表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

212/236

(六)ソリタルア神の聖女



 その大聖堂の鐘の音はいつもの音とは異なり、より深く、より魂に届くように、バルチェスタに留まらず周辺地域にも響き渡った。

 時間が夜もまだ早い時間帯であったためその不思議な鐘の音に、窓を開け放ち外を覗く者や、外に出て大聖堂の方向を見つめる者達の姿が見られた。また大聖堂周辺に住む者達は通りに出て、自然と大聖堂前の広場に集まった。

 その鐘の音が示す事はわからないが、ずいぶんと荘厳で何らかのメッセージ性を感じたのだ。

 それは、不安や恐怖を煽るものではなく、人々の心に安寧をもたらすもの。

 普段は取り立てて感じる事はないけれど、いつも傍らに確かにあり寄り添ってくれる存在。

 その存在からのメッセージ。

 ——変わらず、ここにある。




 そして同時刻、各地域の教会においても同じように福音の鐘が鳴り響く。


「これは……」


 リタやアインス達の生まれ故郷カルデラント国、ハイネの町の教会でもその鐘は自然と鳴り響き、エルビス神父やシスターはすぐさま礼拝堂に足を運んだ。礼拝堂の祭壇に祀られたソリタルア神像の手前にある神火が、常よりも力強く燃え上がり、炎と共に柔らかな白い光が礼拝堂内を包み込む。

 その清澄な気にエルビス神父とシスターは神像の前に跪き祈りを捧げた。

 鐘の音に導かれるように、ハイネの町の人々も次々に礼拝堂に集まり、祈りを捧げるエルビス神父達の姿に倣って祈りを捧げる。

 各地の教会でも、ハイネと同様の光景が見られた。

 ここアルカントの教会でも、地下の礼拝堂にシスターテレシアやノリア、そしてルカやランチェス、孤児院の子供達が集い祈りを捧げていた。彼らから離れた礼拝堂の一番後ろでは、アネリーフェとバイセンも跪き祈りを捧げている。

 鐘の音と共に神火から立ち上ったアザレアの白い神聖力が礼拝堂を包み込む。


 ……これが、ソリタルア神の聖女の力。

 アネリーフェはその力を受け止めながら、感動に打ち震える。ヒヨリが強めた騎士団の加護の力やリタの癒しの力とも異なる、真実ソリタルア神の聖女の力。

 聖女が現れた事を示す福音の鐘が、人の手ではなくすべての教会で自然と打ち鳴らされているという事実に、魂が震える。これほど主神の存在を強く感じたことはない。

 ——ああ。こんなにも荘厳なのね……。

 知らず流れ落ちる涙を拭いもせずに、アネリーフェは熱心に祈りを捧げた。




 バルチェスタ大聖堂に集まっていた教会関係者は、その場に跪き一心に祈りを捧げる。

 ジーンワイスやダルセニアンといった騎士団関係者や情報部署(ノトアディスタ)暗殺部署(コルテリオ)医師・薬学部署(ターザディスタ)そして——聖女探索部署(フィルディスタ)。顔ぶれが代わった部署もあったが修道女機関(シュエルディスタ)を除くそれぞれの部署のトップと一部配下の者達が集っていた。

 今は白いシスター服に身を包んだアザレアが、彼らを背後に従えるようにその先頭で跪き、大聖堂の祭壇に飾られたソリタルア神像と原初の火に祈りを捧げている。

 その厳かな空気の中、壁際の柱の影からクライツは祈りを捧げるアザレアを見つめていた。

 聖女の祈りで、こういった鐘の音を打ち鳴らす事ができると聞いた時は、そんな馬鹿なと思っていたのだが、こんな光景を見せられては信じる他はない。各地の教会でも同時刻に鐘を鳴らすと同時に、アザレアの神聖力で礼拝堂を包み込むのだという。それが可能なのは過去にアザレアが赴き直接祈りを捧げたことのある教会だけだと言っていた。

 バルチェスタの教会に戻る、というアザレアを止める事は出来なかったし、千数百年という長き歳月を生き世界各地の教会で祈りを捧げてきたのは、今日という日のためだったのだ。それを邪魔するなどあってはならないことだし、ハインリヒから聞かされた今宵行われる話からアザレアがやらねばならない事だとクライツにも理解出来た。そして予想通り教会を支配していた黒の教皇ヒヨリはセレーネとやらに身体ごと乗っ取られ死を迎えたのだと、最奥の間から転移してきたリタや団長達から聞かされた。

 ここまでは師匠であるハインリヒやここに集っている教会上層部が読んでいた未来だ。

 七回打ち鳴らされた鐘の音がその余韻すらも収まった時、鐘に注がれていたアザレアから立ち上った淡く白い光が、今度は大聖堂の中を優しく包み込む。クライツも触れたその光は温かく、不穏な状況を耳にして少しざわついた心が落ち着きを取り戻してゆくのを感じた。


「リタさんの光とは確かに異なりますね」


 最奥の間からこちらに戻って来たシュリーが、隣に立つクライツにだけ聞こえるような小声で囁く。


「そうだな」


 リタの光も柔らかくあるが、彼女の性質を反映したかのように優しさよりも明るさと力強さをより強く感じとれた。だがアザレアの光は染み入るように心に入り、それと気づかぬうちに包み込まれるような心地よさを感じる。

 より齢を重ねて熟成されたような深みだろうか。

 まあ確かに、リタは十八年、アザレアは千数百年と生きてきた経験値が違う。


「ソリタルア神は我らが存在する限り、失われることはなない」


 白い神聖力を纏いながら、アザレアがゆっくりと立ち上がり、集まっている者達を振り返り静かに告げる。


「最奥の聖堂が失われようと、原初の火が絶えようとも」


 現場を目の当たりにしたジーンワイスとダルセニアンがその言葉に拳を震わせる。


「人々の祈りが——助けを求める声があるうちは、ソリタルア神が我らの側から姿をお隠しになることはない」 


 語りかけるように穏やかに、そしてその想いを届けるようにすいと両手を広げる。


「どのような恐ろしい敵が現れようとも、どのような策略が巡らされようとも、あなた達がいる限り、神もまた、われらと共にある。(われ)らが光よ」


 (われ)らが光よ、と復唱された後、一呼吸置いてから、アザレアが胸元の神の火(フランメ)を握り締め、魔力を込めた。それと同時に大聖堂の床に大きな魔法陣が浮き上がる。

 魔法陣は一際強い光を放った後、大聖堂の柱を伝って天井まで達すると、そのまま上空から教会全体を包み込むように拡がっていった。

 少し緊張した面持ちでその魔術の発動を見つめていたクライツは、しばらくして左手首の通信魔道具が鳴動したのを受けて視線を落とす。ハインリヒからの合図だ。

 どうやら問題なく動作したらしい。

 柱の影に身を隠したまま、カツン、と力強く足を一度踏み鳴らす。その合図にアザレアが安堵の息を零したのがわかった。


 今夜、ネグレスは儀式と称してヒヨリからセレーネを引き剥がしヒヨリを拘束する予定だった。それに異を唱えなかったガルシア達管理官は、コルテリオやノトアディスタからその情報を掴み、逆にネグレスを失脚させようと誰もこの儀式を止めなかった。故にセレーネの企みは成功したのだ。

 ハインリヒやアザレア達がこの状況を知りながら儀式を止めなかったのには理由がある。

 セレーネを完全に倒すには、彼女にまず肉体を持たせねばならないからだ。憑依された者を倒してもセレーネには何ら影響を及ぼさない事は、この千数百年でアザレアがよくわかっている。

 魔王復活の兆しが見えない中でも、アザレアはセレーネの動向を探り、完全に倒すための方法を箱庭と共に探し続けてきたのだ。とにもかくにもまず逃げられないように肉体に縛り付けるのが第一の目的だ。


 ——故に、ヒヨリ本人の死は最初から確定だった。

 まあそこは正直なところ、クライツとして思うところはない。ハインリヒ同様、そこそこ怨みを買っていて常に狙われている人物だ。本人とて悔しくは思っても怨みには思うまい。


 そもそも長生きだったのはセレーネのお陰だったんだしな。


 ヒヨリに対して思うのはその程度だ。

 問題はその後。ヒヨリの身体を奪ったセレーネをどう確保するかだった。

 肉体を得たヒヨリはかなり手強い力を持っている筈だとの予想から、箱庭の知恵も借りていずれかの場所に閉じ込めるための魔法陣を構築し備えていた。長きにわたり悪巧みをして魔法陣を準備していたのはセレーネだけではない。アザレアもずっと昔から教会に捕縛の魔法陣を準備してきたのだ。

 先程のハインリヒからの連絡は、それが問題なく動作したとの合図だ。

 これで、肉体を得たセレーネをあの最奥の間に閉じ込めることが出来る筈だ。

 クライツも安堵の息をつき、ようやく肩の力を抜いたアザレアを見つめていると、大聖堂の横手から慌ただしい足音が近づいてくる気配に、コルテリオの隊長ディラードや騎士団長達がすぐさま立ち上がった。

 教会内で何か異変があればすぐさま連絡するように衛兵達に命令が下されているので、彼らに緊張が走るのは当然だ。


「大変です! 奥から火の手が上がっています!!」


 大聖堂に飛び込んできた衛兵達の言葉に、大聖堂の中が一気に緊張感に包まれた。


「どこからだ? もしや最奥の——」


 ダルセニアンが顔を強張らせて尋ねた言葉に、衛兵が大きく頭を振った。


「シュエルディスタの領域からです!」

「……火の手とはどういうことだい、クライツ」


 聞いていない、と眉根を寄せるアザレアに、クライツが慌てて柱の影から進み出て頭を振った。


「いえ、私もそのような話は聞いていません」


 修道女機関——セレーネの支配区域だ。それは中々にキナ臭い。

 信者を減らせばセレーネの力を削ぐことができると言ったのはアザレアでありハインリヒだ。

 具体的にそのような企みは聞いていないが、ハインリヒが噛んでいるに違いない、と確信めいた予感が頭を過る。


「シュエルディスタは勝手には踏み込めません! どうか立ち入りの許可を! このままでは火が燃え広がります!」

「——いや。衛兵は待機だ。周囲に燃え広がらないことに尽力して決して中に入ってはならない。——外へ出てきたシスター達は保護するように。保護した怪我人は速やかに治療せよ」


 落ち着いた口調でそう命令したのは、コルテリオの隊長ディラードだ。その言葉にジーンワイスとダルセニアンが恐ろしい形相で振り返った。

 言葉は発せられなかったが、貴様の仕業か、とその目が如実に物語っている。

 衛兵もディラードの言葉に何かを悟り、ぐっと唇を引き結んで敬礼して出て行った。

 この場にセレーネの事を知る者しかいなくなったところで、アザレアが非難を隠しもせずにディラードを睨みつける。


修道女機関(シュエルディスタ)のシスター達は事実を知らない者も多かったろうに、随分と強硬手段に出たんだね」


 怒りを滲ませるアザレアを見つめていると背後に人が降り立つ気配を感じた。デルだ。デルはクライツに歩み寄り背後からそっと耳打ちする。それを聞いて、やはり、とクライツは内心で頷いた。


「私は何も指示を出してしていませんが——血の気の多いコルテリオが一人、ここ最近シュエルディスタを探っていましたので」


 ディラードが静かに告げた内容に、クライツは首筋を撫でながら補足するように口を開いた。


「ええ、ディラード隊長の予想通り——ロレッティオが動いたみたいですね」


 ああ、アイツか——と納得の空気がこの場に流れたのは、色々とやり過ぎるきらいがあり、コルテリオの中でも問題児であると有名だからだ。それが許されてきたのは、彼が非常に敬虔な信者であり、それこそどのような汚れ仕事であってもソリタルア神のためであれば厭わないという気質のためだ。


「コルテリオ達——特に五指はお前さんが手綱を握っているんじゃなかったのかい」

「ロレッティオは時に命令よりも自身の信念で動く問題児ですので」


 特にソリタルア神関連では容赦なく、とのディラードの言葉は嘘ではないだろうし、恐らくそれはハインリヒの仕業だとクライツは確信している。

 少し前から、ハインリヒがロレッティオを手駒として操っているのをクライツは知っている。なにせ元ハンタースギルドの副ギルド長ブリューゲンスを討ったのも彼だ。奴が捕まれば教会にも塁が及ぶ事を匂わせて動かしたと、モーリー夫人からそれとなく知らされたのだから間違いない。

 そして今回もきっと、提案すれば却下される強硬手段を、彼を使って成し遂げたに違いない。恐らく唆したり命令したりなどしていない。ロレッティオの性格を考えれば、事実を伝えるだけで勝手に動く。きっと本人は自分の意思で行動したと考えている筈で、ハインリヒの思惑に踊らされたなどとは夢にも思うまい。


 相変わらず無駄のない見事な動きだな……


 ロレッティオの性格は読みやすい方だが、それでも信者でない者の——特に敵対しているハインリヒの言葉をよくぞ信じ込ませ操ったものだ。

 まあ、アザレアの敵であるセレーネの力を削いだのだから、クライツとしても大きな声で非難はしない。恐らくアザレアや騎士団長以外は、内心よくやったと思っているに違いない。

 それに、ディラードが本当に知らなかったかも疑問だ。

 困惑した表情を浮かべるディラードに、アザレアは大きくため息を吐いて仕方ない、と呟いた。


「やってしまったのなら今更言っても仕方がない。それに……ここまでおおっぴらになったのなら、もう事は終えた後だろうね。——だが、命がある者は助けておやり」

「心得ました」


 実際はどうなのかとチラリと背後のデルに視線を向ければ、緩く頭を振られた。動いたのがロレッティオなら、アザレアの予想通り事は済んでいるのだ。

 後始末はなかなか頭が痛い事になりそうだが、とにかく今はこちらの儀式が先だ。


「それで、魔法陣も無事に動いたなら……これで予定通り押さえ込めたとみていいんですね? では今後の動きも」

「福音の鐘が七回打ち鳴らされた。正式なソリタルア神の聖女が現れたという報せ。教会は今後聖女アザレア様を中心に据えて、セレーネと魔王の討伐に尽力する」


 そう力強く答えたのは、今回聖女探索部署(フィルディスタ)の副官に就任したエルクデスだ。元々アザレアの味方で水面下でずっと動いてきたが、邪魔な上層部が失脚したのに合わせて本部へ戻ってきて早くも実権を握っているらしい。


「とにかく今はこのバルチェスタからセレーネを逃さない事、そしてあれを完全に討ち果たす事に注力するよ。——あの女は非常に狡猾だ。こちらが把握している以外にも様々な魔法陣を仕掛けている可能性がある。くれぐれも油断しないでおくれ」


 緊張を孕んだアザレアの言葉に大聖堂に集った者達が静かに頷いた。



 * * *



「耳障りな……!」


 響き渡った鐘の音に、セレーネが両耳を押さえて大きく舌打ちを落とした。

 セレーネの神経を逆撫でするその音は、ソリタルア神の力を導く聖女の力が込められた音だ。リタではない。間違いなくソリタルア神の聖女——アザレアに違いない。


 あの隠遁者がまさか教会に?

 ここ数百年は決してセレーネの手の届く範囲には近寄ってこなかったアザレアの気配に眉根を寄せる。この鐘の音は聖女出現が認められた際に打ち鳴らされるもの。儀式を邪魔されたことと言い、ただの偶然と見るには無理がある。

 ならやはりこの男の仕業かと、ハインリヒを睨み付ければ、微笑を浮かべたままでその思惑は読めない。

 ただ満足そうに頷いたのを見た時、その気配に気付いて瞠目する。


 ——魔法陣……!

 突如大広間の床に浮かび上がった新たな魔法陣のひとつが、正確にセレーネを絡め取った。


「……っ」


 何の、と身構えた瞬間、ぐいと身体が引っ張られる。

 力に抗おうとしたのに振り解けない。

 何故に、と疑問に思う間もなく最奥の聖堂の神像に叩きつけられた。


「……ぐぅっ……!」


 悲鳴を喉奥で噛み殺し頭を押さえた瞬間、神像の足下から新たな魔法陣が出現しセレーネを拘束する。


「これはっ……!」


 ソリタルア神の力だ。

 馬鹿なっ、ここにある力はすべて取り込んでやったのに!と瞠目するセレーネの耳に、ハインリヒの忍び笑いが聞こえた。


「自身に都合が良いとこの場を選んだのだろうが……こちらにとっても都合の良い場所であった」

「セレスフィーネ様! おのれ、貴様何を!」

「神罰でも下ったんじゃないの」


 憤るマルリエに、リタが冷ややかに言い放つ。


「で? 実際は何だ? どうなってる?」


 気持ちとしてはリタの意見に賛同したいところだが、魔法陣が浮き上がった以上、人為的なものだ。


「なに。ソリタルア神の聖女であるアザレアが、神敵を拘束したに過ぎない」

 ——アザレアか!


 それなら納得だと頷いたゼノとリタに向かって、衛兵達が剣を構えた。


「おのれ、神に仇なす不届者め!」


 セレーネが拘束されてもこっちに影響はないらしい。本来ならソリタルア神の聖女の出現を喜ぶ筈の彼らがセレーネの扱いに怒っている。


「リタの力でアイツらどうにかできねえのか?」

「洗脳とは違うんだから出来るわけないでしょう」

「厄介だな」


 これは確かに、ダルセニアン達の信仰が奪われていたらもっと厄介なことになっていたと苦い表情になる。


「セレーネはこれであの奥の間から動けまい。後は彼女達の身柄の確保だな」


 ハインリヒがそう告げた時、通路奥から誰かがこちらに駆けてくる足音がして、ゼノは衛兵達に剣を向けたままチラリと目を向けた。


「リリーディア様、マルリエ様!」


 駆け込んで来たのは年若いシスターで、セレーネの増援かと身構えたが、彼女の他に誰かがいる気配はない。だが魔術師であれば油断出来ないなと警戒を強めたゼノだったが、意外にも動揺を見せたのはマルリエ達だ。


「カリサ……!? 何故お前が生きているの!!」

「えっ……」


 恐ろしい形相でシスターを——よく見ればアーシェと同じ年頃の少女だ——厳しい口調で詰るマルリエに、カリサと呼ばれたシスターが虚を突かれたように目を見開く。


「おお……なんという事。よくもお役目も果たさずのこのこと姿を見せたもの……!」

「一体、今までどこに身を隠して——」


 マルリエが突然そこで言葉を切り、ハッとゼノ達を睨みつけた。


「お前達の仕業か……! 暗殺が成功したと見せかけ、我らの油断を誘ったか……!」


 ああ、なるほど。

 その言葉にゼノは得心がいった。

 地下牢に死の森の瘴気と呪いを放ったのは、ゼノの予想どおりハインリヒを殺すため。それにこの少女を使ったか。確かに、あの瘴気と呪いだ。放つ側もただでは済むまい。少女が生きているという事で企みが失敗していた事に気付いたらしい。

 だがそうだとしても。

 ぺっとゼノは唾を吐き捨てた。


「あん……さつ……」


 少女は呆然とマルリエやリリーディアを見つめた。


「聞き捨てならないわね。今の言葉だと、彼女に危険が及ぶのを承知で何かをさせたという事? こんな稚い少女を?」


 リタもぶわりと怒りを纏い、リリーディア達を睨みつける。


「ふむ。どうだね、カリサ。今宵この場で起こった数々の事を目の当たりにして、君はこれをどう見る? 聡い君なら真実が見えてきたのではないかね?」


 ハインリヒにしては随分と優しい口調でカリサへ問いかけた。カリサは胸元で両手を握りしめ、目に涙を浮かべてハインリヒを見つめ返す。その唇が小さく戦慄く。

 その様子を見たマルリエが眦を吊り上げ、鬼のような形相でハインリヒを睨みつけた。


「そうか……お前がハインリヒね? よくもカリサを誑かしてくれたもの……! カリサ! あれ程牢の中の者と口を聞いてはならないと言い聞かせたのに、約束を違え、このような者の甘言に惑わされ役目も満足に果たさないとは……本当に使えないね、あばずれが産んだ子は!!」


 ひゅっと息を飲みがくがくと震え出したカリサに、リタがすぐさま駆け寄り優しく抱き寄せた。青い顔をして口元を押さえたカリサは今にも卒倒しそうだ。


「実に醜い顔だ。人を生まれで悪し様に蔑みながら、表向き慈悲を与えて非道な行為を強要する。自分達でさえ暗殺対象の顔すら知らない杜撰さで少女を(なじ)るとは。それで神に仕える者とは実に滑稽だな」


 呆れたように、けれどもどこか楽しそうにそう言うと、ハインリヒは震えるカリサに向き直った。


「非常に残念だが……彼女達は異なる神の信者ばかりか、同じ信者である筈の君にさえ慈悲の欠片も見せなかったな」

「……あのお役目は……私が、危険なだけでなく……あ、あなたまで……わ、私、は……あなたを、こ、ころ……殺す、ため……に、地下牢へ……行かされた、の……?」


 マルリエ達の言葉から、自分の行動の意味を知ったカリサが、恐れからかぶるぶると震えて、マルリエ達ではなくハインリヒに問いかけた。その様子にハインリヒは目を細めて、いかにも、と静かに頷く。


「どちらか、ではなく、我々二人が共に危険であった」


 それを聞いて、ああっ……!とぎゅっと目を瞑り胸元で手を握りしめたカリサは、本当に何も知らされていなかったのだろう。呪いと瘴気をどうやって放つつもりだったのかゼノは知らないが、それをやると相手も自分もどうなるのか知らないというのは正しく捨て駒だ。


「危険な事だとは聞かされていたけれどっ……それは、私だけの話でっ……まさか、それがっ、人の命を奪う事だったなんて……!!」

「そうね。恐ろしいわね。知らずに人の命を奪いそうになるなんて」


 恐れ慄くカリサを抱きしめながら、リタが優しく宥める。リタの腕の中にすっぽり収まるぐらい小柄な少女が恐慌をきたす様が、アーシェやサラの姿に重なってゼノの心にもジワリと怒りの火が点る。


「女神様のためならばそれは罪ではない! 神の名の下に行われる事はすべて正しき事なのよ!! 神敵は如何様な手段を用いてでも滅するべきこと。それを恐れるとは信仰心が足りてないようね!」

「カリサは最後まで君たちを信じていたのだがね。どのように非道に見える振る舞いも主神のためのもので、君達は心を殺して為すべきことをしているだけだと。本心では皆を慈しみ案じてくれているのだと——今宵の所業を見て震えながらも、その筈だと健気に信じようとしていたのだが」


 くっと口元に手を当て、マルリエ達を嘲笑した。


「元々慈悲など持たない者の仮面が剥がれただけだと露呈したようだ」

「慈悲? 役目を果たさない者へかける慈悲などありはしない。そう叩き込んできたというのに、肝心な所で役に立たないどころか、敵に惑わされるとは!」

「くくくっ、それはもはや宗教というよりは、どこぞの裏組織のようだな」

「黙って」


 語気荒く罵るマルリエと、それを可笑しそうに揶揄するハインリヒのやり取りに、リタが殺気を纏いながら断じた。

 震えるカリサを抱きしめたまま、険しい表情でマルリエ達を見据える。


「だ、だって……この世に命あるものは、すべて主神が創り賜うたものだから、お、お互いに尊重し慈しみあいなさいと……等しく与えられた命、だから……って、教えには……なのに……」


 独り言のように呟かれたカリサの言葉が聞こえて、ゼノは、ああ、教会の教えだったなと遠い昔に聞かされた教義の言葉を思い出した。まあ、自分の命も人の命も大事にしろというのは教会だろうが神殿だろうが同じだ。

 だが確か、神殿よりも教会の方が命を奪う事への忌避感は強かった筈だ。

 だからこそ、教会騎士団には強い制約が求められている。


 ——まあ、暗殺部隊(コルテリオ)がある時点で教会もセレーネも変わらねぇけどな。

 世の中そんなものだ。

 だが、それを良く知っているゼノからしても、今夜の儀式は非道なものだと感じたし、まったく何も知らない純粋なシスターを暗殺の駒に使うのは許し難い。少なくとも、教会はそんな事はしてこなかった。そのためのコルテリオで、所属する彼らはすべてを理解した上で教会の汚れ仕事に手を染めているのだ。


「リリーディア達は、自らを女神セレスフィーネだと名乗る女のためにこの教会を乗っ取る事が目的で、教義などどうでもいいのだよ」

「我らが女神様にご降臨いただくためならば、すべての行為は許される! 女神様のための行いをしくじる上に疑問を差し挟むなど、もはや信者とすら呼べないわ!」


 険しい表情で詰るマルリエの言葉に、カリサが目を見開き激しく震える。


 ああ……ハインリヒの言う通り、醜い顔だ。

 上手くいかなかったすべての八つ当たりをするように、恐ろしい形相でカリサを詰るマルリエ達の言葉など、これ以上聞く価値もない。

 はぁ、と大きなため息をひとつ落とすと、この場の空気を断ち切るように壁に向かって斬撃を飛ばした。


「もう黙れ。見苦しい」


 どん!と斬撃が壁に当たった音にリリーディア達シスターや衛兵がぎくりと身体を強ばらせてゼノを見遣った。


「生きていく上で心の支えだったり考え方の芯みてぇなもんだろうがよ、神の教えってのは。信者かどうかなんざ、てめぇらも含めて誰かが認めたりするもんじゃねえさ、本来は。それに、神は何かを強要したりしねぇ。そこに住まう者達を慈しみただ見守るだけだ。教義に反する行いを強要するとか、ましてやそれを失敗したからって突き放すなんてことは、神じゃなく人がやるこった」


 少なくとも、ゼノの知る主神はそういう存在だ。

 アインスのように特別に役目を負わされる事はもちろんあるが、非常に稀なことだ。


「その通りよ。あなた達が掲げるセレスフィーネなんて神じゃない。ただの聖女。彼女は黒の聖女セレーネよ。そもそも世界に与える影響が大きすぎるから、主神は降臨なんかしないのよ」


 降臨するって言ってる時点で主神なんかじゃないの、と噛んで含めるように告げたリタの言葉に「お黙り!」とリリーディアが叫んだが、ゼノはもはや彼女達の言葉を聞く気はなかった。


「ああ、黙れ。てめぇらの戯れ言をこれ以上聞く気はねえよ。どのみち平行線だ。だが、身柄は拘束する」 


 言うなり、彼女達に向かって斬撃を飛ばした。

 それはもちろん傷つけるためではなく、意識を奪うためだ。

 その場に足から崩れ落ちた彼女達を見届けて、衛兵達に目を向ける。彼らはゼノを警戒するように剣を構えた。


「なあ、リタ。俺の剣にフィリシアとお前さんの力を纏わせてコイツらが信じ込まされた主神の名を斬り裂く事はできねぇのか」


 ゼノの剣だけでは同じユーティリシアの力を使ったセレーネに阻まれた。だがそこに女神の聖女である二人の力が加われば、カグヅチの力で攻撃が通ったように上手くいかないか、と考えたのだ。


「……どうかしら。そもそも彼らは、主神の名を()()()()()()のよ。そこに干渉する力なんて……」

「そこを削ればいいってことか?」

「そんな簡単な話じゃない筈だけど」

「やってみる価値はあるだろう、今後のためにも。——なに。その剣はゼノの望まぬことはしないだろうから、彼らが壊れることはあるまい」

「簡単に言うわね」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、魔道具からフィリシアの力を引き出し、それを自身の黄金(きん)の力で増幅してゼノの剣身にそっと触れた。

 剣がその力を受けて淡く輝く。

 それを見て衛兵達が警戒心を強めて剣を構えた。

 魂に刻まれた、か。

 自分の魂に数多くの情報が刻まれているのを知っているゼノからすれば、簡単に刻まれるよな、と思う。ならば、この神の力が宿る剣でならば、どうにかならないか。追加で刻むのではなく削り取るなど出来るのかなんてわからない。

 だが彼らは本当はソリタルア神を信仰しているのだ。それを勝手にセレスフィーネに変えられるなど、あっていいはずがない。このような卑怯なやり口は許せない。

 なにより、セレスフィーネの力だと言って操っているのは、女神ユーティリシアの力だ。二重の意味で許せない。


 ——だから、力を貸してくれ。

 剣に祈りを捧げるように呼びかける。

 ふわりと、脳裏にその女性の姿が浮かび上がり口元に笑みが浮かぶ。

 変だな。俺は直接に会った事はねぇ筈なんだが……

 だがそれが女神ユーティリシアの姿だとわかった。前世世界で彫刻や絵画にされた姿ではなく、自身の目で見た女神の姿だ。その姿に懐かしさと安堵を覚えて目を閉じる。


 ——問題ねぇ。出来る

 こんな非道はユーティリシアが望んでいる事ではない。

 ふ、と肩の力を抜くように息を吐き、剣を振るった。

 彼らの目にはゼノが剣を振ったことすら気付かなかっただろう。


「——!?」

「なっ……」


 衛兵や神父達は、びくり、と身体を跳ねさせた後、次々とその場に膝から崩れ落ちた。


「……やったか?」


 どうだ?とリタに目を向ければ、リタが目を凝らして彼らを見つめる。


「待って。——ええ、ええ! 刻まれた言葉が変わってるわ!」

「削り取られたのではなく、書き換えられたのかね?」

「そうよ! ソリタルア神を信仰する者、となっているわ。これで彼らは大丈夫な筈よ!」


 どこか興奮したようにはしゃぐリタの言葉に、成功したのを知ってゼノもほっと安堵する。

 流石だな。助かった。

 そう心で礼を述べて剣身をそっと撫でる。

 カグヅチも、すまねぇ。助かった。

 カグヅチが止めてくれなければ、自分はこの輝きを失っていたのかもしれないと思うと、カグヅチへの感謝も自然と沸き起こった。


"お前がお前を取り戻したのならいい"


 ちょっと照れくさそうに口を尖らせてそう呟くと、彼も姿を消す。

 ふ、と息を吐き、それから最奥の聖堂へ目を向けた。

 そこにはセレーネが魔法陣に拘束されたまま、ギリギリとこちらを睨んでいる。


「で? あれはどうすればいい?」

「しばらくはあのまま拘束しておく。完全に消すには今のままでは無理なのでな」


 ハインリヒはどこまで何を掴んでいるのかわからないが、やはりあのセレーネを斬り捨てて終わりという単純なものではなさそうだ。

 なによりもまず、セレーネが手にしているユーティリシアの力を奪い返さねばならない。


「ここはアザレア達に任せておけば問題ない。それで君達は——」

「……何を信じたらいいの……」


 思わずと言った体でそんな言葉を零したのはカリサだ。

 胸の前で手を組み祈りの形をとりながら、俯いた顔からはぽたぽたと涙が零れ落ちる。


「女神セレスフィーネ様を信じて……今日までずっと生きてきたのに。女神様は嘘だったの……? なら何が本当で、誰を信じれば……」


 慟哭のようなその言葉に、ゼノもリタも胸を衝かれて言葉を失う。

 ハインリヒの言葉から、カリサが今夜の儀式をすべて見ていたこともわかっている。ずっと信じてきた者にとって、教義の内容と相反する行動を女神と称する者自らが行うのを見せつけられ、また敬愛してきたリリーディアやマルリエ達に投げつけられた言葉に、足下が崩れたような心細さを感じているのだろう。そしてカリサは、マルリエ達よりもハインリヒの言葉の方が正しいと、無意識に理解しているのだ。


「それは君自身の目と耳で判断すればいい」


 突き放すような物言いながら、どこか優しさの感じられる口調に、リタも頷いてカリサの背を撫でる。


「そうよ。セレスフィーネは偽物だけど、主神はちゃんと存在する。この教会は主神であるソリタルア神を信仰する場所よ。けれど、それとは別に神殿や正神殿にもそれぞれに神を祀っているわ。まっさらな気持ちで見つめ直せばいいのよ」


 無理に神を信仰する必要もねえけどな、とゼノは思ったりもしたが口を差し挟まなかった。これまでずっと神を信じてきたのであれば、彼女の生活には信仰が当たり前にあったのだ。それをなくせというのも難しかろう。


「そうとも。君に見せたように、君達が持っている聖典とソリタルア神の聖典は、主神の名が異なるだけで同じ聖典だ。君が信じる神は名が違っただけでちゃんと存在するのだから、安心していい」

「なにそれ。聖典が一緒ってどういうこと?」

「それが一番手っ取り早かろう。教えが同じであれば外部に漏れにくいしな」

「名前だけ変えときゃいいって? チッ、本当に屑だな」


 教義はソリタルア神、力はユーティリシア。

 自分のものなんかありはしない。

 そしてそんな教義内容など、セレーネ自身はなとんも思っていないときたもんだ。

 今ここで斬り捨ててやりたいが、それでは意味がない。


「彼女の事はこちらに任せておきたまえ。君達はしばらく身を隠すといい」


 ぽん、とカリサの肩を叩き、リタをゼノの方に突き飛ばすように押しやるハインリヒに、リタを受け止めながら、ん?と小首を傾げた。


「身を隠す?」


 なぜ、と問い返す間もなく足下にコツンと音がして浮き上がった魔法陣。


「ちょっ——」


 転移魔石か、と二人が認識した時には既に魔法陣が起動した後だった。

 たちまちその場から姿を消した二人に、ハインリヒは微笑を落とす。

 ゼノにはリタを付けておいた方が色々ストッパーになるだろうし、ゼノがいればリタの身も心配あるまい。

 あそこであれば二人に手出し出来る者も限られる。


「こんな事をしても無駄よ」


 満足そうに頷くハインリヒに向かって、最奥の聖堂からセレーネが動じる様子もみせずに告げた。そこにチラリと視線を投げ、ハインリヒもニヤリと笑い返す。


「さて。打てる手が限られるお前と我々では勝負にならないところを見せて進ぜよう」

「ふふふ。お前達こそ私の敵にもならないわ」


 笑顔のまま相手を牽制する二人の様子をぼんやりと見つめながら、カリサは胸の前で手を組んだまま、この事態が収拾するよう、誰に祈りを捧げるべきか途方にくれたまま静かに目を閉じた。  



いつもお読みいただきありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ