第一話(最終)メッセージ
広場からレーヴェンシェルツのギルドに戻って来た面々は、奥の会議室に集まっていた。
こんな法衣はもう嫌よ!と叫んだリタが着替えで席を外しているが、室内には錚々たる顔ぶれが集まっている。
テーブルには、ゼノ、ハインリヒ、ルクシリア皇国騎士団長、ヒミカがついており、騎士団員五名とショウエイ、アキホが壁際に立っていた。
椅子だけは数があったので、アインス達は部屋の奥に椅子を並べて身を寄せ合うように座った。どこかぼんやりしたオルグも一緒だ。
戻ってきた流れで一緒に部屋についてきてしまったが、リタと一緒に別室に行った方がよかったかもと思いながらも、今さら部屋をでていく訳にもいかない。
邪魔だったら外に出されるだろうし、今はここで大人しくしておこう。
ちらりと弟達の様子をみれば、先程の癒しのおかげか、あんなに走り回ったのに誰一人疲れた様子をみせていない。アインスも気持ちはどこかふわふわしていたが体は元気一杯だ。
「ふむ……で、ゼノは何を斬ったのかね?」
皆が落ち着いたのをみて、ハインリヒが口火を切ってゼノに問えば、ゼノは頭をがしがしとかきながら視線をそらした。
「……リタを縛るものすべて、だ」
「ふむ」
それは教会の隷属の紋を斬ったということなんだろうか。
あの特別な剣だから、斬れた?
あの力ある剣を思い出す。そういえばあの剣はどこから出てきたんだろう。
「紋以外のものも斬れたか」
「……何が斬れたのかは、まあ……正直俺にもわからねえ。ただ、リタを縛っていたものがなくなって、例の――聖女フィリシアか。あれが現れたな。あれは、リタの中に封印でもされてたのか?」
何かをやった割にはよくわかっていないのか、答えを求めてヒミカを見やる。
「君は相変わらず、わからずに色々やらかしてくれるな」
「今回は結果として良かったんじゃねえの?わざわざ小細工しなくても済んだんだし」
ゼノの言葉に、そういえば属性云々の話をしていたことを思い出す。
ということは、先程のフィリシア様は裏技とはまったく別もので、予定外のものだったということか。
「事態を収拾するためにハインリヒの筋書き通りに進めたが……先程の女性は、神ではないな」
ルクシリア皇国の騎士団長が顎をすりながらヒミカを見て断言すれば、ヒミカも扇で口許を隠しながら「左様でございますね」と同意した。ゼノもうんうんと頷いている。
「リタの言葉を借りるのであれば、あれが聖女フィリシアだ。街全体を癒やすとはなかなか強大な力であるが」
「聖女か……」
「過去の聖女とも力の質が、まことに異なりましたね。オオヒルメ様は、あの力はこれまでこの世界に存在しなかった力であると仰せでございます」
おっとりと告げられたヒミカの言葉に、会議室内が静まりかえった。
この世界に存在しない力。
それは、同質のリタの力もそうなのだろうか。
それが何を意味するのかアインスにはよくわからなかったが、会議室内の沈黙から何か重大なことのように感じられてちらりとトレを見やれば、トレも眉をひそめながらゼノ達を見つめていた。
「それはどうだっていいさ。とりあえず、これでリタもこいつらも、教会から追われることはなくなったってことでいいんだな?」
「なんでも軽く流すから後で痛い目をみることを、未だ学習しない君には物申したいところだが、シグレン家に関しては間違いない。ハイネ以外では積極的に教会に関わらないことをお勧めするがね」
静寂をぶった斬るように確認したゼノに、ハインリヒが苦言を呈しながらもその点については保証してくれて、アインス達は顔を見合わせてほっと安堵の息をついた。
その時ガチャリと会議室のドアが開き、いつもの服装に着替えたリタが入ってきた。リタの姿を見てようやくアインスも気持ちが落ち着いた。
「ポーチまで取り返してくれてありがとう、ハインリヒ。お陰で着替えも出来たわ」
「伝えておこう」
リタの言葉に軽く頷き返すハインリヒに微笑み返し、会議室の面々を見渡してリタは頭を下げた。
「今回弟達のことも含めて、色々助けて下さってありがとうございました。このご恩は決して忘れません」
「ありがとうございました!」
リタの謝辞にアインス達も慌てて立ち上がり、皆が揃って頭を下げた。
「礼を述べる必要はありません。ひとつ違えば貴方達を傷つけていたのは神殿だったやもしれません。そうならなかったことに安堵いたしておりますゆえに」
扇を閉じてにこりと微笑するヒミカに、リタはふるふると頭をふり、いいえ、と重ねて告げた。
「正神殿の方々のお陰で弟達は命拾いしました。私にとってはそれがすべてです。私に出来ることがあればなんでもお申し付けください」
「いけません。今後はそのようなことを軽々しく口にしてはなりませんよ。貴方は稀有な浄化の力を持つ者。教会が手を引いたとて、あなたの存在そのものを狙う者も現れましょう。厳しいことを申しますが、気を抜いてはなりませぬ」
リタの申し出をやんわり嗜めると、ヒミカはハインリヒと騎士団長を交互に見やった。
「今後、彼女の扱いはどうなさるおつもり?」
ヒミカの言葉に、ざわりと胸が騒いだ。
教会が手を引いても、これまで通りではいられない――それは、考えてもいなかったことだ。
ねーちゃんは正式にフィリシア様の御使いになった。浄化の力を持っている事も公になった。教会や神殿に属さないのであれば、それは当然、他に争いの火種を生む可能性もあるわけで――
突然つきつけられた現実に、アインスは目眩を覚えた。
「彼女と弟達は我々の名の下に保護しよう。皇帝陛下はそのようにお考えだ」
「ふむ。それが一番安全だろう――リタとアインス、ついでにオルグはレーヴェンシェルツの本部所属に変えておくが無難だな。ギルドの依頼も選別する必要がでてくる」
「「え!?」」
思わず驚きで声を上げてしまい、慌てて口を押さえたが遅かった。奇しくもオルグの叫び声と重なって顔を見合わせる。
「おう、気になったことは遠慮せずに聞いておけよ。お前さん達の今後のことなんだからな」
気にする二人に、ゼノがひらひらと手を振ると、ハインリヒも騎士団長も頷いた。それを見て口を開いたのはトレだ。
「ルクシリア皇国の保護をいただけるとのことですが、住居も皇国になるのでしょうか」
「それが一番安全だと判断している。すまぬが今は故郷に帰してやることは出来ぬ。君達が成人し自分達で対応可能になるまでは我慢してくれ。その頃には世間も落ち着くだろう」
騎士団長の言葉はもっともだ。
一番下のサンク達はまだ十歳。アインスだって十四でまだ未成年だ。出来ないことも色々ある。それに、今回の件でカルデラント国には不信感しかない。こんな状態ではハイネに戻っても騒動しか起きないだろう。
「いえ、その通りだと思います。よろしくお願いします」
アインスは大人しく頭を下げた。
「ルクシリア皇国に居を構えるのは、リタにとってもメリットがある。――あそこは第三領域なのだよ」
第三領域?
アインスには意味がわからなかったが、リタには通じたようだ。リタが目を見開いてゼノを見た。
「第三はリタ達には手出ししねえし、第三のお膝元で馬鹿をやる魔族もいねえ。もちろん他の盟主もな。人も魔族も手出し出来ねえ場所だから、そういう意味では一番安全だ」
ゼノの言葉に、ふとアインスはタンザライの街で出会った恐ろしく強い男のことを思い出した。突然現れては掻き消えた男。彼は確か、リタの敵ではないが味方でもない、と言っていた。
……もしかして。
もしかして彼は盟主だったのだろうか。
……ありうる、かも。
あの邂逅を思い出してまた背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。
「……彼が手出ししないというのは、本当に信用出来るの?」
「魔族に絶対はねえ。だが、第三に関して言うなら、今のところ俺と表立って敵対する気はないらしいから、意味なく手は出してこないはずだ」
加えるなら、とゼノの言葉にハインリヒが続けた。
「ゼノ絡みで必要があれば、どのような手段を用いても手出しはされる――それでもゼノを本気で怒らせることは忌避しているようだ」
盟主が敵対を避けるってどんだけ強いんだ。
それが強さからか別の理由があるからかはわからないが。
というより、ゼノが絡むと手出しはされるんだ……
アインスがちょっと遠い目をしながら現実逃避をしていたら、リタが爆弾を落とす。
「ゼノは剣聖と評されるほどの剣士だから第三盟主のお気に入りなのよね?ゼノは彼のコレクションに入ってるの?それともコレクションとして狙われてるの?」
リタの口からでた単語に、アインスだけでなく他の面々まで非常に微妙な顔をして黙り込んだ。
「……え? 何か違った……?」
「――コレクション、とは?」
微妙な沈黙に戸惑うリタに、ハインリヒが静かに問う。
「え……その、あの時強制的に読んでしまった魂に……『剣士収集家』ってあったから……」
「あぁ……」
「なるほど」
「言い得て妙ですこと……」
皆が深く納得して頷く中、ひとりハインリヒが眉間に皺を寄せて額を押さえた。
「――ふむ。つまり君は盟主の魂も読めるということか……」
その言葉にはっとしたようにまたもや重い沈黙が落ちた。
何が彼らをそこまで深刻にさせているのかアインスには理解できなかったが、ただ何かまずいらしいということは雰囲気でわかった。リタも一歩引いたので同じように感じたのだろう。
「君に安寧が訪れる気がしないな」
「ちょっとそれどういうこと!?不吉なこと言わないでちょうだい!」
ハインリヒの大きなため息と共に吐き出された言葉にリタが食ってかかるが、騎士団長やヒミカにもああ……と深く同情する眼差しを向けられてリタがたじろぐ。
「気の毒だが、私もハインリヒに同意する。皇国に来ることで少しでも助けになればよいのだが」
「ええ、まことに……わたくしがお力になれることであれば、いつでも頼ってきてくださりませ」
「え!?ちょっと待ってください……! なんですか、それ!? 何がそんなにまずいというんです!?」
真面目な顔で口々に慰めるように言われ、リタが涙目になりながら周囲に尋ねるが、誰も具体的に答えをくれない。テーブルにつく四人は元より、壁際に立つ面々も、無表情のまま一切喋らない。助けを求めるようにこちらに目を向けたリタに、アインスは横に座るトレを見た。トレもわからない、と頭をぶんぶんと振る。
「ちょっ……ゼノ? ゼノは!?どういうことなの、これ!?」
「ああ? あ~……」
肩を掴んで揺さぶりながら悲鳴のように問いかけるリタに、ゼノはがしがしと頭をかきながら、すい~っとリタから視線をそらした。
「これまでの聖女は盟主の魂までは読めなかったんだよ。お前さんはかなり力が強く、盟主ですら知らない魂の情報を読めるってことで盟主達の興味を引く――だけでなく、もっとタチの悪い魔族の興味も引くだろうなぁ……」
どこかしみじみと告げたゼノの言葉に顔を引き攣らせたのはリタだけではない。アインス達の血の気もひいた。
盟主よりもタチの悪い魔族ってなんだよ……。
「知らない場所に喚ばれた時は、質問には一切答えず肯定も否定もしないということを覚えておきたまえ」
「なによ、それ!?」
「大丈夫、大丈夫。そいつは命狙ってくるわけじゃねえから。それに、万が一喚ばれても、これがそうだとわかるから今のハインリヒの助言を思い出すさ」
そういう問題じゃないわよね!?とゼノやハインリヒに食ってかかるが、二人は乾いた笑みを浮かべるだけでそれ以上は何も答えない。
「その時は俺と一緒だといいな?」
へらっと笑って告げられた言葉に、なによそれーっ!とリタが声にならない悲鳴をあげた。
それはもしかすると教会より相手が悪いんじゃないのか……
そんなの相手にどうすれば、と同じように顔色をなくしたアインスとトレを見て騎士団長が苦笑した。
「苛めるのはそれぐらいにしてやれ。可哀想に、弟たちが真っ青な顔をしている」
「じ、冗談、冗談なのよね? からかっただけよね?」
「残念ながら、君が魔族の興味を引く存在なのは事実だ」
乾いた笑みを浮かべながら詰め寄るリタに、ハインリヒは肩をすくめてみせただけだ。
「ふむ……君は早急に情報の扱い方を身につける必要があるな。先程のように重要な情報をぽろぽろこぼしているようでは足元を掬われる。情報は材料であり武器であり命綱でもある。それを正しく認識し扱わねば君の折角のアドバンテージが地に落ちる」
涙目でゼノの肩を掴んだまま、ハインリヒを睨みつけるリタを見ていたヒミカが、ぱちんと扇で手を叩いた。
「ではしばらくハインリヒ殿に預けるのはいかがでしょう?」
その言葉にえ?と皆が一斉にヒミカを見た。
注目を集めたヒミカはにこにこと笑っているだけでそれ以上は何も言わない。騎士団長が顎をさすりながら内容を吟味し頷いた。
「ははあ……それはいい案かもしれないな。ハインリヒがついていれば滅多な者も近寄っては来ないだろうし」
「ハインリヒのせいでリタの辛辣さに磨きがかかったらどうするんだよ」
げんなりしたようなゼノの言葉に、リタからは拳が、ハインリヒからは蹴りが飛んできて、うぐぅと呻いてゼノが机に突っ伏した。
「まあ、息の合った動きですこと。仲がよろしいのね」
「違いますからね!?」
ほほほ、と笑うヒミカの言葉に反論するも、ヒミカや騎士団長には届いていないようで、生温かい目を向けられていた。気のせいか先程まで無表情だった壁際の面々からも生温かい視線を感じる。
ねーちゃんいいように遊ばれてるなあ……
アインスは、はははと苦笑しながら頬をかいた。
「このじゃじゃ馬の面倒を見ねばならないのなら、そうだな、トレも一緒に見ることにしよう。こういった事は姉よりも優秀だ」
「えー……って、痛い痛い痛い痛い!」
思わずといった体で不満を漏らしたリタの頭を、ハインリヒが無言で両拳でぐりぐり力を込めている姿は、さらに生温かい目で見られている自覚があるのかどうか、側から見ていても仲が良さそうに見えた。
ていうか、あの怖そうなおっさん相手によく噛み付けるな、ねーちゃん……
そのあたりはさすがリタというところか。
「じゃあねーちゃんやトレはオレ達と一緒に暮らせないのか?」
今まで大人しくしていたドゥーエが、理解できた内容だけ疑問をぶつける。
「えっ!? おねーちゃんと暮らせないの?」
「またバラバラなの?」
ぎょっとしたようにサンクやシェラが立ち上がって問えば、いや、とハインリヒが首を振って否定した。
「しばらくは私の拠点を皇国にしておこう。様子見も兼ねて。折角会えた君たちを引き離すことはしないので安心したまえ」
その言葉に弟たちみんながほっと安堵の息をついた。
「ああ、そうだ。彼女の戸籍はちゃんと元に戻されるので安心していい」
「戸籍?」
「では――」
騎士団長の言葉に疑問符を浮かべたアインスと違って、リタははっとしたように彼を振り返った。
「うむ。正式な手続きは明日の裁判以降となるが、司祭の手引きで保護者を殺害し、カルデラント国の貴族に不当に身柄を引き渡したとして、養子縁組は無効となる。故に君はリタ=シグレンのままだ」
その説明に兄弟達は一瞬の沈黙の後、内容を理解して椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。
「はああぁっ!? 養子縁組ってなんだ、それ!?」
「まさかそんな事まで——」
「リタ姉をそんな形で奪ってたのか!」
「何勝手やってんの、あいつら!」
「おねーちゃんは僕たちのおねえちゃんだよ!?」
「そんなのひどい!」
「ねーちゃんが貴族とかって無理あるだろ!?」
最後のドゥーエの言葉には、リタから鉄拳が落ちた。「大きなお世話よ」と。
「『聖女』とは国にとってもそれほど魅力的な存在だということだ。教会以外にも油断ならない相手がまだまだいると理解出来たかね?」
ハインリヒの言葉にぐっと詰まって、アインス達は神妙に頷いた。書類上で色々やられてしまっては、アインス達ではお手上げだ。
トレは一歩前に出ると、ハインリヒに頭を下げた。
「知らぬ間に後れを取ることのないようになりたいです。どうかご指導お願いいたします」
「トレ……」
「君は非常に頭の回転も早く、感情を抑えて立ち回ることも冷静に判断する能力もある。すぐに姉や兄弟達を支えていけるようになるだろう」
「ほう。ハインリヒがそこまで褒めるとは珍しい。なかなか優秀なのだな」
「ああ、ここの兄弟はみんな優秀だ。アインスも将来有望だしな」
トレが褒められて誇らしく思っていたアインスは、突然にゼノからそう告げられてはわっ、と変な声が出た。
「それはそうだよ」
「だってぼくたちのお兄ちゃんだからね!」
「一番頼りになるにーちゃんだから!」
そうそう、と弟達に言われるとこそばゆい。
弟達のピンチを助けたのは結局ショウエイとアキホだし、リタを助けたのはゼノだ。自分はむしろピンチを招いただけでずっと心苦しく思っていた。
だけど、弟達にそう言われると嬉しい。
父を失ったあの日から、ずっと駆け続けて進んだ選択肢は間違ってなかったと言われたみたいで、へへ、と鼻の下をこすりながら照れを隠すように笑った。
「いいなあ……オレもアインスみたいなにーちゃん欲しい……」
その様子を見ていたオルグがぽつりと呟く。
思わず口を突いて出た、という言葉に、ふむ、とハインリヒが反応した。
「君もシグレン家に世話になればいいのではないかね。ちょうどドゥーエと精神年齢も近しいようだし。リタが家を空ける時に君がいれば兄弟達も心強いのではないか?」
実力ならアインスよりも上なのだろう?とゼノに問えば、そうだな、と頷いた。
「いいんじゃねえの。ついでに色々みんなに教えてもらえよ。お前さんには今そういう家族っつーか、仲間が必要だろう。シグレン兄弟なら、お前さんも仲良く出来るだろ」
「えっ……で、でも……オレなんかじゃ……」
でも、とかだって、とか言いながらも、期待するようにちらちらとアインス達を見るオルグに、耳と尻尾が見えるようでアインスはほっこりとなった。
「おー!いいじゃん、オルグも一緒に住もうぜ!」
「ドゥーエみたいな脳筋がもう一人増えるのは困るんだけど……まだオルグの方が可愛げあるよね」
「シス、その物言いはちょっと……」
「オルグと一緒にいられるのは嬉しいね」
「オルグならいいよ。アインスにーちゃんを兄ちゃんと呼ばせてあげる」
「いや、それはオレがちょっと困るって!」
好き勝手言い出す弟達の、最後のサンクの言葉だけは慌ててアインスが待ったをかける。年齢といい体格といい強さといい、全部自分より上の相手に兄と呼ばれるなんて冗談ではない。
「い、いいのか!?オレ、なんにも出来ないけど……」
「僕たちもまだできる事少ないよ」
「同じだね!」
「いやいやいや。二人よりも断然出来る事多いよ、オルグの方が」
シスがサンクとシェラにツッコミをいれるが、迎え入れられていることにへにゃりとオルグが泣き笑いのような顔をした。
そんな弟達をリタも微笑しながら見つめていた。
「良かった……」
みんなが無事で。
リタの声にならなかった言葉に、ゼノがぽんぽんと肩を叩いた。
* * *
裁判は取り仕切るヒミカと、レーヴェンシェルツからはギルド長が、教会からは監察官のドレウェルが出廷しさっくりと終わったとのことだった。
教会からは今後一切手出ししないとの約定と、ルクシリア皇国で新たなスタートを切るに十分な補償金ももぎ取ってくれた。
リタ達の父ケニスは司祭からの依頼でハンタースギルドが殺害したことになり、ハンタースギルドはゼノによるミルデスタ支部解体もあわせて評判ががた落ちだ。特に、国や商会などの依頼主サイドからの信頼が驚くほど落ちたのは、ノーザラント商会の商人ネットワークから流れたミルデスタでの行為が広まったことも拍車をかけたのだろう。
ハンタースギルドが今回の件で実際にリタ達にやったことと言えば、オルグを差し向けただけなのだが、そこはハインリヒの思惑どおりといえた。
「終わりがあっけない気がするわ……」
「終わって良かったよ」
結果を聞いたリタの感想に、トレが苦笑しフィーアが安堵した。
「神事を上手くこちら側が利用できたからこそ、だよ。あれがなければ裁判も揉めただろうね」
そうだとしても。
半年。
半年逃げ回ってきたのだ。
それがこんなにあっさりと、事態がリタ達にとって良い方向に終息したのはゼノが味方になってくれたからだろう。
ゼノとの出会いは、正しくフィリシア様のお導きだったのだろう。
過去においても、ゼノはリタを助けてくれていた。それはもちろんフィリシア様に頼まれたからで、まさしくあの日見た光景と同じだった。
暴走の罪悪感から、身を粉にして動き回り倒れる寸前までいったリタを抱きしめ、人を救うためには何よりリタが幸せでないと、と諭してくれた。
あれは過去の情景だとわかっている。
でも確信がある。
この世界にフィリシア様が存在していると。
それはきっと、ゼノがここに存在しているからね。
ゴルドンや他の冒険者達と飲み比べをしているゼノを見ながら、くすりと笑った。
今日はみんなの希望でグラトーフェを作る事になった。
ギルドの調理場を借りたいと申し出ると、グラトーフェを食べてみたいとゴルドンに言われ、それならみんなで宴会をしよう!となり、グラトーフェ以外の料理や飲み物はノーザラント商会が手配してくれた。
北門の魔物討伐を頑張ったレーヴェンシェルツの冒険者達へのねぎらいも兼ねた宴会には大勢の冒険者が参加し、皆でわいわい騒ぎながら楽しく食事をするのが久しぶりでリタ達も楽しかった。
リタの隣にはトレとフィーアが座りそれぞれグラトーフェとサラダを頬張っている。先程までは向かいにカーンやギルド職員が座っていたが、今は他の冒険者の元をあちこち回っているようだ。
「なかなか癖になる味だな」
のんびり食事をとっていたリタ達の元に、皿を片手にやって来たのはハインリヒだ。
「そう言ってもらえると嬉しいわ。グラトーフェは各家庭で味が違うから。これは母に教えてもらった味なのよ」
別のテーブルで楽しそうに食事をしているドゥーエやオルグ、アインスと三つ子達を笑顔で見つめながら、リタがぽつりと呟いた。
「確か、四年前に病気で亡くなったのだったな」
「そんなことまで調べているのね」
さすがストーカー気質、と呟くリタの頭を軽く小突くと向かいに腰を下ろした。すかさずフィーアがコップをハインリヒの前に置く。
トレが酒瓶を手に取るが、彼はそれを制して皿を掲げてみせた。
「折角だ。この料理を味わわせてもらおう」
その言葉にリタが目を見開き、次いでくすりと笑った。
* * *
「おう、ゼノ。お前、これでまたしばらく箱庭に篭るのか?」
豪快に酒を煽り、どんとジョッキをテーブルに置いたゴルドンに問われ、ゼノもジョッキをテーブルに置いた。先程まで周囲で一緒に呑んでいた冒険者達は、すでに酔い潰れてテーブルの端や床に転がっていた。
「いや、俺の用事は『青い森』だ。リタとはシュゼントのハンタースギルドで偶然出会ってな」
「ハンタースギルドってのが妙な縁だ。じゃあしばらくは外にいるのか」
「そうなるな」
デュティの頼み事は、実のところ時期がある。もうひと月ほど先でないと目的の物は手に入らない。それはデュティもわかっているだろうに、随分と前に外へ出された。急ぎであれば目的地の近くに送るのが常なので、そうしなかったことから本当の目的はゼノを外に出す事だろう。箱庭に篭りすぎると外で羽を伸ばせ、と叩き出される事がこれまでもあった。
「……お前の宝はまだ箱庭でそのままか」
「変わりなし、だ」
そうか、と呟き何か言葉を探すようにゴルドンが視線を彷徨わせた時、アインスが酒瓶を両手にやってくるのが見えた。
「ゼノ! 色々助けてくれてありがとう。俺にも注がせて!」
「お前さん、まだガキのくせにそーいうの気にすんなって」
いいからいいから、とアインスがゼノのジョッキに酒を注ぐ。一本空にして、もう一本をゴルドンのジョッキにも注いだ。
「俺ゼノに聞きたいことがあるんだ」
ゼノと向かい合うようにゴルドンの横に腰掛けたアインスは、空の酒瓶や目の前の皿を横に避けると、体を少しゼノの方に乗り出した。
「ん?」
「広場でさ、ハンタースギルドの冒険者が大勢で襲ってきたじゃんか。あの時、魔法士がゼノに向かって攻撃魔法を撃っただろ?――あれ、避けてないのにダメージ喰らってなかったよな? なんで?」
アインスの質問に、へえ、と感心したようにゼノが呟き、ほお、とゴルドンも声をあげ、ぐわしっとアインスの頭を掴んで撫で回す。
「お前はチビなのによく気付いたな~」
「や、やめっ……ていうか、チビチビ言うなよ!身長関係ないだろ!? それに俺は平均サイズだって!」
振り回すゴルドンの手を離しながら噛み付くが、酒も入って陽気になっているせいか、ゴルドンはご機嫌にがははと笑ってお構いなしだ。
「よく見てたな。ああ、俺は魔法は無効化される体質なんだ。攻撃魔法はいくらあたっても効果ねえ」
魔法攻撃力の強さによって違うのかと試した時期もあったが、盟主の魔法攻撃も魔術も一切効かなかった。
「まったくもって狡い奴よ! 瘴気は見えるし勝手に浄化される、魔核は見える、魔法はすべて無効化されるときたもんだ! そのうえ剣の腕が右に出る者がいないというんだぞ? 存在自体が狡くないか?」
なあ?とアインスの頭をまたも上から鷲掴みにして、同意を促すようにぐらんぐらん揺すられるのを、テーブルをばんばん叩く事で抗議した。
「痛いって!」
「やめてやれ、って。お前力加減できねえんだから」
べしりとゼノがゴルドンの手をアインスの頭から離すようにたたき落とす。
「そ、それより、ゼノは瘴気も浄化される、って本当に?」
あ〜まあな、と気まずそうに目をすいと逸らしながら頷くゼノに、もうすでに酔っているのか、ゴルドンがアインスの肩を引き寄せて内緒話をするように顔を寄せてきた。
「それだけじゃない。瘴気に侵された人物とな、ゼノが寝ると——」
「子供相手に何を言う気だ!」
ごん!とゼノの鉄拳が落ちて、ぐおおおとゴルドンが頭を押さえて悶えた。
あ〜猥談かあ、タンザライの食堂でも出来上がったおっさん達がやってたなあ、とアインスは未だ頭を押さえるゴルドンに苦笑した。
「じ、事実ではないか……相手の瘴気を取り込んで浄化まで出来るという……」
だがゴルドンが諦めずに呟いた言葉は、アインスが想像していた内容とは異なっていた。
「え!? ゼノ浄化まで出来るのか?」
「出来ねえよ!——いや、まったく出来ねえとは言わねえけど、ちょっと特殊で……」
歯切れ悪くもごもご口の中で呟くように言葉を濁すのは、あまり公には出来ないことだからだろうか。
悪いことじゃねえだろ、とゴルドンが言い捨てる。
「魔族に襲撃されるとな、たまに女は酷い目に遭うだろう——犯され続けると体内に溜まる瘴気が恐ろしいことになる。それは精神も蝕んで浄化石なんかじゃ消えやしない。そういった女もな、ゼノが相手してやると瘴気も浄化されて精神も落ち着くのさ。事実は消えなくても瘴気を消して心の傷を和らげる——この行為を悪辣に言うのが神殿だがな。助かった女が何人もいるのは本当のことだ」
ああ、なるほど、と頷く。そう言う形か……
確かにちょっと大きな声では言いにくい。
「だからって別に子供の前で——」
「こいつはもう、レーヴェンシェルツの冒険者だぞ? 嬢ちゃんには言いにくい話だが、なにかの拍子に耳にするかもしれん。だったらこいつに正しい情報を教えておいた方がいいだろうが」
ゴルドンの言い分に今度はゼノが口ごもって頭をがしがしとかいた。
「ゼノが色々な特殊能力を持ってるって事はわかった」
アインスは別に気にしていないが、ゼノがアインスにこういった話を聞かせるのをばつが悪そうにしているので、さらりと流す事にした。
「さっきはああ言ったが――まあ、いいことばかりでもないんだぞ? 治癒魔法も効かんし、魔法鞄も転移陣も普通には使えんのだからな」
トーンを落として付け加えられたゴルドンの言葉に、え?とアインスは首を傾げた。ゼノの腰を指差し「そのポーチって魔法鞄だろ?」との問いをゼノは否定した。
「正確には違う。このポーチは箱庭と繋がってるだけだ」
俺にはどういう理屈が全然わからねえし説明できないが、と前置きしながら
「箱庭の管理人は恐ろしく力のある魔術師でな。箱庭の魔法は俺にも効くんだ。だからそいつが、転移陣やこの外界で困らないようにちょいと俺に小細工してくれてんだよ」
そう言ってゼノは右手グローブを外してみせる。手の甲には魔法陣らしきものが刻まれていた。
「このポーチも、まだこの世界じゃ魔法鞄が一般的じゃない時だったからな。そいつが一から作ってくれた。このポーチの先は箱庭の引き出しというか箱というか……まあそういうもんに繋がっていて、そこに直接出し入れしてる感じだ。お前さん達の使う魔法鞄との一番の違いは、箱庭側で物を出し入れできるってところかな」
「……ゼノ以外がポーチの中を触れるってこと? え?それ困らない?」
ポーチはただの入り口。
そう説明されて、それは便利なのか不便なのか。そこにある、と思っているのに誰かが持ち出していたら取り出せないことがあるなら。
確かに世間で流通している魔法鞄とは異なる。
「全然。さわれる奴は限られてるし、俺は色々補充やら何やら忘れるんだけど、細かくチェックして補充してくれたり、必要としてる物を入れといてくれるし。向こうに頼まれた物もここに入れるだけでいちいち帰らなくても事足りる」
俺みたいなズボラには便利だな、と答えるゼノにそうなんだ、としかアインスも返せない。
「魔法が効かない体質って生まれつきで?」
「まあな。魔力が使えねえのと関連があるんだかどうだか」
「だがラロは自分が使えねえだけで人の魔法は効くのが普通だ。おめえが変なだけだ」
「うるせえ」
がはははと笑い合うおじさん達だが、浄化の件もあわせると変の一言で済ませられることじゃないだろう。
呆れるような顔のアインスを気にすることもなく、陽気に酒を酌み交わす二人にもうひとつ聞きたいことがある、とアインスが口に出すより早く、「ん?」とゼノが首を傾げてポーチを漁り出した。
* * *
「あのフィリシアは、君の中から出てきた者で間違いないかね」
しばらく無言で食事を続けていたハインリヒが、徐に口を開いた。
「ええ、そうね。あれは私の夢――過去に実際にあったことだわ」
咎めるように眉をひそめたハインリヒに、リタはわかってるわ、と付け加えた。
「でもこのことはあなたに伝えておいた方がいいと思ったのよ。ゼノに関係することだから」
先日ハインリヒに言われた忠告は覚えている。だが、伝えておくべき相手だとリタは判断したのだ。
なにせゼノのストーカー(リタ談)。彼のことは知っておきたいはずだ。
「いつ、どこであったことなのかは私もわからない。でも間違いなく、あったことよ――彼はフィリシア様の護衛剣士だった」
真剣な表情でそう告げたリタに、そうか、とハインリヒは短く答えただけだった。
二人の元に、首を傾げながらゼノがこちらにやってきたのはそんな会話の後だ。
「どうかしたかね?」
「ん~……いや、なんつうか……これ」
リタに、と戸惑いながら差し出されたのは封筒だ。
受け取りながら宛名を見ると『黄金の聖女 リタ殿』とあって、どくん、と心臓が跳ねた。
どうしてその呼び名を――?
それは、夢の中で呼ばれた名称だ。
白の聖女に黄金の聖女。
その呼び名を知っている人がいるはずがない。
誰から?と封筒を裏返しても名も何もない。ゼノを見やれば、頭をがしがしとかきながら「……デュティ――箱庭の管理者からだと思う」と言われ思わず固まる。
「えっ……」
想像外の名前が出てきて驚きで目を見開くリタの横で、ハインリヒが眉をひそめた。
箱庭の管理者ですって?どうしてそんな人が……?
震える指で封を切れば、中にはカードが一枚。
そこに書かれた内容を見て、リタは頭を殴られたような衝撃を受けた。
ぱさりとテーブルに落ちたカードをハインリヒやゼノ、トレが覗き見て、眉をひそめた。素早く目を見交わすが、誰も首を振るのみだ。
「――君はこの文字が読めるのかね?」
ハインリヒの声も耳に入らないのか、リタは口元を押さえて絶句したままだ。
いるのだ、やはり。この地に。
その事実に体が震える。
なぜなら。
たった三行のそのメッセージ——この文字は夢の世界の文字だ。
フィリシアが、リタが存在した世界の――
——ようこそ
——黄金の聖女 リタ
——我々は君を歓迎する
とりあえず第一話はこれにて終了です。
第二話はもう少し短くもっと軽い話になる予定です。
第一話ももっと短い予定だったんですけど……(苦笑)人物出過ぎでしたね。
※てにをは系レベルの修正を。




