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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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(四十七)邂逅の行方

今回少々残酷な表現があり、ご不快にさせるかもしれませんことにご注意ください。

(ビダのやられ方がエグいかも……すみません)



 その話を耳にしたオリヴィエが真っ先に行ったのは「誰も外へ出るな」と学院側に厳命を下した事だった。

 グラリオーシュの侍従や騎士が青い顔をしてオリヴィエの元に駆け込んできたのは先程の事で、第四盟主の側近であるチェシャの異様な様子を聞いた瞬間に、グラリオーシュでの対応は不可能と判断し、すぐさまその命令を下した。


「なんとかお助け下さい!」


 彼らも自国の戦力と魔族の恐ろしさはよく知っている。だからこそ、ルクシリア皇国であれば対応が可能で、皇女であるオリヴィエなら騎士団を動かせる筈だとの目論見から縋りにきたのだ。


「色付き魔族が現れたのであれば、誰も外へ出てはなりません。彼らと対峙できるのは剣聖様のみ。それ以外の者が出て行ってもいたずらに死者が増えるだけです」


 修練場が見渡せる場所まで彼らと共にやって来たオリヴィエは、顔を強張らせながらも毅然とした態度でグラリオーシュの者に言い聞かせる。実際には、ルクシリア皇国の式位クラスの騎士であればある程度の対応は可能だろうが、馬鹿正直に言う必要はない。

 この場にいても肌を刺す殺気が感じられる。当然だ。色付き魔族に盟主の側近である高位魔族。これだけの魔族が集まることなど早々ない。


「騎士団を……! ルクシリア皇国の騎士団を派遣していただく事は——」

「派兵の判断は皇帝がお決めになる事。(わたくし)にその権限はありません。仮に派兵がなったとしても、どれほど離れていると思っているのです」


 辿り着く頃にはすべて終わっている、と当然の事を言われて口を噤む。顔色を失くして視線を彷徨わせた騎士がオリヴィエの背後に控える皇国の女性騎士に視線を向けたのを見て、オリヴィエは扇をパシリと叩いた。


「盟主の側近が苦戦している場に剣聖様以外を送り込んでも無意味と申しているでしょう。あなたがたがすべき事は、この事態を速やかに王宮に伝え、王都の守りを固める事です」

「しかし、それでは殿下が……」

「心配は無用です」


 オロオロと言い縋るグラリオーシュの者にピシャリと言い渡す。

 パニックを起こすことすら出来ずに座り込む学生が多い中、オリヴィエは視線を逸らさずに修練場を見据え、断言する。


「——彼らの主である第四盟主がこの事態を見過ごす事はあり得ません」

「その通りだね」

「!?」


 オリヴィエの言葉に追従したのは、いつの間にか彼らの背後に楽しそうな笑みを浮かべて立っていた第三盟主だ。

 魔族である気配を完全に消し去り、人の良さそうな笑みを浮かべてオリヴィエに微笑みかける。

 この場で笑っていること自体が異様で、彼を第三盟主だと知らない他の学生達は美しい容姿に見惚れながらも畏れを抱いて後ずさる。

 オリヴィエも内心で驚き、けれどもそれを表に出す事なく優雅に見えるようゆるりと振り返った。


「まさか、こちらにお運びになるとは」

「ふふっ。僕も無関係ではないからね。それにしても——さすがはルードヴィヒの娘。その歳で随分と肝が据わっている」


 一応皇国の皇族として及第点の対応であったようだ。その事に内心安堵し、オリヴィエは小首を傾げてみせた。


「介入はなさらないのですか」


 もちろん、目の前で繰り広げられている事態にだ。

 オリヴィエの問いに第三盟主は笑って肩をすくめた。


「アレの対応が済んだなら行ってもいいと思っているよ」


 アレとは新たに現れた、第三盟主に心酔している魔族の事か。彼女のような第三盟主の厄介な側近もどきの存在は、ルクシリア皇国でも把握している。皇国内で動けばすぐにオルタナに見つかると認識しているのか、皇国に姿を現す事はなかったが、どれほど鬱陶しく厄介なのかを騎士団長から教わっていた。アシェルが印を受けたことを報告した時にオリヴィエにも共有された情報だ。

 あの側近もどきだけなら、第四盟主の側近達三人がいればどうという事はなかった。想定外であったのは、これまで存在しなかった色付き魔族が現れたという点だ。


「我々は、盟主やその側近以外に色を纏う魔族を存じません。彼らはどこに隠れていたのでしょうか」


 長い歴史の中で色を纏う魔族はハッキリと伝わっている。ルクシリア皇国の皇帝一族として、オリヴィエも幼い頃からその容姿と性格、関係性を叩き込まれてきた。その中にあのような赤を纏う魔族はいなかった。


「ああ、彼ね。彼は死の森経由でこちらにやって来た魔族さ。彼以外にも三体の色付きが渡って来ていてね。一体は自滅、二体はゼノに斬り捨てられたから心配はいらない」


 軽い調子で告げられた内容にオリヴィエは知られぬよう息を飲む。

 教会が預言を受けて死の森の魔族討伐を行なっているのはオリヴィエとて知っている。どこからか渡って来たなど……それは、今後も同様のことが起こる可能性があるということだろうか。

 彼女が気になったのはそこだ。


「ああ、どうやら、第四盟主もやって来たようだ。——おっと。あれは随分とお怒りだね」


 言われて修練場へ目を向ければ、ここからでもハッキリとその非常に強い力を感じられた。

 同じ赤い色付き魔族とは比べようもない程の強い力。

 この地が荒れなければよいけれど、と不安に眉根を寄せ扇を握る手に力を込めた。



 * * *



 ふう、と短く息を吐いたのは、怒りのままに力を振るってしまうのを抑えるためだ。

 こちらの世界に来てからは、側近をここまで傷つけられることなどなかった。共に盟主となる魔族は味方としてあったので、こちらの陣営を攻撃するような事はなかったし、この世界に存在する魔族は、例え上位魔族であっても側近達よりも弱かった。このような屈辱は久方ぶりだ。

 第四盟主は傍らにあるアシェルの様子を検分し、傷がないのを見て取り満足気に頷く。オルタナが支えているルイーシャリアと合わせて、一番か弱いこの二人は守り通したデストロ達側近を内心で褒める。

 気になる点はあるのだけれど。

 その存在を主張する、右手小指の爪にある第三盟主の印。それがうっすらと力を帯びて今は輝きを放っているのは、魔族にしか見えまい。

 ただの印かと思っていたが、どうやら印を通じてなんらかの力を使ったらしい。ルイーシャリアの存在感が増したのも彼の力によるものに違いない。


 それだけではないでしょうけれど。


 印だけでは説明のつかない点もあるが、それらはすべて後回しだ。今はこの、随分とふざけた真似をしてくれた魔族二人を切り裂くのが先だ。

 アシェルをシニストロ達の方へ押しやりルイーシャリアに視線を投げれば、オルタナが心得たように恭しくその背をシニストロの方へ押しやる。すぐに彼女はシニストロとチェシャの側に駆け寄った。

 可哀想に。チェシャは核をひとつ失っている。これではしばらく動けまい。

 下品で無礼な側近もどきは、先ほどの攻撃で核ごと切り捨て潰してやった。オルタナに掴まれているだけでなく、その衝撃でこちらもしばらくは動けまい。どのみちオルタナがその存在を許しはしないだろうが。

 あんな小娘よりもこちらだ。

 オルタナに斬り刻まれ、未だ身動きできずに地面に転がるロッソリクスリーを腕を組んで見下ろし、パチリと扇を鳴らす。


「コレが渡って来た死の森の亀裂が消失したのは間違いなくて?」


 既に第五盟主から話は聞いている。

 わざわざ見物に行くほど興味は持っていないが、危険性は知っておく必要があったにで、情報共有の依頼はしていた。律儀な彼はすぐさま詳細を知らせてくれたので大体の情報は掴んでいる。まさかその亀裂をコレが渡って来ているとは、第五盟主も知らなかったようだが。


「はい。ゼノが斬り伏せたのを我が主が確認しております」


 相変わらずこちらの道理が通用しない男だ。何故世界を繋ぐ道を消失させる力を持っているのか。

 だがそれも今はいい。

 パチリ、パチリと扇を鳴らす。


「ゼノに斬り捨てられれば良かったものを」

「闇の魔物を見て逃げ出した腰抜け故に、逃げ足が早いのでしょう。ゼノのいない陣を選択するあたり、強者を避ける性根が魂に染み付いているのでしょう」


 オルタナも辛辣だ。まあ、元々オルタナは第三盟主以外の魔族には欠片ほどの慈悲も見せない男で、かろうじて盟主である面々には礼節を持って対応しているだけだ。

 パチリと一際大きく扇を鳴らすと、一歩、ロッソリクスリーに近づく。それだけで、かはっとロッソリクスリーが苦しみ出す。


「直接手をくだされるのか? それは褒美では?」


 至極真面目な表情で異を唱えるオルタナは、第三盟主に群がる有象無象を相手にしすぎたのか、皆がみな、盟主本人に攻撃される事さえ栄誉な事だと思っているようだ。まあ、確かに第五盟主に張り付いているロンダリオストフェジーなら間違いなく泣いて喜ぶだろうが。


「この男は(わたくし)を自身より下に見て侮っているの。そうでなければ、この(わたくし)を手に入れようなどと愚かな夢は抱かない」


 格下の分際で隣に並び立ち、あまつさえ魔力を交わらせようなどとは片腹痛い。 

 それは、同じ色を纏うからこそ、第四盟主にとってはなお許し難い話だ。濁った赤と交わるなどあり得ない。

 こんなものを喰らう気はないし、喰らわれるなど言葉にするだけでも屈辱だ。

 これまで歯牙にもかけてこなかったのは、鬱陶しいだけで相手をする価値もなかったからだ。だがここまで追って来たならば。


「核も残さずひねり潰す」


 短く宣言し、扇を開いた。

 そこから放たれた紅い風が、ふわりとロッソリクスリーを囲い込み——次の瞬間、彼の体内に溶け込むように消え去った。


「——ぐっ……かはっ……!!」

 途端に地面で悶え苦しみ出す。

「お、俺は……あなたをっ……」


 喉元を押さえ悶えながらも、第四盟主に向かって叫ぶロッソリクスリーを冷ややかに一瞥し、舞うように扇をひらりと横に薙ぐ。それだけで、声を奪った。

 まだ何事かを喚いているが、その音が周囲に響く事はない。

 耳を穢す言葉など不要だ。

 さらに扇を袈裟懸けにふわりと振り下ろせば、そのもがく姿すら目の前から消え去った。

 何処かに消えたとかではなく、紅い風の幕で覆い隠し見えなくしただけでその場には存在する。


「見苦しい男だこと。その濁った存在で近づいてくるなど愚の骨頂」


 そもそも、先程の第四盟主の力が易々と入り込めるのは、遥かに格下だという証だ。


「まったくもってその通りでございますな」


 鷹揚に同意するオルタナの手の中で、ビダが意識を取り戻したのか暴れ始めた。だが頭を掴んでいるオルタナの手を振り解こうにも、先程第四盟主に切られた両腕——右腕は核を切られたので再生は叶わない。左腕も余力がないため未だ再生はなされていない。


「んん~~~っ、むが、はにゃ……せ、よ……んんツ」

「コヤツも鬱陶しいことこの上ない。——ふむ。濁った者なら、コレを喰らうだろうか」


 無感動にそう呟いた男の言葉に、さしもの第四盟主も眉をひそめた。


「悪趣味ね」

「手を焼きましたので」


 (むご)たらしく消してやりたい、と続いた言葉に閉口するも気持ちは理解できると頷く。

 ならば、と扇をぱちりと鳴らした。


「ひとつを残して他を潰せば、放っておいても命の維持のために喰らうでしょう」


 濁っているのはその証拠だ。

 色付き魔族は、他の色を纏えない。だが、色が変質する事はある。他の魔族の核を喰らい取り込めば力を得られる。だがそうする事で、本来の色が濁ってゆくのだ。

 ロッソリクスリーの濁りは、他の——特に色付き魔族の核を喰らったという証。元々同じ系統の色でも深みも鮮やかさも第四盟主より劣っていたが、力を得るために他の色付き魔族の核を喰らったことで濁りが生じた。それは彼ら色を纏う魔族からすれば軽蔑すべき所業だ。色を持たない魔族や同じ色を纏う魔族と違って。


 そんな話をしている間にも、風幕の内側ではロッソリクスリーが()()()()()()()()()()()()し続けていたのだが、その所業も叫び声も外には一切届かない。

 第四盟主特有の魅了の力は、内に入り込めば本人の意識から身体の中の各器官ですら自在に操れる。今はあえて意識の支配を行っていないため、自分の思うように動かない手足や魔力をもどかしく思いながらも自傷を止められまい。

 純然たる力で捩じ伏せても良かったが、この男を目に入れながら叩きのめすことすら厭わしく、その耳障りな声も聞くに堪えない。

 そろそろ事切れるかしらと無感動に風幕を見つめる第四盟主に、オルタナが足をバタつかせるビダを掲げて見せた。


「コレは逃げ足が速いのです」


 そう言って忙しなく動く足を視線で示すので、第四盟主はパチリと扇をひとつ鳴らして紅い風で足を縛り上げた。

 これで最早逃げることは出来ない。第四盟主の力で縛られるという事は、単に縛られるのとは異なる。

 逃げるという()()そのものを禁じたのだ。

 すぐにビダの足は大人しくなり、そこでようやくオルタナはビダを地面に放り投げた。地面に転がったビダはすぐさま立ち上がるも、そこから逃げるどころか、ロッソリクスリーを覆う紅い風幕に向かって自ら進み行く。


「な、なにコレっ……!? なんで足が勝手に……! て、テメェ、このフラレ女のぶんざ——」


 どうっ、とビダの顔半分が吹っ飛んだ。


「お耳汚しを申し訳ございませぬ」

「……っ!! ……っ、……!」


 ぽっかりと、ビダの口周りに大きな穴が開いている。

 それを見たシニストロが喉奥で悲鳴を噛み殺し、デストロはルイーシャリアやアシェルの目に映らないように慌ててその身体で視界を遮った。

 オルタナは魔族に対して一切の慈悲がない。だが彼の主である第三盟主が対等な立場と認める魔族には敬意を示す。故に、第四盟主への侮辱にも容赦がない。


「金の君の信奉者だと名乗るのであれば、最低限の品位を保って欲しいわね」

「こと、品位で第四盟主様に及ぶ者はおりますまいが」


 嘘偽りなく述べて頭を垂れると、吹き飛ばされた衝撃でがくがくと震えながらも歩みを止められずに風幕に向かうビダの両耳に手を当て聴力を奪う。

 オルタナの行為に首を傾げた第四盟主は、だがすぐにそれに気づいて視線をそちらに向けた。


「放置するのだと思っていたけれど」

「君に迷惑をかけた落とし前はつけないとね」


 ふふ、と笑う第三盟主の言葉に、けれども第四盟主にはそうじゃない事がわかっていた。アシェルにつけた印の働きが気になったからに違いない。

 不意にその存在感を示すように普段は抑えている魔力を開放した第三盟主に、何が、と内心で首を傾げた時、ビダの身体が大きく震えた。

 ゆるゆると風幕に向かって歩みながらも、天を仰ぐように二の腕を伸ばすビダは激しく頭を震わせる。


 ——ああ、そういう事。

 納得して、困った人ねと思いつつも、確かに効果はありそうだと扇で口元を隠し嘆息した。

 一方のビダは、感動で打ち震えていた。


 ああああああああっ、いる、いらっしゃる、彼の方が! あたしの主様がっ、すぐ側に……っ!


 肌に感じるこの力は、あの美しい金を纏う絶対的存在の彼に間違いない。

 空気の震えで、何か言葉を発しているのはわかるのに、その声を聞く事は叶わない。


 ああ、くそくそくそっ、オルタナめ! でかい顔して我が物顔で側に侍るクソ魔族め!! テメェのせいであの方のお声が聞こえないだろうがっ、クソめ!


 罵詈雑言を浴びせるビダの声がオルタナに届く事はない。これほど傷を負いながらも倒れる事すら叶わないのは第四盟主の力のせいであったが、足以外は自在に動く。振り返ろうと思えば振り返ってその姿を目に焼き付ける事は出来る筈だ。何故か目は潰されなかったから。

 状況も忘れて一目その姿を——と考えた時、自分の姿を思い出した。

 今振り返れば、この顔に穴が開いた間抜けな姿を、よりにもよって第三盟主に晒す事になるのだ。


 ——それはイヤだ。ああ、でも……そのお姿は見たい! こんなに近くにおられる事などコレまでなかった! お姿を見られるならもう死んでもいい! 


 絶対に見る!——と振り返ろうとして、その花の香りにびくりと固まった。

 あの女がそこに居るのに——この無様な姿を金の君に晒すのか。よりにもよってあの女の前で、冷ややかに見比べられるなど——冗談ではない。


 ああ、けれど……けれど!


 葛藤に悶える間にも、確実に風幕に近づいていたビダの背を、思い切り蹴り飛ばしたのは誰だったのか。その勢いのままビダは振り返る事なく風幕に突っ込んで行った。

 ああ! と振り返ってももはや紅幕しか見えないどころか、先ほどまで感じていた第三盟主の力さえ一切感じられなくなった。


 畜生! くそくそくそくそっ、クソめらが! オルタナか!? あの女狐か!? どいつもこいつも邪魔しやがって!あたしの主様の側をうろつくクソ共が!!


 振り返り内心で罵倒していたビダは、どん、と何かにぶつかり思考を止める。蹴り飛ばされた後でも、足だけは歩み続けていたのだ。

 ぞわり、と肌が感じた危険な魔力に、恐る恐る視線だけをそちらに向け——固まった。

 こちらを昏い目で見つめるロッソリクスリーの隻眼。

 右目と左足、そして左脇腹と右腕といった身体の部位を失いながらも、倒れる事なくそこに在るのは、第四盟主の力が支えているからか。口から漏れる荒い呼吸音が、聴力を失ったビダに聞こえる気がするのは、その音を肌で感じているからだ。

 もはや理性を失ったそも昏い瞳が、ビダを、目の前の獲物を検分するように覗き込んでいて、喉奥で短い悲鳴をあげた。

 それは音にはならなかったが、ビダの足はロッソリクスリーにぶつかっても止まる事なくグイグイと身体を押し付けるように前へ進もうと動き続ける。同じく倒れられないロッソリクスリーとは、自然に密着が激しくなる。


 ああああああ! キモいキモいキモいキモいキモい! 離れろクソがっ! やめろ離れろ!


 喚きながら、ロッソリクスリーを押し除けようと二の腕を突っ張るが、足は止まらず上体だけがのけ反る。その突き出されるように露わになったビダの鎖骨に、核の匂いを嗅ぎ取ったロッソリクスリーが、ゆうるりと顔を近づけてきた。

 ひっ、と逃げようとしたビダの後頭部を、逃すまいとがしりと掴まれる。その手が後頭部からゆるゆると何かを探るようにうなじを撫でまわす。

 背筋が総毛立ち肌という肌が鳥肌を立てて拒絶するのに、離れる事が叶わず、胸元に埋められた頭を退ける力すら無い。

 やがてうなじから背筋を撫で回していたその手が、右の肩甲骨あたりでピタリと止まった。

 確かめるようにじっとそこを押さえていた手が離れ——


「!! ……っ……!」


 幕内が、ビダの絶叫で震えた。

 口がないので声はあがらないが、残された首元から発せられた無音の叫びが空気を震わせる。

 背中から核を貫かれ、核石となったそれを胸元から喰われた。核を喰ったことでロッソリクスリーの欠損していた腕が再生し、そのままビダの他の核の位置を探るように、密着した身体をまさぐり始める。

 核を失った衝撃で身体が硬直し意識が朦朧となっているのに、肌の感覚だけは研ぎ澄まされていて、身体を這うロッソリクスリーの手や舌が嫌というほど感じ取れる。


 離れろ、離れやがれ、このクソが……! なんで理性飛ばしてやがんだ、クソめっ……! クソの分際であたしをっ、喰らおうなんて……クソクソくそめっ、このあたしがっ、こんなクソに……喰われるだと? あたしはっ金の君のっ金の君だけを——!!


 ビダの悪態はそこまでだった。

 そこで、ぶつりと命が終わった。

 最後のひとつ、腹にあった核を貪り喰われ、ビダだったモノが崩れ落ちる。それはやがて塵となり、風幕の中で霧散した。

 ビダを喰らい尽くしたロッソリクスリーは、欠損を修復し荒い呼吸を繰り返す。その目は狂気に染まりすでに尋常ではなかった。

 自らの核をじわじわと自身で破壊する際に、既に精神も壊れているのだ。

 ただひとつ。

 自身が追い求める第四盟主の力を紅い風幕に感じ取り、それを抱きしめるように両手を広げ——取り込んだ。


「ああああああ……!」


 その甘美な魔力の残り香に恍惚とした叫び声を上げる。

 突如奇声を上げて幕を打ち破って現れたロッソリクスリーに、第四盟主は眉をひそめた。

 中で起こった事はそうなるように仕向けているので概ね把握済みだ。だが自分の幕を打ち破るほど力を得るとは考えていなかった。


「変質したのかしら」


 他者の核を喰らうモノに稀に見られる現象だ。


「そのようだね」


 第三盟主も穢らわしいモノを見るように一瞥すると、すいと第四盟主の前に跪き恭しくその手を取った。

 突然の行動に第四盟主が珍しく狼狽える。

 第三盟主が誰かの前で跪くなど常ならあり得ない。

 あり得ないからこそ、この芝居がかった行動はロッソリクスリーの神経を逆撫でするためだとわかる。


「あれを処理する栄誉を僕にくれないかい? 君の側近を傷つけたお詫びと、これ以上穢らわしいモノを君の目に触れさせないために」


 手の甲に唇を寄せ、微笑を浮かべて上目遣いで見つめてくる第三盟主に、扇を持つ手が微かに震える。

 まあ、と声にならない感嘆の空気を感じたのはルイーシャリアがいる方向だ。


「——喜んで」


 目を細め、吐息混じりの艶めいた声で応える。

 報復は自らの手で行うのが望ましいが、諾と応えねば第三盟主の顔を潰すことになるし——何より惚れた相手にこのようにされて喜ばない者はいない。

 第四盟主の言質を取った第三盟主は、そのまま手の甲に口づけ、ゆっくりと立ち上がるとロッソリクスリーを振り返った。

 怒りと狂気に支配され、もはや正常な判断どころか理性も状況判断能力もかなぐり捨てて、己が望む魔力を纏う第四盟主をひたりと見据えるだけのモノ。もはや己が何故その魔力に惹かれるのかさえ意識から消え失せているだろう。

 これまで随分と喰らってきたようだ。

 その力なきモノの浅ましさを鼻で笑う。

 ついと(ステッキ)を取り出し、くるりと回すと彼の前に空間を開く。

 その開かれた先の気配を敏感に感じ取ったシニストロとデストロが顔色をなくし、離れているのにさらにジリジリと後ずさる。

 オルタナと第四盟主は無言でその様子を見守った。

 判断力を失いながらも、その空間は危険だと判断したのか、こっちに向かってこようとしたロッソリクスリーが、躊躇うように一歩後ずさった。

 くっ、と小さく笑いを落とすと、その場にいながらロッソリクスリーの背を空間目がけて突き飛ばした。——ビダにそうしたように。

 空間はロッソリクスリーを呑み込んだ後、自然に閉じて消失する。

 それを確認すると、第三盟主は微笑したまま(ステッキ)を消し去り、胸に手を当て第四盟主に向かって丁寧にお辞儀をする。


「お目汚しを」


 ふ、と吐息がこぼれ落ちた事で自身も息を詰めていた事を知り、第四盟主は一度目を閉じた。


「さすがは金の君。神魔ですら開けない奈落への道を開かれるとは」


 澱みの底の奥深く。闇の手前のその場所は、色を纏う魔族であっても無事では済まない。そんな場所へ道を開けるのは、空間魔術を操る彼以外には出来ないことだ。そこに送られた魔族は澱みに呑まれて同化する。闇に溶けゆくことはあってもそこから浮上することはない。余程の力を持つ者でなければ、個を保つことなど出来ない場所だ。


「さて。これで邪魔者は消え失せた。じゃあ——」


 そう呟きアシェルの方へ目を向ける。

 目が合ったアシェルがびくりと肩を震わせる。それを見て第四盟主も眉をひそめた。

 彼の仕業であった筈なのに、想定外の事態が含まれていたのだろうか。


「何が起こっていたのか確認しないとね」

「あなたの仕業では?」

「デストロの防御魔法を強化したのはね。その前に起こった事は、僕にもよくわかっていないんだ」


 その言葉に第四盟主も目を瞬いた。

 ロッソリクスリーがルイーシャリアやアシェルを盟主達が擬態した姿だと認識したこと。ロッソリクスリーの能力が低いだけでは理由がつかないその事象。何故なら、第四盟主でさえも、ルイーシャリアを自分の分身ではないかと誤認識出来てしまう存在感を放っていたのだから。

 それはてっきり、アシェルの施された印に力を用いて第三盟主が何かをしたためだと思っていたのに、彼ですらわからないと言うのだ。


「その説明は、私がしよう」

「——!?」

「っ!」


 突如涼やかな声が落ちると同時に、彼らを閉じ込めるように空間が隔離され、第三盟主は第四盟主を、その第三盟主を庇うように、オルタナが前に躍り出た。

 共に空間に閉じ込められたシニストロ達は身動きひとつ出来ずに身を寄せあう。

 盟主達でさえ気付かなかった接近。

 声に遅れてバサリと上がった羽音に、第三盟主はその正体を知る。

 箱庭の黒い鳥。

 かつて、正体を暴こうとハインリヒと共に動き回る彼を追い回しながらも、その力の片鱗すら掴めなかった存在。

 黒い鳥の姿で地面に着地したと同時に、その姿がみるみるうちに変化する。

 現れた姿に第四盟主が息を呑んだ。

 深淵を思わせる漆黒の髪に深い紫の瞳。その頭に存在する二本の短い角。そして何よりも感じる、圧倒されるほどの存在感。

 本能が理解する。


 彼は、彼こそが()()()()()()()と——


 思わず跪こうとするのを、手で制された。

 彼に不愉快そうに眉をひそめられるだけで心が凍り付く。


「私にお前達の上に立つ気はない。故に膝を折る必要もない」


 その言葉に自身の存在を否定されたような絶望を感じて、第四盟主の身体が震える。

 ずっと求めたいた。

 それは、強者である彼に魔族を掌握してもらいたかったからだ。そうすれば、無法者達の中にも秩序が生まれる。第四盟主は何よりもその秩序を欲していたのだ。秩序がなければ平穏も生まれない。

 あの世界を見限った第四盟主からすれば、ロッソリクスリーのようにこの世界に渡ってくる無法者さえいなければ問題なかったのだが、それでも上に立つ気はないとの言葉に心を抉られた。


「ああ、勘違いするな。だからと言って敵対する気もない。——お前達が敵対しない限りは」


 青い顔をした第四盟主の気持ちを勘違いしたらしい言葉に、彼女には言葉を紡ぐ気力はない。その様子をチラリと一瞥して、第三盟主は自分達の王を——アルトを睨み付けた。


「僕達には箱庭と敵対する理由はない。これまでもそうだったんだ。それは伝わっていると思ったのだけれど」

「ふむ。だが探っていたな」

「ゼノが引き籠もっていたし——何より、我々は貴方を探していたんだ。箱庭にいるのかどうかを探るのは当然かと」

「なんのために」


 間すらおかずに問い返され、第三盟主は微笑を浮かべた。


「それぞれの目的のために。——誤解しないでいただきたいのは、貴方と敵対するために探していたわけではなく、貴方の力を借りたかったが故の行動だ。少なくとも、僕達——第三以下の盟主と呼ばれる者達は」


 アルトの敵意を買わないように、第一と第二の目的は知らないと明言しておく。

 真意を探るように第三盟主をジッと見据えていたアルトは、元々大して興味はなかったのか、「まあいい」とあっさりと引き下がった。


「お前達の望みを私が叶えるに値するかどうかは別の話だがな。——それより」


 チラリとアシェルとルイーシャリアに視線を投げる。

 アルトに見つめられ、アシェルはゴクリと息を呑んだ。チェシャを膝の上に抱えていたルイーシャリアも身体を強ばらせた。


「非常に珍しい事ではあるが、あの者達はお前達の魂の欠片を——欠片と称するには非常に小さなモノだが、それを魂に抱いて生まれ落ちた者。そんな彼らがお前達の印——魔力を得た事で欠片が輝きを得たに過ぎぬ」

「魂の、欠片……?」


 説明された言葉に盟主達が眉をひそめる。

 そのような事が何故生じているのかわからない。

 自分達の魂の欠片とはどういことか。欠片が存在したとして、それが何故あちらの世界ではなくこの世界だったのか。


「そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()、非常に稀ではあるが起こり得る」


 意味深長なその言葉にどういう意味かと眉をひそめる二人を気にも止めずに、アシェルとルイーシャリアを見たまま頷く。


「欠片があるが故にお前達の特徴を持ち得た。彼は声を、彼女はその姿を」


 欠片がなければ色を纏う魔族の特徴を持つことは不可能である、と説明されれば、第四盟主がかつてルイーシャリアに対して感じた怒りを完全に収める事が出来た。理由があって、姿が似ていたのだと。


「彼に施したお前の印が、危機に瀕して力を発揮し欠片の輝きを更に強めたために、見誤る者がでただけのこと。彼らにはそれ以上の力はないし、人の範疇を超える事もない。彼らを通じてお前達の力を得られる事もない故に心配はいらぬ」


 二人が真に危惧していたことを心配いらないと断言したアルトに、二人は胸をなで下ろす。


「——それで納得出来たか」


 そう改めて問われ、色を纏う三人の魔族の間に緊張が走った。

 そもそも、彼の目的はなんだ。

 これまで一度たりとも彼らの前に姿を現すことのなかった魔王が、わざわざこの説明のために姿を見せたというのは考えにくい。

 説明はオマケであり本題は別にある筈だ。


「失礼ながら、何故わざわざ説明を?」


 オルタナが、主達を庇ったまま静かに問う。

 その言葉に、ゆるりとアルトがオルタナ達に視線を戻した。

 その紫の瞳にからは何も読み取れず、第三盟主も僅かに緊張した面持ちで彼を見つめ返す。

 アルトはしばらく彼らを見定めるように見つめていたが、ふむ、と小さく頷いた。


「お前達はゼノと敵対はしておらぬ。——故に、手を組めるかと思ったのだ」


 彼にとって、やはりゼノは特別なのだ。

 どういった経緯でゼノに加護を与えることになったのかはわからないが、彼らの間にあるのは間違いなく仲間意識だ。それを持ち出すという事は、ゼノに関係する何かか。


「私は今のあちらの世界がどうなっているのかを知らぬ。どうなろうが興味がなかったのでな。だが、そうもいかぬ事態が起こってきているようだな」


 それが死の森の亀裂の事だと気づき、第三盟主は神妙に頷いて見せた。


「何者かが道を開いたのは間違いないかと」

()()をお前達は見えぬのだったな」


 何故それを、と目を瞠り——覗いていたのだと知る。自分や第二盟主に気付かれる事なく、あの場で。


「アレが何かをご存じなのですか」

「いや。ゼノがあまりにも早く斬り捨てたので確認出来なかった。だが、お前達に見えなかったというのであれば、あの白い手は神の力を持っているに違いない」

 ——神魔。


 その言葉の意味するところに息を呑む。

 何故なら、あの世界に核を置いている第三盟主ですら、第一盟主以外の神魔の存在を認識していない。第一盟主がこちらに渡って来ている以上、あちらには他の神魔など存在しない筈なのだ。


「故に、お前達にアレを見る力を与える」

「それは——」


 何のために、という言葉は三人を襲った力に呑み込まれた。

 突然の力の奔流。

 それが身体中を駆け巡り、過ぎ去った後には漲る力に目を瞠る。


「心配はいらぬ。先にも述べたように、お前達の上に立つ気はない。——これは取引だ」


 拒絶を許さぬ、絶対者からの言葉。

 それが対等な取引にはならないのは当然のことながら、それでも三人には拒否する間すら与えられなかった。それほどの絶対的な力量差。


「再び亀裂を見つけたなら報せよ。加えて——」


 言いかけ、思いとどまったように頭を振る。


「いや。他は、私が去った後のあちらの世界の情報を教えよ。私が望むのはそれだけだ」


 望みという言葉を使いながらも、それは命令だ。その言葉は彼らを縛る楔となる。王であるアルトの言葉に反抗するには、恐ろしい程の気力と力を要するだろう。

 だが、それを理不尽と感じる以上に力を与えられたし、元々彼らは魔王に恭順の意を示すことに否やはないのだ。


「心得ました」


 胸に手を当て頭を垂れる彼らに鷹揚に頷き返すと、「また連絡する」と短く呟き、元の黒い鳥の姿に戻り「アレはオマケだ」と言い置いて飛び去っていった。それと同時に彼らを隔離していた空間が解かれる。

 そこが元いたグラリオーシュの修練場である事を確認し、第三盟主は素早く周囲を探る。魔王の気配も黒い鳥の気配も既に感じ取れない。


「チェシャ!」


 不意に上がったルイーシャリアの弾んだ声にそちらを見遣れば、核を失い大きなダメージを受けていた第四盟主の側近であるチェシャが、ピンピンした様子で立っている。


「な……にがおこったにゃ? なんで?」

「我らも……」

「怪我が……」


 去り際にオマケだと言っていたのは彼らの怪我を治したことか。

 第四盟主が扇を握りしめたまま目を見開き、側近達の方に足早に向かう。その後ろ姿を見つめながら、ふ、と息を吐いた。


「オルタナ」

「心得ております」


 短く返し、すぐにその場から姿を消す。

 与えられた力は想定以上のものだ。

 ロッソリクスリーのように他者の核を取り込むのではなく、魔王から与えられた力は、変質を生むことなく彼らを強化した。もちろん、色の持つ優位性を覆す事は出来ない。だがそれでも、第三盟主に第四盟主は——もちろんオルタナも含め、驚くほどの力を得た。いや、逆を言うなら、それほどの力を得ねばあの白い手とやらは見えないのだ。神魔の力とはどれほど強力なのか。


「もしかして、あの魔剣とやらももう少し調教出来るのかな」


 呟き、忍び笑いを落とす。

 魔王が力を貸してくれる可能性は今のところ低いが、交渉次第ではあり得なくもない。

 よもやあちらから接触を図ってくれるとは。

 彼の興味を惹いたのはアシェルやルイーシャリアといった盟主の魂の欠片を持って生まれた者達がいたからか。あるいは、第一や第二と接触を図らずに情報を得るには丁度良いと思われたか。白と黒を纏う彼らの事は魔王も警戒しているのかもしれない。

 いずれにせよ、彼らにとって悪い話ではなかった。


「ますます面白くなってきたね」


 第三盟主は楽しそうに、笑った。

 

 



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