第六話 紫の水薬
机に乗るのは持ち運ばれたネスマス人の遺体。
集落の人達はネスマス人から血を採取することを気味悪がり、結局、遺体ごとヤーナの小屋へと送り届けた。
大人が複数人で担いできた遺体を、幼いドーナが一人で受け取り、小屋の中へと運び込んでおいてくれた。
ヤーナはネスマス人の胸を開き、心臓を切り離し、血液を採取する。なるべく採血できる分を、採れるだけ壺に移す。
古代尖耳族から譲り受けた果物は皮ごとすりおろしてある。
ネスマス人の血とすりおろした果物、そして、ヤーナが今まで作り置きしておいた幾つかの薬品を混ぜ合わせ、幾つかの試料を作り上げる。
小皿に出来上がった薬を垂らし、ヤーナは一つずつ、ゆっくりと眺める。
蝋燭の火だけが灯り、薄暗い部屋の中、ヤーナの脳裏には小皿に垂らした薬の効果が浮び上る。
『物品鑑定の眼』ヤーナが生まれながらにして兼ね備えていた、稀有な能力。
そして、ヤーナは幼いころから培ってきた薬理の知識と、森の精霊から直接学んだ霊薬の知識、そして、それらを兼ね合わせて薬を作成する技術を持ち合わせている。
二つの知識と技術を持ち合わせるヤーナだからこそ、作る薬は薬効が高く、新しい薬を創り出すことが可能なのだ。
(この薬は失敗。こっちも。これが正解)
紫色に染まった薬を垂らした小皿を手に取る。
正解とされた薬を、一般的に用いられる『鑑定術』で照査を行う。結果は『霊力を元に戻す霊薬』と認識される。
『深い森の奥、精霊が手を施し作られた果実と、特定の怪物の血に複数の薬草や薬酒を混ぜ合わせて作られた霊薬。体内で起きた霊力の異常増加を食い止め、元に戻すが、怪物化した者については効果がない』
――物品鑑定眼で診た結果ほど鑑定術では詳しくは出ないが、概ね同じような結果が出ていること、余計な情報は読み取れないことを鑑みても、王都の市場に出して問題はないだろうと、ヤーナは判断をする。
「なにかしらの耐性をもつのかしら、そう、痺れ煙幕は効果がなかった」
ヤーナは霊薬をひとしきり作った後、独り言ちて耐性持ちのネスマスやネスマス人について思いを巡らす。ネスマス人の遺体を診る。物品鑑定眼では生体の情報は見られないが、肉の塊となった死体と言う『物』であれば、情報を得ることができる。
『霊力が飽和状態の怪物を体内に取り込んだか、噛まれて血液内に病毒因子が取り込まれ霊力が飽和状態となった人種の成れの果て。怪物の特性を引き継ぎ、かつ耐毒性に強い抗体をもつが、心拍数の増加により寿命は極端に短くなった』
耐毒性の範囲は広い。生半可な毒では効き目がないであろう。
なら、その耐性となる抗体を逆手に取ろう。
ヤーナは針葉樹の花、繁殖力の強い草花を薬研で擦り混ぜ、残ったネスマス人の血を加えて練り込む。最後に乾燥の霊術で仕上げる。
『抗原反応香。体内の抗体が過剰な反応を起こす煙を発生させるお香。人の大きさ程度の生き物や怪物に対して過剰な呼吸困難の状態異常を引き起こす』
(合図は教えてあるから、良しとしましょう)
ヤーナは頷くと、作り上げた薬とお香をまとめて鞄に放り込み、装備を整え、ドーナに微笑みを与え、軽く抱きしめてから、ロバに乗り、小屋をあとにした。
「ふう、久方ぶりにその姿を見た。……ヤーナ殿も行くのか。本当に薬を作り上げたか」
集落へと立ち寄ったヤーナの姿を見たコーラルは哀しそうな視線をヤーナへと送る。
「ええ、そう。若い人たちだけに任せておくのは申し訳ないの。先の短い婆の役目もあるわ」
何かの怪物の革で出来た厚手のマントを羽織い、背には大きな鎌を一つ背負う。
荷物の類はロバの両側に括った鞄に仕込んである。鞍の後ろには、短い筒が着いた矢の束も背負わされている。ヤーナは手にしていた布が掛けられた篭をコーラル司祭へと手渡す。
「これは、霊力の状態異常を回復させて、安定させる薬。そう、ネスマスに噛まれて苦しんでいる人達に処方させて頂戴。お代は後で構わないわ。あと、王都への知らせは済んだかしら?」
「あ、ああ、済まんな。ほとんどの者が、払えずじまいに終わると思うが。王都への知らせは、使役している鳥を飛ばした」
本当に治療薬が出来たのかと、コーラルは驚き手渡された篭を受け取るが、傍に控えていたウィワーが奪うように篭を取り、直ぐに病人の元へ行こうとするのを、慌ててコーラルが食い止める。
「ま、待ちなさい! ウィワー! 本当に問題がないかを確認する必要が――」
「ありゃあ、しないよ! 判っているだろう司祭様! ヤーナの婆様の薬が効かないのなら、治すすべは、ありゃあしないよ! それこそ、神様を呼んでもらわないとね!」
食い止めるコーラルの言葉へ、畳みかける様に大きい声で言葉を放ち、待っていられるかとばかりに駆けだしていく。
ウィワーが向かった先で、幾つも待たずに歓声が上がるのを聞き、コーラルは安堵のため息を一つつく。
「すまんな。ヤーナ殿、疑うようで」
「仕方がないわ。治験もなしに、新薬を使う。そう、本当は許されないことに違いはないから」
そんなものかと頷くコーラルへ困った笑顔を向けつつ、じゃあ行くわと一言残して、集落から近郊の村の方へと向かっていく。
陽は沈みかけ、夜の帳とまじりあい、紫色に染まる頃、外れの集落の婆が一人、ロバと共にゆっくりとだが確実に、先へ先へと向かって行った。




