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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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(七)シュエルディスタ炎上

今回も少々残酷なシーンがあります。



 バルチェスタ教会本部内に併設されている修道女機関(シュエルディスタ)の聖堂は、大聖堂と比べると随分小さく、地方の一教会と大差ない大きさではあったが、大聖堂と大きく変わらない時期に建立されていたため、古いながらも荘厳な雰囲気が漂っていた。

 今宵、ここでは神に祈りを捧げる儀式が行われるため、昼間から慌ただしくシスター達が動き回っていた。

 下働きの幼い孤児達はいつも以上に丁寧に聖堂内を磨き上げ、最後に祈りを捧げて聖堂を後にする。


「今夜の儀式では像が飾られるそうよ」


 聖堂内で口を開くことを固く禁じられているため、外へ出てから一人の少女が囁く。木立が並ぶ庭の遊歩道を歩きながら、それを聞いた少女達が、まあ、とうっとりするように頬を染めた。


「いいなぁ。私も見てみたい」

「シスター見習いになれば見られるってカリサ姉様が言っていたわ」

 十四歳になればただの下働きからシスター見習いとして認められる。

そうすれば動ける範囲も広がるし出来る事も増えるのだ。今はまだ清掃と日々の祈りだけが仕事だが、他のシスターのお手伝いや、もしかするとカリサのようにリリーディア様のお世話だって出来るかもしれない。


「カリサ姉様がこんなに急にどこかへ行くなんて思わなかったわ。遠くに行くにしても最後はちゃんとお別れを言えると思っていたのに」


 しゅん、と少女の一人が項垂れて呟けば、その隣を歩いていた少女も悲しそうに頷いた。


「リリーディア様のお世話がお仕事だったから、ずっとここに居てくれると思っていたのに」


 それを聞いて別の少女が心配そうに頷く。


「シスターネラは、リリーディア様のお使いで急に地方の教会へお勤めする事になった、っておっしゃっていたけれど……」


 彼女達の身の回りの物などほとんどないに等しいが、カリサが出かけた翌日には部屋は片付けられてしまった。もう戻って来ないから、と言われて少女達はとても残念だったのだ。

 彼女達の中からシスター見習いになった者の中には、これまでも急に帰って来なくなった者は何人もいる。ちゃんとお別れの挨拶が出来た者は一握りだ。カリサは、遠くに行くことになったらちゃんとお別れの挨拶はするから、と約束していたのに果たされることはなかった。


「でもマルリエ様のご命令ですぐに動かなくちゃいけなかったのなら仕方ないわ」


 シスター見習いにとって監督するシスターの命令は絶対だ。ここに一度戻る時間さえ与えられなかったのならカリサ達を責められない、と少女達もわかっている。


「どうしたの?」


 少女達の中の一人が突然立ち止まったので他の少女達も立ち止まる。少女は青い顔をして俯いたまま、掃除道具をぎゅっと握りしめていた。


「カリサ姉さまは……本当に地方の教会へ行ったのかな」


 ポツリと呟かれた言葉に、きょとんと他の少女達が小首を傾げた。


「シスターネラはそうおっしゃっていたわ」

「でも! ……カリサ姉さま、前の日に言ってたの。大事なご用事を頼まれたって。ちょっと危険があるかもしれないけれど、やり遂げてみせる、って」


 震えながら小さな声で呟く少女に、他の少女達が顔を見合わせた。


「……どういうこと?」

「わからない」


 少女はふるふると頭を振ってそれだけ答える。


「わからないけど、誰にも秘密よ、ってこっそり教えてくれたの。カリサ姉さまもよくわからいみたいだったけど、ちょっと震えてた。大丈夫、やり遂げて戻ってくるからって言ってたけど……姉さま帰ってこなかった……」


 その言葉に、少女達の顔に不安が過った。

 その少女は身体が小さく、カリサがよく面倒を見ていた一番仲の良い子だ。彼女にだけこっそりと何かを話すというのも十分あり得る。

 だが今の話が本当なら、カリサは本当に地方の教会へ行ったのだろうか。何をやり遂げる、というのだろうか。そして危険があるかもしれないというのはどういうことか。


「……今まで帰ってこなかった姉さま達も……」


 ぶるり、と肩を震わせて不安そうに少女が呟く。


「だ、大丈夫よ。だってシスターは地方の教会に行ったっておっしゃったのよ? 嘘の筈はないわ」


 不安を打ち消すように別の少女がそう言い、皆もそうよ、と頷いたもののその表情が晴れることはない。


「あなた達、掃除は終わったの」


 突然、そんな声がかかって少女達はびくりと肩を跳ねさせて振り返った。

 上司であるシスターネラが微笑を浮かべて立っていて、少女達は慌てて掃除道具をその場に置くと、深々と頭を下げた。


「はい、シスターネラ」

「終わりました」


 少女達の返答に、そう、ご苦労様と満足そうに微笑するシスターの顔は実に慈愛に満ちたものだ。


「今夜、大事な儀式がある事はあなた達も知っていますね」

 はい、と少女達が頷く。

「あなた達は儀式の最中、聖堂ではなく別の場所で主神に祈りを捧げてもらいます」

「それは」


 シスターネラの言葉に先程までの不安も忘れて、少女の一人が頬を上気させて口を開いた。


「私達も、儀式に参加出来ると言う事ですか?」

「——ええ、そうです」


 まあ、と少女達が顔を見合わせ、嬉しそうなはしゃいだ声を上げる。その喜ぶ様を微笑ましく見つめてから、こほん、と軽く咳払いをして少女達を黙らせる。途端に口を閉じて背筋を伸ばした少女達を満足そうに見遣ってから続けた。


「それまでに夕食と禊を済ませて宿舎の地階にお集まりなさい。そこで祈りを捧げてもらいます」

「地階ですか?」

「宿舎の地階は……」


 普段足を踏み入れる事が許されていない場所を指定されて戸惑う少女達に、シスターは安心させるように笑顔を浮かべる。


「あの地階は、今回のように儀式を行う時にのみ開放されるのです。めったに開放されないのですが、手入れは行われているので心配はいりません」


 はい、と少女達が笑顔で頷いた後、その中の一人が「あの」とおずおずとシスターに話しかけた。


「地階でお祈りをするだけで儀式への参加になるのですか? どなたかがおいでになったり……そちらには神像があるのでしょうか」


 期待に満ちた言葉に、他の少女達も目を輝かせた。彼女達は聖典を読むことは出来ても神像を目にする機会は与えられないのだ。儀式に参加出来ると聞いてもしかして、と少女達が期待に胸を膨らませたのも無理はない。


「地階に像は飾られません」


 故に、シスターネラの言葉に目に見えて肩を落とした。その落胆っぷりが想像以上だったからだろうか。シスターが少し逡巡した後に口を開く。


「けれど、あなた達が祈りを捧げる場所には魔法陣が浮かび上がります」

「魔法陣?」


 それは聞いた事がある程度で、少女達が実際に目にしたことのないものだ。

 そもそも、魔法陣は転移魔法陣しか今は残っていないというのも有名な話で、転移陣以外の魔法陣を目にする機会はないと言っていい。


「ええ、そうです。祈りを増幅する魔法陣——あなた達の祈りを力に変える魔法陣です。その中で祈りを捧げれば、あなた達も神にお目にかかることが出来るでしょう」


 本当ですか!?頑張ってお祈りします!と目を輝かせる少女達にもう行くように促せば、少女達は掃除道具を手にシスターに一礼すると、先ほどよりも軽い足取りで宿舎に向かって歩き出した。途中、一番小さな少女が不安そうな表情を浮かべてシスターネラを振り返ったが、ネラと目が合うと慌てて顔を逸らす。

 楽しそうに戻ってゆく少女達の背をしばらく笑顔で見つめていたシスターネラは、その姿が完全に見えなくなるとすとんと表情を消し、先程とは打って変わった冷ややかな雰囲気で踵を返した。

 シスター達がいなくなった庭の木の上。

 先ほどの会話を盗み聞きしていた青年が、ふぅん、と呆れたように呟いた。

 青年ではあったが、身に纏うのはシスター達の修道女服だ。


「神様にお目にかかれるってさぁ、死ぬよって事じゃない? 孤児の少女達に笑顔で怖い事言うよね、シュエルディスタのシスターって。おまけにカリサちゃんとやらは捨て駒にされたカリサちゃんだよね。少女達に好かれてたんだねぇ」


 揶揄するような言葉に、しかし返事は返らない。

 ほんとご機嫌斜めだな、と青年は呟き背後にいる筈の男に目を向ける。こちらはいつもの神父服姿だが完全に気配を殺しているので、その道の者でなければ気づかないだろう。


「こっちでも今夜最奥の聖堂と同じ儀式を行って、そのセレスフィーネとやらに力を捧げるみたいだね。差し詰め少女達は生贄ってところか。——それで? ロレッティオはどうしようって?」


 情報部署(ノトアディスタ)に所属する青年カイルに重ねて問われ、ロレッティオは眉間に皺を寄せ不機嫌に睨みつけた。


「決まっている。儀式をぶち壊す」


 まあ、そうだろうねと肩をすくめた。

 コルテリオの問題児ロレッティオがカイルの元へやって来たのは十日程前の事だ。恐ろしい形相でシュエルディスタを調べたいと言われた時に、あっ、コイツ知ったんだな、と情報部署(ノトアディスタ)でも上層部の者しか知らない、シュエルディスタの裏切り行為の事だとすぐに思い至った。そもそもこのロレッティオがわざわざ情報を求めてノトアディスタに来ること自体が珍しい。情報を軽視しているとまでは言わないが、きちんと裏取りをするために自ら情報を知りたいとやって来ることなどこれまでなかったことだ。

 それと同時になんて面倒な、と思ったのも事実だ。この重要事項は開示時期を誤ると大変な事になる上に、行動を起こすなら他の部署と連携も必要だし、背後にいる者が大昔からの主神の敵だと聞かされれば、簡単に動いていい案件でもない。

 それをこの我慢のきかない男に知られた。

 なんらかの計画が進行中の今は勝手に動き回られると困るという事で隊長のスルシュに相談すれば、暴れる機会を与えるからそれまで抑えておけと任されてしまった。カイルからすればとんだ貧乏くじだ。

 シュエルディスタの真実を教えてやれば、今にも乗り込んで皆殺しにしそうな勢いのロレッティオを止めるために、今夜行われる企み——それは、シュエルディスタの企みでもあり、こちらの企みでもある——の全容を説明する事でかろうじて我慢させる事に成功した。

 お預けさせた分、凶悪さに益々磨きがかかってるんだけど。

 それでも殺気を毛一筋分程も漏らさないのは流石である。


「うちの隊長からは罪のない子達は助けてやれって言われてるんだけど」


 さっきの少女達とかさ、と呟いて彼女達が歩いて行った方にチラリと視線を向ければ、ギリッと奥歯を噛み締める音が響いて怖い怖いと冷や汗をかく。


「チッ。あいつらも信仰しているのはセレスフィーネだろう。それだけで大罪だが——更生の余地があるなら見逃してもいい」


 不本意、とハッキリと顔にかいてあるが、提案を受け入れる余地は持っているらしい。きっとディラード隊長に殺しすぎるなと釘を刺されているに違いない。


「それは問題ないと思うよ。聖典はこっちの教会と同じな事は確認してるし、神様の名前だけの違いならシュエルディスタがいかに凶悪かを理解させれば改心出来るでしょ」


 カイルは軽くそう告げたが、それを聞いたロレッティオの表情が益々険しくなって、ええ、とドン引く。彼が怒りを募らせる要素があっただろうか。


「……聖典が同じ、だと」

 ああ、そこかぁ、と頷く。

「手抜きもいいとこだよね。まるで教義なんかはどうでもいいって言ってるみたいだ」


 事実どうでもいいのかもしれない。ソリタルア神ではなくセレスフィーネを崇めさえすれば、信仰の中身などシュエルディスタにとってはどうでもいい。そのあたりはカイルからしても神殿よりも好きになれないところだ。神を支配の為の手段にしている。


「まあ、怒る気持ちもわかるけどさ。とりあえず今夜まで辛抱してよ」


 宥めるようにロレッティオに手を振るカイルに、ふん、と鼻を鳴らすと、わかっている、と小さく呟いた。


「アザレア様の計画を台無しにする気はない」


 不貞腐れたような口調であったが、ソリタルア神の遣わした聖女に反抗する気はないらしい。そのあたりはロレッティオが敬虔な信者であると信頼を得ている所以でもある。


「……先程の少女達は魔法陣が起動する前にカイルが助けてやれ」


 ポツリと追加された言葉に目を瞬く。

 先ほどの不本意そうな表情とはちょっと違う。純真な彼女達がセレーネだかセレスフィーネだかに利用され殺されるのを不憫に思ったか。


「荒事は専門外なんだけど?」

「彼女達の宿舎付近の敵は真っ先に消しておくし、眠るように仕向けておくから、アネリーフェの修道士達で地階から運び出せばいい」

「……男子禁制だろ」


 修道士なんか入れられないとカイルが返せば、隊長に許可を得ていると言われて閉口する。

 ディラード隊長も大変だなぁと同情しつつ、まあ許可しなければ面倒だからと全員殺りかねないもんねと頷く。そこはアザレアの手前、ディラードも避けたいのが正直なところだろう。実態を掴むためにも生き証人は必要だろうし。


「わかったよ。助けた方がいい子は孤児達の宿舎に放り込んでて」

「他にいない」


 冷ややかに吐き捨てると話は終わったとばかりに木の上から姿を消した。気配すら感じられなくなって、カイルは大きくため息を吐いて両腕をさすった。


「ひ~、怖い怖い。めちゃくちゃピリピリしてるじゃないか。なんであんなの野放しにしてんのさ」


 都合がいいからだろうけど、とロレッティオに片づけさせたい上層部の思惑は考えないようにする。


「まあ、信仰云々は置いといて——敵の力を削ぐのは戦略として当然の事だよね」


 そう呟くと、カイルもよいしょっ、と木から降りてシスターに扮したまま最後の仕上げのために歩き出した。



 * * *



 リリーディアやマルリエ達修道女機関(シュエルディスタ)の主だったシスター達は、最奥の間で儀式が始まるよりも前に、シュエルディスタの本部を後にしていた。リリーディアの足腰が弱いため、ゆっくりと歩いていく必要があるからだ。

 シュエルディスタの小さな聖堂に入れる人数は限られる。入りきれないシスター達は、それぞれの宿舎の食堂に集まり祈り捧げることになっていた。地階を指定されたのは見習いシスターの少女達だけだ。

 本来であれば、今の時間はシュエルディスタ内は女神セレスフィーネのための祈りが満ち溢れている筈だった。

 はず、というのは、実際には祈りなど捧げられていないからだ。

 それはもちろん——教会情報部(ノトアディスタ)のカイルの仕業であり、暗殺部隊(コルテリオ)のロレッティオの仕業でもある。

 ここ聖堂でも、集まったシスター達が祈りを捧げる姿のまま倒れ込んでいる。薬で強制的に眠らされているのだ。

 シスター達が眠りに落ち静まり返った聖堂の入口で、フランベルジュを手に佇むロレッティオが鼻をひくつかせながらニヤリと笑った。


「ふふん。臭う、臭うぞ。耐え難い腐臭だ——やはりお前達は()()()側だったなぁ!」


 聖堂に飾られた小さな女神像に向かって投げ飛ばした炎弾が、魔獣によって打ち消される。魔獣は、女神像を護るようにその場に佇みロレッティオに向かって低いうなり声をあげた。

 本来ならば教会内の、それも聖堂の中に忌まわしい魔獣を招き入れるなど許される事ではない。それが屍であれば尚更だ。

 くす、と笑い声と共に甘ったるい独特の香りが漂う。

 屍操術の腐臭を消すための香りであり——同時に人を調教するための香りでもある。


「眠りに誘う薬の香りがすると思えば……いけない人ね、儀式の邪魔をするなんて。あなたはネグレス様の策に乗って、ヒヨリを追い落とすために最奥の聖堂にいる筈じゃないのかしら」


 サイドに大きくスリットの入った独特のシスター服に身を包み、派手な化粧を施したエヴァリアが、鞭を片手に祭壇奥から現れた。


「ふふん。体よく消してしまおうとしたらしいがそうはいかない。言ったろう? 腐臭がすると。鼻がもげそうなぐらい耐えらえない悪臭だ。我らコルテリオは悪臭の元を断つのも重要な仕事だからなぁ!」


 言い様、エヴァリアに向かって飛びかかった。

 すぐにエヴァリアが鞭を打てば、横から現れた二体の魔獣が足止めするようにロレッティオに襲いかかる。

 ——だが、切り裂かれたのは魔獣の方だ。


「っ!」


 エヴァリアが息を呑んだ時には、もう目の前にロレッティオが肉薄していた。


「お前はさぁ」

「っ……!!」


 左腕を切り落とされ、悲鳴を上げる間もなく思い切り腹を蹴られ吹き飛ばされる。そのまま女神像の前を守る魔獣にぶつかり床に転がった。


「敬虔な信者でもなければ、ソリタルア神への信仰心など元々持っていない癖に、ずっとこの教会にいたよなぁ」


 左手で顔を押さえ、剣を一振りして付着した血を払い落とすと、静かにエヴァリアに近寄ってくる。ビリビリと周囲の空気を震わせる殺気に口を開く事すら出来ない。

 浅い呼吸を繰り返しながら、切り落とされた左腕の傷口を押さえて唇を噛み締める。


 ——これほど強いなんて!!

 想定外だ。コルテリオの下っ端とは全然違う……!


 自分の手駒が役に立たない上に、調教用の香水もまったく効果が見られない。

 これが五指の実力かと今になって思い知っても遅い。

 死の森の魔獣を屠る力をも持つロレッティオからすれば、死んでいる上に人に操られている魔獣など、速さも力も話にならないレベルだ。

 もっとも、ロレッティオはここ最近ずっと、最大の裏切りに対して怒りを押し込め我慢してきていたので、今この時に怒りが最高潮に達し箍が外れている。常以上に鋭く危険になっていると言っていい。もしもデルがこの場にいたなら、一も二もなく撤退を選んだに違いない。

 それでも理性を保とうと顔を押さえていたが、左手の甲や額に浮かぶ青筋を見るに上手くいっていなかった。


「それが、前々から気に入らなかったんだぁ。——加えて、シュエルディスタへの加担。許し難い。——ああ、ああっ、まったくもって許し難いな!」


 ひゅん、と空気を切り裂く音が聞こえたと思えば、エヴァリアの背後の魔獣が切り刻まれ、その姿を灰に返す。


「っ!」


 そのまま、聖堂内に血飛沫が舞う。


「だがまあ、お前の節操のなさは許そう! 第一に据えるのが神ではなく権力や金というだけの、ただの俗物だ! 敵に加担した罪で切り刻みはするが、そんな者は今までにも数多存在したからなぁ!」


 実に俗物らしい存在だ!と大声で叫び剣を振り回す。

 その度に血飛沫が舞い、エヴァリアの身体が無数に切り刻まれていく。

 ごほっと血を吐き倒れ込むエヴァリアの血臭で、彼女から発せられていた腐臭も甘い香りも上書きされていく。

 ピタリと、突然に振り回していた剣の動きが止まった。

 不気味な静けさが聖堂内を支配する。

 身体中を斬り刻まれ、もはや指一本すら動かせない状態だったが、この場を支配するロレッティオの激しい怒りに、エヴァリアは這ってでも逃げ出したくなった。


 ——怖い……!


 身体は動かないが自分の意識もしっかりしているし、すぐに命が消失する気配もない。故に、恐ろしさに身体が震える。いや、既に感覚はないのでわからないが、震えている筈だ。


「穢らわしい……! 穢らわしい!! 女神だと……!? この、バルチェスタの、ソリタルア神のお膝元で! ぬけぬけと同じ聖典で、別の神を崇めさせるなど!! ——そんな裏切り行為」


 ずん、と怒りを纏った強烈な殺気が、エヴァリアを襲った。


「許される訳がない」


 ガシャーン!と派手な音と共に、祭壇に飾られた女神像が聖堂のガラスに叩き付けられる。そのまま、縦横無尽に剣を振り回し、女神像諸共に聖堂内部を斬り刻む。


「恥知らずが! 神に仇為す愚か者共め! 貴様らに生きる資格などない!! この世に存在した証すら、ひとつ残らず消し去ってやるさぁ!!」


 聖堂内の什器や窓は元より、そこで眠っているシスター達の身体までが斬り刻まれ、血飛沫が舞う。


「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ、消えてしまえ! あっははははははは! ソリタルア神の敵など、皆殺しだ!!」


 狂ったように笑い、叫び剣を振り回す。その狂気に似た行動にエヴァリアはがたがた震えながら、意識を失うことさえ出来ずにいた。

 目の前で舞う赤い血飛沫で何も見えず、ロレッティオの狂気に満ちた笑い声と物が破壊される音に、耳を押さえるように頭を床に伏せる。痛みよりも恐怖の方が勝ってじっと息を顰めて震え続けた。

 どれぐらいそうしていたのか、気づくと肩で息をするロレッティオの荒い息遣いだけになり、恐る恐る目を開けて顔を上げたエヴァリアは、聖堂内を破壊し尽くし、歪んだ笑みを浮かべたロレッティオと目があって、ぎくりと身体を強張らせる。


「……っ」


 その血走った目に、ひ、と喉奥で悲鳴をあげ、後ずさる。

 ニタリ、と笑う顔に狂気が宿る。


「ゴミはすべて始末しないとなぁ」


 広げた両手に炎が宿る。まさか、と瞠目した次の瞬間には、聖堂内に火の手があがる。斬り刻んだシスター達の身体が、セレスフィーネの女神像の破片が、聖堂が、そして——エヴァリアの身体も炎に包まれた。


「ーーーーーーっ……!!」


 生きたまま焼かれる熱に声にならない悲鳴を上げて、その場でのたうち回るエヴァリアの四肢を、ロレッティオが容赦なく斬り捨てる。それでも足りないとばかりに斬り刻んだ四肢も、胴もさらに細かく斬り裂き、とうとう動かなくなった事を確認すると、興味を失ったかのように蹴り飛ばした。


 血臭と肉の焼ける臭いが充満する聖堂を、赤い炎が舐めるように包み込み、さながら地獄絵図の様相を呈している。破壊された柱や壁、床を見ても魔法陣が浮かび上がることはなく、ロレッティオは斬り刻んだ女神像が確実に炎に焼かれるのを無言で見つめた。

 血まみれで刃の欠けたフランベルジュを片手に、聖堂の中央で自身も炎に包まれる危険を負いながら、聖堂内の神に関するモノが残っていないかを注意深く確認する。


 これで、確実にソリタルア神の敵でありアザレアの敵でもあるセレーネの力は殺げただろうか。


 先程の狂気に犯された色は鳴りを潜め、非常に冷静な表情で再び聖堂内を見回す。息のあるものが居ないことを確認すると、ロレッティオは踵を返して聖堂の入口に向かってゆっくりと歩きだした。火の周りが早いのは、魔法以外に油も準備していたからだ。什器を斬り刻む際に準備していた油壺を割ってまき散らし、すぐに火が回るようにしておいた。

 自身も危険ではあったが、炎に焼かれるのなら本望だ。


「うっわ、また派手にやったな~!」


 聖堂を出たところで、ノトアディスタのカイルの呆れた声が聞こえてそちらに目を向ける。

 今もまだシスター姿なのは作戦遂行のためか。

 シュエルディスタの敷地内を見渡せば、他の建物からも火の手が上がっているのがわかった。


「ちゃんと跡形もなく消し去ったのか」


 それが物か人を指しているのかはわからないが、カイルはもちろん、と頷いた。儀式が始まれば、すぐに眠らせて火を付ける手筈になっていた。孤児達の宿舎だけは、眠らせて孤児達を上の階に移動させただけだ。そのままにしておくと起動した魔法陣で命を落とすことが予想されていたからだ。

 皆が確実に眠りに落ちる間に、監督するシスターや見張り、連絡要員となっていたシスター、そして護衛として入り込んでいたエヴァリアの配下はロレッティオとアネリーフェの修道士達で片付けている。


「まぁね。……ていうか、お前エグくない? ちょっと腕とか頭とか転がってるのが見えたんだけど? 眠らせたまま火で焼くだけの予定だったんじゃなかった?」

「屍操術の親玉がいたから手加減してあげられなかったのさ」


 勿論、そんな訳はない。

 あの聖堂に集まるシスター達は、リリーディアやマルリエ同様シュエルディスタの主だった者達であり、この裏切りを主導していた側なので、ロレッティオは最初から穏便に済ましてやる気などなかった。ただ取り逃したくなかったし、生きていると悲鳴が耳障りだろうから、眠らせただけだ。


「ああ、エヴァリアね。彼女今日は向こうじゃなくこっちに詰めてたのか。でも、お前からすれば格下だろうに」


 後れを取る訳ないだろう、とジロリと睨まれたが、ロレッティオは肩を竦めてスルーした。


「こっちにもエヴァリアの手下がうろついていたけどさ、いやぁ、アネリーフェちゃんの修道士って強くて優秀なんだね! あっという間にやっつけちゃって驚いたよ」


 カイルがチラリと背後に目を向けそう言うので、ロレッティオもつられてそちらを見れば、修道士が十人ほど並んで立っている。その右腕の赤い腕輪を見て目を瞬いた。


「へぇ、よく彼らを貸してくれたねぇ。赤い腕輪はアネリーフェ直属で他者の命令を受けなくても処罰されない者達さ」

「ディラード隊長に頼んだら彼らを派遣してくれたんだけど。あれ? これ後で俺がアネリーフェちゃんに怒られる感じ?」


 その言葉にロレッティオは眉を顰めた。


「隊長? アネリーフェではなく?」


 ディラードが動かせないこともないが、アネリーフェもヒヨリと共に帰って来た筈なので、彼女直属の者ならアネリーフェが動かすのが道理だ。


「ああ、アネリーフェちゃんはすぐに外に出されたみたいだよ」

「出された? こんな時に?」

()()()()()()()じゃない?」


 けろっとした表情で返されて、ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 実際、コルテリオの五指——トップのラースが居なくなったので今は四指だが——はバルチェスタにいない。ルカはアルカントに行ったままだし、ベルツも西大陸に派遣されている。十指にまでに範囲を広げてみても、本部にいない。まるであえて遠ざけたように。

 ロレッティオはラースが死んだ後、公に声が掛からないのをいいことに自由に動いてきた。ハインリヒからシュエルディスタの実情を知らされた後、ディラードにシュエルディスタを潰したいと伺いをたてれば、時を待てと今日の企みを教えられた。情報部署(ノトアディスタ)も噛んでいる事を知りカイルに裏付けをとれば同じように今日まで動くなと釘を刺された。

 色々な危険性を考えてコルテリオの上位を本部から出していたのだろうが、中でもアネリーフェはヒヨリを崇拝している。ヒヨリの死が確実なこの企みを知れば、邪魔されることを危惧したに違いない。

 そこまで考えてカイルの背後にいる修道士達を見れば、彼らも無言でロレッティオを見据えている。その目はしっかりと意志を感じさせるもので、戦闘モードにもなっていない。彼らも事態をきちんと理解して動いているようだ。


「彼らはカイルの護衛と孤児の救出にあたっただけだろう? アネリーフェも怒ることはないだろうさ。——大丈夫。何かあれば私やルカが口添えするとも」


 その言葉に安堵を見せたのはカイルではなく修道士達だ。彼らはアネリーフェを慕っている。調教士という立場にありながら、彼女は彼らを大事にし彼らが生き延びるために鍛え手を尽くしてきた。アネリーフェは兄バイセンが同じ修道士という立場ゆえに、絶対に彼らを使い捨てにはしないのだ。そこがルカに通じるものがある。ロレッティオとは相容れない考え方だが、否定する気もない。彼女が調教した修道士は優秀なので、ロレッティオが借りる場合も使い捨てにはしないように注意を払っている。——それでも扱いが荒い、とアネリーフェには詰られてばかりだったが。

 今回の事を知ればきっとアネリーフェは怒る。修道士達が危惧しているのはその時にアネリーフェがどう動くかだろう。万が一、その行動や考えをディラード隊長が面倒だと思えば切り捨てられる可能性があるが、ロレッティオやルカが口添える——消されないように手を貸してくれると聞いて安堵したのだ。

 ヒヨリを崇拝していても、アネリーフェがソリタルア神の信者であることに間違いはない。ロレッティオも優秀な彼女をみすみす切り捨てる気はないし、隊長の本音もその筈だ。

 でなければ、ヒヨリと共に儀式に放り込んでいた筈だ。


「ならいいさ——お」


 その時、カラーーンと鐘の音が鳴り響いた。

 魂を揺さぶるその音色に、ロレッティオや修道士達は思わずその場に跪き祈りを捧げた。カイルもそれに倣って跪く。

 血臭と炎が舞う凄惨なこの場にあって、その音色はひどく清澄な気を纏い、まるでこここそが聖堂であるかのような雰囲気を作り出した。

 鐘が七回打ち鳴らされたのを聞き終え、全員がゆっくりと立ち上がる。

 ロレッティオの頬は涙で濡れている。福音の鐘にいたく感じ入ったらしい。

 それを見たカイルは内心でうわ~、ほんとコイツマジモンだよなぁとドン引いたのだが、チラリと背後を見遣って修道士達の目が潤んでいるのを見て唇を引き結んだ。なんだか自分だけが敬虔な信者でないみたいではないか。

 カイルだって感動で胸が震えたのは嘘ではない。——ただ、彼らのように涙を流すほどではないだけで。


「それより早くここを出よう。火の勢いが強い」


 孤児達の宿舎とシュエルディスタの外には燃え広がらないよう、火除けの魔道具を仕掛けているので周囲に影響は出ない分、シュエルディスタの領域内は非常に危険だ。


「生き残っている裏切り者は本当にいないだろうな」

「ここにはね」


 燃え広がる炎を見遣りながら尋ねれば、含みのある答えが返ってきてロレッティオは眦を吊り上げ、カイルを睨み付けた。途端に漂った殺気に、カイルが両手を挙げてロレッティオを宥める。


「怖いって! だってシュエルディスタだよ? 所属するシスターは地方にだって存在する。いないとは言えないさ」


 実際にいることを、すべてではないがノトアディスタは掴んでいるに違いない。

 その当然の答えに盛大に舌打ちを落とし、ならばここでグズグズしている暇はないとばかりに聖堂に背を向けて歩き出した。修道士達もロレッティオについて歩き出す。

 一人置いてけぼりを食う形になったカイルが、慌ててその後を追う。


「勝手に動く前に、必ずディラード隊長に話をしておけよ!」


 ここを出たら飛び出していきそうなロレッティオの背にそう投げかけながら、ちらりと周囲に目を向ける。

 鐘が鳴ったという事は聖女アザレアが正しく力を使えたということだ。ならば作戦は上手くいったということだろう。

 ここはエヴァリア達しかおらずそれ以上の反撃はなかった。——まあ、戦闘力はもともと持っていなかったみたいだし。

 リリーディア達がどうなったのか気になるところだが、今はロレッティオの動きを抑えておかねばノトアディスタ隊長のスルシュに大目玉を食らう。

 ほんと貧乏くじだよなぁ、とため息をついて駆け出した。



 * * *



 ゼノやリタ達がバルチェスタに出かけた日の昼下がり。

 今日はギルドへも出向かずに休養日としてアインス達も家でのんびりと過ごしていた。

 トレは商会へ仕事に、ドゥーエは騎士団の予備隊で訓練へと出かけていたが、他の兄弟達はリビングで勉強をしたり本を読んで過ごしていた。オルグは三兄弟と共に読み書きを、アインスはフィーアやサラと一緒に地図や薬草の整理を行っている。

 アーシェもリビングで皆を眺めながら溜めていたギルベルト騎士団長からの手紙を少しずつ読み進めていた。

 毎日少しずつ読み進めてはいるのだが、やはり懐かしさや寂しさが募り、なかなか終わらない。——まあ、通数も多いのだが。


 ギルベルト騎士団長の手紙は、アインスの予想通り楽しい内容のものが多かった。それでもアーシェ達が眠りについたと思われる年の手紙には、ゼノが呪いを解く方法を探して奔走している、という短い記述以外にゼノに関する情報はなく、きっと書き記せるほど正気の状態にはなかったのだろうとアーシェは思っている。

 そのことを考えただけでも胸が痛い。

 母を失った時のゼノの落胆ぶりを側で見てきた。アーシェやサラがいてもそうだったのだ。自分達がいなくなった後、ゼノがどう過ごしたかなど考えるのも恐ろしい。けれどそれに関する記述はギルベルトの手紙には一切なかった。


 二百年経っていた。カグヅチのお陰でもあるが、ゼノは諦めずにちゃんと生きていてくれた。自暴自棄になることもなくアーシェ達の記憶に残るゼノのまま居てくれたのは、ギルベルトやノアが側に居てくれたからだろうし、彼らがいなくなった後はヒミカやデュティ達——そしてノクトアドゥクスの担当者が寄り添ってくれたからだろう。

 ありがたい、とアーシェは思う。

 最近読んでいる手紙ではゼノも随分と落ち着いていたのか、ちらほらと登場する上に、これは目覚めたら絶対に叱ってくれ、と告げ口のようなお叱りの言葉も多くてアーシェも苦笑することが多い。

 今日も今日とて、こんな失礼な言葉を吐いてローグマイヤー公爵に手酷くやられていた、とアーシェも呆れる内容のものだ。


 あの公爵様にそんな暴言を吐くなんて、お父さんも懲りないな。


 今も改善しているようには見えないところが残念だが、と次の手紙の封を切った時、それに気付いて固まった。

 ただの手紙じゃない。

 触れなくとも、手紙に挟まれたモノが何かわかった。


 ——これだわ。


 ヴォルフライト騎士団長が予想していたモノ。

 本当に手紙で託されていたなんて。

 アーケイシアのレコードキー。

 アーシェはごくりと息を呑んでから、その手紙に指を伸ばした。

 



いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。

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