(十六)合流、そして
「凄いものを見せて貰った! 御使いの力とはあのように美しいものなのだな」
騎士団の一人が感心しながらリタを褒めるのを、リタは曖昧に笑ってやり過ごした。
美しいと言われても、リタの中ではやはりフィリシア様の荘厳な癒しの術が一番美しいと思う。あのお姿と比べたら自分なんて全然違う。
――まぁ、誰もフィリシア様の荘厳なお姿は見られないんだけど。
ハインリヒが御使いで通すと言ってるし、それで教会と絶縁できるなら自分の意見はこの際関係ないだろう。事実と異なっても。そもそも何が事実なのかをわかる者がいるわけでもなし。
どうせ教会だって好き勝手聖女って言ってるだけでしょうし。
「領主にもそう伝えてくれ。――今回の騒動はレーヴェンシェルツの主張する通りであると」
ゴルドンの言葉に騎士が大きく頷いた。
「レーヴェンシェルツが誤った抗議などをしないことは、領主様も我々も理解している。これまでだっていざという時はレーヴェンシェルツが頼りになった。人命救助しかり、情報しかり。今回の魔物が増えているとの注意喚起もレーヴェンからだったな。ハンタースは独断で突っ走っていくところが困りものよ」
騎士が肩をすくめながら言った。
ミルデスタほどの大きな街では領主の騎士団もあるし、事が起こったときには連携が必須の筈だが、ハンタースギルドはそういったことはなおざりなのか。
リタは不思議に思ったが、ゴルドンがむすりとした顔をし、カーンが苦笑したのをみて、これまでも色々あったらしいと想像できる。
ハンタースってシュゼントだけでなくここも酷い状態なのかしらね。
「とにかく。今回の騒動の件は、教会との関係上領主様は表にでないが、レーヴェンシェルツに融通を図る用意はあるので何かあれば話を通せと仰せだ」
「ありがたい。領主殿のそのお言葉だけでも助かる」
「ありがとうございます」
自分のことなので、リタも騎士にお礼を述べた。
教会の味方をしないというだけでもありがたい。
「なぁに。ゴルドン殿をはじめ、レーヴェンシェルツにはいつも助けられている。それに」
騎士は表情を引き締めてリタを見た。
「魔物が確認されている以上、さらなる被害が出ることも考えられる。――その時はまた御使い殿のお力を借りるかもしれぬ」
「ええ。その時は必ず」
助かる、と騎士はリタに頭を下げるとゴルドン達に向き直った。
「では我々はこれで。――後は任せてもよいか?」
「はい。お任せください」
カーンが請け負うと、うむ、と騎士は頷きゴルドンに黙礼すると、近くにいたアインスの背中を威勢よく叩き「今回は助かった。また会おう、おチビさん」と言い置いて部屋を出ていった。
「兄さん!」
いて~と呻くアインスにトレが駆け寄っていくと、シェラもトレに抱きついた。
「トレにーちゃん!会いたかった!!」
「シェラも元気そうで安心した。兄さん、怪我とかないの?」
「うん。ない~……てて。甲冑つけたまま思い切り叩くよな、あのおっさん……ていうか!トレも無事だったんだな! 他のみんなも無事か?」
「うん。無事」
三人で無事を喜びあう姿を少し離れて見つめていたリタは、ふいと顔をあげたアインスと目があった。アインスが安心したようににぱりと笑う。
「ねーちゃんなら大丈夫って思ってたけど……無事で良かった」
へへ、と鼻の下をこすりながら告げるアインスは、たった半年しか経っていないのに、なんだか逞しくなった気がする。リタよりも弟達を先に気遣うところが、長兄らしさがでているとくすぐったく思う。
「アインスも……シェラも無事で良かったわ。本当に……」
「おねーちゃん!」
飛び込んでくるシェラを抱きとめながら、自然とこみ上げてくる涙を拭いリタは笑う。
「みんなが無事で本当に良かった……ほんとに……」
この半年、生きた心地がしなかった。
父の死も弟達の離散も、まるで悪い夢の中に閉じ込められたようで、どこへ向かえばいいのかどうすればいいのか、本当のところわからなくて、ただとにかく立ち止まらずに逃げなければという強迫観念のもと走り続けてきた気がする。
ゼノに会って、ハインリヒが味方になってそれからすべて動き出した。
裁判さえ終われば、これまで通りまた弟達と一緒に暮らせるようになるだろうか。
父さんはもういないけど……
その事実を受け止めきるにはまだ心が追いつかない。
本当にもう、いないのか――
「大丈夫。もう大丈夫だよ、ねーちゃん」
リタの震える手をぎゅっと握りしめ、力強く断言するアインスがなぜだかとても眩しく感じて、リタは唇をぎゅっと噛んで嗚咽を抑え込むと――ぺしりとアインスのおでこを弾いた。
「って! ちょ、ねーちゃん!?」
「糞ガキがナマ言ってんじゃないわよ」
ふんっと強がってみせると、背後でぶはっとゼノが吹き出した。
「なによ!ゼノ」
「い、いや、お前さん……弟相手にそんな強がらなくても……」
「ふむ。意外と可愛いところがあるじゃないか」
ひ~ひ~笑うゼノとニヤリと笑うハインリヒに、ふんっとそっぽを向くと、呆れたような表情のトレと目があって、リタはいたたまれなくなった。
「と、とにかく、他の――」
「あ、あの、アインス。私お兄ちゃんの所に帰るわ」
囁きかけるような小さな声が聞こえて、リタはそう言えばとアインス達の後ろにいる少女を見やった。
赤茶色の髪を背中でひとつの三つ編みにして緑色のリボンを結んだ快活そうな少女が、籠を手に立っていた。邪魔しないようにと一歩下がって控えていた少女は何者だろうか。
――そんなことより
「え、ちょっと待って。ア……」
「待って、お嬢さん。あなたも怪我をしているわ」
アインスが声をかけるのを遮って、リタはシェラを腰から外すと少女の側にするりと駆け寄った。
「え?」
少女が戸惑ってリタを見上げるより先に、そっと少女の手を取る。
「ここ。血が滲んでる。――ほら、この頬のところも」
「え?あ、魔物に襲撃されたとき、お兄ちゃんが庇ってくれて、その時馬車で傷つけたのかも」
全然気づかなかった、と目をぱちくりさせる少女に微笑んでみせて、すっと怪我の上を撫でるように触れることで怪我を癒す。大きな怪我でなければ、この程度の傷はリタからすれば朝飯前だ。
「ふわわ……傷が消えちゃった……」
「これで大丈夫よ。女の子の肌に傷なんか残すものじゃないものね。大丈夫だった?魔物と遭遇して怖かったでしょう」
うわぁ……ねーちゃんの悪い病気がまた出てるよ、なんてアインスの言葉が背後で聞こえたけれど気にしない。変わらなくて安心するよね、とはシェラの言葉か。
「う、あぅ……は、大丈夫……」
顔を真っ赤にしてわたわたと動く少女に、恐怖の影はない。
異形の魔物と遭遇すると、その恐ろしさで夜も眠れないと怯える人がいるのも事実。リタもそういう人を見たことがあったし、実際に馬車が襲われた現場に居合わせたのなら、その恐ろしさはいかほどだろうか。見たところアインスとそう変わらない年齢に見える。
「私はリタよ。あなたの名前は?」
「あ、アリーです」
「そう、アリー。お兄さんも大丈夫だったの?」
顔を上気させてこくこくと頷きながら「あ、アインスが、助けてくれたので……」と胸の前で手をもじもじさせて答える少女は愛らしい。
「おう、そういやそこのおチビが探していた長男のアインスか。魔物を倒すとはチビなのに将来有望だな」
ぐわし、と大きな手でアインスの頭を掴んで、撫でるというよりは振り回す勢いのゴルドンに「やめてやれ」とばしりとゼノがその手をたたき落とす。
「ち、チビチビって言うな!オレは平均的なサイズだろ!? おっさん達が大きいだけじゃないか!!」
「その通りだな」
よろけたアインスを支えてやりながら、ハインリヒが至極当然のように同意する。まあ確かに、先程の騎士といいゴルドンやゼノのようなガタイのいい男にばかり囲まれると確かに小さく見えてしまうだろう。
多分、実際の身長よりも幼く見えるアインスの雰囲気のせいでしょうけど。
一個下のドゥーエの方が背は高いし顔つきが男っぽいのでともすれば長兄っぽく見えるのだ。猪突猛進で知能という知能を双子の弟トレにすべて取られたんじゃないかと言われるほど脳筋だけど。
「ふむ。君はタンザライから転移陣を2つ経由したリーアの街で教会の追っ手を撒いた後、こちらでは消息が掴めなかったが……彼女達と一緒にいたのかね?」
ハインリヒが視線でアリーを示しながら問うと、アインスはこくりと頷いた。
「リーアから徒歩でミルデスタ近郊の町に移動したんだ。そこからミルデスタにむけて本当は馬車を利用したかったんだけど、教会の追っ手らしき人達を見かけて、諦めて徒歩で移動を始めたんだ。一日はなんとかなったんだけど、途中でシェラが熱を出してしまって……困っていた時にちょうどアリーとバイセンの馬車に助けてもらったんです。彼女達も近郊の町を回って後はミルデスタに向かうだけだというから、乗せてもらいました」
アインスの話を聞いて、リタはそっとシェラの元に歩み寄り額に触れた。
今は何も感じられない。
「もう大丈夫なの?」
目線を合わせながらシェラに問うと、シェラは元気よく頷いた。
「アリーにお薬をもらったから、もう大丈夫!」
末弟のシェラは体力がない。確かに移動続きで休養がとれていないと体調を崩すこともあるだろう。他の弟達はみんな頑丈なので忘れがちだが、普通に考えれば追っ手から逃げ回るなんて精神的にも体力的にもキツいに違いない。
そんな状況を作り出したのはリタだ。
きゅっと唇を引き結んで、シェラの頭を撫でた。
「そうだったの……。アリー。弟達を助けてくれてありがとう」
「い、いいえっ!あの、困った時はお互い様だしっ……私たちも行商人っていう立場上、他の人に助けてもらうことはよくあるので! それに、アインスには魔物に襲われた時助けてもらったので、こんなの、ええと……お、おあいこ! そう、おあいこです!」
リタが頭を下げると、アリーがわたわたと顔を真っ赤にしながら手を振って否定しながらじりじりと後ろに下がってゆく。
「一度あなたのお兄さんにもお礼をしなくちゃ」
「駄目ですよ! リタさんみたいな綺麗な人に見せる顔じゃないですから!駄目です!ダメダメ!」
ぶはっとアインスが笑った。
「ひでーな、アリー! バイセンはそこまで酷い顔じゃないだろ?」
「そこのおじさんより怖い顔じゃない!」
と、びしっとアリーがゴルドンを指して言うものだから、リタも思わずくすりと笑った。知らないとは言え、レーヴェンシェルツのミルデスタ支部長、元クラスS冒険者に対してそんなことが言える者もそういないだろう。
比較対象にされたゴルドンはむぅ、と唸ったものの、あどけない少女の言葉に目くじらをたてることはしなかった。
「まぁこれで心配事はなくなったってことでいいのか?」
ゼノがハインリヒに問うと、そうだな、とハインリヒはちらりとこちらに目を向けてからゴルドンやカーンの方に向き直った。
「近郊に魔物の群れが発生していることが少々懸念事項ではあるな。恐らく今回の村襲撃だけでは終わるまい」
「上位魔族はまだ確認されてねえんだろ?」
ゼノもゴルドン達の方へ向き直り、男達の話題が魔物の話に移りゆくのを確認すると、リタはアインスの肩を叩いた。
「冒険者登録、したんですってね。そこまで準備が整っていたなんて知らなかったわ」
小声で告げられるリタの言葉に、先程まで笑顔だったアインスも表情を引き締めた。
「ああ。とーちゃんが準備してくれてたのと、カルデラント支部のネージェさんがすぐさま登録してくれたんだ。だからそれでなんとか凌いできた」
そこで言葉をきり、ちらりとゼノに目線をやるのを見てリタがゼノのことを説明しようと口を開きかけたとき、アインスが「彼が剣聖のゼノ?」と問うた。
「知ってるの?」
「ねーちゃんは剣聖のゼノと行動してるから心配いらないって、教えてくれた……人、がいたから。本当かどうか少しだけ疑問だったんだけど、間違いないんだね」
誰から聞いたのか少々歯切れ悪く答えながら、ふぅとアインスが大きく息を吐いた。
「みんなここにいるって本当?」
「フィーア以外はね。あの子ももうすぐ合流できる筈よ」
そっか、とその言葉にようやく肩の力を抜いたアインスに、そっとリタは癒やしの力を使った。
「!」
「その右腕の袖で隠れているところにあった怪我。魔物にやられたんでしょ? その程度で済んだなんて、強くなったのね」
へへっと笑う顔は変わらず少年っぽさが残っているが、ハイネにいた時に見せていた笑顔と比べるとやはり大人になっていた。
アインスにもこの半年で色々なことがあったのだろう。
商会に保護されていたトレ達よりも過酷だったに違いない。
本当に無事で良かった。
「ああ、そうだ、ねーちゃん。アリーは自分の手作りアクセサリーを姉妹にあげるのが夢だったんだって。なんかもらってやって」
思い出したようにアインスが告げると、背後で所在なさげに立っていたアリーが「うぇっ!?」と変な声をあげて飛び上がった。
「なななな、なに言い出すの、アインス!?」
わたわたわたと慌てふためくアリーに、リタが「そうなの?」と微笑した。
「あの籠に持ってるから見てやって——そういえばねーちゃん、その指どうしたの?」
アインスがリタの左手小指に巻かれた白い布のような物を見とがめて尋ねると、ああこれ?とリタが顔の前に左手をかざして見せた。
「これはトレから付けておけと言われたの。おまじないなんですって」
「——は? トレから?」
ぽかん、とした顔で思わずトレを振り返ったアインスは、トレが無言のまま頷いたのを見て、しばらく言葉を探すように口をはくはくさせていたが、結局何も言わずに頭をかいた。
「……そっか、トレが」
「ええ」
リタもそれ以上何も言わずにこくりと頷き返すとアリーに目を向けた。
「それで、どんなものがあるのかしら?」
「ひゃい! え、ええとその……でも手作りなのであんまり綺麗じゃないし……」
「あら。アリーの手作りなんでしょう?心がこもっていて素敵じゃない。ぜひ見せて?」
リタに笑いかけられて真っ赤になりながらも、おずおずと籠をリタの前に差し出して中を見せる。
中には色とりどりのリボンやチョーカー、ブレスレットなどのアクセサリーがたくさん入っていた。
「まあ!たくさんあるのね。それに可愛いわ——アリーは器用なのね」
リタに褒められてアリーの顔がこれ以上ないぐらい真っ赤になるのを見て、ははは……とアインスやトレの口から乾いた笑いが漏れた。ハイネの町では本当によく見かけた光景だ。
何故にこの姉はこれほど女性の心を掴んでいくのが上手いのか。半分はあの恐ろしく綺麗な顔のせいもあるだろが、それに上乗せされる「女の子、素敵。可愛いわ」という気持ちがダイレクトに彼女達に伝わっているのは気のせいではないだろう。
「どれがいいかアリーが選んでくれる?」
たくさんあって私じゃ選べないわ、と笑顔で伝えるリタに、アリーがごそごそと籠の中を漁って、そっとひとつのチョーカーを差し出した。
「こ、これ、私の中でとても上手にできたもの……です。つ、つけてもらえたら……嬉しい、です」
もじもじと差し出されたそれは、金色のレースが縁に施された黒いリボン型で、アクセントに小さなビーズのようなものが着いていて上品なデザインだ。
「軽いし素敵なデザインね」
差し出されたチョーカーを手に取って眺めながら、その場にしゃがむとアリーに背を向けた。
「つけてくれる?」
そう言って流れる金糸をさらりと左肩に寄せて、つけやすいように首元を見せる。
その金糸に思わず、といった感じでアリーが触れた。
「ふぁ……さらさらで、なんて綺麗……」
うっとりとリタの髪を一房手にとり、さらさらと流れ落ちる金糸の感触を楽しむアリーに、アインスが苦笑した。
「アリー」
「はわっ! ご、ごごごご、ごめんなさい!あんまり見事な金髪だったから、つい……!!」
びくりと肩を震わせてわたわたと謝りだしたアリーに、「いいのよ」とリタはくすくすと笑いながら返すと、「アリーに気に入って貰えるなんて嬉しいわ」と女性にだけ向けられる破壊力抜群の笑顔を浮かべた。
ねーちゃんは女の味方っていうよりは、男の敵って感じだよな、とぽつりとアインスが呟いた言葉などスルーだ。
実のところハイネの町でも男衆にねちねちと嫌味を言われたことすらあるが、リタに嫌味を言う程度の男などにむしろ女性を任せてはおけないと思っている。
アリーが震える手でリタの首元にチョーカーを付け終わると、そうっとリタの髪を背中にさらさらと戻した。
「ありがとう——どう?似合うかしら?」
くるりとアリーを振り返り、にこりと微笑んで首元を見せると、アリーは目をキラキラと輝かせながら「とっても綺麗」と頷いた。
きゃっきゃうふふと楽しそうな二人を遠目に、アインスははぁ、と頭をかきながら大きなため息をついた。
「ねーちゃんホントにあれでよく今まで無事だったな……」
「……そうだね」
アインスの言葉に同意しながら、トレはハインリヒを盗み見た。
ゴルドンやカーン、ゼノと話しているハインリヒはこちらの様子などまったく気にかけていないように背を向けていて、その表情もまったくわからず、腕組みをした右手の一部が背中越しに見えるだけだ。
その手をじっと見つめながら、トレは横のアインスとシェラを見て、ぎゅっと拳を握りしめた。




