(二十八)静かに増える仲間
管理官達がエドを箱に詰め、キャシーを念のため縛り上げて詰所を出ていく様を映像の魔道具で記録するアッカードを、グラニウスが興味深そうに見つめている。
「型は少し古いですけど、故障も少なく燃費のいい工房の魔道具ですね」
流石は商業都市のアンノデスタです、いい物がありますねと感心され、ええまあ、とアッカードが軽く頷き二人で魔道具の話を始めた。
しばらくして部下を見送ったセオドア管理官がこちらにやって来て深々と頭を下げた。
「此度は連絡いただき非常に助かった。後日正式にアンノデスタに礼をさせていただく。魔塔も快く協力いただき感謝の念にたえない」
「なに、我々としても壊れたとは言え魔剣を手に入れる事が出来ましたからね。後は彼の死体についてもぜひ前向きに検討いただければ有り難く思います」
ふふふ、と機嫌良く笑うグラニウスにセオドア管理官も神妙に頷き返す。
「——ところで剣聖殿」
そんなセオドアに視線は向けたまま、グラニウスはゼノに呼びかけた。やり取りを眺めていたゼノは突然呼びかけられて、ん?と首を傾げる。
「教会とは仲が悪いんですか」
「……まあ、良くはねえな」
突然の質問の意図が掴めず、そう返すにとどめる。
「アルカントの魔女とは仲がいいのに?」
アザレアを引き合いに出されても、彼女がどの程度教会を掌握しているのかは謎だし、アザレアの味方がゼノの味方とも限らない。
「アイツが聖女として返り咲いたって、連中と仲良くなるってのはピンとこねえな。それに、まだどっちに傾くか——」
「ゼノ」
アッカードに静かに名を呼ばれ、これ以上喋るなと視線で圧力をかけられる。その視線にんんっと言葉を詰まらせてソッポを向いた。
「やはり教会内部は揉めているんですね。なら屍操術を使っているのは現聖女の敵対勢力——旧体制側という事ですか。確か、黒の教皇でしたか? 先日の死の森の魔物討伐で株を上げたともっぱらの評判ですが」
ヒヨリの存在をその名称で知っているなら、かなり教会の事情に詳しいと言える。
「まあ、教会の株が上がったのは間違いねえな」
「剣聖殿も参加され、大層なご活躍だったと聞き及んでおりますよ。今回流された情報がいつのものかは分かりませんが、その功労者に対する仕打ちとしては礼を失するものですね。——ああ、ニードフェンゲスもそうだから、みんなして剣聖殿を舐めているんでしょうかね?」
セオドア管理官の目の前で、そんな言葉を吐くとは中々の強心臓だ。その笑顔に嫌味がまったく含まれていないのが逆に恐ろしい。
「黒の教皇とは昔から敵対してるからな」
ヒヨリが教会を支配する二百年前は今ほど敵対していた訳ではない。むしろ当時は神殿との仲の方が険悪だった。
「我々の態度が非常に礼を欠いていたのは本当に申し訳ない」
セオドア管理官が恐縮した態度で再び頭を下げるのを、「もうやめろって」とゼノが手を振って止める。
だが、頭を上げたセオドア管理官の目に宿っていたのは申し訳ないという色ではなく、探るような鋭い視線だ。
「剣聖殿は教会の内部事情にお詳しいのか」
ゼノの言動を僅かでも見逃すまいとする視線に、ゼノも片眉を上げて視線で問う。
何が言いたい、と。
セオドア管理官は一瞬目を逸らし、それからひたりとゼノを見据えた。
「アザレア殿はソリタルア神の聖女に間違いないと、あの福音の鐘でそう考えている」
「ああ、違いねえ」
もっと言うならアザレアは千数百年前から存在する白の聖女に匹敵する力を持つ、この世界では一番強い聖女だ。
「ならば……」
そこで少し逡巡するように視線を落としてから、覚悟を決めたように顔を上げ、ならば、と今度は力強い口調で告げる。
「ならば、黒の教皇が信奉する神も、ソリタルア神であろうか」
それは確認するような疑問系ではあったが、違うのではないかと疑っているのがわかる口調であった。
ゼノはすう、と目を細めてセオドア管理官を見据える。
彼の質問の真意がわからない。
意味はわかる。その疑いは表で口にすれば大問題だ。
それは彼も承知しているからこそ慎重に言葉を選んでいる。
「死の森の魔物討伐時までは、ソリタルア神の加護の力を強めて騎士団の力になったってえのは本当だ」
言外に、今は違うと匂わせるように言葉を選びつつセオドアの反応を窺う。セオドアがその言葉に僅かに目を瞠った事に、彼が何らかの情報を掴んでいる事を知る。
「お前さん、確かザイード共和国だったよな。教会の信者が多いってんなら、でかい教会があるのか」
「ああ。我が国の教会は大きく、所属する聖職者の数も多い。——少し前から、教会関係者の一部に違和感を覚えるようになったのだ」
「違和感?」
セオドアは素早く周囲を見回し、部下達がいない事を確認すると静かに頷いた。
「監獄では罪人達の懺悔を受ける時間を設けていて、月に一度教会の神父達がやって来る。懺悔室で神父と罪人が一対一で対面し、我々管理官も同席する決まりになっている。その時にある神父だけ——神の名を絶対に口にしないのだ」
神の名。
それだけでと思うが、セレーネをセレスフィーネとして崇めるシスター達を見た後では、十分に疑うに値する。
神に祈りを捧げていても、その神の御名を口にしなければどの神に祈っているかなど、本人しかわからない。しかも、教義や聖典はソリタルア神と同じだと言っていた。
「他の神父達と共に、教会の聖堂で祈りを捧げる儀式の時も、ソリタルア神の名を口にする箇所で、一人だけ口の動きが違った。目立たぬように小さくであったが、あれは——別の名を口にしていたように思う」
セレスフィーネ、と。
小さく呟かれたセオドア管理官に言葉に、ゼノは目を閉じて静かに息を吐いた。
「読唇術ができるのか」
「監獄には様々な犯罪者が収監される。彼らの声なき会話を検分するのも仕事に含まれるのでな」
なるほどな、とガシガシと頭をかいてチラリとアッカードを見遣る。アッカードには今回の事の顛末を説明している。ここで話してもいいと思うか、と視線で問えば口元に笑みを浮かべたままそれには応えず、すいとグラニウスに視線を投げた。
「グラニウス殿も、教会には思うところがありますよね」
黙ってセオドア管理官の話を聞いていたグラニウスがスッと真面目な表情でアッカードを見据えた。
「……思うところ、とは」
先程まで見せていた含みのある笑顔は変わらなかったが、その視線は警戒するように鋭い。
「出身地は魔獣に蹂躙された地域でしたよね。その魔獣が屍操術で操られた死んだ魔獣だったという記録が、レーヴェンに残ってるんですよ。まあ、公にはしてないんだけれど」
「ああ゛?」
思わず殺気を孕んだ低い声がゼノの口からこぼれ出た。
「まだそんな事やってたのか、ヒヨリは」
「証拠はないんだ。でも、人を使うよりは安全なんだよねぇ。バレにくいから。魔獣そのものを操る術は、ほら、五十年前にゼノが潰して世界で公には使えないようにしただろ? さすがの教会もそれを使うと色々言い逃れができないからね」
死体を使う方にシフトしたみたいだよとアッカードに説明されて舌打ちを落とす。
確かに、世界機構会議で決定させたのはゼノの意向もあった。あんな術は使わせるもんじゃない。
その点屍操術なら倒されたとて残るのは死体だ。動かしていた魔石は喪われるが、核を正しく斬る斬らないに関わらず、衝撃だけで魔石も残さず倒されることが魔獣ならある。故に証拠は残りにくい。
「それで、グラニウスだったか。お前さんは自分の生まれた場所を襲った魔獣について調べていたのか?」
問えば、しばらくアッカードとゼノを無言で見据えていたグラニウスが、はぁ、と大きく息を吐いて髪をかき上げた。
「——まさか、こんな簡単に黒幕までわかるとは。魔族絡みなら箱庭の剣聖が情報を握っている、という噂は本当だったんですね」
なんだそれは。
そんな噂は初耳だ。
ゼノの知らぬ間に噂だけが増えているのはいつもの事だが、情報を握っているとは随分大袈裟だ。
だが、初耳だったのはゼノだけのようで、アッカードはともかくセオドア管理官まで頷いているのはどういう訳だ。
「ああ、今回の罪人の件で我々も深く納得した」
「だからアンノデスタの評議会を務める商会ならば、ゼノとは懇意にしたいと思う者ばかりさ。腕は勿論のこと、魔族絡みの貴重な情報源だからね。そこのところはノクトアだってゼノ頼りさ」
「んなこたぁねえよ。ハインリヒを見てみろ」
ゼノだって知らない事を知っているのがハインリヒという男だ。情報というならば絶対にハインリヒの方が握っている。
「アレはまた別の生き物だから」
なかなかに辛辣なアッカードの言葉に、確かに、と思わず頷いた。
歴代のゼノの担当者達と比べても明らかに別格だ。ノアも中々のものだったが、流石に長官を務めるだけあってハインリヒの方が飛び抜けて腹黒く盟主達にも一目置かれている。
「ゼノとハインリヒでは持っている情報の種類がちょっと違うからね。それに何より――ゼノからの方が格段に情報が得やすい」
「うぐっ……」
それは比較対象をハインリヒに限定しなくても当てはまる。
先程もぽろぽろとこぼしたばかりなので何も反論出来ない。
一人ダメージを受けるゼノにグラニウスは、ふ、と笑った。
「町を襲ったのがただの魔獣ではないと疑ったのは、その場に漂う独特の香りと死体が残るのに魔石がないのはおかしいと、討伐に来た冒険者達が話していたのを聞いたからです。残念ながら問い詰めても冒険者からはそれ以上の情報を得られませんでしたが」
「ギルドにはその香りの報告は上がっていましたね。ただ、屍操術の事はギルドでもごく一部の上層部にしか共有されていない情報なので、その冒険者は本当に何も知らなかったと思いますよ」
「そうなのか」
そんな秘匿された情報だったのかと驚いたゼノを、アッカードが笑顔で睨みつける。
「本当に、箱庭に閉じ籠ると色々忘れ去るよね、ゼノは」
これは一度聞いた話なんだな。
それを理解してそっと顔を逸らした。アッカードは呆れを滲ませながらも、いつもの事だと肩をすくめた。
「私が疑ったのはまず魔塔です。あそこなら何をやっていても不思議ではありませんからね。それに、魔塔が糸を引いていなくても情報を集めるのにも適していると判断したので。幸いにも魔術の才があったので潜り込むのは簡単でした。ですが、魔塔にあったのは、今は禁止されている魔獣を操る研究のみ。それも封印されて閲覧も出来ないようになっていました」
「残ってんのかよ」
眉根を寄せチッと舌打ちを落としたゼノに、グラニウスが苦笑を返す。
「研究者の性もあるでしょうが、今後何らかの関連する事案が発生した時に参考にするためにと残されたみたいです。ただ、複数の組織の許可がなければ閲覧できないように封印されていましたよ」
「ああ、魔塔、世界機構会議、教会、正神殿、そして——ルクシリア皇国、でしたね」
正神殿と皇国が入っているならば問題はなさそうだ。正当な理由がない限り、ヒミカとルクシリア皇帝が決して許可はしないだろう。
不本意ながらも、まあそれなら安心かと表情を緩める。そんなゼノにグラニウスは微笑した。やはり本物の剣聖はそちらの立場なのだと安堵したと言っていい。
「その封印された術以外では魔剣しか魔塔には記録がなかった。ですが魔剣について調べれば調べるほど、町を襲った魔獣とは無関係だとわかるだけ。それからは独特の香りという手掛かりを元に調べていけば、魔獣に襲われた村や町は、その前後に教会と何らかの関わりがあったり出来たりしたところが多いところまでは突き止めたのですが、対象すべてではなかった。教会が噛んでいると判断するには証拠も情報も足りなくて、八方塞がりになっていたところに今回の情報ですよ」
私がどれほど興奮したかわかりますか、と笑顔で問われて頭をガシガシとかいた。
だから、その情報を寄越せ、と。
グラニウスの言い分は理解した。
「……ああ、まあ、確かに、屍操術を使っていたのは教会で間違いねえ」
グラニウスの話から察するに、信者を増やすためにあえて魔獣に襲わせてから手を差し伸べたり、邪魔あるいは報復手段として魔獣に襲わせたりとしてきたんだろう。ヒヨリの、というか教会の常套手段だ。
屍操術を使う前は生きた魔獣を操り、その前は盗賊をけしかけていた筈だ。
「やはりっ……」
「下手に手を出すな」
ならば、と勢い込むグラニウスの気勢を削ぐようにゼノが鋭く釘を刺す。
「教会の仕業に他ならねえし、使い始めたのは黒の教皇と呼ばれたヒヨリだ。アイツが相手なら、やりようによってはお前さんだけでも屍操術で教会を追い込み復讐することは出来たろう」
むしろ、どんどんやっちまえ、とゼノだって協力を惜しまなかったろう。だが今は事情が異なる。
「——だが、お前さんが相手にするのはヒヨリじゃなくなった。その術をヒヨリに伝えた——けったくそ悪いが、自分は女神セレスフィーネだと名乗るイカれた太古の聖女もどきだ。アレがヒヨリの身体を乗っ取り、今まさに教会を牛耳ろうとしている。そいつが聖女に返り咲いたアザレアの敵でありソリタルア神を祀る教会の敵でもある」
セレスフィーネという名に、セオドア管理官もハッとして顔を上げた。突然にアッカードがグラニウスに教会の話を振ったのはこのためだと話が繋がったのだ。
「アレはこの世のものだと思わない方がいい。軽々と死体を操るだけでなく、人が信奉する神すらも簡単に書き換える術を持つ、ある意味盟主達よりタチが悪い存在だ。近づくだけで取り込み操られ、アイツの手先にされる恐れがある」
「ッ……!」
ゼノの言葉にごくりと二人が息を呑んだ。
あの広間では、脈絡も何もかもをも無視して、衛兵や神父達は瞬時にセレーネを信奉し手先となった。魂情報を書き換えられたのだ。本人すらも気づくまい。自らが信じていたものを知らぬ間に書き換えられる。操られるよりももっともっと恐ろしく許し難い。あの時はリタのおかげで何とかなったが、常にそれが可能とは限らない。加えて、グラニウスの復讐したい程の怒りと憎しみをそっくりそのまま別の誰かに転嫁する事だって可能だろう。
「お前さん達が考えている以上に恐ろしい相手だ。まだ教会本部だけかと思ったが……どうやらザイードの教会にも既にセレスフィーネの手が伸びてるみてぇだな」
ならば、考えているよりももっとずっと多いに違いない。
アザレア達はどこまで正確に掴んでいるのか。
裏をかかれなきゃいいんだが。
嫌な予感が胸を過ぎる。
「情報が多すぎて混乱するが……そのセレスフィーネを信奉する者達は操られているのか」
セオドア管理官の言葉にゼノは静かに頭を振った。操られる事よりももっとずっとタチの悪いものだ。
「いいや。信仰する神を強制的に書き換えられるんだ。ソリタルア神への信仰心を、女神セレスフィーネへの信仰に、そっくりそのままな。書き換えられた本人も気づいてねぇみたいだった。だから自分の意志で動いている。意志決定の根幹となる思想が強制的に変えられただけだ。それを元に戻すには、それこそ聖女の力が必要だろうな」
あの時の事を思い出しながらそう伝える。本当に一瞬だった。セレーネを、その配下であるシスター達を敵だと認識した神父や衛兵達が、セレーネを信奉しゼノ達こそが教会の——セレーネの敵だと瞬時に切り替え襲ってきたのは。そしてそれを正すにはリタやフィリシアの力を必要とした。
「では、我が国にいるその神父も、セレスフィーネという神の信者を増やすために秘密裡に動いているのか。その事を教会の他の者は知っているのだろうか」
ゆゆしき事態にセオドア管理官が眉を潜め、緊張した面持ちで矢継ぎ早にゼノに問うが、ゼノとてその答えを持っている訳ではない。
「さてな。だが、相手は間違いなく聖女アザレアよりもあくどい力を持ち、それを振るう事に一切の躊躇いもねぇ、神や聖女とは異なる生き物だ。ソリタルア神の敵であることは間違いねえ。流石にまだ大手を振って動いてはいねぇ筈だが……」
教会本部の目が行き届かない場所では怪しい。
そもそもゼノの場合は相手がどちらだろうと敵だったので、セレーネかヒヨリかなどの違いはわからない。だがヒヨリの性格上、誰かに与するなどは考えられないので、恐らくヒヨリも騙されてきたに違いない。ならばもっとずっとセレーネの配下は多いのではないか。
嫌な予感しかしねぇな。
苦々しい気持ちで胸の内で舌打ちを落とす。
「それはまた、随分と……由々しき事態ですね」
「ああ、まったくもってその通りだ」
グラニウスとセオドア管理官がため息を吐きながら頭を振る。
ザイード共和国には既にセレーネを信仰する者が確実に一人は存在している。それ以上に存在するのかどうかはまったくわからないが、このまま見過ごす訳にはいくまい。
セオドア管理官は考え込むように俯きしばらく無言であったが、ついと顔をあげアッカードを見遣った。
「ここアンノデスタも注意が必要ではないか」
「……それは、どういう訳で?」
不審げに眉をひそめたアッカードに、セオドア管理官が気付いていないのかと表情を険しくする。
「ここに来るまでに、教会関係者や信者が騒いでいるのを見掛けて、馬車から彼らの言葉を読んでいたのだ。その中の一人が、セレスフィーネ様の御為に、と呟いているのを確かに見た。ここにも確実に彼らの仲間がいるだろう」
「!」
「ええええ、やはり既に潜り込んでいたか~……」
表情を険しくしたゼノとは異なり、アッカードはパチンと額を叩いて大きく嘆息した。怪しいなぁとは思ってたんだよね~と呟いているところを見ると、ゼノから話を聞いて気に掛けてはいたらしい。
「ここの主任司祭を勤めるトリニスタ殿は敬虔な信者で有名なんだけれど、その彼の目をかいくぐって存在しているなら、一人や二人ではなさそうだね」
厄介だなぁ、と大きなため息を落として頭をかくアッカードの隣で、ゼノは顎を擦りながら考え込む。
セレーネのような特殊な力を持つ者はいない筈だ。だから信者が紛れ込んでいたとてそこまで心配する必要はない、と思う。
だが連中の仲間がいる、というだけで腹立たしい気持ちが拭えない。
女神ユーティリシアの力を使いながら、自らをこそ女神だと嘯くセレーネ。あの女の顔を思い出すだけで怒りが湧き起こってくる。
今すぐにでも斬り捨てたい。
あの女を女神だと仰ぐ連中もまとめて地獄に叩き落としてやりたい。
アイツもアイツを信奉する連中もまとめてこの世界から消し去ってやりてぇ……‼︎
「殺気が漏れてるよ、ゼノ」
抑えた抑えた、どうどう、とアッカードに肩をぽんぽんと叩かれハッと我に返る。
目の前でセオドア管理官とグラニウスが青い顔をして胸を抑える姿に、知らず纏っていた殺気を慌てて散らす。
「悪い……!」
「はは……、殺気って感じる機会なんかなかったんですけれど……剣聖の強烈な殺気ともなれば、武芸者じゃない私でもハッキリ感じ取れるんですね。貴重な体験です」
「アッカード殿は元クラスS冒険者なだけあって流石だな……」
額の汗を拭いながら、ふぅ、と息を吐く二人の顔色はまだ悪い。どうやら無意識だった分、かなりのプレッシャーを与えてしまったらしい。
「すまん。あの女の事を考えると、どうにも怒りが抑えられねえみたいだ。未熟だな」
「ゼノをそれほど怒らせるという点だけで、その女がいかに要注意人物だかわかるよ。アンノデスタに既に入り込んでいるというなら、評議会にも注意勧告しておいた方がよさそうだね」
「私もザイードの教会関係者に注意を払うようにする。——そのセレスフィーネは、聖女アザレアと敵対する者で間違いないのだな」
少し顔色が戻ってきたセオドア管理官に、ゼノもああ、と頷く。
「女神セレスフィーネだと名乗る、セレーネという千数百以上も昔の別の世界の聖女だ。攻撃魔術は使えねえが、魔塔よりも強力な魔法陣の技術を持ってるうえに、人を操る——手駒にする力を持っている。こちらの常識は無視した方がいい」
魔塔よりも強力な魔法陣、と聞いてグラニウスが反応する。その表情は興味がある、というよりも警戒する色が強い。どうやら屍操術への興味は復讐相手を探すためのもので、彼自身の感覚はゼノ達に近いのかもしれない。
「気になるワードがいくつかあったが、教会の聖女が間違いなく味方であるなら、我が国の教会関係者と連携して警戒にあたろう」
「シスターには気を付けろ。奴らの母体はシスター達のいるシュエルディスタだった。そこ出身者は間違いなくセレスフィーネの手先だと思っていい」
「なんと……!」
シュエルディスタの襲撃は、ならば内部抗争か、と正しく理解したセオドア管理官に頷いてみせる。
「この僅かな時間に大勢が変わってねえなら、聖女アザレアのソリタルア神派とセレーネの女神セレスフィーネ派の対立だ。セレーネのタチが悪いところは、敬虔なソリタルア神信者の信奉する神を女神セレスフィーネに書き換えて自分のモノにするこった。さすがにそんな事は本人じゃなけりゃ出来ねぇ筈だがな」
「精神に干渉する術を持つという事ですか。隷属の紋のような?」
ふむ、と考察するグラニウスに、いや、と頭を振る。
「もっとタチが悪い。魂に干渉する力だ。魂に刻まれる内容はソイツの本質になる。本来は生き様で自然に刻まれるものだが、どういう訳か人に刻みつける力を持っていやがんだ」
「本質……」
ごくりと息を飲む二人に険しい表情で頷き返す。
聖女はその魂に刻まれた名を読むことが出来るだけで、自由に刻む事など出来やしない。それこそ、神の領域だ。
なのにセレーネにそれが出来るのは、女神ユーティリシアの力を持つからか。
そもそも何故あの女が女神の力を自由に扱えるんだ? たとえ女神の力を持っていたとしても、それは癒しや浄化のような、正常な状態に戻すための力のみが使えるのではなかったか。
フィリシアは、そう言っていた筈だ。
「その女の目的は何なのです? 教会を乗っ取る事だけですか?」
グラニウスに問われて、ゼノは無言で彼を見据える。
セレーネの目的。
問われて、ゼノは業腹ながらセレーネの事を思い返す。
勝手に与えられた役目などどうでもいい、押し付けられた力は自分が自分のために自由に使うのだと悪びれもせず言い放った女。
前世でも正教会に従うフリをしながら、自分の望み通りになるように暗躍していた女。
自らを女神と称する事からもわかる。
神としてこの世界に君臨し、世界を自身の好きなようにする。人も、魔族も支配したいに違いない。
とにかくあの女は、自分の上に誰かがいるのが気に食わないのだ。
——ゆえに。
頭の中に舞うストロベリーブロンド。
どのような状況でも決して揺るがぬ翠の瞳。
口元に浮かぶのは笑顔しか記憶にないほど、いつもその微笑で闘ってきた女性。
彼女を見るあの女の目に、憎しみや嫌悪といった暗い感情が宿っているのをゼノは知っている。
「てめぇが世界を支配する事はもちろんだが——何よりも、箱庭に眠っている聖女フィリシア。てめぇより格上だった彼女を何としてでも消し去りたいんだろうさ」
でなければ、わざわざこの世界にやって来た理由がない。
フィリシアを完全に消し去らねば、セレーネはいつまでも一番になれない。前世でも、あの手この手で常にフィリシアを陥れようとしてきた。セレーネにとってフィリシアはどんな手を使ってでも消し去りたい邪魔者に他ならないのだ。
「聖女フィリシア……セレーネとやらがこことは異なる世界の聖女なら、彼女もソリタルア神の聖女ではなく別の世界の聖女なのかい?」
ゼノの言葉にアッカードが首を傾げる。
アッカードに話したのは教会の最奥の間で起こったことのみだ。それもユーティリシアの話はしていない。
「箱庭に眠っている、ということは今は動けないんですか、その聖女は。そのセレスフィーネ——セレーネ?より力が上なら期待したいところだったんですが」
「ああ、無理だろうな」
フィリシアは今休眠期でしばらく目覚めないとデュティが断言した。セレーネとはフィリシア抜きで戦わねばならないだろうし、そもそもゼノにはあの二人を会わせる気はない。
「セレーネは俺が絶対に叩き斬る」
今度こそ、確実に。
強い決意を宿らせるゼノに、アッカードが危惧するように眉をひそめていた事にゼノは気づかなかった。
まずは監獄な内の教会関係者を精査する、と言い残してセオドア管理官が帰って行った後も、魔塔のグラニウスは詰所に残ったままだ。
「私は今しばらくアンノデスタに滞在する事にします」
魔剣は他の二人に魔塔に運んでもらいますのでと告げたグラニウスに、アッカードは安堵するように頷き返した。
「それは助かります。今教会が不穏ですからね。警戒する人の目で様子を見てもらえるのはありがたいですよ」
「だが近づき過ぎるなよ。セレーネはまだ教会に捕縛されていて自由に動けない筈だが、手駒の数が知れねえし、どんな手段を持ってるのか分からねえ」
油断するなとのゼノの忠告に、グラニウスが神妙に頷き返す。
「聖女アザレアは、黒の教皇のような手段を用いる事はありませんね?」
「ああ。ちょっと誤解を招く発言をする事も多いが」
アルカントの魔女として出会ったアザレアには、様々な事を教わりもしたが、随分と酷い目にも遭わされた。それはゼノにとっては酷い目であったが——魔物の巣窟に落とされるだとか、勝手にいくつもの仕事を押し付けられるだとか——結果として多くの人が救われている。
わかりにくいが、いつだって彼女は人々を魔族被害から救うために動いてきたのだ。聖女の力を封じていても、魔術や薬草を用いてずっと尽力してきた。それがわかっているからこそ、どんなに嵌められてもゼノはアザレアに従ってきたのだ。
まあ、悪態はつくがな。
「アザレアはこの世界をセレーネや魔王から守るために、気の遠くなるような年月を生き抜いてきた真のソリタルア神の聖女だ。教会の権力争いも神殿との信者の取り合いにも興味は持っちゃいねえ」
力強く断言したゼノに、グラニウスは微笑して頷いた。
「ならば、私も聖女アザレアや剣聖ゼノ殿に微力ながら力添えいたします」
「気持ちは嬉しいが、一人で突っ走るなよ。本当にヤバい相手だからな」
重ねて忠告するゼノに、グラニウスも真剣な表情で頷き返しながら、あの偽物や神による洗脳の話を同僚のコーネリアに聞きに行った時の事を思い出していた。
——ゼノ殿は素晴らしいのです! 剣聖と称される剣の腕は当然として、お人柄も素敵なんです!
その後いかにゼノが強くそれでいて驕らず、また人に侮られ正当に評価されずとも、自分の信念に基づき剣を振るう素晴らしい人物であるかを延々と聞かされ、コーネリアに尋ねたのは失敗だったと辟易したりもした。
同じくシモンに師事しているヘンリーが部屋にいたのだが、そんなグラニウスに同情を見せつつ、コーネリアは剣聖を崇拝しているからと苦笑はしたものの話そのものは否定しなかった。
短い時間ながらもゼノの人となりをみて、多少の誇張があったとしても彼女達の判断に間違いはなく、グラニウスもゼノが信用に値する人物だと確信できた。何より、長い間探ってきた屍操術の情報を見返りなく提供してくれた事は感謝の念にたえない。そこに打算も策略もないのがわかるから余計にだ。
この借りは必ずお返しする。
グラニウスは微笑を浮かべたままゼノを見つめた。
相変わらず話があまり進んでいません...。プライベートで受けている仕事が終われば土日に書き進められるのですが、今は如何ともしがたく。
あと、意味があるんだろうかと思いつつ、チアーズプログラムに参加しました。
さらに読みにくくなっていたらすみません。




