第二話 白く醜い鼠
むき出しの土を掘り、石を積み上げた穴の周りは色とりどりに着色されていた。中の水は穴ごとに色を分けられている。そばには水場となる川が流れ、上流で布地や糸をすすぎ、下流に染めた布や糸を運び、又、川の水ですすぐ。
最も暑いとされる火の時の日中にもかかわらず、大鍋で湯が沸かされ、鍋から大きい桶に移された熱湯に、染められた布を浸からせて、木でつくられた櫂棒を使い、汗だくになりながら洗い流している。
時折、鍋の担当の者が暑さに耐えきれず、川に身体ごと、ざぶりとつかり火照りを冷まし、気持ちよさそうにする様子が見て取れる。染色を生業とする村のよくある風景。リエッタにはそう見えた。しかし、ヤーナがしきりに小首を傾げているのをみて、リエッタはどうかしたのかと尋ねる。
「いえね、ほら、あそこで、そう、薬をいれているでしょう」
着色をする液体が湛えられた穴に向けて、壺から液体を注ぐさまを指さしてヤーナは答える。
「あれは、そう、染め色の発色を良くする薬。だけど、ほら、あっちでは古くなった染色液を汲みだしているけど、どうみても、そう、ただ川に流しているようにしか見えないのよ」
よくないことなのよと呟き、ヤーナは眉をしかめて様子を眺めていたが、約束と違うわねとこぼすと、村の奥へと歩みを進めた。
ヤーナが向かった先には、布を張っただけの日除けをつけた一区画で壮年の男が周りに集まる人たちへ指示を出している。男は近づいてくるヤーナに気付くと周囲の人々を手で払う仕草で遠ざけ、目を向けたまま腕を組み待ち構える。
「あら、やだ、久しぶりに顔をだしたけれど、そう、染物組合の長は、代替わりをしたのかしら?」
ヤーナはにこやかな笑みを浮かべながらも、待ち受けていた男の顔を見て小首を傾げる。
「ああ、先代は隠居をした。話は聞いている。あんたが、俺より前の長と契約を交わして発色薬を卸していた婆さんだろう」
男はヤーナを見下したような目で見て、鼻で笑うような笑みを浮かべる。
「ええ、そうね。そう、初めまして。端の集落の森の奥で薬草業を生業としている婆でございます」
ヤーナは男に向けて頭を下げ挨拶をするが、男はヤーナの後頭部を、見下げたまま、偉そうな口調でヤーナに告げてきた。
「婆さん、実はな、俺の代でアンタの薬は使うのを止すことにした」
ヤーナは面を上げて、微笑みながら壮年のニヤニヤした顔を見つめる。
「あら、そう、これはまた急な話ね?」
「大方、あんたは作業の様子を見て、先代からの約束が守られていないって、言いたいんだろう? 面倒だし、金がかかるんだよ。染色の薬に対して、濾す労力と、中和の薬まで買わされると。川の水の流れに比べれば、大した量でもないだろう? 下流に行けば嫌でも薄まっちまう」
男は日除けの奥にあった石に腰を掛け、そばにあった壺から石のお椀で水を汲み、一息で飲み干す。そして、また、ヤーナの顔を一睨みしてからニヤリと笑う。
「それにな、染色薬、別の行商から安くて、質の良いのが手に入るようになったんだ。面倒な中和薬なんていらねぇってさ」
だから、あんたとはお終いだと舌を出し、手の平を水平に向け首を斬るような仕草をして、ケタケタと笑い始める。
「でもね、どんな薬でも、そう、人が作り出したものであれば、何かしらの影響を与えることは考えられるのよ」
ヤーナの諭すような言葉に、顔を顰め、やはり舌を出し、吐くようなそぶりを男は見せる。
「はいはい、わかりました。ご高説ありがとうございます。ご意見は頂戴しておきますよ。だが、こちらも長いこと染物を生業としているが、異変が起きたなんて聞いたこともないのでね。じゃあ、俺は忙しい身だから、突然の来客に構っている暇はないから、これで」
男は立上り、ヤーナに背を向け手を振り、そそくさとその場を後にする。男の態度に、リエッタは憮然とし、文句を言おうとするがヤーナに止められた。
「仕方がないことなのよ。そう、いつでも、このようなことは起こりうるから……」
困ったような笑みを浮かべ、何かあってからでは遅いのだけれどもねと一言漏らすも、仕方がないから帰りましょうとリエッタに向けて促した。
「本当はここで一泊するはずだったのでしょう?」
リエッタは今日も野宿かと、若干うんざりする。久しぶりに、地面よりかは、幾分ましな寝床に入れるかと期待をしていたが、染物組合の長という男があの調子では、村にも居づらい。
ごめんなさいねと、リエッタに向けてヤーナが小首を下げる。リエッタは慌てて、ヤーナさんのせいじゃあないから気にしないでと言い繕う。二人で男がいなくなった場から、ロバが待つ村の外へと足を向け出口に差し掛かるころ、幾人かの年配の者達から声を掛けられる。
「おーい! ヤーナの婆様、待ってくんない!」
ヤーナに声を掛けたのは年老いた染物職人達であった。職人たちは、息も絶え絶えにヤーナが持参した染色薬を分けてもらいたいと切り出した。
「長が行商から買う薬は確かに発色を良くはするけどさ、やたらと肌が荒れるんさ」
「間違って溶かす前の粉体を吸い込むと喉が痛んで、気分も悪くなるしよ」
若い連中は、無理が効くけど俺達みたいな老いぼれにはきついのよと、熟練の職人達が苦笑いを浮かべる。本音を言えば、行商が卸す薬を使いたくはないらしいが、やはり薬を使うと使わないとでは発色に差がでるから、しかたなく使い続けているとのことだ。
「そう、私は構わないけど、問題はないの?」
ロバの鞄から発色用の粉薬と中和用の粉薬が入った袋を取り出しつつも、村の中で揉めないかと危惧して、ヤーナは心配そうに職人達へと尋ねる。
「なーに、今までは長がまとめてヤーナの婆様から買った薬をさ、各々の家が必要分だけ購入していただけだから、それほど変わりはせんよ。今代の長は行商から卸している安く仕入れた発色薬だって、俺達には今までと値段を変えずに売りつけているのさ」
染め物組合は出来上がった品を各々の家からまとめて買い上げて、街に出向いて売り歩く仕組みを取っているらしい。本来は薬代を多く掛けた分だけ、損をするが、年配の職人たちは自らの身が大事と考えたということだ。
ヤーナは改めて、中和薬を混ぜて、濾してから排水することを念入りに説明する。約束が守れないのであれば売れないとも言うが、職人たちは各々で金を出し合い、薬を買い求め、ヤーナに代価を渡そうとしたところで、ヤーナから一つの提案が持ち掛けられた。
「ところで、今使っている行商さんから買った薬を少し分けてもらえないかしら。そう、対価として薬を少しだけ安く譲るわ」
そんなことならお安い御用だと、職人たちは言い、自分たちの家に残っていた行商の薬をヤーナへと譲り渡した。
「あら、やだ、そう、こんなにはいらないの」
「俺達としては処分に困るだけなんでなあ。ヤーナの婆様、ついでに貰ってくんない」
それで、婆さんの薬が安くなるなら儲けもんだと職人たちは、口々に笑う。ヤーナは困ったわねとこぼしながらも、仕方なく薬を預かる。
「ねえ、職人さん方、行商の取り扱う薬は、ヤーナさんのと違って、色々と後の処理の方法がいい加減なようだけど、本当に問題がないの?」
ヤーナと職人のやり取りがひとしきり終わるころにリエッタが尋ねるも、職人たちは顔を見合わせてて困ったように首を振り「判らない」とだけ答えた。
「ああ、そうだ、婆様ついでに鼠やネスマスの駆除薬は余ってないか」
王都と同じようなことを職人の一人が言い、他の者も思い出したように、あれば買うから譲ってくれと口々に言う。
「最近、鼠やらネスマスやら増えて布を齧るのさ」
「ありゃ、でかいだけの鼠だけだろう? 灰色っぽいやつがいたからよ」
「いや、ネスマスだろう。牙が見えたもの。皮は薄いし、目も大きくて赤く光るしよ」
ヤーナから駆除薬を買い取りつつ、職人はネスマスの話を口々に言う。
ネスマスはどこにでも生息する小型の鼠に似た怪物だ。
ただし、大きさは小型の犬と同じ程度の体格で、大きく裂けた口の中には無数の小さい牙を生やし、前脚に長い爪を持つ。目は大きく赤く、毛のない白い表皮に青緑の静脈と赤い動脈が透けて見える気味の悪い怪物だ。
大抵、二、三匹で行動をして、捕食対象に襲い掛かる。一般人が一人でいるところを襲われれば多少は危険ではあるが、棒切れ一つあれば追い払うことができないほどではない。
ただ、鼠と同じように繁殖力が旺盛で、定期的な巣の駆除を怠ると大繁殖を起こしてしまい、ちょっとした災害につながることもある。
「灰色のネスマス? やだ、変異種かしら。王都も随分と鼠の数が現れているようだし、きちんと駆除をしているの」
リエッタの言葉に、職人たちは村長の手配だから判らんよとだけ告げつつ、共同で巣の駆除したのはいつ頃だったかなと他人事のように相談を始める。
そんな定期的な巣の駆除を怠っているだろう村の職人たちの様子を見て、ヤーナは眉をしかめ、黙って考え込むのであった。




