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草の賢者  作者: マ・ロニ
第一章_第一節
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第一話 夜の来客

『夕刻に染まる空、熟れた気狂いの果実 喉から溢れる新鮮な血潮』

 最高の赤ワインの色合いについて 喉切諸侯 ラリギ・エマ小候

 光の巡り 木の時 十番目頃


 男は息を切らしながらも暗くなりつつある森の中を駆ける。


 落ちて積もった葉を踏みしめるたびに、独特な臭いが鼻を突き、隠れた根に足を取られてつまずきそうになる。


 夕暮れ時についた、外れの集落で一晩を明かしたほうがよかったのだろうかとの思いが頭の隅によぎる。今さらのことだし、悠長なことをしている暇はなかったのだと思い直す。


 いつ、怪物や怪異が我が身を襲ってくるのかと恐怖を抱きつつも男は向かう。


「婆様は森の奥の小屋に住んでいるから」


 外れの集落にいた髭面のいかつい男の言葉を聞いて、頭の中が白くなった。

 目的とする婆様は、外れの更に外れに住むということだ。夕暮れ近くについた集落の先に広がる森はどう見ても奥が深い。


 ランプも持たずに無理はするなと声をかけられたが、聞く耳持たず、今、こうして暗い森の中を駆けている。


 自分が死んだら、どうしようもないのに。だが、自分が行かなくてはどうしようもないのだ。


 男は泣きべそを浮かべながらも、暗い森の中を何かに襲われるかもと、恐怖感を抱きながら駆けていく。


 男は駆ける。暗い森の中に見つけた、乏しい光を見つけて。心の中にわずかな安堵を抱いてもなお、心配事は消えてはいない。


 ここまで来て、駄目だと言われたら、手の施しようはないのだ。




「頼む! 開けてくれ! 頼む!」


 男は粗末な小屋の粗末な木の扉を叩く。あたりの様子は暗くて窺えないが、小さな窓から零れる僅かな明かりを頼りに、ようやく辿り着いたのだ。


 扉を叩く。叩くが反応はない。留守だとでもいうのか。


「頼む! 話を聞いてくれ! 怪しいものではない!」


 男は必死に扉を叩いて叫ぶ。あたりに人の気配は窺えない。ここまで来て誰もいないというのだろうか。それとも、居留守をしているのではないか?


 心に疑心が芽生えそうになりつつあるとき、粗末な扉がわずかに開く。


「誰? ヤーナは今いない」


 扉の前ではなく、下のほうから、か細くもはっきりと聞こえる声がした。


 目線を下にやる。空いた扉の隙間から見えるのはフードを深くかぶり外見は窺えないが、背の低い、幼い子供だと思われた。


 ここに住んでいるのは老婆ではなかったのか? それとも、老婆の孫かなにかだろうか。男は戸惑いながらも子供に声をかける。


「キ、キミは、ここに住む人の身内かい? お、お婆さんは今いないのかい」


「そう。ヤーナは今、薬草を摘みに出ている。知らない人を家には入れられない」


 こんな、暗い森の中で薬草を摘む? いや、摘みに出てまだ、戻っていないということだろうか。

 だが、男は老婆が不在と聞いて膝を落としてしまう。張りつめていた緊張の糸が解けて、気が抜けてしまった。


「そんな。じゃあ、駄目じゃないか」


 うなだれて、扉から手を放し男はべそをかく。子供はそんな様子を、感情もなく、フードの中からじっと見ているだけで家から出ようとはしない。


「あらあら、お客さん? そう、ずいぶんと遅い時間なのにどうしたの?」


 男は振り返る。気配は特に感じなかったが、振り向いた先には暗い夜の中を照らす明かりから浮かび上がる、フードをかぶりローブを羽織った人の姿があった。

 声からして年を経た女。男は目的の人に会えたという思いから、再び心を奮い立たせて、目の前に立つ女へと声を駆ける。


「頼む、話を聞いてくれ!」


「ええ、構わないわ。だから、そう、落ち着いて。まず、家の中に入りましょう。そして、あなたの名前と目的をしっかりと、そう、しっかりと話してくれる?」


 柔和な声で諭すようにゆっくりと声をかけ、女は落ち着いた仕草でかぶっていたフードを下ろす。

 白髪を一つに括り纏め、小柄で、ふくよかだが、深いしわが刻まれた、凹凸の少ない顔つきの老婆は男を落ち着かせるように微笑みを浮かべて、男を家の中へと誘った。




 粗末な小屋の中はこじんまりとしてたが、木の壁に様々な道具が掛けられ、天井張り巡らされた縄には干した薬草が所狭しと吊る下げられていた。

 壁際に作業用の四角い木の机と背もたれのついた椅子。中央には小さな丸い机と同じような木の椅子が設えてある。

 老婆は男に椅子をすすめた。腰を掛けてみる前から分かっていたことだが、あまり出来のよい椅子ではない。

 実際に腰を掛けるとギィと音が鳴り、ガタついて落ち着きが取れない。


「ごめんなさいね。見よう見まねで作った椅子だから造りが悪いのよ。そう、集落には鍛冶と裁縫の職人はいるけど木工が得意な人がいないのよ。王都で買うとそれなりにお金はかかるから」


 老婆は少しだけ申し訳なさそうな顔をしながら、甕から柄杓で汲んだ水を入れた素焼きの椀を男に手渡した。

 森の中を駆け続けていた男は椀の水を一気に飲み干す。喉から乾いた体に水分が染み込んでいくように感じた。


「い、いや。こちらこそ、夜分に押し入る形で済まない」


 飲み干した椀を老婆に返しつつ、口元の水を腕で拭って落ち着いたところで男は軽く頭を下げて謝罪する。それからさらに頭を深く下げ老婆にここへ来た要件を切り出した。


「妻と娘が死にそうなんだ。頼む、薬をくれ」


 男は頭を下げたまま何も考えず、単刀直入に自分の要件だけを口にした。


「あらあら、それは大変。とっても大変。だけど、そう、症状もなにもわからないと薬は処方できないのよ」


 男はそっと顔を上げる。老婆は困った顔を男のほうに向けていた。


「……話を聞いてくれるのか?」


「あらあら。そう、そうしなければ何もわからないでしょう?」


 老婆はそういうと机から羽ペンと板切れを手繰り寄せる。蝋燭のほのかな明かりを頼りにするためか眉間にしわを寄せている。

 男はホッとする。薬は高価なものだ。金の話がまずくると思っていた。手持ちはないに等しい。叩きだされることも覚悟をしていたし、いざとなったら手荒なことも考えていた。だから正直に話すことにした。


「金はない。だが、必ず……」


「そのことは後にしましょう。まずは、そう、奥さんと娘さんの容態について聞かせて頂戴」


 老婆は落ち着かせるような微笑みを男に向ける。安堵で緊張の糸が解け、男の肩から力が抜け、事の次第を話し始めた。


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