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プロローグ

 手にした大剣をホルダーに収めると流れる汗を乱暴に拭う。

 今し方切り捨てた幽鬼がまるで真夏の太陽に焼かれたかのように霧散するのを見やってから、ひりつくような暑さに目を眇めて、ゼノは空を見上げた。

 大した相手ではなかったが、この境界近くまで逃げ込まれたのを追うのに手間取った。


「暑い……」

「夏だからねぇ」


 投げやりに呟いた言葉にのほほんとした応えがすぐ近くから聞こえ、ゼノは一瞬体を強ばらせた。

 振り返らなくても誰だかはよくわかっている。


 なんでこいつは気配を殺して現れるかね……


 のろのろと振り返り、またもぎょっとして固まった。

 ピンクのクマ。

 目の前に、痛いほどのピンク色のクマがいた。

 被り物だ。もちろん本物ではない。


 わかっていても心臓に悪い……


 ひくり、と口の端を戦慄かせながら相手から一歩距離をとった。

 こんな巫山戯た被り物をしているのはいつものことなので今更だが、これほど目立つ被り物なら、幽鬼を追っている時に絶対に目に入っているはずだ。

 ゼノは剣士として相当腕が立ち、誰であろうとも遅れを取らない自信がある。事実、他の人間でも幽鬼でも、ましてや突然現れることが常の高位魔族であっても、ゼノはある程度の気配を感じとれた。

 なのに、この被り物の主だけは、いつまでたっても気配を感じ取れない。この「感じとれない」という状況には慣れることがなかった。

 もっとも、この被り物の主はゼノの敵には当たらないので、命の危険はないのだが……


 ――やっぱ慣れねえな。


 ひやりと肝が冷える感覚は好ましくないが、ゼノにとっては自分を慢心させない、貴重な相手であるとの認識はある。

 認識はあるが――

 今日はまた目立つ頭だな……と、ピンク色から目をそらしつつ、


「……お前、暑くねぇのか?」


 と、ゼノが呆れたように彼――デュティに問うたのは、彼が年中変わらず黒いマントに頭には被り物を被っているからだ。

 自分にとっていつまでも油断ならない相手が、常に被り物を被り続けている巫山戯たヤツだというのが少々いただけないが、自分のまわりは癖ものばかりなので今更だ。

 デュティは、素顔を見た者はいないと言っても過言ではないほど、常になんらかの被り物をつけている。

 事実、長い付き合いになるゼノでも彼の素顔を見たことがない。

 ゼノはドン引きするのだが、子どもや女性には「可愛い」と人気があるというのだから、もう「可愛い」とはなんなのかゼノには理解できない。

 今日はクマだった。

 繰り返すが鮮やかなピンクのクマだ。

 しかも笑顔だ。 

 鮮やかすぎるピンクを視界に入れないように思わず顔をしかめたゼノに、クマが――実際には中のデュティが――笑った。


「ぼくの周りだけ温度調節魔法を使ってるからね~。被っていても平気だよ」

「その無駄な努力がわけ分からん。取っちまったほうが楽だろうに」

「溶けちゃうからねぇ」


 のほほん、と返ってきたのは彼のいつもながらの巫山戯た答えだ。どれだけ追及してもこういった答え以外返ってこないのはいつものこと。

 今更そんなことはゼノだってどうでもいいのだが、いかんせん、この暑さでは本人は良くても見ているだけで暑苦しい。


「視覚の暴力だっての。見てるだけでこっちも暑くならぁ。おまけにその色は目に刺さる!」

「じゃあ明日は雪だるまにしておくよ」

「いや、被り物外せや」

「これはぼくの個性だからねぇ」


 個性かどうかはともかく、こんな被り物をつけているのはこの男だけなので、遠目からでも確かにわかる。

 しかもこの被り物は日によってはウサギだったりオオカミだったりするのだ。おまけに表情や色に違いもあるのだから、変なところで凝り性なのは間違いない。


 ——そんなもん意味がないほど気配消す癖に……


 デュティの被り物は趣味なのか個性なのか単に顔を隠すためなのか、ゼノのあずかり知らぬところだが、これ以上追及してもどのみち徒労に終わるので、デュティから視線を外すと、彼を放って木陰に移動した。デュティがとことこと後に続く。



 この街をぐるりと囲み境界線のように存在する森は特殊な結界が張ってあり、奥に突き進んでもまた街の中に帰って来るという特性を持つ。ただどこに出てくるのかは不明で、街の住人で森を突っ切る者はいないし、ゼノのように理由がなければこの境界の森に近づく者は存在しない。魔物や野獣が現れることはないが、この地特有の幽鬼はこの森付近に特に現れやすいので、街の住人は避けるのが常だ。

 ゼノは森の入口付近の木陰に入ると、木にもたれて街を振り仰いだ。


「で? なんか用があるんじゃねえのか?」


 ゼノはデュティに目を合わせる事なく、自分の横で同じように街の方向を見遣る男に問いかけた。

 中央にそびえ立つ塔を中心に円形状に広がるこの街は、「ユーティリシアの箱庭」と世間では呼ばれている。ユーティリシアがなんなのかゼノは知らないが、ここが箱庭と云われる所以は、この森と塔の中にある門で外界から遮断され、この中では外界とは異なる時間が流れているためである。

 正確には、箱庭の中の時間ではなく、箱庭の住民の身体的時間が恐ろしく緩やかなのだ。外界の人間からすれば、箱庭の住民は不老長寿で、箱庭は神々が創った楽園だとまことしやかに噂されているらしい。

 実際の住民は不老ではなく長寿なだけで、老いもするし死も訪れる。

 外界でそのように噂される理由もゼノは知っている。


 ――楽園かどうかは別として。


 塔をぼんやりと見上げながらゼノは思う。 

 確かに特殊な場所だ。

 ゼノ自身が特殊な状況のもとにいる上にこの街の理とは無縁なので、この箱庭の特殊性を体感することはないが、外界と異なることはよくわかる。


 ——ただまぁ。


「そうそう。ゼノに頼み事があって来たんだよ」


 にこにこと――もちろん笑っているのは被り物だ――笑いながら言うデュティに、ゼノは胡乱げな視線を向けた。

 常に被り物で顔を隠す、巫山戯た男。

 恐ろしく強大な魔力を有し、非常に複雑で緻密な魔術を操る、この世界で随一の魔術の使い手だ。

 彼の許可なくば箱庭の中に入ることも、出ることすらもできない。

 それを長い年月、この世界に対して為し得る力と智惠と時間を持つ唯一の存在。

 この箱庭の管理者。 ——なのだが。


 ——変な生き物がいるのは確かだな。


 ゼノからの評価はこんな残念な形になっていた。

始めてしまった……。

大丈夫かなと心配しつつ、マイペースで投稿していきます。

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