第三話 早朝のもめ事
夜の闇が薄くなり、空が白み始める。夜明けの時間が近くなってきている。
ヤーナは先行していたロミィに追いつき「お待たせ」と、一言いうとそのまま一緒に歩き始める。
「……もう少しで我が家につきます」
歩みを止めず、ロミィは申し訳なさそうにヤーナへと告げる。
「あら、村の入口は、もう少し先にあったと思ったけど」
ロミィの言葉に、ヤーナは首を傾げる。
「私は村はずし者です。先に言っておくべきでした。でも、必ずお代は……」
村はずし者。なにかしらの訳があり共同体となる村の所属から外された者。共同体から外されるということは、村からの恩恵も受けられるなくなっている。
しかし、ヤーナはロミィの言葉に対して軽く首を振る。そして、いつものようににっこりと微笑みを向ける。
「どんな事情かは知らないけれど、始めに言った通りそんな話は後にしましょう。まずは、貴方の大事な人達の命を救うことを考えましょう」
ヤーナの言葉を聞き、ロミィはますます申し訳ない思いが募る。この老婆なら妻と娘を救えるかもしれないが、今の自分には恩に報いるだけの報酬を手渡せるだけの蓄えがないのだ。
村はずしであるため、木工職人としての技量を生かしての仕事を村人たちから受けることもできない。
村はずしになった原因を考えると悔しくも思うが、今はそれどころではないと思いを改めてヤーナを住居へと導く。
道の端の開けた場所に、しっかりとした木組みでできた小さな小屋が見えてきた。しかし、周囲を見渡しても他に住居は見受けられない。完全に孤立しているのがよくわかる。
ヤーナは小首をかしげて、目を細めて周囲を見渡してから、ロミィへ微笑み、では、お邪魔しますと声を掛ける。
「どうぞ、中へ入ってください」
ロミィはヤーナを住居の中へと誘う。
夜は明けて、太陽が姿を見せ始め、空は明るくなっている。
しかし、小さい窓から入る明かりは限られて薄暗く陰気な雰囲気に満ちている。
苦しそうなうめき声が聞こえ、異臭も感じた。
小さい小屋の中に設えられているベッドの上には四肢をおかしな感じに曲げて、痛みに苦しみながら眠っている女性と女の子がいた。
「あらあら、奥さんは尖耳族の女性だったの。どうりで。珍しいわ」
ヤーナは苦しそうに眠る母子のそばへと寄り、手を取り、脈を計り、目や口の中をつぶさに調べる。
「ロミィさん、奥さんたちが倒れる前はどのような様子?」
妻子の方へと目を向けたまま、小首をかしげつつヤーナはロミィに問いかけた。
昨晩は、久しぶりに手に入れた赤ワインを妻子とともに飲んだ。妻が仕留めた鹿肉をステーキにして、久しぶりに豪勢な晩餐だった。娘の誕生日だったのだ。
赤ワインは鮮烈な紅い色をして、甘く飲みやすかった。エルフの妻は甘口のワインを好んでいたため大変喜んだ。
しかし、いつもと様子が違うと思ったのは妻が酔い始めてからだ。
陽気に酔う妻がその日に限って愚痴っぽく、不満をやたらと口にした。
始めに娘が異変を訴えた。腹の痛みでうずくまり、ふらつき激しく嘔吐した。娘を介抱しようと近寄ると、妻も同じような症状で倒れた。
二人とも痙攣して起き上がらない。どうにか、二人をベッドへと寝かしつけ、介抱を続けるも埒が明かず――
「以前に腕の立つ薬草士が近郊に住むと聞いたことがあったので、慌てて向かったのです」
ロミィは妻と娘の手をさすり、涙目でその時の様子をヤーナに説明した。
「そう。それで飲んだ赤ワインはどこに?」
「あの甕に入っています。同じものを私も飲んでいます。だから」
そのワインのせいではないのではとロミィは思ったが、言う前にヤーナは赤ワインの入った甕へと近寄り、蓋を開けて中身を眺める。
「このワインはどこで買ったのかしら?」
「いえ、村長からいただきました。村長は村はずしにされた私達を心配してくれていますので」
そう、そうなのとヤーナは小さく呟き、肩から下げたカバンから乳鉢と筒、乾燥した薬草らしきものを取り出して、手早く擦り始める。擦って粉にした薬草へ筒の中の液体を注ぎ、また、擦る。
短い時間で手早く作られた水薬を苦しむ妻子の口元へ近づき、零れないようにそっと、ゆっくり口に移す。
妻子は吐くこともなく水薬を飲み込むと、荒かった息遣いが幾分か和らいだのが見て取れた。
「治ったのですか?!」
ロミィはヤーナに食いつくように問いかけるが、ヤーナは困った顔をして、否定するように首を振る。
「応急の処方薬を与えただけ。治せてはいないの。この二人を治すには私の小屋へ連れていく必要があるわ。日持ちをしない生薬を使って、慌てずに、そう、慌てないで治すことが必要なの」
ヤーナの言葉にロミィは即断即決をした。二人を連れて再びヤーナの家に向かう。妻も娘も担いでいくと言う。
昨日の日中から今に至るまで、夜通し寝ずに歩き続けているロミィにそれほどの体力は残されていないだろうから無理をさせないほうが良いと、ヤーナは思ったものの実際に妻子の容態は芳しくない。
『急性の富裕ワイン病』ヤーナは妻子の症状をみてそう判断している。本来なら高価な杯を用いてワインを飲む金持ちがなる病なのだが、尖耳族の女と、その娘。エルフの血が病の進行を速めたようだ。
放置をすれば脳にまで症状が達して死に至る。ましてや、エルフの血が進行を速めているとすれば、悠長なことは言っていられないことも事実だ。
ヤーナは一つため息をついて、カバンの中から小さな素焼きの瓶を取り出してロミィに手渡す。
「これを飲みなさい。あまり人に勧めたくはないだけど」
ロミィは瓶を手に取り、じっと見る。手が震える。得体のしれない何かわからないものを飲むのは流石に怖い。
「毒、そう、毒ではないのよ。身体強化の水薬。力をね、一時的に増加させるのよ。過剰摂取をしなければ問題はないの」
ヤーナはそうロミィに告げる。ロミィは瓶の口を開けて飲もうとするが、ヤーナは手の平を向けて遮る。
「疲れがね、なくなったように感じるかもしれないけど、薬の効果が切れた後は、蓄積された疲れがどっと出るわ。それでもいい?」
ロミィはヤーナの言葉を聞き、目を見てから瓶を口に当てて一気に飲み干す。口の中に甘く苦い味が広がり、喉を少し焼きながら液体が通っていくのを感じた後、体から力が溢れてきた。あまりの効能の良さにロミィは驚いてしまった。
「す、すごい。こ、これは霊薬ではないのですか?」
だとしたら、相当高価なものになる。妻娘を救うためにも、後から来る疲れなど知ったことかと思ったが、金額のことまで考えてはいなかった。
「いいのよ。いつでも作れるものだから。気にしないで」
ヤーナはそういうと小屋の中にある布を持ち出し、ロミィが担いだ妻子を落とさないように身体を布で括り付けるのを手伝い、準備が整うと直ぐに小屋から出た。
外に出れば朝の冷たい空気が体を冷やす。まだ、少し肌寒いが、日は昇り快晴になることを感じさせる。
ロミィは妻子を担いでいることが苦にならない程度に力が溢れている。このまま、ヤーナの住居まで運ぶのは問題がないと思い、来た道を帰り始めた矢先に、嫌な連中の姿が見え顔を歪めた。
「どこに行くんだ? 村外し者。ついに否人の女と子供を連れて逃げるのか?」
人を見下した笑みを浮かべた、幾人かのロミィと同年代に近い若者達が道を遮る。ロミィは唇をかみしめて下を向いている。
「あらあら、どちらさま。申し訳ないけど担がれている二人は病気なのよ。すぐに治療をする必要があるの」
「知ったことかよ! 否人が死のうが関係ねえよ!」
若者は乱暴に笑いながらヤーナの言葉を遮る。ヤーナは悪意に満ちた言葉を聞いてもなお笑みを崩さずにいる。若者のリーダーらしき者がその様子を見て不機嫌そうに舌打ちをする。
「そもそも、否人と結婚して村外しになった奴が悪いんだ。お情けで村の外れに住まわせてやっているだけありがたく思えよ。ここを通りたけりゃ、金払いな」
「ふ、ふざけるな! ここはお前たちの道じゃあないだろう! そもそも村長の息子のお前が、み、みんなを煽り立てて俺を村はずしにしたんだろう!」
顔を真っ赤にしてロミィは村長の息子と呼んだ若者に食って掛かるが、そんな言葉を鼻で笑いとばす。
「なんであろうと、村の皆で決めたことだ。否人を村の一員として認めることはできないってな」
何がおかしいのか、若者たちはいっせいに笑い出す。そして、ロミィとヤーナを取り囲み道を譲ろうとはしない。
にやにやと笑い続けながら、ロミィを小馬鹿にし続け、我慢できなくなり手を出したところを返り討ちにしようという魂胆が見え見えなので、拳を強く握りしめて、腹の立つにやけ面を見ないように目線を外す。
「なんとか言えよ。 こっちを見てさ、村外しの若旦那ぁ」
村長の息子は下から覗き込むように顔を窺おうとする。
ビビッて何も言えねのかよ、臆病者、出てけば帰る場所はねえぞ、こんな家叩き壊してやると若者たちはロミィに向かって囃し立てる。
村長の息子は煽り立てるだけ、煽り立て、ニヤニヤとその様子を見ている。
「お前たち! 何をしている!」
道の向こうから歳を重ねた、しわがれた怒鳴り声が向けられた。若者たちが一斉に村長の息子を見る。村長の息子が舌打ちをして、一人でさっさと道から外れて歩き出す。
「待て! 朝っぱらから仕事も手伝わないでどこに行く!」
「どちら様?」
「村長です。ヤーナさん」
村長を一瞥せずに逃げ出した若者たちに向けて、怒鳴り声をかけ続けている初老の男性は、大きくため息をついてからヤーナ達に顧みる。
「すまんなロミィ。ところで奥さん達はどうした?」
村長はロミィの元へと歩みより、しわ深い顔をロミィと担がれた妻子に向け怪訝そうに尋ねる。
「急な病になりまして、こちらのヤーナさんに診てもらうことになりました。しばらく家を空けることになります」
ロミィは村長に率直に申し出る。村長はロミィの言葉を聞いて驚き、妻子に向けて心配そうな顔を向ける。
「そうか、すまん。あんなことになってしまたので何もしてやれん。働きのよい職人のお前さんを村外しにしちまうなんて、若い連中はどうかしている」
「いえ、仕方がありません。病気が治ったら戻ります。先を急ぎますので失礼します」
ロミィは村長に軽く頭を下げて、前へと進み始める。申し訳なさそうに、その姿を見送る村長にそっとヤーナは尋ねた。
「村長さん、ロミィに譲ったワインはどこで仕入れたのかしら?」
「あんたは?」
「私はね、外れの部落の薬草婆のヤーナ。それで、ワインはどこで仕入れたのかしら?」
「ワイン? ああ、ロミィの娘の誕生日祝いに譲ったやつか。あれは、私の自家製だよ。毎年、作っている」
村長はヤーナの言葉に首をかしげる。ヤーナはにっこりと微笑みありがとうと一言言ってから先に進み始める。
「外れの部落……ああ、そうか、あんたがあの婆さんか。リエッタ達のことよろしく頼むよ。ロミィのためにも治してやってくれ」
前へと進むヤーナに向けて村長は言葉を掛ける。振り返らずに軽く手だけを振ってヤーナは答えた。