(十四)魔族からの相談
通り魔を取り逃がした翌日の朝、黒蝶屋にモントーレという娼館のオーナーがゼノを訪ねて来ていると黒鳳蝶から聞き、ゼノが嫌そうに顔を顰めたのを見てリタは小首を傾げた。
「知り合いなの?」
「モントーレは淫魔ばかりがいる娼館だ」
「ああ、昨日の淫魔が所属している四丁目の」
ならばオーナーも魔族に違いない。
ゼノが顔を顰めた理由に納得して頷いたら、黒鳳蝶の背後に控えている少女達がパッと顔を輝かせた。
「わたし、セリオン様は好き」
桜花という名の少女が嬉しそうにそう言えば、その隣の梅花という名の少女も袂で口元を隠してうんうんと同意する。
フィーアと同じ歳の二人は、黒鳳蝶について作法を学んだり細々としたおつかいや世話を行う少女達だ。
「……魔族なんでしょう?」
随分と好意的な表情に昨日の淫魔を見たリタからすれば腑に落ちない。彼女は紛うことなき魔族の性質を秘めていた。
「あの御仁は花街の女性を中心に大層な人気をお持ちですから」
納得いかなさそうなリタに、黒鳳蝶がふふ、と笑う。
その笑顔にうっとりしてから、隣に座るゼノを仰ぎ見た。
美しい螺鈿が施された黒い長方形の座卓に、リタとゼノが隣同士に、その正面に黒鳳蝶が座している。
「知り合い?」
再度尋ねれば、まあな、と嫌そうな声が返る。
「魔族にしちゃあ変わり者だ。人のようにわざと年食って定期的に死んでる」
「え? どういうこと?」
定期的に死ぬってなに。
疑問顔のリタにどう説明するかと、頭をガシガシとかきながらゼノが思案する姿に、黒鳳蝶がふふ、と笑った。
「セリオン殿は人に擬態して人のように生き、人としての一生を終えたら、また新たな人として子供からやり直すという、酔狂な事をおやりになる方でございますよ」
「は? なにそれ? どうしてわざわざそんな事を……」
定期的に死ぬとはそういう事かと納得しつつも、それをやる意味がわからない。
「変わり者のやる事なんざ、理由を聞いたって理解できねえよ」
「随分とつれない事を言う」
呆れたように吐き捨てたゼノの言葉に、どこか拗ねたような声が返って、リタはぎくりと身体を強張らせた。
気配なんかなかったのにと、緊張した面持ちで声のした方へ目を向ければ、スラリと障子戸が開いて、涼やかな目元の美丈夫が風呂敷を手に立っていた。その後ろには黒蝶屋の女将もいる。
「ゼノは相変わらず魔族には冷たいね。皆が皆敵ではあるまいに」
「敵しかいねえよ」
馬鹿言うな、とややキツめの口調で返したゼノに、やれやれと肩をすくめる姿も人と変わらない。第三盟主も人っぽい仕草をよくするが、それでも人と同じとは思わなかった。それは人が持ちえない美貌のせいでもあったが、何より存在感が根本から違った。本能が、上位の生物として認識し無意識に警戒心を呼び起こすのだ。
だがセリオンからはその圧倒的な存在感がまったく感じられない。
それよりもなによりも……
ごくりと唾を飲み込み拳を握りしめる。
魔族の気配が、全然ないのはどういう事……!?
お姉様は魔の気配はなかったけれど、その圧倒的な美貌と色香が人のそれとは違ったからわかるけれど……
ゼノは盟主クラスなら魔の気配は消せると言っていた。ならば彼は盟主に匹敵する色付き魔族だというの……!?
警戒心も露わに見据えるリタに気づき、セリオンは目に喜色を浮かべてリタに向けて微笑みかけた。
「ああ、彼女が御使いだね。会えて本当に嬉しいよ」
「っ!?」
魔族とは思えない反応に、リタの警戒心がいや増す。
身構えたリタに、ああ、怖がらせてしまった、と眉尻を下げて困ったような表情を浮かべるセリオンはとても魔族には見えなくて、魔族なの?とゼノに視線で問う。
「間違いなく魔族だよ。それも想像通り色付きだ。確か第一の側近だったよな?」
「え!? 第一盟主の側近なの!? ベルガントと同じ!?」
だとするならば、随分と傾向の違う側近だ。
「彼に会ったことがあるのかい? だったら警戒するのも頷ける。だが、私は別に人を傷つけようとは思っていない。御使いと敵対する気もないから安心して欲しいな」
秀麗な男に人好きのする笑顔を浮かべてそう言われても、色付き魔族だと知った後では何の企みかと、ますます警戒心が高まる。その様子にセリオンは苦笑をこぼした。
「なるほど。レーヴェンシェルツのクラスA冒険者であり魔族が恐れる聖女の力を持つ者なら、そう言われて警戒心を解くわけはないね。私の言葉は御使い殿には逆効果のようだ」
さもありなん、と気を悪くするでもなく納得したように頷くと、黒鳳蝶がゼノの正面から座卓の横——ゼノの左斜めに移動したので、ゼノとリタの正面に腰を下ろした。女将は黒鳳蝶の隣、セリオンの右斜めに腰を下ろす。
「それで、何の用だ?」
桜花と梅花が部屋の奥でお茶を淹れるのを眺めながら、ゼノが投げやりに尋ねた。
「お茶をありがとう、桜花に梅花。これはお土産だよ。ここはいいから、下がってみんなで食べておいで」
ゼノの言葉を一旦無視して、手にした風呂敷包みを二人に手渡せば、少女達は目を輝かせながら受け取り女将に目を向ける。それにふふ、と笑んで頷き返す。
「ああ、ここはいいから奥にお行き」
「あい。ありがとうございます」
「失礼いたします」
どうやら少女達がセリオンを好きなのはこうやってお土産を持参するところのようだ。それを理解したリタの中でセリオンに対する評価があがる。おまけに彼はリタの事を聖女ではなく「御使い」と最初から称しているのもポイントが高い。
いや魔族だが。
「まぁ、まずは自己紹介をしようか。御使い殿とは初めまして。今ゼノが言った通り、第一盟主と呼ばれる尊きお方に仕える藍白を纏う魔族だ。今生はセリオン=レーヌと名乗っている」
よろしく、と微笑と共に言われれば、リタとて返さぬ訳にはいかない。
「ご丁寧にどうも。私はリタ=シグレン。レーヴェンシェルツのクラスA冒険者で、フィリシア様の御使いよ」
頬が強張るのを感じながらも、一応笑顔を浮かべる。流石によろしく、とは言えなかった。
魔族相手に自己紹介というのは妙な気分になる。だが相手に先に丁寧にされた以上、同じ丁寧さで返すのが礼儀だ。
オルタナといいこのセリオンといい、リタの知る魔族とは少々異なる性質なので戸惑う。これが色付きたる所以だろうか。
「藍白ってなんだよ。水色じゃなかったのか」
ゼノはそちらが気になったらしい。その質問にセリオンが目を輝かせたのを見て、ゼノがマズった、という顔をしたが遅かったようだ。
「いいところに気がついたね、ゼノ! そうなんだ。この世界では私の色は水色というらしいが——ここアンノデスタの花街では、色に様々な名前が付いていてね、私の色に近い青みのある白色の事を藍白と言うそうなんだ。ふふふ。我が主の色名が入る名なんて素敵だろう?」
どこかはしゃいだように自慢げに話すセリオンに、リタは目を瞬いた。纏う色の名前にそこまで拘りがあるとは知らなかった。色などただの識別で人が勝手に呼ぶ時の呼称という感覚だったのだが。
彼の感覚が人寄りなのかしら?
「ソリャアヨカッタナ」
だがゼノは明らかにどうでも良かったようで、これ以上話を広げられてはかなわないと、極めて興味なさそうに相槌を返すのみだ。
「ああ。私に数々の色の名を教えてくれた女がいてね……彼女のおかげで随分と色の名前に詳しくなったのさ」
ふふ、と笑って告げられた言葉から、敏感にその感情を感じ取ったリタの眉がぴくりと動いた。
「——まあ。それは素敵な話ね」
「おい。今はコイツの要件を聞くのが先だ」
キラリ、と目を輝かせて話を広げようとするリタに、ゼノが慌てて待ったをかける。何が、とハッキリとわかる訳ではないがとても危険な匂いを感じ取ったのだ。これ以上、この話題を広げてはいけないとゼノの勘が告げている。
「問題ないさ、ゼノ。私の要件というのもまさにその事さ」
だが無情にもキラキラとした笑顔でセリオンにそんな恐ろしい事を言われて頬が引きつる。
「通り魔の事じゃねえのかよ!」
「あんなものに興味はないけれど?」
思わず叫んだがしれっと返されて鼻白む。
「私が介入して手を下すと後々厄介な事になるだろう? なにせ私が魔族だと知っているのは花街の中でもこの黒蝶屋をはじめ限られたごく一部の者だしね。解決方法もちゃんと人が納得出来るものじゃないとマズいんだ。そんな面倒な事をしてまで手出しする理由はないからね」
何のために自警団があると思っているんだい?と至極真っ当な答えに頷くしかない。まったくもってその通りだ。魔族に解決を頼るなど今後のためにも良くない話だ。
「……情報ぐらい流してやったらどうだ?」
「ゼノがもう魔剣が関わってると伝えたんだろう? 犯人も背後に誰がいるかも明らかになったのに、私がこれ以上話す事があるかい?」
いちいちもっともすぎてぐうの音も出ない。
もっと早く伝えてやれば良かったんじゃねえのか、と反論しようとしたが、結局はゼノにお鉢が回ってくるのは決まっている。早いか遅いかの違いだ。
何も言い返せなくなったゼノに、そんな事よりも、とセリオンは笑顔を浮かべたままリタに向き直った。
「ここに娼婦以外の年頃の女性が来てくれたのは喜ばしい! ぜひ意見を聞かせて欲しい事があったんだ」
「まぁ、何かしら」
「いや、お前さん、俺を訪ねて来たんじゃなかったのかよ」
先ほどまでの警戒心はどこへやら、キラキラと瞳を輝かせるリタの様子に、多分、恐らくきっと、自分の考えるものとはまったく事なる方向の話が始まると感じたゼノが、悪あがきのように話を遮ろうと口を挟む。いつもであれば魔族の話など聞く気もないくせに、今はなぜか必死だ。
そんなゼノの様子を黒鳳蝶が興味深げに笑みを浮かべて見つめている。
「ああ、ゼノにも後でぜひ話を聞かせてもらいたいと思っているさ。でも折角だからまずは御使い殿の意見を聞きたい」
「ええ、いいわよ。どんなことかしら」
そう言いながらリタにはどんな話かが想像はついている。なにせ、先ほどセリオンが女性の事を語った時の瞳が、まさに恋する者のそれだったからだ。
そういう話なら大好物だ。
「実は、先ほど私に色の名前を教えてくれた女のことなんだけれどね。彼女に贈り物をしたいんだが、何がいいのか相談に乗って欲しくて」
「……マジでどうでもいい……」
「あら!」
やっぱり碌でもない事だった、と呟いたゼノをどん!と押しやり、目を輝かせながらセリオンの正面に陣取った。
「お礼としての贈り物? それとも」
「ああ……その、彼女から色々な事を教わったから、というのももちろんある。だがそれ以上に私が彼女に何かプレゼントをしたいんだ。彼女の喜ぶ顔が見たい」
頬をうっすらと染め柔らかな表情でどこか遠くを見つめているのは、その彼女のことを思い浮かべているのか。
セリオンの表情に満足そうに笑みを浮かべて、それは素敵ね、と大きく頷くとそうね、と小首を傾げた。
「あなたと彼女がどの程度親しいのかわからないけれど、まず第一に重さを間違えてはいけないわ」
「重さ!? 重さが関係してくるのかい!? それは初めて聞くな。どれぐらいが最適なんだ? 例えばこの湯呑みより——」
「ふふふ。御使い殿がおっしゃっているのは重量ではござりませぬよ、セリオン殿」
リタの言葉を勘違いしたセリオンに、黒鳳蝶が可笑しそうに笑い、リタも苦笑した。
「そうじゃないわ。相手にとって重荷に感じられる物を贈ってはいけないという事よ」
「重荷……例えば?」
「そうね……初めての贈り物で高価な物は避けた方がいいわ。まだ親密でなければ余計にね。その人とは親しいの?」
「……親しい……」
どうだろう、と視線を泳がせ困ったように女将を見遣る。女将は相手が誰だか知っているらしい。ふ、と微笑する姿がなかなかにあだっぽい。
「アンドリュー殿の三女、フランシス嬢だったら、他の殿方と比べればセリオン殿は親しいと言えるんじゃござんせんか。……何分、彼女は他の貴族令嬢とは違ってますんで、彼女がどう考えているかは側からはわかりかねますがねぇ」
アンドリュー。それは昨日、自警団員の口から聞いた名だ。彼らが頼りにしている風だったので、ウェルゼルとは対極にいる者だと思ってはいたが貴族だったのか。貴族令嬢となると平民とは違って国の風習によっては特別な意味を持ち贈ってはいけない物も存在しそうだ。
「フランシス嬢は、ここ花街で遊女達の絵を描いて生計をたてていてね。歳は二十五歳だったかねぇ」
へえ、とリタは目を瞬かせた。
「国によって違うかもしれないけれど、貴族令嬢といえばもっと若くに嫁がされて自立なんてさせてもらえないと思っていたわ」
平民に比べて自由がないのだと、故郷カルデラントのハイネの領主の娘、システィーヌがそう愚痴っていた。彼女も確か幼い頃から婚約者が決められていた筈だ。もっとも、ハイネは田舎なのでのんびりしていて、システィーヌも中央の貴族ほどの重責はないのだと笑っていたが。
「花街で絵を描いてる時点で普通の令嬢じゃあねえだろうさ。気い強そうだな?」
リタに突き飛ばされ、諦めたように畳の上で片肘付いて寝転がったまま、ゼノが興味なさそうに呟く。
どうでもいいが、いつの間にか黒鳳蝶がゼノににじり寄って、つい、とゼノの髪を触っていて何とも言えない気分になる。そこだけちょっと漂う雰囲気が違う。
「芯の通った娘さんでございますよ。アンドリュー殿はフランシス嬢の才能を伸ばすべく援助されていますし、彼女の描く絵はアンノデスタに留まらず売買されて、人気も高まりだしているところさ」
「フランシス嬢の絵はとても綺麗な空気感を纏っておいでで、心が洗われる心地になり申しますゆえに」
私も自室に一枚飾っております、と黒鳳蝶が絵について話してくれる。
本当にどうでもいいが、髪を弄られるのを嫌がったゼノが寝そべっていた状態から身を起こし、リタから距離を置いて座り直した。その肩を黒鳳蝶がゆるゆると揉んでいる姿にこめかみが引きつるのを感じたが、黒鳳蝶が幸せそうな顔をしているのでリタも何も言えない。
「まさしくその通り。彼女はどんなものの中にもそのものが持つ綺麗な空気感を写しとる事に長けているんだ。彼女の絵を見た時の衝撃は忘れられない」
その時を思い出しているのか、ほう、とため息を吐きながらうっとりと目を細めている。
「そうなのね。絵の道具はこだわりがあるでしょうから、欲しがっている物がある訳じゃないなら避けた方がいいわね。他に彼女の興味を引くものは何か知っていて?」
「絵の題材となる物なら何でも興味を持っているかな。——その、風景はどうだろうかと考えているんだが、どう思う?」
「風景?」
どうやら贈りたい物に目星はつけていたようで、伺うように尋ねてくるセリオンに小首を傾げる。
それは彼女のアトリエに花壇を作るとか花街の一角に花壇を作るとかそういう事かしら?
「そう! 美しいと評判の景色をそのまま切り取ってここに持ってくるんだ! わざわざ足を運ぶ必要はないし、とてもいい案だと思わないかい? ああ、やはり彼女の得意分野で活用できる物が喜ばれるんだな! それならば——」
「ちょっと待って!!」
やはり名案だ!と手を打つセリオンに、リタは慌てて待ったをかけた。止めなければすぐにでも実行に移しそうな気配に頬が引きつる。
「そんな事をすれば大騒ぎになって絵を描くどころじゃなくなるわよ! 悪くすると魔族を唆す者って糾弾されるわ! 重いどころじ済まない話よ! 大迷惑だわ!」
考える規模が滅茶苦茶だ。というよりも、景色をそのまま持ってくるなんてそんな事が可能なのかと、改めて色付き魔族の力に慄く。
「大迷惑か……」
リタの叱責にしゅん、と肩を落とすセリオンに、確かに感覚が人とは異なる魔族なのだと納得せざるを得ない。
「それをやると、セリオン殿が色付き魔族だということも公に知られることになりましょうね」
女将にも呆れたようにそう言われ、ますます肩を落とす。
「とにかく」
仕切り直すためにコホンと軽く咳払いをしてふぅと息を整える。
「人の常識から外れるような贈りものは、重い以前の話よ。迷惑にしかならないから絶対にやめてちょうだい」
「わかった」
しおらしく頷く姿はとても魔族には見えなくて調子が狂う。ただ、本気でフランシス嬢のために何かを贈りたいのだという気持ちは理解できた。
「初めての贈り物なら、もっと小さくてありふれた物でいいのよ。例えば——そうね。彼女はどんな髪型? 絵を描くときに髪が邪魔にならないように束ねたりしていないかしら?」
「髪——彼女は絵を描くときにはターバンで髪が前に落ちてこないようにしている。背中までの長さの髪は絹のようにまっすぐで艶めいていてとても美しい。彼女自身はその髪色が枯葉色で気に入らないと嘆いているが、私からすれば色づく森を想起させ穏やかな温もりが感じられて落ち着く色味だ」
尋ねてもいない事までうっとりとした表情で語りだすセリオンにゼノは顔を顰め、リタは満面の笑みで何度も頷く。
女性が劣等感を感じている箇所を褒める姿はリタの中ではポイントが高い。
「それはぜひ本人に伝えてあげるといいわ。そういう事なら、ターバンや髪留めを贈るのはどう? いくつあっても困らないし、普段使いしてもらえる可能性があがるわ。贈り物は使って欲しいでしょう?」
「勿論だ! ああ、でも喜んでさえくれるなら使われなくたって構わないんだ。……いや、でもそうか。そういう物なら私が選んだ物を彼女が身に纏うという事か……それは何と素敵な事だろう! ロンダリオからは顔料の元になる岩とかモデルとか絵を描く空間だとかがいいとアドバイスをもらっていたから盲点だった!」
はしゃいだような声をあげて喜ぶセリオンの口から、聞いた事のあるような名が飛び出してリタは笑顔のまま固まった。
「……誰、ですって? 誰にアドバイスをもらったの?」
「知っているかな? ロンダリオ。ロンダリオストフェジーさ」
「ロンジー?」
「ロンジーか」
リタとゼノが嫌そうに顔を顰めるのを見て、笑顔で小首を傾げる。
「ゼノはともかく御使い殿も知っているんだね? そう、彼だよ。第五盟主の側近だね」
「……彼と親しいの……?」
途端にセリオンが胡散臭く見えてくるから不思議だ。あの犯罪臭漂う本来は色付きだという魔族に相談を持ちかける時点で何か色々間違えている気がする。
「まあ相談をするぐらいには。彼は贈りものを選ぶのは上手いんだ。彼が慕う第五盟主には、よく実験で使うひ——んんっ、実験に活用出来る物を贈ってとても喜ばれているからね」
今、実験で使う人って言いかけなかった……?
ぴくり、と瞬時に眉根を寄せたリタに気付いて慌てて言い直したが、第五盟主は研究するのが好きな魔族で、自分の実験材料に目印の紋をつけていたぐらいだ。その彼に実験材料を提供するというのは、まあ確かに彼への贈りものとしては理にかなっている。間違ってはいない。贈りものとされたものはとても許容出来そうにないが。
「ロンジーのクソバイスなんか綺麗に忘れなさい。魔族同士の贈りものならともかく人には適用されないわ」
幸いだったのは、実際にはまだ何も贈っていないことか。既に取り返しのつかない状態じゃないのは良かったというべきかもしれない。
やっぱり魔族と人の感覚って大きく異なるのね。
それならばフランシス嬢に迷惑がかからないようリタがコントロールせねばなるまい。
「そうなのか……ああ、でも確かに最近会ったときは様子がおかしかったから、そんな誤ったアドバイスになってしまったのかな」
「アイツの様子はいつだっておかしいだろうがよ」
「少年に執着するただの危ない魔族じゃない。その点だけは第五盟主に同情できるわ」
遺跡の塔で第五盟主が遠い目をして思わずリタに本音を零すほど、ロンダリオストフェジーを嫌がっているのを見ている。あの変態チックな男が始終側に張り付いているというのは、第五盟主の少年の外見も相まってリタも素直に同情する。
「そうかい? 自分より力のない色付き魔族を守護して愛でているのはなかなかの献身だと思うんだが」
「力ある者のただの嫌がらせだわ。第五盟主はロンジーが目の前から消えてくれるのが一番幸せだと考えている筈よ。あなたもフランシス嬢にそう思われないように気を付ける事ね」
ロンジーのあの態度が素晴らしいものだとセリオンが考えているのなら要注意だ。人同士でもあれはいただけない。それを力あるセリオンがフランシス嬢にやるというのなら、リタは贈りものどころかここで始末しておかねば、と冷ややかな殺気を纏って睨み付けた。
「やらないよ! 彼女を前にあんな大胆なことは出来ないさ!」
大慌てで手を振りながら叫ぶセリオンに、くすくすと黒鳳蝶が笑った。
「ご安心なさりませ、御使い殿。セリオン殿はフランシス嬢の前ではからきしで、借りてきた猫のように可愛らしくなりなさる。目も合わせられずにいらしゃるのですよ」
「——本気なのね」
まあ、と瞬時に殺気を消し去って、頬を押さえてキラキラと瞳を輝かせたリタに、セリオンはう、と詰まって視線を泳がせて挙動不審に身体を動かす。
随分と初心な反応に、ロンジーへの認識にマイナスに振れた好感度が一気にプラスに振り切った。
あらあらあら、いいじゃない! そうよね、ロンジーの意見だけだと不安だから、人である私に意見を求めにきたのだものね! 好きだからこそ慎重になってる訳よね!
自分の判断だけで動いていないところが、魔族だからこそ好感が持てる対応だ。
室内にいるリタをはじめとした女性陣が、非常に好意的にセリオンを眺めている様子に、はん、とゼノが鼻を鳴らした。
「魔族が本気で人に恋する? それこそ信じられねえな。てめぇらと俺達は存在も考え方も相容れねえ。人のフリして生きてきて、人のように擬似恋愛も試してみたいって腹か? 胡散臭え。何が狙いだ」
室内に漂うほんわかした空気を斬り裂くように、ゼノがセリオンに向けて鋭い殺気を叩き付けた。
——そうだった。ゼノは魔族の恋心を否定していたわね。
ルーリィの言葉も完全否定していた。さすがに花街で見掛けた淫魔達とは扱いは違っていたけれど、明確に線引きしている。両親が魔族を信用した後に殺されたことや、幼い頃からラロブラッドであるゼノを狙ってあの手この手で近寄ってくる魔族のせいで、絶対に魔族を信用しないのだ。
敵対しなくてもいい。けれど、根本のところでは信用するな。
そう言われた。けれど。
「狙いなんかないよ! ただ本当に、フランシス嬢に喜んでもらいたいだけで……彼女に酷い事をする気なんか微塵もない!」
「どうだかな。魔族が信用出来るか」
「ゼノ殿」
どこか窘めるような女将の言葉に、だがゼノはジロリと女将を睨み付けた。
「ここで何があったのか忘れたとは言わせねえぞ。魔族を絶対に信用するな。コイツらは根本的に俺達とは違う」
ピシャリと言い切られ、女将も口を噤んだ。
「あの魔族の所業は女将も私も忘れてはおりませぬ。あの後この街の魔族を抑えてくださっているのはセリオン殿です。それに……想う気持ちは同じではござりませぬか?」
「そんなもん、第一の領域で野良魔族にデカい顔させねえための都合だ。例え想っていたとしても、根本から相容れねえ。価値観も考え方も構造だってまったく違う。そもそもその令嬢はこいつが色付き魔族だと知ってんのか?」
ゼノはにべもない。
「彼女はアンドリュー殿のご息女だからね。もちろん、セリオン殿の正体は知っているし、それに動じない肝の座ったご令嬢だよ」
その点については女将が心配ないと口添える。
リタはこの花街で過去に何があったのかをもちろん知らないし、昨日の淫魔を見る限り、ゼノの言う事はもっともだと思う。自らの欲望に忠実なああいった輩に信用は置けない。
けれど、ルーリィや目の前のセリオンから感じるゼノやフランシス嬢を想う気持ちに嘘は感じられなかった。ルーリィは我が儘な態度を見せているが、それでもゼノが本気で嫌がることはしない筈だ。恐らくセリオンも。
フランシス嬢に何を贈れば喜んで貰えるかと、リタにわざわざ相談にきたセリオンがフランシス嬢の困る行動を取るとは思えない。
なにより。
「私は彼の想いを信じたい」
フランシス嬢がセリオンの正体を知っているなら、なおのことリタは彼の想いを無理に抑え付けたくはない。
「甘いって言ってんだろ」
「そうかしら? ——だって、私達は知っている筈よ」
まだ言ってんのか、とジロリとリタを睨むゼノに、リタは臆することなく見据えてそう告げた。訝しげに眉根を寄せるゼノに不敵に笑って、ポンと魔法鞄を叩いてみせた。
「?」
「これをくれたのは誰?」
「誰って、そりゃあ……」
デュティだろ、と声に出さずに呟き、それがなんだと首を傾げる。
鈍すぎる。
「ここまで言ってもわからないの? 今何の話題してるかわかってる? ほんとに戦闘以外には頭が回らない脳筋ね」
「言い方!」
流れるようにけなしてやってもまだわからないらしい。それとも例外すぎて頭から抜け落ちているのか。
ムッとした顔で睨んでくるゼノに、はあぁ、と大袈裟にため息をついてみせてから「フィリシア様」と端的に伝えた。
「フィリシアがなんだよ」
「はあ!? これでもわからないって、ゼノの中では狼だか鳥だかの扱いなの!?」
「——あっ……」
ようやくそこに思い至ったらしい。
愕然と。
言われて初めて気付いたと言わんばかりに、愕然とした表情で目を見開いて固まったゼノに、リタは呆れるしかない。
そう。
魔王と聖女の恋。
それは正しく成就し、ディルフィリートという息子まで存在するのだ。そしてなにより、アルトは今でもフィリシアを想っていて、フィリシアのためなら尽力を厭わない。
魔族であっても、人を愛し慈しむ心があるのだと、アルトが証明している。
そもそも二人が恋仲だったと言ったのはゼノで、二人の恋が成就した事に喜びをみせていたくせに、アルトが魔王であり魔族であるという事実をすっかり忘れているとはどういうことか。
魔族と人との恋愛に前世のゼノは忌避感がなく、今世のゼノは忌避感を持っているということなのかもしれないが、今世のゼノもフィリシアとアルトの仲は否定していないのだ。
その事にゼノ自身も気付いたようで、愕然とした表情のまま頭を抱え込んだ。
「頭から否定出来ないって、これでわかったわよね」
ふん、と鼻を鳴らしながらゼノを一刀両断し、くるりとセリオンに向き直った。
「あなたが本気だというのなら、私は否定しないわ。けれど、フランシス嬢に振られたなら大人しく引くのよ。無理矢理に自身の想いを押しつけ彼女を手込めにしようとしたなら、あなたが何者であろうとも私は必ず八つ裂きにしてやるから」
「誓ってそんな事はしないとも!」
殺気を込めて恫喝するリタに、セリオンが人っぽく慌ててみせながら叫ぶ。
「ならいいのよ。彼女に贈りものをすることも、愛を囁く事も彼女が幸せになることなら止めないわ。むしろじゃんじゃんやればいいのよ! 助言ならロンジーじゃなく私や他の女性を頼りなさい!」
ころりと表情を変え、笑顔でどんと胸を叩いて宣言したリタに、セリオンは驚いたように目を見開き——ついで、ふわりと嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ありがとう」
その心底嬉しそうな笑顔にリタもにっこりと笑顔を返した。
呆然と頭を抱えたままのゼノの背後で、黒鳳蝶と女将が微妙な表情で目を見交わした。
「……八つ裂き……」
セリオンが色付き魔族だと承知のうえで、臆することなく物騒な言葉を放ったリタにこそ、二人は慄いていたのだが、幸いにもリタは気づかなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。




