(八)招待状
ルクシリア皇国の皇女オリヴィエはその姿を一目見たとき、噂に聞いていた以上の美しさに目を奪われた。
ルクシリア皇国では滅多にお目にかかれない、流れるような金糸に意志の強そうな紫とも蒼ともとれる色の瞳。夜会の場でありながらドレス姿ではなく動きやすさを重視した、ショートパンツにニーハイソックスという出で立ちは、コートがあるとはいえ足を見せない貴族女性達を見慣れているオリヴィエにはどこか刺激的に映った。
だがそこには媚びも甘さも一切感じられず、自国の騎士達に通ずる凛とした強者の雰囲気を纏っていた。
——御使い様は戦士なのだわ
自然と納得できた。
「この度我が国で保護する事になった女神フィリシアの御使い、リタ=シグレン殿だ。我が国で保護するとは言え、彼女は誰にも膝をつく事のない存在。容易に彼女に近づく事は許さぬ。何かある時はローグマイヤー公爵を通すように心得よ」
皇帝の言葉に集った貴族達が頭を下げて諾の意を示す。
御使い様も一歩前に進み出ると無言で皆に頭を下げた。
紹介はそれで終了し、後は歓談の時間となった。
今日の夜会は通常の夜会とは異なり、女神フィリシアの御使いを、この国の貴族達に紹介という名の釘刺しを行うためのものだ。本来であれば皇族とは言えまだ成人していないオリヴィエが参加できるものではなかったが、この歓談の時間に御使いの側にいるよう皇帝である父から指示を受けていた。
私に牽制が務まるかしら。
未成年の皇女が側にいれば、不埒なことを目論む輩も近付きにくいだろうという配慮からだと、母である皇妃に言い含められている。兄達でないのは、くだらない噂がこれ以上流れるのを防ぐためだ。
公の場での初めての仕事に緊張しながらも、侍女と共に御使い様の側に歩み寄る。側に立つローグマイヤー公爵に視線で伺いを立てると、公爵はにこりと微笑んで頷き返した。
「御使い様」
側に寄ればその美しさに気圧された。美しすぎると気後れするものなのねと緊張しながら声をかければ、無表情で正面を見据えていた御使い——リタが、オリヴィエの方を向き、ふわりと微笑んだ。
先程の冷徹なイメージが一転、とても優しく親しみやすい雰囲気になりオリヴィエはどぎまぎしながら微笑した。
「お初にお目にかかります。ルードヴィヒが娘、オリヴィエ=ルム=ルクシリアにございます。どうぞお見知りおきくださいませ」
マナーの教師に厳しく躾けられたカーテシ-を披露すると「はぅっ……」と短い声が前方から聞こえた。
見れば、御使い様が口許を押さえて身体を震わせているのを、公爵が肘で突いているところだった。
御使い様はこほんと軽く咳払いすると、すいと左足を後ろに引き、右手を前に左手を腰の後ろに回して綺麗なお辞儀をした。
「リタ=シグレンと申します。オリヴィエ皇女様。どうぞ私のことはリタとお呼び下さいませ」
笑顔がとても優しかったことにオリヴィエもほっと胸を撫で下ろした。
「ではどうぞ私のこともオリヴィエと」
「それは恐れ多い事でございます。私は御使いとはなっておりますが平民です。どうか皇女様と呼ばわらせて下さいませ」
そうお願いされても、先程リタは誰にも膝をつく存在ではないと皇帝が断言した。ならば自分とリタの立場は対等の筈だ。
こてんと首を傾げるオリヴィエに、ローグマイヤー公爵が苦笑した。
「皇女様。リタは貴族ではない故に、気安くお名前を呼ばわる方が気を遣うのです。彼女のためにもお許しください」
「そうなのですか?」
「はい。私は平民ですので、皇女様のような雲上人と接する機会などございません。そのようなお方のお名前を呼ばわるなど恐れ多すぎます。正直なところ……今でも緊張でこの会場から逃げ出したいぐらいなのです」
丁寧ではあるが偽りの感じられない言葉に、オリヴィエはくすりと笑った。
正直なところ、一部貴族の間では不穏な噂がまことしやかに流れていてオリヴィエも不安に感じていたのだ。
御使いという聖女と同じ稀有な力をもつ非常に美しい娘が、ローグマイヤー公爵の庇護を受け国に滞在すると聞き、リタと年の近しい息子達がいる家門が彼女を取り込むために狙っていると。そのため未婚の貴族女性達はリタの存在に恐れ戦いていた。
オリヴィエの二番目の兄——第二皇子には婚約者はちゃんといるが、すげ替えるのではないかと心ない噂も流れていた程だ(皇帝がはっきりと否定していたが)。
オリヴィエが秋から留学する予定の学園では、そのように権力者の息子に言い寄る下級貴族の娘がいるのだと、ひとつ上の友人でもある侯爵家の令嬢が教えてくれた。リタがそうではないとの保証もなかった。彼女が望めばそのような事がまかり通るかもしれない、と。
だが、こうしてリタに会えば確かに非常に美しいが、彼女は戦士然としていてあまり権力にも興味がなさそうに見えた。公爵の態度からもかなり彼女を気に入っているのが見て取れる。
「そうなのですね。見たところリタはとても戦士然としていて、我が国の騎士に通じるものを感じます。それは御使い様だからでしょうか」
「そのように見ていただけるとは光栄です。私はレーヴェンシェルツのクラスA冒険者なのです」
「まあ! 私とあまり変わらないお年に見えますのに、クラスAですの? リタはとても強いのですね」
「ええ、なかなかの腕前でしたよ。しかも、第三盟主と相対しても恐れない肝の据わりようです」
—— 本当にお強いのだわ!
目をキラキラと輝かせるオリヴィエに、リタが苦笑して否定した。
「いえ、私などまだまだです。もっと強くあらねばフィリシア様の足下にも及びません」
リタの瞳に強い決意のようなものが見え、オリヴィエはリタが父に気に入られる理由も理解できた。なるほど。彼女は浮ついた存在ではなく、地に足をつけちゃんと自分で立つ者なのだ。
「私、ぜひリタとお友達になりたいわ」
そのオリヴィエの言葉にリタが驚いたように目を見開き、次いで花が咲くように笑った。
「光栄です、皇女様」
* * *
ああ、早く帰りたい。
リタはげんなりしつつ、目の前で頭を下げる貴族達を目に入れないようにしながら頭を下げる。口を開く必要はないと言われていた。
国内貴族への釘刺しはしておかねば、とリタからすればよくわからない理由でこの夜会に参加している。
服装は常の冒険者スタイルで構わないとの言葉がなければ断固拒否した所だ。だが皇帝陛下とローグマイヤー公爵に加えてハインリヒにまで参加しろと言われれば拒否権などない。
——しかしまさか、ハインリヒがこの国の爵位を持っていたとは。
侮れない男だわ、とこの会場のどこかにいる筈の男を探すが、人が多すぎる上に華やかすぎて顔がわからない。
そうこうしているうちに、何やら皆が自由に動き出した。歓談の時間があると聞いてはいたが、リタからすれば貴族達と会話をする必要性などない。
ああ、でも……
そろりと視線だけを会場に巡らせれば、着飾った女性達がいるのが見える。
彼女達を近くで見てみたかったかも。
「御使い様」
気持ちを会場の淑女達に飛ばしていたリタは、横から聞こえてきた可愛らしい声に笑顔で振り向いて目を見開く。
—— なんて可愛いの!
ゆるくウェーブのかかった黒髪に蒼い瞳の、アインスぐらいの年頃の少女が微笑みながら立っていて、リタは思わず声が出そうになるのをぐっと堪えた。
「お初にお目にかかります。ルードヴィヒが娘、オリヴィエ=ルム=ルクシリアにございます。どうぞお見知りおきくださいませ」
—— 超可愛い!! やだ、これがお姫さまという生き物なの!? 気品があるわ。私達とは空気が違う!
「はうっ……」
堪えきれずに思わず声を漏らした時、横に立つ公爵様から肘で脇腹を突かれた。それと同時に、明らかな怒気を感じてはっと表情を改める。
——ハインリヒだわ!
瞬時に悟り、怒気を感じた方向に視線を動かせば確かにいた。微笑を浮かべているけれど、リタにビシバシと険を飛ばしているのがわかる。
わかってるわよ。ちゃんとやるわよ。
内心でぶつぶつ文句を言いながらも、表情が自然ににやけるのを止められなかった。
ああ、可愛い。お友達にしてくれるって!! こんな素敵な事ってある? これなんのご褒美?
ルクシリア皇国に保護までしてもらえるのに、こんな可愛らしい皇女様とお友達にまでなれるなんて信じられない幸運だわ!
側から見ればただの笑顔にしか見えなかっただろうが、内心はもう大興奮だ。この場にアインスやトレがいたなら皇女様危ない!と引き離される案件だが、幸いにもこの場にリタの本性を知っている者は、いるにはいたが放置中だった。
「オリヴィエは随分と御使い殿と仲良くなったのだな」
「お兄様」
にこにこと笑顔で話している二人の元に、この国の皇太子と皇太子妃、第二皇子が婚約者と共にやってきた。
リタはオリヴィエにむけていた満面の笑みをさっと消すと、仏頂面にならない程度に微笑を浮かべて、ローグマイヤー公爵に叩き込まれた礼をとる。
「リタ=シグレンと申します。この度は我が家族を保護くださり誠にありがとうございます」
「教会を相手に家族総出でよく戦ったのだとヴォルフライトから聞いている。教会との間に心配はなくなっても、盟主との関係が懸念されることも聞き及んでいる。——剣聖殿もついているので心配はいらぬと思うが……我々も御使い殿の力になれればと思う。何かあれば公爵を通じて声をかけてくれ。皇帝よりもまだ身軽に動ける身だ」
「もったいないお言葉を賜りありがとうございます。——私が望むのは、弟たちの安全のみ。私のことはどうぞ捨て置いてください」
皇太子殿下の言葉で気持ちを引き締め直し、リタは最優先事項のみを告げる。
自分のことはいいのだ。これ以上自分の関係で家族に迷惑をかけさえしなければ。
リタの言葉に呆れたようにため息をついたのは公爵だ。
「馬鹿を言うものではないわ。リタに何かあればあの弟達も黙っていないでしょう」
「盟主絡みでは我々に出来ることなど限られているのが残念だ。だが、他国や組織、国内での憂いごとは我々が対処することを約束しよう」
「——ありがとうございます」
ふわりと微笑して、リタは礼を述べた。
皇太子達御一行がリタの側を離れても、オリヴィエ皇女はリタの側から離れない。
私は嬉しいけれど良かったのかしら、とリタが内心で首を傾げれば、人が近づいてくる気配に気づいてそちらを見遣った。
男性貴族達がこちらにやってくるのを見て、リタの顔からすん……、と表情が消える。
あの男共の相手はごめんだわ、と眉を顰めた時、ふと気配を感じて素早く周囲を見渡す。
この場にあってはならない気配。
「公爵様。皇女様を連れて後ろに下がってください」
「何事?」
「魔族の気配がします」
「え?」
ついと二人を庇うようにリタが立ち位置を変えると、皇女の侍女と公爵も皇女を護るように周囲を固めた。突然のことに皇女が戸惑うように周囲を見る。
「備えよ!」
間をおかずに騎士団長のヴォルフライトの声が会場に響き渡り、壁際にいた騎士団員達が即座に動いた。
ぐぉおぉおぉっ!
それと同時に広間の入口付近から魔獣の咆哮が複数あがった。
「きゃあああ!」
「うわああ!」
「落ち着け! 騎士団の指示に従い避難を行え。女性や老人を優先させよ!」
騎士団長の指示のもと、会場の貴族達が避難を始める。数人の騎士が急ぎ皇女の元にやって来た。
「皇女様!こちらに」
「待って!ならばリタも——」
「いいえ」
リタはポーチから弓を取り出し、矢をつがえながら即座に否定する。
「私はクラスA冒険者。居場所は最前線です、皇女様」
突然のことに動けない者や逃げ惑う貴族達が側にいて、満足に戦えない騎士達の隙間を縫うように、リタは矢に力を纏わせ狙いを定め——
がおぉおっ!
魔獣はその一矢で姿を消した。
「!?」
側にいた騎士も、広間の他の騎士達も目を瞠った。
「魔獣は私が対応します! 騎士団は避難を優先させて!」
驚く騎士達に叫ぶと、次の矢をすぐに飛ばして二頭目の魔獣も消し去れば、騎士達は短剣を手に魔獣を牽制しながら誘導を優先させた。いつもの長剣は人が多く振るいにくいのだ。
次の矢をつがえようとした時、また新たな魔獣が現れ今度はリタ達の方に一直線に向かってくるのが見えた。
その速さから弓矢では遅いと判断したリタは、弓矢を投げ捨てると身体強化を瞬時に巡らせ数歩前に出て身構える。
「リタ、危ないわ!」
皇女の悲鳴のような声が背後から聞こえたが、リタは拳を握りしめさらに前にでて魔獣を迎え打つ。
——皇女様に怪我ひとつ負わすものですか!
その気概のもと向かってくる魔獣に正面から拳を叩き付ける!
魔獣が殴り飛ばされたその先で、騎士が即座に魔獣を斬り捨てた。
すぐにリタは皇女の近くまで戻ると、足下の弓矢を拾い会場の入口に狙いを定めたが、会場の入口付近の魔獣は、この僅かな時間ですでに騎士団に退治されていた。
だが、何故か誰一人としてこの広間からは出ていないようだ。避難したはずの貴族達は広間の奥に騎士達に周囲を守られ固まっている。
——魔獣はどこから現れたのかしら。皇城どころか皇都には結界が敷かれているはずなのに。
「ふむ。大方第三盟主の仕業であろう」
注意深く周囲を窺いながら考えを巡らせるリタのすぐ側で、いつの間にか近くまで来ていたハインリヒが防御魔法を展開しながら告げた。
「ハインリヒ! ——どういうこと?」
「ここは第三盟主の領土内。結界を越えて魔獣を送り込むなど、本人以外は出来ぬ所業だな」
「彼はいつもこんなことをするの?」
リタがそう問う間にも、今度は空中に羽のある魔獣が現れて、リタはすぐさま狙いを定めて矢を放つ。矢は黄金色の軌跡を描いて魔獣を射貫いた。
その一矢で魔獣は姿を消した。
「ふむ——君のその矢の威力は相当だな。魔核を狙わずとも矢に纏わせた聖女の力で、この程度の魔獣であれば消滅させられるか。なかなか大したものだ」
質問には答えずに、感心したように分析するハインリヒにリタは不満げに眉根を寄せたが、すぐに現れた魔獣に矢を放つ。
そんな事がしばらく続いたが、突然、この場に似つかわしくない拍手が響き渡った。
「いやあ、流石だね。まさか一矢一撃で滅せられるとは思わなかったよ。前は確か二矢必要だったよね?」
黒いテールコート姿の第三盟主が、皇帝の肘掛けに腰かけながら手を叩いている。椅子にかけたままの皇帝にまったく動じる様子は見えなかった。
流石に皇帝のいる方向に矢は向けられない。リタは弓矢を下ろし、第三盟主を睨みつけた。
「どういうつもり?」
「だって、今日は君のお披露目なんだろう?だったら手伝ってあげようと思って」
何言ってるの、こいつ? と眉を顰めるリタとは異なり、皇帝が「なるほど」と頷いた。
「御使い殿の力と立場を我が国の貴族に知らしめるためか」
「この場にドレスじゃなく、冒険者の出で立ちで現れた理由を叩き込んでおかないと、勘違いした馬鹿がくだらない事を画策するかもしれないだろう?彼女にはゼノ同様、くだらない事に関わり合う事なく、ぜひその役目を全うして欲しいしね」
まあ、ドレスを着て来たら笑ってやろうとは思ってたんだけど、と続けられてリタが盛大に舌打ちする。
「第三盟主相手に舌打ちするのは君とゼノぐらいだ」
呆れたようにハインリヒに言われて思わずリタはソッポを向いた。
「ついでだ。怪我をした人もいるから、癒しも見せてあげたらどうだい?」
まるで楽しい催しのように第三盟主に提案されて、リタはきっと鋭い視線を向けた。
「あなたへの見せものじゃないわよ」
「怪我をしたのはご婦人が多いんだけど」
「それを先に言いなさいよ! というより何怪我させてるの!? 手段を選びなさいよ、友好国なら!!」
女性が怪我をしたと聞いてリタが怒りを露わに食ってかかる。その様子をこの場の貴族どころか騎士団員も冷や汗を流しながら見つめていることなど、リタだけがわかっていない。
信じられないわ!と怒りながらすいと右手を前に出したのをみて、第三盟主は肘掛けから立ち上がり、自身の周りに結界を張ったのを、皇帝と騎士団長、ハインリヒだけが気づいた。
すぐに、黄金色の光がリタを中心に巻き起こり、ふわりと広間全体を包み込むように広がりゆく。その光に包まれ、おお……、と感嘆の声が静かに上がった。
光が収まる頃には、この襲撃で傷ついた人はもとより、他に身体に不調をきたしていた部位なども癒されていたのだが、不調のあった者にしかわからなかっただろう。
くわえて襲撃で恐怖を味わったばかりであったのに、心が穏やかだったのは、傷と合わせて精神まで癒されたからか。
「ふむ。フィリシアの力なしでもこれ程の癒しの力があるか」
ハインリヒが目を細めながらリタの力量を測り小声で呟いた。
恐らく第三盟主の本来の目的も、リタの攻撃力と癒しの力を測ることだろう。
光が完全に収まると、リタは手を下ろした。
ぱんぱん、と先ほどよりも力強い拍手が聞こえた。
「うむ、見事。御使いの力の強力さを実感できた。我が国の者も、くだらぬ奸計で御使いを煩わせることもなかろう」
皇帝の断言に、皇太子達が拍手を持って意を伝えると、広間の貴族達も慌てて拍手を行った。
「……茶番じゃない?」
「必要なのだよ、こういうことも」
「リタには理解が難しいでしょうけれどね」
ハインリヒとローグマイヤー公爵の言葉に、貴族ってなんて面倒なの、とリタが眉間に皺を寄せた。
「第三盟主の襲撃も織り込み済みなの?」
「まさか。——だが、あるかもしれないとの予想はあった。だから君の側にオリヴィエ皇女を配しているのだよ。君なら必ず守ってくれるだろう?」
それはそうだけど、とぶつぶつと呟きながら皇帝の方を見やれば、すでに第三盟主の姿はない。
神出鬼没は本当のようだ。
なんて迷惑な男なのかしら、と内心で文句を言いながらリタは皇女の側に歩み寄った。
「お怪我はございませんか?皇女様」
「リタ!」
皇女が上気した顔のまま抱きつくような勢いでリタの手を握る。
「なんて強いの! おまけにとても神秘的で美しかったわ!私、あのように美しいものを見たのは初めてよ」
目をキラキラと輝かせての褒め言葉に、リタが握られていない方の手を額にあてて空を仰いだ。
「尊い……っ!」
「え?」
「尊い……! ああ、皇女様のこの愛らしさ……可愛いすぎて倒れそう……!」
「いい加減にしたまえ」
「リタ」
取り繕うことも忘れて悶えるリタに、ハインリヒと公爵の叱責がとぶ。
うぐぅ……と呻いてから、リタは態度を取り繕った。今更ではあるが。
「もったいないお言葉ですわ、皇女様」
礼の態度というよりは、皇女の可愛さに苦しい胸を押さえながら、リタは深々とお辞儀をした。
これ以上、この場に置いておくと何を口走るかわからないなと判断して、ハインリヒはローグマイヤー公爵に目配せした。公爵が苦笑しながら頷き返す。
「では陛下。この場の後始末は騎士団に任せて、御使い殿は退出させていただいてよろしいでしょうか」
「ああ、構わぬ。助かった。——オリヴィエ、お前も下がってよい」
「はい、陛下」
オリヴィエが広間を出ていくのに合わせてリタもその後に続いて広間を後にする。
広間で別れる前に「またぜひ皇城に遊びにきてね。絶対よ」と笑顔でねだられ、リタが満面の笑みで「必ず!」と請け負う場面もあったのだが、とりあえずリタは公爵やハインリヒと共に皇城を後にした。
面倒だったけれど、皇女と友達になれたのはリタにとっては収穫だ。
公爵家の馬車に同乗しながら帰途につく。行きは別行動だったハインリヒも何故か一緒だ。
「ゼノもそろそろ戻ってくるようだ」
「青い森での用事は終わったの。——というより、担当は変わってもストーカーはやめないのね」
呆れたように告げられ、ハインリヒがじろりとリタを睨みつけた。
「君とこの件でこれ以上議論する気はないが、周囲に吹聴するのはやめたまえ」
「ほほほ。ハインリヒに対してこれほどの物言いが出来るとは貴重な存在ね」
公爵の言葉にハインリヒが閉口した。
ゼノも苦手にしていたけれど、ハインリヒも公爵は苦手なのかしら、と押し黙るハインリヒを見ながら考える。
リタやシグレン家の兄弟達からすれば、ローグマイヤー公爵は貴族なのに非常に親しみやすい人だ。みんなすぐに懐いた。
まったく馴染みのない国での姉弟達だけでの生活は、リタにとって心配事も多かったけれど、ほぼ住み込みになっているモーリー夫人は、こちらの至らない点を先回りでフォローしてくれる。
暮らす上でわからないことや注意すべき点はモーリー夫人に、貴族や皇城関係でわからないことはローグマイヤー公爵に聞けば解決するということがわかって、シグレン家はこの新しい土地で新たな日常を取り戻した。
この日常は二度と崩させない。
リタにとって今重要なことは、弟達の生活を守ることだ。彼らをこれ以上、自分の事情に巻き込むような事は絶対に避けたい。
そしていつか——箱庭に行ってみたい。
フィリシア様がいるかもしれない箱庭に。
この世界には絶対にフィリシア様がいる。本人か、リタと同じように生まれ変わっているのかはわからないが、きっといる。
必ず見つけ出して、今度こそ——
決意を新たに拳を握りしめた。
「……?」
ふと、感じた違和感。
どこから?とリタが探る間もなく馬車はシグレン家の近くに到着した。
「それではリタ、お休みなさい。月に一度は公爵邸に顔を出すのよ」
「はい。ありがとうございます、公爵様」
公爵の馬車を見送った後、リタは違和感の正体を探るべく周囲を探る。
「どうしたのかね?」
「何か違和感を感じて……」
馬車に乗っていた時に感じたから家ではない。もっと身近な——
「ポーチからかしら?」
原因の元を求めてポーチをごそごそと漁りだしたリタを、ハインリヒも無言で見つめる。こういった違和感は侮れないのだ。
ふと指に触れたメッセージカードから魔力の残滓を感じ取って、リタはポーチから取り出した。
ゼノ経由でもらった、箱庭からのメッセージカード。
そこから今まで感じなかった魔力の残滓を感じる。
——どういうことかしら。
眉を顰めながらそっと封筒からカードを取り出したリタは、驚愕に目を見開いた。
「何があった」
リタのただならぬ様子に鋭い声でハインリヒが問う。
「内容が……変わってる……!」
「なに?」
震える手でリタはカードをハインリヒにも見えるように示した。
元々は三行の文だった。
歓迎すると。
だが今は——
「『黄金の聖女リタ、ぜひ箱庭に招待したい。ゼノが戻る時に都合がつくなら一緒に来て欲しい』、と……」
「なんだと!?」
その内容にハインリヒが驚愕して、リタから引ったくるようにカードを奪う。今度の文字は、ハインリヒにも読めるこの世界の文字だ。間違いなく「招待したい」とあった。
「箱庭が外部の人間を招くとは……」
「珍しいの?」
「ノクトアドゥクスに記録はないな」
ハインリヒの応えにリタも緊張でごくりと唾を飲み込んだ。
「どうして……」
「君が黄金の聖女であるという事実は、箱庭にとっても重要なようだな」
「まさか、フィリシア様が——!」
「今はまだなんとも言えぬ。とりあえずゼノが戻ってきてから相談するとしよう——行くのだろう?」
「もちろんよ!」
ハインリヒの質問に大きく頷いた。
フィリシアの手がかりがあるかも知れない地だ。絶対にこの機会は逃さない。
「ならばそれまでに、叩き込めることは叩き込んでおかねばならんな」
きらりと視線を鋭くして告げたハインリヒに、う、と思わず後ずさった。
ちょっと怖い。
いや、とても怖い。
ハインリヒの視線が怖い。マジだ。
箱庭には今すぐにでも飛んで行きたい気分だったが、ゼノが戻るまでは無理だ。その間、このハインリヒと一緒かと思うと背筋が凍る。
早く帰って来てちょうだい、ゼノーーーっ!
リタは心の中で声を大にして叫んだ。




