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続・トイレの華子お嬢様

作者: まさかす

「何故、お前は此処にいる?」

「知らない」 


 トイレのドアを開けると、そこには長い黒髪の女がいた。大正時代の女学生を思い起こさせる、赤っぽい羽織袴を纏ったその女は、洋式トイレに蓋の上に座り足を組み、右肘を膝の上に置きながら頬杖をつき、立ったままの俺を上目遣いに睨んでいた。俺がそいつを見下ろしているはずなのに、何故か俺が見下されている気がした。


「感動的とまでは言わないが、それなりの余韻を残す別れ方をしたよな?」

「覚えて無い」


「心残りは無いって言ったよな?」

「無いわよ」


 元々は友人の家のトイレに棲み付いてたその女。そいつ自身の骨が友人の家の下から見つかった事で、成仏したはずだった。俺の目の前から霧のようにして消えていったはずだった。だがその女はこともあろうに、俺の家のトイレに突如として現れた。


「じゃあ何で、今ここにいる?」

「知らないわよ」

「何で、俺の家のトイレにいるんだ?」


「だから知らないって言ってるでしょ? ねぇ聞いてるの? 日本語分からないの? 馬鹿ってやつなの? 言葉通じないの? 生まれたての犬か猫なの? それとも豚なの?」


 突如として現れたその女の幽霊に、何故か俺が逆切れされた。


「まあ理由はこの際どうでもいい。で、どうすりゃ成仏するんだ?」

「知らないわよ」

「何で再び現れたんだよ、それも俺の家によぉ!」


「だから知らないって言ってるでしょ? ねぇ聞いてるの? 日本語分からないの? それとも英語で言わなきゃ通じないの? アホってやつなの? 言葉通じないの? 生まれたての馬か鹿なの? それとも牛なの?」


 何故に生まれたてという言葉を使うのかは分からないが、とりあえず再び切れられた。


「じゃあどうすんだよ! ずっとここにいるつもりか? 毎回俺の矛を見るつもりか? ひょっとしてマニアなの? 矛マニアなの?」


「アンタのソレに興味がある訳無いでしょ?」

「あ、つうかテメェ! 俺の矛を戻せよ!」

「あら? まだ戻ってないの?」

「全然戻る様子もねぇよ!」


「あっそ」

「『あっそ』じゃねぇよ! 良いから早く戻せよ!」


「出来ない」

「何?」


「出来ない」

「何でだよ」

「分からない」


「いや――――」

「だから出来ないって言ってるでしょ? ねぇ聞いてるの? 日本語分からないの? それともスワヒリ語で言わなきゃ通じないの? ドアホってやつなの? 生まれたてのネズミかミミズなの? それともゾウ亀なの?」


 例えが良く分からないが、三度切れられた。それも逆切れ。


「とりあえずさ、あの時みたいな呪文やってみてくれよ、な?」

「呪文? そんなのやったかしら?」

「やってたじゃねぇかよ! 大きくなれとか小さくなれとかよ!」

「覚えてないわねぇ」

「何でだよっ! それがお前の能力だろ!」

「知らないわよっ!」


 既にあれから5年が経ち、俺は社会人として働きだし、実家を後に6畳一間といったワンルームで一人暮らしをしていた。そのトイレに華子は現れた。


「だいたい何で俺んちなんだよ!」

「だから知らないって言ってるでしょ? ねぇ聞いてるの? 日本語分からないの? それともブラックフット語で言わなきゃ通じないの? 真正のアホってやつなの? 生まれたてのミジンコかカマキリなの? それともアヒルなの?」


 やはり例えが良く分からないが再び切れられた。つうかブラックフット語なんてカッコ良い名前の言語が本当に存在するのだろうか。華子はお嬢様だから学がある故に、そういう事を知っていてもおかしくはないとは思うが、俺が知らないと思って適当に言っているだけじゃないのだろうか。それは兎も角、成仏した幽霊が復活するって不条理過ぎではないだろうか。まあ、幽霊そのものが不条理と言えば不条理だが……


「お前の所為で女と付き合うのがどれだけ大変か分かるか?」

「知る訳無いでしょ? この私が知る必要もないでしょ? あなたは宙に浮いてる塵を気にするの?」


 こいつは俺の苦労を一切気にせず、面と向かって俺の事を「塵」とかぬかしやがる……。まあ、気遣いの出来る幽霊なんていないのかもな……


「あ、そういえばさぁ」

「あ?」

「アノ子はどうしてるの?」

「アノ子って田村の事か?」

「それ以外に誰がいるってのよ」


 どうにも上から目線が止まらない。こいつの性格は文字通り死んでも治らないようだ。ま、生前の性格なんて知らないけど。


「田村だったらお前が消えた後、家の近くで親戚がやってる工場で働きだしてさ、今じゃ取引先の娘さんと結婚して子供まで居るんだぜ」

「そうなんだ……それは良かったわ。じゃあ、今は新しい家族も居て幸せに暮らしているのね」


 華子は笑顔で言った。だがその笑顔は、優しくも寂しい笑顔に見えた。


「あいつ親バカって感じでよぉ、休日はいつも子供にべったりらしいぜ。何なら連絡してやろうか? きっと直ぐに来るぜ?」

「別にいいわよ」

「田村の子供見たくねぇの? つうか田村に会いたくねぇの?」

「別にいいって」


 華子は優しい顔でそう言うと、静かに目を瞑った。ひょっとして田村の事が心残りで再度現れたのかとも思ったが、全く成仏する気配も無い事から、それが心残りだった訳ではないようだ。とはいえ、赤子の時から見ていた田村の事を恋愛対象として見ていたとは考えずらく、一体こいつの成仏の条件は何なのだろうか……


「今更幽霊の私と会って、万が一にも家族の関係を壊すような真似なんて野暮でしょ」


 俺の人生を壊しているとも言えるくせにと思ったが、とりあえずそんな事は口にしない。田村の成長を見続けてきた華子からすれば、きっと何か思う所はあるのだろう。ひょっとしたら、田村を自分の子供のように思っていたのかもしれない。その子供が子供を産んだのだ。孫として見れてもおかしくはない。本当であれば会ってみたいであろうに。

 華子はもう成長する事は無いが、小さい頃から見てきた田村が自分よりも成長し子供もいる。自分にもあったはずであろう新しい家族を作り、一緒に暮らすという未来。もしかしたら自分が歩めなかったその道を、たとえそれが田村だとしても見るのも辛いといった葛藤があるのかもしれない。成長した田村を見てみたいというのもあるだろうが、やはり幽霊の自分をこれ以上付き合わせたくないといった、いわゆる親心があったりするのかも知れない。いや、親心というよりは母性だろうか。ま、幽霊だけど。


「で、アンタは今どうしてるの?」

「どうもこうも、取り敢えずは一人暮らしをしながら何とかやってるよ。色々と問題はあるが、とりあえず彼女と言える存在もいるしな」


「問題?」

「いや、だから、お前の置き土産だっつーの!」


「ああ、その事。色々な意味で、ほんっっっとに、小さい男ね」

「お前の所為だろうがよっ!」

「でもその辺の下衆な女と付き合う事は出来てるんでしょ? なら良いじゃない」

「下衆って……だとしてもよ、話す以外に何も出来ないんだぜ? 万が一にもそれがばれちゃう可能性があるからよ、外で昼間に会うのが精一杯だっつーの!」

「アンタにはそれがお似合いじゃないの?」


 幽霊のくせして生きている人間を下に見ているのか、単純にお嬢様だから平凡な一般人である俺を下に見ているのか。本当は思いっきり罵倒したい。しかし俺も鬼では無い。いくら幽霊とはいえ、若くして亡くなった華子に強くも言えない。そもそも罵倒したならば、それ以上の言葉で以って打ちのめされそうだ。それに乗って下手に口を開こうものなら、幽霊とはいえ傷つけてしまう言葉を口にしてしまいそうだ。


「ったくよ、まあ……仕方ないか……」


 そして華子が消えないままに翌日を迎え、俺はいつものように会社に出勤した。そして昼の休憩時間、俺は彼女と一緒に会社近くの定食屋で以って飯を食っていた。


「ねぇ、今度家に行っていい?」


 不意に言われたその言葉は、以前にも何度か言われた。当然、家に来るという事はそういう事を期待してしまうが、残念ながら俺の矛は隠居中の身。故に、俺は彼女が家に来ない様、言葉に注意しながら、今迄やり過ごしてきた。


「何? 駄目なの?」

「いや、あの、そのさ……つうかマジで俺の家さ、人を招けるような家じゃないから」

「いつもそんな事言ってさぁ、本当は誰かと同棲してるんじゃないの? だから家に呼んでくれないんじゃないの?」

「そんな事は無いって。ははは」


 呼べるはずもない。俺の矛の事もあるが、今はトイレに華子がいる。田村は俺に華子を合わせたが、やはり普通に考えれば幽霊を紹介するのはおかしいはずだ。それに下手をすれば俺の矛が見られてしまう。まあ、見えないんだけど……


「ひょっとして変な趣味を持ってるとか? それが部屋一杯にあるとか?」

「ははは、そんなんある訳無いじゃん」


 俺の矛の事も言えないし、そもそも変な者がトイレに棲んでるとも言えない。いっそ「昼のちょっとした時間だけ、それもトイレに行かないという条件であれば部屋に来ても良いよ」なんて言いたいが、それは「是非トイレを見てください」と言っているのと同じだ。しかし今迄も何かと理由を付けては断り続けてきていて、流石に断るのも難しくなってきた。話す事しか出来ないとはいえ、折角出来た彼女と別れる事にはなりたくない。


「じゃあ、今度の休みいくね。お昼ごはん作ってあげるよ」


 と、半ば強引に押し切られる形で、彼女は俺の家へと来る事になった。そしてアっと言う間に時が過ぎ、休日を迎えた今日、時計の針は正午を指そうとしていた。


「いいか、絶対に物音1つ起てるなよ。天井にへばりついて居ろよ。万が一にもトイレに行く際には大声でそれとなく合図もするからよ」

「はいはい、分かりましたよ~ん」


 華子はそんな軽口で返事をする。ほんとにこのバカ女は分かってるのだろうか。幽霊という自分を、ちゃんとわきまえてくれるのだろか。

 

 ピンポ~ン♪


 正午直前、俺の家の玄関チャイムが鳴り、俺は急ぎ玄関へと向かい、誰が来たかも確認しないままにドアを開けた。


「ようこそ我が家へ」

「お疲れ~」

「ははは、別に疲れてないけどね」


 まあ、憑かれているようなものだが……


「といってもさ、マジで普通の小さいワンルームだぜ?」

「別にそんなの気にしないよ。じゃあ入って良い?」


「あ、ああ、どうぞどうぞ」

「それじゃ、お邪魔しま~す」


 そう言って彼女は低めのヒールを脱ぎ、礼儀正しくキチンと揃え、俺を先頭に玄関から入って直ぐのトイレの前を通り、その横のキッチンを通り抜け、6畳一間といったリビングへ向かった。


「何よ、別に汚くもないじゃない。普通じゃないの」

「いや、家に来るっていうから念入りに掃除したんだよ」


 彼女の肩越しに見えたトイレのドアが、ほんの少し開いていた。その開いた所からは、こちらを覗く華子の顔がチラリと見えた。俺は『閉めろバカっ!』と目で言うと、『何よ、全然対した事無い垢抜けない女ね』と口パクで言って、鼻で「フン」と笑うとソっとドアを閉めた。俺は浮気の経験などないが、いわゆる二股に於ける鉢合わせ状態とはこんな感じなのだろうかとふと思う。これはとても心臓に悪く、決して二股等はしないようにしようと俺は誓った。そして彼女は肩に掛けていたトートバッグをリビングの床へと置き、その中からエプロンを取りだすと手際よく身に着け、ここに来る直前に買い込んだという食材の入ったビニール袋を片手に「じゃあキッチン借りるね」とキッチンへ向かい、早速料理を始めた。


「俺はどうしたら良い? 何か手伝おうか?」

「いいよぉ、そんなに凝った料理じゃないし。ネットでも見て待っててよ」

「そう? 悪いね。じゃあ、そうさせて貰うよ」


 トントントンと小刻みに、包丁の音が小さな家に響き渡る。


「ねぇ、醤油は?」

「醤油? そこに無い?」

「中身が入ってないけど」


「あ、やべ、切らしてんの忘れてた……。醤油無いと駄目な料理?」

「味の無い料理が好みだったら構わないけどね」

「いや、それは流石に……。あっ、じゃあか――――」


 思わず「買ってくるよ」と言いそうになったが、華子の事があってここから離れる訳には行かない。


「じゃあ、私が急いで買ってくるから待ってて」


 そう言って彼女はエプロンを外してキッチンに置き、リビングに置かれたトートバッグの中から財布を取り出し、それだけを手に急ぎ部屋を後にした。それを見計らったようにしてガチャリとトイレのドアが開き、華子が顔を覗かせた。と、思ったら、トイレから出てきた。つうかトイレから出られるのかよ。どこまでご都合主義の幽霊なんだ……


「つうかアンタさ、一緒に行けば良かったんじゃないの?」

「あ……」

「『あ』じゃないわよ。ほんとに気の利かないサルね」

「いやサルって……」


 そもそもの元凶であるお前が言うなよと言いたい所だが、まあ言った所で意味は無い。どうせその後には意味不明な罵詈雑言を浴びせられるのだ。


「まあ、頭も悪そうだし垢抜けないイモ臭い女だけど、アンタにしては可愛い彼女じゃない」

「お前はほんっとに性格悪いな……。そりゃ現代にもお嬢様と言えるような女はいるけどよ、あれが普通だからな?」


「ま、私と比べるのが筋近いって事ね」

「お前はどんだけ自分を高みに置いてるんだよ……」

「そんなの決ま……あっ」

「何だよ、まだ何か言いたい事があんのか?」


「思いだした」

「何を?」

「呪文」

「呪文?」

「うん」


「呪文ってまさか……」

「そうそう」

「俺の?」

「そうそう」

「それか?」

「アッタリ~♪」


「マジかっ!」

「で、どうする?」

「どうするって何が?」

「元に戻す?」


「はあ? 当り前だろうがよ! つうか彼女が戻って来る前にサッサと戻してくれよ!」

「仕方ないわねぇ」


 得意げな顔で以って華子が言う。そもそも忘れてたのはお前だろと言いたいが、ここで変にへそを曲げられたら元も子もない。若しかしたら今日こそ俺の矛を使う日になるかもしれないのだ。であれば文句は後にして善は急げだ。というか今以外にないだろ!


「大きくなぁれ、大きくなぁれ、大きくなぁれ――――」


 華子は目を瞑りながら、あの時と同じようにして呪文を唱える。すると、俺のパンツの中では何かがモゾモゾと騒ぎ始める。


「おぅっ……何か来てるぜ!」


 パンツの中で徐々に俺の矛が元のサイズへと戻って来る。それが大きくなるのが手に取る様にして分かる。


「おおっ! 来た来た! 来たーっ!」


 5年近くも沈黙していた俺の矛はサイズが戻ると同時に覚醒し、「いざ出陣!」とでも言いたげに、パンツとズボンを突き破りそうな程にそそり立つ。


「おおっ! これだよこれっ! ……って、ストップストップ!」


 危うく以前同様とんでもない大きさになりそうだった。正直大きい気もするが、まあ良いだろう。


「おぉぉぉ……戻ったぜ……」

「感謝しなさいよね」

「は? 感謝だと?」


「この私が、アンタなんかの為に、わざわざ、元に戻してあげたのよ? 感謝して当然でしょ?」

「お前がそもそもの元凶だろうがよ!」

「うるさいわねぇ。元に戻ったんだから良いでしょ?」


「ったくよぉ……しかし……ああ、俺の矛だ……」


 高校以来見る事の無かった矛の姿に感極まっていた所、不意に「ガチャリ」と玄関ドアが開き、「ただいまぁ」と声がした。そしてその声の主は目の前の光景を数秒間、口を半開きに呆然と見詰めた。


「ちょっと、その女は何?」

「……やっぱり見えるの?」


「はあ? 何言ってんの? っていうかさ、ずっとその女をトイレに(かくま)ってたの? それで私が買い物に行ってる間に一発済まそうとしてたの? 買い物の時間も我慢出来ない程に溜まってますって事?」


 彼女は指を差しながら言った。その指の先には、戦闘状態にある俺の矛。


「あーっ! いや、これはその……いや、違う、これには訳が――――」

「いやマジ最低。つうか二股も最低だけどさ、ヤル事しか頭に無かったの?」

「いや、だから違うんだ、これには訳が――――」

「股間をそんなに大きくした状態で何が違うの?」

「いや、だから、うまく説明できないけどさ、これには事情が――――」

「男の下半身の事情なんて1つでしょ?」

「いや、そうかもしんないけどさ……いや、そうじゃなくて――――」


 彼女は靴を脱ぎ棄て俺を睨みつけ、不機嫌顔のままにドカドカと大きな足音を立てながら家に上がると、リビングに置かれていたトートバッグを手に取った。


「私帰る。これあげるから自分で料理しなさいよ。ついでに自分の下半身も自分で処理するか、その女に処理してもらいな」


 蔑んだ顔でそう言って、醤油が入ったビニール袋を床に放り投げ、再びドカドカと大きな足音を立てながらキッチンに向かい、そこに置いてあったエプロンをトートバッグに押し込み、そのまま玄関へと向かった。


「ちょ、待ってくれ、お願いだから」


 彼女は無言のままに靴を履くと、背中越しに「じゃあね」と冷たい声で言って、そのまま去って行った。


「ま、これは不可抗力よね。いきなりドアを開けるあの女も礼儀がなってないわ」

「お前はほんとに……あ……」

「何よ?」

「いや、お前のその手……」


 俺の目線は華子の手に向けられていた。その華子の手は、ぼんやりと透けていた。


「あ、そう言う事?」

「何だ? どういう事だ?」

「アンタのそれを小さくした事が心残りで成仏出来なかった、と言う事かな」


「……何だそりゃ! そりゃテメェが悪いだけじゃねぇかよ!」

「だから治してあげたでしょ? ほんっとに小さい男ねぇ」

「もう小さくねぇよ!」

「はいはい、分かった分かった。ふぅ、でもこれで本当に終わりのようね。ほんのちょっとだけ楽しかったわよ」

「俺は楽しくはねぇよ。まあ、嬉しいけどな……つうか嬉しさ半分だな……」


「いい? この私が、折角元に戻してあげたんだから、アンタはそれを行使して幸せになりなさいよね」

「分かってるよ。元に戻ったからには無敵だぜ……と、言いたい所だが、早速問題が起きた訳だがな……」

 

 本当は「全てお前の所為だけどな」と付け加えたかったが、今から成仏する華子に対して、これ以上何も言う必要は無いだろう。


「ま、その問題は生きてるアンタが何とかしなさい」

「分かったよ」


「それじゃあね、バイバイ」 


 既に薄らとしか見えない華子は手を振りながらそう言って、優しい笑顔のまま霧のようにして消えていった。その間も俺の矛は「元気出せよ。お前には俺が付いてるぜ!」とでも言うかのようにして戦闘状態を保っていた。


「は~あ、折角元に戻ったのになぁ。一難去って、また一難ってとこか……」


 俺の彼女は同じ会社の同僚である。いわゆる社内恋愛。会社に於ける席は隣同士。それ故に仲良くなれた訳でもあったが、こういう事態が起きてしまうと、それは一転して最悪の状況となる。彼女とはあんな事があった訳ではあるが、彼女は大人と言うか、あからさまに無視する事はせず、いわゆるビジネスライク的に俺とも会話をしてくれた。まあ、当然プライベートな話は聞く耳貸さずではあったが……。それは良いとして、彼女はその時に見た光景について、俺の家を出て直ぐ、同僚女性に電話で以って話したらしく、それは静かに社内で共有されていた。


『あいつ女にコスプレさせてるらしいぜ?』

『聞いた聞いた、何でも大正時代の女学生のコスプレだろ?』

『セーラー服ならまだしも、そりゃまた随分マニアックだな』

『つうか二股かけるような奴には見えなかったけどな』


 男の同僚はそんな事をボソボソと口にする。それは良い。問題は女性陣である。中堅とも言える規模のその会社には、男と同数程の女性社員がいる。


『実際に二股かけるやつって居るのねぇ』

『きっと結婚したら不倫もするんだろうね』

『つうかコスプレさせる趣味があったんだね』

『つうか一緒の空気吸いたくないんですけど』

『つうか買い物時間も我慢出来ない程に溜まってるって笑える』


 俺はその時になって初めて「社内恋愛」というヤバさを思い知った。客観的には完全に俺が悪く、女性陣は総出で以って容赦なく白い目線を俺に浴びせ続け、業務以外の会話には一切応じてくれなくなった。その話は上司にも漏れ伝わり、男であるその上司は気を利かせて席替えをしてくれた。かといって俺の評判が戻る訳でも無く、最低を維持したままに、社内の女性達から白い目を浴びせ続けられている。これはもう嵐が通り過ぎるのを待つしかなく、「人の噂も75日」という諺を信じて生きていくしかなかった。


 それ以外にも問題があった。それは「寝た子を起こしたのが悪かった」と言うべきか、俺の矛は何年も寝ていた分を取り戻すかの如く、1日24時間365日年中無休で戦闘状態となっていた。日中は勿論のこと、トイレに入っている時、風呂に入っている時、飯を食べている時と所構わず「いつでも掛かって来いや!」とでも言っているかのようにして年がら年中戦闘状態。


 寝ている時もそれは戦闘状態。ベッドに横になり、そのまま視線を下半身へと向けると、俺の矛は布団を突き破るかのようにしてそそり立っている。それは「俺の富士」といった所だろうか。その所為で就寝後、不意に寝返りを打てば矛が折れそうになり「イテェ!」と目を覚ます。おかげで寝不足な今日この頃。


「あのクソ女! 結局こんな呪いを残していきやがってよ!」


 かといって元に戻らなければ良かったなんて事は決して無く、矛としての役目を果たすか果たさないかで言えば果たす事は出来る。本当に世の中は上手くいかない物だと痛感する。とはいえ、それら全ては成仏した幽霊の所為なんだが……


 そして俺は戦闘状態の矛と共に、「二股を掛ける男」「コスプレさせる男」という称号そのままに日々を過ごし、光陰矢の如く、気付けばあっという間に60年という時が過ぎ去った。


 俺は高齢者と言える年齢となり、病院のベッドの上で今際の時を迎えていた。そんな状態でも俺の矛は戦闘状態を保っていた。体は弱り切っているにもかかわらず、俺の矛は「もっと仕事をさせろ!」とでも言うようにして力強く立っている。華子に戻して貰ってからずっと、俺の矛は戦闘状態を崩す事は無かった。お陰で海水パンツを履く事が出来ない為に海にも行けず、銭湯や温泉スパ等の裸になるような場所に行く事は出来なかった。普段は矛を抑えつける用のベルトをしているが、流石に海やスパ等に付けていく事は出来ない。だが時に、それは強力な武器にもなった。幸いにも常時戦闘態勢の俺を受け止めてくれる女性に出会う事が出来、俺は子供を10人も授かる事が出来た。それはそれで経済的に大変であった訳ではあるが、やはり大家族というのは賑やかでいい物だ。


 そんな俺を受け入れてくれた妻は、傍らで以って寂しげに俺を見つめていた。俺は目で以って「今までありがとう」と言うと、自分の下半身へと目を向けた。そこには「まだまだ行けるぜ!」とでも言うようにして、力強く布団を持ち上げる俺の矛。当然、病院関係者を含めて皆にその様子を見られている訳ではあるが、そういった白い視線にはすっかり慣れていた。


 結局、華子はあれ以来姿を見せなかった。若しかしたら何らかの切っ掛けで以って、再び華子が現れるんではないだろうかと思っていたが、2度と現れる事は無かった。俺の矛を戻した事で、本当に成仏したという事なのだろう。考えてみれば、俺の矛を使い物にならない様にしてしまった事が心残りだったなんて、案外可愛い所もあったな。もしかしたらあの世とやらで再び会えるかもしれない。つうか華子は18歳位のままの姿で今もいるのだろうか。既にヨボヨボの俺と会っても気付いてくれるだろうか。ま、今更そんな事はどうでもいいか。


 そしていよいよという時、まるで役目を終えたとでも言うかのようにして、俺の矛は(しぼ)むようにしてヘナヘナと、ゆっくり倒れていった。あれ以来見る事の無かったその様子に、思わず感動すら覚える。そしてそれが倒れる際、「先に行ってるぜ」と言った気がした。俺は心の中で「お疲れ様」と、力尽きた矛に向かって言った。


 思えば不思議な人生だった。田村に紹介された幽霊に翻弄されたと言える人生だった。だが全てが思い出になった今となっては、面白い人生だったと言えるだろうし悔いも無い。


 華子と初めて出会ったのが高校生の時。そして2度目にあったのが社会人2年目となった23歳の時。あの時は自分の事で精一杯だった。だが今再び会ったのなら、あの時よりも優しく接する事が出来る気がする。妻や子供がいる今の俺であれば、20歳を迎える事も出来ず、結婚や子供を授かるという事も無いままに、誰に看取られるでも無く、たった1人で苦しんだ末に亡くなった華子に対して、あの時よりももっと優しく接してあげられる気がする。それが悔いと言えば悔いだろうか。とはいえ華子の事だ。「何で下衆のアンタにお嬢様の私が同情されるような真似されなきゃならないのよ」なんて言うのかもしれない。若しくは「私が治してあげた矛のおかげでアンタは幸せになれたんだから感謝しなさいよね」なんて言うのかも知れない。そんな言葉を吐く華子の姿が目に浮かぶ。その姿が余りにも鮮明に浮かび、思わず1人笑ってしまう。


 ベッドに横たわる俺は、妻を含めた沢山の子や孫に見守られている。そんな今の俺は、きっと身分不相応と言える程に幸せ者だ。


2020年05月07日 2版 誤字訂正

2020年04月27日 初版

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