(十一)自警団の団長
自警団の詰所に案内されながら、昨夜殺された娼婦についての話やこれまでの被害者の話を聞かされた。
二人は黒蝶屋の女将から齎された情報と、齟齬がない事を確認しながら黙って話を聞いていた。被害者は男性よりも女性の方が圧倒的に多いのがリタは気に入らない。
か弱い女性を主にターゲットにしているなんて、犯人はクズ確定ね。
内心で憤慨するリタと異なり、ゼノの興味を引いたのは別のもののようだ。
「これまではあった外傷が今回はねぇ、と」
「そうなんだ。だが被害者が倒れていた場所はこれまで以上の血溜まりがあり、斬られた事に間違いはない筈だ」
「ああ、だろうな……」
腕を組んで顎を擦りながら何事かを考えているゼノの様子にリタは眉根を寄せた。
「心当たりがあるの?」
リタに問われ、あ~とかう~とかぼやきながら頭をガシガシとかくゼノの様子から答えは出ている。
「どいつの仕業?」
ヒヤリとする怒気を孕んだ問いに、自警団の男達が背筋を凍らせる。美人が怒ると怖いのだ。その上クラスA冒険者ともなると実力が伴っているので殺気も半端ない。元冒険者の彼らからすれば、それだけでリタの実力が理解できた。
もっとも、リタの怒りは冒険者ランクなど関係なく、女性が殺された事に対するものなのでこれが通常仕様なのだが。
おっかない……さすが黒蝶屋女将の推薦だけある。
この花街で怒らせてはいけない人物筆頭に数えられる女将の、美しくも老獪な顔を思い出して自警団の面々は内心でぶるりと震えた。
自警団の元冒険者達が内心で戦々恐々としていることなどとんと気づかずに、ゼノは肩をすくめた。
「誰の仕業かってのはわからねぇ。だが使われた武器はわかる」
「特別な武器なの?」
「ああ。そいつぁ恐らく——魔剣が使われている」
魔剣。
それを聞いてゼノ以外の全員が押し黙った。
魔剣の話は、それこそ御伽話のようにちらほらと噂は残っているが、実際のところはよくわかっていない。
曰く、選ばれた者にしか使えない。
曰く、山をも斬る力を持っている。
曰く、剣身は見えない。
曰く、一度抜けば殺し尽くすまで鞘に収められない……など、巷では嘘か誠か眉唾ものの話も多い。リタはそもそも興味がないので魔剣という物が存在するらしい、ということしか知らない。そんな噂よりも魔剣と聞いてリタが思い浮かべるのは、ゼノの魂に刻まれた「魔剣の使い手」という言葉だ。
ゼノが魔剣と関わっているのは間違いなさそうだが、今回の凶行に使われたというのであれば——
ジロリ、とゼノを睨みつけた。
「それって、ゼノの管理不行き届ってこと?」
「はあっ!? なんでそうなる!?」
リタの声音の低さにゼノが慌てたように叫んだ。
「だってゼノは魔剣の使い手でしょう? だったら魔剣の管理もゼノの仕事じゃないの? ゼノは剣が好きで色々な剣を持っているとアインスやサラから聞いているけど、まさか盗まれたなんて言わないでしょうね? いい加減な管理で悪人の手に渡って今回の凶行が行われたというのなら」
「待て待て待て、待てって!! アレは俺のもんじゃねえ! 第三のものだ!」
怖い顔で詰め寄るリタを、ゼノが青い顔をして必死に止める。ここでゼノのせいだと断じられようものなら、リタに何をされるかわからない。ぶっちゃけ盟主達魔族よりもリタの怒りの方がゼノには怖い。
「第三? 第三盟主なの? ——そう言えば、グラリオーシュでオルタナとかいう側近がゼノに謝っていたわね」
はた、とリタも思い出した。
あの腰が低いんだが居丈高なのかよくわからない側近が、ゼノに土下座しながら魔剣について謝っていた。
確か、近々魔剣と共にゼノを訪ねる、と。
「じゃあ何? これは第三盟主の仕業なの?」
「第三……盟、主……?」
とんでもない名が出てきたとざっと血の気の引いた自警団の面々に、ああ、違う違うとゼノが慌てて手を振って否定した。
「アイツが魔剣を使う事はねえ。だが、誰かに与えるっつうか……わざと選ばせる事はある」
「どういう意味?」
「あ~……」
なんと説明したものか、とゼノは頭をガシガシとかいて困ったように低く唸った。
ゼノとて魔剣について詳しく知っている訳ではないのだ。ただちょっと昔対応したことがあっただけで。
「アイツの目的やらは俺だって知らねえし、魔剣についてもそれほど詳しく知ってる訳じゃねえ。ただ、そうだな。二百年前にそれが使われた惨事を知っていて、魔剣を鞘に収めたのが俺だってだけだ」
遠い昔を思い出すように目を細め、ゼノが語った事によると、元々魔剣は山奥の古い神殿跡や人がそう簡単には辿りつけない場所に突き立ててあるという。噂話で欲しがる者を呼び寄せては使わせるという事を一定周期で行っていたらしい。
「やって来た者の中から選ばれた者だけが引き抜けるという事か」
元冒険者らしく、そう言った話には興味があるのか、自警団の男達は目を輝かせて頷いている。確かにそういう話は男性なら好きそうだ。選ばれた者だけが抜ける聖剣だとか魔王を倒す者だとか。
——そんな役割、実際に負うとなると迷惑なだけなんだけれど。
リタが苦々しく思うのは、そんなものに名誉など少しも感じられないが故だ。人より優れた者は得てして重要な役割も背負わされやすい。それが普通の仕事ならいいが、アインスが背負わされたような役割だと、命の危険が伴うので正直嬉しくない。
「いや。そもそも魔剣は人を選別なんかしねぇ。誰でも抜けるし扱える」
「え?」
だが返ってきたゼノの言葉に、リタも目を瞬いた。
「そうなの? ならどうしてそんな場所に突き立ててあるのよ」
「そりゃあ、その方がらしいからだろ」
「ええ?」
「なんだそれは」
自警団の面々も思わず間抜けな声をあげて拍子抜けしたように肩を落とした。魔剣というからには使い手を選び誰でもが手にできるものではないと期待したのにがっかりだ、と言わんばかりの様子にゼノも苦笑を返す。
第三盟主が楽しそうに話してくれたから間違いない。
いかにもな感じで突き立てておくと、人は勝手に色々想像していいように解釈してくれるから面白い、と魔族らしい笑みを浮かべて、聞いてもいないのに嬉々として教えてくれたのだ。
抜くのは本当に簡単だ。それこそ子供にだって抜ける。
事実、二百年前の騒動の時、最初に魔剣を抜いたのはアーシェぐらいの年頃の少女だったのだから。
そして魔剣の恐ろしさは抜いた後にある。
「抜けるのは誰にでも出来るが——鞘に収めるのは、それこそ魔剣に認められねえと出来ねぇ。抜いたが最後、自分の命が尽きるまで魔剣を振り回しておかなきゃならなくなる」
「!?」
「どういうこと?」
自分の命が尽きるまでとはまったくもって穏やかでない。
噂のひとつに似たような内容があるので、自警団の面々はそれは本当だったのか、とギョッとしたような表情だ。
魔剣に関わる噂で一番剣呑なものに、一度抜けば殺し尽くすまで鞘に収められないというものが確かにあった。それが真実だとして、今回の通り魔にその魔剣が使われているのならば——殺し尽くすとはどの範囲のことなのか。
「そもそも魔剣は命と共に魂を喰らうものだから、ひとたび抜かれれば、自分が満足するまで命を食らい続けやがるんだ。使い手が魔剣の欲望を抑えられるんなら鞘に収められるが、そうでなければ使い手自身もただ振り回されて周囲を斬り刻むことしかできねぇ。魔剣に操られるんで、剣の腕があろうがなかろうが関係ねぇ。使い手ですら操られれば魂も命も奪われる」
力のある剣が簡単に手に入るのは、そういう落とし穴がある訳ね。
うまい話には裏があるものだ。
そしてきっと、それを知っても自分なら扱えると考える馬鹿も現れる訳で——
リタは頭を押さえた。
「……第三盟主の狙いはなんなの?」
「さてな。定期的に餌をやらねえと暴れるんだとか言っていたが、それが本当かどうかはわからねえ」
そもそも、どうしてそんな危険な剣を野放しにするのかというところからして分かり合えないだろう。人にとっては非常に傍迷惑な剣だ。
「それが今回の通り魔に武器として使われているのは間違いないのか?」
どうすれば、と青い顔をする自警団の面々に「さてな」とゼノは肩をすくめてみせた。
「傷口が見えねえってんなら魔剣の可能性があるってだけだ。遺体を確認すればわかるさ。……可能性としては高いと思うがな」
でしょうね、とリタも内心で同意する。オルタナが魔剣について言及していて、ゼノがそう思ったのならむしろ魔剣じゃない方が驚きだ。
ゼノとしても気になる点はまだある。
グラリオーシュで第三盟主は土産を持って行くと言っていた。オルタナは魔剣と共にゼノを訪ねるだろうと言い、魔剣の方向性は誘導しているがいつまで従うかはわからない、と恐ろしい事も口にしていた。
この地での事件が魔剣を持つ者の仕業だとするならば、被害の数から見るにまだ従っていると見ていい。暴走すればこんなものでは済まないことをゼノはよく知っている。暴走する前に魔剣を鞘に収めたいところだが、すんなりとはいくまいよ、と頭をガシガシとかいた。
ゼノとリタの表情から、どうやら魔剣である確率は高そうだと悟り青い顔をしたままの自警団と共に詰所までやってきた。
詰所の入口に豪華な馬車が一台止まっていて、その周囲には自警団とは異なる黒い制服姿の帯剣をした男が二人立っている。
おや、と自警団の面々が目を瞬いた。
「珍しい。あれは商業ギルド直轄の憲兵隊だ」
「ああ、ギルドで金出し合って運営している騎士団もどきな」
ゼノが微妙な表情でそう言い捨てた事から、あまり友好的ではなさそうだと判断する。リタはこの花街は元よりアンノデスタについても詳しくないのだ。
力関係とか政治的な情報を女将に聞いておいた方が良さそうね。
こちらに気づいた衛兵達の目に侮蔑の色を見てとって、クズの臭いがする、とリタも冷ややかに彼らを見据えた。
ゼノ達が詰所の入口に近づいた時、豪奢な衣装を纏った貴族然とした男と自警団の制服を着た細身で小柄な年配の男が、共に詰所から出て来るところだった。
「では、くれぐれも期限までに対応するように。——まあ、冒険者上がりの貴様らに解決できるとは思わんがな」
「はい、はい。全力を尽くします」
ふん、と鼻を鳴らして馬鹿にしたような笑みを浮かべる男に、自警団の男は丁寧に何度も頭を下げてそう頷く。自警団は元冒険者が多いと聞いていたが、リタから見ても随分と腰が低そうでちっとも強そうには見えない優男だ。貴族然とした男は顎を突き出し、明らかに彼を見下しているのがわかる。いけ好かない男だとリタが半目で睨みつけたのに気づいた訳ではなかろうが、こちらに目を向けゼノとリタを認めると顔を顰めた。
「……その紋、黒蝶屋の者か? 見ない顔だ」
ゼノが羽織っている上着に縫い付けられた紋のことだ。花街ではそれぞれの店を示す紋があり、従業員はその紋が入った羽織や小物を必ず身につけているので、どこの店の者かというのは紋を見れば一目瞭然だ。
一目瞭然なのだが、黒蝶屋の使用人の顔を全員知っているかのような口ぶりに、リタは男からストーカー臭を嗅ぎ取った。
「ああ、先日から一時的に用心棒をやってる」
男の言葉にハッとしたように肩を跳ねさせ、慌てたように口を開こうとした自警団より先に、ゼノが軽く返した言葉に、男は険しい表情をし、自警団の面々は、マズい、と青い顔をした。その両極端の表情にリタは内心で首を傾げた。
「用心棒? 貴様が?」
値踏みするようにゼノを頭のてっぺんから爪先までジロジロと見遣り、チッと盛大な舌打ちを落とした。
「ほぉん……儂が紹介する者は頑なに拒んでおきながら、貴様のような破落戸風情を雇うとは。随分馬鹿にした話よ」
ああ、なるほど。女将に振られたもんだから気に食わないわけね。
自警団のこの様子だと、どうやらその件で一悶着あったらしい。
女将からは特に言うなとも注意はなかったし、自警団も特段気にした風もなかったのは、この男がここに来るのが想定外だったか、あるいはバレてもいいとあえて放置していたか。
なんとなく、後者っぽいわねとリタが考えたのは、この男には断固拒否の意思表示を女将がしておきたいんじゃなかろうかと思ったからだ。
それにゼノだし。
多分事前に説明していても、何も考えずに話しそう、といささか失礼なことを考えた。
「ありがた迷惑だったからじゃねぇの?」
リタの推測を裏付けるように、ゼノはまったく気にした風もなく、男の神経を逆撫でする言葉をサラリと吐く。青い顔をして狼狽えているのは自警団だけだ。男の背後に立つ憲兵隊の二人も値踏みするようにゼノとリタを見ていて気に入らない。
「ほぉう。女将がそう言ったか。花街ごときの女が偉そうに」
その馬鹿にした物言いが、カッチーンとリタの神経に障った。はぁ?と声には出さずに呟き、殺気を纏って男を睨みつけた。次に女将を馬鹿にする発言をしたなら、事情はわからなくとも参戦すると決めた。
「いいや。だが、商業ギルドといえど花街は介入不可の領域だ。そこに人を送り込むと言われてありがたがるヤツはここにはいねぇだろ」
そんな事もわからねえのか、とゼノが呆れたように鼻で笑えば、男の眦がさらに吊り上がった。
「ああ、わからねえから堂々とそんな話を女将に振ったのか。そりゃあ、お前さん、この花街の道理がわからねえ野暮な男だと、自分から大声で叫んだようなもんだな」
はははっ、と愉快そうに笑ってみせるなど、ゼノにしては珍しく喧嘩腰だ。共にここまでやって来た自警団の面々は、先程まで青い顔をしていたのに、ゼノのその言葉に思わず吹き出しジロリと睨まれ、慌ててソッポを向いた。
「黙れ、破落戸が!! こちらの好意を理解出来ぬ馬鹿どもばかりだな! たかだか女の売買で金儲けをしているだけの、商人とも呼べぬ底辺の分際で大きな顔をしおって! 貴様らなどギルドが本気で潰そうと思えばいつでも潰せる事を忘れるな!!」
「ウェルゼル様」
ゼノの言葉に激昂して叫んだ男に、自警団の優男が静かに呼びかけた。静かな声であったのに、その声は不思議と男——ウェルゼルの声を掻き消すようにその場に響いた。
ウェルゼルも虚を突かれたように口籠もり男を見遣る。
「ええ、はい、はい、通り魔の件につきましては、自警団の総力をあげて対応いたしますので、はい、お任せ下さい。今日はお忙しい中、わざわざのお運び誠にありがとうございました」
優男は困ったような笑顔を浮かべてぺこぺこと頭を下げた。先程の名を呼んだ口調とは異なり随分と腰の低い態度に鼻白んだように、ウェルゼルが舌打ちを落とす。
「……っ、ふん! くれぐれも期限内にな!! 出来なければどうなるか心得ておけ!」
ウェルゼルはそう捨て台詞を吐いて、ゼノをジロリと睨んでから馬車に乗り込む。ウェルゼルの側にいた憲兵隊の男達も、ゼノや自警団の面々をジロリと睨んでから馬車に乗り込み去って行った。
馬車が見えなくなると、はぁ~~~と自警団の面々の深いため息が幾重もこぼれた。
「困るよゼノ殿~、アレは煽り耐性ないんだからさ~。すぐに喚き散らして迷惑を被るのはこっちなんだから気をつけてもらわないと~」
眉尻を下げた情けない顔で詰る優男は、どうやらゼノとは顔見知りらしい。
「だけど、んなこたぁ常識だろ? なんなんだ、アイツ」
ゼノは優男の言葉をスルーして呆れ顔だ。
「彼はダム=ウェルゼル。キャスタ王国ライツ商会のアンノデスタ支部長として半年ほど前に来たんだよ~。ライツ商会は東大陸で羽振りがいいもんだから、態度もまあ横柄で」
「ギルド内でも幅を利かせていそうだな」
やれやれと肩をすくめるゼノに、はあぁ、と優男は恨めしそうな視線を向けた。
「凄く面倒な男なんだよ。なのにあんなに煽ったら後できっと嫌らしい仕返しをしてくるに違いないよ〜。器は小さい上にプライドだけは高い男なんだからさぁ。……おまけに」
ふぅ、と大きなため息をついて額を押さえる。
「黒鳳蝶を妾にしたいと言い寄っていて」
「身の程知らずね」
ピシャリとリタが容赦なく断じれば、優男がピシリと固まって、徐にリタに向き直り困ったような笑顔を浮かべた。
「ええと、御使いのリタ殿だね? 初めまして。私はここアンノデスタの花街で、なぜか自警団の団長をやらされているアッカード=テレンス。どうか本当に、お手柔らかにお願いするよ〜」
優男はそう名乗り、ウェルゼルを殴り飛ばそうと握りしめていた拳に意味ありげに視線を投げてから、深々とリタに頭を下げた。挨拶というよりもお願いするように下げられた頭に、それどういう意味?とむっとしつつ、リタも頭を下げて自己紹介をしておく。
「初めまして、テレンスさん。リタ=シグレンです。テレンスさんはゼノと知り合いなんですね」
「どうぞ私めのことはアッカードと。ええ、まあ、ゼノとは何故か昔からの知り合いなんだけどね、いやもうほんとにね、いつも厄介事と一緒にやってくるもんだからさぁ、会えて嬉しいような困ったような、いっつもそんな感じで素直に歓迎できないんだよね」
私の手に負えない面倒事ばかりだから困るんだけど、と大きなため息と共に肩を落とす様子は、元冒険者が多い自警団をまとめる団長にはとても見えなくて、内心で首を傾げつつ団員達を盗み見た。苦笑はしているがアッカードを侮るような呆れるような気配は感じられない。頼りない見た目や態度に反して団長として認められているということなのだろう。
「じゃあ黒蝶屋に人を押しつけようとしたのも、黒鳳蝶さんを手に入れるため?」
「いざとなったら攫うつもりなんだと思うよ〜。そんな見え見えの手に女将が頷く訳ないのにね〜。黒蝶屋の女将がどれぐらい恐ろしい人なのかわかってないんだろうね」
くわばらくわばらと、謎の言葉を吐き身体を震わせる。
しかし、黒鳳蝶を手に入れるために手段を選ばない可能性があるのはいただけない。
厚かましい。金さえあればなんでも手に入ると思っていそうなクズね。
今度会ったら叩き潰しておこうかしら、とリタが物騒なことを考え笑顔を凍り付かせたのに気付いた訳ではないと思うが、アッカードに「リタ殿にはゼノの手綱をしっかり握っておいていただけるとありがたいな〜」となにやら言い含めるような言葉をかけられた。
「リタ殿は女性のためなら一切の手を抜かないと聞いているよ。この花街ではとても心強いんだけど、ゼノと一緒に通り魔捕縛に力を貸して貰えると助かるな〜。なにせ、ウェルゼルに期限を切られちゃったしね〜」
「ああ、さっき言ってたな。なんだ、あれ」
それは中で話そうか、とアッカードに詰所の中へと案内された。
「そうだ、昨日の遺体があるなら確認したいんだが」
「ああ〜、昨日の彼女ね。いやもう、ほんとに大変だったんだよ〜、遺体を綺麗にするの」
なにせ馬糞まみれで血溜まりに倒れていたからさ〜、臭いも汚れも酷くって、と泣き言を言うアッカードにリタは眉根を寄せた。
「馬糞まみれってどういうこと?」
血溜まりはわかるが馬糞は謎だ。
リタの口調に怒りを感じ取って、ひえ、とアッカードは大袈裟に身体を震わせながら、仕方ないんだよ、と困ったように呟く。
「被害者の彼女は、六丁目の辻に立つ娼婦なんだけど、どうやら勝手に立って好き勝手やってたみたいでね。六丁目を管理している娼婦達の怒りを買って追い出された日だったんだ。その日に客を取れないように、馬糞も投げつけられたみたいだね」
たまにある娼婦同士の諍いだよ、と言われればリタもそれ以上は何も言えない。
「ああ、割とルールが厳しいんだよな、アイツらも」
ゼノも面倒そうに頭をかく。
花街にもルールがあるのはリタも知っている。それを破っていた彼女が同じ娼婦達から制裁を受けたのであれば口を挟む事でもない。
その後に通り魔と会ってしまうなんて運がなかったとしか言えないけれど。
案内された部屋に入ると、血臭に混じって確かに馬糞の臭いもまだ残っているようだ。そして臭いだけでなく微かに感じた魔力に眉根を寄せる。
床の敷物の上に布を被せられ横たわっている遺体から、なにがしかの魔力を確かに感じる。
ふぅん、とゼノが呟き遺体に被せられた布を剥ぐと、そこには傷一つない女性の裸体があった。まだ若い女性だ。洗い流されたためか化粧もすべて流れ落ち、血の気のない肌はまるで蝋人形のようだ。
痛ましい姿にリタはきゅ、と唇を噛み締めた。
「ああ。間違いねぇな。魔剣が使われている」
一目見てそう断言したゼノに、「ええええ〜……」とアッカードが情けない声をあげて点を仰いだ。
「魔剣? 魔剣ってあの魔剣だよね? ええぇ……勘弁してくれよ〜」
「確かに魔力を感じるわね」
リタも検分するように遺体の胸元を見つめていると、ゼノが遺体の右肩あたりにそっと手を置いた。
「!?」
途端に、右肩から左腰にかけてざっくりと鮮やかな傷跡が現れ、皆が目を剥く。
「なに? どういうこと?」
「魔剣の傷はな、切り口があまりに鋭すぎるため綺麗に引っ付いて見えなくなるんだ。おまけに魔力が付与されるもんだから、普通に触ってもわかりゃしねぇ。けど俺が触ると魔力が飛ぶせいか傷口が現れる」
そんなカラクリで傷が見えないなんて。
驚くリタや自警団の面々とは異なり、アッカードは魔剣についてもある程度知識はあったのか、ああ、やっぱりか〜、嫌な予感がしたんだよね〜と額を押さえている。
「最初の頃は傷口が見えたって言ってたな。そいつらの遺体もすべて右肩から左腰にかけて斬られてるでいいんだな?」
「ああ、そうだね。犯人の利き手の関係なんだろうね〜。すべて右から左にかけてだよ」
「同一人物に間違いなさそうだな。おまけに魔剣の使い方に慣れてきたってことか。最初は傷が消えるほどの剣筋ではなかったってことだろうからな」
慣れてきたとは不穏な話だ。
「魔剣の扱いに慣れてきてるなんて危険じゃないの! ……そいつは魔剣を使いこなしているということ?」
「上達はしてんだろうさ。だが、魔剣に認められた使い手かどうかはわからねぇな」
「鞘に収められてこそ、というからね」
はぁ、やだやだ、厄介だな〜と情けない表情で嘆くアッカードを無視して、ゼノは遺体に布を被せ直した。
「魔剣が関わっているなら放ってはおけねぇな」
「当然だよ。そこは剣聖様のお仕事だからね」
「別に俺の仕事って訳じゃあ」
「第三盟主が噛んでるならゼノの仕事に決まってるでしょう」
それにゼノこそが「魔剣の使い手」なのだ。魂に刻まれているのだから間違いない。
「それで、期限がどうこうとあのいけ好かない男が言い捨てて言ったけど、なんなの?」
遺体のある部屋から出てリタがそう問えば、ああ、あれねぇ、と大仰にため息をつきながらアッカードが肩をすくめた。
「期限までに通り魔の犯人を捕まえられなかったら、私をクビにして自警団の団長をウェルゼルが推薦する者に変更するっていう話なんだよ。いやぁ、私としてはありがたいんだけど、ウェルゼルの推薦っていうのがね〜。また問題しかおきないだろうなって思ってね〜」
後任がウェルゼルの推薦じゃなければ今すぐにでも喜んで交代するんだけどね〜とあははと笑うアッカードに、顔色を変えたのは自警団の団員達だ。
「アッカードさんを追い出すですって!? 冗談じゃない!」
「この花街を平和に保っているのは女将連とアッカードさんじゃないですか!」
「評議会の一員といえども横暴だ! アンドリュー様はご存じなのか!」
「どういうことですか!?」
評議会?アンドリュー?誰それ?と首を傾げるリタの隣で、団員達が怒りも露わに叫び出せば、その声を聞きつけて他の部屋にいたと思しき団員達までが慌てて集まってきた。
「団長、それ本当ですか!?」
「あの野郎、勝手なこと言いやがって!」
「評議会の許可を得てのことだろうな!?」
「アッカードさんをクビにするなんて馬鹿げてる!!」
「評議会が許可したとしても許せん!」
やる気のなさそうなアッカードの意に反して、団員達の信頼はとても厚そうだ。というか、ガタイのいい団員達に詰め寄られ、小柄なアッカードの姿は見えなくなってしまった。
「人望があるということはわかったわ」
本人は頓着なさそうだけど、とリタが肩をすくめて呆れるように言えば、ゼノも苦笑を返した。
「はははっ。気弱そうに見えるが、元レーヴェンのクラスS冒険者だからな。ミルデスタ支部長のゴルドンやギルド長のネーレイヒがいるだろ。アイツらのパーティメンバーの一人だ。俺もアッカードがここで自警団の団長をやってるたぁ知らなかったが」
「え!? 元クラスSなの!?」
まったく見えない。おまけにギルド長やゴルドンのパーティメンバーなら強いに決まっている。
自分は人を見る目はある方だと思っていたリタだったが、アッカードがそんなに強いとはまったく思いもしなかった。敵として会ったなら油断してやられていたかもしれない。
ごくりと息を呑んだリタをゼノが苦笑する。
「気付かなくてもしょうがねぇよ。アイツは危険だったり面倒な事が大嫌いだからな。ギリギリまで実力は発揮しねえし、なるだけ目立たねぇように普段から気配も薄くして周囲を欺いているんだ」
まあ、単に面倒くさがり屋なだけだけどな、と朗らかに笑うゼノも、アッカードの事は信用しているのがわかる。
なら、この花街の女性達のためだけでなく、あのいけ好かないウェルゼルの鼻を明かすため、そして自警団の人達のためにも本腰入れてとっとと通り魔の犯人を見つけてやるしかないわね。
——ゼノを馬車馬のようにこき使ってでも。
にっこりと笑いかけるリタに、ゼノは、ん?と小首を傾げた。
いつも拙作をご覧いただきありがとうございます。




