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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第一章

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(三)ヘルゼーエンの天秤の間



 師匠であるハインリヒからの指令書を見た瞬間、クライツは滞在先の部屋のテーブルに思わず突っ伏した。がん、と額をぶつけた音が室内に響く。

 突然のクライツの奇行に、荷物を整理していたシュリーとデルが驚いてクライツを振り返った。


「どうしたんですか!?クライツさん」

「襲撃されたわけじゃない、ですよね」


 慌てて駆け寄ってくるシュリーと瞬時に窓際に移動して外を窺うデルに、「なんでもない……」と力なく返しながら、クライツ=ゼムベルクは打ち付けた額をさすりながらふらふらと体を起こした。

 もう一度内容を見るが、もちろん変わるわけがない。


 また厄介事を……!!


 つい先日聖女案件で教会との裁判資料をかき集めるため、カルデラントに足を運び子供を一人保護したうえ、正神殿の協力のもと証拠を整えた。加えてミルデスタのハンタースギルドの再建処理が追加され、クライツがそちらに奔走している間、シュリーとデルにはミルデスタ教会での情報収集と捕まった聖女の護衛任務が課せられた。二人の仕事は聖女が解放されたと同時に終わったが、クライツが再建処理の下準備を整え次の担当者に引き継いだのが昨日のことだ。ようやく一息ついていたところにこの指令。


「ハンタースの初代印章、だと……?」


 ハインリヒの無茶ぶりはいつものことだ。


「ミルデスタでのハンタースギルド関係ですか?」


 シュリーの質問に恐らく、と返しながら記憶しているハンタースギルド情報を思い返す。それに加えて初代印章となると――。

 ハインリヒが何を考えているのか大体の当たりをつけると、自分に求められていることを推測していく。


 あ~……これはもしや()()()案件では?


 軽くため息をついて指令書に隅々まで目を通していくと、案の定、暗号で嫌なことが書いてある。


 ()()()()で取れると……?


 ハインリヒが情報の重要性を見誤ることはない。だからこれも問題ないのだろうが、本当にこの情報だけで納得させられるだろうか。

 一抹の不安が拭えないのは、ハインリヒが侮れないことをよく知っているからだ。鵜呑みにして自ら情報の精査を行わなかった場合、痛い目に遭う事があった。

 だがこの情報は精査しようにも難しい。

 あそこは命懸けの情報のやりとりの場だ。予想が外れた場合にどうなるのかなんて考えたくもない。

 この情報の価値がわからないなら、独自で何か持っておくべきだな……

 あの魔族を満足させられるような情報などあっただろうか。

 額を押さえつつも、ぐずぐずしている暇はない。師匠案件なら緊急度は高い。


「すぐに本部に戻る」


 そう告げれば、シュリーもデルも何も言わずにすぐさま身支度を整え、三人はすぐに宿屋を後にした。



 * * *



 ノクトアドゥクスの本部へは、秘密の転移陣をいくつか経由すればすぐに戻れるような道筋が作られている。

 それを通って本部に戻ってきたクライツは、すぐさま(くだん)の部屋の利用許可を取るべく管理官室を訪れた。

 中には管理官であるキルフェ女史が書類仕事を捌いていて、クライツに気づくと立ち上がった。


「お疲れ様です」


 ダークグレイのパンツスーツに身を包み、肩でキッチリと切り揃えられたストレートのアッシュブロンドの髪と眼鏡で、美人だが非常に冷たい印象を与える。年はクライツよりも少し上で、三十代前半だった筈だ。

 ハインリヒにかなり傾倒しているため、彼の無駄を省く合理性とやり口を徹底的に踏襲しているので、ハインリヒ同様気の抜けない相手であった。

 非常に有能ではあるが自分にも他人にも厳しく、周囲からは敬遠されがちだが、意外と可愛らしい性格をしていることをクライツは知っている。怖くて誰にも言ったことはないが。


「部屋の使用許可を」


 短く告げるクライツに、キルフェ女史は小さく頷いた。


「長官から伺っております」


 どうぞと手渡される鍵が非常に重く感じられるのは、銅製の鍵なので物質的に重いのと、心理的なものも関係しているからだろう。

 神経を擦り減らすあの間への移動に内心でため息をつきながらももちろん表には出さない。出せばキルフェ女史から叱責が飛ぶのは経験済みだ。


「ご武運を」


 眼鏡の縁に手をあてキリリと告げられるその台詞は洒落にならない。

 にこりと笑ってみせるにとどめて、管理官室内から続き間への扉を開けて移動する。シュリーとデルも後に続いた。


 扉の外は石造りの通路が奥へと続く一本道で、先程の管理官室とは内装も雰囲気も一変する。数百年も変わらない造りだとハインリヒから聞いたことがあるので、空気を重く感じるのは歴史の重みもあるのだろう。

 突き当たりにある石造りの扉には取っ手も鍵穴もないので、一見するとただの壁に見え、そこが扉であると知らない者にはわからないだろう。この状態では扉の開閉は出来ないようにもなっている。

 ふう、と大きく息を吐いてから、女史から手渡された鍵の持ち手の部分に埋められた魔石で扉に触れると、扉に刻まれた魔法陣が浮き上がった。同時に、扉の中央で縦にラインのような亀裂が入り、そこに鍵穴と取っ手が現れる。

 一呼吸置いて鍵穴に鍵を通す。

 ガチャリと大きな音がして、扉は触れずともゆっくりと奥へ(いざな)うように押し開かれた。

 室内は通路と変わらず石造りであったが、部屋の四隅に燭台があり、室内を照らす炎が作り出す影がより不気味さを感じさせた。

 中央の石畳には魔法陣が刻まれ、その中央にクライツの腰ぐらいの高さの細長い台が設置されており、そこには紋が刻まれた大きな魔石がひとつ嵌め込まれていた。

 ひりつくような空気を吸い込まぬように浅く息を吐き、二人を振り返った。


「では魔法陣の外で待機していてくれ。失敗したら鍵だけが返ってくるので、その時は女史に渡してくれ」

「縁起でもないこと言わないでください」

「そうですよ。情報は長官から示されているんですから、問題ないでしょう」


 それはどうだろう。

 デルとシュリーの言葉に曖昧に笑って見せてから、クライツは魔法陣の中に踏み込み、台座の魔石に手を翳した。


「ヘルゼーエン」


 名を紡ぐとぐらりと転移する感覚が襲ってきて目を閉じる。

 肌に感じる空気が変わったことを確認すると、静かに目を開けた。

 現実にはどこにも存在しない場所――ヘルゼーエンの図書館。天秤の間。

 現実世界とは異なる時間が流れる、切り取られた異空間。

 宙空にうずたかく積み上がり果てが見えない書棚。左右の果ても見えないそれは、ここからでは視認すらできないが、幾重にも周囲に広がっている。蒼白い焔を閉じ込めたランプが、まるで生き物のように空中をゆらりゆらりと動き回って、時折この空間の奥の奥までをか細い光で映し出す。

 あまりにも巨大すぎてだだっ広い空間に見えながら、その実押し潰されそうなほどの圧迫感を持って迫ってくる空間。その静謐さも相まって、沈黙に押し潰されそうに感じる。


 ――これは、この空間に閉じ込められた()()()()()だ。

 は、と息苦しさから息を吐き出したとき、ゆらりと空間が揺れるのを感じた。 


「あれ? ハインリヒが来ると思ったんだけれどな」


 空間に響き渡るどこか酷薄さを感じさせる声と共に現れたのは一人の青年。肩にかからない程度の黒髪は緩いウェーブを描き、体に張り付くような黒い服装は、よく見ればローブのようで、闇に同化しそうなその裾が彼の動きに合わせてゆらゆら揺れるのがわかる。

 この空間の支配者――知の魔族ヘルゼーエン。

 その紅い瞳は寒色に包まれたこの空間において唯一色を持ち存在を主張する。

 クライツにとって彼との邂逅はこれで四度目だ。


「ふーん……そういうことなのかな」


 ヘルゼーエンが口許に指を立てながら、クライツの顔を見て首を傾げた。


「……ご期待に添えませんで」


 出来れば自分も師匠に代わってもらいたかった、と内心で呟き、とりあえず謝罪をしておく。

 その時目の端に何か動くモノが映った気がして、そちらに視線を向けギョッとした。

 人がいる。

 過去三度ここに来た時は、誰かがいたことなどなかった。それもこんなに大勢の。

 冒険者達か。それにしても多い。二十……いや、三十はいるか。皆の表情に戸惑いが見えることから望んで来たわけではなく、ヘルゼーエンに()()()()か。

 だが、これほどの人数がいるのに、気配はまったく感じられなかった。まるで見えない壁で彼らとクライツは隔離されているかのように、思いのほか側にいるのに、まったく何も聞こえず感じない。


 クライツの視線の先を見て「ああ、あれね」とヘルゼーエンがふふ、嗤う。

 その声に侮蔑が含まれているのを感じて背筋が凍った。


「確かに制限はしていないけど、困るよね。あんな大勢で押しかけられると」


 あまり困ってはいない態度だが、その視線に感じる呆れと侮蔑でヘルゼーエンの機嫌がよろしくないことを感じてごくりと唾を飲み込んだ。

 何のためにこのような場に大勢を引き連れてやって来ているのか、とクライツが内心で首を傾げたとき、集団の中から一人の男が進み出た。


 あれは――ハンタースの情報部署の者ではなかったか。


 正直なところ、情報を取り扱う者としてのレベルが低すぎるので、ハンタースの情報部署をクライツは真剣にマークしていない。男がそこに属するということは知っていたが、名前までは思い出せなかった。

 人の入れ替わりも早いしな。

 しかしそうであれば、ここにいるのはハンタースの冒険者で目的はクライツと同じ、ヘルゼーエンから情報を得るためだろう。


「欲しい情報がある。取引を求める」


 ヘルゼーエンが声を通したのだろうか。それまで物音も気配もしなかったあちら側の声が聞こえる。クライツから見てもどこか居丈高に感じるその態度に、しかしヘルゼーエンは口許に酷薄な笑みを履いたまま、ゆるりと右手を顎に当て腕組みしながら首を傾げた。


「有用な情報は持っていなさそうだ。私に取引の価値があるかなあ」


 ねえ、どう思う?と振られて、クライツは笑顔を見せるにとどまった。

 ここでは余計な言葉を紡いではいけない。一挙手一投足すら情報なのだ。

 ギルドの男はそう言われて大人数の冒険者を指し示した。


「そんなことはない。これほどの人数がいるのだ。十分な情報量になるはずだ」


 ふん、と鼻息荒く言い捨てた男の言葉に、クライツが驚いた。


 まさか――情報料を肩代わりさせる気か!?


 あの男はここがどこだか正しく理解しているのだろうか。

 他人事ながら背筋が凍りつく。ヘルゼーエンが今どんな表情をしているのか怖くて見れなかった。


「へえ……彼らにねえ……」


 その声の冷たさに肌が粟立つ。


「ふふふ……いいよ。聞いてあげよう」


 ぞっとするほどの酷薄な響きに拳を握りしめて足に力を入れないと、彼の気に当てられて今にも崩れ落ちそうになった。


 あの男は何も感じないのか? それとも、空間が隔てられているせいで感じ取れないのか。


 許されるなら、この場で起きることから目をそらし逃げ帰りたいのが本音だが、この場に来てしまった以上、彼の許しがないと戻れない。

 ヘルゼーエンが右手をあげると、その場に幅五メートルはありそうな大きな台座が現れた。その上には大きな天秤が荘厳な気配を纏って鎮座している。


 ヘルゼーエンの情報の天秤。


 情報の価値を測る天秤で、基準はヘルゼーエンの興味という非常に読みにくいものだが、知に貪欲な彼は些細な情報にも価値を見出す。求める情報の価値と彼が得られる情報の価値が釣り合えば穏便に情報を入手することが出来るのだ。

 釣り合わなかった時にどうなるのかを実のところクライツは知らないが、生きてこの空間を出ることが叶わないとは聞いていた。

 それを知りたいとも思わなかったが、望むと望まざるとにかかわらず、今日知る事になりそうだ。


 何故よりにもよって鉢合わせた――?


 苦々しく思っても仕方がない。これも恐らくヘルゼーエンの仕組んだ事だろう。


「君の知りたい情報はなんだい」


 いっそ優しく聞こえる声音で問いかけられ、男は意気揚々と口を開いた。


「ハンタースギルド初代ギルド長の印章の在処(ありか)だ」


 初代印章――なるほど。欲しい情報が被っている。


 やはり彼らと自分を同席させたのはわざとだろう。ヘルゼーエンは彼の持つ情報から、この場にやってくる者の欲しがる情報を推測することも得意だ。おまけに世間の事情にも詳しいので、この時期にハンタースギルドとノクトアドゥクスがここにやって来ることもわかっていたのだろう。


「ふうん……ところで君が欲しい情報はなんだい?」


 と、既に知っていることをクライツに匂わせながらも、ここで敢えて話題を振ってくるということは、彼はこの場を楽しみたいのだろう。


「偶然ですね。私が必要なのも、ハンタース初代ギルド長の印章の所在です」


 その言葉に男がくわっと目を見開きクライツを睨んできたが気づかないフリをしておく。


「面白い偶然だね~」

「本当に」


 ふふふ、ははは、と白々しくヘルゼーエンとクライツが笑いあうのを、男がだんと足を踏み鳴らした。


「ハンタースの印章だ!関係のない者に情報を渡すなど許されないだろう!」


 怒りも露わに叫ぶ男を、ヘルゼーエンは口許に酷薄な笑みを履いたまま不思議そうに見やった。


「ここにある情報は私のもの。誰に渡そうが私の自由だ。それに、対価に見合うもの(情報)を提供できるなら誰にでも与えられる。二人がそれぞれ私の満足する情報を提供できるならば、二人に渡すのも必定」

「なっ……!」


 男は驚きと怒りの表情で固まったが、そのような基本的な情報すら知らずにこの場に来ていることにクライツは軽い目眩を覚えた。


「では判定を行おうか? ハンタースギルド初代ギルド長の印章の所在だったね」


 ヘルゼーエンが呟いて片手をあげると、そこにはふわりと一枚の紙が現れた。内容に目をやり、次いでパチリと指を鳴らすと、用紙は天秤の片側の皿の上にふわりと移動し、天秤が大きく傾いた。


「さあ、情報を。お前が知る情報を云え、秤を動かせ。ヴァーゲ・メ・スーティア(情報の価値を測れ)」


 両手を大きく広げてヘルゼーエンが宣言したことで、これよりこの場で口にする情報はすべて測られる。

 クライツは誤って口を開くことのないよう、唇を固く引き結んだ。


「まずはお前だ。名前とお前が知っている情報をなんでもいいから言え」


 男は乱暴に連れてきた冒険者の一人を突き出すように前に押しやった。


「え?え?」

「いいからとっとと名を言え!」

「俺の名はヘイゼル=ギットで、年は24――」

「ああ、もういいよ」


 冒険者が名乗りを上げたところでヘルゼーエンが手を振ってそれを止めた。


「そんなくだらない情報を人数分聞かされるなんて冗談じゃないね。()()()()よ」


 まとめる? と訝しんだとき、ヘルゼーエンがぱちりと指を鳴らした。途端に、半数程の冒険者の姿が消えた。

 いや、消えたのではなく、天秤の先程とは反対側の皿の上に乗せられていた。一瞬だ。

 冒険者達は声も上げられず、何が起こったのかわからない顔のまま、次の瞬間にはその皿の上で溶けるように、消えた。

 え?とクライツが目を凝らして天秤皿を見れば、彼らが消えた代わりに皿の上には何かがある。紙のようなものが何枚か。

 しん、と静まり返る空間。

 天秤は、ほんの少しだけ動いたように見えたが、釣り合うには程遠い。


 ――何が起こった?


「やっぱり大した情報は持っていないね」


 呆れを含んだ冷ややかなヘルゼーエンの声が空間に響き渡る。


「ひっ……!」


 誰かの息を呑むような悲鳴の後には、状況を理解した冒険者達が悲鳴を上げて逃げ出した。


「待てっお前ら……!」

「や、やああああ!」

「ここから逃げっ……」


 阿鼻叫喚の様相を呈するその場で、クライツは無表情のまま天秤だけを見つめていた。


 人が紙に変わったのか? その人物が持つ情報――個人情報から彼らが知り得た情報が抽出され紙に記された?

 確かにこの場ではいつも情報は紙に変わる。

 生き物も情報として紙に変えられるのか――?


 ふと、この空間に見えている大量の本のようなものは、同じように情報に変えられた人間が混じっているのだろうかと考えて体がぶるりと震えた。


五月蠅(うるさ)いなあ」


 うんざりしたようなヘルゼーエンの声と共にぱちんと指を鳴らす音が聞こえて、空間はまた静寂に包まれた。

 残りの冒険者達が秤にかけられ、また情報に姿を変える。

 先程よりは天秤が動いたが、それでも釣り合いはしなかった。

 残されたのは情報部署の男とクライツだけだ。


「さて、どうやら君の用意した情報では釣り合わないね」


 どうする? と問われた男はわなわなと体を震わせながら、あろうことかヘルゼーエンを怒鳴りつけた。


「ふざけるな!あれほどの人数分の情報だ! 多いことはあっても少ない訳がないだろう!貴様のインチキだ!」


 この場をまったく理解していない――!!


 いやそれよりも何よりも、この男はこの事象に対しては驚きを見せていない。こうなることを知っていたのだ。ならば、これが初めてではないということ。他人に情報料を肩代わりさせてヘルゼーエンから情報を得ることが。

 沸々と湧き上がる怒りに拳を震わせた。

 情報を扱う者が情報を軽んじ、それをもたらす者を軽んじること、また情報へ正当なる評価と対価を払わない者は情報によって身を滅ぼす――ノクトアドゥクスでハインリヒに叩き込まれたことだ。

 ヘルゼーエンは魔族だ。人からみれば理不尽さも多々ある。だが、知の魔族と言われるだけあり、知識や情報への敬意は高い。それを蔑ろにする者への対処は厳しいとハインリヒからは聞かされているし、クライツも彼の情報に対する真摯さは信用していた。

 このハンタースギルドの情報部署の男のやり(よう)を許さないだろう。恐らく最初から、この男に情報を渡す気はなかったに違いない。


 巻き込まれた冒険者達が哀れだな……


「私の判定は常に公平だよ。じゃあ、彼の情報を測ってみよう」


 そう言って天秤皿の上に乗っていた紙の束を、台座の上に移動させるとクライツに向き直った。


「さあ、情報を。ヴァーゲ・メ・スーティア(情報の価値を測れ)」


 ついと手を伸べられ、クライツはちらりと顔を真っ赤にしてこちらを睨みつける男を見た。その仕草に、ああ、とヘルゼーエンは嗤った。


「彼に聞かれても平気だよ」


 ――生きてここを出られない


 言葉にされなかった意味を正確に読み取って、クライツはひとつ息を吐いた。

 ハインリヒから大至急情報を取得し、印章を入手してこいと言われて提供されたヘルゼーエンへの情報料。


「剣聖ゼノの前世での職業情報を」


 情報名を伝えると、ヘルゼーエンが目を見開いた。次いで、顎に手を当ててふふふ、と笑う。


「さすがはノクトアドゥクス。今一番旬な情報だね」


 どうやらヘルゼーエンの興味を十分に引けたらしい。さすがは師匠。この魔族とのつきあいが長い分、扱いに長けている。取引の価値が十分にあるようなので、クライツはそのまま情報内容を告げた。


「剣聖ゼノは前世で聖女フィリシアの護衛剣士だった」


 ふわり、と魔紙のような羊皮紙のような紙がふわりと現れ、クライツの言葉を刻みつけるとそれはそのまま天秤皿の上にひらりと移動し――大きく天秤を傾むけた。初代印章の情報よりも重く。


 ……マジか。たったこれだけの情報が。


 ハインリヒを疑っている訳ではもちろんなかったが、真偽の程がクライツでは確認出来ない上に、この情報の重要性を判断する情報すら持ち得ていないのだ。

 最悪の事態は避けられそうだと内心でほっと息をついた。


「いいね……その一文で色々読み取れるよ。流石だね」


 この件では他にも色々持ってそうだけど、と呟きながらも、ヘルゼーエンは満足そうに頷いた。


「印章が隠されている部屋と、そこにある金庫の番号も追加しよう」


 そう告げると、初代印章の所在情報が置かれた皿にふわりと付加情報の紙が追加され、天秤が釣り合った。


ヴォーゲン(価値が釣り合った)――では情報を受け取りたまえ」


 天秤から釣り合ったことを示す淡い光が放たれ、クライツの手元に一枚の紙がひらりと落ちてきた。それを受け取り素早く目を通すと丁寧に折りたたみ懐にしまう。クライツが提示した情報も、ふわりと宙を舞い、この空間のどこかに収納されてゆく。


「良い取引だった。――では、愚か者に裁定を」


 クライツにご機嫌に微笑んでみせてから、すぐに酷薄な笑みに変えて男をみやった。


「馬鹿な! そんな胡散臭い情報ひとつでインチキ――」

「お前は二つの罪を犯した」


 男の叫び声に被せるように冷徹な声でこの空間の支配者が告げる。


「ひとつ目は情報を扱う覚悟なくこの場に臨んでいること。自らは何も準備せず、情報料を肩代わりさせるためだけに他者を連れてこの場に来るなど片腹痛い」


 一度目は見逃してやったものを、味をしめた愚か者め。

 冷ややかな視線で男を見下ろしながら吐き捨てられた言葉にやはり、と思う。

 人が紙に姿を変えても驚かなかったのは、一度経験していたから。

 それで事足りる、と見誤ったか。


「ふたつ目は情報を軽んじていること。自ら吟味することもなくその場しのぎの情報で、この私と取り引きをしようなどとは愚の骨頂。お前に情報を扱いこの場を生きて(いづ)る価値はない」


 そう断言してヘルゼーエンが左手を上げた。


「お前なぞ、情報としての価値もない」


 そう言い捨てた途端に、男の体が蒼い焔に包まれた。


「うわ!?なんだ、これは……!あ、あああああ! 熱い! あつ……!」


 男が喚きながら体にまとわりつく炎を振り解こうと手足をばたつかせるが、そんなことで炎は消えないし、その炎は男の中から勢いを増しどんどん激しく燃え盛る。


「あああ!あぁ、ぁぁああぁっああーーぁ あ あぁーーー ……」


 あっという間に全身火だるまになった男は、断末魔をあげながら常ではあり得ない速さで焼き尽くされると、消し炭になり、そのまま灰となって文字通りこの空間から消え去った。

 灰燼ひとつ残らずに。


「……」


 額を流れる汗を拭うこともできずに、クライツは男が焼き尽くされ塵一つ残さず消え去るのを無言で見つめていた。


 これが、この空間を出られない者の末路か。


 体の奥底からこの空間の支配者への畏れが湧き上がり、拳を握りしめることで震えそうになる身体を落ち着かせる。

 ここは知の魔族ヘルゼーエンの支配する空間。

 情報――知識も含めて――の価値がすべてを支配する。

 そしてそれを糧とする彼は、それを(ないがし)ろにする者を許さない。

 本来であれば彼と取引などしないことが望ましいのだ――とはハインリヒの言だ。だがそれでも立ちゆかない場合は仕方がない。


「ああいった輩は一定の周期で現れるね。どこで私の名を知るのやら」


 ふん、と鼻で笑いながら男を消し去っていくらか溜飲が下がったのか、ヘルゼーエンは右手を上げて天秤を消し去った。台座にあった紙――冒険者達の情報は、そのまま溶けるように空中に消えた。

 そのまますいと目を向けられ、ぎくりとしながらもクライツは無言で彼の目を見返した。


「ふふ……君とはまた近々会いそうだね」

「私としては出来れば遠慮したいところだな」


 それはどうかな、と不吉なことを呟くヘルゼーエンの顔が薄れ、歪んだかと思えば目眩に似た感覚に襲われ目を閉じる。転移だ。

 転移独特の空間の揺れが収まったことを感じて目を開けると、そこはノクトアドゥクスの部屋だった。


 ——帰ってこれた。


 この部屋も他と比較すると緊張を孕んだ空間だが、やはりヘルゼーエンの間とは比ぶべくもない。


「クライツさん!」


 はあ、と大きく息を吐いた時、シュリーの安堵する声が聞こえて、ああ、本当に戻ってこれたとようやく実感できた。

 色々張りつめていたのだろう。台座から離れて魔法陣から出ようと足を動かせば、身体が凝り固まっているのがわかった。強く握りしめていた拳もゆっくりと開くと痺れたような感覚が残っている。


「……やはりもう二度と渡りたくない場所だな……」


 肩を軽く回せばゴキリと音がする。


「成果はどうでしたか」

「問題ない。悪いがデル、すぐさまここに忍び込んで印章を確保してもらえるか。シュリーもサポートを頼む」


 ヘルゼーエンから受け取った紙を二人に示して指示を出すと、二人は紙を読み込み頷いた。

 この用紙に書かれた内容は読むだけで不思議と頭に刻みつけられるので忘れる事がない。この間から出るとどういう原理か用紙自体が消えてなくなるので、今ここで二人に見せておく必要があった。

 二人がこくりと頷いたのを見て、三人は部屋を後にした。

 印章を入手してその後は恐らく……と後の事を素早く計算する。印章を入手する間に準備出来ることがある。そこまで織り込み済みでの指令だろう。ハインリヒは、一を聞いて十を知り、行動は十以上を求める無茶振りを平気でやる男だ。恐らく、渡された情報で所在以上の情報を得てすぐに現物を入手することまで計算されている。


 ああ、嫌だ嫌だ。


 先程のヘルゼーエンの間で見た衝撃の内容を思い返す間もなく、次の一手への対処をしておかねば、今度は現実でハインリヒに無能の烙印を押される。どうやらクライツが休息を取れるのはもう少し先になりそうだ。


 この件が片付いたら、しばらくは師匠案件は御免蒙(ごめんこうむ)りたいもんだな……


 大きく息を吐いてしみじみと思った。

 だがクライツは知らない。

 この世には師匠であるハインリヒよりも厄介な案件を、まったく異なる方向性で無意識に撒き散らす相手がいるという事を。

 そしてその担当を自分が任される事を。

 クライツがルクシリア皇国に呼びつけられるのは、リタ達が皇国に移動して四日後――これより実に十日後のことである。



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