第一話(一)そして剣聖は聖女と出会う
「ちっ……もうここを嗅ぎつけたのね」
行儀悪く窓枠に足をかけ窓からそっと外を覗き見し、宿屋の前に見知った男達がいるのを見てとり舌打ちした少女――リタは、そろりと窓から離れるとベッドの上に散らかっていた荷物を素早く鞄に纏め始めた。
荷物をまとめ終わると、長い金髪を一つにまとめて帽子を被る。眼鏡をかけ、腰のポーチを確認すると、リバーシブルになっているコートの淡いブルーを表側に羽織った。上から荷物を背負うとすぐさま部屋を後にする。階下から宿屋の女将が客に応対する声が聞こえてきた。
踏み込んできたか。
焦る気持ちを抑えて足早に廊下の突き当たりまでやってくると、大きな窓をガラリと開け、そこから外へ身を乗り出し周囲を伺う。誰もいないことを確認してから、窓枠を足場に大きくジャンプし、すとんと向かいの建物の屋根に飛び移った。
驚くほどの身軽さと身のこなしだ。
屋根に移動したリタは外から見えないように身を低くしたまま、器用に屋根の上を進んでいく。そのままさらに隣の建物に飛び移り、彼女がいた宿屋からは完全に見えなくなった。
屋根を伝って路地裏に降り立つと、そのまま何事もなかったかのように街の門を目指した。
ここシュゼントの街は冒険者ギルドハンタースの支部があるため、この地域一番の商業都市だ。その割に首都からは離れているため、他国から追われるリタからすれば、物資補給と路銀を稼ぐにはちょうど良い都市ではあったが……。
「長く居すぎたかしら。とにかくここから逃げないと」
宿屋に先払いした宿泊費はあと5日もあったのに、と少々ぶすくれながら表通りを伺うと、先程彼女が見つけた追っ手が慌てて走り去って行くのが見えた。取り逃したことに気づいたらしい。すぐに門番に連絡が行くだろうし、神父姿で宿屋に踏み込まれたのなら、きっと適当な理由をでっちあげられているだろうから、今更宿屋にも戻れない。
都市を出るにも検問が厳しくなっているはず。このままでは厳しいわね……女一人ではすぐにバレる。そしてここで騒ぎが起これば、確実に私の方が分が悪い。なにか手段を考えないと。
ぎゅっと胸元で手を組み目を閉じた。
フィリシア様……どうかご加護を。
心の中で自らの女神、フィリシアに祈りを捧げ、リタはぱっと顔を上げた。
連中ならまだギルドには行っていないはず。
「この街を出るために誰か雇うか」
考えるのは一瞬。すぐに決断を下すと、リタは迷いなく路地裏をギルドに向かって歩き出した。
* * *
この世界には、現在大きく分けて二つの冒険者ギルドが存在する。
ひとつは最初のギルドと呼ばれるレーヴェンシェルツギルド。登録の際に厳しい審査があり、ギルド所属者や身元のしっかりした者の推薦が必要なうえに人間性も見られるため、いわゆるゴロツキなどは登録できない。古くからあるので世界中に根付いていて信用度は高いが、その審査の厳しさから登録人数はそこまで多くない。
もう一つは、このシュゼントにも支部を持つ五十年ほど前に発足したハンタースギルドで、レーヴェンシェルツと異なり誰でも登録が可能だったため瞬く間に登録者を増やし、今では冒険者の約七割が存在していると言われる巨大ギルドに成長している。
数と勢いはレーヴェンシェルツを大きく上回るハンタースだが、誰でも登録できる弊害か、依頼達成率ではレーヴェンシェルツの99.5%から比較すると75%程度であり、冒険者の質でいうならやはり今でもレーヴェンシェルツに軍配が上がる。
リタはシュゼントのハンタースギルドまでやってくると、周囲に追っ手がいないことを確認し、扉を開けた。
中に入ると数人の冒険者に受付のギルド職員が三人。午後なので今はちょうど人が少ない時間帯だろう。
「なんでダメなんだよ?」
追っ手がまぎれ込んでいないか注意深く様子を伺っていたリタの耳に、男の不満げな声が飛び込んできた。
大剣を背負ったガタイのいい男が、リタも見覚えのあるギルドの副支部長イアンともめているらしい。
シュゼントは商業都市でこの辺境の地では大きな都市だが、統治する領主も役所もギルド支部の上層部も世襲制で、あまり優秀とは言えない。イアンも元々はB級冒険者だったというが実績はあまりなく、気も短くてすぐに手が出る荒くれ者で、本来であればギルドの副支部長などが務まる人物ではない。それがこの役職についているのだから、このギルド支部の程度も知れるというものだ。
リタもここに初めて来た時、若い女だということだけで言いがかりのようなケチをつけられたのだ。
もっともリタの場合は、レーヴェンシェルツに在籍している冒険者なうえにシュゼントに来て早々、ハンタースの尻拭いとなる依頼を簡単にこなし、ハンタースの株を暴落させたという理由があるのだが。
ここシュゼントにはレーヴェンシェルツの支部はなく、簡易的な出張所しかない。依頼はもちろん受けることは可能だが、冒険者の人数でいうなら圧倒的に足りていないので、ハンタースギルドでは対応できない難易度の高い依頼しか回ってこない。そこにハンタースが失敗した依頼の尻拭いなども含まれ、リタはそういった尻拭い系の依頼ばかりをこなしていた。
そのためレーヴェンシェルツに在籍しながらも、シュゼントのギルド支部にはよく出入りしているので、自然とギルド職員のことも知るようになった。
その中で一番たちの悪いのがこの副支部長のイアンだ。
イアンは気が短くキレやすい。周囲の冒険者も同じギルド職員も遠巻きに二人のやり取りを見ているだけで近づく者はいない。
ああなると長いわね。
お気の毒さま、と男に内心で同情しながら、自分専属となっている女性職員が座るカウンターに歩み寄った。
「いいかしら」
「リタさん! はい。今日はどうされましたか? あら。眼鏡なんて珍しいですね」
「ええ。気分を変えようと思って」
シュゼントに滞在してから馴染みとなったジュリアに勧められるまま椅子に座ると、リタはチラリと騒ぎに視線を投げた。
「あれ、長いの?」
あのやり取りが始まって。
言葉にしなかった言葉はちゃんとジュリアに伝わったようで、彼女は困惑気味に頷いた。
「最初は私が対応していたんですけど……どうにも要領を得なくて」
「? 冒険者なんでしょ?」
「それが、自分は剣士だと」
「剣士?」
言われてさりげなく男を観察する。年の頃は三十代半ばだろうか。黒く短い髪に、ここからは目の色まで伺えないが、精悍な顔立ちだ。そして剣士と自称するとおり、大きな剣を背負っている。常の冒険者が身に纏う鎧のような防具はなく、いたってシンプルな服装だが、コートやブーツなどのデザインはやや古風に感じるが仕立ては良さそうだ。
「剣を使うから剣士、と言えなくはないわね。それが何か問題でも?」
呼称など、冒険者の登録にはさして影響はないし、本人に実際に影響を与えることもない。”生まれながらに与えられた役割”でさえなければ。
「冒険者登録はされてないんです。でも、依頼を受けたいと」
「じゃあ登録に来たの?」
「いえ、冒険者登録はしない、と。できない、ともおっしゃっていました」
――それは確かに揉めそうね。
ギルドで依頼を受けるには、ギルドに所属する必要がある。それは当然のことで、今回はイアンの不当なケチではなく、男の言い分の方に問題がありそうだ。
「ただ、その身分証があれば、登録していなくても仕事はできるはずだとおっしゃっていて……」
「身分証? ギルド以外の?」
国によっては確かに身分証を発行しているところはあったが、それでも冒険者は別だ。冒険者は必ずギルド登録が必要となっている。国内でならその点を融通しているギルド支部もあるかもしれないが……
「その身分証がルクシリア皇国のものだとおっしゃるんですけど、かの国の身分証なんて聞いたこともないですし、騎士ならともかく剣士ということですし。とりあえず身分証を拝見して問い合わせをしようとしたんですけど、副支部長が……」
事の経緯を説明するジュリアの言葉に、だがリタはぴたりと動きを止めた。
ルクシリア皇国。
剣士。
ごくりと息をのんだ。
――もしかして。
そっと、不自然にならないように眼鏡に手をやり、力を使う時特有の自分の眼がジュリアから見えないように隠すと、リタは眼を細めて男を見た。
気づかれないようにそっと力を発動する。ふっと見えた内容に心臓がどくん、と音をたてた。
「――なるほど」
そっと吐き出すように少し震える声で呟くと、リタは静かに立ち上がった。
「大丈夫。私に任せておいて」
にっこりと安心させるように微笑むと、ジュリアは顔を赤くして頷いた。
「だから何度も言ってんだろ? こんな身分証じゃギルドで仕事は取れないって。ちゃんとここハンタースギルドの登録証を見せろって!レーヴェンシェルツのギルド証ですらないじゃねえか」
「ギルドには登録してねぇよ。だが、この身分証で問題ねえはずだ」
「使えねえって言ってんだろ、わかんねえ野郎だな!どっかの国の身分証ごときがギルドに通用するわけねえだろうが。ギルドは国に縛られねえ組織なんだぞ!」
「だから、この身分証を確認してくれって言ってんだろ? あれだ……ほら、ギルドにはそういうのを確認する道具があるだろうよ」
男が再び身分証をイアンに見せようとするが、イアンはちらりと目をやっただけで、はん、と鼻で笑った。
「いつの時代のカードを持ってんだか。そんな古いカードを読む道具なんて置いてねえっての。時代遅れの田舎もんが!」
嘲るように身分証を読み取る道具がないと言われて、流石に男も押し黙った。
「冒険者をはじめとした身分証の規格が、十年ほど前に変わったのよ。以前のものより魔石や魔力が少なくて済むようになっているの」
イアンに鼻で笑われて、困ったように立ち尽くす男――ゼノに歩み寄り、リタが説明する。その際にゼノの手の中の身分証をちらりと見て、そこに確かにルクシリア皇国の紋章が刻まれているのを確認した。
イアン程度じゃ知らないのは当然としても……
リタはジロリとイアンを睨み付けた。
「それでもギルド支部には、昔のカードを読む道具が必ず設置されているはずなんだけれど――それがないなんてギルドの規定違反じゃないの? レーヴェンシェルツにはあった筈だけど」
「なっ……!」
リタの言葉にイアンがカウンターから立ち上がった。
「あんな魔力をばかすか喰う道具は廃止されてんだよ! 今どきあんな遺物置いてる支部なんざあるか!レーヴェンみてえな古くさい連中とハンタースを一緒にすんじゃねえ!小娘が!」
口汚く罵るイアンに変わらず冷たい視線を投げるリタに、ジュリアが慌てて駆け寄ってきた。
「あ、あの、確かに以前は必ず設置しておくことが義務だったんですが、現在のギルド長に変わってから使用頻度が少なく、魔力を一定量以上使用する道具は廃止されたんです。なので、その方の身分証を読み取る道具はハンタースギルドのどの支部に行ってもないはずです」
ゼノにもわかるように説明されたジュリアの言葉に、マジか、とゼノは苦虫を噛みつぶしたような顔で呟いた。
「はん!わかったらとっとと帰りな! ここで依頼を受けたけりゃギルド登録しろよな!ああ、今日はもう登録手続きは終了したがな!!」
「えっ、あの、登録ならまだ……」
「終わったんだよ!!」
否定しようとするジュリアに、がん、とカウンターを蹴り飛ばしながらイアンが怒鳴り散らすのを、リタがふん、と鼻を鳴らしながら
「無能な男でも副支部長になれるんだから、受付嬢以外のレベルの低さが窺えるわね。レーヴェンに尻拭いばかりさせる筈だわ」
馬鹿にしたように言い捨てた。
「っ……てめえ……っ!」
「あっ……!」
イアンが受付に常備している棍棒を手に、リタに殴りかかろうとカウンターに足をかけた瞬間。
ギルド内の空気が震えた。
びりびりと建物の窓ガラスまでもが音を立てて震える。
「……っ!」
息を吸うことも憚られる肌を刺すような空気に、イアンは元より建物内にいた他の冒険者達も身じろぎひとつ出来ずにその場に固まった。
――殺気だ。
動けば瞬殺されると、生物としての本能的な危機を察知して身じろぎひとつ出来ない。
防御や反撃など、まったくの無駄だと本能的に感じる圧倒的な強さ。
まるで高位の魔族と相対したときに感じる、本能が敵対することを拒絶するほどの恐ろしさ。
リタも息を呑んだままゼノから目を離せなかった。
――なんて殺気……!!これが……
自分に向けられた殺気ではないとわかっていながらも、背中を冷たい汗が流れる。
室内が静寂に包まれ、皆が身動き出来なくなったのを確認すると、ゼノは放っていた殺気を散らした。
途端にへなへなと床にくずおれる冒険者やジュリア達。
リタは知らず詰めていた息を静かに吐き出し、拳を握りしめて両足を踏ん張り、くずおれることを意地で回避した。
イアンは直接殺気を向けられていた影響か、棍棒を振り上げたそのままの姿で固まったまま、真っ青な顔で冷や汗を流しながらがくがくと震えていた。
ゼノはイアンの手から棍棒を取り上げると、そっとカウンターの上に置き、ぽんとイアンの肩に手を置いた。
「――手間ぁ、取らせたな」
「ひっ……」
静かに告げられた言葉に糸の切れた人形のように足から力が抜け落ち、がたん、尻餅をついてひっくり返った。直後に失禁する。
それを見て、あ~……とバツが悪そうに頭をがしがしとかくゼノの姿は、とても先程までの殺気を放っていた人物と同一とは思えない。
「あ~……まぁ、悪かったよ」
ちょっと困ったようにイアンに告げる。
よろしくない空気を止めるために手っ取り早く殺気をぶつけたが、大の男に失禁させるほど脅すつもりはなかったのだ。
やりすぎたかな、と呟きながらゼノは困ったようにリタを見やる。リタはびくりと一瞬肩をふるわせ、それからぎこちなく笑った。
「あなたのこと、私は手伝えると思うわ。少しお話し出来ない?」
先程の殺気を見てなお、目をそらさずに告げられた言葉にあからさまにホッとして「そりゃあ助かる」とすぐさまゼノは頷いた。
「ここじゃあれだから、場所を移しましょう」
「そうだな」
いささか居心地悪くなったギルドでは落ち着いて話しなどできようはずもなく、リタの提案にゼノは一も二もなく同意して、二人は連れだってギルドを後にした。
後に残された者達は二人が出て行った扉を見やったまま、しばらくは誰も動けなかった。
「あいつ……何者だったんだ……?」
未だ床に座り込んだままの冒険者のひとりが呆然と呟くが、ジュリアにだってわからない。身分証を確認していなかったため名前すらわからないのだ。
いつもなら自分からは男性職員や他の冒険者に決して近づかないリタが、男の話を聞いてすぐに動いた。
ハンタースでは読みとれなくなったが、レーヴェンシェルツでは今でも読み取れるというあの古い身分証。もしかしたらあれには、とても重要な秘密があるのかもしれない。
ハンタースギルドにとって、非常にまずい対応をしてしまったのでは、とジュリアは漠然とした不安が拭えなかった。