(十七)子犬の事情
飛びかかってくるオルグをいなしドゥーエのナイフを短剣で受け止めると、そのままその短剣で背後から襲いかかったアインスの双剣を二本まとめて跳ね上げられた。
「うわっ」
「でっ」
「あれっ」
三者三様の声をあげて一瞬でゼノの足元に転がるのを、サンクとシスとシェラはあんぐりと口を開けて見ていた。
「ほんとに強いな、ゼノって」
「うん!アインスにーちゃんが手も足もでないってすごいね!?」
「ドゥーエお兄ちゃんはお父さんより力強かったのに、ぜんぜん敵わないんだね」
レーヴェンシェルツギルドの訓練施設でオルグとシグレン家の上の兄達二人が、朝からゼノを相手に訓練をしていた。剣を使うと施設を壊すという理由で、ゼノが使っているのはナイフよりもやや大きめの短剣一本だが、三人は一時間経ってもゼノに触れることすら出来ずにいた。
「くっそ~……おっさん強すぎだろ……」
アインスが仰向けに転がって肩で息をしながら悪態をつくのを、ドゥーエも座り込んで「全然あたらねえ……」とぜ~ぜ~息をつきながら呟く。オルグは手の平を握ったり開いたりしながら難しい顔をして転がっていた。
ゼノは短剣を手に腰に手をあて肩をすくめてみせた。
「お前さん達は動きが単調なんだよ。オルグは身体強化がちゃんと使えてねえし、ドゥーエは相変わらず直線的だ。アインスも双剣を活かし切れてねえ。双剣が一直線上に並んじまったら一振りで弾かれるぞ?」
先ほどからほとんど同じ位置に突っ立ったまま、三人を転がすだけのゼノには疲れどころか汗ひとつ見えない。
「一直線上に並んだって一瞬だろ……なんでその一瞬をつけるんだよ……」
「なんでって、そうじゃなきゃ複数の魔物を相手する時、まとめて斬れねえじゃねえか」
当たり前だろ?と返されて次元の違いを思い知らせる。
これが剣聖か……なんかもう全然勝てる気がしないや……
のろのろとアインスが体を起こすと、ハインリヒが訓練場に姿を現しゼノを手招きしているのが見えた。
「――おう。じゃあ、お前さん達はもうちょい素振りでもしてな。オルグは身体強化をムラなく纏わせたまま保持しとけよ」
言い置いて、ゼノはハインリヒの元に行ってしまった。
「あ~……マジで強え……」
「そうだな……。とりあえずドゥーエ、二人でちょっとやろうか。なんか簡単に転がされるばかりでつらい」
「! やろう!にーちゃん」
アインスはよいしょっと跳ね起きると身体を回した。オルグは転がったまま難しい顔をして手の平を見つめている。
アインスが見る限り、手のひら周辺にはうっすらと魔力があるのを感じられた。
「オルグ、魔力の流れってわかった?」
「……わかるようなわからないような?」
アインスの問いに困ったような表情で自信なげな答えが返ってくるのに、アインスも苦笑してみせた。
「わかる~。オレも教えてもらった時全然わからなかった。目に見えるもんじゃないしな~」
「オレすぐに出来たけど?」
「ドゥーエは考えるより先に感じるままやってたからな」
考えることは放棄しているドゥーエは、だけどこういったことへの勘が鋭い。感覚が優れているんだろうと父が言っていたことを思い出す。
「オレ、魔力ってわかんねえ。どうしたらわかる?やっぱりオレが魔法使うなんて無理なのかな」
ぐしゅ、とオルグが泣きべそをかきだした。
まだ会って一日しかたってないけど、このオルグは出来ないことに対して随分弱気だ。おまけにサンク並にすぐ泣く。アインスから見たらすごく恵まれた身体をしていて、素質は十分あるのに上手く使いこなせてない印象を受ける。なんでこんなに出来ないと思い込んでるんだろう?とアインスは首を傾げた。
「そんなの簡単だって!」
ドゥーエが空気も読まずにガシッと正面からオルグの手のひらを組むように掴んだ。両手でつかみ合う形になったままぐぐ、と魔力をぶつけているのがわかる。
「な? わかるだろ?なんかが手のひらからぐあーって入ってくるの」
わかるかな~?とアインスは思ったが、オルグがぱあっと目を輝かせたので、わかったのだろう。
「わかる!手からなんかあったかいモノが、だあって入ってきた!」
「そうだろ?それがぐるーって体中回るから覚えろよ」
「おおおおお! なんかぐるぐる回ってる!うわ、何これ」
あひゃひゃひゃひゃ、くすぐったい~!と笑い出したオルグと回れ回れ回れ~とゲラゲラ笑う弟を、えええ~……とちょっとドン引きながらアインスは見やった。
「怪しいな~とは思ってたけど、オルグってやっぱドゥーエタイプだったんだね」
馬鹿なんだね、といつの間にか側まで来ていたシスが、手を組んで笑いながら転げ回る二人を見下ろしながら、呆れたように言った。
「はっきり言うなあ」
否定はしないけど、とアインスも苦笑する。
理屈じゃなく体で覚えるタイプなのは間違いないだろう。
「オルグってそもそもなんでねーちゃんについてきてんの?剣聖のお供?」
アインスの問いに三つ子が顔を見合わせた。こういうところは性格バラバラでもよく似てるな、といつも思う。
「リタ姉を捕まえにきたハンタースの冒険者って聞いたんだけど」
「はあ?」
ハンタースギルド所属? ここレーヴェンだけどいいのか??
実力的にリタより弱いのは見てわかるのでそういう意味では心配していないが、オルグはそれでいいんだろうか。
「なんかね、失敗を報告せずにいた方が新しい人が来ないからいいんだって。オルグも全然気にしてないみたい」
「あ~……そういう。それねーちゃんには得でもオルグにいいことないんじゃないか?」
アインスからすれば、人の良いオルグがいいように利用されているように見えてしまう。リタやゼノに懐いているっぽいのは見てとれたが、彼はそれでいいんだろうか。
「代わりにここで魔力の扱い方とか教えてもらってるみたいだからいいんじゃない?それに、勝手について来たって言ってたよ」
リタ姉が撒けなかったって言ってた、と聞いてへえ、と素直に感心した。追跡能力高いんだ。
「できたーーーーっ!」
突然、訓練所内にオルグの大声が響き渡って、アインスをはじめ周囲の冒険者も驚いてオルグを見た。
「アインス!オレわかった!魔力の流れ! 見て見て、ちゃんと身体強化できてるだろ!?」
嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながら駆け寄ってくるオルグは、確かに先程のうっすら手のひらに魔力が集まっているかどうかの状態から、全身綺麗に魔力を纏っている。
「ほんとだ! ていうか、わかってから出来るの早くない!?」
飲み込み早すぎないか!?とあんぐりと口を開けてアインスが驚いていると、周囲の冒険者もオルグに寄って来て「よかったじゃないか」「おー、出来てる出来てる」「えらいぞ~」とオルグの頭を撫でながら褒めてもみくちゃにしている。
「へへへ……」
オルグが鼻の頭をかきながら嬉しそうに笑う。
そのなごやかな雰囲気から、ここレーヴェンシェルツでオルグが受け入れられているのを感じた。
他の冒険者も嫌がってないなら所属などどうでもいいか。
それにオルグってこう、構いたくなるような雰囲気あるもんな。
明らかに自分より年上なのに、なぜか弟扱いしてしまうが、オルグはそれに嫌な顔をしない。むしろいつも嬉しそうだ。
みんなに囲まれて楽しそうなオルグから視線を外し、一緒に騒いでいたドゥーエはどうした?と奥を探すと、こてんと倒れているのが見えた。
「何やってんだ、あいつ」
「魔力不足で倒れてんじゃないの?調子にのってオルグに魔力流してたから」
マジか~……
シスの言葉に、ありえるわ~……と内心で納得し、自分の弟ながらやっぱりちょっと考え足りないよな、とアインスは大きなため息をついてドゥーエの元に向かった。
* * *
ハインリヒに呼び出されたゼノは、彼について支部長室にやってきた。部屋では中央の会議机にゴルドンが難しい顔をしながら地図を睨みつけており、その横にカーンとギルド職員が二名座っていた。
ゴルドンの向かいに座るハインリヒの隣にゼノも腰を落ち着けると「どうした?」とゴルドンに声をかけた。
「……結界魔法陣の魔石の配置がおかしい」
「? あれに魔石の配置なんかあったか?」
詳しくないが、魔法陣の中に魔石が配されていればそれだけで動くはずだ。複雑な魔法陣なら属性の魔石の配置があるとアザレアから聞いたことがあったかもしれないが、街の結界陣は簡単な作りになっているはずだ。
「ああ……そうじゃない。石が複数あって守りが強固になっている所と、魔石がなくなり、魔法陣が力を失って消失している所に分かれているということだ」
「……つまり?」
「魔物の通り道を作られている」
告げられた内容に唇を引き結んだ。
無言のままゴルドンを促すと、ついと地図を指す。
「ここが襲撃を受けた村、こことここ、さらにミルデスタを挟んで反対側のこことここの結界が機能しておらん。それ以外の町や村は逆にしっかりと結界が張られて魔物の入る隙がない」
示された地図を見ると、確かに近郊の村からミルデスタを通る一直線の道が出来上がっていた。
「いつからだ?」
ゼノの質問にカーンが資料を見ながら答える。
「魔物の群れを確認してからすぐにミルデスタ近郊の結界魔法陣は確認し、昨日の朝まではすべて問題なく動作していると報告を受けています。ですが村が襲われたのはその日の午後です。いくらなんでも半日で魔法陣が消失するほど魔石が消耗するなど考えられません」
結界魔法陣は常に魔石を配置して維持しておかないと、陣の規模とレベルにもよるが魔石が力を失って一日から数日で陣が失われる。地面や岩などに刻まれた魔法陣は元々うっすらとしか視認できないものだが、魔石からの魔力供給が断たれるとその魔法陣を維持できなくなり文字通り陣そのものが消失する。大きな街になればなるほど魔石の消耗には細心の注意を払っているものだ。
カーンの言葉にハインリヒもゼノも頷き返す。
「明らかに誰かの仕業だろうよ」
言い捨てられたゼノの言葉に、同席しているギルド職員が不安気な顔をして、そっと机の上に紙の切れ端を差し出した。
「ミルデスタの街の結界魔法陣は石造りの塔の中にあります。中に入るのも鍵が必要で、領主の他には領主の許可を得たレーヴェンシェルツとハンタースギルド、ノーザラント商会のみが保有していて、鍵の盗難も確認されていません。ですが、確認に行った冒険者から、結界魔法陣の中に見慣れない紙の切れ端が残っていたと報告がありました」
ハインリヒが手を伸ばさないのを見て、すでに確認済みかとゼノはその切れ端を手に取る。
一見するとなんの変哲もない紙に見えるし、ひっくり返してみても何も描かれていない。指で摘んで触り心地や匂いを確認しながら、ゼノは自らの左手親指をがりっと噛んだ。
滲んだ血をその紙に押し付けると、つけたはずの血は紙に吸収されて見えなくなった。
「……っ」
「……!」
「魔紙だな――って、いて!なんだよ!?」
ガツン!とハインリヒに頭を叩かれて思わず叫べば、眉間に皺を寄せたハインリヒがぐいとゼノの左手を取り、懐から取り出した小瓶の中身を親指にぶっかけた。
みるみるうちに噛んでつけた傷が塞がってゆく。治療薬だ。
こんな傷にもったいねえ、と反論しようとしたら今度は耳を引っ張られた。
「いででっ……」
「君は馬鹿だろう? 今この街の周囲に魔物の群れが存在しているとわかっていての行動がそれか? 自分の血がどれほど魔物を惹きつけるのかということを三十年も箱庭にこもっていて忘れてしまったのかね? こんな街の中心部で撒き餌でもする気か」
「わぁーーった!わかったって!悪かったよ、考えなしで!!」
ばんばんばんと机を叩きながら叫ぶように謝れば、最後に捻り上げてから手を放された。
こいつほんと容赦ねえんだからよ……
確かに今のは自分が考えなしの行動だったが。
引っ張られた耳をさすりながら、魔紙だと判明したそれをギルド職員に返しておく。ちょっと治療薬が飛んで濡れてしまったが。
「え……と、ゼノさんの血が魔物を惹きつけるというのは――」
「こいつラロブラッドなんだ。それも超強力な」
ゴルドンがやれやれと頭を振りながらカーンに答えるとハインリヒも続けて説明する。
「本人は一切使えないので宝の持ち腐れであるにもかかわらず、恐るべき魔力保有者なのだよ。故に魔紙への吸収も早い。他の人の血ではここまで早く魔紙だとはわからなかっただろうがね」
だが。とじろりと呆れた目で睨みつけてくる。
「君たちも知っての通り、ラロブラッドは魔族や魔物を惹き寄せる。彼らにとってラロブラッドは非常に強力な力の源となるからな」
「え……それって、今魔物の群れがミルデスタ近郊に集まっているのは、ゼノ殿を嗅ぎ分けて、ということですか? ラロの出血は魔物を引き寄せる……?」
不安気なギルド職員に、ゴルドンもハインリヒもゼノも頭を振りきっぱりと否定した。
「それはねえ」
「ゼノの場合はずっと血が滴り落ちている状態ならそういったこともあるかもしれないが、血が流れていなければ鼻の効く魔物でも気付けないので心配はいらない。ゼノですらそのレベルだ。他のもっと力の薄いラロではまったく気にする必要はない」
「ギルド職員が滅多なことを言うんじゃねえぞ。噂でもそんなのが広がってみろ。世界中のラロが迫害されるだろうが」
昔はそういったことが実際に行われていた地域もあったんだがな。
ゼノは口には出さずに心の中で付け加えながら、思い出した人物を頭の隅に追いやった。
「オレの血の話はもういいだろ。それで、そいつが魔紙だったってことは、誰かが結界内で別の魔術を使ったってことは確定だろ?」
話を戻すように問えば「そうなるな」とハインリヒも同意した。
「何者かが裏で糸を引いているということか……。狙いはなんだ?」
一直線の道の先は森しかない。だが途中に街があれば魔物はそこで立ち止まる。通り道ではなく、北からも南からも魔物が入れるようにすることが目的であれば、狙いは間違いなくミルデスタだろう。
「リタが狙いってんなら教会か?」
ゼノが頭をがしがしとかきながら言うと、カーンを含めギルド職員がぎょっとしたような顔をした。
「まさか! いくらなんでも教会が魔物を街に誘導するなんてことはしないでしょう?」
ゴルドンの下にいる癖に、この副支部長のカーンは常識人なんだなとゼノは改めて思いながら頭を振った。教会に何を求めているかは知らないが、そんなキレイな組織じゃないことをゼノはよく知っている。
「教会はえげつないぜ?お前さん達が考えてるよりもずっとな」
「今立場的に追い詰められていることは彼らもわかっている筈だ。起死回生の手を打つつもりならあり得るだろう」
ハインリヒが肯定したことで三人の顔色がさらに悪くなった。
「それに……そう仮定するならば、実行した者に心当たりがある」
「え!?」
何の情報を掴んでいて導き出したのかはわからないが、ハインリヒが口にするということは非常に確率が高い。不確定な情報は口にしない男だ。
ならば、とゼノとゴルドンは目を見交わせた。
「どう動くのがベストだ? 考えがあるから呼んだんだろ?」
「そうだな……まず、どのような状況になろうとも、ミルデスタの被害は最小限に抑えねばならない。結界魔法陣の再構築には少し時間がかかる。今一番重要なのは魔物の掃討だ」
確かに、今の状況での最優先事項はそうなるだろう。
「それで?」
ハインリヒは地図上のミルデスタ南門を指し示した。
「南門側の魔物を一掃しておいてくれんかね。挟み撃ちをされるとミルデスタがもたない」
ハインリヒの言葉にカーン達が息をのんだ。報告されている魔物の数はそれほどではなかったが、ハインリヒがそう断言するならば、状況は今この瞬間にも悪くなっているのだろう。
「わかった」
「ならば儂も――」
「君はここで待機だ。自分の立場を忘れてもらっては困る。北門から魔物が侵入して来た場合は君以外の誰が陣頭指揮をとるというのかね、ゴルドン」
いそいそと声を上げたゴルドンをピシャリと切って捨てると、次いでカーンを見やった。
「レーヴェンシェルツで今動ける冒険者は何人いる?」
「依頼をストップさせているクラスAが3名、クラスBが12名、それ以下なら30名ほどです」
「ふむ。そこにゴルドンが入るなら問題あるまい。騎士団は防御壁の内側に待機してもらおう」
ハインリヒの指示に顎を擦りながら、ゴルドンが不思議そうに頭をひねる。
「ハンタースはどうする?」
問われてハインリヒは片眉を上げてゴルドンを見た。
ひやりとする空気に、む、とゴルドンが背筋を伸ばしたのがゼノにもわかった。
「何か反応があったかね、カーンくん」
「はっ! いえ、自分達だけで対応するとの返事から変わりありません! 向こうは百人近く動かすようです」
なるほど、人数は向こうが多いのか。しかし強さはどんなもんかね……
シュゼントの町の冒険者ギルドを思い出しながら、あの程度が多いなら微妙かなとゼノは判断した。
「聞いたとおりだ、ゼノ。足手まといが南門にも半数はいると考えていい」
「了解。右と左の区別ぐらいはつくレベルだろうな?」
「共闘となるとハンタースは怪しいな」
ゴルドンの言葉にゼノは肩をすくめた。
乱戦になると、パニックを起こして敵味方関係なく攻撃を行う馬鹿が出てくる。魔物と人間で簡単に見分けもつきそうなのに、正しい判断力が働かなくなるようだ。ただそういうのはランクの低い冒険者に多いので、そういったレベルを投入しなければいいが……
「ハンタースは三十年前よりレベル下がってんのか?」
そう言えばリタが散々こき下ろしていたなと思い出す。
「む~……二極化が進んでいるといった感じか」
「そうですね……ハンタースのB級までは正直あまり差がないと思います。さすがにA級は一定のレベルがあって実力的には信用もできますが……」
それ以下はなんとも、と頭を振るカーンになるほどなぁと頷き返した。
「じゃあオルグがA級に近いB級だってのも?」
「彼は素質だけを見れば、レーヴェンシェルツでクラスAどころか Sにもなれるものを持っている。だが、このままハンタースに在籍していては潰されて終わりだろう」
ハインリヒの評価が予想以上に高くてゼノは首を傾げた。
「オルグがどのような扱いを受けていたか聞くかね?」
このような尋ね方をされる時は問答無用で聞けというのと同義だ。ゼノもゴルドンも無言で頷いた。
「彼は孤児でスラムで育ったせいで、まず読み書きができない。常識も怪しい。だが非常に頑丈な体と力の強さがあったため、そこに目をつけたハンタースギルドの職員がまだ少年だったオルグの冒険者登録を行い、適当なパーティーに放り込んで使っていた。もちろん衝突も多くてね。そのうち単独依頼を受けさせるようになったが、読み書きができないのをいいことに、報酬を搾取していたようだ」
「ギルド職員がですか!?」
カーンが驚いたように問い返すと、ハインリヒが無言で頷いた。
――あいつら、オレのこと学がねえって相手にしてくれねえんだ!
ふと、出会った時にそう叫んでいたオルグの言葉を思い出した。
「都合よく使っていたようだ。ギルド職員だけではなく、魔物退治の囮に使ったり見捨てたりしていたタチの悪いパーティーもいくつか確認している。彼が拠点を置いていたギルド支部では学なし能なし価値なしと言って馬鹿にされていたが、ギルド内で暴れると除名されるので我慢を強いられていたようだ」
だからか。
ゼノは目を閉じて反芻する。
馬鹿にしたと言って魔力を暴走させるほど怒った。
自分の心配をしてくれたリタに懐いた。
褒めてやると嬉しそうに笑った。
名前を呼ばれると嬉しそうにやって来る。
それでも捻くれずに育ってるとは感心だな――いや、だから余計にいいように扱われてきたのか。
はあ、と大きくため息をついてがしがしと頭をかくと「わかった」と呟いた。
「じゃあオルグはハンタースに返さずにレーヴェンシェルツで面倒みるってことでいいんだな?」
「ふむ。シグレン姉弟に預けておけばいいのではないか?仲良くやっているようではないか」
ああ……精神年齢が弟たちと似てるせいだろうな……
ここ数日ドゥーエと仲良く訓練し、サンクやシスに色々教えてもらって楽しそうに過ごしている姿を思い返すと、確かに彼らと一緒にいる方が情操教育にもよさそうだ。
懐きまくってるしな。
見えない尻尾がぶんぶん振られているのがわかるほどだ。
「そういうことならわかった。じゃあ、オレは今から南門に行ってくるが……その間、リタ達のことは頼んどいていいか?」
「そうだな……ゼノが離れたと知れれば動き出すだろう。そちらは最悪の状況にならないように対応しよう」
その物言いにゼノはハインリヒを睨んだ。
こういう物言いをする時は要注意だ。
「何たくらんでやがる?」
「企むのは私ではない。教会だ」
その言葉にゼノが眉を顰めてみせると、ハインリヒは肩をすくめた。
「ゼノは教会がこのまま大人しく裁判の日まで待つと本気で考えているのかね?」
それはない。
こうしてミルデスタに魔物を誘導しているのが本当に教会なら、これは布石の筈だ。
「予測はつく――何が起ころうとも最終的にはゼノの力で覆せる程度だろう。そこに至るまでに、最悪な状況を作らないことは約束しよう」
「この場合の最悪は?」
「ふむ。弟達が大けがを負ったり命を落とすことだな」
「助けてやれるんだな?」
「ゼノの剣があれば」
それが何を意味するのかを理解して、はあ、とゼノはため息をついて頭をがしがしとかいた。
「相手は教会だ。オレもこのまま何事もなく済むとは思っちゃいねえよ。……だが、リタがあまり傷つかなければいいとは思ってる」
「善処はしよう」
その言葉を引き出せただけで良しとすべきか。
ゼノの知るハインリヒは決して優しい男ではない。利がなければ動くこともないし、目的のためならば手段を選ばないのは教会と同じだ。ただ、選択する手段は善良な一般市民になるべく害を与えないという点が大きく異なるが。
最良を優先しても多少の犠牲には目をつぶる傾向がある。
教会に関わった時点で、リタが無傷でいられないのはわかっている。
だが、なるべくなら深い傷にならなければいい。
強がっていたが本当は怯えているリタを思いながら、そっとゼノは目を伏せた。




