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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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(二十一)取り持たれる仲



 キャンバスに鉛筆を走らせるフランシスを、黒鳳蝶(くろあげは)は窓辺で椅子に座したまま横目で盗み見る。今はセリオンがアトリエとして用意した部屋でモデルになっている最中なのだ。

 部屋の奥にある応接テーブルではそんなフランシスを熱心に見つめるセリオンと何かを書き綴るリタの様子が見て取れた。

 フランシスのモデルをする事に否やはない。彼女は絵に対して真摯だし、彼女の描いた黒鳳蝶は鏡に映る自分とは異なりまるで自分ではないように美しい。似ていない、というのではない。その絵を見れば十人中十人が間違いなく黒鳳蝶だとわかる写し具合だ。

 ただ絵から滲み出る何かが、かつて自分が失った筈のものを写し取っているように見えて、それが絵だけのことだとしても黒鳳蝶の心を慰めた。


 添うどころか侍る事すら公の場では出来ないとわかっていても、アンノデスタにゼノが居るときだけは、彼の隣にいたかった。出会った頃と比べると年を重ね若かりし頃の魅力はもはやないと自分でわかってはいたが、それが願いだ。

 リタやフランシスが聞いたら「誰が魅力がないなんて言ったの!?」と目を剥きそうだが、黒鳳蝶はそう思っている。

 特に花街は美しい花たちが咲き誇る場所だ。一昔前の花魁など同じ場に活けられる筈もない。

 もちろん自分の立場がそこいらの引退した遊女達とは雲泥の差である事は理解しているし、必要以上に卑下も謙遜もしないが、それでもゼノの隣に侍るには身分も歳も相応しくない事は十分に自覚している。


 ただ、久しぶりに会ったゼノは昔と違った。出会った頃はその瞳に拭いきれない孤独と疲れがあったのに、今は活力に満ちている。何より驚いたのはリタとのやりとりだ。

 ゼノに遠慮のない態度を取れるのは当時も非常に限られていて、ハインリヒやアッカードのパーティメンバー達ぐらいだった。何よりゼノの方に壁を感じた。それは黒鳳蝶といる時も一緒だ。いずれは自分を置いて先に彼岸に渡る者達に、近寄りすぎないようにとのゼノの自衛だったのかもしれないが、現状が変わらないのにリタに対してそんな素振りはない。それどころか、ハインリヒに対するのとも異なる。

 ゼノがリタを大事にしているのがヒシヒシと伝わってくる。そんな相手は以前には見られなかった。


 娘さん達が目覚めた事とも関係ありぃすかね。


 二百年ほど前に奥方となった女性との間に授かった娘。出会った頃は娘がいるが今は箱庭で眠っている、と苦しそうに話してくれた事がすべてで、それ以上の事は教えて貰えなかった。目覚めたらしい娘達にデレデレなのは通信の魔導具でのやり取りで知った。ゼノのあんな顔も態度も見た事がない。

 尚更に、ここにいる僅かな時しか触れる事は叶わないというのに、こうして追いやられた。


 (わたくし)の立場を考えればそれも当然でござりましょうね。


 商売女と懇意にする姿など娘には見せられまい。娘達だっていい顔をしないだろう。ゼノと会えるのもきっとこれが最後だ。


 そういえば、リタにはそういった娼婦に対する忌避感は見られなかった。

 今も難しい顔をして一心不乱に魔法陣を描いているリタに目を向ける。昨夜はセリオンの話をしている途中から挙動不審になり、今朝もまだ収まってはいなかったのだが、描かなくちゃならないの、と魔紙と向き合っている。


 彼女は御使いという名称だが、聖女と同じだとハインリヒから聞いている。剛毅な娘で口も腕も達者だと、あの男が手放しで褒めるのは珍しい事なので会うのを楽しみにしていた。もっとも、ハインリヒの口調に少々皮肉が混じっていたのは、彼を恐れもせずに正面からぶつかっているらしい胆力のせいだろうか。黒蝶屋の女将ですら、ハインリヒと対峙する時は未だ緊張を強いられると言っているのに、高位魔族に恐れを見せないところといい、聞いた通り剛毅な気質のようだ。だからこそ、ハインリヒにも気に入られているのだろうが。

 そしてゼノの妹分だと言うだけあってゼノとは親しく、また信頼が厚いのが見て取れた。いや、信頼だけでなくゼノは彼女のことを頼りにしている。その事に、嫉妬を覚えないと言えば嘘になる。


 けれど、彼女なら納得だし、どちらかと言えば好感を持っている。

 花街の女性達を見下したり軽蔑する事なく対等に正面から相手をしてくれる。何より彼女の視線からは慈しみが感じられる。


「ありがとう、黒鳳蝶。もう動いても大丈夫よ」


 フランシスの軽やかな声に、リタを見つめて思考を飛ばしていた黒鳳蝶は我に返ったように視線をフランシスに向けた。

 粗方の素描を終え、特に気になる色を写し取りさえすれば、フランシスはスラスラと描いてしまう。黒鳳蝶は絵に詳しくないが、フランシスの描き方は独特だと思う。彼女は目に見えるもの以外を写しとっているように感じるのだ。今もキャンバスには素描の上に鮮やかな色が絶妙なバランスで混ざり合い塗られているが、その色は見ていて()()()()くる。ここにある色が今の黒鳳蝶の色なのだろう。

 彼女はこれをベースに別のキャンバスに絵を清書するのだ。


「黒蝶屋に飾ってあった絵とは塗り方が違うのね」


 キャンバスを覗き込み、素描に囚われず縦横無尽に重ねられた色に首を傾げるリタに、ふふ、とフランシスが笑った。


「これは下書きよ。黒鳳蝶の形と彼女から滲み出る今の色を写しとっただけ。これを元に別のキャンバスに描くのよ」

「今の色。黒鳳蝶の感情ってこと?」

「そうねぇ。そうかもしれないわ。——この華やかな色はやっぱり剣聖殿に会えた喜びや愛情かしら。けれど、不安も混じってる感じだわ。そしてこのあたりは興味かしら。御使い殿に感じているのかもしれないわね。このあたりの色はこれまでもあったけれど、初めての色も多くて興味深いわ」


 フランシスの説明に、リタが目を瞬かせてキャンバスと黒鳳蝶を見比べた。


「……フランシス嬢って、占いとか悩み相談とかも出来そうね」


 凄いとため息を落としたリタにフランシスが苦笑を返す。


「こんなの絵を描く事にしか活用出来ないわよ。でもそうね。私が見る色は嘘を吐かない。それは確かだわ」


 それはフランシスが持つ特技だった。わかったからと言ってどうなるものでもない。この色を絵に落とし込めばその人をより深く描ける気がする。ただそれだけだ。


「いや。それで描かれた人物が命を得てフランシス嬢の絵を素晴らしいものにしている。これは誇るべき才能だよ」


 キャンバスを見つめながら、うっとりとセリオンが放った言葉に、かぁっと瞬時にフランシスが頬を染め上げた。


「そ、そそそ、そうかしら。セリオン殿にそう言ってもらえて、お世辞でも、嬉しいわ……!」

「んんっ」


 リタがそれを見て変な声を上げ、素早くセリオンの足を蹴ったのを黒鳳蝶は見逃さなかった。

 蹴られたセリオンは訳が分からずリタを見上げたが、視線でフランシスを示され、そこでようやく赤い顔をしたフランシスに気づき、こちらも顔を真っ赤にした。


「お世辞なんかじゃない! ほ、本心だとも! フランシス嬢の絵は素晴らしいし、私は大好きだ!」


 すかさずリタの蹴りがセリオンに叩き込まれたのは「そうだけど、そうじゃない!」と言っているようだ。

 今の言葉では、やっぱりセリオンはフランシスの絵が好きなのねで終わってしまうというツッコミだろう。

 黒鳳蝶は苦笑をこぼしつつ、ここは助け船を出しておくことにした。でなければセリオンの足が更なる攻撃を受けそうだ。セリオンが高位魔族だと知っているのに本当に容赦がない。


「ふふ。セリオン殿は、ほんにフランシス嬢の絵がお好きでござりぃすね。——加えて」


 意味深に流し目を投げてセリオンの注意を引く。


「フランシス嬢の事をよく観察なさっていらしゃること。随分と興味をお持ちのようでありぃすが——何がそんなに興を引くのでござりぃしょう?」


 こうして煽れば、セリオンがいくらフランシス嬢の前ではポンコツでも、リタが求める反応は返してくれるだろう。


「すべてさ! フランシス嬢は絵だけでなく本当に素晴らしいからね!」


 狙い通り、即座に黒鳳蝶の言葉に反応したセリオンが、目を輝かせて口を開く。


「まず何よりも絵に対する真っ直ぐな姿勢が素晴らしい! 人が素通りするものでさえも美しさを見出すとこころや、誰に何を言われようとも揺るがない信念の強さだね」


 目の端でフランシスが更に顔を染め上げているが、しばらくは放置だ。


「絵に対しては情熱的だが、貴族令嬢としての凛とした佇まいと頭の回転の速さも中々のものだ。アンドリューと共にアンノデスタの夜会に出席したら、他国の商人や貴族とも対等以上に渡り合う姿に、私だけでなく評議会のオードレンも感心している」


 黒鳳蝶やリタが笑顔で相槌を打つ姿に気をよくしたのか、セリオンの舌が非常に滑らかに回る。


「何より、彼女が絵を描く時の空間が素敵だ。色づく森を連想させる、温もりを感じる髪色に縁取られたふっくらとした頬や色づく唇は可愛らしく、キャンバスと対象を見つめる翠の瞳は、すべてを見透かすように深く揺らめき吸い込まれそうに美しい。醸し出す空気が慈愛に満ちていて、その空間にいるだけで胸が詰まりそうなほどの幸福感に包まれる」


 好きな事が語れるのが嬉しいのか艶やかな微笑を浮かべ、うっとりとした瞳でつらつらとフランシスの魅力を語るセリオンの様子を、満面の笑みを浮かべて見つめるリタの周囲が気のせいか眩しい気がする。実際には何も光ってなどいないのだけれど、フランシスが感じる色とはこういうことだろうかと少し理解した黒鳳蝶だ。


「私も一度でいいから彼女のモデルとしてあの目で見つめられたい——いや、モデルになりたい訳じゃない。彼女のあの眼差しと向き合いそこに広がる彼女の世界の住人になりたい」


 なかなか壮大なお言葉だ。

 随分と人とは異なる情熱的な言葉なのは彼が魔族である故だろうか。


「ですってよ、フランシス嬢。あなたの世界にセリオンが入る余裕はあって?」


 嬉しそうに笑いながらリタがそう振れば、もはや真っ赤になりすぎて今にも倒れそうなフランシスがいる。その言葉でようやくセリオンもフランシスがこの場にいたのだったと思い出したらしい。一瞬で固まり、だらだらと汗をかきながら、ぎぎぎ、と音がしそうなほどゆっくり、ゆっくりと振り返る様がとても人らしくて黒鳳蝶は口元を袂で抑えて忍び笑いを零した。


「ふ、フラン、シス……嬢……」


 フランシスの真っ赤な顔を見てこちらも顔を真っ赤に染め上げ動揺するセリオンの肩を、リタがぽんと軽く叩いてテーブルの上の魔紙やら筆記具をさっと片付けた。


「じゃあ黒鳳蝶。私達は部屋に戻りましょう」

「そういたしましょう」

「えっ……あ……」

「あ……」


 二人の返事も待たずにリタと連れだって、絵描き用に提供された部屋をさっさと後にして、あてがわれていた部屋に戻った。

 胸に魔紙やらを抱え後ろ手に扉を閉めたリタから、ふふん、と満足そうな笑みが零れた。


「セリオンは素直でいいわね。あんな情熱的な言葉を聞けば、流石にフランシス嬢だってわかるでしょ」

「周りが見えなくなるほど語っていただけるとは僥倖にございました」


 ここから先は二人の問題だ。もうあそこまで語ってしまったら、セリオンも腹を括って果敢にアプローチをするだろう。

 黒鳳蝶にとってもリタと二人きりになる時間が持てたのは嬉しい誤算だ。


「お茶でもいれましょう」


 私が、とリタが慌てるのを手で制し、お茶を淹れながらどこか落ち着きなく腰掛けたリタを盗み見る。無造作に置かれた魔紙を見るに、今ここで続きを描くつもりはなさそうだ。


「侍女殿の淹れたお茶には劣りましょうが」

「とんでもない! 手ずから淹れられたお茶は世の男達からすれば垂涎ものよ」


 ウキウキとカップに手を伸ばすリタは本当に女性に優しい。自身も口を付けてから微笑する。


「娘さん達が目覚めたのは、御使い殿のお力だと聞き及んでおります」


 話を切り出せば、ええ、とリタが頷いた。


「死の森の呪いと瘴気——の関係で時が止まったまま深い眠りについていたの。今は私の弟とパーティを組んで元気に冒険者として活動しているわ」


 二百年経った今の世界に慣れるためにもルクシリア皇国でリタ達家族と共に暮らしているから、リタとゼノも家族のようなものだと話してくれた。

 実は黒鳳蝶はリタの説明よりももう少し詳しいことをハインリヒから聞いている。ゼノとリタは前世から兄妹分として付き合いがあり今生でも同じ関係性を築いているのだと。前世などとは黒鳳蝶にはよくわからない話だが、どうやら思っていたよりも()()は重要事項のようで、ハインリヒは随分と前世情報を気にしている、と女将が漏らしていた。

 二人から感じるのは確かに男女関係というよりも守る者と守られる者、あるいは家族であり仲間という色が強い。


「ゼノ殿から孤独感が抜けたのは娘さんが目覚めたことに加えて、御使い殿がいらしゃるからなんでしょうね」


 少し羨望が滲むのは仕方ない。自分では絶対に一定距離からは中に入ることは許されないと理解していても、それが許される存在を目の当たりにすると穏やかでは居られない。


「そうでしょうね。……ゼノ自身に余裕が出来て周囲に目を向ける事が出来るようになったためでもあるし、色々と事態が動き出して日和って居られなくなったせいもあるでしょうね」


 少し眉宇を顰めたリタの言葉には苦い何かが滲む。

 どうやら娘が目覚めてめでたしめでたし、で終わる話ではなかったらしい。


「それは不穏な動きが見られる教会と関係がありましょうか」

「さすがね。——ええ。色々事態が動き出した感じよ。魔王しかり、教会しかり」


 黒鳳蝶は実のところ魔族絡みでゼノの心配はしていなかった。ハルエンディガーを倒したゼノはそれほど圧倒的な力を有していたし、ハインリヒからも盟主達ですらゼノは一目置かれている事を聞いている。対魔族でゼノが苦戦を強いられたことなど聞いたことがない。故に、魔王に関してもあまり心配はしていなかった。


 むしろ、危険なのは人だ。

 神殿や教会は元より国や権力者が絡む事の方がゼノには危険だ。

 そこはハインリヒが手を尽くすだろうがが、孤独であったゼノには守るべき者もなかったが、今は弱点ともいえる娘達やリタもいるのだ。

 ふ、と息を吐き当時は話を振らせてもくれなかった娘達の事を思う。


「ゼノ殿の娘さん達は、どんなお嬢さんでしょう?」


 ゼノに深く立ち入る事は許されないし黒鳳蝶に知らせる気はないだろうが、知っておけば何か手助け出来る事だってあるだろう。——黒鳳蝶はそう考えていたが、今のゼノに娘の話を振れば、セリオン同様嬉しそうに自慢げに話してくれたろう。それはリタも同じだ。


「それはもう、ゼノと血が繋がってるのは嘘でしょうって疑うぐらい、可愛くてしっかりした娘さんなのよ、アーシェは! とても十四歳とは思えないほど落ち着いている上に頭も切れて。ゼノから指導を受けてることもあって、クラスSの魔族を斬り捨てるほどの実力を持つ剣士で、何より——ハインリヒが一目置いているわ」


 ほんわかした表情から一転、非常に真剣な眼差しでリタが告げた言葉に、なるほどと頷き返した。

 ハインリヒが一目置くなら相当の傑物だ。

 流石はゼノの娘といったところか。

 あるいは。


「——奥方殿が、それほどの傑物だったのでしょうね」


 ゼノが選ぶぐらいだ。そうであろうと思う。


「それがねぇ、ゼノは教えてくれないのよ! 身体が弱かった元貴族令嬢で料理の腕は独特だったという事しか聞いていないわ」


 何故に貴族令嬢で料理の話が出てくるのかと疑問だが、元というのならばゼノと一緒になったために貴族じゃなくなったのかもしれない。


「ゼノにはもう一人血の繋がらないサラっていう娘もいるんだけどね。彼女はアルカントの魔女と呼ばれたアザレアさんの弟子で、魔術の腕前も相当のものよ。ラロブラッドであったために小さい頃にツラい目にあったらしくて、他人を、特に大人の男性を恐れていて怖がりなんだけれど、アーシェととても仲が良くて見ていてほっこりするの」


 つまりゼノの娘は凄腕の剣士と魔術師なのだ。まだ少女なのにリタが手放しで褒めるのならば腕は相当なのだろう。——たぶん。

 リタの女性に対しての評価がやや高めなことを差し引いてもハインリヒが一目置いているなら間違いない筈だ。


「二人はとても公正に物事を見るから、黒鳳蝶とゼノの関係も問題視しないと思うわ」


 さらりと付け加えられた言葉に、目を瞬いてリタを見遣った。


「ゼノが丁重に扱う女性なら二人もそれに倣うでしょうし——理解すると思うわ。そこも気になったんでしょう?」


 問われて、黙したままリタを見つめ——ふ、と口元に笑みを浮かべた。


「まさか。(わたくし)ごときがそのような事は気に致しません。ただ、娘さん達の事を知っていれば、なんぞ助けが必要な時に手を差し伸べられようと考えただけでござりぃす」

「黒鳳蝶へのゼノの態度が他の女性とは全然違うわ」


 すらりと斬り込むように告げられたが、黒鳳蝶もふふ、と笑って流す。


「アンノデスタの花街随一と言われた花魁でありぃす。男の態度を崩す事など手慣れたもの。踊らされただけのゼノ殿に心はありぃせん」

「それこそまさかよ。美貌の第四盟主や女王、神にすら態度を変えないゼノよ。態度を変えたって事は心が動いているということでしょう。それが巷で言う恋とか愛じゃなくたって、黒鳳蝶に何らかの心はあるのよ」


 その言葉に揺らがなかったと言えば嘘になる。

 自信ありげなリタの言葉が本当であれば、嬉しくない筈がない。

 だがそれは自分には過ぎたもの。謙遜や卑下といったものではなく、純粋に住む世界が違う相手への想いは他人からの肯定も否定も必要ない。

 故に、毛一筋ほどの動揺も見せずに目を細めて微笑してみせた。

 途端にリタが両手で顔を押さえて天を仰いだのだが、それはスルーしてテーブルに置かれた魔紙に目を向ける。黒鳳蝶には魔法陣など勿論わからないが、それが非常に希有で珍しいことは知っている。


「御使い殿は魔法陣を扱える御仁なのですね」


 聖女の力に加えて色々と持っていて流石だと感心したのだが、リタからは微妙な反応が返ってきた。


「……扱えると言っていいかどうかは……微妙だわ……」


 先程までと異なり眉根を寄せて渋い顔だ。


「どう頑張っても正しく動かないの。サラには匙を投げられるし、箱庭の魔術に詳しい人に見てもらっているけど解明出来ていないわ」


 いくつかの種類を描いて試して貰ってるんだけど、全部おかしいのよね、とぶつぶつ呟きながら魔紙を広げてため息を吐く。

 さらりと零れた「箱庭の魔術に詳しい人」という言葉に、リタも箱庭と繋がりがある事を知る。ゼノやゼノの娘達と親しいのであればなんら不思議はないが、これはあまり表に出してはいけない事項では、と思いつつも、昨夜のリタの挙動不審な態度を思い出し、とん、と魔紙を指で叩いた。


「こちらの御仁と御使い殿はどういうご関係でありぃすか」

「え!? か、関係って、……そ、それは……ええと、知り合い——いえっ、友……そう、友人よ!」


 わかりやすい反応にリタにとっては友人どころでは済まない相手だと知れる。


 あれまぁ、フランシス嬢やセリオン殿を焚き付ける割りには随分と初心(うぶ)でありぃすこと。


 彼女もまだ十代の少女であるし、ここ一年程は中々大変だったと聞く。それに彼女のお眼鏡に適う相手がそもそも身近にいなかったのだろう。

 微笑ましい、と温かい目でリタを見つめながら、ふ、とため息を落とす。

 ならば昨日のリタが動揺を見せたのはゼノの事も勿論あるだろうが、この魔法陣を見てくれている相手は寿命が異なる事を実感したためだろうか。

 箱庭の住人は不老長寿だとまことしやかに言われているのは有名な話だ。ゼノの理由が異なったとしても、その友人とやらはそうなのだろう。

 気持ちの上で二の足を踏んでも仕方ない。

 けれど。


「でしたら、そのご友人とは後悔なきようお付き合い下さりませ。言葉を紡ぐことを諦めてはなりませぬ」

「え?」


 唐突な黒鳳蝶の言葉にリタが目を瞬かせているが、構わず言葉を重ねる。


「友人であるなら世界線は同じ。ならば言葉は届けるべきこと。迷った時は必ず前へ進みなんし。下がってはなりぃせん」


 リタに後悔は似合わない。例え相手と寿命が異なろうと体当たりして欲しい。彼女は黒鳳蝶とゼノとは関係性が違うのだ。


「今はまだ目を背けたくとも、意味がわかりぃせんでも構いませぬ。ですが、そのご友人に対して決して引いてはならぬ、とだけは覚えておいてくださりませ」


 余計なお世話かもしれないが、リタならば例え寿命が異なる相手とも気にせず乗り越えていけるだろうと思った。今は二人がどんな状態なのかわからないが、発展途上という感じだろうと思われる。であれば、リタが真剣に悩むのはこれからだ。その時に言葉をかけられる立場にいない黒鳳蝶は、今、声をかけておきたかった。

 彼女は聖女として重要な役割を担っているかもしれないが、それでもうら若き一人の女性だ。恋をしたのならそれを殺さず進んで欲しい。役割だけに翻弄されずに自身の幸せも掴み取って欲しいと、それを得られる選択肢すら与えられなかった黒鳳蝶は強く願う。

 フランシスもリタも。


「……肝に銘じるわ」


 黒鳳蝶の真意はわからずとも、リタは真剣な眼差しで強く頷いてくれた。



 * * *



 本来静謐さと神聖さが漂う聖堂において、煌びやかさがより勝るのは商業都市であるアンノデスタならではだろうか。贅を尽くした建物でありながらいやらしさを感じないのは、真の富豪が多く集う商業都市としてお金のかけ方を知っているためかもしれない。

 そこかしこにある聖堂の装飾は豪奢でありながらそれを感じさせない作りに鼻を鳴らし、ロレッティオは聖堂の裏手にあたる小部屋で司祭を待っていた。

 神父服の上からしきりに左腕をさすり険しい表情を崩さない。纏う空気は剣呑で、表にいても教会関係者すら一定距離を保ったまま近づいてこない。

 そんな事はロレッティオにとってどうでも良かったし、このイライラした気持ちが収まる事がないのは本人が一番よくわかっている。いつもであれば心が落ち着くはずの聖堂もロレッティオを助けてはくれない。

 忌々しい、と内心で舌打ちを落とした時、ガチャリと小部屋の扉が開く音がした。

 室内に入ってきた司祭が、不機嫌なロレッティオの様子にぎくりと身体を強ばらせ、一歩後ずさった。それをジロリと睨み付け、さっさと中に入るように顎で示せば、怖々と室内に入り扉を閉めると、びくびくとした様子で室内を見渡し、それからその場で深々と頭を下げた。


「この度はこの教会にわざわざ足をお運びいただき——」

「挨拶などいい。それより、貴様がこの教会において導き手で間違いないか」


 導き手。

 その言葉に司祭はゆっくりと顔を上げた。先程までの怯えは鳴りを潜めロレッティオを見定めるような視線に、ほう、と感心した声を内心で零す。


「そのような大層な役目を私が担っているなど恐れ多い。どなたかとお間違えではありませんか」

「古の聖女に導かれたのだが」

「古とは」

「千二百十三年」


 面倒なやり取りだと、ロレッティオは内心でうんざりしながら合い言葉を続ける。


「聖女さまのお名前をお伺いしても?」

「聖女セレスフィーネ」

「——左様でございましたか」


 司祭はようやく笑みを浮かべて身体を起こし、恐れなくロレッティオに歩み寄った。


「よもや貴方様が我らと志を共にしてくださるとは」


 これほどの驚きはありません、と嬉しそうな司祭に「尊き方のためなら当然だ」と迷いなく言葉がするりと出てくる。その言葉に偽りないのを感じ取り、司祭が笑みを深める。


「ようございました。どうしても我らには武力がありませぬゆえ。——それで、ご様子はいかがでしょうか。アザレア殿が聖女として返り咲いたと通達がございましたが」


 す、と声を潜めて問われたのはセレスフィーネの現況は勿論、修道女機関(シュエルディスタ)に属するマルリエやリリーディア達の無事だろう。ロレッティオが燃やしてやったので連絡がつかなくなったに違いないし、その事を下手に問い合わせればそれこそ腹を探られ疑われる。

 ロレッティオは左腕をさすりながら、ああ、と相槌を返す。


「全員ご無事だ。尊き方は未だ動くことが叶わないがそれも時間の問題だ。じきに自由になりすべてを掌握なさるだろう。リリーディア様とマルリエ様も拘束されているが、非道な扱いはなされていない。尊き方が自由になればすぐにでも解放されるだろう」

「それはようございました」


 心底安堵したように胸をなで下ろした司祭を無感動に見下ろし、鼻を鳴らした。


「地方も動きを合わせねばならない。私はそれを伝えるために来ている。ここに志を共にする者はどの程度いる?」 

「ここアンノデスタの教会は第二の拠点。本部より遣わされた主任司祭と副司祭以外は同志にございいます」

「——それは心強い」


 ぎゅうっと左腕を握る手に力を込め、うっすらと口元に笑みを履く。


「ここから他の教会への連絡手段はあるのか」

「残念ながらシスターを使いに出す程度しかございませぬ。事は慎重を期す必要がございますゆえ」

「賢明だな」


 満足気に頷き司祭の言葉に同意を返すと表情を改めた。


「だが事を急ぐ。私は本部からも動きを制限されぬ身だ。同志の多い教会順に導き手の情報をまとめて寄越せ。直接伝えに行く」

「承知いたしました。少しお時間を頂戴しますので、それまでどうかこの教会でゆるりとお過ごしくださりませ。身の回りの世話をするシスターを付けます」

「別にいらん」


 素っ気ないロレッティオの態度を気にする事なく、司祭はうっすらと笑みを浮かべた。


「そうおっしゃらずに。修道女機関(シュエルディスタ)本部に起きた災禍に心を傷め心配しているシスターは多いのです。どうぞ広き心で慰めてやってください」


 しばしお待ちを、と司祭が下卑た笑みを履いて部屋を辞したのを確認すると、ロレッティオは盛大に舌打ちを落として左腕を押さえた。


 イライラする。

 気を抜けばあっさりと振り切れる天秤を必死に保つことはかなりな労力を要する。

 イライラする。

 この鼻が曲がりそうなほどの腐臭。金と権力欲が渦巻く場所で強く感じる腐臭だ。俗物め、と内心で罵詈雑言を浴びせつつ左腕をさすりながら様々な感情を必死で押さえ込む。

 しばらくして扉が控えめにノックされたので「入れ」とぶっきらぼうに告げれば、シスターが三名立っていた。

 一人は清楚な美女で、彼女が三人の中では筆頭のようであった。その背後に控えるのもタイプは異なるが見目の良い女性で、一人は修道女服姿でも胸が大きくグラマラスなのがよくわかる。もう一人はほっそりとしてまだあどけなさが残る少女だ。


 ——反吐がでる。


 司祭の思惑がよく現れたそのシスター達にロレッティオの不機嫌さがいや増す。


「どうぞ、お部屋にご案内いたします」


 ロレッティオの不機嫌さは伝わっているだろうに、清楚な雰囲気を纏うシスターは怯えを見せることなく口元に微笑を浮かべて促す。背後の二人は俯き視線を落としたままだが、緊張が伝わってきた。


「ああ」


 なるほど、なるほど。故にまずは修道女機関(シュエルディスタ)か。

 シスター達の後に続きながら、色々と得心がいって口の端が自然にあがる。

 愉悦か怒りかはたまた侮蔑か苛立ちか。最早ロレッティオ自身にも判別のつかない感情が荒ぶるのを奥歯を噛みしめ抑え込む。

 抑え込むために、誰に祈りを捧げるべきかを考えるだけでさらに気持ちが荒ぶるのを感じながら、ロレッティオは昏い笑みを浮かべた。



 

ちょっと推敲をいつもより行っていないので、本日中にちまちま修正を行うかもしれません……

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