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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第一章

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(十一)聖女、急襲される


 フィリシア様が自分に語りかけるとき、いつも背後にあるのは大きな石造りの窓だ。そしていつも夜だったように思う。

 笑顔で色々な話を聞かせてくれる時もあれば、儘ならないことに怒っていたり、力不足を嘆いていることもあった。ここではいつもフィリシア様は自然体だった。自分の前で嘘はなかった。


 でも最近は、この大きな窓からどこかどこか遠くを見つめていることが多くなり、そういう時のフィリシア様はいつだって悲しそうで、見ているととても悲しく辛かった。

 フィリシア様に理由を聞いてもなんでもない、と教えてもらえない。

 自分ではどうにも出来ないことが歯痒くて悔しくて、誰もいないところで泣いた。

 フィリシア様はどうしてあんな表情をするのだろう。

 何がフィリシア様にあんな表情をさせているのだろう。

 そんなことが聞けるのは一人しかいなくて、ぽつりと聞いてはみたけれど、その人も困ったような顔をするだけだった。

 


 * * *


 

 リタ達は裏通りを馬車の停留所に向かって歩いていた。


「なあなあ、おっさん。さっき見かけた屋根付きの綺麗なやつに乗るのか?俺あんな綺麗な馬車のったことねえ」

「あ~。ありゃどこぞの貴族の馬車だろ。馬車便の馬車じゃねえ」

「なんだ違うのか~……」


 後ろから呑気にはしゃぐオルグと、いつの間にかすっかりオルグと打ち解けているゼノの会話が聞こえてくる。


 あの後森の中で振り切ったのに、オーフェの町にも転移後の町にも現れ何度振り切ってもオルグを撒くことが出来なかったのだ。

 ここから馬車に乗ればもうミルデスタに着いてしまう。


 ――ほんとどうしてやろうかしら。そもそもどうして振り切れないの?


 今朝の夢見が悪かったせいで、リタは朝から不機嫌だ。フィリシア様が出てきたように思うのに、珍しく内容を覚えていない。そのこともリタを苛つかせていた。

 弱いから別にいいんだけど、ハンタースはなんだってこの子を追っ手なんかに選んだのかしら。

 二つ名に偽りあり、というか、まあ確かに『ハンタースの狂犬』というだけでは腕が立つのかどうかはわからないけど……


「なあなあ、姐さんはさ〜」

「誰が姐さんよ」


 話しかけてきたオルグの言葉をすげなく切り捨てる。


 そもそも姐さんってなによ。私はあなたの姉でもなんでもないわよ。弟なら間に合ってるわよ。これ以上いらないわよ。


 言葉にはされなかったがお怒りの雰囲気はオルグにもゼノにも伝わった。


「……姐さん今日は機嫌悪いっすね」

「あ〜……まぁ女には色々あるからな」

「違うわよ!関係ないわよ! それよりあなたはどこまでついてくる気?私を捕まえる気ならとっとと消えてちょうだい」


 明後日の勘違いでもっともらしく理解を示すゼノに怒鳴りつけてから、きっ、とオルグを睨み付けた。


「俺もう依頼はやる気ねえよ! でもおっさんがそのままにしとけっていうからさ……」

「こいつに失敗報告させると別の奴がくる可能性があるだろ? ならもうちょいこのままの方が都合いいじゃねえか」


 ゼノの言い分は理解できる。オルグが依頼遂行出来なかったということで、新たに面倒な冒険者が来るとリタにとっても厄介だ。

 だが一緒に行動する必要はないはずだ。


「私達は忙しいの!あなたに魔法の指導なんてやってる暇はないのよ。それに、私だって使える魔法は限られてるの。私じゃなくちゃんとした魔法士に教わる方があなたのためだって言ってるでしょ!?」


 イライラと怒鳴るように言い捨ててしまうのは、このやりとりをもう何度も繰り返しているからだ。

 そもそも攻撃魔法はリタだって使えないのだ。

 自分が指導出来ることなど限られているし、自分が教師に向いているとは思っていない。


「魔法は、今じゃなくてもいい。……オレ、姐さんやおっさんと一緒にいたい」


 しゅん……と項垂れて肩を落とすオルグは狂犬というよりはただの犬で、こんな表情をされたらこちらが悪いのかと、非常に厳しく高いリタの「男に対する優しさハードル」でも、屈服せざるを得ない気持ちになる。

 これはあれだ。弟達に対するのと同じ気持ちだ。

 どうして自分より年上の男相手に弟と同じ対応をしなくちゃならないのよ、と内心呻いているリタを知ってか知らずか、オルグは俯きながらちらちらリタを窺っている。


「まあいいじゃねえか。邪魔にはなってねえし」

「おっさん!」


 ゼノの言葉にぱあっと笑顔になるオルグに額を押さえつつ、リタもため息をついた。

 厄介ごとに巻き込む可能性だってあるというのに——こんなに喜ばれたらもうどうしようもない。ゼノがいいと言うならリタが強くは否定できなかった。


 もう……と思ったとき。


「っ」


 はっとしてリタは咄嗟にしゃがみ込んだ。

 その頭上で空を切る音がする。

 直後にどん、と横に突き飛ばされて、リタは受け身も取れずに転がった。


「くっ」

 ――しまった!


 態勢を整えようと顔をあげ、ゼノが男の蹴りを片腕で受け止めているのを見た。先程リタを突き飛ばしたのはゼノだったのだろう。庇われた。


「――姐さん!」


 慌てた声をあげオルグが駆け寄ってくるが、それに構わずすぐさま跳ね起きた。


 魔力の波動――


 だが、リタの危惧した攻撃魔法は飛んでこなかった。

 いや、正確には飛んできたが、ゼノの一振りで霧散した。


「女相手に叩き込むには、ちっと威力がきついんじゃねえか?」


 ゼノはそう言いながら蹴りを繰り出した坊主頭の男を払うように剣を横になぐと、男はぱっとゼノから距離を置いて構えた。


「おいたの過ぎる聖女には躾が必要だからな」


 カツカツと足音をたてながら、奥の建物の影からモノクルをつけた神父姿の男が現れ、坊主男の隣に並び立った。纏う空気で肌がひりつく。


 ――こいつら、強い


 ごくりと唾を飲み込んで、坊主頭の大男とモノクルの男を睨みつけながらリタは身体強化で身構え、いつでも飛びかかれるように腰を低く落とす。


 ――狙うなら


「お前さん達、暗殺部隊のもんだろ。加減を知らねえ連中を寄越すとは教会も焦れてんな」


 はっ、と馬鹿にするようにゼノが言うと同時に、坊主頭の大男がゼノに向かって殴り掛かった。リタも瞬時にモノクルの男に詰め寄り拳を叩き込むが、男にその腕を掴まれ逆にくるりと投げ飛ばされる。


「っ……」


 地面に背中から叩き付けられ、痛みで一瞬息が止まる。


「てめぇ!姐さんに何すんだ!」


 それをみてオルグがモノクルの男に飛びかかっていったが、瞬時に殴り飛ばされた。


「がっ……!」


 この男、魔法士かと思ったのに体術もかなり強い……!


「足掻くな。うっかり殺して仕舞うだろうが」


 侮蔑を含んだ眼差しでリタを見下ろしながら、凍るような声で男が告げた。


「心を折られるまでやられたいと言うなら止めはしないがな」


 ――こいつ……!


「!」


 ぎりっとリタが歯を食いしばった時、男がばっとリタの側から飛び退いた。直後、男がいた場所を大男の体が飛んでゆき壁に激突した。


「なっ……」

「ランチェス!?」

「――気いつけろよ」


 男の叫び声にかぶさるように投げられたゼノの言葉に、びくりとリタの身体が震えた。


「あまりに酷えことやってると、うっかり殺しちまうだろうが」


 静かに殺気を纏うゼノに気圧され、モノクルの男が一歩後ずさったが、その手に魔力が集まるのを感じてリタは慌てて体を起こした。


「っ!」


 思いの外強く打ち付けられた背中がずきりと痛んだが、そんなことを気にしている場合ではない。


「ゼノ!こいつ無詠唱で――かはっ!」


 リタが叫ぶより速く放たれた火炎魔法がゼノを襲う。それと同時にリタは男に片腕で薙ぎ払われた。先程ゼノが叩き飛ばした坊主男の横まで吹き飛ばされ、転げ落ちる。すぐさまモノクルの男が転移魔法陣を発動させようとして――強烈な一撃を受けて壁に激突した。

 声を上げる間も無く、ゼノに吹き飛ばされたのだ。


「酷えことすんなって言ってんだろうが」


 ゼノの方が圧倒的に速くて強かった。

 もっとも、ゼノの言葉はどちらの耳にも届いていないだろうが。壁にぶつかったまま、どちらもピクリとも動かない。


 さすが、圧倒的な強さね……


 ふらつく頭を押さえながら、なんとか立ち上がろうとするリタの元に、ゼノはゆっくりと歩み寄ってくると、ひょいとリタを抱え上げた。


「ゔっ……」

「無理すんな。しっかり入ったろ。落ちなかっただけすげえもんだ」


 ゼノは片腕でリタを抱え直すと、もう片方の腕でオルグの腰を抱え込み、倒れている二人には目もくれずその場を後にした。


「あいつら……暗殺部隊って……」


 体をゼノに預けたまま、呻くように問うリタに、ああ、とゼノが答える。


「教会にはそうい部署があるんだよ。神殿にもあるがな。正規軍や情報部署、あとなんだ……聖女を探す部署とか。教会の都合の悪いところとか、敵対する連中とかを秘密裏に処理する部署だな。手練ればかりでおまけにネジもぶっ飛んでる」


 忌々しそうに言い捨てるゼノの説明を聞き、背筋が震える。


「……殺したの?」


 斬ったようには見えなかった。リタの問いに、いや、とゼノが軽く頭を振った。


「連中に殺す気はなかったみたいだからな」


 オルグも無事だしな、との言葉に少しほっとしながらも、弟たちのことに思いを馳せた。


 あんな連中がもしも弟達を捕まえに動いたら……

 ありえないとは言えない。

 自分ですらこの体たらく。弟達が敵うわけがない。


「どうしよう……」


 思わずぽろりと弱音がこぼれた。


 父だけでなく、弟達にまで何かあったら――

 今さらながらに、教会に楯突くことの恐ろしさを実感した。

 無事に合流できてもその後は?自分の力ではきっと守りきれない。

 ぶるりと身体を震わせてぎゅっと目を閉じた。

 これ以上、家族を危険な目に巻き込みたくない――


「心配すんな」


 ゼノの穏やかな声が耳元で聞こえて、そっとリタは目を開いた。

 いつの間にか広場に来ていたようだ。

 広場の木陰にあるベンチに未だ気を失っているオルグを下ろし、リタをそっとベンチに座らせると、ぽんぽん、と優しく頭を撫でた。

 何故だかそれだけで、ふわ、と安心感に包まれ、リタは自然と涙がにじむのを堪えるようにぎゅっと唇を噛みしめた。


「俺はお前さんの味方だし、ハインリヒもお前さんに手を貸すって言ってる。一人で戦う必要はねえんだ」


 安堵感と、懐かしさ。

 ――見た目が父と同じぐらいの年齢だからかしら


「……ありがとう。少し舐めていたのかもしれないわ」

「連中の方が経験値が高えからな。それに――容赦がねえ」

 まあ、今回は流石に暗器は使ってなかったがな。


 そう言われてゾッとする。

 確かに。殺す気であればリタは命を落としていた。殺す気がなくてこの状態だ。

 連中からは「生きて」さえいれば、いくら怪我をさせても問題ないというのが見て取れた。事実そう言っていた。


 彼らはリタを屈服させることが仕事なのだ。

 気持ちを切り替えなければ。

 ぎゅっと拳を握りしめる。


「……ぅう゛……」


 隣にいたオルグが小さく身じろぎし、次いで凄い勢いで飛び起きた。


「姐さん!」

「ここにいるわ」

「ほわっ!? え、おっさんも――あれ?あいつらは??」


 気絶から復活してすぐに、よくこんなに動けるわね、と妙な点に感心しながら「怪我はどう?」と確認すれば、オルグはきょとんと首を傾げてから、頭を振った。


「なんともねえよ。オレ、頑丈だから」


 手加減されてたのかしら?と思いながらも、いや、あの連中がそんなわけないと即座に否定する。


「でもこれでわかったでしょ?私と一緒にいると、またあんな連中と遭遇するわよ。だからさっさと離れなさい」

「やだ」


 リタの提案を即座に拒否して、オルグはゼノに向き直った。


「オレ、次はやられねえように頑張るよ!勝てなくても姐さんの盾になるから!一緒にいてもいいだろ?なあ、おっさん!」

「そうじゃないわよ。あなたが危ないと――」

「いいんじゃねえか」


 見当はずれの言い訳を否定するリタの言葉を無視して、ゼノがまたしてもあっさりと承諾する。


「やった!おっさんありがとう!」

「ちょっとゼノ!」


 まとわりつくオルグといきりたつリタを落ち着けといなしながら


「どうせ来るなって言ったって無駄だろ?それに、あいつらとやり合って怯えてねえなら問題ないさ」

「それはそうだけど……」


 あいつらのヤバさがわかってないだけじゃないかしら、と内心で訝しむ。そんなリタにゼノは苦笑した。


「大丈夫だろ。お前さんが考えてるよりもずっと、こいつはわかってるさ」


 な、とオルグの頭をぽんぽんと叩くゼノに、まるで飼い主に褒められた犬のように、オルグが嬉しそうにこくこくと頷いてみせた。


「……あなた達いつの間にそんなに仲良くなってたの?」

 そういえばゼノは森の中からオルグに甘かった気がする。


 じとりとした目で二人を見やると、オルグが何を勘違いしたのか慌てて否定しだした。


「ち、違う!姐さんからおっさんを取ったりしねえよ!」

「誤解を招く言い方しないで!ゼノとはただの雇用関係よ!!」


 んもう!と怒りながらも、先程までの沈んだ気持ちがなくなっていることに気づいて、リタも馬鹿馬鹿しくなってため息をついた。


「それと、ついてくる気なら姐さんはやめて。リタでいいわよ」


 私はあなたの姉でもなんでもないんですからね、と付け加えるリタに、ぱあっとオルグが満面の笑みを浮かべた。


「リタ!――リタ!」

「何よ」

「えへへへ。――リタ!」

「だから何よ!」


 リタの名を呼びながらくるくる回るオルグと、それをいちいち怒りながら相手するリタを見ながら、ゼノはほのぼのと頷いた。


「やっぱあいつ、ポチだなあ」



投稿ミスっても気づけるように、投稿時間を変更しました。

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