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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第一章

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(十九)聖女と七人の弟たち

投稿をミスったのではなく、間に合わなかったのです……

推敲もまだあまりできていないのですが、一応。



 女性の悲鳴が聞こえてきて、リタは思わずカウンターを飛び越え、ギルドから飛び出した。

「ちょっ、ねーちゃん!」

 あまりの早業に止める間もなかったアインスが、慌てて後を追うため次いでギルドを飛び出した。


「アインス兄さん!――サンク、シス、シェラお前達はここで待機だ!絶対に出るなよ!ドゥーエ、来い!」

「おう!」

「ちょっ……待ちなさい、君たち!」


 カーンが血相変えて叫ぶのを無視して、トレとドゥーエもギルドを飛び出して行く。

 最悪なことにゴルドンは冒険者達を率いて北門に出ている。ハインリヒはちょうど外出していてリタ達のストッパーがいないタイミングだった。


「あああ、これはっ……マズい!私はここを動くことは出来ないし、ゼノさんはまだ戻らない……」


 この状況は絶対にマズい! と、慌てても動かせる他の冒険者もいない上に、先程の悲鳴だけではない。外から他の悲鳴や叫び声、あろうことか咆哮までも聞こえる気がして、明らかに異常事態が発生しているのが嫌でもわかる。


「カーンさん、外に魔物がいるよ!」


 窓から外を覗いていたシスの言葉にやはりか……!とカーンは頭を押さえた。ハインリヒの予想通りだ。

 騎士団と打ち合わせはしているが、この状況では被害が出ているのは確実だ。

 ハンタースが動いてくれていればいいが……!

 全面的に信頼できないのが辛いところだ。

 とりあえず人々の避難誘導だけでも、とカーンが頭を切り替えて職員への指示を出し始めた時、ギルドのドアが開いた。


「! ……あなた達は……」



 * * *


 

 突如現れた魔物の数は多くはなかったが、同時に複数箇所に現れたため街中は混乱に陥っていた。それでもあらかじめ街中に待機していた騎士団がすぐさま対応にあたっていたため、一方的な蹂躙には至っていなかった。


「魔物のランクは高くない!落ち着いて対処すれば問題ない! 街周辺の魔物はレーヴェンシェルツが対応している! 街中は我々が踏ん張るのだ!」


 騎士団の奮闘を横目に見ながら、逃げ惑う人々の間を縫ってドゥーエとトレは走り回っていた。

 すぐさま追いかけたにも関わらず、この人混みのせいでアインスとリタを見失ってしまった。

 ハインリヒから聞いていた最悪の展開に、嫌な予感しかしなくて震える拳を握りしめながら、トレは周囲を必死に見回す。

 だめだ、見つからない。どこに行ったんだ?


「あ! トレ、あれ見てみろ!」


 ドゥーエの言葉に慌ててそちらを見れば、そこはノーザラント商会の店先だった。

 そこには支配人のサイジと複数の男性店員、冒険者達がいた。

 なんだ?

 護衛で雇った冒険者達を動員して避難を誘導しているのかと目を凝らせば、様子がおかしい。どう見ても揉めているように見える。


「うるせえなあ! こんな非常時だ、とっとと魔石や武器を寄越せよ!」

「魔物を狩る冒険者に融通もつけられねえのかよ!」

「がたがた言ってんじゃねえぞ!」


 がしゃん、と商品ケースが割れる音がトレ達の所まで聞こえてくる。止めようとした男性店員が殴られたのか、よろめいたのも見て取れた。


「黙りなさい! 必要なら直接ギルドへ行きなさい! 我々はギルドにちゃんと必要分を渡しています! あなた達の行為はただの略奪ですよ!」


 サイジの珍しい叱責の声に、相手はハンタースギルドの碌でもない冒険者かとあたりをつけると、「ドゥーエ」と名を呼んだ。ドゥーエはこくりと頷いた。

「あいよっと!」


 だんっ、とドゥーエが足に身体強化をかけて勢いよく連中に向かって飛び掛かっていくのを確認すると、トレはすぐさま詠唱を行った。


「うるせえ――ぎゃ!」

「がっ!」

「ぐあっ!」


 今にもサイジを殴り飛ばしそうな勢いの冒険者達の頭に、ばちぃっと、威力は大きくないが雷が落ちた。

 直後にドゥーエが男達に体当たりをかます。


「トレ! ドゥーエ」

「大丈夫ですか、サイジさん!」


 慌てて駆け寄ると、サイジや店員達が二人の姿を見て安心したように笑った。


「ててっ……このガキ――がっ」


 起き上がりかけた男は、がん!とドゥーエに顎を頭突きされ、再度後ろに倒れ込む。すぐさまトレが詠唱を行い、ドゥーエに掴みかかろうとした別の男の首筋に雷を叩き込むと、二人揃って最後の一人を蹴り飛ばした。

 完全に三人が倒れたのを確認すると、トレは側にいた男性店員に縄を持ってきてもらえるよう頼んだ。


「ありがとうございました。トレ、ドゥーエ。助かりました」


 ふう、と安堵の息をつくサイジの様子にトレも安心しながら、ドゥーエにより縛り上げられていく男達に目を向けた。


「この連中はハンタースの冒険者ですね」

「混乱に乗じて略奪行為をする者が現れるのは常ですからね。レーヴェンシェルツが街の外を守っているため、街中でやりたい放題のようです」


 サイジの言葉から他にも被害にあった店があることが窺える。ハンタースの冒険者の態度が酷いと常々思っていたが、ギルドはこのことを知っているのだろうか。


「ふふふ~ん。この縛り方だとぜってえ自力では抜けられないし、逃げられないぞ」


 ドゥーエが男達を一人一人縛り上げた後、逃げられないように今度は別々に手と足を結びつけていく。一人目の男の手が別の男の足に、その男の手はもう一人の男の足に、と縄の無駄遣いだがこれなら確かに逃げられないだろう。

 相変わらずこういうことは無駄に細かいな、と呆れたように一瞥してからサイジに向き直った。


「危険なので店は閉めて避難しておいてください。 騎士団が動いているのできっとすぐに落ち着きます」

「ええ。トレ達はどうしてここに? ギルドで保護されていたはずでしょう?」


 心配そうなサイジに事情を説明すると、なるほどとサイジは頷いた。


「それは心配ですね……こちらではトレ達の姉兄は見かけていないと思います」

「ありがとうございます。もう少し探してみます」

「でもあなた達も危険でしょう? 教会もですが、魔物だって暴れています」


 確かに自分達はアインスのように冒険者登録が出来るほど力があるわけでもない。だが、ハイネの町では父について狩りを行っていたので、二人でなら魔物から逃げることぐらいは出来るだろう。過信はできないが。


「この機に教会が何か仕掛けてくるのであれば、側で見ておかないと今後の対策がとれません。今はとりあえず二人を見つけたいと思っています」


 思慮深いトレがギルドを出ている時点で引く気がないことはサイジも理解している。だがそれと心配は別だ。

 サイジは少し待つようにトレに告げ、慌てて店の中に入って行くと、しばらくして薬を手に戻ってきた。


「これをお持ちなさい。何かあった時に治癒魔法士が間に合うとは限りません」


 手渡された傷を回復させる治療薬三本と魔力を回復させる回復薬一本に、驚いてサイジを見上げた。


「回復薬は貴重です!受け取れません」

「教会は生半な相手ではないはずです。備えは万全にしておくべきです」


 そう言って薬をトレに渡しながら、そっと左手首に腕輪をはめる。

 魔石のはまったそれにぎょっとしてサイジを見れば、サイジは口元に笑みを浮かべて頷いた。


「治療薬を持っているトレが動けなくなっては意味がありません。麻痺や毒対策はしておくべきです」

「でも――」

「今助けてもらったお礼ですよ。さ、我々はここを片付けて避難します。このまま動くのであれば、二人とも十分に注意してください」


 これ以上のやり取りは不要とトレの反論を封じ込めると、サイジは二人を店から押しやるように背を押した。


「本当に気をつけてください。腕がたってもあなた達はまだ子供です。不用意に魔物に近づてはいけませんよ。優先すべきことを忘れないでください」


 サイジの忠告にトレとドゥーエも神妙に頷くと、深々と頭を下げて礼を述べ、すぐに駆け出した。

 とにかく今はリタとアインスを見つけなければ。



 * * *



 アインスはリタを見失わないように必死で追いかけるが、何せ女性の悲鳴を聞いた姉は常より格段に速い。わかっていても今この状況で見逃せるものでもない。

 もしや教会の罠では――と考えを巡らせていたアインスは、姉の足が止まったのを見てここぞとばかりに距離を詰めた。


「――魔物!?」


 追いつけば、何故立ち止まったのかもわかった。リタは既に弓に矢をつがえ、今にも住人に襲いかかろうとしている魔物を射った。体勢を崩した魔物を次の矢で倒す。


「ねーちゃん!」

「早く逃げるのよ!」


 追いついたアインスを無視して突然の出来事に固まっている住人達を叱咤し、さらに奥に魔物の姿を確認すると、リタは駆け出した。慌ててアインスも後を追う。


「なんで街中に魔物が!?」

「今はそんなことどうでもいいわ。目の前の魔物を倒すのが先よ」

「わかってるけど、単独行動するなよ! 状況を忘れてる訳じゃないよね!?」


 アインスの叱責に、ぐ、と苦い顔をするもリタはそれを振り払うように頭を振った。


「わかってるわ! でもこの状況は見過ごせないでしょう!?」

「それでもギルドからあんまり離れちゃダメだって!」


 リタの言い分はアインスにだってわかる。自分だって冒険者の端くれだ。このような状況で大人しくギルド内に篭っていることの方が落ち着かない。

 だがそれでも、今リタが動いてはいけないのだ。

 二人が言い争いながら走っていると、目の前にいた魔物は奥からやって来た騎士団が対応しているのが見えた。スピードを落としたリタの腕を掴んで止める。


「ほら、騎士団がちゃんと対応してる。やるならせめてギルドの前で――」

「――アインス!」


 リタを説得しようとした声をかき消すように、絞り出すような叫び声で名を呼ばれた。

 驚いて振り返ると、そこには血相を変えたアリーが立っていた。顔には血がついていて、アインスはひゅっと息を呑んだ。


「何があった!?」


 かけ寄り肩を掴んで顔を覗き込むと、アリーはアインスに縋り付くように両腕を掴んだ。


「おにっ、お兄ちゃんが……! お兄ちゃんが……!」

「っ!」


 ぎゅっ、と唇を噛み締め、アインスはアリーを落ち着けるように「大丈夫だ」と絞り出すように呟いた。

 右手でそっとアリーの顔についた血を拭ってやりながら、力強く頷いてみせる。

 この血はバイセンのものか……? アリーの顔には怪我はなかった。

 だがこれほどべったりと血が飛んでいるということは……

 曲がりなりにもアインスも冒険者だ。魔物にやられたらどうなるかはわかっている。

 それでも。

 嫌な汗が流れるのを感じながらも、今自分まで取り乱すわけにはいかない。


「大丈夫――今どこにいるんだ?案内してくれ」


 リタもアリーの側に歩み寄り、その細い肩を抱いた。


「一刻を争うわ――急ぎましょう」



 * * *



 青ざめたアリーに導かれてやってきた裏通りの広場には、夥しい血の跡と壁にもたれかかるようにバイセンが倒れていた。他にも男性と子供が二人倒れているのが見てとれたが、魔物の姿は確認できなかった。だが、明らかにここにいたという瘴気は感じる。


「お兄ちゃん!」


 アリーがバイセンに駆け寄ろうとした時、リタがそれを止めて背に庇う。アインスも双剣を構えて二人を庇うように立ちはだかった。


 ――誰かいる。


 それも殺気を撒き散らして。

 ふらりと建物の影から姿を現したのは女性だった。どこか見覚えがあるとは思ったが、それよりもアリーと同様に血で汚れたその人の手に短剣が握られているのを見て、アインスは警戒を強めた。

 魔物を警戒するためというには、明らかにおかしい殺意を纏っている。

 そして、それを向けられているのは何故かアインス達だ。


「――どういうこと? ここに倒れているのはあなたの家族でしょう?」

 えっ!?


 リタの言葉に驚いて倒れている人をよくよく見れば、確かに昨日会った行商人の家族だ。ならばこの女性はあの時の奥さんなのか。あまりにも形相が違いすぎてわからなかった。


「聞いてない……聞いていないわ」


 女は頭を振りながらこちらに一歩ずつ近づいてくる。その目に浮かぶ怒りと憎しみに気圧されて、アインスは知らず一歩下がった。


「私は聞いていない……こんなこと聞いていない!」

「何があってこんなことに? ――あなたの家族、魔物にやられたわけではないでしょう?」


 魔物にやられていない? なら、誰にやられたというんだ? 瘴気が見える姉が、ここに倒れている人達に瘴気を感じていないというなら、アインスでも感じるこの場の瘴気はなんだ?


「だって、門を開くだけだと言った――門を開けばそれでいいと――それで街を出ればいいって……なのに何故!? どうして――」

「誰にやられたの?」


 叫びをぶった切るように鋭く問いかけたリタの言葉に、女はひたりとリタを見た。その表情が怒りに染まるのを見て、本能的にヤバい、と思った。


「――お前のせいよ! お前が大人しく教会にいないから! 聖女のくせに人を救いもしないで逃げ回るなんて!」

「……っ」


 虚を突かれたようにリタが目を見開くのを見て、アインスは女の視線からリタを庇うように立ち位置を変えた。


「あんた何やったんだ。門を開いたと言ったな。なんの門だ!」


 女の注意をリタから自分に向けようと、先程の女の言葉尻をとらえて問い返す。

 突如街中に現れた魔物。

 力を失った結界陣。

 行商人としてミルデスタ近郊を回っていた家族。

 嫌な符号ばかりだ。


「自らの役目を放棄して自由に動き回る聖女に過ちを自覚させるのだとおっしゃった! そのために必要なことだと! だから言われた通りにしたのに! 何もかもお前のせいよ!お前が逃げ回るから!」


 リタを怒鳴りつける女の言葉からは、具体的に何をしたのかは読み取れない。だが、教会から指示を受けて何かをしたのは確かだ。


「あんたは一体何をした! ここに倒れている人たちはあんたが傷つけたのか?」


 アインスは女に詰め寄るように一歩前にでて倒れている人たちを指し示すと、女はリタからアインスに視線を移した。


「私じゃない! 私は言われた通りに魔物を呼び出しただけ!! そうすればもう街を出ていいと言われた! みんなと一緒に村に帰れるはずだったのに!」


 あああああああああっ! と女の慟哭が周囲に響き渡るのを、アインスはぎりっと奥歯を噛み締めて聞きながら、だんっ、と地面を踏み鳴らした。


「ふざけるなっ!」


 女の慟哭をかき消すように叫んだ。


「他人を傷つけるようなことをしでかしておいて、都合よく進む訳ないだろうが! あんたの呼んだ魔物のせいで、怪我した人だって存在する!自分勝手なことをほざいて責任転嫁するな!!」


 怒鳴りつけられた女は、まるでスイッチでも切ったかのようにぴたりと嘆くのをやめアインスを見た。その目が虚な穴のようで、アインスは怒りも忘れて一瞬息をのむ。何か、全く別のもののような目。


「――なら、役目を放棄した聖女はどうなの?」


 ぞっとするような低い女の声。

 背後のリタが息を呑む。


「教会に聖女がいれば、魔物の瘴気にやられた私の子はすぐに治してもらえたはず」

 女が一歩一歩アインスに近づいてくる。

「でもいなかった」


 アインスに近づきながら、その目はリタを睨みつける。


「力がないならいい。でも、お前は力を持っているのに、その力を正しく使いもしないで逃げ回ってる――それは許されることなの?」


 眼前に迫ったその女から距離を取ることもできず、まるで金縛りにでもあったかのように動けない。

 アインスは喉がカラカラになるのを感じながら、動けない身体で視線だけを周囲に巡らせた。

 行商人の家族は誰一人動かない。この血がこの人達のものならば傷は深い。生きているかどうかも怪しいだろう。バイセンには血がついていないようには見えたが、ここからでは傷を負っているかどうかすら確認出来なかった。

 だがこの女をこれ以上近づけてはいけない――頭の中で警鐘が鳴り響くのに動けないのは、自分が女に気を呑まれているからか、あるいはなんらかの術か。


 何か……なんとかしないと。

「ねえ――なんとか言ったらどう――うっ」


 ばちっ、とアインスと女の間に雷撃が落ちた。

 この場の空気が切り裂かれたことでアインスは詰めていた息を吐き、動かなかった身体が動くようになったことを知る。

 すぐさま女の短剣を弾き飛ばすと、リタとアリーの手を掴んで女から距離を取った。


「助かった、トレ!」


 自分達がやってきた道の入口に弟二人の姿を認めて、アインスはほっとしたようにそこまでリタを連れて戻った。


「リタ姉さん、しっかりして!」


 トレが青ざめた顔のリタを叱咤するように、ぱちんと顔の前で手を叩くと、女の言葉に動揺して虚ろになっていたリタの目がトレたちを捉えた。

 意識がこちらに向けばなんとかなる。


「お前達、邪魔をするのね――聖女の肩を持ち教会から逃げ回って――」

「当たり前でしょう。聖女なんて元々存在しなかった。助かったかもなんてあなたの妄想でしかない。本来なら瘴気を少しずつでも浄化していけば助かったものを、あなた自身のせいでこんな結果を招いている。あなたは自分の罪から目を逸らして責任転嫁しているだけだ」


 冷静に、だが厳しい口調でトレが女を募る。

 珍しくトレの怒りのスイッチが入ってる。

 正直なところ、シグレン家で一番怒らせたら怖いのはこのトレだ。なまじ頭がいいだけに口も回るし、相手の嫌がるところを的確についてくる。おまけに魔法も使えるので油断がならない。


「違う! 違うわ! 聖女が逃げ回るから――」

「万が一教会に聖女がいたとしても、助けて貰えたでしょうか? 教会が無償で助けてくれるとでも? あなたが言うことが本当なら、聖女は恐ろしく珍しく貴重な力ですよ? 誰でもその恩恵に与れると本気で思うんですか?」


 トレが淡々と言葉を重ねながら、アインスの隣に並び立った。


「あ、当たり前よ! ちゃんと教会にいれば……」

「本当に? あなたに取引を持ちかけた人が? あなたの家族に()()()()()をした人達が?」

 本気でそう思うんですか――?


 トレの言葉に、先ほどまで狂気の滲んだ目でリタ達を問い詰めていた様子はまったく見られず、動揺を隠せずにふらふらと後退りをしだした。


「だって、そう仰ったもの! 聖女が悪いって! だから私は――」

「聞いてないって、あんたがさっき言ってたじゃないか。こんなこと聞いてないって」

「――! あ……」


 女が目を見開いてアインスの言葉に口元を押さえた。

 女の予定にはそもそもなかったこの惨状。


「誰から? あなたも家族もただでは済まないという大事なことを、誰が言わなかったんですか」


 よろよろと後ずさって、女はその場にへたり込んだ。


「だって、助かると……言う通りにすれば家族が助かるって……そう言われたもの……私のせいじゃない……私は家族を助けるために……」


 震えながらぶつぶつと独り言を繰り返す女には、最早アインス達の姿など目に入っていないようだった。

 ミルデスタまでの道中で、魔物に襲われていたのは計画のうちなのか? それとも予想外の出来事なのか。リタに治療されることを織り込んだ計画ならあるのかもしれないが、かなり綱渡りだ。アインス達が通らなくても騎士団には遭遇しただろうが……


「可哀想に。騙されたんだね。騙されてあなたが家族を殺したんだ」

「――違う! 私じゃない! だって――」

「っ!」


 トレの憐れむような言葉に反論するように顔を上げて女が叫ぶのと、リタに腕を掴まれて後ろに引き寄せられるのが同時だった。次いで、すぐ横で何かが空を切る音が聞こえた。

 急に引っ張られてよろけながらもアインスはなんとか体勢を立て直したが、一緒に引っ張られたトレはドゥーエに抱き止められていた。


 何が起こった?


 状況を確認すべく慌てて周囲に目をやれば、女が細長い錐のようなもので首元を貫かれているのが見えた。

 ならば、先ほど聞こえた音は、アインス達に向かって投げられた物か。

 全然気づけなかったことに己の未熟さを知り悔しく思うが、今はそれを気にしている場合じゃない。


 誰だ?

 それが飛んできたのは女の背後だ。

 隣に立つリタが緊張しているのがわかる。


「誤解を招くような物言いには困ったものだ」


 現れたのは、モノクルをかけた神父姿の男と、修道士だった。一目で教会関係者とわかるその姿と、漂う雰囲気から腕が立つことが感じられた。

 マズイ。

 スヴェンから聞いた『裏で暗躍する部隊』の話を思い出し、アインスの背に嫌な汗が流れた。リタの様子からも相手が手練れであることが知れる。


「これ、あなた達の仕業なの?」


 警戒と怒りがない混ぜになったリタの言葉に、モノクルの男は眉をひそめた。


「こんな茶番が私の趣味だと思われるのは心外だな」


 不本意だと吐き捨てるように言うと、女の首元から武器を抜き去り、くずおれた女を邪魔だと言わんばかりに壁際まで蹴り飛ばした。

 もう息がないのか、女はぴくりとも動かなかった。


「……っ!」


 ぎりっとリタの奥歯を噛み締める音がアインスの耳まで聞こえたが、このような暴挙に姉が動かない――いや、()()()()のだと悟ってごくりと唾を飲み込んだ。


「今、弟達も狙ったわね」

「七人もいるんだ。一人残っていれば首輪には十分だからな」


 いかれてる。


 心がざわつくのを感じながら、アインスは油断なく双剣を握りしめた。このような状況では魔法の詠唱だってできやしない。

「どのみちこの場にいる者は生かしておくメリットがない」

「っ!」


 殺す気満々じゃねーか。ヤバいな、コイツら。


 平然と恐ろしいことを告げる男とは裏腹に、もう一人の修道士姿の大きな男は無言のままだったが、表情が恐ろしい。ちょっと()()()()()()()()()ものを感じる。


 ここから逃げるにしても、コイツら相手に背を向けるのは悪手だ。足止めをどうやるか……


 何かないか、と考えを巡らせながら視線を外した瞬間、修道士の男がその巨体からは想像できない素早さでこちらに向かってきた。


「にーちゃん!」


 ドゥーエの叫び声にアインスは双剣をしまい、身体強化をかけてすぐさまドゥーエの元に駆け寄った。

 殴りかかってくる男の足元に向かって、ドゥーエが飛び込むようにしゃがみ込むのを、アインスは体を両腕でガードしながら男の脇腹付近に向かっていった。

 瞬時にトレの放った雷撃が男の脳天を直撃した。


「ふんっ!」

「! 効いてない!?」

「でえええぇい!」


 雷撃で勢いが削がれることなく突っ込んでくる男の拳をドゥーエは器用に避けると、その勢いのまま繰り出した蹴りが男の左脛に綺麗に決まった。同時にアインスも男の右脇腹付近の背中側から回し蹴りを決める。

 ぐらりと男の体勢が崩れた瞬間、ドゥーエが立ち上がり追撃しようとして、がしりと左腕を掴まれた。


「ドゥーエ!」

「わわわわっ……」


 腕を掴んで反対の腕でドゥーエを殴ろうとするのを、アインスは素早く男の膝裏を蹴り飛ばした。

 一瞬がくりと足の力が抜けて、殴りかかった腕が宙に遊ぶやいなや、掴まれた腕を支点にドゥーエが顎を蹴り上げた。その顔面にトレの雷撃が落ちる。

 今度は流石に効いたのか、男がドゥーエの腕を放し顔を抑えてよろよろと後ずさった。

 慌ててドゥーエと共に距離を取る。


 堅い……あんまり手応えが感じられない……こっちはもうヘトヘトだってのに……

 身体強化をかけていても相手の力が強すぎる。

 普段ならこの程度どうってことのないドゥーエも肩で息をしている。

 ここまでやっても落とせないのか。長引くと不利だ。

 はあ、と息を吐きながら緊張から流れる額の汗を拭った時、ぞわり、と魔力の気配を感じてアインスは咄嗟に飛び退いた。

 直後に火球がアインスとドゥーエがいた場所に落ちる。


「ほう。勘がいいな」


 モノクルの男の意外そうな言葉にそちらに目をやれば、リタが地面に倒れているのが見えた。


「ねーちゃん!?」

「勝てないのが分かっているのに懲りない女だ。ランチェス、遊んでないでとっとと片付けろ」


 その言葉に男がゆらりと体勢を整えるのを見て背筋が凍りついた。

 もう普通に動けるのかよ!?

 ちらりとドゥーエに目をやると、ドゥーエはぎりりと歯を食いしばりながら男達を睨みつけた。


「ねーちゃんに何をした!」

「気にする余裕があるのか?」

「させるか!」


 瞬間、修道士の男がドゥーエに殴りかかろうとするのをアインスが体当たりで止めると、男はそのままの勢いでアインスを殴り飛ばした。


「……っ」

 もろに入った……!!

 拳が重い……!!


 身体強化をかけていても体がバラバラになるような衝撃が走って、アインスは受け身も取れずに地面に叩きつけられた。


「にーちゃん!」

「……っ、ぐ……」

 ま、まずい……意識が飛びそう……こんな所で……


 朦朧とする頭でそれでも立ちあがろうと地面についた手の先に、次いでドゥーエが叩きつけられた。


「ぐうう……」


 低い呻き声を上げながら同じように地面に這いつくばるドゥーエに、アインスがのろのろと手を伸ばした時、特大の雷撃が男達を襲った。


「ぐわっ」

「……!!」

「……っな……」


 その余波で二人ともさらに地面を転がるが、そんな二人を抱きとめたのはトレだ。


「二人ともしっかり!」

「ト、トレ……あ、あれお前が……?」

「違うよ。そんなことよりこれ飲んで!」


 トレはすぐさま治療薬を二人に与えた。


「――舐めるんじゃないわよ!」


 リタの雄叫びと共に、更なる雷撃が二人の男を襲う。

 ねーちゃんが攻撃魔法!? そんなの使えないはずだろ?今までだって使ってるのを見たことがない!

 トレから渡された治療薬に口をつけながら、アインスは呆然とこちらに走ってくるリタを見た。


「みんな無事!?」


 心配そうにこちらに問うリタの方こそ傷だらけだ。


「大丈夫。回復した!」


 まだ叩きつけられた衝撃が体には残っているが、この機に逃げ出さなければ次はない。


「なら、今のうちに逃げるわよ!」

 わかった!と声を揃えて応えると、三人もすぐさま立ち上がり駆け出した。

「――貴様らこそ、舐めるな!」

 どんっ、とすぐさま足元に火球がいくつも飛んできて、四人は行く手を阻まれた。

「うわっ」


 あの雷撃を受けてすぐさま動けるって、魔法防御力も高いのかよ!?

 そんなのありか!?とアインスがトレを庇いながら振り返った時、修道士の男がリタの髪を掴んだのが見えた。


「きゃっ」

「ねーちゃん!」

「っ!」


 男はリタの髪を掴んで乱暴に引き寄せると、そのまま地面に叩き付けた。

 がつっという鈍い音と共にはらりと、幾筋かの金糸が空に舞う。


 ――この野郎!


 かっと頭に血が上るのが自分でもわかったが、抑えられなかった。

 アインスはすぐさまダガーを抜き去り男に詰め寄ると、未だリタの髪を握っている男の手を狙って斬りかかった。そのすぐ上をドゥーエの蹴りが男の顔面に向かって放たれる。


「――しつこい」


 モノクルの男の言葉に魔法の発動の気配を感じたが、修道士の男を楯にするようにモノクルの男の方に蹴り出せば、その巨体がわずかに動いた。

 その隙を逃さず手の甲にダガーを突き立て、柄頭で殴りつければ男の手がリタの髪から離れた。同時に繰り出されたドゥーエの蹴りで、モノクルの男が繰り出した火球から楯にすることに成功する。

 すぐさまリタを抱え込んで飛びすさった。


「ちっ、――っ!?」

「おねーちゃんを苛めるなー!!!」


 モノクルの男の顔面に何かが弾けたのと同時に、サンクの声が響き渡った。

 ぎょっとして声のした方を見れば、サンク、シス、シェラと共にフィーアの姿が確認できた。


「なっ!? なんでここに来た!」

「いいから早くこっちに!」


 フィーアがスリングショットで続けざまに男達に何かを飛ばす横で、トレが叫ぶ。その手には何か紙のようなものが握られている。

 ドゥーエと共にリタを抱えて弟達の所に向かう間も、フィーアが手を止めることなく男達にスリングショットで投げ続ける。払われるたびに小さな爆発が起こるので、恐らくいつも狩りの時に使っているやつだ。驚かせるのが目的なので殺傷能力はないに等しい。


「小賢しい」


 威力がないと見るや、モノクルの男が気にせずに近づいてくるのを見て、フィーアはニヤリと笑った。


「っ!」


 目潰し弾だ。

 まともに食らったモノクルの男が目を押さえる中、修道士の男がこちらに向かってくるのに合わせて、サンクとシスとシェラが男の正面に立つと、隠していた手をパッと開いた。


「食らえ!!」


 手の中にあったのはシェラが唯一使える光の魔法だ。明かりを灯すだけのものだが、そこにサンクとシスが鏡を合わせて男の顔に光を集中させる。


「!」


 修道士の男もまともに食らったのか、目を閉じて足を止めた。すかさず水柱が男達を襲う。

 振り返ればトレが持っている紙が発光し、そこから魔力の迸りを感じた。アインスも詠唱を開始する。

 まだ立ちあがろうとする男達にトレは再度水柱を見舞うと、今度はそこに雷撃を落とした。


「……っ!」


 今度は確かに効いたのか、男達がその場に膝をつくのを見てアインスはドゥーエにリタを背負わせると、振り返りざま男達の足を狙って風魔法を放った。

 男達が吹き飛ぶのを確認すると、アインスはサンクとシェラの腕を掴んだ。


「よし!今のうちに――」

「――リタ姉さん!」


 トレの鋭い悲鳴のような声が響いた。

 何が、と振り返れば、背負われたリタがドゥーエの首を絞めている。


「……は? 何やってんだ、ねーちゃん!」


 じわじわと嫌な予感を感じながら、慌ててリタの手をドゥーエの首から引き離すと、リタがアインスの腕を振り払い、ドゥーエの背を蹴り飛ばしながら降り立った。

 無言のままこちらを見下ろすその目は虚だ。何も映していない。

 先程の女と同じ目に背筋がざわつく。


「おねーちゃん?」

「よせ! 近づくな!」


 リタに近づこうとしたサンクを反射的に止めたが、それより先にリタの拳がサンクを殴り飛ばした。


「サンク!」

「やめろ、ねーちゃん!!」


 トレが殴られたサンクを抱き止め、フィーアとアインスが追撃しようとしたリタの前に立ちはだかったが、二人とも殴り飛ばされてシス達にぶつかる。


 マズイ……! ねーちゃんはクラスAの冒険者だ! そのねーちゃんに容赦なくやられると俺達では歯が立たない。

 ざっとアインス達の前に立ちはだかるリタの表情に一切の感情が見られない。


「――まったく。子供相手に下手をうつこと」


 この声は……

 突然に響いた女の声が聞き覚えのあるもので、ごくりと唾を飲み込みながらアインスはそちらを見た。

 そこには、アリーが冷たい表情で立っていた。



敵は、大方の予想通りの形で。

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