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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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(二)進行する陰謀



 馬車に乗り込んでからずっと何かを考え込む妹の様子に、バイセンは落ち着かない気持ちで向かいに座っていた。

 アネリーフェことアリーがこのように考え込んでいる理由はバイセンにもわかっている。

 突然指示されたアルカント行き。それも行方が知れなくなったロレッティオの代わりに、ルカ達を呼び戻せという命令を暗殺部隊(コルテリオ)の隊長ディラードから受けたことだ。

 コルテリオの中でも自由気ままに動き回るきらいのある、ロレッティオの手綱は殺されたラースであった。ラース亡き後、コルテリオ内でも彼を持て余していたのは事実だ。特にディラードが表の教皇に扮して自由に動けない今、彼を押さえられるのは実力的にルカしかいなかったのだが、そのルカが本部にいない。

 故に、ルカ達を呼び戻せという命令自体は不思議でもなんでもなかったが、それを五指に数えられるアネリーフェに下された理由がわからない。

 まるで教会本部から追い出すかのように、討伐任務から戻って息を継ぐ間もなく下された隊長からの指示。隊長は本部にずっと詰めていたのだから、他にも呼び戻す手段はあった筈だし、人をやるにしてもアネリーフェである必要はない。


「ベルツもまだ西大陸から戻っていないのに」


 ポツリと落ちた言葉にバイセンも小さく頷き返す。

 ラース、ルカ、ロレッティオ、ベルツ、アネリーフェがコルテリオ内でも五指に数えられる実力者だ。アネリーフェが本部を空けると誰もいなくなる。もちろん、コルテリオは他にもいるし、何より隊長のディラードがいるのだ。教会騎士団だって騎士団長を含め戻ってきている。何も心配はいらない筈だ。

 それでもアネリーフェがこうして浮かない顔をしているのは、教皇であるヒヨリに断りを入れる間もなく本部を後にした事か。


「何か気になる事があるのか」


 馬車の中はバイセンとアリーの二人きりという事もあり、敬語ではなく普通に話しかける。子供の頃はそうであったように。

 赤茶けたウェーブのある髪を後ろにひとつで束ねて神父服を纏うアリーは、正面から見れば少年のように見える。性別を曖昧にするのは過去に受けた性虐待のせいだ。それが精神にも身体にも深い傷を与え、もう二十四だというのに未だ十四歳の身体のままだ。それが兄であるバイセンは辛く悲しい。

 自分の力が至らなかった故に守ってやれなかった。今もまた、コルテリオとして因果な仕事を請け負う立場に置かれている事が悲しい。


「……教皇様はご存じなのかと思って」

「隊長のご命令であれば仕方ないだろう」


 そうね、と頷きながらもそれで納得しているのであればこのように考え込む事もない。

 バイセンは、アリーほどヒヨリを慕ってはいない。

 確かにあの地獄のような状況から救ってくれたのはヒヨリだ。バイセンの酷い傷も教会の治癒魔法士の手によって後遺症も残らず治った。アリーには心のケアも含めて丁寧に治療を行ってくれた。とても感謝しているし、その気持ちに嘘はない。だが、だからこそ思うのだ。


 ——なぜ、普通に暮らす道を用意してくれなかったのか、と。


 アリーの心のケアの一環だと言われても、人を調教しあまつさえ人殺しへの道を歩ませるなど、バイセンは未だ納得がいかない。人を殺める事は本来であれば教義に反する。教会のためにそれをあえて行う暗殺部隊(コルテリオ)の存在を否定する気はない。綺麗事だけでは世の中は回らない事をよく知っている。力には力をぶつけねばならないし、力がなければ大事なものは守れないのだ。

 だが、それをアリーが行う必要はなかった筈だ。

 才能があった事が災いだったとしか言いようがないが、バイセンとしては出来ることなら穏便にコルテリオなどから足を洗わせたかった。


 ——今となっては無理な話だ。

 アリーはもうコルテリオとして活動し過ぎた。今さら抜けて普通の娘として生きるなど本人も周囲も許すまい。


「……嫌な感じ。何か起きそう」


 そう呟いて、きゅ、と唇を噛み締めたアリーは孤児院にいた頃のような弱々しさを感じる。バイセンと二人きりのときにのみ見せる姿だ。


「大丈夫だ。何があっても俺がお前を守る」


 手を伸ばし、昔よくそうしたように頭を撫でながら笑んでみせた。アリーはきゅ、と唇を引き結び切なげな表情で見つめてくる。バイセンのこの言葉に、アリーがこんな表情を見せるのはいつものことだ。アリーを守ろうとして身を挺することしか能のないバイセンの事をアリーが心配しているのはわかっている。ただそれでも、兄として家族として、それだけは譲れない。

 最近教会内がキナ臭いのはバイセンも知っている。

 隊長は、教皇から距離を置かせるために今回の命令を下したようにバイセンには見えた。

 それがアリーの為になればいい、とバイセンは心の中で呟いた。



 * * * 



 教会本部のある都市国家バルチェスタ。

 この街自体がひとつの国として存在する宗教国家で、教皇をトップとする七人の管理官で構成する教会執行機関(セスパーダ)が治めている。。

 そのセスパーダの管理官の一人ネグレスに呼び出され、教会のお膝元にやって来たゼノとリタは、大聖堂前の広場が見渡せる高台の公園に佇んでいた。

 ここでネグレスの使いの者と落ち合う手はずになっている。

 大聖堂は千数百年前に建てられ、改修を繰り返しながらも建設当時の姿で今も存在感を示している。その大きさもさることながら、この世界の主神たるソリタルア神を祀る教会本部ということもあって、独特の神聖な気が漂っているのがゼノでもわかる。

 そこを牛耳る面々はともかくとして、ここは間違いなく神の力が存在する場所なのだ。


「大聖堂を訪れる人が多いのね」


 家を出てからずっとご機嫌斜めなリタが、大聖堂を見下ろしながら呟く。

 広場には各国から訪れた巡礼者達が大聖堂に入るために列を成している。広場の周囲にはそういった者に向けて露店も出ているし一般の旅行者などもいるので大賑わいだ。


「ああ、ここはいつ来てもこんなもんさ。一般向けの大聖堂と、さらにその奥には特別な儀式の時にしか開放されない聖堂があった筈だ」

「そうなの」


 リタは興味なさそうにそう呟き、広場に背を向けた。

 この公園は入り組んだ場所にあるためだろうか、広場から近いのにゼノ達以外に人影はない。


「ヒヨリを引き摺り下ろしてセレーネを討つって言ってるんでしょう? 過去にアルトが取り逃してるのに、ネグレスにそんな事が出来るの?」


 柵に背を預けて髪を弄りながら、不満げに問うリタにゼノも肩をすくめてみせた。


「さてな。セレーネを討つ方法をネグレスに教えたのはソリタルア神だって話だ」

「なにそれ。とっても胡散臭いんだけど」


 途端に顔を顰めたリタに、ゼノも頷く。馬車で会った時にその方法を知っている、とだけしかネグレスから聞かされていないが、ハインリヒが含み笑いをしながら教えてくれたのだ。非常に胡散臭いとゼノも思う。


「ハインリヒの狙いは?」


 半目で睨まれながら問われても、ゼノだってそれ以上は聞いていない。こっちが聞きたいぐらいだ、と口を開きかけた時、公園の入口にシスターの姿が見えて口を噤む。だが、それが誰かがわかった時に、パッとリタが笑顔になった。


「お待たせいたしました」

「シュリー! どうしてあなたがここに?」


 シスター服に身を包んで現れたのは、ノクトアドゥクスの構成員で普段はクライツのサポートを担っているシュリーだった。これがハインリヒの指示であれば、リタを本当によくわかっている。


「長官からの指示で、今回は私がお二人のサポートを任されています」

「その格好からすると、潜り込んでんのか」

「はい。以前ミルデスタで潜入した際の身分が本部付けでありますので、そちらを利用しました」

「ああ! アリーが異動の手配をしてくれた分ね!」


 ゼノにはよくわからない話だったが、リタがミルデスタで教会に捕まった際に、暗殺部隊(コルテリオ)のアネリーフェが、リタの世話役としてシュリー扮するシスターをミルデスタから本部に異動させていたらしい。そういう身分を捨てずにいつでも利用出来るようにしているところはさすがはノクトアだ。


「具体的には、何か指示が出てるのか」


 ゆっくりと歩いて公園を後にしながらゼノが尋ねれば、シュリーは静かに頷いた。


「これからネグレスの元に案内しますので、そこで説明があるかと思いますが――明日の夜に行動を起こすという情報を得ています」


 明日の夜。本当に事の直前にゼノ達を呼びつけたらしい。長く滞在させて変に動き回られるのを避けてのことか。


「黒の教皇一行が討伐から戻って来たのが今朝のことですから、随分と焦っているようです」

「ああ。最後まで残っていたらしいな。さすが教会の面子にかかることには手を抜かねえ」


 実質の討伐はもう二十日ほど前に終わっているのだが、後片付けを含め関係諸国への挨拶回りを行いながら戻って来たとの話は聞いていた。


「今回の討伐で、黒の教皇の真価が見直されましたから」

「それなんだけど……ヒヨリに憑依しているセレーネを、どうやって彼女から引き剥がすの? まさか、ヒヨリ諸共殺してしまえば問題ないなんて考えてないわよね?」


 タケハヤがヒヨリと会った時の様子から、ヒヨリが預言者でありセレーネがヒヨリとソリタルア神との間を邪魔していたらしいという事実も知った。だからこそ、リタはヒヨリと協力してセレーネと戦えるのではないかと思っているのだ。

 ゼノからすればどちらも信用ならない相手なので却下したのだが。


「そのあたりは私も聞かされていませんので、わかりかねますが……」

「まとめて殺して終わるんなら、とうにアルトに討たれてる筈だ。セレーネはお前さんが思っているよりももっとずっとずる賢く逃げ足がはええぞ」


 思い出せてはいないが、小狡く逃げ足だけは優れていたという記憶がある。故に、余程うまくやらなければ今回だって逃げられる可能性すらあるとゼノは思っているのだ。リタのようにどちらかに情けをかけようなどとは僅かでも思わない方がいい。


「そうなんでしょうね……」


 煮え切らないのは知らないとはいえ相手が女性だからか。


「本当にセレーネについては覚えていないのか?」

「ええ、まったく。黒の……とは言え、女神さまの聖女だったのでしょう?」

「表向きはな。だが」


 ゼノの記憶に残る印象は——女神やフィリシアの明確な敵ではなかったにしろ、自分本位にしか動かない当時の正教会の連中と等しく——クズだ。

 フィリシアと同じ聖女の括りに入れるなど烏滸がましい。


「俺からすれば、あれは敵に等しい。この世界で馬脚を現したってところだろうさ」


 アルトから話を聞いたときも、あの女ならあり得る、と納得した。


「その……セレーネの目的は何なのでしょう? 長官は何もおっしゃらなかったのですが、ゼノ殿には想像がついているのですか?」


 シュリーに尋ねられ、ゼノも顎を擦りながら思考を巡らせる。

 ゼノの覚えているセレーネの事と言えば、黒ずくめの容姿と、聖女とは思えない妖艶な雰囲気。そして瞳の奥に見える澱みのような穢れのような陰り。

 フィリシアを見る時のあの女の瞳に浮かぶのは——嘲りと憎しみではなかったか。


 フィリシアは否定したが……


 フィリシアが存在するというこの世界にセレーネまで存在し、倒されるべきであった魔王が生き延び歪みが生じた、というのが気に食わない。歪みを作るのがセレーネの目的だったのか。


「俺にはわからねぇ。だが、絶対にフィリシアの味方ではねぇ」


 ゼノが断言した言葉に、リタが緊張したのがわかった。

 忘れてはいけない。黒の聖女は白の聖女の力を押さえる力を持つのだ。アザレアの力を押さえたように。


 ——まあ、フィリシアとあの女の力には差がありすぎて、あまり役には立たなかったみてぇだがな。


 正教会の上層部は、セレーネを使ってフィリシアを支配下に置きたかったようだが上手くいかなかった。フィリシアもセレーネの力を真に恐れてはいなかったようにゼノには見えた。セレーネは黒の聖女の力よりも、彼女の腹黒さの方が実に厄介だった。表向き味方然としていたが、裏で暗躍していたのは間違いなく、フィリシアを陥れることに躊躇がなかった。だからゼノは——セレーネを敵視している。いや、憎んでいると言ってもいいぐらい、その名を聞いた時に負の感情を呼び起こされる。

 例えリタやフィリシアが命ばかりはと願ったとしても、絶対に今度こそトドメを刺すつもりでいる。


「フィリシア様の味方でないなら要注意ね」


 ゼノの本意を知ってか知らずか、リタは表情を引き締めてそう呟いた。



 

 シュリーの案内に従い、教会大聖堂の建物からは離れた場所にある建物の一室でネグレスと対面した二人は、以前に会った時よりも緊張した面持ちに目を瞬いた。

 馬車で会った時は随分と朗らかだったが、今はその瞳に決死の覚悟が宿っていて、彼にとっても明日の事は容易ではなく大きな賭となっていることが窺える。


「状況が変わった」


 静かに呟かれた言葉に、ゼノは顎を擦りリタが目を眇める。


「それは今回の討伐任務でヒヨリが存在感を増したということ?」

医師・薬学部署(ターザディスタ)及びそれを管理する管理官を含め、味方につけていた管理官三人のうち二人がガルシア——黒の教皇に寝返った」


 七人いる管理官のうちガルシアとネグレスを除いた五人のうち四人がヒヨリ側だということだ。


「治癒魔法士の者なら、今回の討伐任務でヒヨリが果たした役割を正しく理解したろうからな。騎士団の加護は元より、正神殿とも協力して人員配置をしていたからな」


 ニダが感謝を述べていたように、そこはゼノも非難する点はない。例えそれが教会の名声を確固たるものにするためだとしても、多くの命が助かったのは事実であり、当然の対応だった。


「ふぅん。それで? 今回は見送ろうってことか?」

「いや。決行を早める」


 躊躇いなく告げられた言葉に、ゼノは眉をひそめてネグレスを見据えた。

 ヤケになったとか、そういう感じではない。


「勝算はあるのか?」

「問題ない。例えヒヨリにソリタルア神の声を聞く力があったとしても、教皇の地位に置いておく必要はない。悪しき者を教会本部に招き入れていた罪で裁ける筈だ。それに、実際に()()()()()()()()もある」

「教会を穢した証拠?」


 なんだそれ?と首を傾げたゼノに、ネグレスが苦虫を噛み潰したような表情で、ゼノ達からすれば看過できない事実が告げられた。


「そこは、後ほど御使いの力を借りねばと思っているが……地下牢に死の森と同じ瘴気と呪いが充満している」

「なんですって?」

「——まさか亀裂が生じたのか」


 思い出したのは二百年前の亀裂であり、今回死の森でも見た亀裂と——白い手だ。まさかよりにもよって、この世界の主神たるソリタルア神のお膝元である教会に亀裂が生じたのか、と初めて動揺をみせたゼノ達に、ネグレスはそうではない、と緩く頭を振った。


「セレーネが隠し持っていた死の森の瘴気と呪いを、地下牢に振りまいたのだ」

 隠し持っていた瘴気と呪い。

「——それは……」

「あんな危険なものを隠し持っていたの? まさか、これまでにもそうやって誰かに使ってきたんじゃないでしょうね」


 だとすれば許せない——

 死の森の瘴気と呪いがどれほど恐ろしいのかよく理解しているリタの眦がつり上がり、室内が一気に殺気だった。その殺気に部屋の隅に待機していたネグレスの護衛が動こうとしたのを、ゼノが制する。 

 ネグレスはリタの殺気に臆することなく軽く息を吐いて肩をすくめた。


「あんな危険なものは扱う方も無事では済まない。そんなものが教会本部にあるなど、今回使われて我々も初めて知ったのだ。こちらが消せないものなど、使い勝手が悪すぎるだろう」

「地下牢に使ったのなら、それで誰かを殺したのね」

「さて。何のために使われたのかは、残念ながら我らも掴んでいない」


 ネグレスはそうはぐらかしたが、もしやそれはハインリヒを殺すためじゃねえのかと思い至ったゼノは、口を噤んだまま振り向きもせずに背後に佇むシュリーの気配を窺った。もちろん身動ぎも動揺も感じられない。


 ——それぐらい使わねぇと殺せねえと思われたんだな。


 いつ使われたのかは知らないが、先日会ったハインリヒの様子に加えシュリーの態度を見れば、セレーネの企みが失敗に終わったことは間違いない。あの後に使われたのだとしても、この程度は読んでいそうだ。

 そうまでしないと殺せないと、あのセレーネに思わせるハインリヒも大概だなと感心する。


「セスパーダの管理官が知らなかったっていうなら、確かに罪には問えそうだな」


 彼らがハインリヒの無事を知っているかどうかもわからないので、胡散臭そうにネグレスを睨み付けるリタの肩を叩いて宥め、話の矛先をそっと変えておく。


「それで? 俺達にどう手を貸せって? 暗殺部隊(コルテリオ)を押さえておけばいいのか?」


 口を開こうとしたリタの肩を再び叩いて黙らせ、ネグレスに先を促せば、彼は眉根を寄せた。


「初めはその予定であったが……実のところコルテリオの五指は本部にはおらぬ」

「五指?」

「強いの五人ってことだ。十番目ぐらいまでがそこそこの暗殺者だが、上から五人は飛び抜けて強い」


 詳しくないリタに簡潔に説明してやる。まあ、強いと言ってもゼノからすれば大したことはないのだが。


「私達を襲ったルカやアリーは?」

「その二人は今本部にはいない」


 ならば五指に入るということだ。

 ふぅん、あの嬢ちゃんがね、と感心したゼノと違ってリタは複雑そうだ。


「そう……アリーも五指に含まれるの」


 それはこれまでに多くの者を暗殺してきたことの証明だ。


「十指以外は今私でも動かせる状態なのでな。邪魔をされることはないが……五指がいなければ剣聖殿の手を借りずともなんとかなろう。ただ、予測外のことが起きては叶わぬ故、決行時は側で待機してもらいたい」

「ああ、それでいい。——セレーネを討つ機会があればこちらも動く。その時は邪魔するな」


 元々ネグレス達と手を組む事を了承したのは、ハインリヒの件もあったが、セレーネを討ち取る機会を得るためだ。ヒヨリがどうなろうが知ったことではないが、セレーネだけは確実に討ち取る。

 そのためにゼノはここに来たのだ。


「ああ、無論構わぬ」


 その言質さえ取れれば後は現場にいるだけで問題ない。


「なら決行時に呼べ」


 言い置いてこれ以上の話は必要ないとリタを促し部屋を出ようと、ネグレスに背を向け、振り返り尋ねた。


「——ああ、そういや決行は教会本部か?」

「うむ。——最奥の聖堂だ」



 * * *



「ふぅ」


 馬車に長時間揺られ強ばった身体を伸ばしてソファに落ち着く。


「どうぞ」


 すぐにことりと置かれたグラスに顔を上げれば、侍女であるシスターのレミィが笑顔で立っている。彼女もヒヨリと共に移動して疲れている筈なのに、疲れを微塵も見せない。


「ありがとう。相変わらず気が利くわね」

「光栄です」


 ふふ、と笑う姿にヒヨリも微笑み返し、グラスに口を付ける。

 喉を潤しながら、今後の事に思考を巡らせる。

 あの討伐時に不本意ながらリタの癒やしを受け、神託をうけてからずっと悩まされていた頭痛を始めとする身体の不調が一切なくなった。

 それにより喚き散らしていたソリタルア神の声が、随分と穏やかになったことにまず驚いた。声がよく通る。

 これほど明確にソリタルア神の声を聞いたことはこれまでになかった。それと反比例するように遠のいたのはヒヨリに憑依したセレーネの声だ。

 ヒミカが霊力をくすねていったから声がハッキリと聞き取れないのだと、そう言ったのは神だったのかセレーネだったのか。

 だが忌々しいことに、あの場で会った正神殿の神であるタケハヤが言った通りだ。

 ——取り憑いている者が邪魔をしていると。

 ならばあの女は、最初から神とヒヨリの間を邪魔していたのだ。


 味方してやると言いながら、あの女狐め……!


 ギリ、と奥歯を噛みしめる。

 だがそれもこれまでよ。

 リタの手を借りたというのは忌々しいが、ヒヨリはこれで正しく神の声を聞くことができる。ヒヨリの時を止めていたのはセレーネの力だが、何を企んでいるのか知れないあの女をこれ以上放っておく気はヒヨリにはない。

 なにより。

 タケハヤも言っていたもうひとつの神託。

 それは他ならぬヒヨリに迫っている危機であったのだ。

 死の森の魔物討伐とは異なり、具体的な危機の内容は示されなかったが、セレーネによりヒヨリに危機が迫っている、という神託は受け取った。

 ならばなんとかしてあの女を追い出さねば。

 今はなりを潜めているのか、ヒヨリに話しかけてくることもない。ハッキリとした気配は感じ取れないが、まだヒヨリの中にいてジッと息を潜めているのはわかる。

 どうしてくれようか、と親指の爪を噛みながら虚空を睨み付けるヒヨリに、そう言えば、とレミィが思い出したように呟いた。


「ガルシア様より伝言を承っております」

「……ガルシアから?」


 ふ、と息を吐きレミィに目を向ければ、はい、と彼女は小さく頷いた。

 教会執行機関の統括管理官のガルシアとは、ここに帰ってきた時に短く挨拶を交わした程度だ。


「今回の討伐が成功したことについてソリタルア神へのご報告と加護のお礼を、今夜奥の聖堂で行われるとのことです。ヒヨリ様にもぜひご参加いただきたいと仰せです」


 最奥の聖堂。

 大聖堂ができる以前から存在した、一番最初にソリタルア神を祀った聖堂で、教会で最も神聖で重要な場所だ。

 ソリタルア神の力が一番強い場所とも言える。

 ああ、あそこがあったわね。

 口の端に笑みを浮かべて、ヒヨリも頷く。


「——なんて素敵な考えかしら。もちろん、参加するわ」


 艶やかに、笑って答えた。




 

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