理があるよな」
ここで気にするべきはリタのドレスよりも、どんな釘刺しを行ったかではないだろうか、とクライツは思ったが口には出さない。
どのみち側にはハインリヒがいるのだ。心配はいらないだろう。
だが昨夜姿を消したのはそのためか。第三盟主は本当に自由気ままにに動いているようだ。
「で? お前はいつまでここにいるつもりだ? 徒歩の移動は嫌いだろ」
「歩くって時間の無駄だよね。僕ならどこにでも送ってあげられるんだけど?」
「いらねえよ」
二人の軽口を聞くともなしに聞いていたクライツは、はて?と疑問に首を傾げた。
「ゼノは魔術を一切受け付けないと聞いていますが、第三盟主の空間を通れるんですか?」
ゼノに効果がある魔術は限られていて、第五盟主の魔術すら効いていなかった。だが今の口ぶりだと第三盟主の空間は通れるようではないか。
「そりゃあゼノはいずれ僕の剣士になるからね」
「ならねえよ。 二百年前に自分の空間は通れるようにしろとデュティに直談判したんだよ、コイツ。だから右手の陣で他の転移陣同様、第三盟主の空間は俺も移動が出来る——使わねえけどな」
「使えばいいのに」
箱庭の管理人のみがゼノに対する魔法効果を付与出来るというのは本当らしい。第三盟主ですら自身ではどうにも出来ないものを自在に操るとは、箱庭の管理人とは一体何者か。
盟主や魔族の侵入も他の魔術師の介入も一切許さない、鉄壁の護りで守られた箱庭を作り上げた、またはその状態を維持出来るほどの人物だ。徒人であろう筈がない。そして恐らくは長い年月を生きている——
そもそも箱庭とはなんだろうか。
何のために存在しているのか。
住人は不老不死だか不老長寿だとかいう噂がまことしやかに流れているが、死ぬこと——正確には「殺せる」こと——をクライツは知っている。ただ死んだ後は遺体ではなく「花」が残った。彼らは「人」ではない別の生き物なのか。
過去にそれを調べようとした者たちもいたし、現在進行形で研究を続けている者もいる。だが手がかりはあまりにも少ない。
箱庭には、その鉄壁の護りにより住人と招かれた者しか入れないのだ。
過去に侵入を試みた例も記録に残されているが、無残な結果に終わっているようだ。
ゼノはどうやって箱庭に入る事が出来たんだろうか。娘達のことがある以前より箱庭と交流がなければおかしい。
今回明らかになったゼノの『前世』とやらが箱庭と関係があるという推測は、あながち間違ってはいないということか。だから箱庭は最初からゼノには友好的だった? あるいは、ゼノを招いた?
ハインリヒより手渡された資料の内容を思い返しながら、つらつらとそのようなことを考えていたクライツは、「そうそう」と楽しそうに手を叩いた第三盟主の言葉に意識を戻した。
「やっぱり昔なじみには会っておくべきだと思って、この森にアザレアを招待してるんだよ」
「いや、呼ぶなや。あいつのことだから問題ねえと思うが迷惑だろうが」
「だってルーリィだって来たんだろう? あの子も懲りないよねえ。今度会ったら孤島にでも飛ばしておくよ」
ルーリィはどうやら第三盟主にも疎まれているらしい。それでもどこかに飛ばされるだけで済んでいるとは幸運な存在だなと思いつつ、クライツは自身も聞いたことのある名について問う。
「アザレアとは『アルカントの魔女』ですか」
「ああ、そいつ」
アルカントの魔女は確か、齢五百年はいくかという元聖女だったか。ゼノとは古くからの知り合いだとあった。急にこの青い森に放り込まれたというのなら、確かに迷惑以外の何物でもないだろうな。
気の毒に思いつつも、第三盟主が楽しそうにクライツを見ているのに気付き、どうやらまたノア関係で何かあるらしいと悟った。
アザレアがノアと知り合いでも別に不思議はないが、悪趣味に分類されそうな何かを期待されているように見える。
——本当にはた迷惑な御仁だ
直接的な攻撃はなくても、影に表に嫌らしく動き回るのはタチが悪い。
「ゼノ達が森に入った後に放り込んだから、今はどこにいるかな——ああ、場所を移動していないね。入口からそう離れていない所にいるままだ」
それが賢い選択だな。彼女からすれば動き回る理由もない。
おまけにゼノがその場に来なくても、アザレアが困る訳でもない。だがきっと、第三盟主がゼノ達をその場に誘導するだろう。それが目的でずっとついてきているのか。
果たして、しばらく進むと開けた場所に出た。近くでは水の流れる音もするので、あの群生地にあった沢に通じる小川があるのだろう。テントがあるので魔女はここで待機していたようだ。
「アザレアはいねえな」
「確かにちょくちょく移動はしていたみたいだけど、すぐに戻ってくるんじゃないかな?今日は森にいるのを見たし、結界魔法陣も動いている」
と、まったく結界を気にしない第三盟主の言葉に、注意深く周囲を窺えば、確かに四方に魔法陣が刻まれているのがわかった。だが焚き火の跡は一日以上は経過しているようだ。
「ああ、ほら」
声と同時に地面を踏み締める音が聞こえ、そちらから一人の女性がこちらに向かって歩いてくる姿が確認できた。
「おう、久しぶり。まだくたばってなかったんだな」
「引き篭もりがほざくんじゃないよ」
ゼノの悪態にハスキーボイスで口悪く言い返した魔女は、中々の美女だ。腰まで届くきつくウェーブのかかった藍色の髪に、大きな水色の石がついたイヤリング、腕にもいくつか付けているブレスレットには魔石が何個か嵌っているのが見てとれる。フードを後ろに落とした黒いローブの中は、シンプルなパンツスタイルだ。
年の頃は二十代半ばに見えるが、醸し出す雰囲気と黄色の目には五百年を生き抜いた老獪さと疲れのようなものを感じる。その目がゆるりとクライツに向けられ、一瞬、ほんの僅かに瞳が揺れたのがわかった。どのような反応を返されるかと注視していなければ気付かない程度の動揺。
——なるほど。齢を重ねているだけのことはある。
「アザレアは本当に動揺しないよね。もっと派手に驚くかと思ったのに」
ちぇ、とつまらなさそうに唇を尖らせた第三盟主に、アザレアは肩をすくめてみせた。
「長いこと生きていると、そっくりさんとの邂逅なんざ珍しくもないんだよ」
「だって、ノアだよ?」
ふふふ、と笑う第三盟主の言葉は意味深だ。
だがアザレアは鼻で笑っただけだった。
「まあ、この場ではこれ以上はないよね。今後に期待かな」
今後とはなんだ、と内心でツッコミを入れつつも、じゃあもういいや、と空間を開いて消えようとする第三盟主にはもちろん何も問わない。
「じゃあゼノ、またね。新しい顔も古い顔も増えたんだし、今後はちょくちょく外に出ておいでよ」
「うるせえよ。だが、まあ——リタのことは頼まれたからな。たまに様子は見に行くさ」
ゼノのその言葉に第三盟主とアザレアが目を細めた。
頼まれたとは、ミルデスタでのフィリシアの言葉か。
クライツは目にしていないが、ハインリヒからの資料には記載されていた。
「——そうだね。近いうちにまた会えそうで安心したよ」
ふ、とこれまでとは異なる笑みを浮かべてから、第三盟主は自身の作り出し空間に身を滑らせ姿を消した。
「……完全に立ち去ったね」
アザレアが空間のあった場所を見つめながらそう呟いた。盗み聞きを得意とする第三盟主は、姿を消したからといってその場から本当に消えたとは限らない。空間からこちらの様子を見ていることもままあるらしい。
アザレアはその判断がつくのだろうか。
「大人しくついてきた方だな」
ゼノが肩をすくめながら返すと、アザレアも大きくため息をついた。
「アザレアも無理やりここまで連れてこられたんじゃねえのか」
「いつものことさ。ああ、それから——起こったことは大体把握しているよ。あんたのことはあいつが逐一報告しにくるのさ」
昔から迷惑なことだよ、と腰に手を当て髪をかきあげながら吐き捨てるように言い置き、顎で座るように示された。
「どのみち今日中に森は抜けられない。ここいらで泊まっていったらどうだい?」
「それもそうだな。ちっと早いが構わねえか?」
ゼノに問われ「もちろんです」と返し、こちらも野営の準備を始めた。
実のところ、クライツにしても昨日の第二盟主とゼノの戦闘からの疲れが取れていない。シュリーに治癒魔法をかけてもらったが、気疲れもあって少しゆっくりしたいというのが本音だ。普段は動じずに色々サポートしてくれるシュリーも、流石に盟主三人との邂逅は精神的ダメージが大きかったのか、疲れた表情が隠せていなかった。デルはクライツと一緒に師匠であるハインリヒのしごきを受けた身なのでクライツ同様、少々のことでは表情に表れない。
だが一呼吸置けるのは助かる。
アザレアが使用していた焚き火を拝借し、そのままだと鍋は小さいのでこちらが持参した物を使う。具材はゼノがポーチから出した——箱庭から補給されたそうだ——肉や野菜で、そこにアザレアが香草と香辛料などで味付けを行った。食欲をそそるいい香りだ。クライツが初めて食する味つけだが、お世辞抜きで美味しい。
「あ~、これ喰うとアザレアの飯だなって気がする」
ゼノが椀を啜りながらどこか懐かしむようにほっと一息ついた。
「初めての味ですが、これは確かに美味しいですね」
「はい。柔らかい味じゃないのに、落ち着くというか……ほっとする味ですね」
「この香草、精神安定系の効能がある分ですね」
クライツ達の感想に「随分お疲れのようだ」と魔女が笑う。
「まあ、コイツと関われば大変な目に遭うのは仕方ないさ。それを苦もなく対応できる者にしかハインリヒだって担当を任せやしないだろうがね」
「苦もなく対応できるとは言えませんねえ」
そこは即座に否定したクライツだが、ゼノもアザレアも苦笑を返すのみだ。
「だがまだ立って動いてる」
それは恐ろしい評価だな……それでは動けなくなった者が過去にいたかのような——いたのかもしれないな。昨日はあまり楽しい体験ではなかった。
ゼノ達の評価にちょっとクライツは遠い目になった。
「まあそれはいいさ——お、なんか追加された」
そう言ってゼノが取りだしたのは焼きたてのパンとデザートだ。
「ゼノのポーチは便利ですね」
ポーチは箱庭と繋がっていると確かに聞いたが、こちらの状況までそれでわかるのか。それとも右手の魔法陣か。第三盟主の盗み聞きよりタチが悪そうに感じるが、それを差し引いても状況に応じた支援物資が届けられるのは貴重だ。
「だろ? どうやらアザレアが一緒ってわかってて補給してくれたみてえだぜ」
ほらよ、と次に取り出したのは酒だ。
「ああ、あたしの好みの辛口の酒だね。さすがよくわかってる」
「デュティもアザレアには気を遣ってるみてえだな」
ゼノが杯をアザレアとクライツに手渡しながら酒を注いでくれる。シュリーとデルが酒を辞退すると、代わりにパンとデザートを渡された。
「……アザレア殿は箱庭の管理人に会った事があるんですか?」
手渡された酒の杯に口をつけながら問えば、彼女は一瞬動きを止めてから、昔ね、と短く答えた。
「俺の養女でもあるサラは、元々アザレアの弟子なんだよ。だから、当時も色々と尽力してくれた」
当時とは、ゼノの娘達が呪いに倒れた時のことだ。自身も杯を煽りながら、ゼノはその時の事を思い出すように目を細めた。
その様子を目の端にとめながら、サラ=クロードについて書かれた事を思い出す。ラロブラッドで虐待されていたのを魔女に救われ、その後ゼノの養女になったとあった。確か実子のアーシェ=クロードより一才下だった筈だ。
箱庭はやはりゼノに非常に心を砕いているように感じられた。アザレアがゼノの娘に関わっているから親切なのではないか?
頭の中で仮説を立てていると、
「この森の中でシャーベット……」
ぽつりと呟いたシュリーの声がことのほか通って、皆がシュリーに目を向けた。それに気づいたシュリーが顔を真っ赤にして俯く。
「す、すみません!大事なお話の途中に……!」
「いや、食事の時は食べることを楽しめばいいのさ。あたしも、美味い酒を大勢で飲めるならそっちを楽しみたい。何せこの森に入ってからは植物と魔物しかいなかったからね。小難しい事は放っておきな——お前のことだよ、梟」
アザレアに指摘されて思わず咽せた。
「……そう言えばまだ名乗っていませんでしたね」
梟、と呼ばれたことで今更ながらその事に思い至り杯を置いた。
「クライツ=ゼムベルクと申します。こっちはサポートのシュリーに護衛兼隠密のデル」
「知ってる」
すげなく返されて、ならば先ほどの梟呼びはわざとか、と笑顔を貼り付けたまま首を傾げてみせると、鼻で笑われた。
「ハインリヒといいお前といい、常に肚で色々考えるのは悪い癖さ。食わせ者の梟ほどそういう傾向だね」
「食わせ者同士、気があうんじゃねえの?」
馬鹿お言いでないよ、とゼノはアザレアにデコピンをされて額を押さえる。
見た目はゼノの方が年上だが、やはりアザレアの方が年長 —— それもかなりな—— のためか、ゼノも頭が上がらないようだ。
「ああ、そうだ。皇国にリタっていう聖女がいるんだがな。あいつに魔法陣教えてやってくれねえか? 教会とは一旦決着がついたとはいえ、今後何があるかわからねえからよ。攻撃手段を増やしてやりてえ」
アザレアの言葉に反応する間もなく、ゼノがアザレアに別の話題を振ったので、クライツもそれ以上は何も言わなかった。
「今世の聖女は女神フィリシアの御使いとして教会や神殿から逃したんだってね。カグヅチの力なしに納得させられたんならよかったさ」
それに。
と、アザレアは杯を傾けながら口許に笑みを履いた。
「本当に違うんだろう? これまでの聖女とは」
「本当か嘘かなんざ俺にはわからねえよ」
肩をすくめて返すゼノは、どこか不貞腐れているようにも見えた。前世がどうのフィリシアがどうのと、ゼノにとっては訳のわからないことで突かれるのに嫌気もさしてきているのだ。
そんなゼノを横目に、クライツは別のことを考えていた。
——色を纏うと言うならば、盟主達に通じるものがある。
第三盟主の力の残滓は金色だ。彼の髪色とも合致する。第二盟主も魔力の残滓は黒色で髪は黒だ。それでいくなら、第五盟主は髪色が緑だったので魔力は緑色かもしれないと推測できる。もしもそうならば第一盟主は白とも白金ともとれる髪色なので白色を纏い、第四盟主は紅色か。
金色を纏うリタは金髪だが、リタよりも強力な力を持った聖女フィリシアの力は白を纏っていたが髪色はストロベリーブロンドだ。人の場合は髪色と纏う色に共通性はなかったとしても、一番強い力を持っている色が「白」であるという点が、盟主達と似ている。
だとするならば——
そこまで考えて、クライツは視線を感じて顔を上げた。こちらを見つめるアザレアと目が合う。その視線に一瞬身構えたクライツだが、彼女は何を言うでもなく、ふいと視線を逸らしてゼノに「いいよ」と答えた。
「聖女なら攻撃魔法は使えないんだろう? ならば魔法陣の書き方を教えておいてやるよ。根源は異なっても聖女の後輩なら、出来るだけ助けてあげたいからね」
なんだか何かをはぐらかされた気分だなと、アザレアの態度に引っ掛かりを感じながらも、無言のまま杯を傾ける。
「また折を見てルクシリア皇国に寄ってみるさ」
「頼んだ——ああ、これ渡しとくぜ」
そう言ってゼノはポーチを漁り、いくつか魔石を取り出すとアザレアに手渡した。アザレアは見定めるように手の平で魔石を転がして、くすりと笑った。
「相変わらずの純度だね。腕は落ちていないようだ」
「それぐらいでないとアザレアには意味ねえだろ」
まあね、と頷き返しながら懐に魔石をしまうと、その場には沈黙が落ちた。
火の爆ぜる音と、どこか遠くでそれこそ梟の鳴き声が聞こえる。
魔性の多い青い森でも、逞しく生息する野の獣や鳥は存在する。ゼノのおかげであるいはここ数日は危険度がさがり、彼らにとっても過ごしやすい状況であったのかもしれない。
ぼんやりとそんな取り止めのない事を考えていたクライツは、またも視線を感じて顔をあげれば、やはりアザレアがクライツを見つめていた。真剣な眼差しだ。
——これは、ノア絡みだろうか。
そういえば第三盟主が意味深だったなと思い出す。
どうやらゼノの昔馴染みと会う時は、しばらくこういった事が起こりそうだなと、アザレアの視線から逃げるように俯き、首の後ろを撫でた。
「——動くね」
ぽつりとアザレアが呟いた。
「……ああ?」
意味を取り損ねてゼノが眉を顰めて問い返し、クライツも再びアザレアを見遣ったが、彼女は焚き火をじっと見つめていた。
「長く生きていると、わかるんだよ。時代が動く気配っていうのが」
——これから事態は大きく動き出す
静かに続いたアザレアの言葉に、師匠であるハインリヒの言葉が重なった。
「ゼノ。お前さんの周囲は大きく動き出すよ」
胡乱げにアザレアを見つめるゼノには視線も寄越さず、彼女はたき火を見つめたまま言葉を続ける。
「ルクシリア皇国のルードヴィヒ皇帝、ハールヴェイツ家から輩出された騎士団長。おまけに梟にはそっくりさん——二百年前と同じだ。そこに加えてこれまでとは異なる力を持つ聖女という新しい要素」
淡々と告げるアザレアの言葉を、ゼノは眉根を寄せて黙って聞いていた。
「娘達も目覚めるだろう」
「——アザレア!」
殺気を孕んだゼノの鋭い言葉に、アザレアは少しも動じずにゼノを真正面から見やった。
「根拠もねえことを軽々しく言うな」
はん、とアザレアは鼻で笑った。
「何を恐れる? 何故諦める?——あたしは待っていた。サラやアーシェが目覚めるのを。あたしが今日まで生きているのは、あの子達が目覚めるのを見届けるためだ。聖女の力はこれまでにないほど強力で、この世界とは異なる力なんだろう? ヒミカやオオヒルメ様の力が及ばないことも、呪いが別の世界のものだということもあたしは最初から知っていたんだよ」
「……っ!」
その言葉に、ゼノは目を見開いて固まった。
「あの日のあれは、ただの魔族の暴走じゃない。第六盟主をお前さんが斬った時に開いたあの空間は、別の世界に通じていた。呪いはそこから来たんだよ」
語られた内容にゼノが動揺したように杯を取り落としたが、クライツも息を呑んだ。
第六盟主を斬った——? いや、それよりも——
「——別の世界の呪いというのは、まさか俺の——」
「お前さん自身の呪いは関係ない。まったく別の呪いさ。斬ったことで道がより開いたが、斬られた第六盟主があちら側に落ちたことで道は閉じたんだ。あの瞬間あの場にいた者は全員命を落とし、その中でサラとアーシェだけが生き残った」
まるで見ていたかのように語るアザレアに、クライツは疑念を感じた。
資料にはそこまで詳しくは記されていなかった。あの時何が起こったのかを正確に知る者はいないと——存在していないとあったのは偽りか、本当に知り得なかったか、あるいは——あえて残さなかったのか。
それが可能なのは——ノア=ジェスター?
「二人が生き延びたのは、箱庭の管理者が助けたからさ。呪いの濃度を薄めることで生かしたんだよ。でなければ他の者と同様に即死だったね。それほど強力な呪いだったのさ」
アザレアはそこまで語ると、ゼノの足元にあった酒瓶をとり、自身の杯に注いで煽った。
ゼノは茫然としてアザレアを見つめたまま動かない。ゼノにしても初めて聞くことだった。
シュリーとデルも口を閉ざしたまま様子を窺う。クライツは湧きおこる様々な疑念を頭の中で整理することで一杯だ。
ハインリヒはどこまで知っているのだろうか。
「……今まで、そんな事これっぽっちも……」
「言ったところでどうにもならない。呪いが解ける訳ではないし、あの場の直接の原因などわかったところで意味もないだろう」
その言葉にぐっと詰まりながらゼノはアザレアを睨みつけた。
「だが! だったらあれは俺の——」
「亀裂はすでに存在していた。だから魔族が暴走していたのさ。亀裂に気付かずじわじわと知らぬ間に世界が蝕まれていくか、お前さんが結果として開くことになった穴から一気に呪いが吹き出すかの違いなだけで、あの場にいた者は遅かれ早かれ呪いを受けた。だから別に、お前さんのせいという訳でもない。逆に言えばお前さんのおかげで亀裂も消えたんだ。——こんな話をお前さんに聞かせたところで詮ないだろ」
ゼノが第六盟主を斬り倒したので元々あった亀裂が広がり、一気に噴き出た呪いで娘たちも倒れた。だが、第六盟主を倒してなければ、亀裂から気づかれる事なく呪いが噴き出し続け、いずれはゼノの娘達をはじめとする人々を蝕んでいた——ということか。
なるほど。それで言うならゼノは被害を最小限に抑えた事になる。
だが、そう知らされても素直に喜べないゼノの気持ちも理解できる。
「だから、金の聖女を箱庭に連れてお行き。彼女ならきっと呪いを解いてくれる。彼女でダメなら、後はもう、白の聖女と呼ばれるフィリシアにしか解けないよ」
「フィリシア——」
「お前さんに加護を与えた聖女さ」
ゼノの手が微かに震えているのがわかった。
それは恐れなのか戸惑いなのかあるいは驚きなのか——クライツからは計りかねたが、盟主と対峙していた時さえ見せなかった動揺だ。クライツの顔を見た時ともまったく異なる。
「この森を出たら戻るんだろう?箱庭に。その時にでも彼女を連れて行くといい。きっと箱庭は拒否しないよ。——管理者はお前さんの味方だから」
それだけ言い置くと、アザレアはもう寝るよとテントの中に入っていった。残されたクライツ達は顔を見合わせ、とりあえずこちらも片付けを始める。
「考えたい事はお互い多々ありそうですが、今宵はお開きにしましょうか」
「……ああ、そうだな」
片付けはこちらでやります、とシュリーとデルが請負い、ゼノは片手を上げてテントに入るのではなく、近くを流れている小川の方へ歩いて行った。
クライツは少し逡巡してから、この場をシュリーに任せてゼノの後を追うように一歩踏み出した。
「およし」
すぐさまテントの中からアザレアの制止する声が飛んだ。姿は見せないが、こちらの動きを窺っていたのだろうか。
「この件について何も知らないお前さんの言葉など通らないよ。放っておきな。ゼノだって気持ちの整理がいる」
クライツは足を止めたまま無言でその言葉を聞いていたが、踵を返すとアザレアのいるテントの入り口を断りなく乱暴に開けて一歩踏み込んだ。
アザレアはそんなクライツの態度を咎めるでもなく、片膝を立てて座ったまま見上げてくるのに、クライツの方がたじろいだが表には出さない。
「……ノクトアドゥクスには当時の事はそこまで詳しく残されていませんでした。アザレア殿はその場にいたのですか?」
「残さなかったのはノアの判断さね」
やはりノアか。
当然だ。それが可能な人物など一人しかいない。
「ノアはそれをその場で見ていたんですか」
「あの場にいた者は誰一人例外なく呪いを受けた。ゼノと娘達は別々の場所で戦っていたのさ。だから斬ったゼノは呪いを受けていない——まあ、あの呪いがゼノに効いたかどうかは怪しいところだがね」
「ゼノは魔術だけでなく、呪いまで無効化されると?」
「呪いより強力な加護がついてる。魂に刻まれた呪いにしたって、本人が魔力を使えないようにすることで精一杯さ。ゼノにとっては痛くも痒くもない呪いだろうよ」
あの膨大な魔力が使えないのは魔術師から見れば惜しいことだがね、と続けて笑う。
クライツは片眉を上げてアザレアを睨み付けた。
「あなたには魔族の呪いの影響がわかると?」
「あたしは魔女だよ?」
ふふふ、と蠱惑的に微笑するアザレアに虚を突かれて押し黙った。
質問はするりとはぐらかされ、手にできる情報はアザレアに導かれるまま。この話の主導権を奪われる感覚はハインリヒに似ている。こちらが圧倒的に情報量が足りていないので、まったく太刀打ち出来ない。
流石は五百年を生き抜いた猛者だな——
これはダメだ。クライツは早々に白旗をあげた。
「なるほど。俺が立ち向かえる相手ではないな」
取り繕った態度をかなぐり捨てて諸手を挙げて降参の意を示せば、アザレアはついと視線を逸らして気だるげに髪をかき上げた。
「なら、もう出てお行き。ゼノの事は放っておいて問題ない」
「わかった」
クライツは大人しくアザレアの言葉に従いテントを後にする。
シュリーとデルが火の始末をしてこちらも休める状態を整え終わったようだ。ゼノはまだ帰ってきていないが、アザレアが問題ないというならそうなのだろう。
「私達も休もうか」
そう声をかけて自分達のテントに潜り込む。
アザレアは他にも色々と情報を持っていそうだ。ハインリヒはそのうちのどの程度を知っているのだろうか。
ああ、本当に——ゼノと出会ってからこっち、情報量の多さに目眩がしそうだ!
クライツは頭を抱えながら、倒れるように眠りについた。




