第四話 日中の診療
前日から寝ずに走り続けているにも関わらず、ろくに整備をされてない道を、病で病で弱った母子を古ぼけた荷車に載てひくロミィの足取りは、しっかりとしたものだ。
同行する老婆ヤーナも年齢を感じさせずに男の横を歩いている。当初は荷車に乗ってもらったほうが速いと思ったが、ヤーナは首を横に振り流石にそこまで焦って無理をしてはいけないとロミィを諭した。
ロミィが思っていた以上にヤーナは健脚だ。若い自分と違って年老いたヤーナでは、村から集落へ往来するのはきついだろうと思っての進言だったが、老婆は息を切らしもせずに、年齢を感じさせることもなく自分の後についてきている。
「ところでロミィさん。そう、奥さん、えっと」
「ああ、妻の名はリエッタです。娘はシェイア」
妻子の紹介をするどころではなかったことを思い出して、改めて家族の名を告げる。二人の名を聞き、苦しむ二人の額から汗を拭い「大丈夫よもう少し我慢してね、リエッタさん、シェイアちゃん」と微笑みながら声を掛け、もう一度ロミィへと顔を向ける。
「リエッタさんはいいとこのお嬢さん? それとも腕利きの霊術使いかしら」
休むことなく荷車をひき進みつづけるロミィへ、妻に対しての憶測を尋ねるヤーナの問いに、少し驚き息を切らしながらも答えを返す。
「いえ違います。ただ、近いところでもあったかな。腕利きの怪物狩人です」
「じゃあ、旅エルフだったのね。そう、どうして知り合ったのかしら。馴れ初めを教えてくれる」
つらい道中の気を紛らせるためかヤーナはロミィへと尋ねる。本来なら無駄な会話を続ける体力も惜しくもあるが、ヤーナから貰った水薬のおかげで今のところまだ余裕がある。
「いくつかの巡りの前に村の近くの森の奥で、怪物大蛇が出たのです。人を丸呑みするような大きな蛇。狩人や薬草摘みの人達が鹿を丸呑みする姿を偶然見て、驚いて逃げ帰ったことで分かったことでした」
森からの恩恵を受けられなくなることも問題だったが、いつ、その怪物が村を襲うかということが取りざたされ、問題となった。領主の元へ相談に行こうかと思われたときに、ロミィの妻リエッタが村の宿屋に併設された居酒屋にふらりと現れた。
「あんな辺鄙な村に旅エルフが立ち寄ること自体珍しいし、こう言ってはなんですが、妻は、その、美しいですから」
荷車をひき、火照る体の暑さで赤くなった顔をさらに赤めてロミィは呟くように惚気て見せる。あらまあとヤーナは嬉しそうに相槌を打ちつつ、それでどうしたのかしらと話を続けるように促した。
「領主へ渡すことになる支払いの半分で請け負いましょう」
事情を聴いたリエッタは村長にそう告げたそうだ。ただし、前金も不要。失敗すれば死ぬだけだから金を払って持ち逃げされる心配も、損をすることもないだろうとと言い放ち、結果として村長はリエッタへ依頼を申し込んだ。
「私はね、心配だった。尖耳族は普人の我々よりも強いとは聞いたことをありましたが、美しく、痩躯の、金髪の美女が一人で暗い森に立ち入り、大蛇を狩ることができるのかと」
他の村人が半信半疑、または期待をせずに待つなか、ロミィはこっそりとリエッタの後をつけようとしたが、逆に森の中で姿を見失った。
後に妻から教えられたが、ロミィが尾行をしていたことはとっくに気づいていたらしい。無謀なことをする普人族だと呆れていたと笑いながらに言われて恥をかきましたと、ロミィは苦笑いを浮かべた。
「結局、私は、彼女に助けられたのです。怪物が狙ったのは美しくも強い妻ではなく、弱い普通の男の私だった。森の木々の上からひっそりと素早く狡猾に狙いすまして」
襲い掛かってきたが、その前に妻は気づいて私に冷たくも鋭い視線を向けて矢を立て続けに放ちました。怪物大蛇に気づいていなかったので尾行に怒った旅エルフに殺されると尻餅をついてしまいました。
粗相をしなかっただけマシだったと、大蛇を仕留めた妻に揶揄われたときは本当に恥ずかしかったと頭をかき、日中に入り暖かくなり、額から流れる汗を袖で拭い前を向き誇らしげな顔を向けてロミィは話を続ける。
「妻の放った矢は怪物大蛇を貫き、さらに森の木々に縫い付けてしまいました。ぶつぶつと何かを唱えながら放たれ続ける矢は、私を避けるように大蛇へと刺さり、瞬く間に怪物を仕留めてしまいました」
「仕留めた大蛇は、そう、どうしたの?」
美しくも変わった模様の蛇革はリエッタの手できれいに剥ぎ取られて村長から領主へと献上されたそうだ。獲物を横取りされたなどと思われるよりましだからと語られた。
お肉はとヤーナから尋ねられたが、怪物の肉をどうするのですか? と逆に不思議がられたので、ヤーナはそうよねと残念そうにつぶやいただけだったので、ロミィは首を傾げた。
「すぐに旅立とうとする妻をね、私は引き留めたんです。命の恩人だから、もう少しもてなさせてくれ、もしかしたら他にも厄介な怪物がいるかもしれない、依頼料は私が出すからと、様々な理由をつけました」
そんな理由で長く引き留めらるわけもなく、焦れたリエッタはロミィになぜそんなにつきまとうのかと問いただしてきたそうだ。上手く答えられるわけもなく結局、ロミィはそこで片膝をつき
「求婚をしてしまいました。焦ってどうかしていたのでしょうね。ただ、妻も大概だ。あっさりと私の求婚を受けてくれた」
旅にも少し飽きたところだったから、いいんじゃないの。拍子抜けする理由だった。それでも、誰でもよかったわけではなかったらしい。弱いくせにリエッタのことを心配し、怪物が出る危険な森の中までついてきて、連日のように懸命に引き留めようと頭を悩ますロミィが愛おしくなったからと教えられた。
「始めのうちはよかったのです。娘が生まれて、妻もそれなりに村の人達と馴染み始めていました。しかし、いつの頃からか村長の息子達が私達、特にリエッタや生まれた娘に対して否人と呼ぶようになり、村の合議で、否人を人じゃない、村に住まわすことはできないと吹聴して私たちは村外し者にされてしまっ
たのです」
「若いけど、そう、貴方は木工職人よね」
ロミィはええ、そうですねと答える。ヤーナは小首を傾げる。
小さい村で技術を持つ職人は貴重な存在なはずだ。いくら村長の息子とはいえ、どこで聞きかじったのかもしらない差別的な理由で職人を追い出そうとは思わないはずだ。
手柄を立てたリエッタと、美しい女性を娶り、子供まで授かった、同年代の私に嫉妬をしたのかもしれませんと悔しさをにじませたロミィは言う。
自分の息子がしでかしたこととはいえ、馬鹿げた理由で技術職を失ったことに村長はどう思っているのかはいざ知らず、話を続けているうちにいつのまにか、ヤーナが住む森の前の集落の入口へと差し掛かっていた。
「なんだい、ヤーナの婆さんいつの間に出かけていたんだ」
集落を抜ける道の途中で、そばかすだらけの顔を熊のような髭に覆われた男がヤーナに声を掛けた。よく見れば、ロミィがヤーナの居場所を尋ねた男だ。
「ええ、タウル。昨晩の内に出かけていたの。そう、急ぎの依頼人が訪ねてきたのよ。だからね、今は、急いでいるの」
顔見知りの問いかけに立ち止まることもなく、タウルと呼ばれた男のそばを通り抜けていく。男が立っていた小屋の入口から長袖をまとった若干太めの女性が表れて過ぎ去っていくヤーナへと大きな声を掛ける。
「ヤーナ婆さん! 歳なんだから無理をしないでおくれよ! あんたになんかあったら大変なことなんだからね!」
ええ、ええ、わかっていますよ。と後ろ手に手を振りヤーナは集落を抜けて自分の住む、森の奥へと向かっていく。かけられた言葉はヤーナだけでなく、無理をさせている依頼人たるロミィ―にも向けられているだろうことに気まずさを隠せなかった。
「さあ、着いたわ。リエッタさんとシェイアちゃんを奥まで連れて行かないと。そう、ドーナ、手伝ってちょうだい」
ヤーナは自分の住む小屋につくと休む間もなく、支度を始める。いくつかの道具を腰ベルトに掛け、背嚢を背負う。
小屋の奥から出てきたドーナと呼ばれた幼い子供はシェイアをひょいと担ぎ奥へと向かう。ロミィも慌ててリエッタを抱えてドーナの後についていく。
小屋の奥には粗末な木製の台の上に布を設えた簡易のベッドがあり、ドーナはそっとシェイアをベッドに寝かせ、続いてロミィも同じようにリエッタを寝かせた。
ここに来るまでの間に始めに飲まされた薬が切れることもなく、若干呼吸は荒いものの以前よりはずっとましだった。
それでも、苦しそうな妻と娘の顔へ哀願するような視線を向けてから、目を閉じロミィは出掛けようとしているヤーナの元へと戻る。
「ロミィさん、私はね、森の奥、ここより奥に、薬草をね、取りに行くから。そう、ご家族と一緒に待っていてくれる?」
「……ヤーナさん、私も手伝わせください。居ても立っても居られないのです! 苦しむ彼女達を見ているだけでは」
何かをしてやりたい。その気持ちを看病に向けてもらいたかったのだが、寝ずにいたロミィは本人が気づかないまま、心が惑い、いつもとは違う感情になっていた。
押し問答をする時間ももったいない。ヤーナはロミィの目を見て
「あなたが飲んだ薬の効果は、もう少し、そう、あと少しで切れてしまう。でも、そうなる前に見つけないと奥さんと娘さんの容態も悪化するわ。でも、そう、手伝ってくれるかしら」
にっこりと微笑むと、踵を返して小屋の入口から外へと出る。すぐに許可がでるとは思っておらず、惚けていたロミィは慌ててヤーナの背を追いかけていった。
老婆の後を追う。村から寝ずに歩きどおしでも、ヤーナからもらい飲んだ水薬のおかげで疲労は出ていない。だから、後れを取るようなことにはならい。
そう思っていた。
「ハァ、ハァ」
息を切らし、鬱蒼とした森の中をスイスイと進む老婆の後を何とかついていく。地面から無造作に生える樹の根に躓き、朽ちた落ち葉で足を滑らし、露に濡れた草に足を取られる。
そこに、何があるかをわかっているかのように老婆のヤーナは先へ先へと進んでしまう。若く、体力のあるはずの自分のほうがついていくのがやっとだ。
ヤーナは時折立ち止まり、あたりを見回し、ロミィを見て微笑んでから、また、先へと進んでいく。
足手まといになってしまったことにロミィは悔やんだ。妻を助けるための一助になるつもりでいたのに、余計なことをしてしまったと後悔をしている。
それは突然訪れた。
足からガクリと力が抜ける。何が起きたのかと思ったが、止まるわけにはいかないと足を踏み出そうとするも、動かずにその場でへたり込んでしまう。
(楽だ。立ち上がりたくない)
息を切らし、湿った落ち葉や草の上に座り込む。先に進んでしまうヤーナに声をかけようと背を見るが、声もでない。ヤーナが気づかずに行ってしまう。森に一人取り残されてしまうと思い、焦るが声を上げることができない。
結局ヤーナはロミィに気づかずに森の奥へと消えてしまった。
きっと、薬草を見つけたらここを通るだろう。ロミィは疲れ切った体を這って進ませ、樹の根元に背を預ける。
深く息を吸い、吐く。体の底から疲れが湧き出てくる。何もしたくないし、考えたくもない。頭をもたげて、森の土を見て、息をするだけだが、ふと、妻の後をつけた時のことを思い出す。
暗い森の奥、木々の上から静かに気づかれることもなく自分の頭の上から襲ってきた怪物大蛇。
今は助けてくれる人もいない。いても、老婆が一人だけだ。どうにかしてくれるわけがない。
ゾッとした。そして、上をみた。
木々の葉に溶け込み、気づかれず、自分の頭上にいる、金色の瞳を見て死を悟った。
自分を一飲みにすべく、大口をあけ、牙をむき出しにして襲い掛かる怪物大蛇。
逃げたくても、体も動かない。助けを呼びたくても、声が出ない。ゆっくりと、ゆっくりと動く蛇。逃げられず、恐怖におびえる自分をなぶるように襲ってくる。
(すまない、リエッタ、シェイア……)
助けを求めて、役に立とうと思ったのに。あの時と、リエッタの後を追った時と同じ。ただ、今回は助からない。静かに目を閉じる。
ドサリと、脇で音がした。
ぼんやりと、考えることをやめた頭をどうにか働かせて、もう一度目を開ける。
巨大な怪物大蛇がそこにはいた。
上がるべき悲鳴も出せない。いつ襲われるのか、目を開けるべきではなかったと思った。もう、閉じたくても、目は蛇から離すことができない。
しかし、蛇が動き出すことはなかった。
今まで人がいなかった場所に、手に見慣れない草花を持った老婆が立っている。
「あらあら、ごめんなさい、ロミィさん。気づかずに先に進んでしまったは。でもね、そう、薬草は見つけたの。ついでに、この怪物大蛇グライパーも仕留めておいたのよ。ごめんなさいね、まさか、逃げた先にいた貴方を襲おうとしたなんて」
薬が効いて、もう、なにもできないのにねと、ヤーナはロミィに小首をかしげて小さく微笑みを向ける。
ああ、そうなのかと思うと、ロミィは気が抜けてそのまま気を失ってしまった。