第六話 朝の回復
ゆっくりと目が覚める。疲れは多少残るが、起き上がれないほどでもなく、若干重い寝覚め。体を起こし、周囲を見渡す。石造りの壁、様々な乾燥した草花、棚に収まる瓶や壺の数々、得体のしれない何かが吊り下がっている部屋の中。
窓がないため、今がいつ頃なのかが分からない。周囲を見渡しても、眠りに落ちるまで薬作りをしていた老婆、ヤーナの姿がない。
起き上がり、妻子が伏せる床へと向かう。一体どれくらい寝てしまったのか。多分、普通に寝てしまったはずだ。妻子のそばでヤーナと子供、確かドーナと言われていた二人が薬を水差しから飲ましている。
苦しむ妻のリエッタからどす黒い汗が噴き出す。その様子を目撃し、やはり、毒だったのか、騙されたのかと心が乱れる。ロミィに気づいたヤーナが振り向き、人を安心させる微笑みを向ける。
「あらあら、起きたのね。ちょうどよかった。そう、安心して。排尿も見られたから体内の毒素は抜け始めたわ」
ヤーナはやさしく微笑んだまま、妻と娘はもう大丈夫だと告げた。二人の顔を見ると、今まで苦しんでいたのがウソのように呼吸が整い、安らかな寝息を立てて眠っている。
ロミィはまた、へたり込む。二人が助かったという安堵の思いから、疑心から張られた緊張の糸がプッツリと切れてしまった。
「さあさあ、ドーナ、二人の汗を拭いて。私は、そう、シーツや下履きの替えを用意するわ。ロミィさんはこちらへきて、もうしばらく休んでいて頂戴」
ヤーナの後から、窓のない部屋の階段を昇り、上の部屋へと向かう。部屋から出るとランプの光ではない、柔らかな日差しが窓から差し込んでいる。
もう、朝だったのだ。
ヤーナに勧められるまま椅子へ座り、窓の朝日を見て、ロミィは安堵の涙を流す。
「ヤーナさん、リエッタは、シェイアは本当に――」
「ええ、大丈夫。もう大丈夫よ。そう、体内の鉱毒が排出され始めたから。でも、まだ、しばらくはここで療養をしてもらうわ。鉱毒を全部だして、消耗した体力を回復させないと」
そう告げるとヤーナは二人の着替えを用意するといってまた、別の部屋へと向かう。
内心から溢れる安堵の気持ちで満たされ、涙を流しながら、ロミィは本当に良かったと思うのだった。
「そうね、そう、朝ごはんを食べましょう」
床で眠る二人の着替えを済ましてから、部屋で呆けていたロミィの顔をみるなりヤーナは手を合わせて食事の支度を始める。
小さな食卓には様々なものが並ぶ。焼いたパン、野草のサラダ、焼いた肉にスープ、見たことのない果実。
昨日から何も食わずじまいでいたため、並べられた料理の数々をみて思い出したかのように腹がすく。
「さあ、遠慮しないで。そう、温かいうちに食べましょう」
進められるがままに、サラダをつまむ。さわやかな苦みに柑橘類の酸味と塩味が効いて、うまい。パンをかじり、スープを飲み、肉にかぶりつく。
「うまい肉ですね」
身がしまり、噛みしめるごとに旨味が口の中に広がる。なにかの鳥肉かと思う。
「あら、あら、ありがとう。そう、その肉はね、グライパーなのよ」
はあ、と思わず声が出る。聞いたことのない鳥だ。しかし、つい最近、その名を聞いた気がする。ヤーナもドーナも普通に食べ続けている。ロミィも気にせずに食べ続ける。
「薬を作るのに獲ったグライパーの肉だから、そう、新鮮なのよ」
ヤーナが続けた言葉を聞いて、手が止まる。薬を作るのに獲った?
『必要な怪物の血と毒は、そう、怪物大蛇グライパーのもの』
ぼんやりとした記憶のなかかから、薬を作っていたヤーナの言葉が浮かぶ。まさか、この肉は……
「怪物の肉もね、そう、大抵食べられるのよ。この国の人達には馴染みがないようで残念だわ」
ヤーナの言葉を聞き、咀嚼していた口の中の肉を吐き出さないように、飲み込んでしまう。恩人の前で失礼なことをしでかさずにすんで良かったと思ってしまう。
「ヤ、ヤーナさんは、ふ、普通に、か、怪物の肉を?」
「ええ、きちんと処理をしているから問題ないわ。そう、毒性がなければ獣と変わりがないものよ。集落の食事処でも出されるわ。まあ、私が教えたのだけど」
昨日、グライパーの肉を処分したといった時のヤーナの残念そうな顔を思い出す。もったいないと感じたのだろう。先ほど食べた野草もなんの植物だか分からない。
「スープも、そう、グライパーの肉と骨から出汁をとったの。おいしいでしょう。さあ、昨日はなにも食べずしまいだったのだから、もっと食べて」
ヤーナは食卓の料理を次々に勧める。断ることもできずにロミィは戸惑いながらも食べ続ける。ちらりと一緒に食べるドーナの姿を見てみるが、年相応以上によく食べている。
肉を咀嚼し、飲み下す。まずくはない。美味いのだ。ヤーナの顔を見る。料理を食べるロミィを嬉しそうに見ている。
まさか、もういらないとは言えない。ロミィは覚悟を決め、差し出される料理を食べ続けるのであった。
妻と娘を連れてきてから幾日かが経った。二人とも、まだ、目を覚まさずに穏やかに眠っている。
ヤーナが時折、薬と栄養となる飲み物を小さな水差しから二人に飲み与えることが続く。
「目が覚めないということは――」
「ないわ。絶対に。安心して、必ず目覚めの朝がくるから」
ヤーナは自身たっぷりにロミィの問いかけに答えてくれる。汗の色もどす黒さは見えてなくなり、排泄行為も定期的に訪れている。
大丈夫。絶対に大丈夫。ヤーナはロミィが抱く不安を打ち消すように、応え続けてくれる。ただ、それでも心配でロミィは二人のもとで毎日付き添い、夜遅くまで見守り、その場で眠りに落ちるを繰り返していた。
朝が聞こえる。鳥の声、朝餉を準備する音
「おはよう、ロミィ、でも、ここは……」
愛する妻の朝の挨拶に目が覚める。眠る妻の腹の上で突っ伏して寝てしまったロミィの頭を優しくリエッタはなでる。シェイアも目を覚まし、見慣れない部屋の中を首を振り見回している。
何事もなかったかのように、妻と娘は目覚めた。食事をとっていなかったせいか若干やつれてはいるが、毒におかされていたときのような雰囲気は見当たらない。
「おはよう、リエッタ、シェイア、君たちがまた、め、ざめて」
目覚めてくれて良かったと言いたかったが、あふれる喜びとともに訪れる涙を止めることができずに声をつまらす。
「ど、どうしたのよ、泣いたりして、えっと、なにかあったかしら」
リエッタは戸惑いながらも、ロミィの頭を抱えるように抱きしめる。シェイアは、お腹がすいたとリエッタの袖をつまむ。
「あらあら、おはよう。二人とも目が覚めたのね。そう、よかったわ、ロミィさん。さあ、朝食にしましょう。お祝いの朝ね」
扉から顔をだしたヤーナは二人の目覚めと、ロミィの様子をみて満面の笑顔で三人を迎える。
事情が呑み込めないリエッタは、ハァ、と気の抜けた返事をするだけだった。