第五話 緑の森の中で
「ええ、怪物に襲われないためにも、そう、この集落にいた方が安全なの」
ヤーナは外れの集落に戻るなり、染物村からともに逃げた住民達に向けて、説得を続ける。
「しかし、こんな辺鄙な場所にある、外れの集落にまともな結界石があるわけない――」
大勢が危険だ、危険だと騒ぎ立てる中、集落の老司祭でマトメ役のコーラルが後方から歩み出る。
「ヤーナ殿は、この集落の結界から、事が落ち着くまでは出るなと言っている。私が保証します。ヤーナ殿のおっしゃる通り、安全です。皆、意見を聞き入れなさい」
コーラルは昔来ていた司祭服を引っ張り出し着込んで皆の前に立った。外れの集落の住人たちはヤーナの言うことを信じるが、事情を知らない他から来た者達は、くたびれた婆様の言う言葉に聞く耳を持たないだろうと考え、あえて以前に振るった権勢を身にまとい表れた。
コーラルの位の高そうなな司祭服を見て「安全だ」の言葉を信じ、染物村の住民達はようやく落ち着き始めて口を閉ざす。
事が静まるあいだにリエッタ達は「他の村が襲われる」ことについて話し合いを進めていた。集団が落ち着いたのを見計らい、協議の輪にコーラルとヤーナが加わると、リエッタから一つの懸念がもたらされる。
「……私が元いた村が襲われると思う」
あの村長の息子の成れの果てである亜人系統の怪物と考えられるネスマス人は、若干でも知性が残っていた。怒りや憎しみの熱に浮かされつつも、リエッタへ執拗に執着していたことを考えると、あながち的外れではないはずだとリエッタは主張する。
外れの集落以外で、染物村から近い位置にある村の一つとして、確かに考えられると皆が同意をした。
結果として、ギール、カールの狩人コンビ、リエッタ、更に外れの集落の代表として鍛冶師のタウルが同行し、近郊の村へ伝令として向かうことになる。
「ごめんなさい。そう、私は、もう少しここに残って、耐毒性を持ったネスマスに効く薬を作ってから向かわせてもらうわ」
薬づくりに専念するため、ヤーナは伝令には同行しないと皆へ伝える。
「そんな簡単に、新しい薬を作れるの?」
リエッタの疑問に、ヤーナは色々と当てがあるものよと答え、問題はないから急ぎなさいと背を叩き、伝令役の者達を見送った。
ヤーナとしては、それだけでは済まないだろうなとも考えていたが、伝令役達が近郊の村へと向かった直後に、案の定、事態は起こった。
「ヤーナの婆様! 避難してきた住民の幾人かが苦しみ始めたよ! どうすりゃあいいんだい!?」
宿屋の女将ウィワーがヤーナの元へ血相を変えて、叫びながら駆け寄ってくる。落ち着きなさいなとヤーナは言うが、落ち着いていられないウィワーがヤーナを脇に抱えて、苦しみ、床に臥せる人達の元へと運んで行く。
ヤーナは落ち着いた様子で、苦しむ人たちの症状をつぶさに観察していく。暴れる様子が見られるため、ウィワーの手を借り鎮静の水薬を一人ずつ飲ませ、静まった頃に服を捲り、全身を眺め、口の中や、瞼を開けて目の状態を診断する。
「……そう、霊力の状態が、とても不安定ね。霊力の疲れは心に直結するもの。肉体的な痛みと心の荒れを落ち着ける鎮静の水薬で一時的に効果があるわけね。みな、ネスマスに噛まれたような傷跡が必ず見受けられる。大きさからみると、そう、ネスマス人に噛まれたと人達だと思われるわ」
「ネスマス人に噛まれると、何かしらの病に掛かると?」
コーラルの言葉に、ヤーナは頭を横に振る。
「もっと悪いの。そう、多分、このまま放置すると、彼らは、怪物、ネスマス人になる可能性が考えられるわ」
ヤーナの言葉を聞き、コーラルは愕然とする。噛まれると、怪物になるなどということは今まで聞いたことがないからだ。
「ヤーナ殿、これは――」
「ええ、本当に一大事。そう、王都へも急いで伝達をする必要があるの。そちらはお願いできるかしら?」
コーラル司祭は沈黙しながらも肯定の頷きをする。ヤーナは万が一に備えて、病人達を隔離しておいて頂戴と言伝を頼み、薬を作るのに小屋へと戻るからと、その場を後にしようとする。
「お、お待ちなさい。幾ら、ヤーナ殿でも新種の怪物に効く薬と、見たこともない症状を治す処方薬を一人で作るのは流石に無理がある」
手伝いを集えとコーラルは続けるが、ヤーナは困った笑みを浮かべて、拒否した。
「森の奥の存在は、余り多くの人に知られたくはないの。だから、一人でやらせて頂戴。大丈夫。そう、きっと間に合わせてみせるから」
と言い、改めて立ち去る前に、ああ、でもと続けて、ネスマス人の遺体から血を採取して小屋に届けてほしいとお願いすれば、いそいそと森の奥へと歩んでいった。
「ドーナ、集落の人が来るから、荷物を預かっておいて頂戴。そう、これから採取と、必要なものを譲り受けに行ってくるから」
もう少し、一人でお留守番をお願いと言えば、ドーナは黙って頷く。ヤーナはドーナの頭を愛おし気に撫でてから、森の更に奥へと向かった。
疲労を緩和する水薬を飲み、携帯食を食みつつ必要な薬草を採取し、忍び寄る余計な怪物を駆除香で追い払いつつ森の奥へと歩んでいく。
そして、つい先日、リエッタと共に訪れた深い森の見張り番と行き会った場所にまでたどり着く。
尖耳族の男が一人、ヤーナの到着を待つかのように、片手と片膝を地面につき、微動だにしないまま傅いていた。
「流石、先生だわ。そう、何を求めているかを察して下さる」
暗く、深い森の奥から、鬱蒼とした木々の葉をないもののようにかき分け歩み寄る者に向けて、ヤーナは感嘆の声を漏らす。
大柄で全身が毛むくじゃら。背中から両腕の他にもう一本の腕を生やす。目は毛で隠れるが、大きな口には、大きな白い歯が並ぶのが見える。毛からはみ出した、先端の尖った長い耳が印象的だ。
古代尖耳族。尖耳族で敬われる尊き御方、森の精霊。
毛むくじゃらの存在は、ヤーナの前まで胡坐をかき座り、背中の腕の手が持っていた、蔓の篭を差しだしてくる。
「……確かに、そう、これで霊力安定の状態異常を回復させる薬は処方ができます。ありがとうございます」
ヤーナは森の精霊に向けて深々と頭を下げる。
精霊は気にすることはないと言うかのように大口で笑い、早く行って薬を作れと言わんばかりに手を振るう。
ヤーナは、面を上げて、再度礼を言うと、踵を返しその場を後にする。
森の奥には、矮小な人々の諍いを笑い飛ばすような、森の精霊の笑い声がこだまし続けていた。




