第三話 疑心、暗鬼を生ず(3)
五年前の夏
ジリジリと照る太陽の下、真っ黒に焼けたうなじに汗を光らせながら、五人の子供たちは、黙々と草原を歩いていた。子供の背丈ほどにも伸びたイネ科の植物をかき分けながら、海岸を目指す。
「ねぇ~、まぁだなの? 兄ちゃん」
一番後ろに付いて来ていた小さな少年が、泣きそうな声を上げた。
「だけん、大河はついて来んなって行ったとろ?」
一つ前を行く兄が顔を顰めた。
「だばってん、オイげな見たかもんっ、カメさん……」
小学生になったばかりだろうか、兄を上目づかいに見るその表情には、まだあどけなさが残っている。
「歩けんなら一人で戻れ、こん先から海の中ば歩くんたい。足手まといばい」
拗ねて立ち止まる弟を一瞥すると、兄は大河を置いてずんずん先へ行く。
「えー、やだよぉ、来るけんぉ」
大河は半泣きのまま兄の背を追った。
やがて草原は途切れ、海に面した崖に辿りついた。ここからは少しばかり海の中を通らなければならない。引き潮を見計らって来たが、それでも膝上まで海水がくる。暑さでイライラしていた子どもたちは、海の水の冷たさに歓声を上げた。
島民五百人ほどの小さな島だ。島の東側に港があって、村は、その港を取り囲むように、身を寄せ合うようにして存在する。村人のほとんどが漁をして生計を立てていた。この島には小さいながらも神社がある。海の神を祀る神社だ。その神社を守っているのが、この村の村長で、それは代々世襲制で引き継がれてきた。この島が面している西の海は、直接大陸につながっている。そのせいか、海流にのって様々なものが漂着する。神社は、この島を守る神を祀っているのだ。
島には古くから言い伝えがあった。
その昔、凶なるもの、西海より流れ着きし
悪しき心満ち溢れ、妬みあい、憎み合い、奪い合った
四聖獣のもとに集まりし三つの神器
すなわち、鈴、縄、石もて
そのものを鎮め、縛り、封印せし、と
そして、その言い伝えを裏打ちするかのように、島の四隅には四聖獣の祠があった。四聖獣とは、すなわち、東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武である。
村から近い青龍は言うまでもなく、歩くことを厭わなければ、海沿いの平坦な道を通って朱雀と白虎を、小さな子どもでも、比較的安易に見に行くことができた。しかし、北の玄武だけは、山に阻まれ、海を通ってしかアクセスできない。だから、子供たちは、度胸試しと、長い夏休みの暇つぶしを兼ねて、子どもたちだけで玄武詣でをすることは良くあることだった。周りを海で囲まれていることだし、ほとんどが漁師の子どもであることだし、泳ぎについてはみんな自信があるのだった。
当初の目的も忘れて、さんざん海で遊んだ後、子供たちは玄武の祠がある岸に上陸した。
「あー、あそこだよ、ほらっ」
一番年上の、健太が指をさして、駆けだす。年かさの彼は、もう五度以上も玄武詣でをしていた。健太につられて、他の子どもたちも駆けだす。
「……」
一番初めに着いた健太が、声にならない悲鳴を上げた。後に続いた子どもたちも、健太が指し示す先を見て息をのむ。次の瞬間、子どもたちは、
「うわぁ――」
と悲鳴をあげて、われ先に逃げだした。
そこには、手足と首を粉々に砕かれた玄武の姿があった。石でできているはずの玄武は、しかし、血を流していた。赤黒くドロリとした液体が、砕かれた手足や首から滴り落ち、固まっている。
兄の夏生が大河の不在に気づいたのは、海を泳いで草原のある岸までたどり着いた時だった。
「大河がいないっ」
慌てた夏生が再び海に飛び込む。それに続こうとしていた少年たちを健太が引き止めた。
「もう潮が満ちてきとるとばい。今日は大潮だけん潮の流れが激しいんたい。オイが大人んたちに知らせて、船ば出してもらうから、おまえらは、ここで待ってろ。夏生と大河が自力で泳いで来とっようなら、みんなで力ば合わせて助けるんだと、よかなっ」
健太はそう言い残すと、走り去った。
結果としては、健太の言ったとおりにして正解だった。子どもたちだけで行動を起こしていれば、二次災害の危険があった。結局、知らせで駆けつけた大人たちが、船で玄武の岸まで辿りつき、祠の前で倒れていた夏生と大河を見つけた。
その日から大河は意識不明のまま高熱にうなされ、本土の病院に向かう船の中で息を引き取った。夏生は熱こそ出さなかったが、その日から一言も口をきけなくなった。何があったのか、一言も説明できないまま、口を閉ざし、そして心までをも閉ざしてしまったのだった。
幼い大河の葬儀に集まった村人たちは、声を潜めて囁き合う。
「……鈴守の二男がとうてう、やられてしもうて……」
「長男は本土の某家に養子に出すことに決めたそうたい。こん先、神社は、どがんなっんやろうか。長男までやられたら鈴守んがたも、もうおしまいやろう?」
鈴守家には、春奈という長女もいたが、これは生まれてすぐ流行病で亡くなっていた。
「あのまま口がきけんなら、鈴守はもう終わったも同然やなかか?」
「実は、噂で聞いたとばってん、名和家の姉妹がおったばい? あの養子に出した。そいの姉ん方が……で、妹ん秋子ちゃんが……で、そいでこん先、名和家もどがんなるか分からんて……」
みんなは眉間にしわを寄せて黙り込む。
「そう言えば、石守はどうなっととか?」
ふと、誰かが思い出したように声を上げた
「あそこは……嫁ば取った先が……で、息子は手ばつけられんワルらしかんだと」
「村長は、東京の宗家には、もう連絡ばとったとかな」
「そいが……ここだけの話なんばいばってん、宗家の薫様が……」
「なんと言うこと! そがんことが……」
村人たちは、息をのんで黙り込んだ。
「……やっぱい、あがん怪しげな余所者に調査のごたっと許可したとが間違いやったと」
真っ黒に日に焼けた肌とは対照的に、真っ白な白髪をたくわえた老人が、腕を組んだまま、眉間にしわを寄せて言った。
「なんの話ばしとっとたいか?」
若衆の一人が身を乗り出した。
「そがんの、もう三十年以上も前の話じゃなかか」
もう一人の老人が顔を顰める。
「だばってん、あれ以外に考えられんやろう? あれ以降じゃなかか? 三家で不審死が増えたとは……」
「そう言えば、そうばい」
数人の老人達が同時に頷いた。
「立ち入りば許可しとらんところまでほじくりかやして、今に障りがあるぞて、みんな言っとったと……」
「だばってん、なんも見つからんやったとろう?」
「そいが……本土に渡る船の船頭が、あれがなんかキラキラしたもんば持っとったとば見たって言うんだと」
「まさか……そいは……」
突然の激しい稲光に、その場のみんなが竦み上がって窓の外を見つめた。間をおかずにやってきた雷鳴が大気を震わせる。夕立が迫っていた。




