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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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(十六)魔剣の能力



 取り乱して黒鳳蝶に謝るフランシスを宥め落ち着かせて話を聞いたところによると、自宅にあるフランシスのアトリエに賊が入り黒鳳蝶の肖像画を含め描いた絵がごっそりと盗まれたのだという。しかもアトリエも激しく荒らされしばらくは使えない状態だというのだ。


「なんて事! それであなたに怪我はないの?」


 話を聞いたリタが憤慨して叫び、それからそっとフランシスの手を取り彼女の状態を確認する。


「怪我はなさそうね。ショックだったでしょう?」


 労わるように掴まれた手と心配げな瞳に、絵を盗まれた事への衝撃で感じていなかった恐怖をじわりと実感した。

 アトリエの荒らされ方は酷いものだった。

 完成した絵はすべて盗まれ、描きかけの絵も道具も室内の調度も壁も激しく損傷していた。

 そして何よりも恐ろしいのは、影からの報告だ。


「賊がアトリエに侵入した後、急に姿を消したと言うの。驚いた警備の者がアトリエに入ろうとしたら、何かに阻まれたように入れなかったと。その後、目の前が切り替わったように壊されたアトリエが現れ、驚いている隙に賊に逃げられたと報告を受けたの。時間はそうかかっていないと言っていたわ」


 困惑したようなフランシスの話にリタの表情が険しくなる。


 それは……空間が閉じられて、いたのでは?


 嫌な符号だ。あの時通れるかどうかは確認する事なく空間を壊してしまったので、同じかどうかはわからない。けれど。


「荒らされる音も気配もなかったんだな?」

「そう聞いています。一瞬で荒らされたアトリエが現れたと」

「その賊を見たのか、警護の奴らは」


 険しい表情のゼノに、フランシスはため息を吐きながらふるふると頭を振った。


「姿だけは。顔の半分を黒い仮面で隠していたので誰かはわからなかったと」

「え?」

「仮面?」


 その言葉にリタとゼノは顔を見合わせた。

 閉じられた空間に仮面。しかもアンノデスタだ。

 これほどの共通点があって別物だとは考えにくい。


「……それは、本当にその場にフランシス嬢がいなくて良かったわ……」


 室内の荒らされ方が酷いのであれば、空間に閉じ込められていれば無事ではいられなかったろう。


「もしかして」


 心底安堵するリタと、険しい表情のゼノの様子に女将も眉をひそめた。


「ああ。恐らくそいつらは通り魔だ」

「えっ……!? どうして通り魔が私のアトリエを襲撃して絵を盗んでいくの?」


 告げられた言葉に今度はフランシスが目を見開いて叫ぶ。

 通り魔は花街で人を斬っていたのではなかったか。それが、何故にフランシスのアトリエを襲撃して絵を盗んでいくのか。


「——ウェルゼル殿が訪ねていらしゃったと、その応対中に賊に侵入されたとおっしゃりぃしたね?」


 非常に冷ややかな表情で尋ねる黒鳳蝶に、びくりと肩を跳ねさせてフランシスとリタが手を取り合いごくりと息を呑んだ。

 美人の怒り顔は非常に怖いのだ。特にここアンノデスタの花街で、王侯貴族やら富豪をはじめとする男達を手の平で転がしてきた黒鳳蝶の凄みは、ただの美人とは訳が違う。

 黒鳳蝶の絵は誰でもが手に入れられる訳ではない。

 いくら金を積まれても、黒鳳蝶が認めない相手には売れないのだ。そしてそれを何度説明しても、売れとしつこく言ってきたのがウェルゼルだ。


「ふぅん……確かに臭えな。通り魔を期限内に捕まえろってアッカードに難癖つけてたのも確かソイツだったよな」


 隣の黒鳳蝶の様子には頓着せずに、ゼノも顎を擦りつつ剣呑な色をその瞳に浮かべる。


「ウェルゼル殿が人を使って事件を起こしている、という可能性が見えてきたねぇ」


 舐めた真似を、と女将もうっすらと口元に笑みを履く。

 アンノデスタの評議会は皆が皆、大きな商会の支店長だ。その中にはアンドリューのように地位の高い貴族だっている。自国では融通が利いたことが、ここアンノデスタでは自由に出来ない事が意外と多い。知らずに着任した者はまずそこに驚く事が多い。ウェルゼルがアンノデスタに着任してから約半年。我慢の限界に達して動き出したとしても不思議ではない。

 アンノデスタをよく知る女将と黒鳳蝶がそう結論づけた時。


「——殺そう」


 ボソリと。

 それまで一言も言葉を発さずにフランシスの隣で黙って話を聞いていたセリオンが、場を凍らせるほどの殺気を纏って言い放った。

 ビリビリと空気を震わせる殺気にリタは歯を食い縛りながら、フランシスの手を握りしめる。——だが、流石と言うべきか、彼女はこの激しいセリオンの殺気をそれほど感じていないようだ。フランシスを傷つけないように殺気の方向を無意識に調整しているらしいセリオンに、リタの中でぐんぐんと株が上昇していく。

 ああ、いえ。今はそれに感心している場合じゃないわ。

 切り裂かれそうな殺気に耐えながら呑気に感心していたリタはいやいやと自身を嗜めた。


「フランシス嬢の絵を盗みアトリエを壊すなど許されぬ。犯人は見つけ次第八つ裂きだ」


 ぞっとするような声音で殺気と共に言い放ったセリオンに、即座にゼノが殺気を叩きつけてかき消した。女将と黒鳳蝶がセリオンの殺気に耐えきれずに意識を失いかけていたのだ。


「勝手に先走んな。あと、ここで殺気を撒き散らすんじゃねえ。怪我させてえのか」


 セリオンにのみ殺気を叩きつけたゼノに、セリオンはようやく青い顔をして今にも倒れそうな女将と黒鳳蝶に気づいたようだ。ハッとして自身の殺気を慌てて散らす。


「す、すまない。女将、黒鳳蝶。——御使い殿は、流石だな」


 リタはセリオンの殺気を受け、緊張した面持ちではあるが顔色を変えるほどではなかった。それはこれまでに魔王や色付き魔族、果てはひとつ目の怪物と対峙してきた賜物だ。


「いいのよ。怒る気持ちもわかるから」


 むしろ、これほど怒れることは褒めたいところだ。


「セリオン殿がそこまで怒りを露わにしてくれるのは嬉しいことだけど……八つ裂きは困るわ」


 殺気の真の恐ろしさを味わっていないフランシス嬢が、頬に手を当て困ったように首を傾げた。それを見てセリオンが慌てる。


「や、野蛮であったな。いやもちろん本当に実行する訳では……」


 咎められたと思ったセリオンが大慌てで手を振り否定する姿に、フランシス嬢の前では借りてきた猫のようだと表した女将の話は本当のようだ。

 魔族が、それも色付きがそんな言葉に自分の行動を即座に変えようとした点にゼノも目を瞬く。特に彼は第一盟主の側近だ。主以外の、それもたかだか人にどのように思われるかを気にかけるなど信じ難いが、どうやらセリオンは本気でフランシスに嫌われるのを避けたいらしい。


「そうじゃないの。ああいうタイプは物理的な死よりも社会的な死の方が堪える筈だし、今まで人を侮り馬鹿にしてきた分、同じように侮られバカにされる方が我慢ならないでしょう?」


 中々に辛辣だった。

 言ってる事はわかるが、直接的な被害を被っていないゼノは特にウェルゼルに思う所はないので、フランシスの言葉にドン引いた。貴族はおっかねえな、と首を竦めたゼノとは異なり、この部屋の女性陣が大きく頷く。


「まったくもってその通りだわ。身の程知らずで手段を選ばないクズには死なんて生温い。女性を傷つけて命を奪った事も含めてしっかりと踏み躙ってやらなくちゃ」

「ええ、まったく。花街を随分と舐めておくれだしね」

「底辺にまで貶めねば気が済みませぬ」

「ええ、ええ、そうでしょう?」


 力強い女性陣の同意に、アイツ今回のアトリエ襲撃以外でも余程怒りを買ってんだな、とウェルゼルを憐れんだ。……まあ、自業自得ではある。


「では、私にもぜひその手伝いをさせてくれ」


 恐れられた訳ではないとわかってホッと息をつき、すぐに立ち直って微笑しながらそう告げたセリオンに、フランシスは目を瞬いた。

 どうでもいいが、セリオンの耳がほんのり赤くなっている。そして顔をフランシスに向けてはいるものの、視線はちらちらと動いている。見たいけれど、恥ずかしい。そんな視線の動きだ。


「セリオン殿はお忙しいのではなくて? どうぞ私の事はお気になさらず。ウェルゼルの息がかかっていない憲兵もいますし、通り魔が関係するならアッカード殿やそれこそ剣聖殿がお力を貸してくださるでしょうし」


 父の手前、心配して下さって嬉しいですが大丈夫です、と笑顔で言われてセリオンが固まった。


「……そういう、訳では、なく……」


 しょぼん、と目に見えて肩を落としたセリオンにゼノが絶句する。

 女将がそれを見て苦笑した。


「でしたら、セリオン殿のお屋敷で絵を描かせてもらっちゃあどうです? アトリエは壊されて今は絵が描けないでしょう?」

「それがいいわ!」


 女将の提案にリタが手を叩いて名案よ!と同意した。


「え? いえ、壊されたのはアトリエだけですので、他の部屋で——」

「何言ってるの! 賊の狙いがこれで終わったとは言えないでしょう? 今はまだ興奮していて大丈夫かもしれないけれど、犯人が捕まっていない今、また来るかもと怖くなってくるわ。だって警護の者もどうにもできなかったんですもの。その点セリオンの家ならば絶対に賊が侵入できないから安心よ! それに、アトリエぐらいすぐに準備出来るだろうし、すぐに絵を描けるわ。ねえ、そうでしょう?」


 迷惑をかける訳には、と辞退しようとしたフランシスに、リタが食い気味に背中を押す。肩を落としていたセリオンが、リタの言葉にうんうんと勢いよく首を縦に振り続ける。

 もげるんじゃないかと変なところが気になったゼノだが、リタの言う事も一理ある。セリオンの領域なら例え魔剣だろうとも簡単には踏み込めない筈だ。

 ハッとそこでゼノも閃いた。


「そうだ——黒鳳蝶も一緒に邪魔したらどうだ?」

「え?」

「え?」

「え!?」


 急に何をと戸惑う女将や黒鳳蝶とは異なり、フランシスの声に喜びを感じ取ったリタは、「いいじゃない!」と手を打った。


「ほれ、そのウェルゼルとやらは黒鳳蝶を妾にと企んでいるんだろ? だったら次はここに乗り込んで攫おうとするかもしれねえ。なら先手を打って」

「避難しておくわけね! ゼノにしてはいい思いつきじゃないの!」 


 今夜以降、黒鳳蝶から色々プレッシャーをかけられそうなのを避けようとしてのことだったので、リタに手放しで褒められると気まずい。


「ああ、まあな。一度強硬手段で上手くいったなら次もやる可能性は高い」


 頬をかきながら、すい、とリタから視線を逸らす。


「それなら、ゼノ殿が(わたくし)に付ききりでいてくれればよろしいのではありぃせんか?」


 ぎゅ、と耳を引っ張られて拗ねたように言われるのも聞かなかった事にする。


「まあ!」


 そんな様子にフランシスが頬を染めて口元を押さえながら叫んだ。


「普段は凛として美しい黒鳳蝶が可愛らしい! そんな表情もするのね……! 素敵。描きとめたいわ! ああ、どうして今ここに紙がないのかしら! 誰か私に紙と筆を!!」

「これを使うといい」


 サッとスケッチブックと鉛筆をフランシスに差し出したセリオンに、ぱあっとそれはそれは素晴らしい笑顔を向けた。


「ありがとう! セリオン殿!」

「っ……!!」


 あ、倒れた。


 フランシス以外の心の声が重なった。

 胸を押さえて反対を向いて突っ伏したセリオンに、ゼノもこれは大人しく認めるしかないと流石に思った。フランシスの挙動に一喜一憂し、今その笑顔を見て顔を真っ赤に染め上げ胸を押さえて動けずにいる。

 これが恋する男でなくてなんだと言うのだろう。

 隣で大変な状態になっているセリオンの事など気づいていないのか、フランシスは早速筆を走らせている。


「こんな年増を捕まえて、可愛らしいなどとはお戯れがきつうございますわ」


 フランシスの態度には慣れているのか、突然スケッチし始めた事に黒鳳蝶は驚きもせず、可愛いらしいと評されたことに戸惑っているらしい。確かに、黒鳳蝶を飾る言葉には美しさや妖艶さ、艶やかさといったものは数多くあれど、少女に向けるような可愛さという言葉はついぞ聞いた事がない。戸惑うのも当然だ。


「あら。女性はいくつになっても可愛いものよ。普段キリッとした人の拗ねる姿なんて、天井知らずの可愛さよ! ねえ、ゼノもそう思うでしょう?」

「俺に可愛いを聞くな」


 即座にそう返してリタ達から目を逸らす。女性のこういった話には首を突っ込まないことにしているのだ。


「セリオンの所に行くのが不安なら、そこにリタもついときゃどうだ? お前さん魔剣が作ったあの空間を割ったよな? 万が一の事があっても対応出来るだろう。通り魔は俺一人で問題ねえ。アッカードもいるからな」


 それに、何かあったときにセリオンが暴走しないとも限らない。

 ゼノが一番心配しているのはその点だ。魔剣と色付き魔族がぶつかれば周囲への影響が計り知れない。ややもすると第三盟主も出てくるだろう。

 いや、絶対に出てくる。


 流石に第一の側近とやり合う事はないだろうが……


「それは魅力的ね! でも、アイツの側にいる彼女の事も気になってるの」


 キャシーの事か。

 すぐに誰のことだかを理解して、だがゼノは眉根を寄せる。

 誰も彼をも気にかけるのはリタや——フィリシアのいいところでもあり悪い癖だとも思う。救える者は一人でも多く救いたいという志は立派だが、救えないと確定している者は早々に諦めて欲しい。

 それで傷つくのはいつだって彼女達だから。


「お前さんがいてもいなくても罪は変わらねえ。それに、わかっててアイツに付いてんだから諦めろ。相容れねえ」


 切り捨てろ、と言ってやればリタはぎゅ、と唇を噛み締めた。

 リタとてわかっているのだ。キャシーの説得などあり得ない。彼女にとって最早事の善悪などどうでもいいのだ。あの偽物と——エドの側にずっといる事こそが彼女の願いであり望みであるというのなら、周囲が何をどう言おうと聞きはしない。

 破滅するなら共に。

 そう腹を括っている相手の事までリタが気にかけてやる必要はない。

 故に、通り魔とリタを引き離す意味でもいい案だとゼノは思っている。


「第三盟主がそっちに興味を示す事はねえ筈だが、油断するなよ」

「……わかってるわ」

「それでいいな、セリオン。お前も三人をしっかり守れよ。暴走しようもんなら許さねえぞ」


 未だ畳に突っ伏しているセリオンに脅しのように声を掛ければ、ふらふらと上体を起こしてこくりと頷いた。


「……勿論だ。任せてくれ」

「あら、セリオン殿は暴走なんて絶対にしませんわ」


 スケッチしながらもこちらの会話は耳に入っていたらしい。フランシスが視線は黒鳳蝶とスケッチブックに固定したまま、いやに自信たっぷりに断言する。


「セリオン殿を高位魔族だと知らない評議員のメンバーにどんな失礼な事を言われても相手にしてませんでしたし、父も信頼していますわ。それに、ここ花街でも女将連に寄り添い力を貸して下さっているのは私も知っていますし、彼がこの地域の魔族をちゃんと統制しているから被害が激減したと聞いていますもの。セリオン殿を頼りにこそすれ、危険視はしていませんわ」


 とセリオンに微笑みかけた後に、ねえ、と女将に同意を求める。それがトドメになった。


 あ、倒れた。

 言ったフランシスはその後はスケッチに集中していて見向きもしていないが、信頼の言葉と共に微笑まれたセリオンは再び畳に突っ伏し、ぴくりとも動かなくなった。

 その様子にリタが目を輝かせている。


 ……ああ、まあ、うん。そうだな。このセリオンがフランシス嬢に迷惑をかけるような事はしねえだろうな。


 リタもつけときゃ、勝手に色々仲良くやるだろう。

 そう結論づけて頭をガシガシとかいた。

 背後からひしひしと感じる黒鳳蝶からの恨みがましい視線はまるっと無視して——


 

 * * *



 キャシーは元々、とあるパーティで冒険者をしていた。

 キャシーの実力はC寄りのBだったが、パーティそのものもランクが低くメンバーは似たり寄ったりの実力だったので特段困る事もなかった。

 ただ、人間関係は非常に微妙だった。

 リーダーである男は女好きのイケメンで、パーティメンバーの女性冒険者は彼のお手付きばかりだと言っていい。キャシーはそこに加わってはいなかったが、所構わず行われる過度なスキンシップや痴話喧嘩に辟易していた。依頼の完遂が危ぶまれ、キャシーともう一人の男性メンバーでなんとか対応したということもちょくちょくあった。


 これならソロでやった方がマシよ。


 元々寄せ集めのパーティだ。一人では受けられない依頼を受けるために組んだだけで未練も義理もない。

 むしろ依頼を真面目にこなすのはキャシーともう一人なのに、報酬は均等に分配されるなんて馬鹿げている。

 脱退する、と言ったキャシーに待っていたのは、凄絶な私刑(リンチ)だ。

 殴られ、縛り上げられた後、閉じ込められて陵辱され続けた。

 リーダーはもちろん、キャシーの味方だと思っていたもう一人のパーティメンバーの男にも、そしてあろうことか他のパーティの冒険者達にまで慰み者にされた。

 彼らはこれまでにもソロや女性だけの冒険者パーティを取り込んでは、同じようなクズ冒険者達を相手にこんな商売をしてきたらしい。

 冒険者としてのランクを維持するために、商品としてはイマイチでも真面目な者を定期的にパーティに入れて依頼をこなし、不要になったら商品として使う。そして使い潰したら少し難しい依頼を受けて、依頼失敗の理由と共に殺してうち捨てて行くのだ。


 身も心も踏みにじられボロボロになったキャシーを森の中に捨て、トドメも刺さずにゲラゲラ笑いながら去って行く元パーティメンバーを、絶対に復讐してやる、とその瞳に激しい怒りを浮かべて睨み付けた。


 何が何でもこの森から抜け出し、アイツらに復讐してやる……!とよろよろと立ち上がった。武器はもちろん没収されているが、身体を縛らなかったのは死体に不自然さを残さないためか。


 だが、馬鹿にして!と歩きだしたキャシーの前に現れたのは、不要商品を始末するための殺人狂のパーティだ。

 うち捨てた商品が生き残ると色々面倒ゆえに、「好きになぶり殺していいモノ」として最後は彼らに売るのだ。

 あまりの周到さに反吐がでる。

 生き延びようと必死で逃げて抵抗を試みるも、食事も制限されボロボロの身体で出来る事などたかが知れている。また彼らはキャシーのように必死で抵抗する獲物を弄ぶことを喜ぶ。抵抗すればするほど喜ばれるのだ。

 追い詰められた悔しさで顔を歪ませるキャシーに喜色を浮かべ、今から部位ごとに斬り刻んで楽しもう、と下卑た笑い声をたてた冒険者達こそが真っ二つにされたのはその直後。


 上がった血飛沫の合間に見えた金髪。

 あっという間に惨殺された冒険者達と、それを為した男を呆然と見つめる。


「大丈夫か?」


 造作の整った男に心配そうに顔を覗き込まれても、身体がびくりと震える。

 キャシーを心配するようにそう声をかけてきた元パーティメンバーの男に、助けてと縋った後に地獄に叩き落とされたのはつい最近の事だ。

 絶望する顔をした女じゃないと興奮しない、とくだらない性癖を暴露してキャシーを滅茶苦茶にした男も、結局はリーダーと同じくクズだったのだ。

 どいつもこいつも信用出来ない、と警戒を見せたキャシーに気を悪くすることなく、その男は柔らかな微笑を浮かべてゆっくりと頷いた。


「もう大丈夫だ。何も心配することはない。——ツラかったな」


 そう優しく言われて差し伸べられた手を、キャシーは無言で見つめた。

 この手を取って大丈夫なのか。

 またキャシーを更なる地獄へと導く手ではないのか。

 躊躇ったのは一瞬。


 ——大丈夫。


 誰かに背を押された気がした。

 なんの心配もいらない。ウィンスレッドに任せておけば大丈夫だと優しく抱きしめられた気がした。

 彼が紅牙の剣のメンバーでもあるウィンスレッドで、彼らはあのクズパーティを始末するためにギルドから秘密裏に依頼を受けてきたのだと知り、キャシーは心底安堵した。

 身体の傷はパーティの魔法士であるシルビアが癒やしてくれたし、心の傷はウィンスレッドによって癒やされた。

 ギルドに突き出す必要があるから五体満足でいないと、と言ったリーダーのルシオの言葉を無視して、キャシーのためには必要なことだと、斬り刻んでくれたのはウィンスレッドだ。さすがに命までは取らなかったが、治癒魔法でも治せないほどの傷を負わせてくれたのは嬉しかった。


 大丈夫。キャシーの事は何があろうとも俺が守ってやる。

 それは恋愛とかそういった気持ちではなく、仲間を助けようとするウィンスレッドの信念であると理解したキャシーはウィンスレッドに傾倒していった。ウィンスレッドのことを信じ、彼だけを頼り、彼に盲目的な献身をした。

 キャシーを救ってくれたのは、紅牙の剣ではなくウィンスレッドなのだ。

 キャシーの世界では、彼だけが英雄だ。

 たとえ世界が彼を偽物と罵り貶めようとも、キャシーにとっては彼だけが正義だ。

 故に、彼を悪と定義するこの世界になど興味はなかった。

 どうなろうが構わない。むしろ、滅んでしまえばいい。


 ——(いさぎよ)いね


 そう声をかけてきたのが何者かなど興味はない。ただ、とても魅力的な提案だった。


 ——彼に相応しい剣があるんだけど、使ってみるかい? 上手く使えば、君の望みどおり彼を偽物扱いする連中ぐらい一ひねりだよ。ただまあ、ちょっと癖が強くて、自由に扱おうと思ったら定期的に餌を与えなければならないんだけど。


 人では持ち得ない美貌の持ち主は魔族だという事はわかっていたが、ウィンスレッド——エドをキャシーの元に連れてきてくれるというのであれば、それが魔王だとしても躊躇いはなかった。

 今度は私が彼を助けてあげる番よ。エドを助けられるなら、なんだって出来るわ。

 キャシーはその魔族の言葉に従い、指示された場所に赴き魔剣を引き抜いた。引き抜いた瞬間に何者かの意思に飲み込まれそうになったが、これをエドに渡すのがキャシーの役目だ。

 魔剣を引き抜いたキャシーを見て満足そうに頷いた魔族は、約束どおりエドをあの監獄から出してくれた。


「エド……! もう大丈夫よ。私がずっと側にいるから! 誰にもあなたを傷つけさせたりなんかしないわ!」


 エドの傷だらけで酷く憔悴しきった姿に思わず涙を零しながらキャシーは抱きしめた。

 監獄では鞭打ち刑と労働が科せられていたのは知っている。労働が科せられているならば、他の受刑者達と顔を合わせる機会もあった筈だ。そこで暴力が振るわれても見て見ぬフリをされていると魔族の男が教えてくれた。なにより、見た目は整ったエドは屈辱的な仕打ちを受けたらしい。

 その屈辱はキャシーにはよくわかる。かつて自分が経験した屈辱だ。


 よくもエドを……っ!!


 激しい怒りが膨れ上がり今にも爆発しそうになった感情が、魔剣に吸い込まれるように流れ込んでいく。不思議とその感覚は心地よい。そしてキャシーの怒りを吸い込んだ魔剣は、深く傷ついたエドの身体と心をたちまちのうちに癒やしていった。

 その瞳に光が宿るのをみて、キャシーは喜びに打ち震える。


「……! エドっ……!!」


 このままエドを傷つけた監獄を壊してやりたかったが、まだエドの身体が本調子ではなかったのだ。

 復讐するには力がいる。


 魔剣に、餌を食わせればいいんだよ。


 魔族の男はそう、キャシーに囁いた。

 魔剣に餌を。人の魂を与えればいい。それも普通の人ではない。怨みや怒り、憎しみといった負の感情が大きければ大きいほど、魔剣の力が強くなり、魔剣そのものの力も解放されていくだろう。


 そう教えられるまま、そういった獲物を求めて二人は彷徨った。

 魔剣が反応するので餌を見つけるのは容易かったが、そういう感情を多く持つ者は都市部に多く二人ではなかなか足を踏み入れられない。リタが開示したアーケイシアレコードのせいで、エドの顔は人々に記憶されているからだ。忌々しいことに髪型や色を変えて変装しても、目をあわせれば自然と頭に浮かぶ仕組みになっているらしく、相手があれ?という顔をするので迂闊に近寄れなかった。

 二人にとって幸運だったのは、ちょうど餌として目を付けた盗賊が、馬車を襲っていたところを倒したことだ。助けた形になった馬車はキャスタ王国のライツ商会のもので、随分と高価な物を運んでいたらしく非常に恩を売れた。


 何よりキャシーが気に入ったのは、盗賊はこのライツ商会に騙され強い怨みを抱く者達で、ライツ商会がクズが多いという点だ。これならば商会に怨みを持つ者が湧いて出て餌には困らないに違いない。

 お前達に怨み持つ者をことごとく消し去ってやる、と持ちかければ一も二もなく同意するぐらいには、アンノデスタ支店長のウェルゼルは計算高くクズではあったが。


 そうして今日、盗人まがいの事を依頼され実行してきたところだ。

 魔剣に力が蓄えられつつあり、空間を隔離することも出来るようになったのを確認するためでもある。外からは見えずに立ち入る事も出来ないのを確認出来たので、これで斬れる範囲も広がり、もっと効率よく餌を集められるようになるだろう。


「……あの女は打ち破ったけれど」


 ぎり、と親指の爪を噛みながら眉根を寄せる。

 エドを罪人にしてキャシーの幸せをぶち壊したリタとゼノがこの街に現れたことが忌々しい。


 またあたしの邪魔をする気なのね。


 あの二人を斬り刻んでやりたいが、残念ながら魔剣は二人を餌とは認定しなかった。清廉潔白でお優しい御使い様とやらは、きっと怨みや憎しみと言った感情からはほど遠い生活を送っているに違いない。あの剣聖にしてもそうだ。あれだけ強ければ悔しさや怨みなんかを感じたことなどない筈だ。

 世の中不公平だ。

 持っている者には様々な救いの手も差し伸べられ、運すらも味方する。

 持たざる者は運にすら見放されるというのに。

 忌々しい。

 幸せな立場にいるから、人に手を差し伸べる余裕があるのだ。

 いい気なもんね。あたしと同じ立場になっても同じように出来るかしら?

 ああ、あの綺麗な顔を苦痛に歪めて同じような屈辱を味わわせてやりたい。


 ガリガリと親指の爪を囓っていたら、ふいにその手を取られ、口づけられる。


「エド……」


 心配そうにキャシーの顔を覗き込み、ぐいと抱きしめられた。


 大丈夫だ。何の心配もいらない。


 そう宥めるようにポンポンと背を叩かれ、幸せで胸が苦しくなってエドの背に腕を回してぎゅっと抱きしめ返す。


 ——身体の傷は癒えたが、エドは声を失った。


 もう、かつてのようにキャシーの名を呼んでくれることはない。けれども、その代わりにこういったスキンシップが多くなった。

 それがこの上なく幸せだ。

 エドだけいればいい。他の者なんか、みんなみんな魔剣の餌になればいい。


「それには、まずはあの男」


 エドの胸の中に顔を埋めながら、キャシーは眦を吊り上げてゼノの顔を思い浮かべる。


「それから、あの御使い」


 キャシーの邪魔をしそうなあの二人だけは必ず魔剣の餌にしなければ。

 そのためには、もっともっと餌が必要だ。

 餌を集めて魔剣の力を強くさせすれば、エドはあの二人になんか負けはしない。


「エドとあたしが幸せになるために、魔剣をもっともっと強くして、今度こそあの剣聖と御使いを屠ってやりましょう。——大丈夫。エドなら出来るわ。だって、エドはあたしの剣聖だから」


 ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めて囁けば、エドの身体が——魔剣がぶるりと怪しげな光を纏って震えた。

 


 



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