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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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(十二)齎された情報



 使われたのが魔剣で、魔力が感じられたのなら探知も出来るだろう、とのアッカード言葉に遺体から魔力が感じられたのも今回が初だと聞いてリタは眉根を寄せた。傷口が見えなかったことと言い、犯人が魔剣を使いこなせるようになったのは間違いなさそうだ。

 探知が得意なアッカードが今は魔剣の魔力が感じられないと言うので、なんらかの手段で遮断しているとみていい。それが鞘なのかはたまた別の手段かはわからないが、犯人が魔剣についてある程度の知識を持っている事が伺える。

 これまでの傾向から日中は動かないだろうということで、ゼノとリタは一旦、黒蝶屋に戻って来た。夕方に花街の中心に近い場所にある自警団の詰所を再び訪れる予定だ。

 ゼノと二人きりになったところで、リタは座椅子で寛ぐゼノにチラリと目を向けた。


「……聞いていいのかわからないんだけど」


 そう前置きして口を開けば、ゼノは座椅子に背を預けたまま、片眉をあげて顔だけリタに向き直る。


「あの場で得た情報は、それほど驚く事だったの?」


 言葉を濁したが、それがアーケイシアレコードの事だとゼノにも伝わったようだ。ゼノは考え込むように眉根を寄せ、それから無言で天井を睨みつけた。しばらくその状態でじっとしたまま身動きしない様子に、リタは慌てたように手を振った。


「無理に話さなくていいわ。ただ、ゼノが随分と考え込んでいたようだったから、ちょっと気になっただけ。あそこで得た情報は軽々しく口にすべきものじゃないのでしょう?」


 強要するつもりはないと告げれば、いや、とゼノが緩く頭を振ってゆっくりと背もたれから身体を起こす。


「確証は持てねぇことだが……そうだな。お前さんがどう考えるか聞いてみてもいいな。俺はどうやら勘違いしていたみたいだからな」


 身体ごとリタに向き直ったゼノの言葉に、リタが小首を傾げる。


「勘違い?」


 ああ、とゼノは小さく頷き躊躇うように座卓に置かれた湯呑みに視線を落とす。


「リタは……箱庭の名前って知ってるか?」


 問われた内容に軽く目を瞠り、それからすっと背筋を伸ばす。

 それは、かつてあの場でハインリヒに教えられたものだ。彼からは名前の由来を問われ、その情報でアーケイシアに絡まっていた大量の情報の糸が整理されるという、重要情報だった。


「——ええ。前世の、私たちの女神様のお名前でしょう?」


 少し緊張した面持ちでそう答える。


「おかしかねえか」


 すぐさまゼノに問い返され、リタは目を瞬かせた。


「そう、管理者が開示したのでしょう?」


 ハインリヒからはそう聞かされた。


「じゃあ、箱庭の管理者って誰だよ」

「誰って……デュティ、よね?」


 デュティは管理者としての名だとディルフィリートが話してくれたが、管理者であるが故に箱庭から外には出られないのだとも話してくれた。昔はアルトだったらしいが、今はディルフィリートが管理している。


「あの箱庭を作ったのは?」

「それはアルトだと、本人が話してくれたわね」


 そうだ、とゼノに頷かれて、リタもその違和感に気付いた。

 あの箱庭はこの世界の魔王の闇が広がらないよう、また魔王の呪いを受けたブルグの住人達の魂を浄化するために、アルトが細心の注意を払って築きあげた箱庭だ。魂の浄化にフィリシアが力を貸している筈だが、そこに女神様は関係していない。 


「……どういうこと? じゃあどうして女神様の箱庭って……」

「それで、昔の事を思い出すっつぅか、考えていたんだがな。その名を俺に教えてくれたのは、狼デュティ——アルトだった筈だ」


 ゼノがその名を知り得たとするならば、ノクトアドゥクス、アザレア、あるいは箱庭のデュティからしか考えられないのは確かだ。


「アルトが? アルトがあの箱庭の名は女神様の箱庭だと言ったの?」

「その時ぁ、俺はそう思ったんだ。それがあの箱庭の名前だと」


 二百年以上も昔の話だから、記憶も曖昧で細かなところは覚えていないが、間違いなく狼デュティから聞いたのだとゼノが断言する。


「その名をノアに漏らしたのは俺だ。ノアは箱庭に名があるなど知らなかった、と言っていた記憶がある」

「ノアってノクトアドゥクスの人だったわね」


 クライツと同じ顔をした、アザレアの恋人。

 いつから箱庭がユーティリシアの箱庭と呼ばれるようになったのかなどリタは知らない。ハインリヒは時期まで話していなかった。けれど、ゼノによってその情報が齎されたのであれば、それは二百年ほど前からとなる。そもそもなんの意図があってアルトはゼノにそう告げたのだろうか。

 女神様と関係があるから?

 いや。関係しているなら、あの時にそう話した筈だ。フィリシアや箱庭の成り立ちを話してくれたアルトが今さらそこを誤魔化すとは思えない。隠す意味がない、と思う。


「俺が得たレコード情報は——」


 考え込むリタにゼノは少し躊躇ったのち、口元に手を添え耳打ちするようにそっと顔を寄せて来たので、リタもゼノの方に身体を寄せる。緊張で顔を強ばらせるリタの耳元でゼノが囁く。


 ——神竜はユーティリシアの箱庭の番人である


「……!?」

 神竜が箱庭の番人……!?


 えっ、と驚いてゼノの顔を見つめれば、ゼノが静かに頷き返した。

 神竜とはアルトの話にも出て来た、ルクシリア皇国のノイエンバイリッシュ山を棲家とする皇国の守護神であり、アルトを敵視しフィリシアを女神の愛し子として慈しむ竜だ。

 その神竜が()()の番人。

 あり得ない。それがアルトが作った箱庭を指すのであれば、絶対にあり得ない。


「それって……それってつまり」


 その先を口に出すのが憚られ、唇をわななかせながらゼノを見つめる。

 思い至った考えに、まさか、と息を呑む。


「……他にも、箱庭が存在するということ……?」


 驚き目を瞠るリタから一旦視線を落とし、それからゼノは再びリタを見据え、目の前にゼノの剣——第一盟主の試練を越えて得た剣を顕現させた。

 いつ見ても目を引く美しい剣だが、色々知った今ではこれまで以上に神々しさと切なさを感じる。


「お前さんもハッキリと感じ取った筈だ。この剣に宿る力がどの神のものか」


 告げられ、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 あの教会の最奥の間で感じたソリタルア神の力とは明らかに異なる、セレーネが厚顔無恥にもセレスフィーネの力だと公言した力。


 ——そう。前世世界の女神——ユーティリシアの力だ。ゼノの剣に宿るのはソリタルア神ではなく、女神ユーティリシアの力なのだ。


「ルクシリア皇国は神竜を守護神と崇め、教会も神殿も存在しねえ、この世界最古の国だと言われている。ソリタルア神が創造神だとするならこれもおかしな話だ」


 ゼノの言う通りだ。

 何を国教と定めるかはそれぞれの国により異なっても不思議はないが、それでも概ねソリタルア神がこの世界の創造神だと広く信じられ、ルクシリア皇国も声高に否定することもない。現に教会騎士団は信仰により相当の力を行使出来る。

 ルクシリア皇国は世界最強の騎士団を有し、その騎士団は竜紋を戴き他とは一線を画する力がある。加えてその皇族は竜の血を引くのだと実しやかに噂されている。そのような話があるのはルクシリア皇国だけだ。


「アルトの昔語りじゃあ、神竜はこの世界が生まれた時から存在し、ユーティリシアにこの世界を任された存在だった」


 ならば。

 そこで言葉を切ったゼノの目を見つめ、リタも唇をわななかせた。

 ならば、神竜が番人を務めるユーティリシアの箱庭とは。


「この世界そのもののこと……!?」


 だからゼノやリタは共にこの世界に生まれ変わってきたのか……!!

 思わず天を仰いだリタとは逆に、ゼノはそっと剣身に視線を落とす。

 二百年前からゼノと共にあった剣。

 ここに宿る力が何かなど、考えたことも意識をしたことすらなかった。けれどそれを認識した今、心の奥底から迫り上がってくる想いを剣の柄をぎゅっと握りしめることで押さえ込む。

 遠い昔に失われた筈のもの。

 もう二度と感じることなどないと思っていた存在。

 それが、ここにある。


「……これはまだ俺の憶測だ。だが、アルトは真実を知ってる筈だ」


 フィリシアと共にこの世界に渡り神竜がどういう存在かを知っていて、ユーティリシアの箱庭だと口にしたアルトならば。

 剣身をひと撫でしてから剣を消し、未だ衝撃の冷めやらないリタを見る。


「ええ……そうね。その通りね」


 アルトなら確かに知っている筈だ。

 けれどそれと同時にリタには疑問が残る。

 リタは前世世界で女神が喪われたことを知っている。低位とはいえ神であるコダマが、リタと繋がる神の存在など感じないと断言した。リタはこちらの世界では女神ユーティリシアではなく、フィリシアと繋がっているから感じ取れなかっただけなのか。あるいは。

 女神様はまだ存在しているのか、本当に喪われたのか。

 フィリシア様ならわかるのかしら。

 落ち着かない気持ちで、そっ、と視線を座卓に落としてリタは目を閉じた。




 * * *




 ぴっぴっぴっ、ぴるるるるるるーーーーーっ!

 ダイニングで楽しげに昼食をとっていたシグレン家の面々は、突如響き渡ったけたたましい鳴き声にびくりと肩を跳ねさせた。


「うおっ!?」

「なななななな、なにっ!?」


 驚いたドゥーエがガチャンと皿に思い切りフォークを突き立て、サンクが半べそをかきながら隣に座るアインスに抱きついた。シェラが驚いた拍子にテーブルに肘をぶつけてナイフが床に落ちる。三人ほど派手な動きはなかったものの、皆一様に目を瞠り顔を見合わせた。


「……二階からだな」

「これ、ポストの鳥さんじゃない?」

「こんな大きな声は初めてだけど……」


 アインスやオルグが階段の方へ目を向け、先ほどの声が何かを理解したサラとアーシェがフォークを置いて立ち上がる。フィーアが落ちたナイフを拾い上げ、トレは痛がるシェラの肘を撫でてやった。

 アインスはサンクの頭を撫でてやりながら、オルグにチラリと視線を向ける。

 オルグは心得たように頷くと、アーシェ達に続いて立ち上がった。二階へ向かう三人の後にドゥーエとシスも続く。モーリー夫人はドゥーエが乱暴に放り投げたフォークや皿からこぼれたおかずを片付ける。


「あれは箱庭から手紙が届いた時に鳴くのだったわね」

「これほど大きな声は初めてだよな?」


 フォークを片付けながらそう呟いたモーリー夫人に、アインスも尋ねる。

 アーシェとデュティの文通は続いているとアインスも聞いているが、届いた時にいつもアーシェ達が家に居るとは限らない。掃除のためにゼノの部屋に入ったシェラ達が気づいて教えてくれたり、モーリー夫人から教えてもらう事もある。普通の鳥とは鳴き声が違うのでハッキリそれとわかるのだが、これほどまでにけたたましい鳴き声だったことはないという。アインスも過去に聞いたことはあるが、もう少し小さく可愛らしい声だった筈だ。


「ふーん。すぐに読んでくれってことかな」


 何かあったのだろうかと表には出さずに訝しむ。先日、塔のひとつが消失したことはギルドでも話題になっていた。魔王が動きを見せたのは初めてのことだったので各国、ギルドで警戒を強めているのが現状だ。今はまだその理由も影響もわかっていないが、何かが起こったのが箱庭であるならば、外界にはわからない。

 モーリー夫人は微笑を湛えたまま頬に手を当て小首を傾げた。


「アーシェ達が持っている鞄はゼノ殿やリタの物とは少し違うのかしら? 二人はあの鞄で直接やり取りが出来るし、新しい物が追加されればわかると言っていたのだけれど」

「どうだろう? 箱庭のゼノの家にある赤い道具箱と繋がってるって言ってたけど」


 わざわざポストを経由する必要があるのならば、確かに違うのかもしれない。

 手紙が届いただけにしては、二階に上がったアーシェ達がなかなか降りてこない。

 やはり何かあったのかも、と、しがみついていたサンクの手を離して立ち上がった時に、シスがパタパタと階段を駆け降りて来てひょいと顔を覗かせた。


「アインス兄、上にデュティが来てるんだけど」

「は? デュティ??」


 え、どゆこと?? と首を傾げたアインスと異なり、サンクとシェラが血相を変えて立ち上がった。


「ええ!? 秘密にしてたんじゃなかったの!?」

「なんでシスがバラすのさ!」


 その言葉に、どうやらこれまでもデュティはうちに来ていて弟達と親しくしていたらしいと知る。

 モーリー夫人とトレを見れば、肩をすくめて頷いたので、知らないフリをしてくれていたんだろう。


「じゃあさっきの声は来たよって知らせか。だったら降りてくればいいのに」

「デュティはゼノの部屋からは出られないって言ってた」

「へ?」


 予想外の答えにパチクリと目を見開いてシスを見れば、うんうんとサンクとシェラも頷く。


「魔法陣があるあの部屋は箱庭と同じ扱いだから来れるけど、管理者であるデュティは箱庭からは出られないんだって」

「デュティだけが出られないんだよ。アルトは出られるのに!」

「ディーの姿だったら外に出れるんだけど」


 少し怒ったように唇を尖らせる三人に、そういえばアルトは自由に外に出ていたなと(鳥の姿だけど)思い返す。


「……そうなんだ」


 その目が細められた事でモーリー夫人やトレもそこまでは知らなかった事が窺えた。


「それで、アーシェがアインス兄にも聞いて欲しいから上に来て欲しいって言ってる」

「そっか。わかった。ありがとな」

「ぼくもデュティに会いたい!」

「ぼくも!! シスもまた上に行くんでしょ!?」


 途端にアインスの腰にしがみついたサンクに、シスが嫌そうな顔をしたけれど、こくんと頷いた。


「デュティはもう隠す必要もないだろうから、モーリー夫人もいいよって言ってた」

「あら、それは光栄ね。デュティ殿は私のことをご存知なの?」


 こてんと首を傾げて物腰柔らかに尋ねているが、目は真剣だ。何が狙いでわざわざ自分の許可が降りたのか計りかねているように見える。


「アーシェがモーリー夫人にも同席してもらった方が早いかもって言ったら、デュティがいいよって。折角だからリタ姉の弟みんなに会いたいって言ってたから、トレ兄さんもフィーアも上がって来てよ」


 思わずトレ達と顔を見合わせた。

 ディーの姿で家中を飛び回っていたので、みんなと会った事がある筈なのに、わざわざ会いたいと言われるとは思わなかった。ただ、ディーの時にもモーリー夫人からは一定の距離を取っていたように思う。

 そう考えると、デュティはモーリー夫人が何者なのか知っている筈だし、今回声をかけたという事は何か厄介な事が起こっている気がする。

 そもそもこれまで来ていることを隠していたデュティがわざわざ部屋によ呼びつけたのだ。ただ事ではない。

 アインスはトレと目を見交わして軽く頷くとシスに続いてサンクやシェラ達を伴い二階へとあがっていった。

 ゼノの部屋の扉は大きく開いていて、中に白いウサギの被り物姿のデュティがいるのが階段を上がってすぐに見える。フィーアがその姿にちょっと驚いて足を止めた。


「本当にウサギの被り物してるんだ……」


 あ~確かに、話には聞いていても実際に見ると驚くよな。

 アインスがデュティを初めて見た時は散々探し回った後だったし、他に衝撃的な事が多かったので、デュティの姿にいちいち驚くことはなかった。だが箱庭ならともかく、この日常の空間で見ると確かにちょっと浮いている。


「突然にごめんね~。ちょっと急ぎ頼みたいことがあって来たんだ」


 急ぎだと言いながらもデュティに慌てた様子は見られないので、緊急性は低そうだ。アーシェの隣に立ち、小首を傾げてみせる。


「どしたの? ああ、ゼノとねーちゃんはしばらく家に帰ってこないんだけど」


 本日付の新聞を見てアーシェとサラが頭を押さえ、モーリー夫人が朗らかに笑ったのは今朝のことだ。モーリー夫人の様子から、ノクトアドゥクスがゴシップ紙の記事をあえて差し止めなかった事がわかって、なんらかの意図があると知れても、アーシェ達からすればゼノの不名誉は見過ごせない。

 あれに何の意図があるのかはわからないが、しばらく帰ってこられないと言っていたのは記事のことも含まれていたに違いない。


「うん。それは知ってる。今、アンノデスタにいるんだよね」


 大丈夫、わかってる、と頷いてアーシェに視線を向けた。


「実はアーシェに頼みたいことがあって。ちょっとタケルを助けて欲しいんだ」

「タケルですか?」


 予想外の人物の名に、アーシェが目を瞬いた。

 タケルって確か、箱庭にいる神子じゃなかったっけ。

 タケハヤという神様の神子で、ゼノが剣術を指南していた筈だ。箱庭生まれの箱庭育ちなので外界に疎いが、タケハヤ神がついているから危機回避はできると、確かニダが太鼓判をおしていた筈だ。

 そのタケルを助ける?


「そうなんだ。タケルは今、箱庭の外に出てるんだけどね、ちょっと困ったことになっていて」

「タケルにはタケハヤ様がついているのでしょう? それでも困ったことになっているんですか?」

「たぶん?」


 小首を傾げた尋ねたアーシェに同調するように、ウサギの頭もこてんと傾いで心許ない返事が返ってきた。

 その返事にアインスが訝しむように目を細めると、デュティが慌てたように手を振った。


「だってぼくもアルト経由で頼まれただけだから、詳しい状況がわからないんだよ。アルトも、タケハヤからしつこく頼まれて五月蠅いもんだからぼくに丸投げしてきたんだよ」


 なんだそれは。

 デュティが語ったところによると、タケルは今ちょっと困ったことになっているらしい。命の危険があるとか、神殿の者に追われているとかそういった類いのことではなく、どう対処すればいいのかタケルにはわからなくて困っているのだと。力業で押し切るのはなんとなく避けた方がよさそうだが、タケハヤにもそういう人同士のやり取りはわからないのでアルトに対処を頼んだのだという。

 いや、そこはアルトじゃなくオオヒルメ様やヒミカ様に助けを求めるべきじゃねーの?

 同じ神様なんだろ、とアインスが呆れたように考えたことはアーシェも思ったようで、頬に手を当て大きくため息を吐いた。


「そこでオオヒルメ様やヒミカ様を思いつかないあたり……タケハヤ様もお父さんと同じなのね」


 非常に残念な表情をして脳筋なんだわ、と小さく呟いたアーシェに、そうなの?とこちらもよくわかっていないのか、デュティも首を傾げる。


「タケハヤが直接連絡を取れるのがアルトだけだからかな? そこで頼まれたアルトもね、話を聞いて自分が手を出す必要もないと判断したみたいでしばらく放置していて」


 神様からの頼み事を放置できるなんて、その神経の太さは確かに魔王だな、とどうでもいいことにアインスは感心した。

 だがいつまでたっても手を貸さないアルトに痺れを切らしたタケハヤが、アルトにしつこく干渉してきて、アルトも鬱陶しくなって、なんとかしておけ!とデュティにお鉢が回ってきたらしい。デュティからすればいい迷惑だ。


「だって外界のことなんか、ぼくになんとか出来る訳ないでしょ? それも攻撃するとか力業ならともかくさ。自由に動ける二人がタケルの望み通りに動けないって言うんだから」


 力業ならどうにか出来るんだ。

 箱庭から自由に攻撃出来るの?とちょっと慄いたアインスである。


「それでリタに相談したんだ。そうしたら、アーシェに頼めばいいって。ここならモーリー夫人もいるから手も知恵も貸してくれる筈だって言われて」


 え、()()()()案件?

 モーリー夫人の手を借りるというのはノクトア案件だ。

 それは確かにタケハヤやアルトは勿論、正神殿にも頼みにくいかもしれない。す、と目を細めて背筋を正したアーシェの後ろで、モーリー夫人は頬に手を当て微笑を浮かべた。


「そういうお話なら、アルト殿は長官に直接連絡出来る手段をお持ちだったと思うのだけれど、どうして頼まなかったのかしら?」


 あの二人そういう仲だったんだ、とアインスは少し意外に思った。アルトは外界の人達とは距離を置いていると思っていただけに、ゼノ以外に連絡を取り合う人がいるとは思わなかった。


「そうなの? ぼくは聞いてないけど……タケハヤ案件だから関わらせたらマズいと思ったのか、面倒だったか——ああ、借りを作りたくなかったのかな。長官ってハインリヒでしょ? ゼノが親友だって言ってた人ならそっちのがあり得るかな〜」

「長官がゼノ殿の親友だから借りを作りたくない?」

「きっとね」


 その意味はアインスにはよくわからなかったが、リタがこの場にいればゼノの事が好きすぎる連中が多いわね、と呆れを見せたに違いない。


「モーリー夫人の力を借りたら同じじゃねえ?」


 なので、至極もっともな疑問を口に乗せる。


「え〜、違うよ。だってぼくが頼るのはアーシェだからね。アーシェが誰かの手を借りるのはぼくの()()()()()()ところだし? それに——別にハインリヒの手を借りても()()()困らないしね?」


 アーシェが誰の手を借りようがデュティは知らなかったことにするし、むしろハインリヒの手を借りて困らせてやればいい、と、わざわざピンクのクマの笑顔の被り物に替えてまで言い切ったデュティに、その場の一同がんんっ、と固まった。

 怒ってる。

 押しつけられたこともそうなんだろうが、ハインリヒにさっさと頼めば解決出来ただろう事を、自分が頼みたくないからデュティに投げてきたらしいことがわかって、さらなる怒りを覚えたみたいだ。

 デュティから漂う黒い笑いに慄いて、サンクとシェラがアインスに抱きついてきた。サンクなど半べそだ。


「そういうことでしたら、長官に許可を得た上でお手伝いいたしますわ」

「うん。ぜひ許可を取った上で手を貸してあげて」


 ほほほ、ふふふ、と笑い合う二人にサラとオルグが身体を震わせた。

 これはまた後で荒れそうだな、とアインスは頭をガシガシとかいてため息を吐いたが、まあ、それはアインス達の知ったことではない。


「アルトさんは、だったらどうして二百年もお父さんの前に姿を現さなかったんですか?」


 アルトの心情に思い至ったらしいアーシェが、やや呆れ気味に尋ねれば、デュティは黒い笑顔を浮かべたままアーシェに向き直る。


「そんなの決まってる」


 そこからは、被り物が笑顔だからというだけでなく、非常に強く笑顔の圧を感じた。——それも黒い方の。 


「意気地なしだからだよ」


 意気地なし? どういう意味だともう少し突っ込んで聞いてみたかったが、デュティはすいと白ウサギの被り物に替えて先程までの黒い雰囲気を綺麗に消し去った。


「そういう訳でね、タケルに手を貸してやって欲しいんだ。どこかのお屋敷で足止め喰らって出られないんだって。タケルは()便()()そこから出たいらしいよ」


 穏便に、という点を強調したところから察するに、タケルを引き留めている何者かを説得もしくは後腐れのないようにして出て行きたいということなんだろう。

 それは確かにタケハヤやアルトに任せると大事にしかならなさそうだ。

 ふう、とアーシェが大きくため息を吐いた。


「タケルが困っているのなら姉弟子としても放っておけません。——アインス。タケルを助けに行ってもいいですか?」


 パーティーのリーダーであるアインスにお伺いを立てるアーシェに、もちろん、と快く頷く。


「俺も手伝うよ。まあ、出来る事はないかもしれないけど」

「ううん、一緒に行ってくれると心強いわ。ね、サラ」

「うん、絶対その方がいい! アインスもルグさんもぜひ一緒に!」


 サラはサラで鬼気迫る勢いで力強く頷くと、むしろ逃がさないと言わんばかりにアインスとオルグを見遣る。

 サラからすれば、アーシェとタケルの間に一人挟まれるのはそれはそれで恐ろしい。ゼノの弟子が絡むとアーシェは怖いのだ。しかもそこにはタケハヤ神もいる。何かあったときに一人で対処する自信などサラにはない。


「サラやアインスが行くならもちろん、俺も行く!」


 純粋に誘われて嬉しいオルグとは違って、サラの様子にんん?と内心で首を傾げたアインスだったが、幸いにも誰もそのことに触れなかった。


「ありがとう! じゃあ、デュティさんがご存じのことをもう少し詳しく教えてください」

「うん。——説明が終わったら、ここでシェラ達とお話ししてもいい?」


 先程と打って変わって、そわそわとどこか落ち着きなくウサギの耳を揺らしながら、伺うように尋ねるデュティに、アインスはにぱっと笑って見せた。


「もちろんだよ! 弟達も大歓迎さ!」

「なぁなぁ、その被り物に触れてもいいか!? さっき一瞬で変わったよな!?」


 途端にわくわくと目を輝かせるドゥーエに、トレが肘打ちを食らわせながら「兄さん達の話が終わった後だ」と冷ややかに言い捨て、浮かれた声をあげそうになったサンクやシェラも口元を押さえて固まった。それにデュティがくすくすと笑った。


「うん、じゃあさっさとお話ししちゃおうね。タケハヤもイライラしてきてるみたいだし」


 不穏だ。

 ひくりと頬を引き攣らせたアインスやアーシェ達をよそに、デュティや弟達は楽しそうだ。

 アルトはどれだけ放置してたんだろうか……

 ちょっと行くのが恐ろしくなったアインスである。




 * * *




 おおおおおおおおおおおっ……!

 先程から聞こえてくる獣のような咆哮に、教会情報部(ノトアディスタ)のカイルは廊下にある柱の陰で奥歯を噛みしめながら耳を押さえていた。


 あいつちゃんとディラード隊長の許可をとったんだろうな!?


 修道女機関(シュエルディスタ)を襲撃した後から姿を消したロレッティオの行方は、ノトアディスタ隊長のスルシュから捜しておけと厳命を受けていたカイルだったが、ロレッティオが本気で姿をくらませば見つけるのは難しい。問題児ではあるが五指に数えられる優秀な暗殺部隊(コルテリオ)には違いないのだ。情報収集を主とするカイルには後を追ったところで身体能力が違いすぎたし、予測を立てて先回りするにはロレッティオの事を知らなさすぎる。

 シュエルディスタの息のかかった教会を特定するにしても、ロレッティオには情報が足りないはずだ。多少なりとも掴んでいる自分の所にまず来るだろうと考えつつ、念のためにとセレーネが縛り付けられている最奥に通じる、隠し通路も含めた通路に人を置いて監視していた。

 いつの間にか最奥の間に通じる大広間にいる、と青い顔をした衛兵の報せを聞いて、慌ててカイルがやって来てみれば、恐ろしい咆哮が聞こえてきたので近づけずにいた。

 中で何が起こっているのか、確認しに行くのも恐ろしい。

 なにより、近づきすぎてセレーネの攻撃を受ける事態も避けたい。セレーネが人を操る手段を持っている、とはハインリヒから情報だ。それもただの精神操作系の術ではないらしく、信奉する神の名を書き換えるものだと聞いた。

 それが事実であるならば、絶対に近づけてはならない種類の筆頭たるのがロレッティオだ。

 この情報を知っていて何らかの対抗措置をとったうえで突撃しているにせよ、剣聖であるゼノの剣すら届かなかったという相手だ。ロレッティオが倒せるとは到底思えない。

 これがロレッティオの独断専行であるならば、こちらの作戦に綻びが生じやしないかも心配だ。

 そんな事をつらつら考えて咆哮から感じる危機感を直視せずにいると、唐突に、声がやんで静寂が訪れた。


「……!」


 ぎくりと身体を強ばらせて大広間の様子を窺う。

 ディラードとスルシュの両隊長には、ここに来るまでに報せを飛ばしているが、誰かがやって来る気配もない。そもそも他のコルテリオ達はバルチェスタにはいないのだ。今ここでロレッティオを止められるのは、隊長のディラードか騎士団団長達以外にはいないだろう。

 ロレッティオが踏み込んでからどれぐらいの時間が経ったのかわからない。一瞬かもしれないし、かなり時間が経っているかもしれない。背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、カイルは最奥の間にいるだろうロレッティオの気配を探っていた。

 話し声が聞こえた気がして、ゴクリと息を呑む。

 アザレアの結界が張られた最奥の間の音は、セレーネに誑かされる者が出ないよう、聞こえないようになっていると聞かされている。故に話し声など聞こえない筈なので、聞こえたとするならば最奥の間の手前にあたる大広間でロレッティオが口を開いたことになる。

 カツ、カツ、と足音が聞こえてきてカイルは素早く周囲に目を走らせた。

 衛兵達はすでに全員下がらせていて、周囲に人の気配はない。


 ここであったこと、ちゃんと伝えられればいいんだけど。


 命がけで情報を残すっていうのは俺の趣旨に反するんだけどな〜、と右耳に付けたピアスにそっと触れ、口元に笑みを浮かべて柱の陰からゆっくりと姿を現す。

 その間にも大広間に通じる通路からこちらに向かってゆっくりと足音が近づいてくる。そこにロレッティオの姿を認めて、カイルは呆れたような笑みを浮かべて右手を上げた。その冷ややかな視線に首筋にざわざわするものを感じて逃げ出したくなりながらも、覚悟を決めてあえて明るく声をかけた。


「おいおい。ここは勝手に足を踏み入れるなと厳命が下ってるだろ?」


 ——あ〜……瞬殺されませんように。

 そう祈りながら。



 

 



時間に間に合わなかった……

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