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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第三章

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202/236

(四十四)企む者たち



 荒々しい足音が近づいてくるのに気付いて、新聞を広げていたレントンは表情を変えることなく紙面を見つめたまま、内心でふぅんと呟いた。


 随分とご機嫌斜めなようだな。何かあったか?


 教会主導で行われた死の森の魔物討伐は、暴走する方向が帝国側とは無縁だったために声がかからなかったようだが、そんな預言だけを信じずにここ北方軍は死の森に面する街の警戒を強化していた。

 預言通り死の森の南側には現れず、教会が行っている討伐も昨日一つ目の怪物を剣聖が倒し終了した事はレントンも掴んでいる。今日の弔いが終了した後に教会から討伐完了について公式発表される見通しだ。

 それを聞いて死の森付近に出陣していたランハートが戻って来たのだろう。


 公式発表前に正しい情報を入手出来ているのは及第点だな。


 冷静に帝国情報部をそう評価する。

 西ならいざ知らず、東大陸であればノクトアドゥクスに匹敵する情報収集能力を有しているのは間違いない。

 だからと言って使えるかどうかは別問題だが。

 それに。

 レントンは紙面に目を走らせながら冷静に考える。

 ランハートが独自で入手したか。あの男が望めばこの程度の情報を得るのは造作もない事だろう。

 そう冷ややかに考えていると扉が荒々しく開き、予想通りランハートとその副官のシードス、そしてこちらはあまり楽しくないダリウス達がズカズカと部屋に入って来た。

 レントンは紙面から顔をあげ口元に微笑を浮かべた。


「これはお揃いで。死の森の討伐も無事終了し、帝国側も問題なかったようで何よりですね~」


 レントンの言葉にダリウスの後ろにいた青年が目を瞠った様子に、コレはやはり無能だなとの評価を改めて下す。わざわざ連れ歩いているのは油断を誘うためか別の目的か。

 まさか無能さに気付いていないというのなら、ダリウスの評価をまた下げねばならないが。


「あの男の準備はなったか?」


 挨拶もなく短く問うランハートに、レントンは大仰に肩をすくめてみせた。


「長官の信頼厚く剣聖の担当を任されるヤツですからね。簡単には進みませんよ」

「急がせろ。少しでも早く渡る必要がある」


 ふぅん?

 レントンは首筋をかきながら笑みを浮かべて首を傾げる。


「ご存知の通り、あちらに渡るには条件があります。相手の許可を得た者である事、転移に必要な紋があること——」

()()()()()。魔法陣もな。だから後はあの男がそれを起動し渡ればいいだけだ」


 レントンの言葉を遮って言い放たれた言葉に笑みを深くする。

「——既に紋までお持ちとは初めて聞きましたが」


 そもそも条件や紋がわからないからクライツを締め上げて情報を得ようとしていたのではなかったのか。

 今まで明らかにして来なかったのに、ここに来て開示したという事は本当に急ぎ渡らせたいらしい。

 果たしてそれは帝国側の要望か、はたまたランハートの独断か。

 ランハートは優秀ゆえに、ある程度自由に動くことを帝国皇帝から許されている。もちろんそれは、帝国に害をもたらさないというのが大前提ではあるし、そんな危険な事はしない者だと信頼されているのも本当だ。

 だがレントンからすればあり得ない。

 この男を信頼するなど、ハインリヒであれば絶対にしないだろう。

 まあそれは仕方のないことだ。帝国皇帝はハインリヒではないのだから。


「ならば、帝国情報部で渡ればよかったのでは?」


 至極当然の提案をしてやれば、副官のシードスの片眉が僅かに動いた。ランハートは口の端を上げる歪んだ笑みを浮かべて肩を竦めてみせた。


「お眼鏡にかなわなかったらしい」

「ああ、なるほど。——ダットンも使えなかったと」


 呆れたように笑顔で吐き捨ててやれば、青年が物凄い形相で睨みつけてきたが、そんな反応は相手を喜ばせるだけだとわかっていないのは青い証拠だ。内心はどうであれ、当のダリウスは薄ら寒い笑みを浮かべたまま微動だにしていない。


「そんなに選り好みするとは聞いてませんが、余程大した情報を持っていないと判断されたんでしょうねぇ」


 まあ事実持っていないのだ。ダリウスは多少持っているかもしれないが、例の魔族の興味を引く程ではなかったと。

 あるいは試していない可能性もあるが、大した差ではないし、レントンも興味はない。

 喰い物にならなかったのは残念だが。

 それに。

 レントンは微笑を張り付けたままランハートを観察する。

 彼の企みがバレて忌避されている可能性だってある。

 新聞を畳んでテーブルの上に置きゆっくりと立ち上がる。


「前に話した通り、例の間を棲家とする魔族は特殊でしてね。決まった場所の紋から移動するか、興味を引かなければ招かれる事はない」


 ゆっくりとランハートに歩み寄り、やや高い位置にある目を覗き込む。

 ヘーゼルブラウンの右目と黒い左目のオッドアイ。オッドアイと言いながら、虹彩だけではない違いを感じる。


「クライツならどんな状況でも渡れる可能性は高い。どんな手段であっても」


 ランハートもその言葉の真意を探るように目を覗き込んできたが、レントンも先ほどから変わらぬ微笑を貼り付けたままで、読み取れる事はない。

 両者はしばし険を飛ばし合いながら睨み合っていたが、先に動いたのはレントンの方だった。


「まあいいでしょう。ランハート殿の信頼を勝ち得ないといけませんからね~。ちょっと地下牢まで行って来ますよ」

「すぐに連れて来い」

「せっかち過ぎると足下を掬われますよ」

「急ぎだ」


 重ねて告げられた言葉に肩をすくめてみせてから、部屋を後にする。

 余程急ぎとみえる。帝国絡みでは何も起こっていない筈だから、本来の目的で動きがあったという事か。

 あんなのの目的など管轄外だし、まともに相手をする気などレントンには最初(はな)からなかった。クライツがどうにかするだろうし、どうにも出来ずに潰されるならそれまでだ。結果がどうなろうがレントンにはどうだっていい。彼にとって重要なのは他にある。


 のんびりと地下に向かう廊下で、険しい表情のルシーアとその副官であるオズモンドが立っているのを見つけて、おやおやと目を細めた。すっかりいつも通りの糸目になる。

 ノクトアドゥクスには一歩も二歩も及ばないが、それでも負けじと食らいついてくる姿は微笑ましい。それに彼女はダリウスのようなゴミとは違う。帝国内でノクトアドゥクスの活動範囲を極限まで押さえ込み、自由に動けないようにしてきた帝国情報部の実力は確かだ。

 綻びが出てきたのはランハートがダリウスを招き入れてからだ。

 わかっていてもダリウスを排せないルシーア達からすると、今の状況は憤懣やるかたないだろう。


「この北部だけよ」


 目の前を通り過ぎようとしたレントンに向かって、ルシーアが短く告げる。

 レントンも足をとめ、彼女に向き合う。


「あなたの自由もこの北部だけ。いずれあのダリウスと共に葬ってやるわ」

「鞍替えしちゃうかもしれないし」

「裏切り者はまた裏切る。信など置かない」

「おお、驚きだ。そんなところで意見が合うとは」


 レントンの物言いが癇に障ったか、さらに剣呑な表情で睨みつけられたが、もとより仲良くする気はお互いにないので問題ない。


「とにかく(わたくし)達の邪魔はさせない」

「それはネフェリエン中将に進言しないとね」


 ツラいね、中間管理職はと同情してみせたら、ふ、と不敵に微笑を返された。


「さあ、どうかしら」


 それだけを意味深に返すとルシーアはそのままレントンに背を向けて去っていった。

 わざわざ待ち伏せしていたのなら可愛いところがあるじゃないかと、薄ら笑いを浮かべる。

 それが出来るというのは、状況を正確に掴んでいるという事だ。それをわざわざ伝えに来た。牽制だとしてもダリウスなんかよりずっと楽しめる。


「まあ、猫は苦手なんだけど」


 肩をすくめて再び歩き出した。

 クライツを閉じ込めている地下牢まで下りて行くと入口には軍の看守がいて、レントンをジロリと睨み付けてくる。友好的でないのは致し方ない。むしろ友好的だったら胡散臭い。

 真面目に仕事しているねぇ、感心、感心。

 軽く片手を挙げて彼らに挨拶しながら歩みを進める。辿り着くよりも先にガチャリと件の牢の扉が開いて、中からひょこりとミリーナが顔を覗かせた。


「タイムリミット?」

「まあね」


 せっかちさんだから困ったもんだよ、と呟いて、室内に足を踏み入れる前に一度静かに目を閉じる。

 静かに深呼吸をしてから、ゆっくり目を開けミリーナを見ればこくりと頷かれた。それを確認してから中に足を踏み入れる。

 牢の中では、両手を拘束され鎖でぶら下げられたクライツが無表情でこちらを見遣り——次いで驚いたように目を見開いた。

 ノクトアの面々のこの驚いた顔もそろそろ見飽きてきたな。

 そんな事を考えつつ、クライツの側に歩み寄って上から下まで状態を確認する。


「ハリーくんはちゃんと手加減したようだね~」

「……仲間だった(よしみ)で、もうちょっと手心を加えていただいても良かったのではと思いますが……」


 目を見開いて固まったのも一瞬。すぐに我に返ったクライツが皮肉げな笑みを口の端に浮かべて睨み付けてくる。


「クライツは面白いことを言うねえ。だった、じゃなくて今でも仲間だけど?」

「ご冗談が高度過ぎて私にはついていけませんよ」

「修行が足りないねぇ」

「あなたの冗談に対応できるのは長官ぐらいかと」


 はははは、とお互い胡散臭く笑い合い、それからレントンが小首を傾げた。


「今からクライツには天秤の間に渡ってもらうよ。オマケ付きでね」


 静かに宣言すれば、馬鹿にしたようにクライツが笑う。


「もう潰しちゃっていいんですか?」


 オマケがダリウスなら間違いなくあっさりとクライツに潰されていただろうなと内心で頷きながら、大仰に肩をすくめてみせた。


「あの小物にそんな意気地がある訳ないだろう。もっと大物さ」


 首筋をかきながらそう答えてやれば、す、とクライツが目を細めて警戒を見せる。

 そうそう。お前はダリウスのような馬鹿じゃないだろうから、もう誰のことでソイツが何かもわかっている筈だ。


 ——まあ、それぐらいでなければ長官の子飼いになどなれないからな。


 当然とは言え少々面白くない。

 だが、実際にあちらに渡ってクライツが無事で済むかどうかは別問題だ。そこから先はレントンにも予想はつかない。

 上手くやるのか消されてしまうのかはクライツの力量次第だろうが、そこはどちらに転んでもレントンにとってはどうでもいい。消えるにしてもメッセンジャーの役割さえ果たしてくれればそれでいいのだ。

 こちらの真意を探ろうとする視線に微笑を返したとき、ミリーナがカツンと足を鳴らした。

 ああ、ようやく追いついたのか。

 ダリウス達が来たかと肩をすくめてハリエスタに目配せをすれば、ひとつ頷いて吊るしていた鎖からクライツを下ろした。

 じゃらじゃらと派手に鎖の音をさせながら手枷も外し、ぐいと後ろ手に縛り上げるのを眺めていると、牢の中にダリウス達がやって来た。


「観念しましたか?」

「そんなことをするようなヤツが重用される訳ないだろうね」


 馬鹿な事を言うと呆れてみせれば、ダリウスの背後の青年がムッとした顔で睨んできた。それをさくっと無視してぐいとクライツの顎を取り上向かせる。


「クライツの意志はどうでもいい。彼が向こうへ渡る重要な鍵のひとつであることに間違いはないからね~。きっとネフェリエン中将も納得されるだろうとも」


 そう言って彼を笑いながら見下ろしてから、背後のダリウスを振り返る。


「それで? 君がここに来たということは、魔法陣を準備した場所まで案内するためなんだろうな?」


 クライツをここに放り込んでから、他の誰も地下牢付近に近づけていないとミリーナから報告を受けているので、恐らくこの地下牢のどこかにその部屋がある筈だ。

 ノクトアドゥクスでも人目につかない場所に設置していたように、誰かの目に触れるのは危険だ。魔法陣と紋を置くということは、相手に呼びかけているも同義で、彼からはいつだってこちらがわかるのだから。

 なのに、召喚され(呼ばれ)なかった。

 それだけで帝国は警戒されていることが窺える。

 いや。警戒されているのは帝国ではなくあの男——ランハートか。

 彼らの事情はレントンには関係ないが、知っておいて損はない。警戒されているという事実がわかっただけでもダリウスに付き合ってやった価値はある。


「もちろんだ。彼も無駄を嫌うからな」


 ついて来い、と言うように鼻を鳴らしてこちらに背を向けたダリウスを冷ややかに見据えてから、クライツをチラリと見遣って背を向けた。ハリエスタが後ろ手に腕を掴んだまま後に続く。その後をミリーナが付いてくる。


「嫌われている帝国が準備した魔法陣と紋が使えるといいけどねぇ」


 歩きながらダリウスの背に投げかけてやれば、「それならその男に価値がなかったというだけのことだ」と嘲笑するように返ってきたが、くくくっとレントンは笑った。


「剣聖の担当者に価値がないとされるなら、よっぽど帝国が嫌われているか、彼にとって無価値だということだろうねぇ」


 おどけたようにそう言ってやれば、歩みを止めたダリウスにジロリと睨まれて、おっと、とわざとらしく口元を押さえる。


「帝国じゃなくてランハート中将が、というべきだったか」

「……いくらノクトアの副長官でも、彼の機嫌を損ねると無事では済まないぞ」

「心配には及ばないさ。君より有能だからね」


 ダリウスは眉間の皺を深くしただけで、それ以上は何も言わずに再び歩き出した。

 必要な情報は与えてやった。ハリエスタ達から得た情報と合わせて後はクライツが自分でなんとかするだろう。

 レントンの想像どおり、地下牢が続く廊下をダリウス達に付いて奥へ奥へと進み行けば、ピタリと何もない廊下の途中で立ち止まった。——いや。何もないというのは誤りだ。天井と壁の境目に魔法陣が隠されるように刻まれている。

 廊下はまだ奥があり、突き当たると地上の方向に通路が続いているようだ。レントンが入手している地下牢の地図と照らし合わせると、あの通路はランハート達がいる本館に続いている筈だ。

 あえて一緒にやって来なかったのは、ルシーア達に知られないためか。

 彼女達と途中に出会った事を思い出し忍び笑う。

 廊下の奥を見ていたら、ゆっくりと右手側の壁に亀裂が入り、魔術によって隠蔽し施錠された扉が内から開かれてゆく。


 ——これは仕方のないことだ。


 開く扉を見つめながら、レントンは自然と口の端が上がるのを感じた。

 あなたが悪いんですよ、長官。

 開け放たれた扉の奥に立つランハートを見据え、非常に楽しげな微笑を浮かべて心の中で弁明する。

 私を除け者にするから。



 * * *



 唐突に感じたその力に、魔法陣の構築式を書き綴っていたヘスは顔を上げた。

 人であった頃の名残か、頭の中で魔法の構築式を扱えるようになっても、こうして魔紙に書き出し吟味する癖は抜けない。何より、魔王が教える構築式は非常に魅力的で、さらに独自に研究を進めるには書き出し分解し理解する必要があったのだ。なにせ、教える魔王は完成されたものしか提示しない。というよりも、詳細などは考えもせずに自身のやりたいように魔術を行使すれば、構築式は後から勝手に出来上がるという按配だ。魔術師達とは根本から魔術の形成が異なる。

 ヘスにも同じようなことが出来る筈なのだが、こと魔術に関しては事細かに理解し突き詰めて考えたい性質なので、どうしても書き出す必要がある。

 また、純粋に魔法陣を眺めるのが好きだというのもあった。

 堕ちるところまで堕ちても元は魔塔に所属する魔術師だ。研究者としての性質までは変わらない。

 そんなヘスの性質に魔王は辟易し、呆れを通り越して今では閉口している。

 この身体を作り替えたのは魔王の核だが、残念ながら主導権はヘスに握られている。それがあの者の制限なのか、あるいは魔王が人格を維持していたこと事態が珍しいことであったのか。

 魔王にも分からない事であったが、身体を自由に動かせないのは忌々しい。時にヘスを強制的に眠らせて乗っ取ることも出来たが長くは持たない。魔王が自由に動くためには、このヘスをどうにかせねばならないのだ。

 魔術で釣ってみたがこの有様。

 塔も復活したなら、後は配下を増やして目障りな主神の創造物を破壊してやりたいのに、この身体の持ち主の興味は魔法陣や魔術に向けられ、塔の外へ出て破壊を行う事をしようとしない。


 ——もっとも、あの忌々しいヤツのせいで塔の外には出られないが。


 自分と同じ闇から生まれた存在でありながら、自分よりも遥かに強大な力を持つ者。それが世界が持つ闇の深さの違いである事を理解したとしても納得はしない。同じ闇ならば、喰らうことが出来る筈だ。

 だが何よりも忌々しいのは。

 ——白い光

 アザレアの数倍はあろうかという強い神聖力。ややもするとこの世界の主神であるソリタルア神よりも強いのではないかと感じたその力は、女神の力が宿るためか。

 魔王を苛立たせるのはフィリシアが持つその強大な神聖力でも、あの者の自身より強い闇の力でもない。本来であれば相反するその力を持つ者が、手を取り合って魔王に牙を剥いたことだ。

 何故そんな事が出来る。

 お前達は、我々は、敵対するために生まれた存在であるのに、何故あの二人は馴れ合い共に歩んでいるのか。

 そんな事があってはならない。

 そんな事を許容しているのはあのフィリシアだ。

 光輝く存在そのままで、あの闇を受け止めるなど——あってはならない。

 アレは、あの聖女どもはこの場所まで引きずり下ろして取り込んでこそ、手に入るものだ。

 あと一歩だった。勇の者を無残に斃し絶望するアザレアを手込めにし、更なる絶望を与え、もう少しで完全にアザレアを手中にすることが出来たというのに——掠め取っていったフィリシアは許し難い。

 主神の寵愛を一身に受ける聖女を手中に収めれば、この世界は完全に魔王のものだった。(ことわり)を崩してしまえばいかな主神といえども魔王に手出しは出来なくなる筈だったのだ。

 それを、フィリシアのせいで阻まれた。

 あの聖女も、同じ闇の存在でありながら聖女に与する忌々しい存在も、決して許しはしない。


 ——と、ヘスが感じたその力を、魔王も感じた。

 自分のモノとは異なる闇の力。あの忌々しい存在とは異なるが、類する力だ。

 ふむ。この世界で出来た欠片ではないな。

 魔王は冷静に判断する。

 この世界でこぼれ落ちる闇の欠片は当然ながら、すべて魔王と同等だ。


「……なんだ、この力は」


 異質で強大な力にヘスが立ち上がり、外が見えるように開かれた壁際に移動し、切り取られた壁から外へ目を向ける。

 力を感じたのは死の森の方向だ。

 ここから南西に広がる死の森方面へ意識を向ければ、ハッキリと異質な闇の気配を感じ取れた。


"……忌々しいヤツの世界の欠片か"

「どういう意味だ?」


 無視するとまではいかないが、普段は魔王の小言めいた言葉は聞こえないふりをするヘスが、思わず呟いた言葉を拾って珍しく反応する。


"あの欠片はこの世界のモノではない。お前をこのようにしたヤツが存在した世界で生まれた闇の欠片だ"


 闇の欠片は稀に世界にこぼれ落ちる。魔王と同じ力を有した闇の欠片も度々こぼれ落ちていた筈だが、一度も感じ取れないのであれば、アザレアかそれに類する聖女が消してきたに違いない。闇の力を消せるのは聖女だけだ。


「闇の欠片……」


 ポツリと呟き、しばし力を感じる方向を見据えていたヘスだったが、徐に塔の外へ飛び出そうとして、見えない壁に阻まれ跳ね飛ばされた。


「ぐっ……! 畜生! 本当に忌々しい壁だな!!」


 外に出られぬ事はわかっているだろうに、すぐに飛び起きて見えない壁を殴りつけるヘスに、短慮なヤツだと魔王は呆れたため息を落とす。

 ちっぽけな人などに封じられるように存在することも忌々しいが、せめてもう少し狡猾で頭の切れるヤツであったならと思わずにいられない。


"我らが塔より外へ出られぬよう、あの忌々しいヤツが結界を張っている。腹立たしいが、我より強い力を持っているのは事実だ"


 大人しく認めることも屈辱だが、厳然たる事実が目の前に横たわっている以上、取り繕っても意味はない。


「くそっ! その欠片とやらを手に入れられればここの結界だって破れるものをっ……」


 手に入れるためには塔を出なければならないという矛盾にヘスが地団駄を踏む。

 だが魔王は鼻で笑った。


"欠片を手に入れたところで、ヤツの魔術を破れねば意味がない。ヤツの魔術レベルは相当のものだ"


 我で破れぬのに貴様ごときが、と嘲笑した魔王を、ヘスが笑った。


「てめえが破れねえから俺様にも破れないと? ははははっ! バッカじゃねえの? 俺様がてめえに劣ると思ってんのか? おめでたい野郎だ!」


 はははは、ウケるわ!と腹を抱えて馬鹿笑いするヘスに魔王の意識が凍り付くような剣呑さを帯びる。


"……なんだと"


 くびり殺しそうな低い声で呟いたとて、ヘスの馬鹿笑いは止まらない。

 残念ながら今身体を動かしているのはヘスだし、よしんば身体を乗っ取れたとしても、身体を傷つけても意味がない。まあ、ここに散らばる魔法陣を書き留めた魔紙を燃やしてやれ報復にはなるが、それではまたここに籠もって延々魔法陣を描き続けるだけだ。


「俺様は天才だ。天才な上に努力も惜しまねえ、真の天才だ! ここに様々な魔法陣が残されていればそれで研究が出来る。てめえの魔術とは異なるこの塔に施された俺様を閉じ込める魔術も然り。この魔術言語は見たことがある——箱庭製だ」

"——箱庭?"


 聞き慣れない単語に魔王は首を傾げた。


「そうだ。箱庭の魔術師。ヤツが俺様の魔術を跳ね返し攻撃を仕掛けた時の魔法陣と同じ理論で構築されている。この塔に施された魔術は箱庭の魔術に違いねえ」


 ヘスは箱庭が何かを説明してはくれなかったが、その箱庭とやらにあの忌々しい同族がいるのだと理解した。そしてそこにはきっと、フィリシアもいる。

 箱庭。そこにヤツらがいるのか。


「そして——これだ!」


 何やらガサガサと魔法陣を書き溜めた魔紙の山を漁り、中から二枚の大きな魔紙を取りだし得意げに広げる。

 そこには非常に複雑な魔法陣が描かれ——魔王は目を瞠った。

 自分が構築した魔術とは異なる体系の魔法陣。

 ひとつは魔王も目にした塔に施された魔王を閉じ込める魔法陣。

 そしてもうひとつは——


"解除、の……魔法陣……"


 普通の解除の魔法陣ではない。丁寧に、複雑に練られたこの幽閉の魔法陣を正しく打ち破るための術式。起動していなくても()()()()。これなら確かに、この忌々しい幽閉の魔法陣を打ち破る事が可能だろう。

 魔王はごくりと息を呑み、周囲に散らばる魔紙の山に目を向ける。

 この男が何をしようと興味を示してこなかったが、よくよく見れば散らばっている魔紙に描かれている魔法陣は、魔王が教えた魔術とは異なる。

 ならばこの男は、魔王が教授した魔術から魔法陣を描き出し魔法理論を理解し、更に塔に施された魔法陣をこと細かに解析・分析、理解して、この短期間で新たな魔法陣を構築したというのか。

 理解力の速さとその応用力にさしもの魔王も感嘆のため息を吐いた。


"よもや、これほどとは……"

「言ったろうが。俺様は天才だと」


 得意げな様子は鼻につくが、これほどの事を為したのだ。それぐらいは目を瞑ろう。

 解除の魔法陣があるなら話は別だ。


"力が、足りぬと申したな"


 それも仕方のないことだ。ヘスに存在している魔王の核はたったの一個。それも随分と力が失われた物。もっとも、そうでなければ今頃ヘスはその形を保つ事は出来なかったろう。例え闇の中で馴染まされ人とは異なる存在になったとはいえ、魔王本来の力を受け入れる器にはなり得ない。——それでも、高位魔族どころか盟主よりも強大な魔力を持ち得ているのだが。

 加えて、魔王が復活した際に四つの塔が復活した。それの生成と維持に力が分散されている。すべてはそうなるようにアルトが誘導したのだが。


「ああ、まったく足りてねえ。悔しいが四つの塔に施された魔術を解除するには、今の魔力量ではひとつの塔ですら解除出来ねえ」 


 そしてヘスには、魔力量を増やす手段は核を取り込むことしかわからなかった。だからこそ、先程から感じる闇の欠片を欲したのだ。


"ふむ……"


 魔王はヘスの器としての能力を今さらながらに吟味する。

 闇に適正があり、魔王の核を宿せるように馴染まされた肉体。人として元々魔力量も多かったのか、強大な力に振り回される事もない。

 いきなり魔力量を増やせば壊れてしまうかもしれないが、内封する魔王の核が保持していた魔力量まではまず問題あるまい。そこから少しずつ増やしていけば——更なる力を蓄えることは可能な筈だ。

 そして、塔以外から感じていた自らの力。

 あれがどこなのかずっとわからなかったが、先程ヘスが口にした「箱庭」。

 そこにあの忌々しい連中がいるのであれば、魔王の力が存在するのは箱庭に違いない。

 ならば。

 うっそりと魔王は微笑した。


"よかろう。何よりもまず自由に動けるようになるのが先だ。——私の力をひとつに集約しよう"

「あ゛あ?」


 何言ってんだ?と魔紙を広げたまま胡乱げに問い返したヘスに、魔王は笑った。そうして、これまでもそうしてきたように、ヘスに力の使い方を教える。

 塔の改変方法は教えたが、それ以外は教えてこなかった力の使い方のひとつ。


「なんだよ、そんな便利な方法があるならとっとと教えておけよ!」


 感謝よりも文句を垂れるヘスの言葉を聞き流し、ついと指し示す。


"それを行うのはこの塔では無理だ。最初の塔——アルカントに行かねば"

「アルカント? ああ、あの僻地か」


 僻地と言われても仕方ない。東大陸の南端に位置するのは事実だ。だがそこはこの世界で闇が一番生まれやすい場所。闇の力を一番制御しやすい場所だ。

 だから最初の塔はそこに作られた。そこであればヘスももっと簡単に力を振るえるだろう。


"そこで分散した私の力を集約する。さすれば、今よりももっと扱える魔力量は増加するだろう"

「おお!!」


 魔力量が増えると聞いて、ヘスが色めき立った。


「だったらすぐ行ってさっさと纏めようぜ! そうすりゃこの忌々しい塔に縛り付ける魔術をぶち壊せる」

"いや。——それだけでは魔術を起動するには足りぬ"


 楽しそうなヘスに水を差すように冷静に告げれば、途端にヘスが顔を顰めた。だったら意味ねえ、移動出来る場所が減るだけ損じゃねえか!と五月蠅く喚く男を嗤う。


"塔以外にも私の力が存在する。今の力ではそこに移動する力もないが——集約すれば、それも可能になろう。そこに移動して更なる力を手に入れるのだ"

「塔以外? どこにあるって言うんだ?」


 魔王は、嗤った。


"——箱庭だ"


 

いつも拙作をご覧いただきありがとうございます。

タイトルがどんどん単純になってゆく……

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