第二話 鹿と一緒に果実を積もう
ああ、古き森の精霊、尊き御方! その力強き腕に抱きかかえられることを、夢見ることか!
――森に住む尖耳族に伝わる祝詞の一部――
「ねえ、リエッタさん。ここへ来たついでに一緒に採取、そう、森へ採取に行ってみない」
朝食を終え、手土産を渡し用は済んだが、若干まったりとしていたリエッタは「ああ、先ほどの話が蒸しかえったな」と内心でつぶやいた。
あの後ヤーナは朝食をとりながらリエッタ達の家族が約束通り集落に移り住んでくれたことに感謝しつつ、まだ日も浅く周辺、特にこの森のことについては知らないことが多いだろうから、ヤーナが知っている採取場所を教えるという。
「私もそれなりの歳だけど、この森の恵みが採れる場所をしっかりと教えた人は、そう、まだいないの」
競争相手もいないから、あなたの稼ぐ手段にもなるでしょうと、微笑みながらヤーナはリエッタに提案してくる。
「でも、集落の他の人に教えればいいじゃない。なにも、新参者の私にあえて教える必要はないとおもうけど?」
リエッタはヤーナの提案に疑問を持ち、腕を組み小首をかしげる。
おいしい採取場所を教えられることは願ってもないが、その為に以前から集落に住んでいる達から、ねたまれて余計ないざこざに発展するのは敵わない。
それに、この老婆の知る採取場所が、老婆の考える稼げると、世間一般でいう稼げるの感覚は、多分違うと思われる。
リエッタは断る意味でヤーナに答えたが、老婆はにこやかな顔で首を横に振る。
「今いる集落の人達だとね、森の奥へ行くには少し心許ないの。その点、リエッタさんは尖耳人でしょう。森で行動することについては他の人族に比べて長けているわよね」
いずれにしてもと、ヤーナはリエッタの足元の手さげの籠を指さして
「貴方が思う通り、ロミィを担いでくれた人のところへお土産を渡しに行くのは、自分の足で赴いたほうが良いとおもうわ」
――尖耳族は他の人族と比べ寿命は長いが、繁殖能力は低いため人口は少ない。痩躯で美形、霊力保有量が多く、霊術に長ける――
「まあ、この辺りはヤーナさんが知ることと概ねあっているけど、森の中の行動にすべての尖耳人族が長けているわけではないの」
あらあらそうなのと、穏やかな声で顔を向けることもなく、先を行くヤーナはリエッタの話に相づちで答える。
(まあ、それでも他の人族に比べればマシだろうけど)
と、リエッタは内心でつぶやく。
尖耳人族も長い時が経つにつれ、森にだけ住むわけではなくなった。
各々が住む部落を離れ、街に移り住むものもいるし、リエッタのように旅を続ける者もいる。中には賊に身を落とす者もいるしだいだ。
そして、かたくなに森に住み続ける一族の言い分は『森の主へ仕えるため』だという。
リエッタの住んでいた部落の長も同じことを言っていたが、実際にこの目で森の主の姿を見たものは、部落の世代ではいなかったようだ。
定期的に祭や儀式をすることもなく、森の恵みを採取し、日常に必要な物を作り、時折沸いてくる怪物や怪異を討伐して、生き続けるだけの日々を過ごす。
リエッタはそのような生活に嫌気がさして部落を後にした典型的な尖耳人の一人といえる。
(でも、まあ、結婚もしたし、娘もできたから、いい加減顔でも見せに戻ってみるかな……)
ヤーナの歳をとったからの言葉を聞き、リエッタもそういえば部落を後にしてから少しだけ時間が経ったなあと思った。
そしてリエッタより短い時間しか過ごしていないはずの普人族の老婆の背を見つめて、改めて声をかける。
「ねえ、ヤーナさん。本当に私のロミィを担いでくれたという貴方の友人は、森の奥に住む尖耳の人なの?」
わずかな木漏れ日が差す、深い森の中、地面から張り出す樹の根、落ち積もった枯れ葉、滑りやすい苔をものともせずに、それなりの速度で歩き続けながらも老婆はリエッタに答えてくる。
「ええ、そうよ、私の知る大切な友人。森のことを教えてくれた、そう、先生とも言えるわ」
ヤーナの返答を聞き、リエッタは訝しむ。森の奥に住む尖耳なら、まず、間違いなく、森の外に住む人族に対して排他的なはずだ。ましてや、ものを教えることなど、余程のことがなければないはず。
(まあ、変り者がいてもおかしくはないでしょうし)
それにしてもと、リエッタは改めて思う。
リエッタは病が癒えたあとロミィからヤーナに付いていくも、付いていけず、途中ではぐれたと聞き、若い男が情けないとため息をついて少し呆れた。
しかし、これでは、普通の人ではとても付いていけないわけだと、歩きがたい森の中を、悠々と歩みを進める老婆の体力に内心で舌を巻く。
(家に戻ったら、頭でもなでてやるかな)
と、リエッタは子ども扱いをするなとむくれるであろう、歳若い自分の旦那の顔を思い浮かべつつ先を行くヤーナの後を追うのであった。
途中途中で採取のポイントを教えてもらいながらも、リエッタはヤーナの先導の元で最終的な目的地に到着する。
「シュの実が、食用油の元だとはねえ。味もそっけもなくて誰も見向きもしない木の実なのに……」
リエッタは布袋にある採取したシュの実を眺めて感心した様子を見せる。
「大きな鍋で炒って、布袋に入れて潰せば油が採れるから試してみて。でも、そう、それなりの量がいるから。それくらいだと小瓶に一本くらいかしら」
ヤーナはそう言うが、教えてくれた採取場所ならそれなりの量が採れるだろうから問題はない。
「それよりも、ここで待てばヤーナさんの言う人はくるのかしら」
「ええ、そう、大丈夫よ。ほら、来たわ」
ヤーナの目線の先から、薄暗い樹々の間を怪異の影が現れるように、色白い肌に質素な衣服を身にまとう尖耳の男が歩んできた。
「久しいなヤーナ殿。本日はどのようなご用件か」
堅苦しい言葉使いで、表情を変えることもなく男はヤーナへ言葉をかける。
ただ、普人族のヤーナや連れてきた部外者のリエッタに対して、警戒や嫌悪、見下すような雰囲気は感じられない。逆に、客人を丁寧に迎える様子が伺える。
「いえね、先日、森の中で普人族の若い男性を助けてくれたお礼をね、そう、こちら、その男性と契りを交わしたリエッタさんがね、お礼を手渡したいということなの」
リエッタへ二人が顔を向ける。にこやかなヤーナに対して、少しだけ驚いた様子の表情を見せる森の尖耳人の男に対して、リエッタはしどろもどろになりながらも挨拶とお礼の言葉をかける。
「え、ええ。は、初めまして私はリエッタ。以前は旅を続けていたのだけど、今はこの森の先にある集落へ家族と一緒に移り住んでいるわ。先日は私の大切なロミィを助けていただいてありがとう。こちらはお礼の赤ワイン。甘くておいしいわ」
リエッタは籠からワインの瓶を取り出し男に手渡す。男は苦笑いを浮かべてワインを受け取り、礼を述べる。
「確かにお預かりした。だが、珍しいな普人族の男と契りを結ぶか。時の酷を苦とはしないのか」
男の言葉に、肩をすくめてリエッタは答える。
「旅や、街に住む尖耳はそれも仕方がないと受け止めているわ。大切な人達と共に時を歩んだことをうれしく思い、また、大事な記憶とする。それでいいじゃないかしら」
リエッタは年老いたヤーナを見て、ニコリと笑う。男は穏やかな表情でリエッタの言葉に頷く。
そして、リエッタは『ん?』 と男の言葉を思い返し、改めて男に問いかける。
「預かる? 貴方がロミィを運んでくれたのではないの?」
リエッタの言葉に男は再度、苦笑いを浮かべたまま、首を横に首を振る。
「違うな。私の役目は『深い森の見張り番』。尊き方の住む地へ許しなき者が向かわないようにするのが役目。余計な人助けはしない」
はあ、とリエッタは堅苦しい言葉の返答に呆けた顔を向ける。意味が分かりかねないため、首を傾げ、ヤーナへと目を向ける。
「ええ、そう、彼は私の友人のお世話をしている人なのよ。友人はね、あまり、人の前に姿を見せることがないの」
リエッタはヤーナの言葉でさらに首を傾げる。腕を組み思い悩む。だが、森の男の言葉が意味するところへ徐々に考えが至り、自分の顔色が少しずつ悪くなっているのを感じ始めた。
深い森に住む尖耳族が『尊き方』と呼ぶ人。住んでいた部落では教えられてはいたが、見ることのなかった『森の主』と呼ばれる、古き存在。
「……まさか、古の御方様じゃあないわよね」
「うらやましい限りだ。お前の連れ合いはわずかながらも、森の精霊に触れ、加護を得た」
笑みを浮かべた男の前でリエッタは膝から崩れ落ち、地に手を着く。ヤーナが口に手を当てて、あらあらと驚いている。
否定がなかった。古の御方様。森の主にして精霊とも呼ばれるほど、悠久の時を生きる力強き古代の尖耳族。幻ともいえる存在。
(帰ったら、頭引っ叩いてやる!)
よりにもよって、尖耳族が崇めるような存在の手を煩わせ、助けられ、あまつさえ触れて加護までも得た若い旦那に対する恨み節を内心で唱えるリエッタであった。