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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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(二十七)引き渡し



 東大陸の最北端に位置するザイード共和国にあるニードフェンゲス監獄とは、世界機構会議が認定する裁判で特別犯罪人と認定された犯罪者を収監する特殊な監獄だ。主に世界規模の犯罪を犯した者が収監されている。罪を償わせる事が第一目的のため、罪人の命が損なわれぬよう厳しい管理が行われており他の監獄に比べると環境は整っているが、そこで科せられる労役と罰は地獄の苦しみを伴うとされている。そこで罪人を管理する管理官達は一級から八級までの区分があり、今回エド達を引き取りに来たのは一級管理官が一人と三級管理官が二名、さらに六級管理官が六名という大人数だ。エドの身柄確保を重要視していることの表れだろう。そこに魔塔の魔術師が三名いるので、そこそこ広い筈の詰所の部屋もどこか手狭に感じる。


 苦々しい表情の管理官達が布の上に横たわるエドの姿を無言で見下ろしていて、そこから漂う重苦しい雰囲気が余計に息苦しく感じさせる。

 一目で命がないとわかる血の気が失せた姿に言葉が出ないようだ。

 魔剣がゼノに叩き斬られた後、既に命のなかったエドも活動を停止しその場に倒れ込んでそれきりだ。ただ魔剣に僅かながらの魔力が残っているためかエドの身体にもまだ魔剣の魔力が滞留しその肉体が朽ちるのを防いでいる。その横には虚な目をしたキャシーが座り込んで動かない。こちらは身体は生きているがもはや何の反応も返さない。

 言葉を失うニードフェンゲス監獄の管理官達とは異なり、魔塔から派遣された魔術師達は目を輝かせ興味深そうにエドと魔剣を見つめている。


「既に説明した通り、第三盟主がエドを監獄から連れ出し、そこのキャシーに引き抜かせた魔剣を与えた。魔剣を手にしてソレに使われた時点でエドは命を落とし、魔剣の鞘であり人形となり果ててる。形を保ってたのはひとえに魔剣の正式な使い手がそっちの嬢ちゃんだったからだ。その嬢ちゃんも魔剣に魂を喰われて命はあってももう正気を取り戻す事はねえだろう。エドの方も魔剣の魔力が身体から完全に抜けきれば他の死体と変わらねぇ筈だ」 


 投げやりにそう言い放ったゼノに、ガノン=セオドアと名乗った一級管理官が小さくため息を吐いた。


「覚悟はしていましたが……取り扱いが難しいですね。死よりも重い処罰を科された者が早々に命を落とすとは」


 例え魔族が絡んでいたとしても、早々に監獄から取り逃した上に命を落としたなど、ニードフェンゲス監獄に収監された意味がない。出来れば生きたまま確保して予定通り処罰を受けさせたかったことだろう。


「魔剣の餌になった時点で魂の救済もねえっていうから、罰は受けてるとは言えるが……まあ、それはこっちには分からねえ話だし、証明のしようもねえ。ただ、最後は人ですらなく、首を斬られても自動修復するただの化け物に成り果ててはいたけどな」


 ゼノがガシガシと頭をかきながら慰めるようにそう告げたが、それでも管理官達は無言のままだ。

 監獄から助け出されキャシーと会い、安堵した後に魔剣に喰われたのなら、ある意味それは絶望を与えたとも言える。キャシーに悪気は微塵もなかったが、エドからすれば酷い裏切りだ。まあ、喰われる感覚があったかどうかなんてゼノにもわからないが。


「それは興味深い」


 沈痛な空気の漂う中、魔術師の楽しげな声に管理官達が眉をひそめて睨みつける。ゼノはそれを無視して魔術師に視線を向けた。確か、グラニウスと名乗った魔術師側のリーダーだ。


「魔剣とコイツの魔力が同一のものだとの証明は出来るか? 今回の件は監獄側に落ち度はねえ事をハッキリさせておきてぇ」

「勿論です。どちらもハッキリと魔力が残っていますからね、簡単ですよ」


 ウキウキとした雰囲気で魔道具を取り出し、近づいても?と視線で問われたので頷き返す。

 その態度に管理官達が引いているが、研究に重きを置く魔術師とはこんなものだ。


「それで、二人とも監獄に連れて帰るでいいんだな?」


 テキパキと魔道具をエドや魔剣の側に配置し、何らかの反応を確認しつつ書き留めている魔術師達を眺めながらゼノはセオドア管理官に尋ねた。

 連れ帰っても罪を償わせる事すら出来ないだろが、回収する事に意義もあるだろう。


「そうですね。一旦は二人を持ち帰り、その後のことはしかるべき組織と協議する形になるでしょう」

「魔術の検体として魔塔が買い取ることも出来ますよ」


 苦々しい表情でゼノに答えた管理官に、グラニウスが弾んだ声で案を提示する。


「それもひとつの手だな。本人の意識はとうにねえが、魔塔の実験体になるなら罰になるんじゃねえか」


 監獄に置いといても朽ちるだけだし邪魔だろ、とのゼノの言葉にセオドア管理官は無言のままエドを見下ろす。


「うちの実験体が罰ゲームみたいな扱いですね。ま、否定はしませんが」

「んな可愛げのあるもんじゃねえだろ。倫理観無視で色々やってる組織だろうが」

「いやですねぇ。今は魔塔長が規制を厳しくされたので長老達が実権を握っていた頃とは違うんですよ」

「どうだか。サリエリスとかいう爺さんは人を攫って実験体にしてたじゃねえか」

「それは魔塔長が実権を握る前の話ですよ」

「上が変わったからといって所属する奴の性質が変わるもんじゃねえだろ」


 むしろより隠れて色々やらかしそうだと、胡散臭そうにグラニウスを睨んだゼノをくすくすと笑う。ゼノの中で魔塔の魔術師というのは元々警戒すべき対象だった。自分もそうだがサラがラロブラッドであったため、二百年前は出来るだけ近づかないようにしていたし、アーシェやサラが眠りについた後も関わりはほとんどない。コーネリア達のように常識ある者よりも、ヘスやサリエリスのような自身の研究のためには周囲を顧みない者だという印象が強い。

 はあ、とため息を落として頭をガシガシとかく。

 この魔術師の性質がどうであろうと、とりあえず今は仕事をきっちりこなしてくれればそれでいい。ゼノと会話しながらも手を止めずに作業している姿を見ればそのあたりは心配なさそうだ。三人それぞれが別の記録をとっているのを確かめ合っているのか、作業ごとに魔道具をそれぞれ交換している。


「魔剣は完全に壊れたと見ていいんだよね?」


 注意深く作業を続ける魔術師を眺めながらアッカードがそう尋ねる。


「ああ。魔剣を魔剣たらしめているモノを斬り捨てたからな。もう刀身も修復しねえし——完全に()()()()()()ってのは間違いねえ」

「断ち切られた? 魔剣は何かと繋がっていたと言う事です?」


 魔道具の値を書き留めていたグラニウスが、ゼノのその言葉に反応して手を止め振り返った。


「ああ。だからこそ第三が魔剣に興味を失くしたと言っていい」


 あの後一応、第三盟主にゼノも確認したのだ。

 一目見て完全に破壊されたとわかる魔剣。

 こいつをどうする?と尋ねた時、チラリと一瞥した目には、もはや興味の欠片もなかった。もう使い物にならないから好きにしていいよ、と言い放った言葉に嘘がないのはゼノにもわかる。魔剣が魔剣として存在する核ともいえる何かをゼノが叩き斬ったのだ。

 第三盟主の困りごとと魔剣が関係しているとするならば、間違いなくあの時魔剣が見せた禍々しい力が関係している。魔剣は何かと繋がっていてそこからあの禍々しい力を引き出したのだ。

 あの力がこの世界のものでないなら……恐らく前世世界の力に違いない。ならば、魔剣そのものではなく、あの力こそが第三盟主の目的だったのか。それを得られる術を喪ったから、興味が失せたのか?

 ゼノが考えつくのはそこまでだ。実際にはわからない。

 だがだからこそ、どこか慌てたようにその場から姿を眩ました第三盟主が気になる。オルタナの様子も尋常ではなかった。


「それは興味深い。ではここに感じる魔力は、繋がっていた先の?」

「いや」


 わくわくと目を輝かせる魔術師には悪いが、ゼノはアッサリと否定した。


「その力はとうに感じない。そいつぁ元々の魔剣の魔力だな。だがそれも、じきに失せてただの鉄くずになるだろう」

「それは残念」


 心底がっかりと肩を落とす姿に、自分の興味に素直なようだと眉をひそめる。魔術の研究に心血を注ぐタイプなようだが、こういった連中は研究のためなら何が起こっても気にしない者が多い。一番注意すべきタイプの魔術師だ。


「魔剣にもう力はないと剣聖であるゼノ殿が断言するなら、これ以上の危険はないと判断してもよさそうだね」


 アッカードが皆の前で確認するようにあえてそう断言した。


「……剣聖であるならば、何故教会の者を斬ったんですか?」


 不意に、セオドア管理官の背後に控えていた若い管理官が、憤りを押さえた声でゼノを睨みつけ尋ねた。この管理官達の中では下っ端の六級管理官の一人だ。


「ネイト管理官! 今回の仕事とは関係のない話だ!」 


 その言葉にセオドアが嗜めるように叫んだが、これまで我慢していたのか、堰を切ったようように控える管理官達が剣呑な気を纏ってゼノを責めるように睨みつけてくる。


「ですが、その彼が罪人であればその言葉を信じる訳にはいかないでしょう!」

「我々が勝手に判断することではない!」


 彼が言っているのはアーケイシアレコードの件だろが、やはり世間一般ではそうとられるか、とどこか他人事のように考えつつ彼らのやり取りを見つめていたゼノは、ははははっ、と突然響き渡った愉快そうな笑い声に思わずそちらを見やった。グラニウスだ。だが、他の魔術師達もどちらかといえば同調するように笑っている。管理官と魔術師の温度差に目を瞬く。


「あのシーンの事なら、違和感だらけじゃないですか。斬られた神父達の目をちゃんと見ましたか? あの虚ろで焦点の合っていない目。血の気の失せた白い顔。あれはどう見たってまともじゃない。加えて、奥側にいる斬られていない神父の垂れ下がった腕を見ましたか? まるで何かに引っ張りあげられたようにだらんと揺れている」


 どうやら彼はゼノが斬った事実よりもあの時の神父達の様子の方が興味を引いたらしい。随分と細部まで観察している様子に驚く。


「そんな事っ……」


 ネイトと呼ばれた管理官は反発するように叫んだが、セオドア管理官が目を閉じたまま、むぅ、と低く唸った。どうやらレコードを記憶から引っ張り出して指摘された箇所を吟味しているらしい。


「実際どうなんです? 彼らはそもそも生きていたんですか?」


 その何かを期待する眼差しは、どうやら彼らの状態に心当たりがあるようだ。ゼノは頭をガシガシとかいてため息を落とした。


「ああ、まあ、なんだ。既に死んでる。それは死体を操る術——屍操術だ。普通は魔獣の死体を操る術なんだがな。あの時はてめぇで命を奪った連中を盾に使いやがったんだよ」


 ま、そう言ったところでお前さん達が信じるとは思わねえけどな、と管理官達に向かってそう付け加える。そもそもこういった濡れ衣はこれまでも随分と着せられてきたので、信じてもらえるなどとは考えていない。弁明するだけ時間と気力の無駄だとすらゼノは考えている。


「屍操術——本当に存在したのですね」


 グラニウスのそのどこか真剣な様子に眉をひそめる。


「馬鹿なことを考えるんじゃねえぞ。あんなクソみてえな術は葬っちまうに限る。——お前さん、まさか人や魔獣を操る事を研究して魔剣にも興味を示してるんじゃねえだろうな?」


 ゼノが警戒するのは当然だ。昔からそういった事を研究する魔術師は存在した。近いところで五十年程前にライオネル達がいるネーヴェを魔獣や魔物を襲わせた国がある。ゼノは名前すらもう覚えてはいないが、その国は魔獣や魔物を操り周辺諸国に圧力をかけていた。それが公になって国ごと潰されたのだ。

 大昔には魔獣被害対策として研究されていた時期があったと、アザレアからも聞いたことはある。だが結局はそういった事に留まらず、それを武力として扱い周辺諸国に圧力をかける連中が後を絶たなかったために禁止されているのだと、アザレアが嘲った事は印象に残っているし、ゼノも思い上がりだと思う。


「あははは。嫌ですねえ。そんな事は考えていませんよ。普通なら核を残して消える筈の、魔獣の死体を操るというのは興味深いと思っただけです。それを人に対して、それも神父の死体に誰がそんな術を施したのか、という点も興味深いところですが」


 ふふふ、と顎に手を当て微笑しながら意味ありげにゼノを窺う魔術師は、もしかすると屍操術を使っているのは教会だと知っているのかもしれない。


「例えそうだとしてもっ、そもそも彼らを殺したのがそこの男じゃないという証拠にはならないだろう!」


 グラニウスの言葉を認めたくないのか、ネイト管理官が今度はそんな事を叫ぶ。


「彼らに外傷がないのは証拠になるのでは? 剣聖が魔法を使わないのは有名な話ですし、わざわざ外傷が残らないような手の込んだ殺し方をするようには見えませんけどね」


 剣聖の仕業なら死体に斬られた痕がある筈だ、と即座に冷静に返された言葉にネイト管理官がゼノとグラニウスを交互に見ながら言葉を探していたが、意味のある反論を見つける事が出来なかったのか、結局そのまま押し黙った。

 大雑把であると馬鹿にされた気がしないでもないが、まあ事実なのでゼノも反論はしない。というか今までの僅かなやり取りでそう判断されるとはどういう訳だとチラリと思わないでもなかったが。


「すまない。監獄の管理官には敬虔なソリタルア神の信者が多いのだ」


 セオドア管理官が申し訳なさそうにゼノに頭を下げるのを、気にしてねぇ、と手を振り応える。

 あんな場面であればそう思われても仕方ないだろうし、誤解を受けることは慣れている。それに、セオドアは公私の別をキッチリつけて自分の感情を押さえることに長けているようだが、本心ではどう思っているのかまではわからない。それは、ゼノを見る他の管理官達の目を見ればわかる。グラニウスの言葉に反論出来なくとも納得はしていないという目だ。

 グラニウスもそれを感じ取っているのか、管理官達を見る目に呆れが滲む。


「観察力があればこれぐらいはすぐに導き出せるんですけどね。まあ、世間一般は彼らのように認識していると考えた方がいいですよ。——なんなら、今の見解を公式発表するよう魔塔長に進言しましょうか」


 そう申し出られたが、ゼノは手を振った。


「いらねえよ。魔塔と教会が険悪になっても面倒だろ」

「やはり教会が屍操術を保有していましたか」


 と嬉しそうに返されて閉口する。

 ゼノにとっては当たり前の情報だったが、この魔術師が知らなかったように、どうやら屍操術の事は広くは知られていなかったらしい。

 しくった、と思ったが後の祭りだ。気のせいか笑顔の筈のアッカードの視線も冷たい気がする。

 これはもしや、この場にハインリヒがいたら睨み殺される失態か。背中に嫌な汗が流れる気がするが、放った言葉は今更取り消せない。


「……証拠はねぇ」


 苦し紛れにそう呟いてみたが、もちろんスルーされた。


「しかし、だとすると不思議ですよね。これ程の数の神父をわざわざ殺して屍操術をかけて剣聖を襲わせる駒にした訳ですか。教会からすれば生きたままでも駒は駒でしょうに。それとも、何か他に殺す必要性があったという事でしょうかねぇ」


 グラニウスは小首を傾げてゼノの顔を窺うが、ゼノはあからさまに顔を逸らして知らねえよ、と小さく呟いた。

 何やらグラニウスは今回流れた場面に何らかを嗅ぎ取っているようだ。魔塔が教会内部の諍いに興味を持っているなどとは思いもしなかったが、誰彼ともなく事実を勝手に伝える訳にはいかない。どこで何が影響してくるか知れないのだ。とにかくこれ以上情報をうっかり漏らしてしまわないよう、ゼノは頑なにグラニウスから視線を逸らし続けた。 


「まあいいです。教会が屍操術を持っている、と知れただけで収穫です」


 顔を逸らしたまま決して目を合わせようとしないゼノに忍び笑いをこぼすと、徐に立ち上がりセオドア管理官に向き直った。


「この死体を廃棄するぐらいならぜひ検体にする事をご検討いただきたい。必要であれば何をしたのかも都度報告いたしますよ」

「……考慮する」


 にこにこと笑いながら告げられた提案にセオドア管理官が少し顔を強張らせそう返したことに満足そうに頷くと、ずいと書類を突き出した。


「これが魔剣と彼が纏う魔力が同一であるとの証明になります。後ほど正式に魔塔の署名印を付けてお渡ししますが、管理官も確認の上署名をお願いします。どうぞご確認ください」

「ああ、承知した」


 ゼノと会話をしていたのに手だけはしっかり動かしていたらしい。魔力精査はそう難しい作業でもないが、三人で調べた結果同一であるとの証明書類を短時間でまとめあげたようだ。

 セオドア管理官が書類を確認し、背後の管理官を視線で促すと、魔術師が持つものとは異なる魔道具を取り出した管理官がエドと魔剣に近づいて行った。魔術師の結果を確認するためだ。

 通常の人の魔力ならともかく、魔剣の魔力は独特だ。正直魔道具で調べなくともゼノにだって漂う魔力が同じだとわかる。ただ念のためこの場で様々な立場の者に確認してもらう必要があるのだ。

 力はもうないとはいえ、魔剣から感じる禍々しい魔力に眉をひそめながら、管理官も同一であると確認した。


「なら彼ら二人の引き渡し書にもサインを。魔術師殿にはこの魔剣の引き渡し書です」


 アッカードが事前に作成していた書類をセオドア管理官と魔術師に手渡す。二人が書類に目を通しサインする間にアッカードはもう一枚手にしていた書類をしげしげと眺め——突然ビリビリと破り始めた。

 なんの書類かゼノにはわからないが、この場で見せつけるように破り捨てたのだ。何か意味があるに違いない。

 アッカードの突然の行動に管理官達も驚いて視線を向ける。

 細かく何回も破るとそのまま掌の上で火の魔法を使って燃やし尽くすと、パンパンと手を叩き満足そうな笑顔を浮かべている。

 そこに怒りが滲んでいるように感じて、ゼノは唖然としている管理官達をチラリと見遣り、それからアッカードへ視線を戻した。


「……なんの書類を破り捨てたんだ?」


 誰も口を開こうとしないので仕方なくゼノが尋ねた。なんか怒ってるよな、と頬が引きつる。アッカードのように普段穏やかな者は怒らせると怖いのだ。


「ああ。女将連からも了承を得ていた協力承諾書です」

「なんだそりゃ」


 協力承諾書?と首を傾げたゼノと管理官達にアッカードはにこやかに笑った。


「この罪人達について更なる調査協力の要請や情報の提供を求められた場合に、アンノデスタの花街が正式手続きなく応じるという承諾書です。これがない場合はアンノデスタの評議会にその都度書面で要請いただき、評議会の承諾とそこから更に花街の女将連の承諾が必要になりますね。ああ、勿論、自警団も花街に属するので女将連からの要請がなければ情報ひとつ漏らしませんし、指一本動かしませんよ」


 さらっと滑舌良く説明された内容に、んんっとゼノは目を瞬いた。


 ……それは、今後は面倒な手続きを踏めよと、コイツらを今、切り捨てたのか……?

 いや、なんで?


 何がアッカードの怒りに触れたのかゼノにはわからない。

 わからないが、わからないと言って説明を求めればさらに怒りを煽りそうだと察して口を噤む。

 ようやくアッカードの行動を理解したセオドア管理官がペンを置き、頬を引き攣らせながらアッカードに向き直った。


「それはつまり、本来であれば無条件で我々に協力いただける予定であったが撤回する、と」

「な!? 世界機構会議が大罪人と認定した罪人の事だぞ!? 協力を拒否する権限などっ……」

「拒否などしていませんよ。正式な手続きに則って対応するというだけですから。他の国に罪人が逃げ込んだ場合でも勝手に捕縛せずに手続きを申請するでしょう? それと同じですよ」


 大袈裟ですね、とアッカードは朗らかに笑っているが、とても怒っているという事をゼノだけでなくセオドア管理官も理解したようだ。すぐさまネイト管理官を腕で制し下がらせる。


「……つまり、剣聖殿を侮辱した我々を、アンノデスタの花街は許さないという事ですね」

「はぁっ!? そんな事で我らの仕事を……」


 更に叫んだネイト管理官を、他の同僚が慌てて押さえつけ口を塞ぐがもう遅い。いや、まあ今さら止めたところで既にアッカードは切り捨てているのでどうしたって覆りはしないのだが。


「私たちの価値観を他の方に押し付ける気は毛頭ありませんよ~。ですが、相手の地雷が何かぐらいは事前に掴んでおくべきでしたね? アンノデスタの花街は剣聖ゼノ殿の味方であり大事な仲間だと考えていますので、彼への侮辱は我々への侮辱に同じ。非常に許しがたい所業です」


 全然目が笑っていないアッカードの笑顔に、ようやくネイト管理官もマズイ事を言ったと理解したようで顔色を失くしている。

 一方で花街の地雷扱いされたゼノの方も微妙だ。

 気持ちはとても有り難いが、ゼノの味方だと公言する事で花街が変なトラブルに巻き込まれるんじゃないかと心配になる。何より今は教会との関係がきな臭いのだ。ゼノと親しいという理由でセレーネに目を付けられる可能性だってある。


「そもそも、そこの罪人達が惨劇を引き起こす前に形あるまま捕縛出来たのはゼノ殿がいたからこそです。彼らが暴走していたら、あなた方の責任がどれほど問われたでしょうね〜。第三盟主が絡んでいる事も誰からも証明されず、鉄壁を誇るニードフェンゲス監獄の信用も地に落ちたことでしょう。——そこに恩義を感じているなら、おのずと慎重に情報を精査するのが普通だと私は考えるんですけどね。魔術師殿に説明されても罪人扱いするぐらいだ。管理官の皆様方は有り難いなどとは露ほども感じておられないということでしょう」

「いや、決してそのような事は……」


 アッカードの言い分に、セオドア管理官がひたすら、そのような事はないと頭を下げるだけだ。


「ここに来るまでに教会の信者が騒いでいましたからね。それを見てあのシーンはそうだと決めつけたんでしょう」 


 アッカードの氷の笑顔をものともせずに、魔剣引き渡しの書類にサインを行ったグラニウスも笑顔でそう告げながら書類を差し出す。


「アンノデスタに入ると、あの情報の方向性を導くようにそこかしこで騒ぎ立てていましたよ。随分と悪意を感じますよねぇ」


 くすくすと笑う魔術師に、なるほど~とアッカードも書類を受け取りながらにこやかに頷き返す。


「まあ、あいつらの常套手段だからな」


 数で情報操作を行うのは教会や神殿の十八番だ。二百年前からずっとやられてきたことなのでゼノも今さら驚かない。

 だがそんなゼノをアッカードが笑顔を消してジロリと睨み付ける。


「だからって彼らの好きにさせておくのは悪手だよ。ゼノはもっと声を張り上げて否定した方がいい。自分達の罪すらゼノに平気で押しつけてくるからね」

「あ~……まあ……」


 アッカードの言う事はもっともだが、そういう努力は二百年前にやって断念したのだ。


「あり得そうです。もっとも、良識ある者ならそんな煽動には乗らないでしょうけれどね」


 ふふふ、と意味ありげに笑いながらネイト管理官達をチラリと見遣るグラニウスも中々いい性格をしている。

 セオドア管理官が頭を押さえながら「申し訳ない」と恐縮しきりでゼノの方が気の毒になってくる。


「じゃあこれで取引は終わりということで。そこの二人を連れてさっさとお帰りいただきたい」

「ま、待ってください! 謝罪を! 謝罪をしますので、今後の——」

「チャンスが二度もあるとは考えない方がいいですよ」


 押さえつける同僚を振り切り土下座する勢いで前に躍り出たネイト管理官に、アッカードがピシャリと言い放つ。


「それに謝罪なら、自警団の団長殿ではなく剣聖殿に行うべきでは?」


 もうその時点でアウトですよね~と楽しそうに指摘するグラニウスの言葉に、ネイト管理官が青ざめセオドア管理官も静かに目を閉じた。


 うん、まあ。

 ゼノはそっと視線を逸らす。

 彼がアッカードの更なる怒りを買ったことだけは間違いなかった。






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