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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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(二十五)対処方法はお手のもの



「だから、勧められるままじゃなく、まずはちゃんと自分で見て選んでって言ってるでしょう?」

「そう言われましても……私が選ぶより先に良い物を勧められると仕方ないじゃありませんか」

「本当に良い物を勧められているのか確認することも大事だって言ってるの」


 アーシェとタケルが、もはや何度目かわからないやり取りを繰り広げながら歩いているのを、アインス達が少し距離を置いて無の表情で後に続く。珍しくアーシェが少し興奮しているためか、少し離れていても声がよく聞こえる。

 旅の必需品の見直しと調達を、と王都の商店が建ち並ぶ区域に足を踏み入れて僅か三十分ほどで、粗方の買い物が完了していた。

 それというのも、冒頭でアーシェが怒っていたとおり、店に入ってすぐにお勧めされる商品をタケルがさっさと買って終わらせてしまうからだ。

 店内をじっくり見もせずに選ぶ姿にアーシェがお冠だ。

 タケルの言う事もわかる。アインスには彼を擁護するつもりはないが、確かに店内を見渡してもお勧めされた商品が一番いいと思う。それはまさにその通りで、彼の背後にいるタケハヤがそれを引き寄せているのかどうだか知れないが、だからと言って他の商品と見比べないというのもどうかと思うのだ。


「良い運を引き寄せる力は確かにタケルが持っているものでしょうけれど……それだけに頼り切りだと危険でしょう? なんらかの事態でその力が働いていないとき、本当に良いのか悪いのか、あなたそれを見破れるの? その見極める直感力っていうのも大事なのよ」

「その直感で、店の人が勧める物が一番だと判断したんです」


 しれっと笑顔でそう宣ったタケルに向ける、アーシェの絶対零度の視線が恐ろしい。

 それを受けてもにこにこ笑っていられるタケルの強心臓にこちらが倒れそうだ。

 なんか二人はソリが合わないというか相性が悪いというか、どうも仲は悪そうだ。どう贔屓目に見ても仲が良さそうには見えない。

 アーシェが一方的に警戒しているのかと思いきや、タケルもどうもアーシェに対して線を引いているというか、壁を作っているというか、二人の間には一言で言い表せない何かを感じる。

 それを実感して、アインスはちょっとホッとした。


 ——いやいや、なににホッとしてんのさ。


 自分で自分にツッコみながら、冷え冷えとした空気漂う二人の後ろを付いて歩いていると「あっ」と短い声が聞こえてそちらを振り返った。

 そこには、昨日会ったキリと強面の男の一人——バシリがいた。

 昨日の今日で気まずそうだ。


「こんちは」


 ひらひらと手を振りながら笑ってそう挨拶すれば、キリが驚いたように目を見開き、ああ、とか、うん、とか決まり悪そうに呟いた。


「キリさん達も買い物?」


 アインスが普通に話しかければ、キリは戸惑いながらも頷き返す。それから、チラリと少し前を歩くタケルとアーシェに視線を投げたので、ああ、とアインスは苦笑した。


「いやぁ……さっきからあの二人がバチバチで。俺達ちょっと怖くて近寄れないんだ」

「え? 仲がいいんじゃないのかい?」


 傍からは仲睦まじく見えたのだろうか。キリが驚いたような顔をする。


「あの二人は仲悪いよ。ていうか、絶対に良くならないと思う」


 ずっとだんまりでアインスの後ろにいたサラが、大きなため息と共にそう吐き出した。


「ええ? ……だって、タケルのためにわざわざここまで……」

「ああ、まあ、止むにやまれぬ事情っつーか、放置してると後からとんでもない事になりそうだから仕方なくっていうか……とにかく、アーシェとしては好き好んで来てない事は確かかな」


 昨日のアレでは誤解されていたみたいなのでそう断っておく。

 デュティにわざわざ頼まれなければ放っておいただろう。まあ、困ってるなんて気づきもしなかっただろうが。


「お姉ちゃんはお父さんの弟子には厳しい。お姉ちゃんが認めた人しか弟子にさせないのに、お姉ちゃんがいない隙に弟子に収まってるタケルの事はまだ認めてないんだと思う」 


 ボソッとサラがそう零した言葉に、キリが目を瞬く。どうやら、昨日思っていた関係性とは異なるようだと段々わかってきたらしい。

 あぁ、でもそれなら確かに納得だ。アーシェが弟子を認める基準とやらはわからないが、眠りについている間に弟子になってたというのは、アーシェからすれば面白くないに違いない。現在も見極め中といったところなのか。


「今もそう。……いつ一戦始めるかというぐらい、二人の仲がケンアク」

「二人とも楽しそうに笑っているが」


 そうか?とバシリが首を傾げて二人を見る。

 二人とも笑顔だからわかりにくいだろうが、そこには友好的な雰囲気など一欠片もない。というかタケルはわざと怒らせてるのかと疑うレベルだ。


「あれタケルの素なんかな。それともわざと?」


 アインスがタケルに会ったのは今回が初めてなのだ。彼の人となりは全然わからない。


「前にリタさんと一緒に会った時にはあんな感じじゃなかったように思うけど……ひょっとしたら、お姉ちゃんと同じく、お姉ちゃんだからあんななのかも」

「ゼノの弟子って立場はフクザツだな」


 あれお互い牽制してんのか~と、がしがしと頭をかいた。

 リタが以前、ゼノを好きすぎる人が多くてほんと面倒だわ!とこぼしていのを思い出し、これがそうかと納得する。さすが剣聖だよな~好かれてんな、とのほほんと考えていた。


「じゃあさ、じゃあさ、ゼノに鍛えてもらってるアインスも、ゼノの弟子ってことか?」


 他意なく。

 本当に他意なくそう尋ねたオルグに、ええ?とアインスは首を傾げただけだったのだが、途端に厳しい視線が突き刺さったのを感じて思わず振り返る。

 バチッとタケルと目があって、口の端が引き攣る。

 笑顔だが、目が笑ってない。

 さっきまでコチラのやり取りは聞こえていなかったみたいなのに、何故よりにもよってオルグのその言葉を拾う?いや、確かに少々大きな声だったけれども!


「そう言えなくもないね」


 そこに、アーシェがとてもいい笑顔でそんな事を言う。


「うえっ!? い、いや、弟子とはちょっと違うって言うか——」

「そういえば、アインスとちゃんと話した事はありませんでしたね」


 なんかロックオンされた!?

 タケルの目がマジなんですけど!?

 ていうかなんでそこは二人揃ってんの!?


「じゃあ、ゆっくり二人で話すといいわ。——タケルは私の言葉は聞き流すみたいだから」


 アーシェさん!? なに毒吐いて俺に押し付けてくれちゃってんの!?

「聞き流すなんてそんな」

「私も無駄なやり取りを繰り返すのはうんざりです」

 ひえっ! もう遠慮の欠片もなくなってる!?


 内心で慄くアインスの肩を、ポンと後ろからサラに叩かれ、助けてくれるのかと振り返れば、虚無の目でふるふると頭を振られた。そのままそっと背を押される。

 行ってこい、とその目が語っている。

 ぐう、と喉奥で呻いてから仕方なくノロノロとタケルの元まで歩いて行く。アーシェはすれ違いざまアインスの肩を笑顔で叩くと、そのままサラの元まで下がって行った。

 オルグが一人、オレのせい!?とオロオロしていたのに違うって、と声をかける余裕はなかった。


 諦めて歩きながら改めてタケルを観察する。

 年の頃はリタと同じぐらいで、藍色の髪に涼やか、とはこういう事を言うのだろうと思う目元。女性に騒がれそうな容姿に身長も平均よりやや高めか。ヴォルフライト騎士団長の息子、レオンハルトと同じぐらいに見える。そして何よりも、彼から感じる強者感。アインスには出せない空気だ。彼が剣を振るうのを見た事はないが、実際に強いのだろう。


「特に話すことってないと思うんだけど」


 タケルの顔を見上げながら、往生際悪くそう言ってやったが、タケルはニコリと笑った。


「ジェニーやザックから、君のことは聞いているよ。会えるのを待ち侘びていたと」

「あ~……、まあ、うん、らしいね」


 タケルは箱庭の事をどこまで知っているんだろうか。

 注意を払いながら声をひそめて慎重にそう答える。


「だから、ゼノ殿の弟子に?」


 ヒヤリとする殺気に、これは嫉妬なんだろうかと首を傾げる。何故なら、タケルは既にゼノの弟子なのだ。アインスに嫉妬する理由がない。


「弟子っつうか……鍛えてもらってる? ううん……あ!」


 弟子とは違うと思うがどう伝えればいいかと言葉を探し、ポンと手を打つ。


「弟子って、ゼノの剣技を引き継ぐ者の事だろ? 俺は、俺が生き残り目的を果たすために鍛えてもらってるだけだ。俺に合った戦い方を教えてもらってるって感じ。だから正確には弟子っていうのとは違うと思う。ほら、ゼノは請われれば稽古つけてくれるからさ。ルクシリア皇国の騎士団だってゼノに指南してもらってる。それとおんなじさ」


 そゆこと、と言葉で説明出来て満足そうに頷いたアインスを、しかしタケルはヒヤリとした殺気を纏って口元に笑みを浮かべたままだ。


「けれど、アーシェに認められている」


 ——ん?

 タケルが気にするのって、そっち(アーシェ)

「……アーシェも、俺のことを弟子とは思ってないからじゃないかな?」


 最初から弟子として会ったタケルと知り合ってからゼノに鍛えられる事になったアインスとは前提が違う、と説明しながらも、アインスの内心にモヤッとした感情が沸き起こる。


「タケルはアーシェに認められたいってこと? それは……ゼノの娘だから?」


 それとも、と続きかけた言葉は飲み込む。だがタケルの本心を探るようにその目をひたりと見据える。

 アインスの言葉をどうとったのか、タケルも目をスッと細めてアインスを見据える。


「彼女のお眼鏡に適う者がいないから、外界では弟子を取らないとゼノ殿から聞きました。私が弟子になれたのはタケハヤ様がお願いして下さったからです」

「だからアーシェに弟子として認められたいって?」


 どうやら純粋にゼノの弟子としての立場を確立したいだけだとわかって胸を撫で下ろし、ああ、と頭をガシガシとかいた。


「ならなんで怒らせるような事やってんのさ」

「怒らせてますか?」


 きょとん、と首を傾げるタケルに閉口する。

 あれ素だったんだ……

 ううん、と小さく唸って頭をガシガシとかく。


「えっとさ、アーシェはタケルのために色々教えようとしてんのに、その好意をアレコレ言い訳して無視してる」

「ですが——」

「別にお店の人が勧めるのを買ってもいいんだよ。アーシェだってそれが本当にいい物なら否定しない。でもさ、だからって他の品物をまったく見ないってのはちょっと違う。今回の買い物の目的は、良いものをさっさと選ぶんじゃなくて、他と比べてなんでそれがいいのか悪いのかって、そういうのを見分けることも入ってんだ。そういうのって、たくさん見る事が大事だろ」


 タケルは買い物が嫌いなのかってぐらいに、店に入ると探し物を店の人に尋ねてお薦め品をさっさと買って終わってしまう。ぐだぐだ悩まれるよりいいのはいいが、まったく考えないっていうのも不安だ。


「なんつーの? 経験値? それを稼ぐのが大事なのに、効率だけで進んでちっともタケルの身についてないって感じ」

「経験値……」


 意外な事を言われたとでもいうように、タケルが目を瞠った。

 タケルがアインスの言葉に耳を傾ける様子を見せたので、アインスも頷きながら続けた。


「そう。そもそも物自体が良くたって、タケルにちょうど良い物かも確認してねーだろ? まあ、さっきまでの買い物は消費する物ばかりで使い勝手とかあんま関係ないけどさ。でもランクの下の物だって見てなきゃその特徴もわかんないじゃん。いい物がどこにでもある訳じゃないんだしさ。いっぱい色んな物を見てれば自然と目も肥えてくるもんさ」


 必要最低限の物しか見ないっていうのは勿体無い。アインス達は裕福じゃなかったから、店で商品を見るのは好きだった。買えなくても作れないかとか、これを買うためにいくら貯めればとか、純粋にこんな物があるのか~と感心する事だってあった。そういうすべてを切り捨てるのは色んな意味で勿体無い。


「俺は無駄な事は何もないって思ってんだけどな。だって、どこで活きてくるかわからねーもん。タケルはそういうのは嫌いかもしれないけど、他の人より外界の経験値が絶対的に足りてねーんだから、店ひとつとってももっと色々見た方がいいよ」


 あそことは色々異なるだろうから。

 年上に対して失礼かもしれないが、アーシェが言いたいのもそういう事だから、ちゃんと伝えておかねばと思ったのだ。

 アインスの言葉を理解するためか、しばらく無言で歩いていたタケルは、やがて息を吐き頷いた。


「確かに、経験が足りないと言われればその通りです」

「だろ? 色々経験させるために買い物に付き合ってんだから、アーシェの言う通りにしとくのがそれこそ効率的だよ。アーシェの経験値は計り知れないからな」


 さすがゼノについて各地を渡り歩いてきただけの事はあると思う。機会が多いのはもちろんだが、それ以上に吸収する能力が凄いんじゃないかとアインスは思っている。なにせ頭もよく機転も効く。トレに経験値が加わった感じだ。

 あれで剣の腕もたつってんだから、もはや言う事がない。


「買い物の仕方に難癖つけられているだけかと思っていたんだけれど。アーシェにそんな意図があったのなら事前に説明してくれればよかったのに」

「あ~……、それはアレだ」


 不親切じゃないか、と不満をこぼすタケルに頬をかきながらアインスは視線を逸らした。非常に言いにくいことだが。


「アーシェは天才肌っていうか頭の回転が早いから、物事の意図を見抜く能力が高いんだ。だから——言わなくてもそれぐらいタケルも理解しているはず……って思ってんじゃないかな」


 だからこそ、わかった上でああいう態度をわざと取っている、と判断したアーシェがタケルに怒っているのだ。

 ピシッと笑顔で固まったタケルの様子に、アインスはそっぽを向いたまま、慌てて言葉を続ける。


「経験を積むとはどういう事かをタケルが理解してないって事を、アーシェもわかってなかったんだと思うよ」

「……私が、アーシェの予想よりも考えが足りていなかった、と」


 おおう。笑顔が怖い。

 その通りと言えばその通りなんだが、ちょっとこう、うん。

 内心で汗をだらだら流しながら、黒い笑顔を浮かべ自嘲するタケルを落ち着けるべく言葉を紡ぐ。


「ええと、多分アーシェは箱庭育ちがどの程度普通じゃないかがわかってないからじゃねーかな」


 アーシェにも想像力が足りてなかったと付け加えつつタケルを宥める。 

 だがアーシェがそこに考えが及ばなかったのは仕方ないとアインスは思う。タケルの落ち着いた物腰に漂う強者感。会話していても頭の回転が速いこともわかるし、柔軟性もある。そんなタケルがまさか初歩的な事にすら理解が及んでいないとはアーシェも思うまい。アーシェの中でタケルは「頭の切れる人」に分類されている筈だ。

 ある意味不幸なすれ違いと言える。


「二百年前のアーシェの周囲には、きっと油断ならない大人ばかりがいたと思うんだ。アーシェは元々頭はいいんだけど、周囲の状況のせいで歳の割にそれがかなり加速してると思う」


 そう。アーシェはいつだって周囲を侮らずに警戒してる。ゼノといて自然と身についた事なんだろうが、それはそれで苦労が多かった事だろう。


「アインスは、アーシェの考えも私のこともよく理解しているよね」


 アーシェの立場を理解したのか、先ほど感じたムッとしたような怒りのようなものはなくなり、今度は感心するようにアインスを見ている。

 だがアインスのそれは感心されるようなものではない。


「俺は弟が多いからさ。三男のトレが、正しくアーシェタイプなんだ。だからなんとなくわかるっていうか。言葉にしなくちゃわからないってのは他の弟達でわかってるし。——まあ、中には言葉にして伝えても理解してんだかどうだかってのもいるんだけどね」


 ドゥーエは自分の興味のない事は聞き流すという癖があるから。まあ、彼の手綱はトレがしっかり握っているから問題ない。トレとアーシェの違いは、ドゥーエをはじめとする弟達のような存在がいたかいないかだろう。サラは周囲の顔色を窺って生きてきたためか察する能力に長けているし、分からなかったらすぐにアーシェに聞くという素直さを持ってる。タケルにはどちらもないものだ。


「そうなのか……そこもアーシェとアインスの経験の違いってところかい?」

「そゆこと。だから、色んな経験はしといた方がいい。俺たちといる時なら失敗だって怖くないんだから」

「なるほど……」


 そう言って再び考え込む。

 タケルも理由がわかれば素直に聞く耳を持つようだ。これなら心配はないだろう。ちょっと意固地だったのは、やはり相手がアーシェだからだろうか。

 ゼノの弟子同士思うところがありそうだ。

 俺は弟子じゃない。弟子じゃないからな。弟子とされたらマジで二人のアタリが強くなりそうな気がする。


「……じゃあ」


 怖い怖い、と腕をさすっていたらポツリとタケルが呟いた。


「じゃあ、今回のことはアインスならどう対応した? ——私は、どう対処すべきだったんだろう」


 真剣な眼差しでなされたその質問は、タケルにとってとても重い意味を持つ事を瞬時に悟ったアインスは、スッと背筋を正した。

 本当はそれを一番に聞きたかったんだろう。色々な気持ちが邪魔をして口に出来なかったそれを、ここで尋ねたのは相手がアインスだったからか。弟子でないと言い、アーシェの事もタケルの事も理解していて、馬鹿にする事もなく真摯に向き合ってくれると思ったからかも知れない。ならばアインスもきちんと答えよう。


「俺なら、ランを魔獣から助けた時点で出て行ったかな」


 その答えが意外だったのか、え、と声にならない声をあげてタケルが目を瞠る。

 そう。王都まで付き合ってやる必要なんかなかった。むしろそのせいでランが使えるとルナリーシャに証明してしまったのだ。


「けれど、魔獣から助けた場面にルナリーシャ嬢が居合わせて、そこで彼女に……」

「それでもだよ。そこでお嬢がランを使って脅迫してくるんなら、こっちも脅す」

「えっ! 脅すのかい?」


 さらに予想外だったようだ。

 やはり色々わかっていなくて甘いなぁと思う。


「そもそもなんで今回のことが起こったと思う?」

「それは、腕のたつ護衛が欲しいからだと言われて」

「少しはそういうのもあるだろうけど、根っこはそうじゃないよ」


 目を瞬くタケルは、本当に分かってないんだろう。


「あのお嬢様は見目の良いタケルを侍らせたいだけさ。護衛なら名目もたつしね。アクセサリーと同じで、人に見せびらかしたいだけなんだ」

「アクセサリー……」


 そんな理由だとは考えもしなかったらしい。驚愕に目を見開き二の句が継げずにいる。

 まあ、キリならともかく貴族のお嬢様が腕が立つとはいえ平民に熱を上げていても結婚とかにはならないだろうから、護衛がいいところだ。けど、腕も立ち顔がいい者なんか限られる。連れ回すだけで他の令嬢から羨ましがられるだろう。それは彼女の自尊心も満たす筈だ。


「そんな連中にこっちが付き合ってやる必要なんかない。だったらその場で脅してでも諦めさせるよ、俺だったら。お前達に付き合うつもりはないって。それでも圧力かけてきそうだったら実力行使だよ。その場で護衛を叩き潰し、これ以上関わるならこの場で叩き斬る、ぐらい言って脅すね」


 世の中には平民には無理を押し通してもいいと思っている貴族が一定数いる。そんな連中にこちらが遠慮してやる必要はないのだ。


「そこまでするのかい!?」


 叩き斬る、と言ったのが衝撃だったのだろうか。タケルは先程から驚きっぱなしだ。


「当たり前だよ。あのお嬢さんは同じことやってるじゃん。タケルが護衛に付かなきゃランをクビにするって言ったんだろ? そんな相手に容赦はいらないよ」

「それは……確かに……」


 命を取るとまで言われていないから、そこまでではないと思ったんだろうが、やってる事は同じだ。


「タケルが恩を感じているランに手を出すって言ってる時点でクソだよ。世の中にはそうやって人の弱みに漬け込んででも自分の意思を押し通そうとする奴がいるんだ。——教会がまさしくそうだ」


 アインスは拳を握りしめて、ぎり、と奥歯を噛み締めた。


「聖女の力を持つねーちゃんを教会に取り込むために、それを阻止しようとしたとーちゃんを殺した。逃げたねーちゃんを捕まえるために、俺たち弟を人質にしようと追われもした。そんな相手だっている。こっちも本気で抗わないと力を持つ連中のいいようにされる」


 衝撃の内容にタケルの足が思わず止まり、アインスも立ち止まった。タケルはリタやアインスがどうやってゼノと知り合ったのか知らなかったようだ。そしてリタの事情も。


「そんな、ことが……」


 うん、と眉根を寄せて頷く。今でもあの時もっと何か出来たんじゃないかと思うことがある。仕方なかったとわかっていても、何かもっと父も助かる道があったのではと。


「俺は詳しい事は知らないけれど、タケル達もそういう何かから逃げてあそこにいるんじゃないの? そういう連中と今後戦う可能性があるなら、汚かろうがズルかろうが、取れる手段はすべて取る覚悟がないと、守れないよ」


 アインスの話を効いて、タケルも唇を引き結ぶ。

 その通りだと。

 自分は神子であるがため神殿の強硬派と呼ばれる者達から狙われる立場であり、そのためにかつてはミカヅキ村そのものが危機に瀕したのだと聞かされてきた。ゼノがいなければ村は壊滅、当時の神子も強硬派の手に落ちていただろうと言われている。そうなっていればタケハヤによりこの地に災いが起こっていた可能性もある。タケルの油断でミカヅキ村やタケル自身に何かがあった場合、タケハヤが暴走しないとも言えないのだ。

 そのために、タケルは強くあらねばならない。それは武の力もそうだが、アーシェのように、そしてこのアインスのように物事の本質を読んで冷静に、時に冷徹に対処していかねばならないのだ。

 本当に叩き斬る必要はない。相手が手を引くほどの恐怖を植え付けることは時に有効なのだと、アインスはそう言っているのだ。


「……その通りだね。ありがとう。勉強になったよ」


 拳を握りしめ決意を滲ませた瞳にアインスも頷く。

 やはりどこかお上品な育ちだからこそ、こういった対応には慣れていないのだろうが、そこはずる賢くならねば今後もタケルが苦労する。


「アーシェはゼノの足枷にならないよう、細心の注意をはらって周囲の人間を見てるみたいだ。自分を人質にしようと目論む人を見抜く力が凄いし、そういった相手に容赦はないよ。俺もねーちゃんの事があるからさ。アーシェには勉強させてもらってる」

「アインスでも?」

「アーシェは本当に細かい所まで相手を見るっていうか、背後を考えるっていうか——多分、二百年前に人質になったりしたことがあったんだと思う。だからこそ、二度とそんな事にならないよう——」


 そこまで口にして、はた、とアインスは気付いた。


 ——アインスもすぐにわかるわ


 昨日のアーシェのあれは、もしかして。


「——しまった!」


 その意味にようやく気付き、アインスは慌てて背後を振り返った。

 先程まで後ろにいた筈のアーシェ達がいない。いくらタケルと話し込んでいたとはいえ、そこまで距離はなかった筈だ。


「アインス?」


 突然叫んで背後を振り返り駆け出したアインスに驚き、目を丸くしたタケルを放ってアーシェ達を探す。すぐにキリ達が横道に入る角に立っているのに気付いてそちらに駆け寄った。


「アーシェ達は!?」


 険しい表情のアインスにキリも驚いて目を見開き「あたし達はここで待てって言われて……」と困惑した表情だ。


「三人ともこっちに行ったんだな!?」

「アインス! 一体どうしたんだい? アーシェ達が何か」

「おびき出すつもりで、人気のない所に行ったんだ。アイツら俺達が何日ここにいるかわからないから、すぐに動いたんだな!」


 追いかけて来たタケルにそう言い捨てるとすぐに横道を駆け出した。進めば確かに剣呑な気配が感じられる。だったら背後を突けるかと、なるべくこちらの気配を消しながら剣呑な気を探り駆ける。

 誰かが来ないように見張りを立てているかもと、曲がり角を含めて注意深く観察しながら駆けていたアインスは、数人の男がさりげなく道を塞いでいるのを見つけた。神経を研ぎ澄ませれば、そちらの方向からアーシェの気配が感じられる。

 あそこか。

 たんっ、と風魔法を纏って軽くジャンプし、男達の目の前に着地する。

 なんだ?と目を瞬いた男達の足元を払って重心を崩すと、即座に鞘で頭を殴り飛ばした。


「ぐっ……」


 あっという間に男達を沈めると、さらに気配を消して素早く奥に駆けて行く。


「——これで終わりですか」


 アインスの耳にアーシェの冷ややかな声が飛び込んできたのはその時だ。

 木箱やゴミ箱などがあるだけの細い一本道で、突き当たりは少しだけ広くなっているらしい。木箱の一つに身を隠しながらそっと周囲を窺えば、オルグが突き当たりの高い壁の前でサラを庇って立っている。そして中央には鞘に入ったままの剣を手にしたアーシェが、口元に酷薄な微笑を浮かべて悠然と立っていた。その足元には屈強な男達が六人転がっている。

 棍棒や斧、剣も叩き落とされたか地面に転がっていた。

 体格差と得物を考えても、男達の場所の選定も悪すぎる。こんな場所で大勢で襲ってくるなど、小柄なアーシェの方が動きやすいに決まっている。

 たかが子供と侮った証拠だ。


「馬鹿な……」


 呆然とした声に、まだやられていない者がいたらしい。アインスが隠れている木箱からは見えないがこの声には聞き覚えがある。昨日来ていたあの細身の男に違いない。

 す、と背後にタケルが身を隠すのを感じた。


「これは」


 小声で囁くように問われた言葉に、アインスは肩を竦めるに留めた。

 今は悠長に説明している状況でもない。


「出てきていいですよ、アインス」


 とうにアインスやタケルが来たことに気づいていたんだろう。アーシェに声をかけられ、アインスも隠れるのをやめて前に進み出た。

 見れば、ここに繋がるもう一本の道があるらしい。そこに昨日の男達が二人呆然と立っている。


「ランクSの魔族を易々と倒すアーシェに力技で挑むとは、相手の実力を見極める目がないんだな、おっさん達」

「ランクS!?」


 驚愕の声はキリのものだ。どうやらタケルの後を追って付いてきたようだ。


「それよりも……これは一体、どういう状況なんだ? 何故ラディガ達がここに?」


 困惑したようなバシリの言葉に、ラディガがハッとして、いや、とかうう、とかもごもご言っているがハッキリとは聞き取れない。


「そんなの、アーシェやサラを攫おうとしたに決まってる。大方、王族や大きな商会に顔が効くと知って人質にするつもりだったんだろ。ルミニエってそういう組織だったんだな」


 侮蔑を込めた声でそう言ってやれば、ラディガと呼ばれた男の顔色がサッと変わる。


「人質……?」


 どういうこと、と戸惑ったような声から考えるに、キリは何も知らなかったらしい。誘導するために近づいて来たのかと思ったが、その表情を見るに違うようだ。

 こっちの二人はシロか。


「無関係のコドモを目的のために人質にしよと襲ってくるなんてさ~、あんたらの掲げる大義名分も随分と胡散臭くなってくるよな」


 馬鹿にしたように鼻で笑ってやれば、ラディガが顔を真っ赤にしてわなわなと震え出した。


「黙れ! 王族に貸しを持っているという事は、王族に与する極悪人という事だ! そんな連中を利用して何が悪い!」

「頭が悪い」


 逆ギレして無茶苦茶な理論で叫ぶラディガに、間髪入れずにサラの軽蔑した声が返って、アインスは内心で吹き出した。

 サラがなかなかに辛辣だ。


「なんだとっ……!?」


 ピキピキ、とこめかみが引き攣る音が聞こえそうなほどの怒りを露わにするラディガに、キリが叫ぶ。


「無茶な理由だ! そんな馬鹿げた理由がまかり通るとでも思っているのか!? これじゃあ、どっちが悪人かわかりゃしない!」


 この事態に怒れるぐらいには、キリは真っ当な感性を持っていると言える。


「馬鹿を言うな、キリ」


 突然に猫撫で声でそう語りかけるラディガに、キリが虚を突かれて一歩後ずさる。


「騙されるんじゃない。コイツらはそこのタケルとかいう者を助けるためにここへ来たんじゃない。最初から王家の依頼を受けて、我々を潰すためにやって来たんだ。子供だからって簡単に信用するな。昨日のふてぶてしさを見ただろう?」

「ええっ……?」


 急に先程の発言とはまったく異なる言葉を口にするラディガに、キリとバシリが戸惑ったように顔を見合わせた。そんな二人に畳み掛けるように、ラディガがさらにうす気味悪い笑顔を浮かべて言葉を続ける。


「お前達にはいい顔しか見せていないかもしれないがな、我らは脅されているのだ。すぐさまルミニエを解体せねば王都民に災いを振り撒くと」


 いや、何訳わからん事を言い出してんだ、このおっさん。

 あまりの支離滅裂さにアインスは胡乱げにラディガを睨みつけた。


「そ、そんなわけ……」

「ふふふっ」


 仲間の言葉を信じるべきかと狼狽えるキリをよそに、アーシェが可笑しそうに笑った。


「私達が脅してるんだって、サラ。ここに現れた時とは言ってる事が全然違うね? オルグはどう?」

「さっきはアーシェとサラを捕まえて人質にするって確かに言った! 昨日偉そうに言った事が首を絞めることになったな、馬鹿どもめって、バカ笑いしてたぞ、ソイツ!!」


 だろうよ。

 どこからこっちが脅すって話が出てくるんだ。ていうかそれを信じる者がいるとでも?


「はははは! そんな事は言っていない! お前達が勝手にそう言っているだけだ。我々ルミニエはそんな非道な事はしない。言い逃れのために随分な事を言ってくれるものだ。騙されるなよ、キリ、バシリ」


 アインス達からすればそっちこそ何を馬鹿げたことを言っているのかと呆れる話だ。 だが、キリ達は困惑したようにアーシェとラディガを見遣り、どちらの言葉を信じるべきか判断に迷っているようだ。


「馬鹿馬鹿しい。おっさん達が仕掛けてきたのは状況見れば一発じゃんか」

「街の警護に当たっていた我らに襲いかかってきたのはその小娘の方だ」

「へえ。この道に通じる場所に見張りまでたてておいて?」


 鼻で笑ったアインスに、ラディガも笑う。


「不穏な空気を感じ取って様子を窺っていたんだろう。悪あがきはよせ、小僧。お前達の悪事は露見したのだ。子供というのを利用して意見を通そうとしても無駄だ。ルミニエとして今まで王都民に尽くしてきた俺の言葉と、貴様らの言葉、王都民はどちらを信じると思う?」


 滅茶苦茶な理論だが、通せる自信があるようだ。確かにここは彼らのホームグラウンド。アインス達には分が悪い。

 だが、サラは明らかに馬鹿にした目でラディガを冷ややかに見据えた。


「私達。だって」


 しれっとそう言い、サラがポーチから何かを取り出した。


「おじさん達の言葉は全部映像の魔道具で録画してるもん」


 その言葉に、バカ笑いをしていたラディガがぴたりと固まる。アインスは、即座に地を蹴った。

 ギィン……! と刃物のぶつかる音が周囲に響く。

 続いて、どすっと壁面に剣が突き刺さった。


「ひっ……!」

「っ……、な、ん……」


 キン、とアーシェが剣を鞘に仕舞う音が鳴り響き、正面から喉元にアインスの剣を突きつけられたラディガがブルブルと身体を震わせている。右手はきっと感覚すらないだろう。

 オルグがサラを背に庇い、どこをどうやってもラディガがサラに近づける要素がなかった。

 ちなみに、ラディガの剣はもう一人の男——ジョレイドの頬を掠めて壁に突き刺さったのだから、わざわざ狙っていたと言える。


「……流石ですね」


 どこか場違いにも感じる、タケルの感心したような声が落ちたが、何があったのかを瞬時に理解した者ならではだ。


「えっ……い、今って、何が……」


 タケルの言葉で我に返ったキリが、状況を把握しようとオルグやサラ、そしてアーシェとアインス、ラディガへと順に視線を動かし、最後に壁に刺さった剣が誰の物かを見定める。


「彼がサラに向かって飛び出した瞬間に、距離を詰めたアーシェが彼の剣を弾き飛ばし、同時にアインスが正面に回り込み喉元に剣を突きつけました。壁に刺さった剣の深さを見るに、どれほど強い衝撃がかかったのかがわかります。もう一人を足止めするのに方向もいいですね——二人とも流石です」


 パチパチと拍手しながらのタケルの解説に、キリとバシリがごくりと息を呑んだ。ようやく、目の前の事態を理解すると同時に、アーシェ達の実力を思い知った。


「証拠がある、と聞いた時点で襲いかかったのなら、どちらが後ろ暗いのかはハッキリしていますね」


 ふ、と笑ったアーシェの言葉に、キリもバシリも頷くしかない。最初にアーシェの言ったとおり、二人が彼女達を攫おうと画策したのだ。

 アインスがスッと剣を引けば、ラディガは右手を押さえたまま、がくりとその場に崩れ落ちた。


「あ、ああ……」


 もう一人残っていたジョレイドもヘナヘナとその場にへたり込む。


「ああ、でも心配いりませんよ、キリさん。彼らはルミニエではありません。ルミニエを隠れ蓑に活動する革命軍の人達です。ルミニエが王国打倒を目指していないのは周知の事実ですから」


 ふふ、と笑うアーシェの言葉に、キリとバシリが目を見開いて二人を見つめる。


「革命軍だって……!? ルミニエは革命には関わらないってリーダーが宣言していただろう!? お前達……!」


 拳を握りしめ険しい表情で二人を睨み付けるキリは、革命軍とは無関係のようだ。バシリが額を押さえて頭を振ると、座り込む二人に歩み寄った。


「革命軍を見つけたら即座に叩き出すという決まりだ」


 ポーチから取りだした縄でラディガの腕を縛り上げようとしたところを、ラディガがその手を払った。


「黙れ! てめぇらは生ぬるいんだ! 王家を潰さなければこの不平等がなくなることはない! 王家の不祥事を見ただろう!」

「横領事件を起こしたのは末端の執務官で既に処分もなされている。王族の不祥事といっても王位継承権すらもたない王弟の第三子で、内容も色恋沙汰だ。糾弾はしてもそれで王家が潰れてしまえば良いなどと民は考えていない。何故だか革命の機運が高まりをみせているが、王家への不満はさほど大きくはないんだ。革命が起こればそれこそ王都が荒れて他国に攻められる危険性だってある」


 ルミニエが求めるものはそんな事ではない、と断言したバシリの言葉の方が説得力があるようにアインスには感じられた。

 実のところルミニエと革命軍の違いなど詳しく知らないしどういった確執があるのかすらわからないのだが、革命軍の仲間だと知れた二人を放置するつもりはなさそうなので、後は任せておけばいいだろう。


「そうさ。あたし達は理不尽に対抗して平和に暮らせるようにするための組織だ。徒に混乱を招くことを良しとしない。それに——王家はルミニエのリーダーの話に耳を傾けてくれる。そういう度量を持った王家を潰す意味がない」


 二人に冷ややかに意見を却下され、ギリギリと悔しそうに歯噛みするラディガの腕を、今度こそバシリがねじり上げキリが素早く縄をかける。その隙に逃げようと立ち上がったもう一人の男の足を、アインスが素早く払った。


「うわっ……」

「一人だけ逃げようってのは感心しないな」


 そう言い捨ててポーチから取り出した縄で縛り上げる。

 こういった事が度々あるのでいつも縄だけは余分に常備してあるのだ。

 アーシェにやられて転がっている男達も縛り上げると、キリ達がいつの間に呼んだのか、ルミニエの他のメンバーがやって来て彼らを引き立てていった。

 他に革命軍は混じってないんだろうかと少し不安ではあったが、まあそこはアインス達が気にする必要もないだろう。

 ルミニエのメンバーが引き上げていく中、キリが深々と頭を下げた。


「こんな事に巻き込んでしまって本当にすまない。だが私たちルミニエは本来こんな非道なことは絶対にやらない組織なんだ。こうなっては説得力なんかないが——」

「大丈夫ですよ。さっきも言った通り、キリさん達が王都から出るように言われたと聞いた時点で、彼らとは違うってわかってます。彼らはルミニエではなく、革命軍です。キリさん達が気にする必要はありません」


 アーシェとキリの仲は昨日よりも随分と良くなっていたみたいだ。アインスがタケルの元に追いやられた後、色々な誤解が解けたのだろうか。


「それでもだ。ルミニエのリーダーと相談して、他に革命軍が混ざっていないか、徹底的に調べるよ」

「こんな時ですから十分に気をつけてください。見ての通り手段を選ばなくなっています」

「ああ。気をつける」


 キリはアーシェと力強く握手を交わすと、それからアインス達にも深々と頭を下げ、最後にタケルに向き直った。


「タケルにも迷惑かけてごめん。あたし、本当に純粋に腕の立つタケルならルミニエの力になってもらえると思って……しつこくしてごめん」


 昨日はタケルの言葉にショックを受けていたため、ちゃんと話せなかったからだろうか。深々と頭を下げて謝罪するキリに、タケルも柔らかな笑顔を浮かべた。


「いえ。キリさんの話はとても勉強になりました。誘われるのは困りものでしたが、お話は楽しかったです。こちらこそありがとうございました。これからも信念に基づいて活動を頑張ってください」

「っ……! ああ! みんなに恥じない活動を続けていくさ!」


 そう言って握手を求められ、キリも顔を赤くしてどこかホッとしたような笑顔を浮かべて応じた。

 キリとバシリが何度も頭を下げながら去っていくのを見送り、完全に姿が見えなくなったのを確認してからアインスはサラを振り返った。


「映像記録の魔道具なんてあるんだな。箱庭製?」


 デュティなら簡単に作りそう、いや、種類からすればノクトアっぽいからモーリー夫人からもらったのかな。それとも大穴でアザレアさんだったり、と色々考えながら尋ねれば、サラはにっこりと笑った。


「持ってないよ」

「……は?」


 思わず間抜けな顔でサラを見つめた。


「これはインク壺。アインスを見習ったの」

「ふふふ」


 ——ああ!

 アーシェにも含み笑いをされ、思い出した。

 あの魔王の塔のある地でアインス達に難癖をつけてきた冒険者パーティ相手に、光魔法とただのガラス板で顔を写し取ったとハッタリをかましたのだった。それをここでやるとは。


「そゆことか~! うっわ、やるなぁ二人とも!」

「アインスのおかげだよ」

「あれいいアイデアだった。本物がなくたって脅しに使える」


 今回みたいに、とサラが得意げに鼻を鳴らす。


「まあ、使う相手を見極める必要はあるけどね。——例えば、あなたには効果ないですよね」


 と、アーシェがにっこりと笑って高い壁しかない背後を振り返った。

 それを聞いてアインスが剣の柄に手をかけたのを、アーシェが制止する。

 大丈夫、と頷かれて、本当に?と視線で問う。

 正直な話、他の誰かの気配なんてアインスは気づかなかった。それが悔しい。


「違うの。最初にここに来た時にわざと気配を見せたのよ。その後すぐに消して、今は気配はまったく感じないけどまだいる筈」


 アインスの心を読んだアーシェが、苦笑しながら種明かしをしてくれる。


「あの壁の奥ですね」


 アーシェもわからないと言った気配が読めるのか、タケルは場所まで特定する。


「くふふ」


 独特な笑い声と共に、背の低い女性がいつの間にか壁のこちら側に立っていた。

 いつの間に、とごくりと息を呑む。瞬きほどの時間しかなかった筈だ。

 ダークグレーのスーツに身を包んだ、耳の下で青い髪をキッチリと切り揃えた少女にも見える女性は、顔を強張らせたアインスにニンマリと笑って見せると、ぐるりと皆を見渡し、うんうんと満足そうに頷いた。


「いいね。話に聞いていたよりも優秀。さすが長官が認める人材」


 長官。

 一瞬、誰だそれ、と思ったが、ああ、ハインリヒのおっさんのことか!と納得し——なにせ周囲ではモーリー夫人以外誰も彼の事を長官と呼ばないので耳慣れないのだ——目の前の女性がノクトアドゥクスの人だと知る。ならば敵ではない、筈だ。

 ちょっと雰囲気がアインスのよく知るモーリー夫人はもとより、デルやクライツ、シュリーとも違うので、なんとなく警戒しつつ女性の行動を注視する。女性はニンマリと笑ったまま、こてん、と首を傾げた。


「困ったな。本当はもうちょっと引っ張る予定だったのに」


 何を、とアインスが思ったことの答えは、アーシェは既に理解していたらしく、くす、と笑って小首を傾げた。


「政情不安を煽っているんですよね。革命をさせる気はないけれど、すぐに鎮火はさせたくない、というところですか?」


 うえ!? じゃあ革命軍を裏から仕切ってるのって、ノクトアなん!?

 ええ!?と驚いたアインスと異なり、サラに驚きはない。オルグは多分あまりわかっていないようだが、アインスと同じく女性の動きに集中しているようだ。タケルはきょとん、とした目でアーシェと女性を交互に見遣っている。


「よくわかってる」

「ノクトアの得意技じゃないですか」

「でも、革命が起きない、とは断言できないかな」

「あり得ません」


 やけに自信たっぷりに言い切ったアーシェに、ずっと笑っていた女性も目を瞬かせて不思議そうな表情になった。自信たっぷりに言い切る根拠がわからない、といった顔だ。


「やけに自信ありげだね? なんでだろ」

「秘密です」


 ふふ、と口元に人差し指をあててにっこりと笑うアーシェは中々に不敵だ。その態度に怒るどころか、女性はますますご機嫌にニンマリと笑った。

 そんな二人の様子を注視しながら、アインスは内心で納得する。

 トレの言ってた通りだな。

 ノクトアドゥクスは、情報をぽろぽろ零す相手はカモとし、価値に気付かない相手は利用する。そして情報の価値を理解し上手に扱う者は警戒すると共に対等な交渉相手として認めるのだと。きっと彼女の中でアーシェは交渉相手として認められたに違いない。


「もうご存じだとは思いますけれど、私達の目的はタケルです。この国の事情に関わるつもりはないので、干渉しないでいただけると助かるのですが」


 お互い面倒でしょう?と笑うアーシェに、どうしようかな、と女性も笑顔を返す。

 既に始まっている交渉に、この場の空気が緊張を孕む。


「このままだとルミニエで革命軍探しが始まっちゃう。実際に数が多くないからすぐに革命そのものがなかったことになる」


 それは困る、とちっとも困ってない顔で宣う女性に、アーシェも極上の笑顔を返す。


「それは躾に手を抜いたあなたの落ち度ではないですか」


 おっ……ふ。なかなか痛烈ですね、アーシェさん。

 状況が掴めていないアインスはどう思っても二人の会話に口を挟む気はサラサラない。アーシェがこれほど辛辣なのはそれぐらい言っても平気だと判断したからだろうし、この女性もどうやらアーシェに興味津々のようなので交渉はアーシェに任せておけば良いだろう。

 それに腕が立つ。

 武力の方向性が少しアインス達とは異なるかもしれないが、一筋縄でいかないのは、現れた時の様子から窺える。交渉はアーシェに任せるが、女性の動作を見逃さないようにしなければ。


「くふふ」


 また独特な笑みが零れた。

 アーシェの指摘を怒るどころか喜んでいる。


「ちゃんと見てる」

「本気でノクトアが手綱を握っているのなら、こんなお粗末な襲撃にはなりません」

「さすが、わかってる」


 くふふ、と楽しそうな女性は、困ると言いながらもずっと上機嫌だ。今回の襲撃はノクトアの指示でもなく、むしろ彼らの暴走を止められなかったということか。それがわかって少し安堵した。やはりノクトアは敵ではないのだ。


「目的は存じ上げませんが、私達に干渉する意味もないですよね。ならば、私達のことは放置してくださると助かるんですが」

「でも計画が狂っちゃったから。私が糸目のウザい上司に怒られる」

「タダで、とは言いませんよ。()()()()さん」


 賄賂があります、と笑顔で女性の名を呼んだアーシェに、わかりにくいが女性がピシリと固まった。どうやらアーシェに名を知られているとは思わなかったらしい。かく言うアインスも、なんで知ってんの?と眼を瞬かせた。

 動揺する女性を気にすることなく、アーシェはサラに視線を投げると、サラが頷いてポーチから何かを取りだし、す、とミリーナと呼ばれた女性に差し出した。


「ルクシリア皇国で番付三位に殿堂入りしているミルクキャンディです。優しい甘さで子供から大人まで人気の飴です」

「今ならメッセージカード付き」


 その飴ならアインスも知っていて食べたことがある。それが賄賂?と首を傾げたが、恐らく本命はメッセージカードの方なんだろう。

 ミリーナはしばらく無言のままサラの掌にある飴の包みを見つめていたが、恐る恐る手を伸ばし——しばらく逡巡したあと、そっと受け取った。


「では交渉成立ということで」


 即座にアーシェがそう言い放つ。ミリーナはその言葉が耳に入っているのかどうか、飴の包みに添えられた小さな封筒からカードを取り出し微動だにしない。

 アーシェは急かすことなくミリーナを見つめている。

 ミリーナはメッセージカードを何度も読み返し、目を閉じて飴ごと胸に抱きしめると俯いた。


「……仕方ないな」


 しばらくして、そうぽつりと零した声は先程までとは異なり、どこか柔らかいものだった。


「買収される」

「良かったです」


 ぱあっと笑顔で安堵したアーシェに、むぅ、とミリーナがわかりやすく唇を尖らせた。


「お父さんは脳筋って聞いてるのに、娘には脳筋の要素がない」


「父を支えねばなりませんから」


 能天気ではいられませんと答え、それに、とアーシェは笑って続ける。


「私を鍛えてくれたのはノクトアドゥクスの方ですよ?」


 その言葉にすぅっとミリーナが目を細めてアーシェを見据える。そこに僅かな殺気を感じて、アインスはいつでも動けるように足に力を込めた。


「モーリー夫人?」


 やはり同じノクトア所属ならモーリー夫人の事を知っているようだ。ハインリヒの信頼も厚そうなので当然と言えば当然か。

 それにきっと、ミリーナの事をアーシェに教えたのも、メッセージカードもモーリー夫人だろう。


「いえ。ノア=ジェスター。二百年前の人で、クライツさんの前世でもありますね。ちなみに、顔は瓜二つで魂まで一緒だと聖女が認めているので、同一人物と言っても許されるかもしれません」


 ふふ、と意味ありげに笑うアーシェに、ミリーナも先ほどとは異なる笑みを浮かべた。


「へぇ」


 ぞわ、とそのやりとりに悪寒を感じたのはアインスだけではなかったようだ。サラがすすす、とミリーナから距離をとってオルグの背後に隠れた。アインスもそっとアーシェから視線を逸らす。

 なんとなく。

 本当になんとなくだが、文句を付けたいならクライツに付ければいい、とアーシェがクライツを売ったように見えたのだ。もしかしなくてもギルド長達に独断でアインスの情報を漏らした事をまだ許してないんだろうか。

 アーシェを怒らせたらマジで怖いな……気を付けよう、と改めて肝に銘じる。

 くふ、とミリーナがまた独特の笑みを浮かべると、飴の包みをスーツの内側にしまい、とん、とその場で軽く一回足を踏みならした。


「それじゃ、革命軍の存在はちゃんと始末しておくから、もう迷惑をかけることはないと思う。こっちから君達に手出しもしないし」

「糸目の上司さんの機嫌も取れそうですか?」

「んん、どうかな。あいつマジでウザいから」


 レーヴェンシェルツのベアトリーチェといい、このミリーナといい、上司を上司と思わぬ発言だ。糸目の上司がどういった人物なのかアインスは知らないが、ノクトアならば癖は強そうだ。


「じゃあ、オマケでこれをどうぞ。その糸目上司対策で必要だったら渡してあげて、とモーリー夫人から預かったんです」


 ちょっと私にはこれが何の対策になるのかわからないんですけれど、とアーシェがポーチから取り出したのはただのメモだ。二つ折りにもされずに隠されていもいないので、アインスの位置からでも中身がバッチリ見える。見えてもまったく意味がわからない。


 ——非常に達筆な字で『よもや』と書かれているだけだ。


 だが、受け取ったミリーナの態度が劇的に変化した。半ば引ったくるようにメモを手にすると、頭上に掲げるようにしてメモを見つめている。


「これ! これ私が欲しい! アレになんか渡したくない!」


 食いつきが凄い。先程のキャンディよりも興奮気味で頬が上気し目もキラキラと輝いている。

 たかだかメモ一枚にどゆこと??と内心引き気味のアインスと異なり、アーシェは動じることなくにっこりと微笑した。


「好きに使えばいいと思います。私はここで会うかもしれないミリーナさんに渡せばいい、とミルクキャンディと一緒に預かっただけなので」

「さすがモーリー夫人。やっぱり素敵!」

「ええ。お渡し出来て良かったです」


 にっこりと笑ってそう結んだアーシェに、メモをじっと見つめていたミリーナが視線だけをアーシェに向けてニンマリと笑った。


「アーシェ=クロード。私、あなたのこと気に入った。なかなか見事。ひょっとしたら女豹より上手(うわて)かも」


 女豹??

 誰のことさ、それ?と首を傾げたのはアインスだけではなかったようで、ここで初めて目を瞬き年相応の表情を見せたアーシェに、くふふ、と満足そうに笑うと、とん、と軽やかにジャンプして、次の瞬間にはこの場から姿を消した。


 ——気をつけて帰ってね


 そんな言葉が後から降ってくる。

 訪れた静寂に、ふぅ、とアーシェが大きく息を吐いた。


「これでようやく片付いたかな」

「国を出るだけでも一苦労だね」


 関わるとほんと面倒、とサラも渋面を作って悪態をつく。アインスもホッと一息ついた時、背後のタケルが「あの」と困ったような声をあげた。


「なんとなくは理解できたのですが、よければ最初から説明していただいてもいいでしょうか」


 ラディガ達革命軍のことはともかく、その後のノクトアドゥクスとのやり取りは確かにアインスも聞きたい。二人が最初からノクトアが噛んでいることを知っていたのは、もちろんモーリー夫人から聞いたからだろうと思うがそれだけではない何かを感じる。


「そうね……ならとりあえず、今日はもう戻りましょう。そこで説明するわ」


 外でする話でもないから、と言われてアインスも頷き、皆で路地裏を抜けてギルドの宿泊施設へと向かった。



 


いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。


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