第七話 未明の報い
「大変、お世話になりました」
ロミィとリエッタはヤーナに向けて深々と頭を下げる。両親の様子を見ていた娘のシェイアも、慣れない様子で頭を小さく下げる。
「気にしないでいいの。そう、気にしないで」
ヤーナは微笑み、直ぐに頭を上げたシェイアの視線に合わせて屈み、頭を優しくなでる。シェイアは気持ちよさそうに目を細め、かき分けられた髪の間から、嬉しさからか長く尖った耳が揺れ動く。
ヤーナの傍らにはドーナが佇む。気付いたシェイアはドーナに笑顔を向ける。
「ドーナちゃん、又、遊ぼうね」
「うん」
陽気で屈託なく笑うシェイアと、言葉少なく表情の乏しいドーナ。意外にも二人は仲良くなった。
療養の期間中、元気になり外で遊びたがるシェイアの相手をドーナがしていた。両親は森の奥深くには向かわせないように気を配るなか、にこやかに微笑むヤーナから見守られながら、二人は小屋の周りで毎日遊んでいた。
ロミィはリエッタに事情を説明した。そして、ヤーナの薬で、一命を取り止めたことを知る。
始めは頷いていただけだったリエッタが、ロミィが語るヤーナの薬を作る過程の内容を聞き始めると、怪訝な顔になり、話の最後では頭を抱えていた。
リエッタはヤーナの水薬の作り方を聞いたことがなかった。毒草と怪物の毒を合わせて、毒消しの作用にする。
リエッタは旅の尖耳族として、自分自身が長いこと生き、旅を続け、それなりの怪物狩人になり、それなりに知識を蓄えていると自負をしている。
ヤーナが言うような怪物の肉を食う習慣がある国も知っている。だが、怪物の毒線を薬に変えるような技術は知らない。あったとしても軽々しく教える類の物ではない。
ロミィはそれなりの価値がある水薬の類のように言うが、リエッタが抱いた印象は違う。最低でもかなり高級な類の高品質な水薬、悪ければ霊薬に近いもの。
(一生かかっても支払える金額ではないわよね……)
目の前にいる優しい微笑みをたたえる老婆から、どれだけの金額の請求が来るのかと思うと、命は助かったがどうしたものかと内心で冷や汗をかく。
「必ず、代金は支払います」
隣に立つ、自分の夫、ロミィは真摯な眼差しをヤーナに向けている。無知から来る夫のまじめな態度は快くもあるが、苛立たしさも感じえない。
ただ、自分の身を助けるがためにさせてしまったことなのだから感謝はしても、文句を言うことはできない。
「そうそう、お代のこと。そう、忘れていたわ」
ロミィの言葉にヤーナは思い出したように柔和な笑顔で答える。一層の事、忘れていてもらいたかった思いつつ、リエッタは身構える。
「これはね、お二人に、いえ、そう、ロミィさんのご家族に相談なのだけどね」
リエッタはヤーナの笑顔が不気味に思えてくる。家族を巻き込んでしなければならない程の金額をどう支払わせるつもりなのか。
リエッタは息を飲む。ロミィはヤーナの言葉を待つ。シェイアはドーナと別れを惜しんでいる。
「皆さん、もし、良ければ、私の居る集落に移り住んでもらいたいの。そう、集落の皆からは賛同を得ているは。木工職人がいないのよ」
ヤーナの言葉を聞き、ロミィとリエッタは首を傾げる。代金の話ではなかったのか? 始めは意味が判らなかったシェイアが同じように首を傾げたあと、目を輝かせてドーナの両手を取る。
「ドーナちゃん! 又、一緒に遊べるよ!」
「ちょっ、待ちなさい! シェイア! ヤーナさん、水薬のお代の話でしたよね? 私達が移り住むって、いえ、反対ではないけれど」
村から外しにあったロミィ達としては、願ってもないことだ。しかし、移り住む条件が奴隷のような扱いにされるのではないかとリエッタは考え、ヤーナに改めて問い掛ける。
「いえ、先程言った通りよ。木工職人がいないのよ。職人が移り住んでくれるのなら、水薬の代金なんていらないわ。そう、安いものよ」
ヤーナは両手を握り、ロミィ達に水薬の代金の代わりに移り住まないかと再び持ちかける。リエッタは混乱をしている。ロミィは手を顎に当ててて考え込む。
「……ヤーナさんは私の木工職人としての技術を求めているのですね。今いる、村を捨てて、移り住むことで、代金の立替えにしてくださると」
ロミィは悩む。両親共々暮らし続けていた村を捨てて良いものかと。村長達は良くしてくれた。ただ、自分と同世代の者達からは邪険に扱われた。
妻の命の恩人からの願い。なら、断るはずもなく
「移り住むわよ、ロミィ! 村外れに住む暮らしより、よっぽど、端の集落の方がマシよ」
ロミィが返事をするよりも早く、リエッタが勢いよく了承の返事をしてしまう。
「えっ、リエッタ、いや、反対ではないけど」
「なら賛成ね。村長のバカ息子達には愛想も尽きていたのよ。早速移住の支度を始めましょう! ヤーナさん、ありがとう。これからもお世話になります」
リエッタの言葉を聞き、シェイアは諸手を上げて喜ぶ。ロミィは戸惑いながらも、安堵の笑みを浮かべ頭をかきつつヤーナへと軽く頭を下げる。
リエッタに急かされ、ロミィ達は村からの移住のために自分達の家財道具を取りに戻る。
来た時とは違い、明るく朗らかな笑みを浮かべながら、愛する家族と共に、道を進んでいくロミィであった。
「クソッ! 否人の一家、勝手に村から出ていきやがって……」
暗い夜道。手に持つ灯りがなければ足元も周囲も見通せないほどの遅いころ。後ろからは今まで一緒に飲み明かしていた連中が、下卑た笑いをたてながら付いてくる。村長の息子である若者は気に入らなさそうに舌打ちをして、路傍の石を蹴り飛ばす。
美しい尖耳の女と契りを交わした、村で唯一の木工職人の若造。
気に入らなかった。次期村長である自分を差し置いて美女と共に暮らし、子供まで授かるなんて。
(俺だって、いい女と寝たことくらいはあるけどな!)
尖耳の女、リエッタの顔を思い浮かべ劣情を催す。一度でいいから、あの小生意気な態度をしおらしくさせたかったが、もう、それも叶わない。
唾を吐く。酔いはしているが、気持ちよくはない。苛立ちを隠せない。しかし、周りの連中はそんな気も知らずに、人の金で酒を飲み、否人が出ていったと囃し立て、ばか騒ぎをしていた。
村長の跡を継ぎ、村を手に入れ、そこからさらに伸し上がり、貴族になってやる。若者は自分の将来を思い描いていた。自分はそれだけの器であると信じている。
後ろにいる連中は、その為の駒だ。戦が始まった時に連れて行く自分の捨て駒だ。馬鹿な連中だが、矢除けの盾くらいにはなるだろう。いずれは、もっと有力な駒も手に入れる。
狙っていた、尖耳の女は手に入らなかった。腕利きの怪物狩人で美女。うってつけの持ち駒になると信じて已まなかった。
しかし、実際はしょぼくれた木工職人の若造に横からかすめ取られてしまった。
(そもそも、アイツは俺になびきもしないで、親父達のご機嫌ばっかり伺いやがって……)
ロミィへの悪感情に改めて駆られ始めたとき、ふと、気付く。後ろにいた連中の声がしない。立ち止まり振り向くと、夜の闇が見えるばかりで、小さな灯も人の姿も見えない。
「ワインの瓶の底に、そう、鉛の板があったわ」
前から急に落ち着いた声が届く。慌てて、前に振りかえる。ボゥっと、闇の中に小柄な人影が浮かぶ。手にランプの明かりを持っている。
「だ、誰だ!」
「鉱毒に弱い、そう、尖耳族の人の飲み物に入れるものではないわ」
「な、なんのことだ!」
若者は腰に差してある小さな棒を手に取り構える。小柄で、しわがれた女の声。婆だ。なんてことはない。叩きのめせばいいだけだ。
腰の帯に差している、短い棒に手を掛ける。頭を叩き割り、死体は草むらに放り込めば、野犬か怪物が処理をしてくれる。若者は老婆に近づこうと、足をすり、前へ出ようとして転んだ。
「えっ、な」
足元から痺れが起きる。不快な痺れ。徐々に、上半身へと痺れは向かって来る。膝が折れ、地につき、立ち上がることが出来ない。
幽鬼の様に立つ、闇に隠れた老婆のおぼろげな姿が恐ろしいものへと変化したように見え、命の危機を感じ始める。
「な、なあ! 誰だか知らねえが、さっき、あんたが言った事は、そう、ちょっとしたいたずらのつもりだったんだ! あの、若造が大げさに騒いだだけで、女の容態も直ぐに良くなるはずだった……」
リエッタから相手にされなくなった腹いせだった。通りすがりの行商人から仕入れた鉛の板。親父が渡すワインの瓶の底に密かにと仕込んでおいた。
「そう。そうなの。でもね、あの鉛板には呪いも混じっていたわ。とても、いたずらの類で済む話にはならないの」
「う、嘘だ! 少し、気分がすぐれなくなる程度のはず……」
誰が言った? 行商人だったか? それとも、後ろにいた連中の誰かだったか? 受け取ったのは覚えている。代金も支払った。夜中にこっそりと仕込んだことも覚えている。
「貴方にとっては悪戯ていど。あの人達にとっては生死にかかわる問題だった。だけど、そう、誰も罪を問うことはできない」
病は癒えてしまったから。老婆は呟く。その言葉が耳に入り、若者は安堵する。己の罪が、帳消しになったから。
だが、何故、たかが否人の生き死にのせいで、自分が問い詰められなければならないのか。不満は残るが、もう、これで
「それでも、そう、罰は受けなければいけないの。行った結果に伴う、それ相応の報いは必要だと思うわ」
近付く老婆の手元の明かりから、うっすらと煙が立ち昇り続けている。明かりに照らされ、輪郭がはっきりとし始めた、老婆の顔をみると、不気味な面体を付けている。
気が付けば、悲鳴をあげたくても上げられない。痺れが全身に回っている。呂律も回らない。意識が混濁としていく。倒れる自分の傍らに、老婆が佇む。そして、耳元で声を掛けられ――
「気が付けば、全裸で縛られていたというわけか」
村の広場の一角で、村長と他の村民に囲まれて、村長の息子と取り巻き達は縛られたまま、ことの経緯を説明した。
胸から下げられた木簡に息子がしでかしたことが書きつられれている。
文字が読める村長が呼ばれるまで息子たちは、自分達に否がないことをひたすらに叫んでいた。
木簡に書かれていることが真実か否かはわからないが、木工職人の若者と家族が村を立ち去ったのは事実だ。
息子が率いる若造どもの声が大きくなり、村外しをせざるを得なかったが、年配の者達は本意ではなかった。
尖耳族のリエッタを否人と呼ぶことも違和感しか感じなかったが、次の世代との軋轢を避けるためにも、あえて外し者として扱ってしまった。
時がたてばまた、悪い感情も薄れるかと思っていたが、思惑よりも早急に良くないほうへと事態は動いてしまっていた。
「親父! 俺は悪くはない! 俺のやったことは村の将来のため」
「馬鹿を言え! 貴重な技術を持つ者を蔑ろにして、ましてや家族の命を悪戯半分で奪うことが何の役に立つ!」
息子の考えの浅はかさ、罪の希薄さに怒りを覚え、どやしつける。怒声を浴びせられた息子は、怒られたことに驚くも、顔をしかめ黙り込み、反省をする気配もない。その態度を見て村長はため息をつき、首を横に振る。
「若い連中を引き連れて、仕事もしないで飲んだくれる。いずれは、心を改めて、皆を率いてくれるものとも思っていたが、甘くはなかったか。今のお前に村を任せることはできん」
「なあ、親父、あんた息子の言葉よりもこんな怪しげな木簡の内容を信じるのか? そもそも、否人がどうこうなろうと、どうでもいいこと――」
にやけた顔をして、尖耳族を否人と差別し、自らが有能だと、将来は村を大きくして貴族になるのだと息子は語り始める。
以前はこんな人間ではなかったが、いつからかおかしくなった。木工職人の若者とも軋轢はなかった。リエッタが来た時も、怪物大蛇が討ち取られた時も、リエッタが若者と添い遂げた時も、シェイアが生まれた時は、自分と一緒に言祝ぎもしたはずだ。
なぜ、こんなに、他人を陥れて憎むようになったのか、原因はわからないが、人としてやってはいけないことをしたのは事実だ。
「なあ、信じてくれよ! 俺は悪いことはしていないはずだ!」
「黙れ! ただの木簡であれば書かれていることに信憑性がないと思ったが、木簡の焼き印は本物だ。焼き印の主が、お前達のことの裁定をして、罪科を私に委ねた。なら、私はお前たちに処罰を与えなければならない。……村から追放だ。あとは森の主に運命を委ねる。連れて行け」
村長は固く目を閉じ、口惜し気に息子たちへの処罰を言い渡す。取り巻きの家族たちも、目を向けるが致し方がないとうなだれる。若者たちは、村長の言葉を聞き目を見開き、つばを飲み込み、閉口するが、すぐにわめき始める。
「おい、親父! 追放はないだろう? しかも、森へ放置するのか!正気か? 俺は、跡取り息子だぞ!
次の村長はどうする気だ?!」
「兵隊になった弟を呼び戻す。今のお前より、よっぽどマシだ。さあ、皆、こいつらの衣類をまとめて、連れて行け。二度と、村の敷居を跨がせるな」
そう言って踵を返し、わめきたてる息子達に背を向けその場を立ち去る。若者たちの首からは新たに『村から追放』の木簡が掲げられる。
家族以外の村民達が脱がされて放置されていた衣服を手に持ち、全裸で縛られたまま動こうとしない若者たちの縄を無理やり牽き村の外へと連れていく。
縄を切れば襲い掛かってくるだろうから、そのまま森の中へと放置される。足は動くから、最低限逃げることはできる。
いずれ、誰かが縄をほどくかもしれない。ただ、人の出入りの少ない森の中で、誰かと行き会うことはないかもしれない。あったとしても、首から掲げられた木簡を見て助けようとするお人よしはいないだろう。
自分の息子がしでかしたことを悔やみ、村の長として裁定をしなければいけなかったことに心苦しむ。隣でむせび泣く妻を見て、己の息子へ下した判断に自ら落胆し、ため息が出る。
木簡に刻まれた焼き印を見る。端の集落のさらに奥の森で住む、先日出会った、薬草婆さんが使う焼き印。周辺の村長達なら誰もが知っている。
作物や家畜から流行り病まで、あらゆる病に対応して薬を作りもたらしてくれる貴重な存在。今まで幾度も頼りにして助けてもらった恩人だ。最近は大きな病が知らされていなかったため、まさか、自分の治める村の、木工職人の家族が世話になるとは思ってもいなかった。
改めて、此度のことについての詫びとお礼に向かわなければならない。祝いの品は、やはり、赤いワインか。ただ、素直に受け取ってもらえるかが心配だ。