第二話(一)魂に刻まれた名
ルクシリア皇国。
西大陸の北の果てに位置し、この世界で一番古くから存在し続ける国だ。竜を国家の守護神と崇め、世界最強の騎士団を有し、他の国や組織とは一線を画す。
その国威は、世界に六人存在する最上位魔族である盟主ですら一目置くと言われている。
そして、ゼノにとっては生まれ故郷でもあった。
転移陣のある建物は騎士団が管轄する敷地内の広場の端に位置し、騎士団を派遣出来るようになっている一階の大きな転移陣と、レーヴェンシェルツギルドなどの組織とを繋ぐ小規模な転移陣が二階に設置されていた。
二階の転移陣のある転移の間を抜けると広間があり、バルコニーから外を眺めても記憶に残る景色から大きな変化は感じられない。
騎士団の敷地の奥にある皇城とその背後にそびえ立つノイエンバイリッシュ山は、一年中雪が溶けることのない峻険な山で、二百年前から姿を変えることなくルクシリア皇国の象徴として存在している。
肌に感じる空気に懐かしさを覚えながらも、今から皇帝と顔を合わせるのかと思うと面倒だという気持ちが強い。相手も周囲もゼノに対して礼儀作法などは求めていないし、実力さえあれば細かなことを気にする面々でもない。それでもこの国の重鎮達がいるだけで場が堅苦しくなってしまうのだ。
歴代の皇帝もみんな似た雰囲気だったから、血なのかねぇ……
あ~、めんどくせえと往生際悪く内心で文句を呟いていると「すっずしい~!!」との楽しそうな子供の声が広間に響き渡った。
裁判に付き従わなかったゼノは、騎士団長とハインリヒの「皇帝に挨拶はしておけ」との言葉に従って、リタ達シグレン家がミルデスタギルドの直通転移陣を使用してルクシリア皇国へ移動するのについてきた。
ミルデスタで見送って別れるかな、と考えていたのがバレたのだろう。
振り返れば、シグレン家の兄弟たちがはしゃぎながら転移の間からこちらの広間にやってくるのが見えた。
子供らしい屈託のない笑顔を見れば、ゼノも知らずに口許に笑みが浮かぶ。
やっぱ子供は笑顔じゃねえとな。
「そりゃあ、ミルデスタよりもかなり北だからな。夏はいいが冬は寒いぞ」
はしゃぐ兄弟達に笑って告げれば、最後に転移陣で移動してきたハインリヒも頷く。
「雪に閉ざされる地域もある国だ。カルデラントは温暖な地域だったので冬の寒さは厳しく感じるかもしれないな」
その言葉に、だが兄弟達は瞳をきらきらと輝かせた。
「雪!」
「僕雪見たことない!」
「積もるの!?楽しみ~」
「それは楽しみじゃねーか!オルグは雪見たことあるのか?」
「見たことはある。でも積もるほど降らなかった」
「雨とは全然違うんだよね?」
きゃっきゃと騒ぐちびっ子達をよそに、年長組――リタやトレ、アインスは少し眉をひそめた。
「雪国での暮らしなんてしたことないわ。もしかして、生活費結構かかるんじゃないかしら」
「寒さを凌ぐための服も買い直す必要があるね。あと、温熱費が倍増しそうだ」
「雪に閉ざされて動けなくなると備蓄もいるんじゃねーか?」
真剣な表情で冬支度を心配する面々に、シグレン家はこの三人――父がいた時は父もだろうが――でもってんだな、とゼノは思った。気にする内容がすでに子供らしくない。
「確かに冬支度は必要だが――まずは今後住む家とか気にする方がいいんじゃねえか?」
「ふむ。心配せずとも、君たちの家には信頼できる年配の女性を配する予定だ。ここでの暮らしは彼女に色々相談するといい。補償金もかなりな額を出させたので、末の子が成人するまでは心配もいるまい」
ふふ、と短く笑ったハインリヒの様子から、相当額をぶん取ったんだろうことが窺い知れる。
そういうところは容赦しねえ奴だし、今回の件はそれぐらいして当然だ。
「そのあたりも新たな家に落ち着いたときに説明しよう――だがまずは皇帝に挨拶をせねば」
その言葉に、リタ達三人が押し黙りちらりとはしゃぐ弟達を見て顔を引き攣らせた。
「あの……全員?私達、あまり礼儀作法に詳しくなくて、皇帝陛下に無礼を働いてしまいそうで怖いんだけど……」
萎縮する気持ちもわかる。ゼノだって出来れば会いたくない。
「仰々しい場ではないから安心したまえ。ゼノもそういうのを嫌うので、皇帝も気を遣っている」
それはねえ、と顔をしかめながらゼノは思った。そんなタマじゃねえだろ、アレは。
三人がゼノの表情を見てどう思ったかわからないが、リタはこくりと頷いた。
「そうね、ゼノが一緒なら心強いわ」
「いや、俺に期待するなよ?」
「ゼノ自身に期待はしていないわ。存在に期待しているのよ」
「なんだそりゃ」
「よく理解しているようで何よりだ」
意味がわからないゼノをよそに、リタ達とハインリヒは分かり合っているようで頷きあっている。いつの間にかすっかり仲良くなってるのな、と肩をすくめつつ一行は転移の建物を後にした。
* * *
一行が案内されたのは騎士団の建物内で、あらかじめ人払いがされていたのか、その部屋に辿り着くまでに他の騎士とはただの一人もすれ違わなかった。
外観は石造りの無骨な雰囲気のその建物は、ルクシリア皇国の質実剛健さを窺わせる。
侍従に案内されたのは騎士団の作戦会議室だ。
ゼノがルクシリア皇国で皇帝と会う時は大体がこの部屋か私室になる。
謁見室でないのは、皇帝とゼノの立場は対等であるということの意思表示であり、貴賓室でないのはゼノが皇国の者であるためだと昔親友であった騎士団長に聞かされたことがる。ルクシリア皇帝なりの気遣いはありがたいが、そこまでされると逆にまた落ち着かなくなるのも事実だ。
中に入ると、既に皇帝と騎士団長、それから文官らしき人物と侍従がいて、全員が立っているのを見てゼノの顔が引きつった。
「久しいな、ゼノ。息災そうで何よりだ」
静かに微笑みを浮かべながらルクシリア皇国皇帝、ルードヴィヒ三世――ルードヴィヒ=カイザー=ルム=ルクシリアは、そう告げると握手を求めるように右手を差し出し、ゼノは内心では唸りながらも大人しくその手を握った。
「今回、色々骨を折ってくれて助かった」
「水くさいことを。ゼノには昔から世話になっている。それに、聖女であればどこかが庇護せねばならぬのは事実だ。――それで、そちらのお嬢さんがそうか」
そう言ってゼノの後ろに立つリタに視線を向けると、リタがびくりと体を震わせてから、頭を下げた。
「リタ=シグレンと申します。このたびは私達家族を保護して下さりありがとうございます」
アインス達もリタに合わせて頭を下げる。
ハインリヒから事前に、直接話しかけられるまでは声を出さないようにと言い含められていたので、みんな無言だ。その表情は緊張で強張っていて、側から見ていると少々気の毒になるぐらいだ。
皇帝は軽く頷くと、椅子を示した。
「かけて話そう――子供達は、テーブルにつくのが落ち着かなければ、あちらに座ってよい」
そう言って差し示されたのは、テーブルから少し離れた椅子だけが置いてある場所だ。アインスとトレが明らかにほっとした表情で一礼すると、弟達とオルグを引き連れていそいそとそちらに向かう。リタが少々羨ましそうにそれを見送っていたが、すぐに表情を改めてゼノに続いてテーブルについた。
テーブルには中央に皇帝が、右側に宰相、文官、左側にゼノ、リタ、ハインリヒの順に座った。騎士団長は皇帝の左奥に立ったままだ。
騎士団長よりも小柄で細身ではあるが身に纏う威厳は桁違いで、ただそこに居るというだけで、威圧されているわけでもないのに空気が重い。
歳はハインリヒと同じかもう少し若いだろうか。黒髪が多いのはルクシリア皇国人の特徴だが、その青い瞳に不思議な光を宿しているのが感じられた。このあたりが「竜の血を引く」と噂される由縁か。
相変わらず重たい空気を纏ってんな~、とゼノは内心で呟きいつまでたっても慣れない空気にため息をついた。
「此度は大変な目に遭いながらも、家族力を合わせて乗り切ったそうだな。見事なことだ。これから進む道も決して平坦ではなかろうが、今後も家族力を合わせて生きていくがよい。その手助けならば我が国が行おう」
静かに告げられた言葉に、リタが座したまま背筋を伸ばし、皇帝に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「だが心得よ。其方の聖女の力は其方のもの。誰に縛られることもなく其方の心の赴くままに使えばよい。我が国の庇護を受けているからと言って、我が国のために力を使う必要はない」
はっきりと宣言すると、ハインリヒ、と名を呼ぶ。
「リタが瘴気を浄化できることは既に知られています。何もせねば非難が集中するのは必定。故に月に一度はレーヴェンシェルツのギルドを通じて、各国で浄化を行う必要はありましょう。幸い皇国からギルドへは転移陣で移動が可能です。リタの負担にはならないでしょう」
ハインリヒの言葉に皇帝も頷く。
まあ、このあたりはすでに打ち合わせ済みのことなのでリタにも否やはない。
むしろ、ギルドが捌いてくれて移動も転移陣を利用できるなら楽だろう。
「御使いのお勤め時には、騎士団からも護衛を出すようにします。ギルドの権威だけでは引かぬ者も現れるでしょうから」
向かいに座っていた宰相が補足し、騎士団長も大きく頷く。
「あと、皇国内でのシグレン家の庇護はローグマイヤー公爵に依頼済みです」
「ほう。対貴族に対しては非常に頼りになるが……少々我が強いのが心配だな」
皇帝が顎をすりながらちらりとリタや弟たちをみて苦笑する。
「このように可憐な娘や鍛えがいのありそうな子供が大好物な女傑だ」
「……ローグマイヤーって、今でも女公爵なのか……そりゃあ、かなり強かろうな」
貴族とは基本縁のないゼノだが、皇国のローグマイヤー家は別だ。二百年前も相当振り回された記憶しかない。どこまでも貴族らしく気高く誇り高い一族だ。そして女子供に優しい。ゼノからすれば怖い女性で、女性には決して逆らってはいけないと肝に銘じたのも彼女と会ってからだ。あの血脈の一族なら情も深く強いだろう。リタやシグレン家とは相性が良さそうだ。
「ふむ……まあ、シグレン家ならば問題あるまい」
「ああ。気に入られすぎて大変そうだ」
ハインリヒやゼノの苦笑に、リタは無言だったが困ったような顔は隠せてなかった。
「彼らの住居は」
「身の安全のためには皇都から離れぬ方が良いと判断しまして、皇都の中心からは少し離れますが、ローグマイヤー公爵邸近くの自然の多い一軒家を用意しております」
「彼女達の家にはノクトアドゥクスに属するモーリー夫人を置く予定です」
宰相とハインリヒがリタやシグレン家に関する事項を次々に皇帝に報告し、皇帝が頷く形で裁可を下す。
このあたりは何も心配する事はない。ルクシリア皇国とハインリヒが噛んで動けば例え教会でも下手な手出しは出来ないのだ。他国などもっと手が出せないだろう。
シグレン家に聞かせる意味での決定事項の報告があらかた終わると、皇帝が手を上げ、宰相や文官達が静かに部屋を退出してゆく。
この場に皇帝、騎士団長、ハインリヒ、ゼノ、リタ、シグレン兄弟、オルグのみになったところで、皇帝は兄弟達に目を向けた。
「ここからの話は知らぬ方が良いならば、隣に移動させるとよい。護衛のために副団長を待機させている」
危険はないと言われ、リタは戸惑ったようにハインリヒを見た。ハインリヒは静かに頷いた。
「余計なことは知らぬ方が良いでしょう。場合によっては相手は盟主です。知らない事が身を守ることになる」
その言葉にアインスとトレが息を呑んだ。
怖がらせる言い方になっているが、ハインリヒの言葉は正しい。
下手に知っていると口を割らせるために何をするのか読めないのが魔族だ。
うむ、と皇帝も頷くと騎士団長がすっと動いて、兄弟達の元に歩み寄った。
「ならばこちらに」
騎士団長に促され、アインス達が扉で繋がっている隣の部屋へ移動して行った。この部屋より緊張せずにすむのでちびっ子達にはいいだろう。
兄弟達を部屋へ移動させると、騎士団長は扉の魔法陣を起動させる。
それを見てリタが目を見開いた。
そういえばルクシリア皇国以外では、魔法陣は目にする機会が少ないんだったな、とゼノは思い返す。
この国の、特に皇城や騎士団建物では当たり前のように様々なところで利用されている魔法陣も、他の国では今では珍しいものになっているのだと二百年前にも聞いた気がする。ゼノからすれば箱庭でも普通に使用されているので魔法陣に対する珍しさなどはない。
細かくいえば箱庭の魔法陣は全く異なる系統なのだが、魔法や魔術に明るくないゼノはもちろん知らない。
騎士団長が先程まで宰相が座っていた位置に座るのを見て、皇帝が徐に口を開いた。
「それで――ハインリヒから聞いたところによると、彼女が信奉する聖女フィリシアとゼノの間には関係があるということだが、真実か?」
そこ重要なのかねぇ……
振られた話の内容にゼノはがしがしと頭をかきながら
「この二百数十年の間に俺は聞いた覚えはねえな……リタが言うには今生ではないから前世のことだと言うんだが……もしそれが本当なら、そんなもの覚えている奴がいるか?」
前世がどうのという思想は、胡散臭い占いなんかで確かに存在している。それが本当かどうかなどゼノからすればどうでもいいことなのだが、リタとハインリヒは非常に気にしているようだ。
「確かに……他の者が言うなら世迷いごとだと一笑に付すところではある。だがそれが、これまでとは異なる強大な力を持つ聖女の発言ならば、確かに気になるな」
確か、ヒミカもそんなことを言っていた。
リタの力はこれまでこの世に存在しなかった力だと。
「それはリタの力の話だろ? 俺が例えその……前世?でフィリシアの護衛剣士だったとして、今生に関係あるか?」
「あるわ」
ゼノの呆れたような言葉を否定したのは、リタだった。
リタは膝の上でぎゅっと手を握りしめ、視線をテーブルに落としたまま言い切った。
「ある――はずよ」
少し躊躇うように視線をハインリヒやゼノに動かしたのちに、そっとポーチからゼノ経由で受け取った封筒を取り出し、中のカードを皆に見えるようにテーブルに置く。
そこに書かれてある言葉は、ゼノには読めない。ハインリヒも見たことがない文字だと言っていた。
「……見たことのない文字だな。これは誰から?」
「入れたのはデュティだろうな。俺のポーチに入っていたから。書いたのがデュティかどうかはわからねえ」
ゼノのポーチに触れる者は限られている。だとしても、入れた人物と書いた人物が一緒とは限らない。誰がリタにメッセージを寄越したのか、そこに何が書いてあるのか、実はまだリタから何も説明されていなかった。
「ふむ……誰が書いたかはともかく、君は読めるのだろう、リタ?」
ハインリヒの言葉に静かにリタが頷いた。
「このカードには歓迎の言葉が書いてあるの。
ようこそ。
黄金の聖女 リタ
我々は君を歓迎する
――と。
金の聖女というのは、その世界での私の呼び名で、私の名前も今と変わらずリタだった。その世界の文字でそう私を呼ぶのなら、書いたのはきっとその世界の人物でしょう? そしてその人は箱庭に存在する」
我々は君を歓迎する――
我々って誰のことだ? 複数人ならデュティじゃない?
箱庭の管理者は一人だ。……一人の、はずだ。
自信がないのは、そんな話をデュティとしたことがないからだ。
「ふむ。……箱庭の住人が皆その世界の人物というわけではないだろうね?」
ハインリヒに問われ、その可能性か、と顎を擦りながら考える。そして即座に否定する。
「それはねえな。あそこには、外界で住めなくなって仕方なく箱庭に移住した者もいるからな。ただ……俺が箱庭に入る前からいた連中がどうなのかはわからねえ」
なるほど。いない、とも言えないか。だとしても。
「デュティはなんらかの情報を持ってる可能性はある、か……」
果たして、聞いたところで素直に教えてくれるかどうか。
ふざけた被り物姿のデュティを思い浮かべながら、難しそうだなとゼノは思った。
「まあ、そのリタの言う世界の住人が箱庭にいたとしてもだ。あんま俺には関係ない気がするんだが?」
「偶然で片付けるには出来過ぎではないか」
皇帝がゼノの言葉を即座に否定すると、それに、とカードを見ながら続ける。
「他にもあるのではないか? 其方が気にする理由が」
皇帝に問われ、リタは躊躇うように視線をさまよわせる。
何を躊躇っているのかゼノからは伺い知れなかったが、ここまできたら今さらだ。それに、この「リタだけが何かを知っている」状況は安全面から言えばよろしくない。こういうことを嗅ぎつけるのが得意な奴らがいるのだ。魔族には。
「隠さず言っておけ。でないと、第三盟主やタチの悪い情報収集癖のある魔族がお前さんにちょっかいかけてくるぜ」
「なんなの、それ」
「いや、真実だな。悪いが、第三やその魔族に連れ去られた場合、我々では力になれぬ。特にゼノに関することで君だけが知っているという状況は、避けた方がよい」
真顔で皇帝に告げられ、リタがぐっと息をのんで黙り込んだ。そんなに、と声なき声がもれる。それでもまだ躊躇う様子を見せるリタに、ハインリヒがふむ、と頷いた。
「君だけが知り得るならば、それは魂に刻まれた情報関係か?確かゼノの魂を読んだのだろう?」
ぴくり、と眉が動いたのでそうなのだろう。
確かに、初めて会った日にゼノのことを知ったのは情報を読んだからだと話していた。ならば何を今更気にすることがあるのだろうか。
「いいぜ、気にせず話せよ。俺は気にしねえ。それに、過去にも俺を読んだ聖女がいて、その情報はここにいる奴はすでに知っている」
気にしているのはゼノの気持ちかと、気にしない旨を伝えて情報を追加してやったが、それでもなお慎重な様子を崩さない。
「……それは、いくつ?」
「あぁ? ……いや。いくつだっけな」
「五つ――五個だ」
うろ覚えのゼノに代わってハインリヒが即座に答える。
五個、と呟くリタの様子からさらにまだあるのだと窺える。
「ふむ……我々が既に知っているのは、
まず誰でも必ず刻まれている本人の名前、ゼノ=クロード。
それからある魔族の紋。
第一盟主の試練を越えし者。
火の神の加護、
魔剣の使い手、
以上の五つだ。君にはそれ以上が見えているということでいいかね?」
魔剣の使い手になった覚えはないんだが、あの時のたったあれだけのことでそう刻まれたのなら、結構簡単に刻まれるよなとぼんやりと考えていたら、リタの瞳の色が深い蒼から澄んだ水色にかわってゆき仄かに黄金の光を纏った。彼女が魂を改めて読んでいることがわかった。
「……今、ハインリヒが名称を伏せたのはわざと?それとも知らなくて?」
「ふむ。ある魔族の紋の事ならそうなる。名を呼ぶと注意を引くので口にするのは控えた方がよい相手で、盟主よりもタチが悪いと説明した相手だ」
そうなの、と頬を引き攣らせながら気をつけるわと呟いた。
だがそれでも思うところは色々あるらしい。
リタは慎重に言葉を選びながら続けた。
「……第一盟主の名前は同じ理由で?」
その言葉に室内に沈黙が落ちた。
ゼノ達は無言で素早く目を見交わす。
その言葉の意味することは。
「――なるほど。これは確かに」
皇帝が唸るように呟き、ハインリヒも騎士団長も難しい顔で腕組みをする。ゼノも天井を仰いだ。
第三盟主と付き合いが長いと自負するゼノでさえ、第三盟主の名など知らない。ましてや他の盟主など——特に一番力を持っている第一盟主の名などもってのほかだ。
「……知られていない、ということね。なら告げないわ」
「そうしてくれたまえ」
盟主の真名など危険すぎると皆が頷き、リタも顔色をなくしながら、今さらながらに自分の見えているものの危険性を理解したようだ。
「――火の神の名であれば我々も知っている。君にはなんと見える?」
「カグヅチの加護、と」
「間違いねえな。俺からすれば加護でもなんでもないがな」
聞き知った名にゼノは肩をすくめて言い捨てた。
「魂に刻まれた言葉は、新しいものほど最初に、古いものほど後に読めるという特徴があるの。その聖女が読んだ時代では、ゼノはまだ時の流れにいたのかしら」
時の流れ。
あの時期はそうだったか。
思い出すように顎をすりながら考え込むゼノをよそに、ハインリヒがリタに向き直った。
「ある魔族の紋より新しい内容は?」
「剣聖、悠久を生きる者の二つがあるわ」
「ほう。剣聖は我々が言うだけでなく魂にまで刻まれたか」
騎士団長の感心するような言葉に、ゼノが苦虫を噛み潰したような顔をして大袈裟なんだよと言い捨てた。
「それで、君が読んだ数は幾つになる」
皇帝の言葉が室内に落ち、リタがぎゅっと拳を握りしめた。
そして小さな声で、十二、と呟く。
「名を除いて十二、よ」
その言葉に呻きとも感嘆ともとれるため息が零れた。
ゼノも思わず十二と胸の内で復唱して閉口する。
そんなにあんのか……と少し遠い目になるのは致し方ない。
だがそれでも、ゼノにとってはだからどう、とは思わなかった。ヘルゼーエンの紋や魔剣みたいに過去にやらかしたことが刻まれているなら、何が刻まれていても不思議ではない。
「その中で其方が前世に関係あると判断する項目はいくつある」
「はっきりとそうだと言い切れるものは、三つ。ゼノがフィリシア様と関係があって――看過出来ないと判断した理由もそこに」
腹を括ったのか、先程までの躊躇いが一切ない。皇帝が頷いて先を促すのに、リタは真っ直ぐに皇帝の目を見返した。
「ゼノ、と。フィリシア様ともう一人の加護の後に名前が魂に刻まれている。ゼノが今生で同じ名なのは、魂に名が刻まれているから。そんなことをするのは、生まれ変わったゼノを見つけたいから――ではなくて?」
魂に名が刻まれている。
『ゼノ』という名が。
前世と同じ名ねえ……だったとして、それをする意味が自分を探すため?
ゼノには今ひとつぴんとこない。
「なんのために?」
「そこまでは私にはわからないけれど……」
それはそうだ。
ゼノはがしがしと頭をかきながら、ふと過ぎった思いに固まる。
探すため。
自分が死んで、生まれ変わっても見つけるため。
そういう時は大抵が――
「強い怨み、か……?」
呟いたゼノの言葉に、リタは眉をひそめて顎に手を置き考え込む。
「怨みの場合は、名よりももっと直接的に怨みと刻まれるのではないか?」
「魔族の紋や試練を越えし者、とあるのであれば、誰それの怨みを受けし者と刻まれる方が確かに自然だな」
顎をすりながらの騎士団長の言葉にハインリヒが同意を示す。
そう言われてみれば確かに、とゼノも思う。他の刻まれ方と比べれば明らかに異質だ。
「私も前世と今生の名が同じだった。もし魂に『リタ』と名が刻まれているとするならば、前世の記憶を刻みつけるためかもしれないわ。私は——自分はきっとそう。忘れない、今度こそ絶対にフィリシア様の力になりたいって、強く思い続けていたみたいだから」
「それが本当であるならば、ゼノは前世の記憶を持っている事になるのだが……」
ふむ、と頷きながらちらりとこちらを見やったハインリヒに「ねえよ」と即答しておく。
そうだろうな、とハインリヒは肩をすくめた。
「ゼノの場合は、刻まれている順番や数も影響しているのかもしれないわ。名は、加護と呪いの間に刻まれたものだから」
呪い。
さらりと告げられた単語に目を見開く。
――呪いが、魂に刻まれている?
ざわり、と背筋が凍った。
待て。その呪いは、俺にだけ効力があるものか?
それともまさか――
「待ちたまえ!――整理する意味でも、リタが読んだ情報を可能な内容だけ書き出してみてはどうか」
ハインリヒの少し慌てたような言葉に、はっと我に返り詰めていた息を吐いた。
リタが固まりヴォルフライトが緊張している様子に、知らず殺気を纏ったことを知る。硬く握りしめていた拳を開くと殺気も解けるように消えた。
「……すまん」
額を押さえて目を瞑り、息を整えながら謝罪する。
「仕方あるまい。呪いはゼノにとって未だ解決出来ぬ問題であれば、その言葉に敏感になるのは当然だ」
皇帝の言葉に頷き返しながらも、動揺するとは情けない。
だがもし、自分にかけられた呪いの影響もあるのなら……
「――すぐにまとめるわ。……名称を伏せて」
リタがぎこちなく微笑しながら、ポーチから紙とペンを取り出し、さらさらと淀みなくペンを走らせる。その様子を横で見ていたハインリヒが、こちらも何かを書き出した。
「私が読んだゼノの魂の情報はこんな形よ」
そう言って皆に見えるように書き記した紙を示す。
――ゼノ=クロード
――剣聖
――悠久を生きる者
――( )の紋
――( )の試練を越えし者
――カグヅチの加護
――魔剣の使い手
――( )の眼の簒奪者
――死紋ホルダー
――魔族の呪い
――ゼノ
――( )の加護
――聖女フィリシアの加護
「……」
魔剣の使い手まではこれまでも聞いたことのある内容だから今更驚くこともないが、ゼノが見てもわからないものもある。
『( )の眼の簒奪者』ってなんだ? 俺が誰の眼を奪ったって??
少し考えて、魔核が見えることと関係しているのか?と首を傾げる。
「この中で確実に前世のものと言えるのは名前まで、か」
確かにこうして見ると、名前が二回も出てくるのは不思議に思えた。その名が刻まれたことには確かに意味があるのだろう。リタと同じように自分で何かを忘れないために刻みつけたのか、それとも誰かが前世のゼノを探すためにつけたのか。
なんとなく、自分ではないように思う。
リタのような前世も聖女だったなら可能だろうが、普通の人間であればそんなことは出来ないだろう。多少の加護を受けていたとしても。
それに、もしも前世も今生も同じ性格だとするならば……自分はそんな、来世に望みを託すようなことはしないだろう。
しっくりこない。
「ゼノは三つの加護を受けている。だから、その呪いもゼノに強い影響を与えていないと私は思う。――何より、この加護は呪いよりも力が強いはずだから」
そう言って、フィリシアの上にある「( )の加護」を指差しながら告げた。名称が伏せられているので、これだけではゼノ達には判断できない。
「其方がその者の加護の方が呪いよりも強いと判断する理由はなんだ? 前世で見知った者か?」
皇帝の言葉にリタは少し難しい顔をしながら、考え込むようにトントンとその項目を指で叩きながら紡ぐ。
「――ら」
「ん?」
囁くように呟かれた声は、小さすぎて隣に座るゼノでも聞き取れなかった。聞き返すようにリタを見れば、リタはその項目を見つめたまま、震える唇で告げた。
――魔王の加護だから
第二話開始しました。
週2(月・木)の更新で進めて行きたいと思います。
よろしくお願いします。




