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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第一章

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(二十二)ミルデスタの教会で



 街の中心部に存在するミルデスタ教会の一室には、教会の執行機関セスパーダの影、コルテリオのメンバーであるルカとアネリーフェ、そしてそれぞれに付き従う修道士のランチェスとバイセンが集まっていた。

 遅れてやってきたアネリーフェが、簡素な椅子に少々乱暴に腰掛けながら、大きくため息をついた。

 変装のために結んでいた三つ編みはすべてほどかれ、茶色がかった髪色は今はどちらかといえば赤みの強く豊かなウェーブを象っている。服装も町娘のそれではなく、ルカと同じ神父服だ。快活な少女の面影は微塵もみられず、どこか冷たく大人びた色気すら漂わせていた。


「七匹すべて逃がすなんて想定外ね」


 不機嫌そうな声に、ルカは押し黙った。


「致し方ないところもありましょう、アネリーフェ様。正神殿の狐が現れるなど想定外です」


 バイセンの言葉に机の上を指でトントンと叩きながら、アネリーフェはルカを睨み付けた。


「そもそもルカがあんな子ども相手に遅れをとること事態が問題ではなくて?」

「うおおお、申し訳ない、アネリーフェ殿! ルカではない!わたしが遅れをとったのがいけないのだ!」


 部屋の壁際にバイセンと共に並び立っていたランチェスが、大声で叫びながらがばりと床に膝をつき頭を下げた。


「「五月蠅い(うるさい)」」


 ランチェスの謝罪をルカとアネリーフェがすげなく切り捨てる。

 はぁ、とため息をついて背もたれにもたれながら、ルカは額を押さえた。


「……魔法が想定外だった。明らかに格の違う魔法を放たれた」


 静かに吐き出されるように告げられたその言葉に、アネリーフェも指を止め顎に手を当て考え込む。


「確かにおかしい。聖女は攻撃魔法を使えないはず……それに、弟達も威力の高い水魔法を使っていたわね」


 雷撃と水柱。リタが攻撃魔法を使ったことはもちろんだが、弟たちが放った水魔法の威力も強すぎる。ランチェスに放っていた雷撃がたいした威力でなかったことを鑑みれば明らかにおかしい。


「あの女は聖女で間違いないのだろうな? フィルディスタの連中はまさかまた間違えたのか?」


 聖女捜索部署のフィルディスタは数年前に誤った聖女認定を行った実績もある。冒険者で、あのような強い攻撃魔法を放てるのであれば、そもそも聖女であるのかどうかが疑わしい。

 ルカの疑問にアネリーフェは首を振った。


「それはこの目で確認したから間違いないわ。治癒魔法士とは異なり瘴気の浄化も行ったのは事実ね」


 あの場で見聞きした内容を思い出しながら答える。ただそこで気になることを話していたのも事実だ。


「……あの女、これまでの聖女と力の発露が違うんですって。これまでの聖女を知る剣聖と第三盟主がそう断言したそうよ」

「――第三盟主だと?」


 剣聖とは、ルカとランチェスがやられたあの男のことだというのは既に調査済みだ。教会とも因縁のある相手で、簡単に対処できる相手ではないこともわかった。それに加えて上位魔族までもがこれまでと違うと言うのならば、本当に異なるのだろう。

 だが。


「それが何か問題か?」


 ルカにとっては力の発露が同じでも異なっていても大した問題ではない。重要なのは教会に利をもたらすかどうかだ。

 アネリーフェはルカの問いに、珍しく躊躇うような表情を見せた。


「……別の神ではないか、と」

「なに?」


 聞き咎めるようなルカの言葉に、アネリーフェは少し戸惑うように口元に手を当て、


「あの女はソリタルア神の聖女ではなく、女神フィリシアの御使い(みつかい)だから力の発露が違うと話していた。あの女の夢にしか現れない女神だという」

「馬鹿馬鹿しい」


 ルカが即座に鼻で笑った。


「そうですぞ! アネリーフェ殿! 浄化能力を持つ者は等しくソリタルア神の聖女!それ以外の者に浄化能力など宿りませんとも!」


 ランチェスの大声に耳を押さえて顔をしかめながら、アネリーフェはそれでも不安を禁じ得なかった。

 それは教会の聖書でよく見聞きした夢のお告げの状況が、リタに起こったこととよく似ていたためか、あるいはあの癒しの力に、慣れ親しんだはずのソリタルア神の存在をまったく感じなかったからか。

 いずれにせよリタの癒しを直接受けて、心がざわついたのは事実だ。


 ()()のではないか、と。


「――それがなんだという?」


 アネリーフェの心配を心底くだらないとルカは切り捨てた。


「聖女が本物かどうかなどは正直どちらでいい。あれらは教会にとってただの道具だ。正しく使えるならそれでいい。お前は人形遊びをきちんとやり遂げることに集中しておけ」


 ルカのその言葉に眉間にしわを寄せながら、アネリーフェは「わかっていてよ」と言い捨てた。


 ルカという男は常にこうだ。

 彼は敬虔な信徒でありながら、『聖女』という存在をどこか否定している節が見られる。むしろ憎んでいるのではないかとアネリーフェには思えた。

 数年前に聖女だと誤認定された貴族令嬢を殺害したのもルカだ。

 教会の誤った認定をもみ消すには必要なことではあったが、ルカが率先して対応に当たったことをアネリーフェは知っている。


 アネリーフェは聖女を見たことがない。教会に正当な聖女が存在したのはアネリーフェが生まれるもうずっと前のことだ。

 だから、リタの姿を見たときにその美しさに心が躍った。

 白磁の肌に紫にも蒼にも見える瞳、流れるような金糸。容姿の美しさもさることながら、癒やしの力を発動したときの、あの淡い黄金色(きんいろ)に包まれた神がかった美しさは知らずため息が零れたほどだ。

 そしてあの優しさ。きっともう、それがアネリーフェに向けられることはないだろう。それを少し残念に思いながらも、自分は求められることをやるだけだと割り切る。


「今回の騒動で傷ついた人達を癒すために、教会で大々的に神事を行う。それまでに聖女をきちんと洗脳しておけ」


 まだ途中だろう、と言われて肩をすくめる。


「仕上げは(わたくし)ではなく教皇様がなさるわ。 それより、あなたもランチェスも聖女に近づかないでちょうだい。扱いが乱暴なのよ」


 あの金糸を乱暴に握り、あろうことかそれで投げ飛ばしたことは未だに許せない。沸々と怒りが込み上げてきて、アネリーフェはランチェスを睨み付けた。


「ランチェスは本当に脳筋で粗雑ね。あなたの聖女への振る舞いは、(わたくし)、絶対に許さなくてよ」

「おお! 申し訳ありませぬ!なにぶんすべてにおいて粗忽者で、修行が足りぬのです! アネリーフェ殿のお怒りもごもっとも!」


 戦闘モードの時は言葉を発さないようになっているせいか、普段は声も大きく饒舌だ。心がまったくこもっていない謝罪に、アネリーフェはだん、と床を踏み鳴らした。


「お黙り。お前の口だけの謝罪など耳障りだわ」


 低く冷たい言葉に、ランチェスがさっと頭を床に擦りつけた。

 その姿に舌打ちを落とし、乱暴に髪をかき上げた。


「それより、子羊達はどうするつもり? 檻に入ってしまったわよ」

「……わかっている」


 セスパーダ(執行機関)からの指令は聖女の捕獲だ。弟達の処理は直接的に指令には入っていないが、捕獲や捕獲後の障害になるようであれば、取り除くことも含まれる。


「そちらは私が対処する」

「剣聖もいてよ?」

「――問題ない」

「狐もつきまとうかもしれません」


 バイセンの言葉に、ルカは少し考え込むように口許に手をやった。同時にランチェスががばりと身体を起こして叫ぶ。


「先程は聖女が邪魔だったのだ! 二対二ならルカとわたしの敵ではない! 今度こそあの異教徒の狐どもを血祭りに!してみせましょうぞ!」

「「五月蠅い(うるさい)」」


 またしてもばっさりとルカとアネリーフェに切り捨てられ、ぬぬう、とランチェスは口を閉じたがまだ叫び足りなさそうな様子だ。


「根性論でどうにかなる相手だといいわね、脳筋」


 心底馬鹿にするように言い捨てると、アネリーフェは立ち上がった。


「ならば、子羊と狐の相手はお任せするわ。――教皇さまの期待を裏切らないことを願っていてよ」


 行くわよ、とバイセンに声をかけると二人は部屋を後にした。

 教会内の廊下を進みゆくとすれ違うシスター達が頭を下げて道を譲る。女性で神父姿は常ではあり得ないことではあったが、首元の徽章でアネリーフェがセスパーダ(執行機関)の一員であることがわかるため、咎める者も異を唱える者もいない。

 アネリーフェは彼女達には目もくれず、バイセンを伴ったまま教会三階に位置する貴賓室に向かった。

 軽くノックをしてから扉を開けて中へ入れば、リタが白い法衣に身を包んでソファに腰掛けていた。その世話係のシスターがアネリーフェに一礼するとリタの背後に控えた。


「ああ、綺麗になったわね。まったく、あの脳筋どもときたら」


 リタの元に歩み寄ると、頭の上から下まで注意深く検分する。

 頬についていたかすり傷も乱暴に扱われた髪も、薄汚れた服装もすべて綺麗に洗い整えられていた。目に宿る光がないのが残念だが、こればかりは仕方がない。白い法衣が似合っている。

 すいと髪を一房すくいあげ、さらさらと手の平を流れる感触を楽しむと背後に立つシスターに目を向けた。


「ルカやランチェスが来ても部屋に入れる必要はないわ。扉から用事を済ませるようにして。特に、ランチェスは絶対に入れてはダメよ。乱暴だから」

「心得ました」


 シスターの応えに満足そうに頷き返し、リタの流れる髪をさらさらと手の平で遊ばせる。


 ――綺麗ね。


 容姿だけでなく、リタが纏う高潔な雰囲気が好ましい。


「……どうして聖女であることを拒否したのかしら」


 出来ることなら、この綺麗な生き物と敵対したくはなかった。

 彼女が最初から素直に聖女として教会に属したならば、アインス達も自分達に狙われることなどなかったのだ。


「でも、そうすると(わたくし)ごときでは近づけなかったわね」


 教会の執行機関セスパーダの六つの機関の中でも、決して表舞台には出ない影の組織コルテリオ。アネリーフェはその中でも教皇直属の者だ。汚れ仕事を主とするため、本来であれば聖女に近づける存在ではない。影から見ることは叶っただろうが、恐らくこのように触れることなど出来なかっただろう。


「それとも、本当にソリタルア神の聖女ではない、から?」

「アリー」


 呟きを咎めるように、教会の人間の前では決して呼ばない本来の名でバイセンに呼ばれて、アネリーフェはリタの髪から手を離して肩をすくめた。


「他では言わないわ――ああ、この小指の布は外してちょうだい。確か、弟の一人がおまじないだと言っていたわ」


 ただの他愛(たわい)のないおまじないなら問題ないが、あちらには正神殿がついているのだ。万が一ということも考えられる。アネリーフェの指示に、シスターがするりとリタの左手小指に巻かれた布を取り外して差し出した。

 布を受け取り検分してみるが特に問題はなさそうだ。魔力や呪術の類の力は感じられない。

 リタの手を取り小指も検分するが、特に変わった感じはしない。


 本当にただのおまじないだったのか。……あの賢そうな子供が?


 疑問に思いながらも、布からも小指からも魔術的な残滓は感じられない。気にしすぎか、と布をバイセンに手渡した。

 ぐるりと室内を見渡せば、貴賓室だけあって調度もなかなか高価で華美なものが多い。だがそれは教会本部で感じる華やかさよりも、どちらかというと成金めいた嫌な感じだ。ミルデスタの司祭長には会っていなし見てもいないが、この部屋の雰囲気からあまりいい印象は受けない。

 アネリーフェは少し考えるように口元に手をやりながら、続き間にある寝室の扉を開けた。

 寝台もなかなか豪奢なものが据えてある。大きな窓の状態を確認し、三つあるクローゼットの窓側の扉を開けると、その奥にある教会の一部の者しか知らない隠し扉を開け放つ。

 特殊な魔術により施錠されたそれは、セスパーダの者ならば誰でも解錠は可能だが、この教会の上層部の者でも可能になっている。隠し扉の通路があまり汚れていないことを見てとって、アネリーフェは眉をひそめた。


「バイセン」


 塞いでおいて、と言いつけるとシスターを呼びつける。 


「夜もなるべく聖女の側から離れないようにして。それから――大事な聖女で(わたくし)のお人形に不埒な真似をする者は、まさかいないと思うのだけれど――身の程をわきまえない者に容赦は不要。たとえそれがここの司祭でも。何かあれば連絡を」


 はい、とシスターが頷くのを確認するとリタの側に戻り、ついと顎を持ち上げて目を合わせた。


「いいこと、リタ。あなたに不埒な真似をしようとする者に一切の遠慮はいらないわ。叩きのめしなさい」

「アネリーフェ様!?」


 扉を塞ぐ作業をしていたバイセンが驚いて叫ぶが、アネリーフェは気にしない。


「ここの司祭は俗物の匂いがするわ。手出しはしなくても、自由に動かないと知ったら()()()()はするかもしれないでしょう?」


 それは許せないわ、とまなじり鋭く言い捨てた。

 その言葉にバイセンは反論できない。短く息を吐き、扉を塞ぐ作業を再開した。


「明後日お見えになる教皇様に引き渡せば私の役目は終わり。紋は教皇様の魔力を使っているんですもの。今ここで(わたくし)が下した命令は、教皇様の新たな命令で上書きされるわ。それまでリタの身を守るためのものなら、問題ないでしょう」


 今のこの状態は側から見ても操られているとすぐにわかる。()()()をすればそんなこともなくなるが、リタの仕上げはアネリーフェが行うものではない。


 それでも、あの意志の強い目ではなくなるでしょうね。


 それが少し残念に思える。

 外見はあまり似てなかったけれど……アインスの目はリタに似ていた。

 あの子もきっと、このまま大人しく引き下がらない。

 もう、(わたくし)が関わることはないでしょうけれど。

 アネリーフェは静かに息を吐いた。



 * * *



 アネリーフェとバイセンが室内を(あらた)めて出ていくのを、頭を下げて見送っていたシスターは、扉が閉まって足音が完全に遠のくのを確認してから、ゆるりと頭を上げた。


 これで後は食事の時間まで誰かがやってくることはないわね。


 先程からぴくりとも動かないリタに目を向ける。

 生活に必要な最低限のことは命令なくとも出来るように許しているようで、体を清める時も着替えも協力的だった。意志の有無はそれまで確認できなかったが、アネリーフェの言葉に時折睫毛が震え、まばたきの回数が変わるので、彼女の感情はそこに表れているのかもしれない。正神殿の符が効いているおかげか、アネリーフェの言った「()()()」が済んでいないためか。

 そっとリタに歩み寄ると、襟元を整えながら耳元に唇を寄せた。


「弟さん達は怪我をしたサンクも含めてみんな無事です。ご安心を」


 リタの睫毛が大きく揺れた。


「私はシュリー。ノクトアドゥクスの者です」


 それだけ伝えるとシュリーはリタの手を握りしめた。

 微かに、リタの手に力がこもるのを感じて、シュリーは微笑した。



お休み中にちょっとだけ書けたので、連続投稿をしてみる。

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